Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, January 08, 2008

*Integration of our own with what we should do

【1000号・記念】(No. 1000th Commemoration)

I have published internet magazines which count on today, No. 1000th commemoration. It has taken me about 6 years and 6 months onto Today! I fight unbeatable foe, I bear unbearable sorrow and I reach unreachable star. But nothing has happened and nothing has changed. I am still here and I keep writing. I am writing forward to reach unreachable star. Here I’d like to express my greatest thanks to Akiko, my wife、 as well as my readers of the magazines. Thank you very much!

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やったぞ、1000号! ハハハ!
これが、その第1000号!

だれに頼まれたわけではない。
自分で、勝手に目標を決めただけ。
「1000号までがんばるぞ」とね。

まさしくそれは、ラマンチャの男。
ドンキホーテの心境。

耐えられない苦しみに耐え、
戦えない敵と戦い、
届かぬ星に届く。

まあ、それほどおおげさではないに
しても、とうとう1000号!

晃子、ありがとう!
お前のおかげで、こうして自分の
道楽をつづけることができた。
読者のみなさん、ありがとう!
みなさんのおかげで、今日まで、
こうしてがんばることができた。

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●老後の統合性(How to establish our own integration)

We, young old men, should establish our own integration for the rested life. Otherwise our life would be a miserable one. But what is the integration? Then how can we establish our own integration? When we were young we were seeking ourselves, thinking what we are, and where we should go. But now we think what we should do for other people. In most cases what we should do would be accompanied with some kind of pain or troubles. Therefore most people would try to avoid such and such pain and trouble. But without this pain and troubles, we would not be able to establish the integration. Our life becomes shorter and shorter. Then I have to hurry up to do something. By the way I went to Gero-hot spring spa, Gifu pref., a few days ago where I met my cousin. Then I brought some souvenir to my brother-in-law. Also I talked with him and his wife for a couple of hours. During these conversations with them, I was thinking of my own integration. This is a kind of very serious problem. How can we establish our own integration? How can we integrate ourselves with what we should do?

 おととい、岐阜県の下呂温泉に泊まった。街中にある水M館という旅館だった。よい旅館だった。1階にひとつ、3階にひとつ、それに9階にもうひとつ、温泉があった。温泉につかると、ヌメッとした感じが、肌を包む。が、湯からあがると、それが消え、サッパリとした感じになる。さすが、天下の名泉!、と思わせるような温泉だった。

 風呂からあがると、いとこのY君が来てくれた。1階の喫茶室で、数時間、話す。子どものときからの、ワルガキ仲間である。元気そうだった。言い忘れたが、Y君は、下呂市内で、理髪店を経営している。かなり繁盛しているらしく、羽振りもよかった。

 そのY君。今は町内会長をしているから忙しくて行けないが、4月からは、また登山を再開するという。Y君の最大の趣味は、登山。そのため足腰を、毎日、鍛えているという。そんな話をしながら、私は、こう言った。

 「ぼくたちのように、老後のカベがなく、現役から老後へと連続性のある人間は、ラッキーだね」と。

 つまり私たちには、サラリーマンの人たちのような(定年)がない。だから現役のまま、老後を迎えることができる。しかしそうでない人は、そうでない。定年と同時に、そこでプツリと糸を切られる。人によっては、それは恐ろしいほどの衝撃となって、その人を襲う。そのまま心を病んでしまう人も多い。

 が、私たちにも統合性の問題はある。老後になったら、(やるべきこと)と、(やっていること)を一致させていかなければならない。これを、心理学の世界では、「統合性の一致」という。

 この統合性に失敗すると、私も含めて、人は、そのまま(死の待合室)に放り込まれる。つまり死を待つだけの人生になってしまう。孫の世話だとか、庭いじりだとか、そういうものでいくらごまかしても、ごまかしきれない。日々に、むなしさとの戦いということになる。

 その統合性は、実は40歳前後から、準備しなければならないという。「定年になりました。明日からボランティア活動を始めます」と言ったところで、うまくいくはずがない。

 で、Y君のばあい、それが「登山」ということになる。話題は、登山になった。そういうときのY君の表情は、明るく輝く。実に楽しそうだった。

 そして昨日、その下呂のみやげをもって、義兄を訪ねた。前立腺がんの手術をして、退院したところだった。術後の不都合がいろいろあるらしいが、それを除けば、元気そうだった。義兄とも、数時間、話し込んだ。

 ……つまり、私は、こうした人たちと話しながら、今、懸命に自分さがしをしている。「統合性」という言葉を使うなら、「私は何をすべきか」、それを懸命に模索している。よく誤解されるが、(したいこと)と、(すべきこと)は、まったく別のものである。(したいこと)には、楽しさがともなう。しかし(すべきこと)には、ふつう(苦しみ)が伴う。その苦しみを乗り越えないかぎり、統合性を確立することはできない。

 いとこの話を聞きながら、私は、「私にとって統合性とは何か」、義兄の話を聞きながら、「私も急がなければ」と、それぞれ考えた。

 ……ということで、私は、これから自分の統合性の追求をしてみたい。ものを書くにしても、意味のないことは書かない。つまらないことも書かない。常に前向きに、ものを書いていきたい。