Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, December 29, 2007

A Letter from a Mother

●ある母親からの相談(A letter from a mother)

A mother who lives in Hiroshima, wrote to me as follows about her families, her half-divorced husband, a boy who uses violence against her and another boy who has refused to go to school for three years. She has old-aged parents but they are about to get divorced soon. She does not know what to do but she sometimes thinks herself she doesn’t care to be killed by her boy. The circumstance where she is put is sad.

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広島県のEさんから、こんな
相談が届いています。

掲載許可をいただけましたので、
みなさんと、いっしょに、
Kさんの問題を考えてみたいと
思います。

どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。

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(家族関係)

Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。
夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。

Eさんには、2人の息子がいる。
長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。
そのため、夫は、次男を連れて、家出。

次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。

まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、Eさんを責めている。

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【Eさんより、はやし浩司へ】

次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。
現在、次男は、中学3年生です。
次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。
住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車で10分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。

はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしています。中学校の友だちには、そう言ってます。
学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるようになったからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家にいる次男を迎えにいくことになりました。 現在、私は父親と絶縁しております。 その実家には、母親しか住んでいません。
去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。
父も、母も、現在、80歳を過ぎています。調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。 父の職業は、大工でした。
父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の修行をしたそうです。
現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。
母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。 父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。
当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子育てどころでは、なかったようです。
ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドンドンという時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。
建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出し、それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。
やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。
父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの職人です。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもしれません。
母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、それを思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。
そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、老後はのんびり暮らせるはずだったのです。 が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭の雰囲気が一変してしまいました。父は、私の夫を尊敬していました。 夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。
無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。 父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ家の修繕をやったりしていました。
主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。
父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供がこうなったのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそのことで、私を責めたりします。
私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」と何度も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男を無理やり連れ出そうとしたりしました。

私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。
姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そういうことにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。
そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越していきました。
父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていました。
そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の果てには、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産を分けて、離婚したらいい」と、勧めました。
私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。父はアパートを借り、実家を出て行きました。
居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。
でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。 そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。
長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづきました。
実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもあるようですが、今は、ひとりで、気ままにやっています。
そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。
結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や姑からも疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。
今まで通院していた病院に行くためです。
保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。 そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のような自己否定で、身動きができなくなってしまいます。 こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思われるかもしれません。

私は離婚するつもりでいます。子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。
それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。 今はもう、くたくたなんです。
自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一杯です。
いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしないと、今の私は、ボロボロになってしまいます。
息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。
夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。
そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から薄れていくであろう自分を待つ状態です。 それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。
その責任は、感じます。
過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。 やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。 だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいのです。 父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男に、「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。
そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。 でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはできません。 だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。 父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。
認知症も進んでいるしね。 病気のせいだと思っておくよ。 今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。 私たちは、困った親子になったもんだね。 なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、適当に読んでください。この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。 で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすねばかりかじっています。
しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。
今までの悪仲間とは縁を切ったようです。今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。
何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。
夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。長くて申し訳ありません。よろしく御願いします。
(広島県、Eさんより)

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【はやし浩司より、Eさんへ】

 Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、家族であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。ふつうの重圧感、束縛感ではありません。

 悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それが刷り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。

 家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが一度狂うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさんは、こう書いています。

 「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまりEさんは、今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるんで、その先が読めなくなりました。

 そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。

 無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさんが、今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を飛び回ることです。

 が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や夫とのからみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本来なら、いちばん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに押しつけて、逃げてしまっている!

 Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実の両親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にしばられて、見放すこともできない。

 どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならないのでしょうか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんなことをしてやった」「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。

 親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。しかしそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。

 が、ここが正念場。

 私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、ということです。

 運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲いかかってくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、逃げていく。

 今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出てやる」と考える。

 夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、離婚。あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のことは、忘れなさい。

 ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、「許して、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになります。またそれがこの先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、美しいものにします。

 もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生きているのかということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかということになってしまいます。

 Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群による(幻惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得ることができない。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。その(根)は深いと思います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができない。どういうわけか、できない。

 それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以上に苦しんでいるのが、長男なのです。

 ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、自分を見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけている。

 愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言うのでしょうか。

 繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさんがかかえている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立場に立たされ、子どもたちが、もがき、苦しむのです。

 何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてください。この言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなくなるときがくるかもしれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。

 そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そして美しいものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜しみなく、愛を与えていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られても、愛を与えていくのです。

 「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を与えていきます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあなたで、マイペースで、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあなたは、あなたで、したいことをすればよいのです。

 いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問題です。

 大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。体を動かし、見て、聞いて、ものを話しているということ。

 大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動かし、見て、聞いて、ものを話しているということ。

 その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何でもない問題です。

 いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大切なことは、その(価値)を実感することです。

 Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考えろというほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで砂時計の砂のように思えてきます。

 サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。

 運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あなたたちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。

 とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。

 あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、雲が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきます。バカでアホな、両親や夫のことは忘れなさい。

 私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホになってしまいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、アホだったことを知ります。

 いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえていますよ。表からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「どうしてうちの子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。

 まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。それを信じて、恐れず、前に進んでください。

 相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいですよ。

 今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになってみてください。楽しいですよ。

 では、今日は、これで失礼します。

 この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許しください。多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、同じような問題をかかえていますから……ね。