Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, December 29, 2007

*Authoritarianism and its swindle cases

【今朝・あれこれ】(12月30日)

●ニセ学歴(Misrepresentation of Educational Background)

I receive letters occasionally from unknown universities which ‘sells’ the educational background of the false. People buy them and decorate themselves with the false career as authorizes in their fields. Why do these people try to deceive us with the false career? The reason is quite simple. Japanese as well as Koreans are poor at the authority. We call this, ‘Authoritarianism’. And we call these people, ‘Authoritarian’.

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韓国で始まった、ニセ学歴詐称事件が、
この日本にも飛び火してきた。

かなり著名な栄養学の権威(?)まで、
ニセ学歴を詐称していたという。

ほかに、文科省が調べたところ、約40
~50人の大学教授らが、ニセ学歴を
購入(?)。それを自分の経歴に使って
いたことがわかったという。

(しかしこれは、氷山の一角。一般社会
では、もっと多いはず。)

ニセ学歴といっても、いろいろある。
韓国では、他人がもっている卒業証明書
を偽造し、それを使っていた教授もいた。

が、ふつうニセ学歴というのは、その種の
インチキ大学から、学歴を購入することを
いう。

先方も、ある程度、人選らしきものをするらしい。
つまりターゲットをしぼって、接近してくる。

中には、「通信講座で、学位が取れる」を
売り物にしている、ニセ大学もある。
一応、「通信講座」としているところが、
ニクイ!

大学名にしても、実に、それらしい名前
をつけている。韓国では、「ロシア音楽協会」
とか、「ハミルトン大学」とかいう名前が
あがっている。

私のところにも、この種の勧誘がよく、
届く。数年前まで、1年に、2~3通、
届いていた。最近では、インターネット
でも購入できるという。(ヘエ~!)

博士号で、50~100万円というのが、
相場らしい。

で、半年ほど前に、「?」と思う人物に
ついて書いた。テレビなどにも、とき
どき顔を出す。紹介テロップに、「○○
大学卒」とか、また別のテロップには、
「教育学博士」とか、書いてあった。

(最近は体調を崩したとかで、テレビには
出てこなくなったが……。)

「博士」というから、それなりの専門
用語が口から出てくるかと思っていたが、
それがまったくなかった。それで「?」と
思った。

○○大学を検索してみたら、それらしい
ビルの写真は載っていた。教授名とか、
講師名は、ズラリと並んでいた。が、学生
らしきものは、まったく紹介されていな
かった。

それでピンときた。

ニセ博士号である。この日本でも、そう
いうものが、堂々と、使われている。

日本人や韓国人は、権威に弱いから、
この種の詐欺のカモになりやすい。

が、みなさんも、くれぐれも、ご注意!
つまり、そういう肩書きをもった人に、
だまされないように!

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●ニセ学歴(False Career)

 日本では、学歴を詐称していた教授名は、今のところ公表されていない。現在も、調査中ということらしい。

 で、韓国での実態について、報告してみる。韓国では、06年3月に、金を支払ってロシアの音楽大学でニセの修士と博士の学位を取得したということで、120人が検察に 摘発されている。(120人だぞ!)

 平均取得価格は、2000万ウォン(約270万円)。

 が、実際にロシアを訪問したのは、わずか1週間だったという。彼らの中には大学講師はもちろん教授まで含まれており、 自分たちどうしで、「ロシア音楽協会」なる団体まで結成し、活動していたというから驚きである。

 が、特筆すべきは、2002年までテレビ番組にレギュラー出演していた、F・I氏である。彼のばあいは、ソウル大学経済学科を卒業後、CNN記者、マゼランファンドのファンドマネージャーなど華麗な経歴を誇る有名人として、幅広く活動していた。しかしファン氏の経歴はすべてが捏造(ねつぞう)されたものだったという。
実際には、大卒検定試験の一部科目に合格したに過ぎず、米国留学や職務経歴もすべてが虚偽だったという。
 ほかにも、非認可の米国の大学で取得した博士学位を本物のように 見せかけ、学術振興財団に報告していた光州教育大学教授もいたという(以上、朝鮮N報)。

●日本とて無縁ではない!(In Japan, too)

 今でも、簡単な外国ツアーを組み、帰国後、「フランス・XXアカデミィー、研修修了書」なるものを発行する団体が、無数にある。理髪店や美容院などで、この種の(修了書)を、よく見かける。

 最初から、研修など、「形」だけ。実態は、観光旅行。しかし修了書だけは、やたらと豪華。金ピカピカの装丁で、もっともらしい横文字がズラリと並んでいる。つまりは、客だましの7つ道具ということになる。

 が、その上を行くのが、医師の世界。私は20代のころ、通訳として、国際会議なるものに、何度か同行したことがある。

 ちゃんとした国際会議である。その国際会議には、日本からも、東大とか京大とか、一級の学者が参加する。それはそれとして、その教授に、随行する団体ができる。医師だけを専門にする、ツアー企画会社がある。そういった会社が、それを企画する。

 「自分の恩師が国際会議で、研究報告をする」ということで、その弟子たちが集まる。弟子の弟子たちが集まる。しかし実態は、やはり観光旅行。国際会議といっても、たいてい2~3日で終了する。しかもお目当ての(恩師)の研究発表は、1~2時間程度。

 あとは資料だけを、ドッサリともって帰る。それでおしまい。

 が、そういった旅行には、ちゃんと目的がある。「国際会議に出た」というだけで、経歴として生きるのである。事実、そのあと、自分の著書に、「○○年○月、XXXX国際会議に出席」と書いていた人を知っている。さらに、「XX国より、招聘される」と書いていた人も知っている。

 私は当時、「招聘」の意味を知らなかった。読み方も知らなかった。「しょうへい」と読む。「(国が、国として)、礼を尽くして、招待する」という意味である。

 今から30年以上も前の話なので、現在は、どうなっているか、知らない。しかし、こうしたインチキが、そのあと、なくなったという話も、聞いていない。その旅行社にしても、たった今、インターネットで検索してみたが、今も(健在?)のようである。

●くだらない権威主義(Authoritarianism)

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。その官僚がなぜ政治ができるかといえば、(天皇)という最高権威を、頂点にいだくからである。その権威が、上から下の下まで、そして骨のズイの奧の奧まで、しみこんでいる。水戸黄門の葵の紋章に、その例をみるまでもない。

 どうして葵の紋章ごときに、みなは、頭をさげなければならないのか? 頭をさげるのか? またそういうドラマの1シーンを見て、日本人は、どうしてそれを「痛快!」と思うのか?

 それが権威主義である。

 その権威主義が、姿を変えて、こうした学歴詐欺事件につながっている。実際、この日本は、肩書きのある人には、たいへん住みやすくできている。仕事は、向こうから、やってくる。が、そうでない人には、そうでない。その肩書きを支えるのが、学歴ということになる。

 大切なのは、中身。その人の中身。こんなわかりきったことが、この日本では、通用しない。その通用しないカベになっているのが、権威主義ということになる。

 ……ここまで書いて、以前に書いた原稿のことを思い出した。

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●権威主義者(Authoritarians)

 その人が権威主義的なものの考え方をする人かどうかは、電話のかけ方をみればわかる。

権威主義的なものの考え方をする人は、無意識のうちにも、人間の上下関係を心の中でつくる。先輩、後輩意識も強い。それが電話の応対のし方に表れる。目上の人や、地位、肩書きのある人には必要以上にペコペコし、そうでない人にはいばってみせる。

私の知人の1人がそうで、相手によって電話のかけ方が、まるで別人のように変わるからおもしろい。(政治家の中にも、そういう人がいる。選挙のときは、米つきバッタのようにペコペコし、当選し、大臣になったとたん、ふんぞり返って歩くなど。その歩き方が、まさに絵に描いたような偉ぶった歩き方なので、おもしろい。)

 そのほかにたとえば、あなた自身の(心の中)をさぐってみればわかる。あなたが、どういう人を立派と思っているか、それをさぐってみればわかる。印象として、それなりの肩書きがあり、どこか堂々としている人を、「立派」と感ずる人は、かなり権威主義的なものの考え方をする人とみてよい。

このタイプの人は、日ごろから世間的な見栄を大切にする。あるいは外から見た自分に注意を払う。そのため他人には、立派に見える。(「立派」という言い方そのものが、封建時代からの亡霊である。)

 この権威主義が、家庭へ入ると、子育てそのものをゆがめる。

 親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では仮面をかぶるようになる。そしてその分だけ、子どもの心は親から離れる。仮にうまくいっている家庭があるとしても、それは子ども自身がきわめて従順か、あるいは子ども自身も権威主義的なものの考え方を受け入れてしまっているかのどちらかにすぎない。たいてい親子関係はぎくしゃくしてくる。キレツから断絶へと進むことも多い。

 ……と決めてかかるいのは、危険な面もあるが、もうこれからは親が親の権威で子育てをする時代ではない。江戸時代や明治の昔ならいざ知らず、葵の紋章だけで、相手にひれふしたり、相手をひれ伏させるような時代ではない。またそういう時代であってはいけない。

私もいろいろな、その世界では第一級の人たちに会ってきたが、そういう人ほど、腰が低く、どこか頼りない。相手がだれでも、様子が変わるということはない。つまりそれだけ自分自身を知っている人ということになるのか。

生きザマのひとつの参考にはなる。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●ゴーストライター(Ghost Writer)

 11月も入って、まもないころ、1人のドクターから、ハガキが届いた。読むと、「このところ体調をくずして、年始の年賀状を失礼させていただきます」とあった。よほど体の具合が悪いのだろう。追伸の欄には、「お手紙をいただきましても、返事を書く気力もないと思いますので、どうかお許しください」とあった。私とワイフは、そのハガキを見て、しばし言葉をつまらせた。

 私は20代のころ、いろいろな出版社で、ゴーストライターをしていた。そうして書いた本は、15冊前後はあると思う。「思う」というのは、こうして生まれる本は、いろいろな人の手を経て出版されるからだ。

私があらかじめ原稿を書き、あとで著者が手なおしするというケースもあった。あるいは著者が、まず自分の声をテープレコーダーに吹き込み、それを聞きながらリライトするというケースもあった。だから実際のところ、何冊書いたかと聞かれても、わからない。

 が、どういうわけか、私が書いた本は、どれも売れた。その中の一冊に、「xxx」という本がある。あるホームドクターの日常的なできごとを書いたものだが、これはあとで、テレビのドラマにもなり、そののち、10年以上も売れつづけた。が、私はいわば、請け負い業者。原稿ができた段階で、いくらかのお金を受け取って、それでおしまい。ふつう、相手の方が私を忘れる。……忘れたがる。

 ゴーストライターには、一応、守秘義務というのがある。原稿を売った段階で、著作権も渡す。と、同時に、以後、その原稿にまつわるいっさいの権利を放棄する。あとになって、「あの本は私の書いたものです」とは、言わない。言えない。言ってはならない。

 が、その本が、そこまで売れるとは思ってもみなかった。出版後、ちょう1年で、12万部も売れた。定価が1800円。そのドクターへの印税は、12%だったから、それだけで約2600万円近くになった。なんとか賞という、賞まで取った。

私はそのニュースを出版社からの電話で聞いたが、そのドクターは、さぞかし居心地の悪い思いをしたことだろうと思った。とてもいっしょに、喜ぶ気にはなれなかった。
 
 が、ふつうなら、著者(?)と私の関係は、私が出版社へ原稿を売り渡したときに終わる。しかしどういうわけだか、そのドクターとは、それから30年近くも、関係がつづいた。そのドクターは、ことあるごとに、私に気をつかってくれた。最初のころは、盆や正月には、それなりのものを、届けてくれた。

その気持ちは、よくわかった。あるいはあとになって、私が彼の名誉をひっくり返すようなことをするとでも思っていたのだろうか。しかし私はそんなタイプの人間でない。

 そのドクターからは、そのあとも、年賀状だけは、毎年届いた。ときどき数年、私のほうが出さなかったことはあるが、それでも、毎年届いた。が、そのうち何というか、私は親近感を覚えるようになった。実のところゴーストライターとして書いた本など、見たくもない。思い出したくもない。その著者(?)の名前を聞くだけで、不愉快になる。いつか私は、ゴーストライターは、娼婦のような商売だと思ったことがある。娼婦は体を売るが、ゴーストライターは、魂を売る、と。それに私が書いた本が売れたという話を聞くのは、気持ちのよいものではない。何だか損をしたという気持ちになる。

 マスコミの世界は、本当に不可解な世界だ。中身など、ほとんど評価されない。そのドクターは、先にも書いたように、なんとか賞という賞を受賞している。が、その賞は、本来、私がもらうべきものだ。しかしなぜ彼がその賞を取ったかといえば、その本が売れたからにほかならない。そしてなぜ売れたかというと、中身ではない。そのドクターのもっていた、知名度だ。彼の父親は、xxxの世界ではよく知られた有名人だった。

 実際には、私はそのドクターとは、一度しか会っていない。最初、出版社の編集長が、私を彼に紹介したときだ。あとは私のほうで勝手に原稿を書き、そのまま出版社に渡した。ここにも書いたように、この種の本は、いろいろな方法で出版される。

しかしその本は、私があちこちの病院を取材し、ほぼ100%、私が書きあげた。ただ「本」というと、特別の思いをもつ人も多いが、私にとっては、ただの商品。それを書くのは、私のビジネスだった。だからそういうインチキなことをしながらも、私自身には罪の意識はなかった。

が、それが10年、20年とたつと、変わってきた。その後、私が自分の名前で出した本は、どういうわけだか、売れなかったこともある。「やはり、この世界、知名度が大切」ということを思い知らされるたびに、自分のしてきたことを後悔するようになった。

 そのドクターから、ハガキが届いた。文面からすると、冒頭にも書いたように、病状はかなり重いらしい。読み返せば読み返すほど、病状の重さが、ひしひしと伝わってきた。心のどこかで、憎んだこともある。心のどこかで、軽蔑したこともある。心のどこかで、ねたんだこともある。そのドクターが、重病だという。

もう少し若ければ、知人の死として、距離を置くことができただろうが、「自分の時代は終わった」という思いが、私の心をふさいだ。仮にそのドクターが死ねば、ゴーストライターをしていたころの自分も死ぬことになる。あのときのあの本が私の本だと、それを証明する人がいなくなる。

 「しかしこのドクターも、根はいい人だったんだね」と私が言うと、ワイフも、「そうね」と。「最後の最後まで、ぼくのことが気になったのだろう。いや、ぼくなら気になる。降ってわいたような企画に、名前を貸しただけで、数千万円の印税を手にした。その上、賞までもらい、ちょっとした有名人にもなった。そのもととなる本が、ゴーストライターによるものだとなるとね」と。

 「あなたがいつか名乗り出るとでも思ったのかしら?」
 「ははは、ぼくはそんなことはしない。しかし、だよ。そのドクターは、その前にも、そしてそのあとにも、1冊も本を書いてない。きっと書けなかったのだろうね」
 「でも、何だかかわいそう」
 「そうだね。結局は自分の人生を汚してしまった。でも、あの賞の授賞式のとき、『この本は、林というゴーストライターが書いたものです』と言いたかったのかもしれないね」
 「でも、できなかった……」
 「そうだね。彼としては、この話は墓場までもっていくつもりだよ」

 私はそのハガキをもう一度ゆっくりと読みなおすと、壁につりさげた状さしの中にしまった。そしていつものように外へ出て、自転車にまたがった。
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(追伸)このエッセーは、そのドクターのために書いた本の文調と体裁をまねて書いてみた。この文調と体裁こそが、その本が私の本であるという証拠ということになる。

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 この世界には、こうしたインチキは、そこにも、ここにも、どこにでもある。

 私は、それを言いたかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 学歴詐称 学歴詐欺 権威主義)