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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 1月 19日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●分厚い教科書(Self-Study)
++++++++++++++++++
教科書を厚くすることには、大賛成である。
現行の教科書(小中高)は、あまりにも薄い。
内容がない。
が、何よりも、自分で読んで、自分で理解して、
自分で勉強するようには、できていない。
子どもの学習で大切なのは、「自学」である。
その習慣づけをいかにするか。
そのとき教育の真価が問われる。
++++++++++++++++++
教育再生懇談会が、つぎのような答申を出した(第三次報告)。
TBS-NEWS-iは、つぎのように伝える。
**********以下、TBS・NEWSより***********
AS内閣の教育再生懇談会は、授業を受けることを前提に作られた現在の教科書を、自
習にも適した内容に改めることなどを盛り込んだ第2次報告をまとめ、AS総理に提出
しました。
教育再生懇談会の第二次報告では、学習指導要領の改訂を受けて、教室で授業を受け
ながら使うことを前提に作られている教科書を、丁寧な記述にして練習問題を増やすな
ど、自学自習に適した内容に改めるよう求めています。
(12月18日)TBS NEWS-i
**********以上、TBS・NEWSより***********
大賛成である。
私も、小学3~4年生ごろから、生徒に、自学を教えている。
子育てにたとえるなら、子ども自身が親離れするように、(できるように)、
指導する。
具体的には、教科書を自分で学習させ、「わからないところがあったら、
もってきなさい」という指導法に、切り替えている。
こうした指導でもっとも注意しなければならないことは、子どもに依存心を
もたせないこと。
依存性をもたせれば、そのときはそれでよいかもしれないが、中学生になったとき、
あるいは高校生になったとき、さらにあるいは社会人になったとき、そこで
宙ぶらりんになってしまう。
たとえば今、社会人で、自分で勉強している人は、いったい、どれくらいいる
だろうか。
母親でもよい。
中には、「私はもう終わりましたから」と言う人がいる。
「私の勉強時代は終わったから、もう勉強などしなくていい」と。
あるいは勉強というものを、進学のための手段にしか考えていない。
そういう人ほど、(学ぶ)ことに対して、依存性が強いと考えてよい。
「勉強嫌い」というよりは、自学の習慣そのものが、ない。
勉強というのは、教えられてするものではない。
教科書なら教科書でよいが、自分で読んで、自分で理解して、自分で勉強するもの。
それを教えるのが、「教育」ということになる。
ところで私の知人にこんな女性(60歳くらい)がいる。
あることでその女性の家に行ってみたのだが、本という本が、ほとんどない。
雑誌もない。
驚いたことに、DVDの再生装置すらない。
話を聞くと、音楽も聴かないという。
その一方で、世間話はよく知っている。
「あのタレントはどうなった」
「この歌手はどうなった」と。
皇族の話も、詳しい。
毎朝、そういうテレビ番組だけは、しっかりと見ているらしい。
が、ある日、その女性から、認知症の相談を受けた。
その女性の夫の様子が、少しおかしいという。
私は専門家ではないが、さっそくインターネットから資料をダウンロードし、
それをコピーして、その女性に渡した。
で、ワイフにそれを届けさせたのだが、その女性は、資料には目をとおそうと
すらしなかっただけではなく、その資料を手で払いのけてしまったという。
「こんなものを読んでも、私にはわかりません!」と。
自学の習慣のない人は、そういう反応を示す。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【私を知る】
●ためこみ屋(ケチ)
+++++++++++++++++++++
数日前、「ためこみ屋」と呼ばれる人について書いた。
どんどんと、自分の身のまわりに、ものをためこむ人をいう。
「ためこみ屋」というのは、私が考えた言葉ではない。
心理学の本にも出ている。
ちゃんとした言葉(?)である。
時に家中を、ものだらけにしてしまう。
ひどくなると、家の中や外を、ごみの山にしてしまう。
一般的に、ためこみ屋は、ケチである。
ためこみ屋、イコール、ケチ、ケチ、イコール、ためこみ屋と考えてよい。
が、一方的にケチかというと、そうでもない。
ときに突発的に寛大になることがある。
雰囲気にのまれて、大金を無駄にはたいたりする。
こうした現象は、排便論で説明される。
フロイト学説によれば、2~4歳の肛門期に、何かの問題があって、
そうなるという。
つまり乳幼児にとっては、便は(財産)。
その便をためるという行為が、ものをためるという行為につながる。
しかし同時に、排便の快感も味わう。
それが(突発的に寛大になる)という行為につながる。
もう少し詳しく説明すると、こうなる。
肛門期に、(1)親にきびしい排便のしつけがされた、(2)排便にたいして適切な
指導を受けなかった、(3)排便について、何らかのトラウマができた。
排便だけではない。
とくに注意したいのが、愛情問題。
たとえば下の子どもが生まれたりして、上の子どもが、愛情飢餓状態に
なることがある。
親は「平等にかわいがっています」と言うが、上の子どもにしてみれば、
それまであった(愛情)が、半分に減ったことが不満なのだ。
赤ちゃん返りは、こうして起きる。
そういう経験をした子ども(人)は、生活態度が、防衛的になる。
長男、長女がケチになりやすいという現象は、こうして説明される。
が、こうした現象を知ることによって、私たちは私の中の(私)を
知る手がかりを得ることができる。
あるいはそのヒントを得ることができるようになる。
ここでは、それについて考えてみたい。
++++++++++++++++++++
●私の知人
私は基本的には、ケチではない。
自分で自分をケチと思ったことはない。
しかしそんな私でも、ときどき落ち込んでいるようなとき、パッと
ものを衝動買いすることがある。
とたん、気分がスカッとする。
反対に、ものを衝動買いすることによって、ストレスを発散させることもある。
これも言うなれば、肛門期の名残(なごり)ということになる。
が、それが病的な状態にまで進んでしまうことがある。
だれがみても、(ふつうでないという状態)になることがある。
それがここでいう「ためこみ屋」ということになる。
私の知人に、こんな人(50歳くらい)がいる。
ケチの上に、「超」がつくような人である。
娘が結婚したが、その引き出物として、100円ショップで買ってきた
家庭用品を5~6個ずつ、箱に入れて渡していた。
(100円ジョップの商品だぞ!)
もちろん小銭に、うるさかった。
小さな菓子屋を経営していたが、妻などは、家政婦くらいにしか
考えていなかった。
すべての行為が、(金儲け)につながっていた。
またそういう目的のために、結婚したようなもの。
妻を使ったというより、こき使った。
そのため妻はやがて、うつ病になり、自殺未遂まで起こしている。
が、悲しいかな、それでその知人が、自分の愚かさに気づいたというわけではない。
妻は1か月ほど入院したのだが、入院費がもったいないという理由で、その知人は、
無理に退院させてしまった。
そのあとのことは知らないが、人づてに聞いたところでは、その知人はケチはケチだが、
ためこみ屋ではないとのこと。
家の中も、それなりに整頓されているとのこと。
しかしそれには、妻の努力があったようだ。
妻が、きれい好きだったということか。
加えてケチが転じて、その知人は、守銭奴になった。
何しろ子どもの学費すら、「もったいない」と言って、ケチったという。
これはあくまでも一般論だが、ためこみ屋の人は、ものを失うことに、強迫観念を
もっていると考えられる。
あるいは時間に対して、異常なまでに執着し、そのため生活そのものが時刻表的
になることが多い。
これは乳幼児期における、神経質な排便指導が原因と言われている。
●人は人
もっともそれでその知人がそれでよいというのなら、それでよい。
私のような他人が、とやかく言ってはならない。
またそんなことをすれば、それこそ、内政干渉。
しかしその知人は、私たちに大切な教訓を与えている。
つまり(私の中の私)である。
ためしにその知人に、こう言ってみたらどうだろうか。
「あなたはあなたですか?
あなたはあなたの中の、あなたでない部分に
操られているとは思いませんか?」と。
その知人は、まちがいなく、その質問に猛反発するにちがいない。
「私は私だ。私のことは、私がいちばんよく知っている」と。
しかしそうでないことは、ここまで読んでくれた人にはわかるはず。
その知人もまた、(私であって私でない部分)に操られているだけ。
原因はわからないが、いろいろ考えられる。
その知人は、4人いる兄弟姉妹の長男。
昔からの菓子屋。
父親は、道楽三昧(ざんまい)の遊び人だった。
母親は、近所でも有名なほど、勝気な人だった。
そのため長男のしつけには、ことさらきびしかったようだ。
そういう家庭環境の中で、その知人は、その知人のようになった。
言い換えると、自分を知ることは、それほどまでに難しいということ。
しかし知ろうと思えば、知ることは、けっして不可能ではないということ。
●そこで(私)
もしこの文章を読んでいる(あなた)が、ここでいう「ためこみ屋」で、
ケチであるなら、(つまりそういう症状が出ているなら)、一度、自分の心の中を
のぞいてみるとよい。
あなたも、(私であって私でない部分)に気がつくはず。
そして……。
こうして(私)の中から、(私であって私でない部分)を、どんどんと取り除いて
いく。
ちょうどたまねぎの皮をむくように、だ。
そして最後に残った部分が、(私)ということになる。
ただそのとき、恐らくあなたは、(私)がほとんどないことを知るかもしれない。
(私)というのは、たまねぎにたとえるなら、たまねぎの中心部にある、細くて
糸のようなもの。
あるいはもっと小さいかもしれない。
つまりそれくらい、(私)というのは、頼りない。
●スズメはスズメ
だから、さらに……。
ためしに、庭に遊ぶスズメを見てみたらよい。
スズメたちは、恐らく、「私は私」と思って行動しているつもりかもしれない。
しかし北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
どこかで連携しているというわけでもないのに、まったく同じような行動パターンで、
同じように行動している。
もちろんどこかで共通の教育を受けたということでもない。
が、同じ。
私たち人間から見れば、同じ。
つまり(私)というものが、どこにもない。
同じように、アメリカ人も日本人も、人間は人間。
それぞれ「私は私」と思って行動しているが、視点を変えれば、まったく同じような
行動パターンで、同じように行動している。
スズメの中に(私)がないように、実は、私の中にも、(私)というのは、ほとんどない。
「まったくない」とは思わないが、ほとんど、ない。
●ある生徒
たとえばケチな人は、ケチであるということに気がつくか、どうか?
少し話はそれるが、私の生徒のことで、こんな経験をしたことがある。
ある生徒(高2男子)が、私にこう言った。
「生徒会の仕事をするようなヤツは、バカだ」と。
そこで私が理由をたずねると、こう言った。
「そんなことをしていたら、受験勉強ができなくなる」と。
私はその言葉を聞いて、しばらく考え込んでしまった。
たしかにその生徒の言っていることは正しい。
有名大学への進学を考えるなら、1時間でも、時間は惜しい。
生徒会の仕事をしていたら、勉強の時間が犠牲になる。
それはわかる。
しかしその生徒は、受験勉強という、もっと言えば、受験制度の中で、
踊らされているだけ。
もちろんその生徒は、それには気づいていない。
「私は私」と思って、自分で考え、自分で行動している。
さらに言えば、ではその生徒は、何のために勉強しているのか。
何のために高校へ通っているのか。
そういうことまで考えてしまう。
つまりこうした疑問は、そっくりそのままケチな人についても言える。
その知人は、何のためにお金をためているのか。
何のために生きているのか。
そういうことまで考えてしまう。
●私を知る
ではどうすれば、その知人は、どうして自分がそうであることを知ることができるか。
その方法はあるのか。
その知人のことを心配して、こう書いているのではない。
その知人は、その知人でよい。
しかしそれを考えることによって、私たちは自分を知る手がかりを得ることができる。
そのために、その方法を考える。
まず、その知人は、自分がケチであることを知らねばならない。
これが第一の関門。
しかし実際には、そういう人にかぎって、自分がケチとは思っていない。
「自分は堅実な人物」とか、「他人は浪費家」と思っている。
人生観、さらには哲学まで、その上に、作りあげてしまう。
さらに『類は友を呼ぶ』の諺(ことわざ)どおり、そういう人たちはそういう人たちで、
ひとつのグループを作ってしまう。
だからますます「私」がわからなくなってしまう。
言い換えると、私たち自身も、実は同じことをしているのに気がつく。
(私であって私でない部分)が中心にあって、そのまわりを、たまねぎの皮のような
ものが、つぎつぎと重なっている。
そしてつきあう相手も、自分にとって居心地のよい人を選ぶ。
たとえば冒頭に書いたように、私自身はケチではないから、ケチな人間が好きではない。
ケチケチした人のそばにいるだけで、息苦しさを覚えることもある。
しかしそれは本当の(私)なのか?
ケチに気づくことも難しいが、自分がケチでないことに気づくのも難しい。
どちらであるにせよ、どちらがよいということにもならない。
先の高校生について言うなら、現代という社会は、そのほうが、生きやすい。
たしかに「生徒会などをしているヤツは、バカだ」ということになる。
●作られる(私)
で、そういう自分であることに気がついたとする。
つぎに私たちは、いつ、どこで、どのようにしてそういう(私)ができたか、
それを知る。
これが第二の関門。
私はそのためには、精進(しょうじん)あるのみ、と考える。
昨日の私より、今日の私を賢くすることしか、方法はない。
人は、より賢くなって、それまでの自分が愚かだったことを知る。
専門家に相談するという方法もあるかもしれないが、そのレベルまで到達した
専門家をさがすのは、たいへん難しい。
へたをすれば、どこかのカルト教団の餌食(えじき)になるだけ。
占いや、占星術、さらにはスピリチュアルなどというわけのわからないものを、
押しつけられるだけ。
そこで精進。
つねに勉強し、つねに視野を広める。
手っ取り早い方法としては、心理学や哲学を学ぶという方法もある。
が、何よりも大切なことは、自分で考えるということ。
考える習慣を身につけること。
その習慣が、やがて(私)の発見へとつながっていく。
●(私)を知るメリット
もっとも(私)を知ったところで、それがどうした?、と考える人もいるかも
しれない。
(私)を知ったところで、直接、何らかの利益につながるというわけではない。
しかし(私)を知ることによって、私たちは、そこに生きる意味を見出すことができる。
それがわからなければ、反対に、もう一度、庭に遊ぶスズメたちを思い浮かべて
みればよい。
スズメはスズメ。
同じように、人間は人間。
もしそうなら、私たちはスズメと、どこもちがわないということになってしまう。
言い換えると、私たちは(私)を知ることによってのみ、生きる意味そのものを
知ることができる。
そこに生きる意味を見出すことができる。
(私)があって、私たちははじめて、生きることになる。
その実感を手に入れることになる。
そしてそれがわかれば、まさに『朝に知れば、夕べに死すも可なり』ということになる。
「朝に真理を発見できれば、夕方に死んでも悔いはない」という意味である。
もっと言えば、無益に100年生きるより、有益に1日を生きたほうが、よいという
意味である。
(私)を知るということは、そういうことをいう。
●再び、「ためこみ屋」
「ためこみ屋」の人にしても、「ケチ」と周囲の人にうわさされるほどの人にしても、
何らかの心のキズをもった人と考えてよい。
またそう考えることによってのみ、そういう人たちを理解することができる。
(あえて理解してやる必要はないのかもしれないが……。)
しかし先にも書いたように、あなたや私にしても、みな、何らかのキズをもっている。
キズをもっていない人は、いない。
ぜったいに、いない。
大切なことは、まずそのキズに気がつくこと。
そうでないと、あなたにしても、私にしても、いつまでもそのキズに振り回される
ことになる。
同じことを繰り返しながら、繰り返しているという意識すらない。
ないまま、また同じことを繰り返す。
しかしそれこそ、貴重な人生、なかんずく(命)を無駄にしていることになる。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 ためこみ屋 ケチ
ケチ論 肛門期 フロイト はやし浩司 私論 私を知る)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●フグ刺(さし)を食べる
++++++++++++++++++
いつかどこかで食べたような気はする。
しかしどうも記憶がない。
……ということで、昨夜、フグ刺を
生まれてはじめて(?)、食べた。
丸い皿に、切手のように薄い刺身が、
菊の花のように並んでいた。
それを食べた。
++++++++++++++++++
浜松のT先生が、フグ刺を送ってくれた。
丸い皿に、きれいにそれが盛られていた。
「これがフグ刺かア?」ということで、
昨夜、それを食べた。
味は淡白。
独特の舌ざわり。
「これがフグだ」
「これがフグね」と、家族みんなで食べた。
おいしかった+珍味!
いつかどこかで食べたような気はする。
が、どうも思い出せない。
若いころは、結構、派手な生活をしていたから、
どこかで食べたはず。
味にも、覚えがある。
しかしそれが思い出せない。
どこでだろう?
いつだったかな?
そんなことを懸命に考えながら、食べた。
ワイフが、「病みつきになりそう」と言ったので、
すかさず、私はこう言った。
「こんな高級なものを、好きになってもらっては
困るよオ」と。
まあ、めったに食べられるものではない。
そんなわけで、しっかりと味わいながら、食べた。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●官僚天下り、首相が承認(?)
+++++++++++++++++
政府は18日(12月)、省庁による
天下りあっせんを承認する「再就職
等監視委員会」の委員長ポストが定まらない
ことを受けて、監視委員会に代わって、
AS首相が承認する方針を固めたという
(中日新聞・12・19)。
これは官僚の天下りが事実上できなくなっている
状況を回避するためという(同)。
そしてその結果、「……実際には、内閣府
職員に首相の職務を代行させるという」(同)と。
++++++++++++++++++
わかりやすく言えば、AS首相は、「天下り監視センター(正式名:官民
人材交流センター)」を、官僚たちに(=内閣府)に丸投げした。
理由は、委員長が決まらないため、とか?
(委員長人事については、M党が、反対している。)
つまりそれまでの(つなぎ)として発足した「監視委員会」を、事実上、
ギブアップ。
AS首相は、各省庁からあがってくる書類を、ホッチキスで留めるだけ。
それだけの委員会にしてしまった。
つまり「監視」などというのは、まさに「形」だけ。
だったら、何をもって、「監視」というのか?
官僚たちは、今までどおり、何の監視も、制約も受けず、堂々と天下り
できることになる。
しかも表向き、「監視委員会のお墨付き」という、天下の通行手形まで
手にすることができる。
「オレたちは、ちゃんと監視委員会の承諾を得て、天下りしている」と。
しかしこんなバカげた話が、どこにあるのか!
(08年12月19日記)
(付記)AS首相の支持率が、今朝(12月20日)の新聞によれば、
17%前後まで、急落したという。
当然である。
Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司
●派遣社員
+++++++++++++++++
今朝の朝刊の見出しは、「トヨタ単体、通期赤字へ」「新車販売500万台
割れ」(中日新聞)。
1面トップの、2つの見出しである。
別のページには、「不況の荒波は想像を超えていた」ともある。
そのため、今、全国で、(もちろんこの浜松でも)、派遣社員や契約社員を
中心に、職を失う人たちが続出している。
……と、ここまで書いて、その先が書けない。
何をどう書くべきなのか?
どう書いたらよいのか?
へたな同情は、そういう人たちに対して、かえって失礼。
……もともとは規制緩和が発端だった。
人材の流動性を確保するためだった。
その結果、企業は派遣社員や契約社員を自由に雇えるようになった。
人事のフレキシビリィティ(柔軟性)が、それで確保できるはずだった。
必要なときだけ、必要な人に働いてもらう。
そういう趣旨から、とくに人材派遣会社も急成長を遂げた。
経済が成長している間は、それでもよかった。
が、それが、今、一転、裏目、裏目に出てきている。
不況になったとき、まっさきにクビを切られるのが、派遣社員の人たち。
その人たちが職を失い、寮を追い出されたりしている。
しかしこれで終わるわけではない。
一般論として、(不況)は、(失業)→(社会不安)→(秩序の崩壊)へと、進む。
日本はまだよいほうだ。
国によっては、国家そのものが破綻し、暴動や略奪に発展することもある。
「私はだいじょうぶ」「日本はだいじょうぶ」と、のんきに構えていたら、
それこそたいへんなことになる。
(事実、今、たいへんなことになりつつあるが……。)
それなりの蓄(たくわ)えがあるならまだしも、そうした人たちほど、
それがない。
まさに「踏んだり蹴ったり」。
だからこの先が書けない。
あまりにも残酷で、この先が書けない。
……ふと目を庭先にやると、ドバト(キジバト)が、白い陽光を浴びて、
ひなたぼっこをしている。
体を丸めて、雑草の上にどっかりと座っている。
何という落差!
そののどかさが、かえって不思議な感じがする。
で、話を戻す。
今回の不況は、すでに7~8年前に予想されていた。
私も肌で感じていた。
アメリカ経済がおかしいことは、当時からだれの目にも明らかだった。
「このまま進んだら、たいへんなことになるぞ」と。
それを無理に無理を重ねてがんばるから、こういうことになってしまった。
とまあ、過去を悔やんでもしかたない。
ここはじっと我慢のとき。
嵐が過ぎ去るのを、じっと待つしかない。
こういうときというのは、ジタバタした方が負け。
ニクソンショック、オイルショックのときもそうだった。
日本のバブル経済が崩壊したときも、そうだった。
ただひたすら、じっと耐えるしかない。
経済各誌は、その時期を、09年の夏から後半と読んでいる。
カギを握るのが、中国経済ということになるが、このところ
上海B株が、やや上昇に転じてきている。
日本のバブル経済崩壊から日本を救ったのが、実は、中国特需だった。
あの中国特需がなかったら、日本経済は、本当に崩壊していた。
で、今、再び、世界の熱いまなざしが、中国に注がれている。
このまま上海B株が上昇をつづけるかどうか。
上昇をつづけてくれれば、世界経済の復興は早いということになる。
「がんばれ、中国!」、……とは、あまり書きたくないが、日本にその力が
ない以上、ここは、再び、中国に頼むしかない。
Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司
●アルツハイマー型認知症
+++++++++++++++++++++
ワイフの近くに、「?」と思われる女性がいる。
年齢は、今年、66歳になるのではないか。
いろいろ話を聞いていると、どこかヘン?
症状はすでに4年ほど前から、出ている。
まさに教科書どおりの症状。
その女性の名前を、「Kさん」としておく。
現在、退職した夫と2人暮らし。
+++++++++++++++++++++
たとえばエピソードそのものを忘れてしまう。
昼に何を食べたかを忘れるのは、これはよくあること。
私も、最近、ときどきある。
しかしKさんは、食事をしたこと自体を忘れてしまう。
が、いつもそうであるなら、夫もそれに気づくはず。
そうでないから、夫は、まだ気づいていない(多分?)。
こんなことがあったという。
ワイフがクラブの会費を、Kさんに預けた。
その日、ワイフはクラブには行けなかった。
1週間後に、クラブへ行くと、会費が未納のままになっているのを知った。
Kさんは、クラブに来ていなかった。
そこでワイフがKさんに電話をすると、「会費は青い封筒に入れたまま、
机の上に置いてあります」と言った。
ワイフは、「じゃあ、来週、返してくれればいい」と言った。
そのときは、そのまま電話を切った。
が、翌週もKさんは、クラブを休んだ。
そこで再びKさんに電話をすると、Kさんは、こう言ったという。
「そんなお金のことは知りません」と。
そこでワイフが、「青い封筒に入れて、机の上に置いたと、あなたは言いましたよ」
と告げると、Kさんは、そのままパニック状態になってしまったという。
「ギャーギャーと泣きわめくといったふうで、静かな会話そのものができなかった」と。
ここまででも、(1)エピソード記憶の喪失、(2)尊厳を守るための過剰な反応が、
Kさんに現れているのがわかる。
(できごと)そのものを忘れてしまう。それがエピソード記憶の喪失。
そしてそれを指摘されると、パニック状態になる。それが過剰な反応。
つぎにこんなことがあったという。
最初、Kさんのほうから、その話はもちかけられた。
クラブのクーラーが故障した。
それについて、「修理費用を、2人で出しあって、半々にしよう」ということになった。
ワイフは、それに応じて、電気屋と交渉に入った。
が、それから1、2週間がたったが、Kさんのほうからは、何の連絡もなし。
ときどき同じようなことが以前にもあったので、ワイフはかなり注意していたらしい。
そこでワイフがKさんに、「費用を半分出していただけますか」と話しかけると、
あっさりと、「私は出しません」と。
このように(3)YES/NOが、ある日突然、変わる。
変わるというより、約束したこと自体を忘れてしまう(?)。
あるいは、そのときどきの気分に、大きく左右されてしまう(?)。
が、とうとうワイフをあきれさせるような事件が起きた。
この話は前にも書いたが、クラブの親睦をかねて、どこかへ旅行に行こうということに
なった。
それについて電話をすると、Kさんが、「長野県の下諏訪(しもすわ)にしましょう」
と言った。
ワイフは、それをその場でメモ帳に書きとめた。
が、10分間ほどいろいろと話して、ワイフが、「下諏訪でいいのですね」と念を押すと、
Kさんは、突然怒り出してしまった。
「私は、下諏訪なんて、一言も言っていません。上山田と言ったのです」と。
そこでワイフが、「あら、ちゃんと、メモしたのですが」と答えると、Kさんは、
さらにパニック状態になり、「どうしてそういうウソをつくのですか!
私の母の郷里は、上山田です。まちがえるはずはありません!」と。
たまたまその電話の内容を、Kさんの夫が、Kさんの横で聞いていた。
それでKさんの夫が、「おい、お前、お前は、さっき、下諏訪と言ったぞ」と言ったから、
さあ、たいへん!
今度はその場で、はげしい夫婦喧嘩になってしまった。
ワイフは、Kさんのわめき声を聞いて、そのまま受話器を置いてしまった。
が、その翌日、Kさんからワイフのところに電話があった。
いわく「下諏訪は、父の郷里です。それでまちがえました」と。
こうした(4)つじつま合わせ、とりつくろいも、アルツハイマー型認知症の人に
よく見られる症状のひとつである。
そして(5)あとは自分の殻(から)にこもってしまい、そこから出られなくなって
しまう。
(ふつうの人なら、地名をまちがえたくらいでは、パニック状態にはならない。)
ほかにもKさんには、いろいろ気になる症状が出ている。
ものの言い方が、そのときどきの気分で、つっけんどんになったり、反対に馬鹿
ていねいになったりする、など。
繊細な会話ができなくなった、表情が乏しくなった、生活が貧弱になったなど、という
こともある。
ワイフが仲間と話がはずんでいるようなときども、ひとりポツンと集団からはずれ、
ぼんやりしていることもあるという。
その一方で、しゃべり出したら、止まらない。
同じ話を、何度も何度も繰りかえしたりする、などなど。
今のところ日常生活には支障はないようだ。
夫も気づいていないらしい。
ただKさん自身は、息子の離婚問題もあって、「私はうつ病」と言っているとか。
つまり息子の問題でドタバタしているから、あれこれ、もの忘れするように
なった、と。
しかしこれも、(とりつくろい)と考えることも、できなくなくはない。
私「やはりKさんの夫が気づくべきだよな」
ワ「それがね、ダンナも、どこかおかしいのよ」
私「そりゃあ、たいへんだ」
ワ「私がね、会費のことで、それとなく奥さんが忘れておられるようですと話したら、
ダンナまで、突然怒ってしまったのよ。『そんなはずはない』と、ね」
私「ダンナも、妻の異変を認めたくないのかもしれないね」
ワ「こういうときは、どうしたらいいのかしら?」
私「今度、Kさんの息子さんに会ったら、ぼくのほうから話してみるよ」
ワ「そうね、それがいいわよね」と。
こうして書くと、何でもないような話に聞こえるかもしれないが、ワイフはワイフで、
かなり不愉快な思いをした。
会費についても、そのままになっている。
が、何よりもワイフを不愉快にしたのは、Kさんが、つぎつぎと約束を破ったこと。
これについては、ワイフは、こう言った。
「だから今はね、連絡は何でもメモでするようにしているのよ」と。
アルツハイマー型の痴呆症というと、本人だけの問題と考えている人は多い。
(もちろん本人やその家族の人たちにとっては、深刻な問題だが……。)
しかしその人自身が、その周囲の人たちに、大きな迷惑をかけるということもある。
とくに初期の段階においては、そうである。
繊細な感情が消え、相手に対して、ズケズケとものを言うようになる。
そのズケズケ言うときに、相手をキズつける。
本人はそれでよいとしても、言われたほうは、心底、それに苦しむ。
そういうこともある。
やはりこの病気は、早期発見が何よりも大切。
本人自身にとっても、またまわりの人たちにとっても……。
Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司
●映画『地球が静止する日』
++++++++++++++++++++++
昨夜、仕事が終わってから、映画『地球が静止する日』を
見てきた。
封切り初日ということで、劇場には、30~40人前後の
人が入っていた。
金曜日の夜だったので、まあまあの(入り)ということに
なる。
しかしやや期待はずれ。
星は3つも難しいかなというレベルの、3つ(★★★)。
キアヌ・リーブス主演。
内容は、ありふれたSF映画。
地球を救うためにやってきた宇宙人が、地球を救うために
人類を滅ぼそうとする。
「人類が生き残れば、地球は滅ぶ」とか何とか……。
しかし人間どうし(母子)の深い愛情に心を打たれて、
宇宙人は方針を変える。
……とまあ、そういう、どこかありふれたストーリー。
+++++++++++++++++++++++
『静止する日』というから、私は地球の自転が止まるとか、そういうような映画を
想像していた。
しかしそうではなくて、最後の最後のところで、意味がわかる。
つまり人類は、ありとあらゆるエネルギーの消費をやめる。
それが(静止)ということになる。
しかしどうも、納得できない。
木に竹を接(つ)いだような感じがする。
映画『宇宙大戦争』のときもそうだったが、宇宙人なら、人類を滅ぼすために、
こんな回りくどいやり方はしない。
私が宇宙人なら、人間だけに感染するウィルスのようなものをばらまく。
しかしそれだと地球は、人間の死体だらけになってしまう。
かえって汚染されてしまう。
そこで今回の映画では、超小型の金属製のxxxを登場させる。
(まだ映画を見ていない人のために、あえてxxxとしておく。)
が、それでも、回りくどい。
それにキアヌ・リーブスの登場の仕方が、やや大げさ。
そのあとの展開と、うまく結びつかない。
だから星は、3つ。
そこで改めて、人類滅亡論。
人類が滅んでも、また1億年後くらいに、昆虫などから進化した別の
知的生命体が生まれれば、私は、それはそれでよいと思っている。
ゴキブリ人間でもよい。
そのゴキブリ人間が化石を発掘して、「これが太古の昔、ヒトと呼ばれた人間の
化石です」とで言えば、楽しいではないか。
ゴキブリ人間の子どもたちは、きっと驚嘆の声をあげるにちがいない。
「ヒトって、大きかったんだね」と。
私の意見がおかしいと言うなら、反対に、1億3000年前に話を戻してみるとよい。
恐竜が生きていた時代には、人類の祖先たちは、今のネズミのような動物だった
という。
私が宇宙人なら、ネズミなどには、目もくれなかっただろう。
映画の中で、ひとつだけ、気になるセリフがあった。
正確には思い出せないが、キアノ・リーブスが演ずる宇宙人が、こう言った。
「人間には、死はない。姿を変えるだけ」と。
つまり人間は死んで消えるのではなく、別のものに姿を変えるだけだ、と。
この言葉には、少なからず、私はショックを受けた。
というのも、私は死んだら、(私)は消えると考えていた。
しかし「消える」のではなく、「姿を変える」のだ。
ナルホド!
おもしろい表現なので、心の中に大切にしまっておく。
このつづきは、また別のところで考えてみたい。
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