Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, January 08, 2009

*Jan 9th, What is Chusin-gura for the Japanese?

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●依存性をつけさせる指導法

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これは進学塾での話。
その進学塾では、生徒が依存性をもてばもつほど、
経営は安定する。
そのためにどうすればよいか、進学塾の経営者は
いつも考えている。
あるいは無意識のちにも、過去のやり方を踏襲する。
わかりやすくいえば、「この塾をやめたら成績が
さがる」という恐怖心をもたせる。
さらに「この塾をやめたら、目的の学校には
入れない」という恐怖心をもたせる。
たとえば三者面談などを通して、意図的では
ないにせよ、数字を並べて、子どもを脅す。
親を脅す。

子どもも親も心理的に不安な状態にあるから、
そのままそれを信じてしまう。
その手法は、カルト教団が信者を獲得する
方法に、たいへんよく似ている。

が、進学塾にしてみれば、それでよいとしても、
子どもにとっては、そうでない。
仮に目的の中学校へ入学できたとしても、
そのあと、そこでプツンしてしまう。
目的の高校へ入学できたとしても、そのあと、
プツンしてしまう。

が、これもカルト教団の信者の心理とよく似ている。
その教団の従順な信者である間は、それなりに
幸福感や充実感を覚えるかもしれない。
しかしカルト教団から離れたとたん、心理的にも、
たいへん不安定な状態になる。
(実際には、一度カルト教団に入信してしまうと、
それから離れるのは、容易なことではない。)

ここでいう(依存性)というのは、それをいう。
では、どうするか?

指導するとしても、依存性をもたせるのは、最小限に。
たとえば私は、小学校の高学年にもなると、いつも
生徒たちには、こう言う。

「自分で勉強しなさい」
「わからないところがあったら、もってきなさい」と。

さらに効果的にするために、小学3、4年生になったら、
小学校5、6年生の間に座らせて、好きな勉強をさせる。
つまりこうして順送りに、(勉強グセ)を、上級生から
下級生に伝える。

この方法は、イギリスのカレッジで、ふつうにされている
方法である。

こうして子どもに依存心をもたせないよう、ついでに、
自学自習の方法を身につけさせる。

しかしこの方法は、進学塾にとっては、まことまずい。
この指導法では、月謝は取れない。
また親たちにも受けが悪い。
「ていねいに教えてくれない」とか「先生は遊んでいる」とか、
言う。
「わからないところがあったら、もってきなさい」という
教え方は、一見、子どもには、たいへん不親切な教え方に
見える。
それはわかるが、では、いわゆる(手取り足取り教育)が、
はたしてそれでよいかというと、けっして、そうではない。
ここに書いたように、子どもに依存心を植えつけてしまう。

むしろ指導法としては、いつか生徒が独立するように、
「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがまし」と
思わせるようにしむける。
私はそれを勝手に、「卒業」と呼んでいる。
自分で勉強する方法を身につけた子どもは、あとは自分の
力で伸びていく。
それこそ、(真の力)ということになる。

が、この方法を試しても、伸びない子どもというのは、
たしかにいる。
それこそ、あれこれ指示を与えないと、鉛筆をもつことさえ
しない。
「好きな勉強をしていいよ」と励ましても、何もしない。
時間ツブシ(無駄なことをして、時間をつぶす)、
フリ勉(勉強しているフリだけをする)、
時間殺し(簡単な問題だけを、繰り返しする)などがうまい。

一度こうした症状が、小学4~5年生くらいまでに出てくると、
そのあと、その子どもが伸びるということはまず期待できない。
大切なことは、子どもがそうならないよう、幼児期から
注意する。
またそれが幼児教育のひとつということになる。

方法としては、「勉強するのは楽しい」「おもしろい」という
意識だけをみながら指導する。
その意識があれば、それでよし。
「覚えた、覚えない」「できるようになった、ならない」は、
この時期、ほとんど意味がない。
だから、昔から、こう言う。
『好きこそ、もののじょうずなれ』と。
英語では『Happy Learners learn Best(楽しく学ぶ子は、よく学ぶ)』
という。

教育はここから始まり、ここで終わる。
ついでに依存心は、子どもを従順にするが、それは子ども本来の
姿ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子供と依存性 子供の依存心 依存する子ども)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●親子関係

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親子関係をざっと分けると、
つぎの9つのタイプになる。

(1)過保護型
(2)過干渉型
(3)でき愛型
(4)過関心型
(5)盲従型
(6)三角型
(7)スパルタ型
(8)放棄型
(9)代償型

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親子関係、とくに母子関係を分類すると、つぎのようになる。

(1)過保護型(心配先行型ともいう)
(2)過干渉型(不安先行型ともいう)
(3)でき愛型(親の情緒不安型ともいう)
(4)過関心型(神経質型ともいう)
(5)盲従型(親子関係逆転型ともいう)
(6)三角型(父、母の育児観がバラバラ)
(7)スパルタ型(厳格型ともいう)
(8)放棄型(無責任型ともいう)
(9)代償型(人形子型ともいう)

これらについては、小生の「ママ診断」(無料版、HP収録)にて、
詳しく診断できるようになっている。
興味のある人は、次へ:

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page288.html

要するに、親は、(1)ほどよい親であること。
そのためには、(1)暖かい無視と、(2)求めてきたときが与えどき、この
2つを守る。
さらに言えば、親というのは、自分で失敗してみて、はじめてそれが失敗だった
ことを知る。
そのためには、
(1)いつも自分を客観的に見る目を見失ってはいけない。
(2)他人との交流を通して、子育てを風通しのよいものにする。

まずいのは、自分の住む世界を、カプセルでおおい、独自、独断の世界を作りあげて
しまうこと。
一度こういう状態になると、ものの考え方が極端化しやすくなる。
同じ過保護でも、極端な過保護になったりしやすい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親子関係 母子関係 母と子)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今、どうして「忠臣蔵」?

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毎年12月になると、どうしていつも忠臣蔵?
昨日(12月11日)も、NHKテレビは、
それについての特集番組を流していた。

忠臣蔵といっても、ただの復讐劇ではないか。
いつになったら、そのおかしさに、日本人は
気がつくのだろう?

以前書いた原稿をさがしてみた。

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●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知ら
ないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかった
のは、何といても、場所が悪かった。

浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。
今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押
さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」
と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の
法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。
浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召
しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)
の失業者が出た。自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体
がつぶれた。

もともと何かと問題のある自治体だった。わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首
長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらさ
れることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。当時の主従関係は、下の者が上の
者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でもその片鱗はヤクザの世界に残って
いる。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、
最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむに
やまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そう
でもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だっ
たら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死
刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府に
たてつくということは、制度そのもの否定につながる。自分たちが武士という超特権階級
にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉
良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。
一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説
明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成
りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで子分の職場を台なしにし
た浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい
物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなってい
る。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
忠臣蔵 忠臣蔵論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●歩く

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このところ週2度くらいの回数で、
自宅から街までの距離を、ワイフと
歩いている。
で、今日(12月8日)のコースは、
佐鳴湖西岸→富塚(とみつか)→付属中学
→鹿谷(しかたに)→市内。
途中、鹿谷から市役所前まで、バスに
乗った。
歩いた時間は、1時間40分。
距離は、正確にはわからないが、10~12
キロ前後か。

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私はときどき街まで、歩いている。
それを見て、最近は、ワイフが同行してくれるようになった。
話し相手ができて、うれしい。

で、今日のメイン・コースは、何と言っても秋たけなわの、佐鳴湖西岸。
私はデジタルカメラで、1~2分歩くごとに、写真を撮った。
すばらしかった。
風もなく、湖面はまるで鏡のよう。
その湖面に対岸の景色が映って、まるで夢の中のよう。
佐鳴湖はいつ来ても、美しい。

が、そのあと誤算。
佐鳴湖の端にあるパークタウンから、鹿谷のほうへ坂を上ったところで
バスに乗るつもりだった。
しかし歩けども歩けども、バス停がない!
そんなわけで、予定よりも、3~4キロも余計に歩くはめに。

私たちはいつも、7~8キロをひとつの目安にしている。
10キロを超えると、とたんに疲労感がます。

今度から、ちゃんとバスコースを調べてから、歩くことにする。

(付記)
私は小学生のころ、毎日、ちがった道を通って、家に帰った。
それが楽しかった。
2~3時間の寄り道は、当たり前。
今のように、道草を食っても、それをとがめる人はだれもいなかった。
心配する人もいなかった。
私は今で言う「帰宅拒否児」だったかもしれない。
その話をワイフにしながら、「子ども時代に戻ったみたい」と。
だからいつだったか、少し前、子どもの道草についての相談を受けたとき、
私は思わずその母親にこう言ってしまった。
「いいんじゃ、ないですかア~」と。

今では、道草を食うということは、学校のほうで禁止されている。
都会地域では帰りは、バスか車。
まっすぐ帰る。
都会の子どもたちは遊んで帰るということが、できない。

(付記)「帰宅拒否は、軽症うつの可能性がある」という新聞記事が
目に留まった。
「うつ病の初期症状と考えてよい」とも。
「仕事が終わっても家に帰りたくない」というのであれば、そうかもしれない。
が、私のばあいは、それもあったかもしれないが、遊ぶために、寄り道をした。
カエルをつかまえて、皮をむく。
そのカエルの足を紐(ひも)でくくって、ザリガニをとる。
そういうことを毎日のようにしていた。
で、そういう自分を振り返りながら、今、こう思う。
「最近の子どもたちは、どこでどう遊んでいるのだろう?」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司

●野生児(データ)

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1920年、インドのカルカッタの西、
約100キロのジャングルの中で、
2人の少女が見つかった。

推定年齢は、8歳と、1・5歳の、2人の少女である。
オオカミによって育てられていたという
ことで、「オオカミ少女」と呼ばれるようになった。

推定年齢8歳の少女には、「カマラ」、1・5歳の
少女には、「アマラ」という名前が、それぞれ
つけられた。

2人の少女を保護したのは、自らも孤児院を経営して
いた、シング牧師。
彼はその後、妻と2人で、2人の少女を手厚く保護し、
教育を授けた。

妹と思われるアマラは、2か月で言葉を話せるように
なったが、姉と思われるカマラは、2年もかかった
という。

アマラは発見されてから1年後に、病死。
カマラは、17歳まで生きたという。

シング牧師夫婦の教育のおかげで、カマラは、
3年後には2本足で歩くことができるようになったが、
急ぐときは、4つんばいのままであったという。

言葉も覚えたが、それでも17歳までに、覚えた
単語の数は、40語足らずであったという。
が、最後の最後まで、人間らしい感情を取り戻す
ことはなかったという。
ただおなかがすいたときだけ、怒った表情を
して見せたという。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 野生児 インド オオカミ少女 オオカミ姉妹 狼少女 狼姉妹 
カマラ アマラ)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司

●トイレの話

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私が中学生のときのことだったと思う。
授業中、先生が、こんな話をしてくれた。
何の授業だったかは覚えていない。
先生がだれだったかも、覚えていない。
が、こんな話だった。

「アメリカ人というのは、大便と小便を
別々にする」と。

どういうわけか、その話が強烈に印象に
残った。
というのも、当時も今も、私も含めて、
日本人というのは、大便と小便を
同時にするというのが、常識だった。

が、それから40数年。
今でもときどき、その話を思い出す。
思い出しながら、トイレに入る。
そしてこう考える。

私はどうなのか?、と。

で、こういうことは言える。
スリッパ型の日本式トイレでは、力の
入れ加減で、どうしても両方を同時にする。

一方、座式型の洋式トイレでは、力の入れ加減が
ちがう。
大便のほうしかできない(?)。
(女性は、どのようにしているか、私は
知らないが……。)
つまり男性は、どうしても別々になってしまう。
大便をしたあと、もう一度、立ちなおし、
小便をする。
中学生のときの先生が言ったように、「大便と
小便を別々にする」。

つまり私もあのとき先生が言った、アメリカ人
のようになってしまった。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec・08++++++++++++++はやし浩司

●不況

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数日前、昔からの知人が突然やってきた。
以前、あれこれと仕事を頼んだ人である。
その知人が、「何か、仕事はないか?」と。

その知人の父親は、50歳になるころから
糖尿病が悪化して、現在は週に何回かは、
人工透析を受けている。
「仕事は、もうしていない」という。
またその知人も、3人もの子どもをかかえて、
その生活費だけで、たいへん。
「親父のめんどうをみる余裕など、どこにも
ない」と。

かなり切羽(せっぱ)つまった感じがした。
しかし今の私にも、その知人に回せるような
仕事は、ない。
しばらくあれこれ話したあと帰ってもらったが、
元気がなかった。

今、日本中を、大不況という嵐が襲っている。
そしてその嵐は、身を隠す場所すらない、
そういった弱小の人たちを、もろに苦しめ始めている。

たしか父親はまだ60歳前。
国民年金も手に入らない。
そういう人たちは、どうやって生活していけばよいのか。

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先日、大阪に住む友人と電話で話したとき、その友人は、こう言った。
「日曜日でも、仕事があれば、感謝しなくちゃあ」と。
私が「明日(日曜日)も、仕事です」と、ふと、こぼしたときのこと。

今の世の中、仕事があるというだけでも感謝、感謝、感謝。
ぜいたくは言えない。
その大阪は、不況の真っ只中。
それは知っていたが、この浜松にも、不況の風が吹き始めた。
派遣社員や外国人労働者の首切りが始まっているという。
自営業の人たちも、かなりきびしい状況らしい。
とくに通りに軒を並べる商店街が、元気がない。

で、昨日も書店で、経済誌を片っ端から立ち読みしてみた。
(そう言えば、私もこのところ雑誌の購入費が減ってきた。)
全体を通してみるとこの不況は来年(2009年)いっぱいは
つづきそう。
好転するのは、早くても、来年(2009年)の夏以後~とか。
さらにもう一段、大不況がやってくると説く学者もいる。
それまでは、どうやらじっとがまんのとき、ということか。

お金で幸福や命は買えない。
しかしお金がないと、人は不幸になる。
病気になっても、治療費が払えない。

私「彼の父親は、どうやって生活しているんだろう?」
ワ「奥さんが働いているみたい」
私「それならいい」
ワ「奥さんは、前から働いているみたい」と。

明日はわが身と思ったところで、この話はおしまい。
不況といっても、降ってわいた天災のような話で、私にはどうしようもない。


●雨(12月9日)

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久々の雨。
しかもどしゃ降り。
このところ雨が降るたびに、暖かくなったり、
寒くなったりする。
「この雨がやんだらどうなるんだろう?」と、
そんなことを考えながら、ワイパーの向こうの、
薄モヤにかすんだ通りを見ながら、考える。

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●逆流性胃炎

今日、病院へ言ったら、「逆流性胃炎」と診断された。
昨日、朝食をとったあと、げっぷが、数分おきに出た。
プラス胸焼け。
食道と胃の付け根あたりが、熱をもったような不快感。

夕方薬局で、胃酸を抑える薬を買ってのむ。
症状はそれで消えた。
で、今日、インフルエンザの予防注射を受けた。
そのついでに胃の話をすると、冒頭に書いたように、「逆流性胃炎」と。
要するに胃液が逆流して、食道のほうまで上ってくるらしい。
そこで胸焼けを起こす。

ドクターは、「そのあたりに潰瘍(かいよう)ができたかも?」と言った。
で、薬をもらって、それでおしまい。
しかし……。

加齢とともに、たいしたことはないにしても、いろいろとこまかい病気がふえてくる。
そういえば、恩師のTK先生も、逆流性胃炎で悩んでいる。
そのため夜もよく眠られないとか。
私のばあい、そこまでひどくはないが、持病にしてしまうとこわい。
ここはしっかりと治しておくのがよい。


●友人のがん

1週間ほど前、ほぼ1年半ぶりに、京都に住む友人から電話がかかってきた。
若いころいっしょにインドへ渡った仲間である。
彼はこう言った。
「いやあ、ぼくはね、胃がんだったんだよ」と。
話を聞くと、この8月に検査でわかり、10月に手術をしたという。

同年齢の人の話を聞くと、心底、つんとした冷気が背筋を走る。
(がん)イコール(死)ではないにしても、私たちは、そういう形で
一歩、また一歩と死に近づいていく。

私「ぼくのほうも、いろいろあってねえ」
友「そうかあ」
私「8月に兄貴、10月に母が、つづいて他界してね」
友「そりゃあ、たいへんだったんだね」
私「君のほうこそ、たいへんだっただね」
友「そうなんだよ」と。

こういうとき「ぼくのほうは元気だ」と言うのも、どこか気が引ける。
それに今は元気でも、明日のことはわからない。
そういう不安がいつもあるから、自信をもって、「ぼくは元気だ」とは、
とても言えない。

その母が死んで、もう2か月になる。
それまでの母は、いわば天井のようなもの。
「母が生きている間は、ぼくも生きていられる」という、不思議な安心感があった。
しかしその母が死んだ。
天井がなくなった。
この先、私はひとりで生きていかねばならない。
順番からすれば、つぎに死ぬのは、この私ということになる。

しかし今、私はこう思う。

人間は生きたいと思っても、なかなか生きられるものではない。
死にたいと思っても、これまたなかなか死ねるものではない。
その一方で、死は、乱数にさらに乱数を掛け合わせた
ようにしてやってくる。

健康に注意を払っているから、長生きできるというものでもない。
病気がちだからといって、早死にするわけではない。
もうこの世界は、メチャメチャ。
メチャメチャだから、つかみどころがない。
「今日、元気だから、明日はだいじょうぶだろう」
「今月は元気だから、来月はだいじょうぶだろう」という程度のことでしかない。
いくらがんばっても、来年のことはわからない。

不安と言えば不安だが、その不安感があるからこそ、今日、がんばる。
がんばることができる。

「時間」こそ、真の財産ということになるが、それに修飾語をつけるとしたら、
「健康な時間」ということになる。
その(健康)には、肉体の健康のほか、精神の健康と脳みその健康が含まれる。
それが今、あなたにあるなら、あなたは、それを心底、喜んだらよい。
バンザーイと、歓声をあげたらよい。

で、つぎに大切なことは、その「健康な時間」を、どう使うかということ。
それがわからなければ、こう考えてみたらよい。

仮にあなたの命が、あと7日しかなかったとする。
7日目が終わったとき、あなたの命も、そこで絶える。
もしそういう状況になったら、あなたはどうするだろうか。
何を考え、何をするだろうか。
答は、自(おの)ずと、出てくるのでは……?

だれしも、がんのような病気を告知されると、一度は地獄の底へと
叩き落される。
私もそうだった。
私も脳腫瘍を疑われ、開頭手術寸前までいった。
そのとき私は、病院からどの道をどう通って家まで帰ったか、よく
覚えていない。
ワイフが途中で私を拾ってくれたとき、私はまるで幽霊みたいだったと言った。

あと覚えているのは、その夜は、やっと2歳くらいになった長男の寝顔を見ながら、
さめざめと泣いたこと。
ワイフも私も、正座したまま、泣いた。

友人もそうだったとは思わない。
(がん)の受け止め方は、人それぞれ。
深刻に考える人もいれば、そうでない人もいる。
(がん)の種類にも、いろいろある。
それに今では、治療法も、昔とはちがい格段に進歩している。
友人も、電話では、けっこう明るい声をしていた。
「初期に発見できたから、よかった」と言っていた。
私もそれを率直に、喜んだ。

繰り返しになるが、生きるのもたいへん。
さりとて死ぬこともできない。
私たちは、ただひたすら、生かされるまま、生きていくしかない。
いつか、その日が来るまで……。


●もしあと7日の命だったら……

ついでに考える。
もしあと7日の命だったら、どうするか、と。

即座に思いつくことは、身辺の整理。
あとに残されるワイフや息子たちに、迷惑がかかるようなことがあれば、
それを第一に整理する。
つぎに私の(命)は、今までに書いた原稿にある。
それを整理する。
インターネットというすばらしい利器がある。
それにできるだけ、収録しておく。
つまり7日というその間は、整理、また整理で終わるだろう。
言うなれば、人生のあと片づけ。
泣いていても仕方ない。
悔やんでいても仕方ない。
死を恐れていても仕方ない。

どのみち死ぬのなら、やはりあと片づけしかない。
いつか見た映画のように、(したいことをする)というのは、
私の生き方ではない。
またそんなことをしても、空しいだけ。
またそういうふうに思わなくてもよいように、今、この瞬間に、
(したいことをする)。
(やるべきことをする)。
そういう意味でも、私には、一瞬一秒でも、無駄にできる時間はない。
まさに「時間こそが、財産」ということになる。

みなさん、がんばりましょう!


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●C・ヒル(アメリカ国務省国務次官)の希望的憶測(思い込み外交)

++++++++++++++++++

「あと2週間で成果が出る」
「今月の終わりには、返事がくる」
「今度の会談で、解決する」と。
C・ヒルは、今まで、何度、そういう希望的憶測を
述べたことか。

++++++++++++++++++

結局、12月8日から始まった今回の6か国協議は、何ら進展のないまま、休会。
だとするなら、それに先立つあの米朝会談(シンガポール)は、何だったのか。
C・ヒルは、「有意義な会談だった」「成果が出る」と、ひとりではしゃいでいた。

だいたい、一介の外交官が、大統領もしくは、映画スターにでもなったかのように、
マスコミを前にしてペラペラと話す。
そのおかしさを、まず私たちが知るべき。

検証方法についても、事前会談では、「別枠の秘密文書にする」と、C・ヒルは
言っていた。
日本にとっては、とんでもない話である。
いや、その前に、C・ヒルは、「検証は、口頭で了解済み」と、さかんに言っていた。
その言葉の責任は、いったい、だれがとるのか。

成果もないまま、また成果も期待できないまま、希望的憶測だけで、「成果があった」
「成果が期待できる」と。
この繰り返しだけで、5年以上も浪費してしまった。
産経新聞は、「(ヒルの)一方的な思いこみだった」として、
つぎのように伝える(12月12日)。

『米政府は日本側の反対を振り切るかたちで、指定解除に踏み切ったが、サンプル(試料)
採取など、肝心の部分に関しては「口頭了解」にすぎなかった。

 日本の首席代表の斎木昭隆外務省アジア大洋州局長も訪米して、ヒル国務次官補(東ア
ジア・太平洋担当)にこの点について直接、懸念を伝えた。ヒル次官補はニューヨークで
の米朝協議などを通じて、合意に自信を示していたが、結果的には一方的な思い込みだっ
た』と。
つまり妥協に妥協を重ね、譲歩の譲歩を重ねた結果、『同盟国(=日本)との
信頼関係よりも、目先の成果を優先して失敗するという教訓を残したといえそうだ』
(同紙)と。

この5年以上のもの間、何が進展したのか?
K国がしたことは、ガラクタ(ジャンク)と化した、ヨンビョンの核開発関連施設を
爆破してみせただけ。
韓国に亡命したF氏(元K国高官)は、K国は別の場所で核開発をつづけているはず
と発言している。
一方、その間、C・ヒルがしたことといえば、(あの親北派のノ前大統領と
手を組んで)、原油、マネー、食糧、音楽、それに(時間)を、K国に与えただけ。
この中でも(時間)が、いちばん重要。

この5年間で、K国は核兵器開発を、どこまで進めたことやら?
4、5年前には、「核兵器をもっているかどうかわからない」という状況だった。
しかし今は、「5~6発はもっている」というのが、常識化している。
それをふまえてK国は、「我々を核保有国として認知しろ」とまで言い出している。

さらに馬鹿げたことに、交渉の過程で、C・ヒルは、この日本を脅した。
「K国援助に加われ。さもなければ、K国を、テロ支援指定国家のリストから
はずす」と。
結果的にみると、C・ヒルは、K国をリストからはずし、日本を孤立させて
しまった(08年10月)。
もちろん最近に至るまで、拉致問題を話し合った形跡は、ゼロ。
成果も、もちろんゼロ。
むしろ日本に向かって、「なぜイラン航空の支店が東京にあるのか!」と、
日本にかみついたことさえある。

おバカというか、本人は、何様のつもりでいるのだろう。
繰り返すが、C・ヒルは、ただの役人ではないか!

一方、私たち日本人は、拉致問題を第一に考えている。
「たかが拉致」などと言ってほしくない。
そこに至る過程というものがある。
日本が拉致問題を取りあげるたびに、「拉致問題はない!」と、K国側は、会談中、
席を蹴って出るような演出までしてみせた。
(日本のA新聞社も、片棒を担いでいたぞ!)

が、たしかにK国は、日本人を拉致していた!
小泉=金xx会談で、金xxはそれを認めた。
何人かの拉致被害者たちは、日本へ帰ってきた。
まともな神経の持ち主だったら、まず、自分たちのウソを恥じるだろう。
その(まともな神経)すら、K国の官僚たちにはない(?)。
その拉致問題は、Y・めぐみさんのニセ遺骨問題で、頂点に達した。
私たち日本人の(怒り)も、頂点に達した。
そういう(怒り)を、C・ヒルはまったく理解していない。

6か国協議は休会した。
が、それは同時に、C・ヒルの外交的失敗の総決算でもある。
今朝(12月11日)の朝刊によれば、「K国が一番デーン
としているんだから、変な話」(外務省幹部談話・中日新聞)とある。

そう、何もかもおかしい。
K国もおかしいが、C・ヒルもおかしい。
その(おかしさ)の上に、6か国協議がある。

K国など、本気で相手にしてはいけない。
みんなで無視するのがいちばんよい。
しかし今となっては、それも手遅れ。
あのC・ヒルのおかげで……。

Be ashamed, C. Hill! You are the loser!

当のC・ヒルは、閉会式を待たずして、アメリカに帰った。
「米朝の2か国協議はもうしない」(北京空港で)と。

なお日本に本部を置くC総連は、その機関紙に、「今に見ておれ!」という
文言を載せたという(12月11日)。
C総連の家宅捜査を受けての発言だが、こうした感情的な表現は、きわめて珍しい。
珍しいだけに、私たちは警戒心をゆるめてはいけない。
(12-12日記)


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