●家族自我群
●家族自我群
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家族として、ひとつのまとまった自我の
集団を、「家族自我群」という。
ボーエンという学者が使った言葉だが、
日本人のばあい、それがどういうものかは、
改めて説明するまでもない。
「家」意識、家父長意識、上下意識をともなった
親子関係、夫婦関係などなど。
さらにこの日本には、「家族」を超えた、「親族
意識」というものがある。
こうした自我の集団は、その(個人)を、
がんじがらめに、縛りつける。
縛りつけて、その「幻惑」に苦しむ。
そのため日本人は、(日本の若者たちは)、自分の
確立に悩む。
そのまま「家」の奴隷となる人も少なくない。
言うまでもなく「家族」と「個」は、常に
対立関係にある。
家族自我群が強ければ強いほど、「個」の確立、
これを「個人化」というが、その「個」の確立が
むずかしくなる。
が、それだけではない。
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●「家族」vs「個」
私たちがもっている(意識)ほど、あてにならないものはない。
最近、改めてそれを知ったのは、あるパキスタン人と話していたときのこと。
彼は現在、浜松市内で、インド料理店を経営している。
その男性が、こう言った。
「パキスタン人は、貯金しない」と。
イスラムの世界には、「イスラム金融」と呼ばれる、特殊な金融制度がある。
他人にお金(マネー)を貸し、利息を取ることは、イスラム教により、きびしく禁止されている。
そのためイスラムの世界では、説明するのに何時間もかかるほど、複雑な方法を使って、日常の商取引をする。
(興味のある人は、「はやし浩司 イスラム金融」で検索してみるとよい。)
で、そのパキスタンでは、「仕事は必要なときに、必要な分だけしながら、その日を過ごす」そうだ。
それが彼らの生活の基本になっている。
私が「日本では考えられないね」と言うと、「日本とは正反対!」と説明してくれた。
たとえばパキスタンでは、組織(会社)の肩書きや地位など、ほとんど意味をもたないという。
「日本では、70歳になっても、現役時代の肩書きを引きずって生きている人は多いよ」と話すと、そのパキスタン人は、首をかしげてニヤリと笑った。
「パキスタンでは考えられない」という意味で、ニヤリと笑った。
つまり「意識」というのは、そういうもの。
国や民族、宗教がちがうと、意識そのものが、正反対になることもある。
もちろん哲学や価値観も、影響を受ける。
わかりやすい例として、「家族意識」がある。
●日本人の家族自我群
私は「家族」を否定しているのではない。
共同体としての家族は、「個」を生み、育(はぐく)む場として、必要である。
しかし同時に、家族という共同体は、「個」の生育を、さまたげる場所となることもある。
21世紀になった今でも、江戸時代の「家制度」そのものに縛られ、身動きがとれず、苦しんでいる人は多い。
そうでない人からみれば信じられないことかもしれないが、事実は事実。
「家あっての個」と考える。
「家」が「個」を縛り、干渉し、支配し、その進むべき道まで決めてしまう。
そのため「個」が犠牲になる。
「家」に縛られ、そこで一生を終える。
そこで大切なことは、そのときどきにおいて、「家」と「個」をうまく調和させながら、生きていくといくこと。
「個」が「家」の犠牲になることは、実際、バカげている。
しかし「個」は、「家」の温もりなくして、生きていくことはできない。
もちろん「家」イコール、「家族」ではない。
ボーエンが言った「家族」というのは、「親子関係」をいう。
「兄弟・姉妹関係」も、それに含まれるかもしれない。
●私の経験から
私は家族自我群が濃密な「家」で、生まれ育った。
しかし「濃密だった」ということを知ったのは、私が40代になったころのこと。
それまでは、それが私にとっての常識であり、私の知る社会の常識だった。
それ以外の「家」を、あまり知らなかった。
知ってはいたが、むしろそちらのほうを、異質と考えていた。
今でもそうだが、私の生まれ育った「家」では、親類縁者ともに、上下意識が強く、「家」を中心に、みなものを考えている。
母の実家では、いまだに、「本家」「新家」という言葉が、日常的に使われている。
その意識のない人たちからみれば、バカげた風習だが、その意識のある人たちからみれば、私たちのそうした意識は理解できない。
できないばかりか、自分たちの意識を、そのまま私たちに押しつけてくる。
それは先にも書いたように、一方では「温もりのある社会」を形成する。
「家」という一体性に融和することは、それ自体、心地よい。
人間が本来的にもつ孤独感が、そのまま癒される。
が、同時に、「家」は、それから抜け出る者を許さない。
●呪縛感
が、その一方で、「家」には、ものすごい呪縛感がある。
先にも書いたが、「家あっての個」と考える。
だから「個」が「家」の犠牲になっても、その社会の中に住む人たちは、それを当然と考える。
「本家」と「新家」の関係でいうなら、本家あっての新家ということになる。
家族の関係でいうなら、親あっての子ということになる。
だから私たちの時代(戦後生まれの団塊の世代)には、「外」に出た者は、実家への仕送りを、当然と考えていた。
親も、当然と考えていた。
今の時代では考えられないことだが、私の母にしても、そのつど私の家にやってきては、そのつど10万円単位(当時)のお金を、もって帰っていった。
だから私は今、むしろ逆に、今の時代のほうに、違和感を覚えることが多い。
私の息子たちにしても、(当然のことだが)、「親を助ける」という意識は、まったくない。
いわんや「家」を助けるという意識は、さらにない。
どちらが正しくて、どちらがまちがっているとか、そういうことを書いているのではない。
意識のちがいというのは、そういうもの。
●個人化
その人が「個人」としての「個」を確立することを、「個人化」という。
「私は私」という生き様をいう。
この個人化の確立に失敗すると、その人の生き様は、世俗を意識したものへと変化する。
わかりやすく言えば、「世間体」の中に身を置いた生き様になる。
日本人の中には、このタイプの人が、たいへん多い。
「多い」というより、少なくとも私の知る欧米人の中には、そういう人はいない。
となると、話を進める前に、ひとつの疑問が生じてくる。
ボーエンは、「家族」のどの部分を見て、「家族自我群」という言葉を考えたのかという疑問である。
日本的な「家」では、なかったはず。
日本的な「家族」でも、なかったはず。
もともとボーエンは、精神科医であり、精神分裂病患者の家族研究をしていた。
その過程の中で、家族療法を体系化し、家族と個人の関係に行き着いた。
その多くが、家族との融和の中で、「個」の確立に失敗していることを発見したのかもしれない。
そして「個」を、家族のもつ自我群から切り離し、「個別化」と「自立性」の確立を、その治療目的とした。
つまり私たちが日本で考える「家族」イコール、ボーエンの説く、「家族自我群」の「家族」ではない。
さらに厳密に言えば、ボーエンが頭に描いた「家族」というのは、「濃密な親子関係」だったかもしれない。
異常なまでの過干渉と過関心が日常化している、そんな親子関係である。
●幻惑
「家」に押し殺される人は多い。
「家族」でもよい。
たとえば子どもでも、不安先行型の母親に養育されると、ハキのない子どもになる。
「うちの子は、何をしても心配」という思いが、子どもの心を萎縮させる。
(反対に、自分の子どもに自信をもっている親の子どもは、明るく、生き様が前向き。)
子どもの側で考えてみよう。
もしあなたが親に、「あなたはダメな子」といつも言われつづけていたとする。
するとあなたは何をしても、不安になる。
自分がやりたいこと、できることについても、自信をなくしてしまう。
「私はダメな人間」と。
そういう思いが、あなたを負の方向へと引っ張っていく。
それが「幻惑」である。
つまり「家」もしくは、「家族」のもつ重圧感が大きければ大きいほど、そしてそれから受ける呪縛感が大きければ大きいほど、あなたは幻惑に苦しむことになる。
ボーエンは、そのあたりに精神疾患の原点を見たのかもしれない。
●保護vs依存
どうであるにせよ、「家族」と「個」は、常に対立関係にある。
(だからといって、敵対関係というわけではない。誤解のないように!)
そこでさらにこの問題を掘り下げていくと、そこに(保護)と(依存)の関係が見えてくる。
「家族は個を保護し、個は家族に依存する」と。
が、ここで誤解していけないことは、子(下の立場の者)が、親(上の立場の者)に依存するだけが、保護と依存の関係ではないということ。
親(上の立場の者)が、子(下の立場の者)に依存するケースも、同じくらいの割合で多い。
その保護と依存関係が変形して、親は子を束縛し、子は、親に束縛される。
というのも、私は、つぎのような親を、教育の場で、よく見かける。
親はこう言う。
「うちの子は、甘えん坊で(=依存性が強くて)困ります」と。
が、よくよく調べてみると、親自身が、依存性が強い場合が、多い。
自分が依存性が強いから、つい子どもの依存性に甘くなる。
つまり「甘えん坊で困ります」と言いながら、子どもを甘えさせている。
またそういう関係を、「良好な親子関係」と誤解している。
つまりこの問題は、世代から世代へと連鎖しやすく、家族、あるいは親類縁者が全体として、「家族自我群」を形成するということ。
それくらい「根」が深く、また解決には、時間を要する。
(あるいは1世代や2世代程度では、解決しないかもしれない。)
●怨憎会苦(おんぞうえく)
「家族」がもつ呪縛感には相当なものがある。
またそれから生まれる苦しみは、仏教でいう四苦のひとつ、「怨憎会苦」に似たものがある。
(私自身は、「幻惑」と「怨憎会苦」の区別ができない。)
へたをすれば、「個」は、幻惑そのものに、押し殺されてしまう。
またそういう例は、多い。
私のまわりにも、そうした人がいる。
あなたのまわりにも、そうした人がいる。
では、どうするか?
●「私」の復活
たとえばこんな問題が、私の近辺で起きつつある。
もうすぐ実兄と実母の3周忌がやってくる。
が、今ではこのあたりでも、(宗派にもよるが)、初盆さえしない家庭がふえている。
浜名湖に面して、昔からの漁村がある。
私のワイフの母親の実家だが、そこでも、7世帯のうち、初盆をしたのは、3~4世帯のみと聞いている。
で、自分なりに、「周忌」について調べてみた。
が、結果は、釈迦仏教とは縁もゆかりもない、日本独特の奇習ということがわかった。
「地蔵十王経」という、だれが読んでもそれとわかる、日本製のニセ経が原点になっている。
だからといって、死者への弔いが無意味と書いているのではない。
それはそれ。
しかし、自分の理性をねじまげてまで、死者を弔うのは、かえって死者を冒涜することになるのでは……?
(私の知人の中には、生前中は、さんざん親を苦しめておきながら、今になって墓参りだけは一生懸命している人もいる?)
が、一方で、先日郷里へ帰ったら、親類たちが、こう言い合っているのを聞いた。
「あのAさんは、親の33回忌をしたんですってねえ。偉いもんですな」とか、反対に、「あの息子は、親の3回忌にすら、顔を出さなかったんですよ。人間のクズですね」とか。
そういう話を横で聞いていると、その瞬間、私が「私」でなくなってしまう。
幻惑と言うほど、おおげさなものではないかもしれないが、しかしそうした「家族自我群」が集合されると、たいへんな力(パワー)をもつ。
いわんやそういう社会の中で毎日生きていたら、(私だったら)、気がヘンになってしまう(?)。
で、私を復活するためには、どうすればよいか。
方法は2つある。
(1)私なりの生き様を貫く。
(2)妥協して、笑ってすます。
多くの人は(2)の方法を選ぶだろう。
いらぬ波風を立てるくらいなら、「丸く」生きた方が得。
しかしそれでは、この日本は、何も変わっていかない。
私も変わらない。
もうすぐ3周忌をするかしないか、その結論を出すが、この年齢になると、「妥協」という言葉に、大きな抵抗感を覚える。
妥協して生きるのは、もうたくさん。
うんざり!
●終わりに……
このエッセーの中で、私は、「家」「家族」、それに「個」「個人」「私」を、区別することなく、家族自我群について書いた。
日本でいう「家制度」と「家族」とは、もちろんちがう。
「個」と「私」も、もちろんちがう。
だから専門の心理学者が読んだら、「はやし浩司は、心理学の基礎も知らない」と笑うだろう。
実際、私も、このエッセーを書きながら、「家制度」と「家族」を頭の中で、あまり区別しなかった。
書いているうちに、その両者が頭の中で、混ざってしまった。
その第一の理由は、私が日本人だからではないか。
日本には日本の独特の文化や風習が残っている。
だから私にしても、「家」イコール、「家族」ということになる。
(あるいはその反対でもよい。)
ついでに一言。
では、なぜ私が20数歳のときから欠かさず、収入の半分を実家に仕送りしていたか。
それには理由がある。
私は子どものころから親たち(とくに母親や叔父たち)から、こんな話を聞かされて育った。
「あそこのAさんの息子さんは、立派なもんじゃ。今度、親のために、離れを建ててやったそうだ」
「あそこのBさんの嫁は、ひどいもんじゃ。親に渡す小遣いを、今月は、半分にしたそうだ」などなど。
こうして私は自分の中に「家族像」をつくりあげ、それが、そのあとの家族自我群へとなっていった。
「幻惑」に苦しんだことは、言うまでもない。
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