Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, June 26, 2010

●繁栄ボケ




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 14日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ハレンチ事件

++++++++++++++++++

数日前、またどこかの教師が、18歳未満の
女性とS交渉をもって、逮捕された。
その教師は、出会い系サイトで、女性と
知り合ったという。
逮捕されたとき、その教師はこう言った
という。
「こんなに簡単にできるとは思っていなかった」と。

「簡単」ということは、「簡単」ということ。
そういったシステムが、アンダーワールドの
世界では、すでに完成している。

+++++++++++++++++++

●悪者?

 こういう事件を見聞きすると、私たちはすかさず、教師を悪者として見る。
たしかに悪者だが、しかし「悪者」と断言することもできない。
正常な(?)男性なら、若い女性に興味をもつのは、当然のこと。
またそうした本能をコントロールするのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
こうした本能は、理性の外にある。

だからといって、その教師を擁護するわけではない。
私が言いたいのは、「誰が、その男性を、石をもって打てるか?」ということ。
最近、ときどき、こんなことを考える。

 つまり男性は、若い女性と遊びたがる。
しかし実際には、若い女性に遊ばされているのは、男性のほうではないのか、と。
たとえばえばタバコがある。
喫煙者は、タバコを吸う。
そのとき喫煙者は、「自分の意思でタバコを吸っている」と思うかもしれない。
しかし実際には、「タバコにタバコを吸わされている」。

 酒にしても、そうだ。
一日の仕事を終え、家に帰って一杯のビールを飲む。
うまい!
暑い日には、なおさらうまい!

 そういうとき、私たちは、「自分の意思でビールを飲んでいる」と思うかもしれない。
しかし実際には、「ビールにビールを飲まされている」。

●ナンパ・ビデオ

 どこかあやしげなビデオショップへ行くと、その種のビデオがズラリと並んでいる。
私も若いころは、そういうビデオをよく見た。
「よく見た」といっても、「ふつう程度に」という意味。
当時はやったビデオに、『洗濯屋のケンちゃん』というビデオもあった。
私たちの世代には、衝撃的なビデオだった。

 そんなある日、ちょうど1年ほど前のこと。
いつも通うビデオショップの裏口に、そういったビデオだけを並べているコーナーがある
のを知った。
それまで10年近くその店に通っていたが、そんなコーナーがあることさえ気がつかなか
った。
私は入ったついでに、「ナンパもの」と呼ばれるビデオを1本、借りた。

●ナンパもの

 「ナンパもの」というのは、街角で男たちが若い女性に声をかけ、その女性と最終的に
は、Sxxするというもの。
「モデルになってください」とか、「水着を試着してくれませんか」とか、そんなことを言
って、女性に近づく。
このとき理性というブレーキが働くなら、女性たちは男たちの申し出を断るはず。
しかし女性たちは、男たちについていく。
いとも簡単についていく。
部屋の中に入っていく。
はじめは抵抗するそぶりを見せるが、はじめだけ。
やがてすぐ、本気になっていく。
で、ある一線を越えたとき、女性は、今度は、むしろ積極的に男たちの体を求め始める。

 こうした「ナンパもの」で驚くことは、今では、「中出し」が当たり前ということ。
男たちは、女性の体の中で、射Sする。
もしこのときも、女性たちに一片の理性でも残っていれば、それがどういうことかわから
ないはずはない。
が、その時点になると、女性たちには、その理性はない。
無我夢中。
されるがままというより、むしろ自らそれを求めて、それに応ずる。

 そういうのを見ていると、先にも書いたように、「男たちが、女性を誘惑している」とい
うよりは、「男たちが、女性に女性を誘惑するよう仕向けられている?」と。
ストレートな言い方をすると、「男たちが、女性を誘惑しているのではない」。
「男たちが、女性に、もてあそばれている」と。
そんなふうに考えてしまう。

●食欲

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
たとえば食欲。

 最近ではどこの旅館でもホテルでも、バイキング料理が多くなった。
そのほうが、人件費が安くすむ。
そこでのこと。
おいしそうな料理がズラリと並んでいる。
そういうのを見ると、「食べなければ損」という、あの卑しい根性がわいてくる。
が、実際には、「食べなければ損」ではなく、「食べたら損(そこ)ねる」。
理性で考えたら、「食べたら損」。
が、そういうとき、食欲と闘うのは、容易なことではない。
いつもなら食べないデザートまで、しっかりと食べてしまう。
2つ、3つと、余計に食べてしまう。

 が、部屋にもどったとたん、後悔の念。
「しまった!」と思う。
「食べたのではなく、食べさせられた!」と。

●一片の理性

 じゅうぶん分別もある男性の教師が、18歳未満の若い女性に手を出す。
もしそのとき、その男性の教師に一片の理性でも残っていれば、そういった女性には手を
出さないはず。
が、現実には多くの教師たちが、そういった事件を引き起こし、警察沙汰になり、職場を
追われていく。
それまでの名誉も地位も、すべて失っていく。

が、「一片の理性もない」という点では、会ったばかりの男に、体内での射Sを許す女性も
同じ。
が、だからといって、そうした教師や女性を責めるのもどうか?
(もちろん擁護もしないが……。)
ともに、その人たちの責任というよりは、その人たちの中に潜む、もっと大きな力によっ
て、操られているだけ。
当人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」など、どこにもない。
そういうふうに考えないと、この問題は理解できない。
 
●自分の意思

 で、こうした人間の一連の行動を見ていると、こういうことが言える。
私たちはなにごとにつけ、自分の意思でしているかのように思っている。
が、実際には、そうするように、仕向けられている、と。
もっと平たく言えば、「操られている」。

 とくに本能と呼ばれる部分についてはそうで、それゆえに理性の力でコントロールする
ことは、たいへんむずかしい。
不可能ではないが、それをしようとがんばると、心の状態そのものがおかしくなることも
ある。

たとえば私のばあいは、「モノ」。
ある特定のモノがほしくなると、終日、そのモノのことばかり考えるようになる。
デジカメならデジカメでもよい。
そうした状態が1、2週間もつづいたりすると、神経そのものが、苛立ってくる。
自分でもその変化が、よくわかる。
が、買ってしまえば、落ち着く。
そのモノを、手の中でいじって遊ぶ。

●生かされている

 私たちは「している」のではない。
「させられている」。
あらゆることがそうだ。
たとえば「生きる」こともそうだ。

今、私はこうして生きている。
一見すると、自分の意思で生きているようにも感ずる。
が、実際には、「生かされている」。
脳の視床下部あたりから、「生きろ!」「生きろ!」という強力な信号が出ている。
その結果として、「生かされている」。

 話をもとに戻すと、冒頭に書いた男性の教師にしても、自分の意思でそういう行為をし
たというよりは、「若い女性によって、仕向けられた」と考えられなくもない。
繰り返しになるが、男も女も、それぞれにもっている本能によって、操られる。
たとえば若い女性が、化粧をしたり、ファッションに気をつかうのも、結局は「男の目」
を気にしているからではないのか。
もちろん当の本人は、それを否定するだろう。
「私は男性を誘惑するために、化粧をしたり、ファッションに気をつかっているのではな
い」と。

●「私」

 こうして考えていくと、私たちはいったい、どこからどこまで生かされ、どこから先で
生きているのか、わからなくなる。
もっとわかりやすく言えば、どこまでが「私」で、どこから先が「私でない」のか、わか
らなくなる。
先に書いたように、「生きている」ことにしても、そうだ。
本当に私たちは、自分の意思で生きているのか?
あるいは、ひょっとしたら、生かされているだけではないのか?

 そういうふうに考えていくと、「私」と言える部分は、ほとんどないのではないかという
ことになる。
話を戻す。

 冒頭で書いた男性の教師にしても、結局は「私でない」部分に操られてしまった。
相手の女性にしても、それは同じだろう。
現在の社会通念からすれば、男性の教師は「悪人」ということになる。
18歳未満だったその女性は、「被害者」ということになる。
しかし私には、「悪人」「被害者」と、決めつけることが、どうしてもできない。

 では、どうするか?

●結局は厳罰主義

 この問題だけは、結局は厳罰主義で臨むしかない。
18歳未満の女性に声をかけられただけで、震えあがる。
そういう法的な環境を用意する。

 オーストラリアでは、そうした関係を見聞きしただけで、罪に問われる。
見聞きした人には、警察への通報義務が生まれる。
通報義務を怠ったばあい、警察に逮捕されることもある。

日本も、とくに教職にある者であれば、問答無用式に2年の懲役刑とすればよい。
見聞きして、通報義務を怠った人も、同罪。
そういう形で、理性の欠陥を、補う。
つまり理性によるコントロールには、限界がある。
その限界を認め、それを厳罰主義で補う。
それしか方法はない。

 が、現実には、「教職を追われるなど、すでに社会的制裁を受けている」とか何とか、
理由にもならない理由で、たいていは執行猶予刑になる。
(教職を追われることは、当然のことではないか。)
こうした(甘さ)が、こうした犯罪を野放しにする。
いつまでたっても、跡を絶たない
繰り返し、繰り返し、新聞で報道される。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 厳罰主義 本能と理性)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●年金問題(「時事用語・2010」(成美堂出版)

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年金について、勉強してみる。
「時事用語・2010」(成美堂出版)を開く。
「2010」となっているが、実際の発行日は、「2009年1月10日」となっている。
すでに1年以上も前に発刊された本ということになる。

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●年金

 年金は、つぎの3つに分けられる。

(1)自営業者などの「第一号被保険者」……【国民年金】
(2)会社員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【厚生年金】+【企業年金】
(3)公務員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【共済年金】+【職域加算】
(4)専業主婦(夫)の「第三号保険者」……【国民年金】

●問題点

 「時事用語」によれば、「ここの5年以上、国民年金の未納率は、3割を超えており……」
とある。
理由の第一は、「将来、年金を受け取れないのではないかという、年金制度への強い不信感
が、若者の間で広がっていることが指摘されている」と。

 しかし、本当に、そうか?

「受け取れない」のではなく、「不公平感があるから」ではないのか?

●40年前の1万円、今の6万円

 大卒の初任給が6万円前後になったとき、(手取額は5万円と少し)、私とワイフは結婚
した。
そのときですら、2人で、月額計2万円弱、国民年金を納付していた。
6万円を分母にすれば、33%!
私はワイフと何度か、言い争いをしたことがある。
「もったいないから、払うのをやめよう」
「払わなければ、ならないのよ」と。

●得なのか、損なのか

 以来、40年近く、国民年金を納付してきた。
が、当初の約束とは異なり、満55歳から支給が、60歳になり、今は65歳になった。
しかも支給額は、月額計13万円弱。
額こそ、10倍近くになった。
しかし平均寿命を基準にして計算すると、支給されるとしても、その後15年前後。
得なのか、損なのか、それがよくわからない。
もちろん40年前の1万円と、現在の1万円とでは、価値もちがう。

●「宙に浮いた年金記録」

 「時事用語2010」を読んで、改めて怒りがわいてくる。
「宙に浮いた年金記録」が、5000万件以上もあったという。
いわく「納付された国民年金や厚生年金の中に、だれのものか特定できない記録が、50
00万件以上も発覚」(同書)と。

 5000万件=5000万人と考えると、成人した国民の約半数ということになる。

 2007年度だけでも、つぎのような数字が並ぶ(同書より)。

 60歳以上……約3850万件
 60歳以下……約2215万件
 生年月日不詳……約30万件
 (合計……5095万件)

 このほかにも、コンピューターに未登録の年金記録が、1466万件!

●年金の一元化 

 社会保険庁は解体され(?)、新たに「日本年金機構」が生まれた。
また「年金の一元化」が叫ばれるようになり、当時の自民党は、「2010年までに、共済
年金を廃止し、厚生年金に一元化する」方針を打ち出した。

 しかしみなさんご存知のように、官僚のはげしい抵抗にあい、その法律は、現在の今で
も成立していない。

 で、改めて計算しなおしてみる。

 私のばあい、満20歳から国民年金を納付してきたから、
1・4万x40年=672万円。
満65歳から、79歳(平均寿命)まで支給されるとして、
6・4万x15年=1536万円。

 「国民年金に納付してきて得だったかな」と思いたいが、たとえば私の隣人のばあいは、
満55歳で旧国鉄を退職。
以来、毎月33万円の年金を、以後、30年近く、支給された。
(数年前に、その隣人は亡くなったが……。)
それで計算すると、計1億1880万円ということになる。
現在の今も、奥さんは元気で、転籍特権というので、年金の7割前後が支給されている。
(「7割」という数字は、伝聞なので、不正確。)
旧国鉄で幹部職に就いていた、もう1人の隣人は、月額37万円前後の年金を受け取って
いる。

 こういう数字を並べてみると、不公平感が、否応なしに増大する。

●年金問題

 日本という国が破産するのは、「時間の問題」(経済各誌)。
破産するかしないかではない。
「いつ破産するか」である。
その理由のひとつが、年金問題と考えてよい。
この先、3人の労働者が、1人の老人を支えることになる。
しかしそんなことは、税収面から考えただけでも、不可能。

 某経済雑誌によれば、「へたをすれば、来年度の予算は、成立しなくなるかもしれない」
とのこと。
赤字国債(=国の借金)の発行にも、限界がある。
国民が日本の財政に不信感をもったら、最後。
終わりの始まり。
日本人はこぞって、(円)を外貨、もしくは外債に置き換える。
とたん、(円)は大暴落→ハイパーインフレとつづく。

 で、率直な私の感想。
この問題は、一度、日本という国を破産させないかぎり、解決しないだろうな……という
こと。
先のJALの破産に、その一例をみる。
あのときもJAL・OBたちは、最後の最後まで、企業年金の減額に抵抗した。
で、結局、破産!
企業年金は、半ば強制的に減額された。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 年金問題 国民年金 厚生年金 共済年金)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●スランプ

 今日になって、やっとスランプから抜け出た。
調子が戻った。
3時間あまり、集中して、原稿を書くことができた。
考えたことが、そのまま文字になって、パソコンの画面に現れるようになった。
よかった!
「このままボケてしまうのか」と、思った。
「認知症が始まったのか」とも思った。
その心配が、吹き飛んだ。

●運動不足

 そのかわり、運動不足。
体重もふえた。
歩いていても、自分の重さを感ずる。
そういえば、おとといこんなことがあった。

 距離にすれば、100メートル足らずの距離だった。
その距離を、全速力で走ってみた。
街の裏通りだった。
夕暮れ時だった。
そのときのこと。
自分の足が、体よりも遅れて前に出るような感じがした。
足がもつれるような感じだった。
生まれてはじめての経験だった。
足の運動を伝える交感神経の働きが悪くなったため(?)。

 それに走っているとき、右足のひざを傷(いた)めたらしい。
その日は、そのときから、ふつうには歩けなくなった。
ひざは痛くなかったが、足の裏が痛かった。
床に触れただけで、ギリッと足全体に、痛みが走った。

 幸い、症状は、つぎの朝には消えていた。
寝る前に、ワイフが湿布薬を何枚も張ってくれた。
それが効いたらしい。

 朝になってワイフが、こう言った。
「年も年なんだから、もうメチャしちゃあ、だめよ」と。

●快挙!

 明日(6月13日)、日本の小惑星探査機、「はやぶさ」が、地球に戻ってくる。
予定では、日本上空を飛び越えたあと、オーストラリアの砂漠に墜落するという。
考えてみれば、これはすごいことではないか。
今まであまり目立たなかったが、アポロ11号による月面着陸に匹敵するほどの快挙。
少なくとも、日本人の私たちにとっては、そうだ。
そういうロケットを7年前に打ち上げたというところが、すごい。
たまたま昨日、韓国のロケット発射実験があった。
が、こちらは失敗。
発射後2分前後で、爆発したという。
が、現場の科学者たちは、それを30分近くも、隠していたという。
実に韓国らしい。

 韓国の人たちは、「われわれは北朝鮮とはちがう」と思っているだろう。
しかし一歩離れた、この日本から見ていると、韓国の人も、北朝鮮の人も同じ。
思考回路が、たいへんよく似ている。
メンツと世間体ばかり、気にしている!

 先の哨戒艦爆破事件のときも、当初、現場から、「魚雷によるもの」という報告があった
という。
それを聞いた上官が、自分への責任を恐れて、別の原因に書き換えて報告した。
また同時刻に、別の船が、北朝鮮のものと思われる半潜水艦を発見し、射撃を加えている。
それについても、「あれは鳥の群れだった」と。
こうして軍の中枢部に、哨戒艦爆破の報告が届いたのは、約1時間後だったという。

 その哨戒艦爆破について、北朝鮮は、「アメリカ軍の仕業」と、逆に国連に、いうなれば
被害届のようなものを提出した。
そしてここからが、北朝鮮のいつもの常套手段。
『小悪を暴露して、大悪を隠す』。

 中国の密輸船を攻撃。
それについては、「謝罪し、関係者を処罰する」と。
妙に正直者ぶっている。
どうして北朝鮮は、こうまで小細工に小細工を重ねるのか?
今日のニュースによれば、ワールドカップの様子ですら、無断で国内で放映しているとい
う。
一事が万事!
万事が一事!

 で、韓国だが、DMZ(非武装地帯)に、北朝鮮向けに拡声器を設置し終えたという。
が、その拡声器を見て、驚いた。
日本でも市販されているような拡声器を、縦横に、何十も並べたもの。
「遅れている」というよりは、もう少し、策はないものか?

 たとえば指向性のある拡声器を設置する。
無数の太陽電池で作動するラジオをばらまく。
音源がわからないような拡声器を用意する。
電離層に反射させて音を伝える装置を開発する、などなど。
いかにも「拡声器」というところが、韓国らしい。
韓国のもつ技術力を応用すれば、ほかにも方法があるはず。

 北朝鮮は、それに対して、今日も、拡声器を攻撃破壊すると声明を発表している。


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●テレビvsインターネット(テレビ局の、「はやぶさ」無・報道に抗議して……)
(Why not was the news about "Hayabusa" reported on TV last night in Japan?)

++++++++++++++++++

昨夜、映画『アイアンマン2』を観てきた。
いつもはもっと遅い時間帯に、深夜映画を観る。
しかし昨夜は、早めに帰ってきた。
小惑星探査機「はやぶさ」の帰還を、テレビで
観るためである。

……ところが、である!
どこのテレビ局も、中継どころか、話題にも
していなかった!
NHKも定時のニュースで、そのときの様子を
流しただけ。
BS1も、BS2も、地上デジタルも、どこも
中継していなかった!
中継どころか、報道もしていなかった!

そのころ(午後10時過ぎ)には、サッカーの
実況中継も終わっていた。
例によって、どこのテレビ局も、緊急性のない番組ばかり。
私たちはすぐパソコンを開き、JAXAのHPを開いた。
そこからU・STREAMへアクセスした。
そこではやぶさが、無事地球に帰還する様子を見た。

日本経済新聞社は、つぎのように伝える。

+++++++++++以下、日本経済新聞社+++++++++++++

小惑星探査機「はやぶさ」が約60億キロメートル、7年間に及ぶ宇宙の旅を終えて日本時
間の13日午後11時ごろ地球に帰還した。本体から切り離されたカプセルからの電波を受
信、上空から目視でも着地を確認した。はやぶさは地球から約3億キロメートル離れた小
惑星「イトカワ」に着陸、その際に舞い上がった砂ぼこりなどがカプセルに入っていると
期待されている。月以外の天体に着陸した探査機が地球に戻るのは、世界初の快挙になる。

+++++++++++以上、日本経済新聞社+++++++++++++

●繁栄ボケ

 「平和ボケ」という言葉がある。
この言葉を借りるなら、今のこの日本は、明らかに「繁栄ボケ」している。
たまたまどこかのテレビ局では、同じ時刻に、韓国経済について論じていた。
1人の女性の経済学者が、こう言っていた。

「日本は、戦後、アメリカから技術をもらい、今の日本を築いた。
同じように韓国は、今、(日本から、技術をもらい)、それをしている。
韓国を責めても意味はない。
技術の移転は、しかたのないもの」(記憶によるものなので、内容は不正確)と。

 こういう経済学者がいるから、日本の経済は、衰退する。

(経済学というのは、未来を見越したものでなければならない。
その経済学者が、過去において、技術移転(=略奪)に警告を鳴らしていたというのなら、
話もわかるが……。)

●日韓経済戦争

 日本はアメリカから技術移転を受ける前から、アメリカと同等、もしくはそれ以上の技
術力、それに組織力をもっていた。
航空機産業にせよ、造船業にせよ、アメリカに見劣りするものは、何もなかった。
加えて、戦後、たしかに日本は、「廃墟の中から立ち上がった」(同、評論家)。
が、アメリカから「もらった」ものは、何もない!
アメリカはそんな甘い国ではない!

 一方、韓国は、日本全国に産業スパイをはびこらせた。
日本全国、津々浦々に、だ。
そして「これは!」という技術を見つけると、つぎつぎとそれを盗んでいった。
「盗む」という言い方に語弊があるなら、「買収して」いった。
また、あのノ前大統領は、毎朝、(毎朝だぞ!)、日本追い落としのための経済閣議を開き、
その前日の成果(?)を報告させていた。
その結果が、「今」である。

 日本の先端技術は、韓国につぎつぎと奪われていった!
今、韓国の基幹産業といえば、どれも、もとはと言えば、日本の基幹産業だった。
それを「日本もしたではないか……」とは!

●日本の国益

 なぜ、この日本で、こんな愚かなことが起きるのか?
起きたのか?
その理由の第一として、私は「繁栄ボケ」をあげる。
そしてその一例として、今回の「はやぶさ報道」をあげる。

 本来なら、こうした快挙をとらえて、日本は世界中に、このニュースを発信すべきであ
る。
が、肝心の日本が騒がない。
盛り上がらない。
が、どこのチャンネルも、ワールドカップ一色!
肝心の日本が騒がないから、世界も、騒がない。
ワールドカップも重要だが、今の日本にとっては、それ以上に重要。
少なくともその時間帯には、先にも書いたように、現地での試合は、すべて終わっていた。

日本の未来、将来、さらに国益を考えるなら、はやぶさ帰還を、もっと報道すべきだった。
オーストラリアからNHKが実況中継しても、何ら、おかしくなかった。
またその価値は、じゅうぶん、あった。
で、先の韓国だが、いまだにロケット一基、打ち上げられないでいる。

 つまりこんなことばかりしているから、足下から技術が盗まれいく。
盗まれても、気づかない。
ノー天気というか、問題意識もなければ、喪失感もない。
あげくのはてには、「技術移転は仕方ないこと」と、バカげたことを平然と言ってのける。
やがてロケット技術、宇宙工学のノウハウも、すべて韓国に盗まれていくだろう。
そうした危機感が、この日本には、まったくない!

●情報の能動性

 U・STREAMでは、視聴者がチャット形式で、つぎつぎと書き込みができるように
なっている。
その中では、テレビ局を批判するコメントがつづいた。
「どうしてテレビ局は、実況中継をしないのか?」と。
それに答えて、「テレビ局とインターネットは仲が悪いから」というのも、あった。

 どうして?

 インターネットのもつ、双方向性、さらに情報の多様性、即時性、能動性については、
テレビには、勝ち目はない。
「情報の多様性」というのは、ジャンルの広さをいう。
テレビのばあい、いくらがんばっても、チャンネル数は、せいぜい10~20局。
一方、インターネットのほうは、ほぼ無限!

昨夜も、「志賀直哉 城の崎にて」を、私は検索してみた。
たまたま志賀直哉のことを思いだし、「城の崎にて」を読んでみたくなった。
私は高校生のとき、志賀直哉に傾注した。
これを「情報の能動性」という。
私はそのときの私の意思に従って、情報を得ることができる。

 が、テレビでは、こうした芸当はできない。
志賀直哉の番組を待っていたら、数年はかかるかもしれない。
つまりテレビでは、情報は、つねに一方的に、たれ流されるだけ。
番組を選ぶことはできるが、それでもある「範囲」に限られる。
言うなれば、「しくまれた自由」(尾崎豊・「卒業」)。
それにすぎない。

●テレビ局の偏見性

 テレビ局にせよ、新聞社にせよ、インターネットで流れる情報の価値を、認めていない。
認めたとたん、自分で自分のクビを絞めることになる。
それはわかるが、それ以上に、インターネットを枠外へ追い出そうとしている(?)。

 もしテレビ局が、「今、ネットではやぶさの大気圏突入が、中継されています。興味のあ
る人は、そちらを観てください」とか言うようになれば、話もわかる。
あるいは新聞社が、新聞に、「興味のある人は、以下のHPを開いてください」とか書くよ
うになれば、話もわかる。
しかしあえて、それをしない(?)。
あえてインターネットを無視する(?)。
私はここに情報の閉鎖性というか、人種偏見に似た、あの狭小性を覚える。

●影響力は……

 しかし忘れてはいけない。
現実には、テレビや新聞よりも、インターネットのほうが、この世界を動かし始めている。

 たとえば私のBLOGについても、Goo-Blogだけでも、昨日は、計3500件
ものアクセスがあった(6月14日)。
ほかに「はてなーBlog」「Blogger-Blog」「楽天ーBlog」へのアクセ
スも含めると、軽く1万件を超えた。
これにHPへのアクセスを加えると、1万5000件以上になる。
(1万5000件だぞ!)
ほかに電子マガジンの読者、計4000人など。

 しかしこうした数字を、テレビ局や新聞社は、認めない。
認めようともしない。
が、実際、この世界を動かしているのは、インターネット。
私が書いているこの記事にしても、明日までに、数万人の人たちが読む。
が、それを「価値がない!」と。
私はそれを「偏見」という。

●はやぶさ

 日本経済の衰退を導いたのは、「テレビ」と断言してもよい。
さらに言えば、「テレビ」を支える、「テレビ局の人間」と言ってもよい。
問題意識もなければ、危機感もない。
日本人を、「一億総ハクチ化」(大宅壮一)しながら、その意識もない。
さらに恐ろしいことに、「テレビ」のもつ、影響力そのものを、悪用している。
バラエティ番組にみられるように、日本人を愚民化している(?)。

 こうした弊害をさけるためには、たとえばアメリカのように、テレビ局を細分化し、「多
様性」をもたせるという方法がある。
スポーツ番組だけを流すテレビ局、宗教番組だけを流すテレビ局、映画だけを流すテレビ
局などなど。
アメリカには、そうしたチャンネルが、60~100局ほど、ある。
視聴者は、自分で選んで、自分の観たい番組を観ている。

現在のように、「総合雑誌的なテレビ局」は、雑誌の世界で、すでに先行証明されているよ
うに、早晩、衰退する。
衰退すると言うよりは、見向きされなくなる。

 ともあれ、今回の「はやぶさ報道」は、ひとつの象徴的なできごととして、しっかりと
記憶にとどめておきたい。

●ウーメラ砂漠(蛇足)

 サッカー選手にインタビューを求める前に、(あるいは同時に)、どうしてはやぶさを帰
還させた科学者に、インタビューを求めなかったのか。
南アフリカから実況中継する前に、(あるいは同時に)、どうしてオーストラリアから、実
況中継しなかったのか。
はやぶさが帰還した「ウーメラ砂漠」と言えば、私の親友のボブ君の農場があったところ
である。

ボブ君の実家は、その一角のナンタワラ(Nantawarra)というところにあった。
休暇ごとに、私は、そのナンタワラで、1~2週間を過ごした。
遠くに、フリンダース連峰を眺め、当時は、緩やかな傾斜のつづく農地だった。
(現在は、砂漠化が広がり、だれも住んでいないが……。)
それだけに、つまりそういう個人的な思いもあったから、今回の、テレビ局による「はや
ぶさ無・報道」は、残念でならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 小惑星探査機 はやぶさ 報道の偏向 イトカワ 日本経済衰退論 
繁栄ボケ)

(警告)
★私が韓国の大統領なら、日本の技術者を、超高給で引き抜く。
あるいは韓国へ超高額で、講師として招き、技術指導を受ける。
ロケットを作っている日本企業を買収する。

★私が日本の総理大臣なら、技術移転には、しっかりとした制限を設ける。
技術者の引き抜きには、制限を設ける。
企業買収を不許可とする。

★私が日本の科学者なら、日本に見切りをつけ、さっさと韓国企業へ移籍する。
(これは冗談!)


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●下楠昌哉著『妖精のアイルランド』(平凡社新書)

++++++++++++++++++++++

一度、読んだ。
それから数年。
再び、今日、読んだ。
下楠昌哉著、『妖精のアイルランド』(平凡社新書)。
といっても、下楠昌哉氏のその本は、新書版ながら、
1日や2日で読みきれるものではない。
密度が濃いというか、アイルランド文学に造詣(ぞうけい)
の深い人でないと、垣間見る文学史に振り回されてしまう。
しかし読みこなすほどに、おもしろさが伝わってくる。
不謹慎なたとえかもしれないが、おいしいスルメを
かんでいるような心地。
そんな感じになる。

+++++++++++++++++++++++

●日本とアイルランド

 日本とアイルランドは、地勢的に、正反対の位置にある。
日本があるあたりを、「極東」と呼ぶ。
同じように考えると、アイルランドのあるあたりは、「極西」ということになる。
極東と極西。

 しかし下楠昌哉(以下、下楠氏と略)のこの本を読む限り、「極東」というときの辺鄙(へ
んぴ)さを、アイルランドについて感じないのは、なぜか。
たとえば私が若いころ、この日本は、「奇異なる国」と呼ばれていた。
もちろん西洋的視点から見た印象だが、その「奇異さ」は、日本から一歩外に出てみると、
よくわかった。
が、アイルランドを、「奇異なる国」と呼ぶ人はいない。

●アイルランド人

 一方、私たち日本人の視点から見ると、イギリス(ブリィテン)も、アイルランドも同
じ・・・に見える。
しかし実際には、イギリスとアイルランドは、言葉も文化もちがう。
風俗、習慣もちがう。
家の構え方もちがう。

アイルランドの流れを汲む民族的一派(ケルト人)は、フランスを含めて、大西洋の西岸
で、独特の文化圏を作り上げている。
今でもそれぞれの地で、その国の言語(ゲール語)を話している。

 私の印象では、イギリス人とアイルランド人は、日本人と朝鮮人ほど、あるいはそれ以
上にちがう。
アメリカでもオーストラリアでも、アイルランド人というよりは、アイルランド系の人は、
簡単に見分けられる。
(もちろん混血の人も多いが、それでもアイルランド系の人たちは、アイルランド系の人
たちどうしで、集まる傾向が強い。)

●アイルランド人

 オーストラリアへ渡ったとき、最初にできた友人は、ドイツ系の学生だった。
「ベア君(Beare)」という名字で、それがわかった。
つぎに仲良くなったのは、「キシア君(Kishere)」だった。
彼はイギリスでも名門の出で、イギリスで発行されている名士辞典には、彼の祖先の名前
が載っている。
が、だれよりも私に大きな影響を与えたのは、ガールフレンドの、Jだった。
その彼女が、アイルランド出身だった。
独特の、あの訛(なま)りのある英語を話した。

●ドリンキング・ソング

 アイルランドには、民謡として、「ドリンキング・ソング」というのがある。
酒場などで、酒を飲んだようなときに歌う、あの歌である。
めちゃめちゃ陽気な歌である。
オーストラリアのフォークソングは、そのドリンキング・ソングの影響を強く受けている。
明らかに替え歌というのも、多い。
が、ここで誤解してはいけないことがある。
こうしたドリンキング・ソングにせよ、フォークソングにせよ、底なしに明るいからとい
って、彼らの性格もそのまま明るいということにはならない。
むしろ事実は逆。
うつ病タイプの人が、ときとして陽気にはしゃぐのに似ている。
悲しみやさみしさ、つらさを吹き飛ばすために、彼らはドリンキング・ソングを歌う。
・・・歌った。

私は、そのドリンキング・ソングが大好き。
今でも、そのいくつかを、正確なアイルランド訛りで、歌うことができる。
Jがよく歌って、教えてくれた。

●妖精

 下楠氏の『妖精のアイルランド』を読んで、興味深いのが、「妖精」のイメージ。
日本で「妖精」というと、かわいい女の子、あるいはどこかいたずらっぽい女の子を連想
する。
ピーターパンに出てくる、ティンカーベルも、その1人。
しかし実際には、恐ろしい。
アイルランドの妖精は、恐ろしい。
日本的に言えば、「怨念をもった幽霊」に近い。
「妖精信仰」という言葉もある。
下楠氏は、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)の次のような言葉を引用している。

「妖精信仰は、実に恐ろしげで陰鬱なものである。
そこにはユーモアなどない。
極度の恐怖が主題なのである」と。

 ここまで読んで、鋭い読者の方なら、もうお気づきのことと思う。
ラフカディオ・ハーンはやがて日本の地を踏み、そののち、あの『怪談』を著す。
あの『怪談』に出てくる陰鬱さこそが、実は、アイルランドの妖精信仰とその底流でつな
がっているもの。
ハーンの父親は、そのアイルランド人だった。
・・・というより、下楠氏の『妖精のアイルランド』によれば、「その血筋の一端を、アイ
ルランドに有しているのである」ということである。
ラフカディオ・ハーンは、かなり複雑な幼少期を過ごしている。

●下楠氏

 下楠氏の本を読みながら、実は、私はまったく別のことを考えていた。
実は、下楠氏と私は、2人の娘さんを通して、知己(ちき)の間柄だった。
私は2人の娘さんを、4~5年、教えさせてもらった。
たいへんというか、きわめて知的レベルの高い子どもたちで、その後、京都でも有数の進
学校に入学したと聞いている。
昨年の夏に、突然、私の教室を訪問してくれた。

 下楠氏とは、そのたびに、私の教室で顔を合わせている。
当時、下楠氏は、静岡文化芸術大学助教授の地位にあった。
『妖精のアイルランド』の奥付の著者欄には、「上智大学大学院博士後期課程終了。文学博
士」とある。

 その下楠氏と別れて、もう数年がたつ。
「早いものだ」と思ってみたり、「二度と会うことはないだろう」と思ってみたりする。
遠い人になってしまったが、本を手にとったとたん、そこに下楠氏がいるような気がした。
人の出会い、別れ、そしてその人への(思い)というのは、そういうものか。
改めて、『アイルランドの妖精』のもつ重みを、ズシリと感ずる。

1968年生まれというから、下楠氏が生まれたのは、私がUNESCOの交換学生とし
て、韓国に渡った年である。
年齢的には、私より21歳若いということになる。
(私は1947年生まれ。)
が、私には、逆立ちしても、こんなすばらしい本は書けない。
1ページ読むごとに、そう感じた。
それだから・・・というわけでもないが、下楠氏には、ある種の罪悪感すら覚える。
これといって失礼なことをした覚えはないのだが、ともに人生の一部を共有しながら、そ
の(共有)を、私は生かすことができなかった。
そのときは、「さようなら。お元気」だけで終わってしまった。
「もっといろいろなことを教えてもらえばよかった」という後悔の念がそれを包む。

 先に書いた、ガールフレンドだったJは、その後白血病になり、兄の住むドイツに渡っ
た。
そこでギリシャ人と出会い、結婚。
最後の手紙は、ギリシャの小さな町からのもので、そこで音信は途絶えた。
あのJも、アイルランドの妖精だったかもしれない。
下楠氏の本を読みながら、そんなことも考えた。

 Jのことは、『世にも不思議な留学記』の中に書いた。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 下楠昌哉 下楠昌哉著、『妖精のアイルランド』(平凡社新書)


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