●反動形成
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●親のウソvs子のウソ(反動形成について)
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昔から、こう言う。
「No news is a good news.」と。
つまり「便りのないのは、よい知らせ」と。
が、この格言を裏から読むと、その反対に、
「便りがあるのは、悪い知らせ」とも、解釈できる。
たとえば結婚した息子や娘から、
「仲よくやっています」という便りが
届いたとする。
友人のA氏のもとに、昨年結婚した娘夫婦から、
そんな便りが届いたという。
そういうとき親は安心(?)する。
「仲よくやっていれば、いいこと」と。
A氏も、「何とかうまくやっているようです」と
喜んでいた。
しかし本当に安心してよいものか?
そういう言葉を、そのまま信じてよいものか?
人は、時として、自分の弱点(=ウソ)を隠すため、
またそれを気にするあまり、その反対の
自分を演ずることがある。
心理学でいう「反動形成」のひとつ。
たとえばよくある例として、こんなのがある。
「私は放任主義で、子どもを育ててきました」
「私は、子どもの進学校はどこでもかまいません。
子どもの能力に任せています」
「子どもは伸びやかなのが、いちばんいいです。
家では子どもの好きにさせています」と。
こうした言葉は、そのほとんどがウソと考えてよい。
・・・というより、ウソ。
そうことを言う親にかぎって、子どもに対して、過干渉、
過関心を繰り返している。
子どもの進学にかかりっきりになっている。
あるいは、子どもへの威圧が日常化しているため、
それを「威圧」とも思っていない。
つまりそういう自分を隠すため、その反対の
ことを口にする。
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●恋人たちの会話
もっとわかりやすい例が、若い恋人たちの会話。
たとえば1人の女性が、1人の男性に向かって、こう言ったとする。
「私を信じて!」と。
あるいは「あなたを信じているわ!」でもよい。
こういうケースのばあい、相手の男性を疑っているから、そういう言葉を
口にする。
つまり「私を信じて」というのは、相手に「ぼくを信じてほしい」と
言ってもらいため。
つまり不安だから。
また「あなたと信じているわ」というのは、相手を疑っているから。
本当に信じていたら、そういう言葉そのものが、口から出てこない。
わかりやすく言えば、自分がもっている心配や不安を打ち消すために、その
反対のことを言う。
冒頭にあげた「仲よくやっています」というのも、それ。
だれも「仲よくやっていない」と、思っていない。
息子にせよ、娘にせよ、新婚早々であれば、仲がよいのが当たり前。
ラブラブ、アツアツ・・・。
親の方から、「仲よくやっているか?」という手紙でも書いて、その
返事でそう書くなら、わかる。
しかし親の方から何も聞いていないうちに、「仲よくやっています」は、ない。
つまり仲よくやっていない・・・?
●反動形成
反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。
そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。
が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。
先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。
ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。
それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。
本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。
●心を隠す
では、本当にうまくいっている夫婦のばあいは、どうか。
どういう手紙を書くか。
そういう夫婦のばあいは、心に余裕が生まれるため、相手をねぎらうようになる。
冒頭に書いた夫婦のばあいだと、「仲よくやっています(から、心配しないでくれ)
ではなく、「お父さん、お母さん、お元気ですか?」となる。
余裕がないから、自分たちの状態を見透かれないように、先手を打つ。
それが「ぼくたちは、仲よくやっています」という言葉になって、表れる。
さらに中には、こちらが聞きもしないうちから、「私の夫(妻)は、すばらしい」
とほめちぎる人がいる。
「私は夫(妻)を愛しています」と、平然と言う人がいる。
それも日ごろの、夫(妻)への不満が、裏返して出てきたものと考えてよい。
本当に自分の夫(妻)がすばらしいと思っている人は、そういうことは言わない。
自分の夫(妻)を本当に愛している人も、そうだ。
そんなことは当たり前のことであり、またあまりにも当たり前のことだから、言わない。
先に書いた、「私を信じて」「あなたを信じているわ」という言葉にしても、そうだ。
本当に自分が信じられるに値する人間なら、そういうことは言わない。
相手を信じているなら、言わない。
疑っているから、言う。
●詐欺
私も長い人生の中で、いろいろな経験をした。
詐欺にあったこともある。
ひどい男だった。
人をだますという意識もないまま、人をだます。
そのときも、私がその相手を疑い始めると、その相手から、年賀状が届いた。
それには、こうあった。
「私を信じろ」「他人を信じるな」と。
この男性のばあいも、先に書いた恋人同士の心理状態と同じと考えてよい。
自分が信じられるに値する人間でないことを、彼自身がいちばんよく知っている。
「私を信じろ」というのは、「私を詐欺罪で訴えるな」という意味。
「他人を信じるな」というのは、「お前を信じていない」という意味。
つまり自分がかかえる心配や不安を隠すために、その反対の言葉を口にする。
そうそうその詐欺をした男だが、こんなエピソードもある。
私にお金を仮に来たのだが、そのときも、見たこともないような立派な(?)
借用書を前もって用意してきた。
それには返済期日と、返済額が、ズラリと表になっていた。
ずるい男は、そういうことが、平気でできる。
●結論
で、このエッセーの結論。
二男は、先日、日本へ帰国したとき、私にこう言った。
「ぼくたち(夫婦)は、いつも喧嘩ばかりしているよ」と。
そこで嫁(アメリカ人)に、別のところで、「そうなのか?」と、聞くと、
あっさりと、「Yes!」と言って笑った。
が、私はそれを聞いて、むしろ安心した。
というのも、実は、私たち夫婦も、そうだからである。
私も他人に話すときは、「ぼくたちは毎月のように離婚話をしている」と言う。
あるいは、「夫婦の愛なんて、とっくの昔に消えてしまったよ」とも言う。
「信じろ」「信じているわ」などという言葉は、この30年間、使ったことが
ない。
で、もし今、私の親が健在で、手紙を書くとしたら、きっとこう書くだろう。
「いつか離婚してやろうと考えながら、40年近くいっしょに暮らしましたが、
その勇気も度胸もなく、離婚もできませんでした。
あとは死ぬまで、このまま惰性で生きていきます」と。
自分を飾るのも疲れた。
偽るのは、いや。
だからありのままの自分で生きたい。
残りの人生も、短いことだし・・・。
最後に私のワイフも、こう言った。
「Aさんとこの、娘夫婦は、うまくいってないのよ」と。
「そうだろうね」と、私は答えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 反動形成 うそ 虚言 抑圧)
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反動形成について書いた原稿を
添付します。
(09年6月6日の原稿より)
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●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)
自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。
その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。
特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、
叫んでみせたりする。
これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。
ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。
そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。
さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。
反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せ
るかどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。
本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。
こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。
たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。
ほかにもいろいろな反動形成がある。
本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。
(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。
この表をわかりやすく説明すると、こうなる。
たとえば嫉妬深く、ねたみやすい人は、反対にその反動として、人前では見えすいた親切
心を発揮したり、妙に他人にやさしくしてみせたりする、など。
わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)
あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)
(補足)
たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い
方で、「嫌いだヨ~」と叫んだ。
これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえて
おおげさに否定してみせたりする。
しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしな
めると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるに
はいる。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●野球賭博(ギャンブル)(Gambling)
++++++++++++++++++
相撲界が揺れた。
野球賭博が蔓延していて、そのため何人かの
力士が逮捕された。
その中には親方と呼ばれる人もいた。
しかし……。
++++++++++++++++++
●野球賭博
野球賭博は、昔からあった。
私がそれをはじめて知ったのは、3、4歳くらいのときのこと。
そのころ、私はいくつかの会社の社内報を書いていた。
そのひとつの会社が、会社ぐるみで、野球賭博をしていた。
従業員が30人ほどの会社だった。
その会社の社長が、大の野球好きだった。
社長自身が、野球賭博を主宰していた。
こういうケースは例外としても、仲間同士の野球賭博となると、していない人はいない。
そう断言してよいほど、多い?
小さなスナックや酒場でもしている。
仲間内でも、している。
大学の学生たちだってしている。
が、野球賭博が「悪」と決めつけてはいけない。
サッカーにしても、あの文科省が堂々とサッカー賭博を主宰しているではないか。
「宝くじ」にしても、立派な賭博。
オートレースもボートレースも、立派な賭博。
私は知らないが、相撲賭博というのも、あるのでは?
それでも「ダメ」というのなら、サッカーと同じように、野球にも公的な賭博組織を作れ
ばよい。
が、なぜか野球賭博だけが、問題になる。
なぜか?
もし賭博が道徳的に不健全というのなら、サッカー賭博はどうなのか。
つまりこの問題は、「道徳」の問題ではない。
あえて言うなら、暴力団の資金源になっているからということか。
しかしそれこそ、一部。
本音を言えば、財務省としては、動きの把握できないマネーが右から左へ、動くのがおも
しろくないということらしい。
マネーの管理ができないから、「悪」?
これについて、「それは考えすぎ」と思う人もいるかもしれない。
しかしそう思うのは、少し待ってほしい。
●FX取引
賭博といえば、FX取引(外国為替証拠金取引)というのがある。
1998年の外為法(がいためほう)の改正により、個人でも自由に為替の売買ができる
ようになった。
この取り引きのことを、FX取引という。
方法は2つある。
(買いから入る方法)
1ドルが90円のとき、1万ドルを買う。
そのドルが、円安になり、1ドルが100円になったら売る。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。
(売りから入る方法)
1ドルが100円のとき、1万ドルを売る。
そのドルが、円高になり、1ドルが90円になったら買う。
1ドルにつき、10円の儲けだから、10万円、儲かったことになる。
●レバレッジ
レバレッジというのは、もともとは「てこの原理」という意味。
「投資などの際、手持ち資金よりも多くの資金を動かして、利益率を高めること。
またはその税率を高めること」(時事用語)。
株の売買でも、「信用取引」というのが、ある。
それと同じに考えてよい。
このレバレッジを使えば、100万円の資金で、1000万円分の取り引きをすることも
できる。
このとき、「レバレッジ倍率は、10倍」という言い方をする。
思惑通り為替が動けば、利益は10倍になる。
しかしそうでなければ、損も10倍になる。
ふつうはマイナス100万円になったところで、証拠金は、没収される。
賭博と言えば、これほど恐ろしい賭博はない。
しかもケタがちがう。
こうした賭博が、なぜ堂々となされているのか。
一介の主婦で、数年間に、1億円とか10億円とか儲けた人もいる。
反対に、私の身近には、退職金をすべて失ってしまった人もいる。
道徳性(=射倖心、つまりギャンブル性)を問題にするなら、FX取り引きほど、半道徳
的なものはない。
しかしFX取引は、OK!
なぜか?
財務省の管理下にあるからと考えてよい。
つまり税金源になっている。
●中毒性
賭博が賭博として、本当にこわいのは、中毒性があるから。
脳の線条体に受容体ができると、あとは条件反射的に、賭博にのめりこんでいく。
アルコール中毒、ニコチン中毒と、メカニズム的には同じ。
こうした中毒性を、法律の世界では、「射倖心」という。
「射倖心をあおるから、賭博は悪」と。
しかしここにも書いたように、何も野球賭博だけが、賭博ではない。
サッカー賭博や宝くじ、さらにはFX取引にのめりこんでいる人となると、ゴマンといる。
だからといって、野球賭博をしてよいとか、野放しにしておいてよいというのではない。
今のサッカー賭博が話題になったころ、私は、連日、それに対して反対の原稿を書いた。
しかもそれを、時の文部省が主宰するという。
「スポーツ振興の財源にする」とか、何とか、言っていた。
しかしこんなのは、ただの口実。
言い訳。
だからといって、文部省(当時)が、賭博に手を貸すことはない。
……いろいろ書きたいことはある。
見方を変えると、現在の相撲界も、その程度(?)。
日本の国技を守っているという自負心など、どこにもない。
「土俵の中には、金(マネー)が埋まっている」と公言した、親方すらいた。
つまりそのレベル。
今回の騒動で、問題なのは、むしろそちらのほうではないのか。
今の相撲界は、あまりにもマネーに毒されすぎている。
そのひとつが、野球賭博と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 相撲賭博 ギャンプル 射倖心 賭博の中毒性)
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
●映画『ザ・ウォーカー』(The Book of Eli)
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昨夜、映画『ザ・ウォーカー』を見てきた。
デンゼル・ワシントン主演。
荒廃したアメリカの大地を、1人の男が
一冊の本をもって、西へ、西へと歩く……。
映画は、星3つの、★★★。
デンゼル・ワシントンもこの映画の中で、55歳に
なったという。
私は彼の出る映画は、すべて観ている。
55歳を感じさせないアクションに、感動した。
が、予告編で、何度か見るうちに、「その本」と
いうのは、「聖書」であるということが、わかって
しまった。
見終わってから、ワイフに、「なっ、聖書
だったろ?」と言うと、「私もそう思ってた」と。
なお英語のほうでは何度か、「キング・ジェイムズ
版の聖書」という言葉が出てきた。
字幕の方では、ただ「聖書」と訳していた。
私は「キング・ジェイムズ版」という言葉を
聞くたびに、私がもっているキング・ジェイムズ
版の聖書のことを頭に思い浮かべた。
読みにくい聖書だった。
そこでそのことを二男の嫁に話すと、すぐ、別の
聖書を送ってきてくれた。
Ryrie版の聖書だった。
それは平易な英語で書かれていた。
また金文字で、「Hiroshi Hayashi]
と印字してあった。
私の名前である。
「うちへ帰ったら、久しぶりに読んでみる」と言うと、
ワイフもうれしそうに笑った。
で、映画そのものよりも、いくつかのセリフが気になった。
悪党の1人が、こう言う。
「聖書があれば、それを利用して、この世界を
支配できる」(記憶による)と。
つまり神の言葉を語れば、人心を思うがまま、
操ることができる、と。
遠い昔、日本に仏教が入ってきたのも、
そういう理由による。
ときの為政者たちは、仏教という宗教の力を
借りて、人心をひとつにまとめようとした。
つまり宗教には、そういう力がある。
が、これはもちろん両刃の剣。
善人に利用されるのはよいとしても、
悪人に利用されたら、たいへんなことになる。
映画を観ながら、私は別の心で、そんなことを
考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 King James Ryrie 聖書 キングジェイムズ版 キング・ジェイムズ
版)
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●聖書
1 THE CREATION OF THE WORLD
世界の創造
A The begining of Creation
創造の始まり
In the begining God created the heavens and the earth.
最初に神は、天と地を創造した。
Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and
the Spirit of God was hovering over the water.
そのとき大地は、形がなく、空だった。
暗闇が深淵の表面をおおい、神の霊が、水の上をただよっていた。
B The Days of Creation
創造の日々
And God said, "Let there be light", and there was light.
そして神はこう言った。「光よ、あれ」と。すると光が現われた。
God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness.
神は光がよいことを知った。そこで神は、光を暗闇から分けた。
God called the light "day", and the darkness he called "night".
神は光を、「昼」と呼び、暗闇を「夜」と呼んだ。
And there was evening, and there was morning-the first day.
そして夕方と朝があった。それが第1日目だった。
●Ryrie版聖書
映画の最後のシーンで、デンゼル・ワシントンが、これらの言葉を、口述する。
が、たったこれだけでも、1ページの10分の1以下。
Ryrie版の聖書は、このあと2200ページ(MOODY出版)もつづく。
……このあと神は、地上のもろもろのものを創造し、第6日目に、「自分に似せて、人間
を創造する」(So God created man in his own image, in the image of God he created him;
male and female he created them.)
独特のリズム、独特の言葉、それに加えて、平易な英語。
読んでいて、心地よい。
乾いた大地に水がしみこんでいくように、聖書の言葉が、頭の中に入ってくる。
学生時代、友人のだれかがこう言った。
「ヒロシ、この世界で、もっともすばらしい本は、聖書だよ」と。
「聖書の中には、すべてが書かれている」とも。
60歳を過ぎて、やっと彼の言った言葉の意味がわかるようになった。
当時の私は、「キリスト教を信仰している人は、そういうふうに思うだろうな」程度にしか、
考えていなかった。
どうであれ、一度は読んでみる。
最初から最後まで読んでみる。
その結果、私がどう判断するか。
どうなるか。
それは私にもわからない。
しかし一度は、読んでみる。
今、そう心に決めた。
もしどこかで『ザ・ウォーカー』という映画を観たら、「はやし浩司は、そんなことを考
えたのだなあ」と思ってほしい。
そういう形で、「心」を共有できたら、すばらしいことだと思う。
2010/06/21
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