Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, August 31, 2010

●マガジン(9-1)老後

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 1日
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2010年9月1日  第1407号になりました!

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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後の私たちの生活】

●韓国=日本、日本=韓国

++++++++++++++++

国際的な視点から見れば、日本と
韓国は双子。
双子のようによく似ている。
日本人がデンマークとオランダを
区別できないように、世界の人もまた
日本と韓国を区別できない。

外観ばかりではない。
中身もよく似ている。
今朝の朝鮮N報に、気になる記事が
2つ載っていた。
ひとつは、親の学歴が子どもの学歴、
成績、収入に影響を与えるというもの。

もうひとつは、韓国でも高齢者の
貧困問題が、顕在化してきたということ。

一部を抜粋して、ここに掲載する。

+++++++++++以下、朝鮮N報より抜粋、転載++++++++++

●親の学歴(以下、朝鮮N報より一部、転載)

 ……子どもの修能試験の成績やTOEICの点数、就職後の給与水準は、保護者の学歴や経
済力などによってどれほど格差が生じているのだろうか。取材班はこの点について、韓国
開発研究院のキム・ヒサム研究員に分析を依頼した。キム研究員は、農山漁村以外の地域
に住む勤労者世帯5000世帯を対象に、保護者の学歴や経済力などの指標ごとに、子どもの
修能試験の成績、TOEICの点数、就職後の初任給の水準を算出した。

 その結果、大学に入学するための第一関門となる修能試験の成績は、保護者の学歴など
によって差が生じていることが分かった。両親とも大卒の場合、子どもの修能試験の平均
点は256.2点で、両親とも高卒以下の場合(236.4点)に比べ19.8点高い結果となった。

 保護者の学歴や経済力などによる差が最も大きかったのは、就職に必須とされるTOEIC
の点数だった。世帯所得が100万ウォン(約7万1000円)増えるにつれ、子どものTOEIC
の点数は21点ずつ高くなった。また、両親とも大卒の場合、子どものTOEICの平均点は
741.9点となり、両親とも高卒以下の場合(667.6点)に比べ74.3点高い結果となった。

 こうした英語力における格差は結局、子どもが就職した後の賃金にも結び付いている。
両親とも大卒の場合、初任給の平均は202万9009ウォン(約14万4700円)である一方、
両親とも高卒以下の場合は、156万4458ウォン(約11万1600円)にとどまった。
(朝鮮N報・2010/8/3)

●貧困化する高齢者

 韓国の高齢者の35.1%が貧困状態にあることが分かった。

 国民年金研究院のソク・サンフン研究員が2日、「年金フォーラム」夏号に発表した報告
書によると、昨年、韓国の高齢者の35.1%が、最低生計費(二人家族の場合、1カ月86万
ウォン=約6万3500円)に満たない貧困層に属していた。

 これは、昨年の韓国全体の人口に占める貧困率(14.1%)の2.5倍以上だ。高齢者世帯の
貧困率は、2006年には30%だったが、07年には31%、08年には32.5%と、毎年増加の一
途をたどってきた。

 2008年から、老齢基礎年金の制度が施行されたが、これが高齢者の貧困状態を緩和する
効果はまだ限定的だという。

 老齢基礎年金は、65歳以上の高齢者のうち、低所得層に属する70%の人たちに対し、一
人暮らしの場合は最高で月9万ウォン(約6650円)、夫婦の場合は最高14万4000ウォン
(約1万1000円)=ともに2010年8月現在=の年金を支給する制度だ。
(朝鮮N報・2010/8/3)

+++++++++以上、朝鮮N報より、抜粋転載+++++++++++

●深刻な社会問題

 「韓国も、いろいろたいへんだな」と、私は思った。
2つの記事を読んで、身につまされた。
とくに高齢者の35%が、1か月の最低生活費が、6万3500円以下の貧困層に
属しているという記事には、ぞっとするような恐怖感さえ覚えた。
この額は、私がこの先支給される、国民年金額とほぼ同じ!
しかし現実問題として、6万3500円で生活していくのは、不可能。
財産を切り売りし、貯金を取り崩して、生きていくしかない。
が、それとて何年もつことか?

 たまたま昨日も、30年来の友人であるS氏と電話で話した。
私と同年齢。
昭和22年生まれの団塊の世代。
S氏は、市の職員を定年(60歳)まで勤め、昨年まで公的機関で働いていた。
で、今は、それまでの趣味を生かし、農園業を営んでいる。
たまたまS氏の妻が、農業資格をもっていたこともあり、農地を安く手に入れること
ができた。

「いいですね。まさに悠々自適の老後生活ですね」と言うと、S氏はどこか
うれしそうだった。
つまりS氏は若いころから、現在の生活を目標にし、生きてきた。
「目標にしてきた」というよりは、今という将来を見据えながら、仕事をしてきた。
だから2人の息子がいるが、必要以上に学費は出さなかった。
自分たちの老後の資金を確実に蓄えながら、質素に生きてきた。

 一方、この私は、そのときどきを無我夢中で生きてきた。
将来のことなど、ほとんど考えなかった。
「何とかなるだろう」とは思っていたが、そこまで。
収入のほとんどを、息子たちの学費として使ってしまった。
つまり典型的な親バカ!

 だから今は、こう言うようにしている。

「息子や娘に、勉強しろなんて、言ってはいけませんよ。
言えば言うほど、あとあと、責任を取らされます。
息子や娘が、『大学へ行かさせてください』と3度頭をさげるまで、学費など、
出してはいけませんよ」と。

●高学歴

 その一方で、(高学歴の親ほど)→(収入が多く)→(子どもの学費にお金がかけられる)
→(そのため子どもも高学歴)になる。
その結果が、朝鮮N報の1つめの記事ということになる。
 
 が、こんな調査結果もある。

++++++++++以下、内閣府、平成21年調査より++++++++++

●第8回世界青年意識調査より

(将来、親のめんどうをみるか?)

年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。

●年老いた親を養うことについてどう思うか

『どんなことをしてでも親を養う』(1)

イギリス66.0%、
アメリカ63.5%、
フランス50.8%、
韓国35.2%、
日本28.3%

●将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?

自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。

●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか
『そう思う』(2)

イギリス70.1%、
アメリカ67.5%、
フランス62.3%、
日本47.2%、
韓国41.2%

++++++++++以上、内閣府、平成21年調査より++++++++++

●親のめんどう

 「将来どんなことをしてでも親のめんどうをみる」と答えた若者は、日本人の
ばあい、28・3%しかしない。
たいていは「経済的に余裕があれば……」という条件をつけている。
しかし「経済的余裕」とは何か。
みな、それぞれに目一杯の生活をしている。
経済的余裕がある人など、いない。
言い替えると、「親のめんどうはみない」ということになる。

 が、その一方で、「将来は子どもにめんどうをみてもらいたい」と。
上記(1)と(2)の数字をよく見比べてみてほしい。

 イギリス、アメリカ、フランスの若者たちの意識は、それぞれ拮抗(きっこう)
している。
「親の面倒はみる」「だから私たちもみてほしい」と。
が、日本のばあいは、かなり内容がちがう。

「親の面倒はみない」「しかし子どもには、めんどうをみてほしい」と。
つまり自分勝手。

 もう一度、上述、「28・3%」という数字と、「47・2%」という数字を
よく見比べてみてほしい。
これがそこにある「現実」ということになる。
だから私は言う。

『3度、頭をさげさせろ!』と。
私のばあい、息子たちには、それをさせなかった。

●ワイフの意見

 ただ残念なのは、この点については、私とワイフとでは、大きく意見がちがう
ということ。
ワイフは、「これでよかった」と、いつも言っている。
私が「ぼくは親バカだったよ」と言うたびに、「あなたが勝手にしたことでしょ!」と
言い返す。

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
ワイフには、自分で働いたという経験がない。
実社会のきびしさを知らない。
これからの老後の資金についても、「お金は天から降ってくるもの」と思いこんでいる(?)。
だから、率直に言って、話にならない。

 が、私はちがう。
だから友人のS氏には、こう言った。
「ぼくは死ぬまで仕事ですよ」と。
あとはできれば、ピンポク。
その前日までピンピンと働いて、その日、ポックリと死ぬ。

私「ピンポクできれば、御の字ですよ」
S「そうですかア? 私はがんで死ぬほうがいいなア」
私「どうして?」
S「そのほうが時間をかけて、身の回りの整理ができるから……」と。

 同じように生きてきた世代だが、考え方は、人それぞれ。
みな、ちがう。
そう思いながら、私は電話を切った。

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の親のめんどう はやし浩司 内閣府 意識調査)

 
Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

【重い心】

私のばあいの解決法

+++++++++++++++++++++

このところ生きていることに、(重さ)を感ずる
ようになった。
「石を引きずるよう」とか、「足が重い」というのでは
ない。
それとは少し意味がちがう。
生きていることに、ある種の負担感を覚えるように
なった。

+++++++++++++++++++++

●10年

 「生きなければ・・・」という思いは強い。
が、その一方で、「同じことを繰り返して、何になるのか?」という
思いが、心をふさぐ。
たとえばどこかのだれかが、私にこう言ったとする。
「うちの会社へ来なさい。10年がんばれば、課長にしてあげる」と。

 今の私なら、いくら生活に困っていても、即座に、その申し出を断る
だろう。
そんなところで、10年も過ごしたくない。
若いころならともかくも、これからの10年は、金の砂時計のようなもの。
刻一刻と、「命」は短くなっていく。
金銭的な尺度で、その価値を測ることはできない。
それに・・・。
「課長になったところで、それがどうなのか?」と。

●回顧性

 が、その一方で、「このままでいいのか」「何かできるはず」
という思いも、これまた強い。
人生に対する悔恨の念も生まれつつある。
「あのとき、ああすればよかった」「こうすればよかった」と。

 若いころは、前しか見なかった。
「見えなかった」と書くほうが正確かもしれない。
だから失敗をしても、「取り返せばいい」とか、「やり直そう」とか、
そんなふうに考えた。
またそんなふうに考えることによって、失敗を乗り越えることができた。
が、今は、ちがう。
ちがうから、どうしても過去を振り返ってしまう。

 心理学の世界でも、老齢期になればなるほど、回顧性が強くなると
教える。
「回顧性」といっても、過去をただ懐かしむというのではない。
そこには当然、「悔恨の念」も含まれる。
それには理由がある。

●気力

 気力は、体力に比例する。
東洋医学(漢方)では、気力と体力を区別しない。
つまり若いころは、精神のもろさを、気力でカバーすることができた。
何かつらいことや、さみしいことがあっても、気力でそれを乗り越える
ことができた。
が、気力が弱くなると、精神のもろさが、そのまま表に出てきてしまう。
そのため私のように、もともと落ち込みやすい人間は、ふとしたことで
すぐ落ち込んでしまう。
しかもその回数、程度が、加齢とともに、多くなり、深くなってきた。

 が、何よりもこわいのは、気力の陰に隠れていた邪悪な人間性が、
そのまま表に出てきてしまうこと。
このことは、近くの老人を観察してみるとよくわかる。

●脳みその底の穴

 精神的な進歩は、何歳まで期待できるか?
いろいろな説があるが、生活が定型化すると、そこで進歩は止まる。
そう考えてよい。
ものの考え方が保守的になり、さらにひどくなると、殻の中に閉じこもるよう
になる。
が、それだけではない。
進歩が止まると、その瞬間から、脳みその底に穴があいたような状態に
なる。
知恵や知識が、どんどんと外にこぼれ出て行く。
つまりその時点から、進歩は止まるどころか退化する。
健康論に似ている。
究極の健康法がないのと同じように、究極の精神鍛錬法というのはない。
日常の運動をやめたとたん、その人の健康は、下り坂に向かう。

●現状維持

 だからただ精進あるのみ、ということになる。
死ぬまで運動。
死ぬまで学習。
が、いくらそれがわかっていても、このところそういう自分に疲れを
覚えるようになった。
それが冒頭に書いた、(重さ)につながる。

「だからそれがどうしたの?」と自問したとき、その答がはね返って
こない。
現状維持だけで精一杯。
だったら、この先、このまま生きていてどうなるのか、と。
ものごとを、そういうふうに考えてしまう。

●もうひとつの問題

 実は、私にはもうひとつ問題がある。
(表の私)とは別に、心の中にもうひとり、(抑圧された私)がいる。
この(抑圧された私)が、ときどき顔を出して、別人格になって現れる。
(表の私)を私Aとし、(抑圧された私)を私Bとする。

 私Aと私Bは、性格が正反対。
私Aは、さみしがり屋で孤独。
私Bは、自信に満ち溢れ(?)、孤独に強い。
ときとばあいに応じて、私Aが私Bになったり、私Bが私Aになったり
する。

・・・というか、自分で自分を使い分ける。
何かいやなことがつづくと、私は私Bになる。
心の中で、割り切ってしまう。
そういう点では、冷酷になる。

 が、本来の私は、私A。
自分でもそれがよくわかっている。
わかっているから、私Bであったときの自分を、よく後悔する。
「どうしてあんなことを、したのか!」と。

●束縛感

 では、どうすればいいか?
本来なら、自分にまつわる「糸」を取り外すのがよい。
子育ても終わった。
親の最期もみたし、実家にもケリをつけた。
「人」としてやるべきことは、すべてした。
が、いまだに束縛感を覚える。
その束縛感も、(重さ)につながっている。

 が、自由がよいかというと、そうでもない。
私の中には、私Aがいる。
その私Aが、迷う。
自由を求めながら、ではひとり(=独り)で生きていかれるかというと、
どうもその自信がない。
ないから、妥協する。

●あきらめ

 妥協は常に寛容を要求する。
「妥協」というのは、基本的に「自分をねじ曲げること」を意味する。
一方、「寛容」というのは、基本的に「相手を受け入れること」を意味する。
方向は逆だが、中身はよく似ている。

 ・・・ここまでを中学2年生のNさんに話したら、Nさんはこう言った。
「どちらも、あきらめることね」と。
鋭いことを言う。
しかしそれには多大なエネルギーを必要とする。
ふつうの人なら、それほど長くは耐えられない。
それに妥協するにせよ、寛容であるにせよ、そこにいたるには、長くて
苦しい人生経験が必要。
言葉の問題ではない。
つまり口先だけで、できることではない。

●総決算

 結局は私が感じている(重さ)というのは、人生の総決算としての
(重さ)をいう。
このところよく、「私の人生は何だったのか」とよく考える。
が、いつも答がない。
「何かをした」という実感がない。
ないまままた同じことを繰り返す。
「これではよくない」と思いつつ、一日が終わってみると、やはり同じ。
それが日々に、水垢(みずあか)のように、心の中にたまっていく。

 このやるせなさ。
この無力感。
だからといって、未来は暗いまま。

●死への希望?

 そういえば、数日前、映画評論家のX氏が自殺した。
日本テレビの11PMという番組の中で、映画評論をしていた。
スタジオのそでで、ときどき彼の評論を聞いたことがある。
が、年齢を聞いて、驚いた。
まだ66歳だったという。
当時は、私よりずいぶんと年上と思っていた。
「いろいろあったんだろうな」と思ったところで、思考停止。
「明日はわが身かな?」と思う。

 だからときどきこう思う。
「この重みから逃れるには、死ぬしかないのか」と。
まだ(重み)が小さいからよいようなものの、これが耐えられないほど
までに大きくなったら・・・。
私だって、「死ねば楽になれる」と思うようになるかもしれない。

●希死願望 

 毎年、自殺者が3万人を超えている。
そのうち40%以上が、40~50代の中高年層という。
最近は、60歳以上の自殺者がふえている。

 こうした自殺者についていうなら、これはあくまでも私の経験だが、2人の自分が、
心の中で葛藤する。
「生きなければ」と考える自分。
「楽になりたい」という自分。

こうした2つのエネルギーが真正面からぶつかったとき、行動が自暴自棄になる。
私のばあいは、無謀とわかっていても、炎天下、10キロ、20キロの道のりを
歩いたりする。
歩くことによって、2人の自分を忘れようとする。
が、この程度ならまだ軽症。
ひどくなると、明らかな自傷行為に走るようになる。
それが最終的には、自殺につながっていく?

●解決法

 ともあれ(重み)を感じたら、気分転換あるのみ。
気分転換をして、気分を晴らす。
「重い」「重い」と思っていると、かえってそれがどんどんと重くなってしまう。
またそう思ったところで、何も問題は解決しない。
へたをすれば、そのまま(うつ状態)に。

 旅行、温泉、買い物、人に会う……。
いろいろ考える。
「どれをするか?」という問題ではない。
片っ端から、すべてをする。

 ということで昨日(8月4日)は、30年来の知人の家で、数時間を過ごさせて
もらった。
それから孫の誠司に、DS・LLを買ってやった。
おとといの夜は、ドライブの途中でビジネスホテルに一泊した。
今の時期だと、2人で5800円(朝食付き)で泊まれる。
……などなど。
が、いちばん効果的なのは、子ども(生徒)たちと、ワイワイと騒ぐこと。
その瞬間、気分がカラッと変わる。

 どうであるにせよ、ともかくも、私は生きていかねばならない。
今までも、ずっとそうしてきた。
これからもそうする。
ということで、今日も始まった。
2010年8月5日、午前6時25分。
これから朝風呂に入る。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝、あれこれ(8月1日)Aug 1st 2010

●だまされた人(Those who are cheated.) 

+++++++++++++++++

だまされた人は、幸いなるかな。
損をした人は、幸いなるかな。
裏切られた人は、幸いなるかな。
それによって失った以上のものを、
心の中に蓄えることができる。

が、それにはひとつ、重要な条件がある。

だまされても、損をしても、
裏切られても、相手憎んではいけない。
恨んでもいけない。
ある賢者は、こう言った。

『人を憎む人は、ネズミを追い出す
のに、家に火をつけるようなもの』と。
解釈の仕方はいろいろあるだろう。
それよりも大切なことは、豊かな
人間性を失うことなく、前に向かって
生きていくこと。

憎んだり、恨んだりすれば、生き様が
どうしても後ろ向きになる。
その分だけ、「命」を損する。
その「損」は、金銭的尺度では、
計ることはできない。

++++++++++++++++

●中学生

 昨日、コンビニの前で、プリンターのインクセットが盗まれた。
盗んだのは、横に自転車を並べていた中学生だった。
私がトイレへ入る瞬間、私と視線が合った。
どこか不自然な目つきだった。
「?」と思ったが、私は何も考えずそのままトイレへ。
その間に、私の自転車のかごの中から、インクセットを盗んだ。
トイレから戻ってみると、それが消えていた。
値段は5000円前後。

 インクセットなどというものは、プリンターによって、みなちがう。
盗んだからといって、すぐ使えるものではない。
瞬間、頭にカチンときたが、つぎの瞬間、「あんなもの盗んでどうするのだろう」と思った。
「どこかで換金するつもりなのだろうか」とも。

●結果

 心の貧しい人は、どこにでもいる。
子どもの中にもいる。
ここに書いた中学生も、その1人。

まだ人生の入り口にも立っていなような子どもが、人の目を盗んで、ものをかすめる。
一度ゆがんだ心をもとに戻すのは、たいへん。
たいへんというより、不可能。
その子どもはこの先、「得をした」と思いつつ、それ以上のものを、失っていく。
損得論を金銭的価値だけで考えてはいけない。
心の世界で、考える。

おそらく死ぬまで、その中学生は自分の愚かさに気づくこともないだろう。
回り道に回り道を重ね、悶々とした気分で、自分の人生を終えるだろう。
私の周辺にも、似たような老人は多い。
結果として、そうなった老人は多い。

●回り道

 人生の真理などというものは、そんな遠くにあるのではない。
私たちの身の回りにあって、私たちに見つけてもらうのを、静かに待っている。
ウソをつかない。
ルールを守る。
たったそれだけのこと。
その日々の積み重ねが、月となり、年となり、やがてその人の人格となる。 

 もちろんその反対もある。
私はここで「回り道」という言葉を使った。
人生も永遠なら、多少の回り道も許される。
しかし人生には、限りがある。
一度回り道をすると、それを取り戻すのに、何倍もの時間と労力を無駄にする。
回り道が大きければ、取り戻す間もなく、この世を去る。
そういうことにもなりかねない。

●2つの心がけ

 ところで私は、つぎの2つのことに心がけている。
「心がける」ということは、言い換えると、私の精神的弱点ということになる。

(1)愚痴を言わない。
(2)ものごとにこだわらない。

 愚痴(Complain)も、こだわりも、うつ病を含む、もろもろの精神疾患の主症状である。
アメリカの精神医学会では、そう定義づけている。
つまり最近の私はささいなことにこだわり、愚痴をこぼすことが多くなった。
が、自分ではそれがわからない。
脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分で気づくのはむずかしい。
うつ病にしても、病識のある人はまだ症状は軽い。
「私はなんともない!」とがんばる人ほど、あぶない。

 だから愚痴を言わない。
ものごとにこだわらない、となる。

●人を選ぶ

 話を戻す。

 「回り道をしない」という生き方の中には、「人を選ぶ」という意味も含まれる。
というのも60年も生きてくると、その人の生き様は決まってくる。
言うなれば化石のように、脳の中で固まってくる。
よほどの人でないかぎり、たがいに感化しあい、浄化しあうということは、ありえない。

 たとえばそこに小ずるい人がいたとする。
小ずるいと、そこに「小」という文字を入れるが、小ずるい人ほど、性質(たち)が悪い。
堂々とワルを重ねる人のほうが、まだつきあいやすい。
わかりやすい。
善悪の節目をよく心得ている。

 が、小ずるい人には、その節目がない。
善人のフリをして、ワルを重ねる。
あるいはその意識すら、ない。
だからそういう人とつきあっても、得るものは何もない。
ないばかりか、大きな回り道をすることになりかねない。

 『50歳を過ぎたら、つきあう人を選ぶ』。
これはとても重要なことである。

●金の貸し借り

 金銭的尺度という言葉で思いついた。
もしあなたが、その人と良好な人間関係を保ちたいと願っているなら、金(マネー)の
貸し借りはしてはいけない。
貸しても、借りても、それ以後、うまくいくというケースは、10に1つもない。
だから私は、若いときからこうしている。

 金(マネー)にかぎらず、モノの貸し借りはしない。
ローンにしても、ツケにしても、1週間以内に完済する。
まただれかが金(マネー)を借りに来たときは、相手によって、2分の1から
10分の1を、与える。
たとえば100万円を借りに来たときは、10~20万円を与え、「返さなくてもいい」
と、はっきりと言う、など。

 貸してあげたからといって、相手は、決してそれを恩には思わない。
返済がとどこおれば、なおさらである。
たいていそのまま人間関係は、終わる。
相手のほうが、理由にもならない理由をこじつけて、遠ざかっていく。

●8月1日

 冒頭で、こう書いた。

「だまされた人は、幸いなるかな。
損をした人は、幸いなるかな。
裏切られた人は、幸いなるかな。
それによって失った以上のものを、
心の中に蓄えることができる」と。

 言い替えると、人をだましたり、裏切った人は、それなりに得をしたと思うかも
しれない。
しかしその一方で、もっと大切なものを失っていく。
そしてその失ったものは、生涯にわたって、取り返すことはできない。
そこに残るのは、悪臭漂う、腐敗した人間性。
あの中学生の末路は、そうなる。

 さて、今日から8月。
暑い日がつづく。
がんばろう。
がんばるしかない。
で、今月の目標。

『日々に精進あるのみ!』だ!


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●孤独

+++++++++++++++++

時事通信にこんな興味ある記事が載っていた。
いわく……

『家族や友人、隣人に恵まれた高齢者は、孤独な高齢者に比べ、生き延びる確率が1.5倍
も高いと、米ブリガムヤング大などの研究チームが2日までに米オンライン科学誌プロス・
メディシンに発表した。孤独であることは、アルコール依存症やたばこを1日15本吸うの
と同じぐらい健康に悪いという。

 この研究は、世界で過去に行われた148種類、計約30万8900人を対象とする長期調査
をまとめて分析し直した成果。調査期間が平均7年半で、対象者の平均年齢は約64歳。男
女ほぼ半々で、地域別では北米51%、欧州37%、アジア11%、オーストラリア1%だった。

 研究チームは、人付き合いがある方が生存率が1.5倍高いというのは、けんかばかりし
ているような人間関係も含んでのことと指摘。日常的に人付き合いがあることは、心理面
だけでなく、体の健康に直接メリットがあるという』(以上、時事通信、2010-8-2)。 

+++++++++++++++++

●疑問

 この調査結果を見て、最初に感じた疑問は、「生き延びる確率」。
「生き延びる確率」とは何か。

また「対象者の平均年齢は、約64歳」だったという点。
この2つを並べて考えてみると、いろいろに解釈できる。
できるが、どうも釈然としない。

 つまり「調査期間(7年半)の間に、死んだ人と生き延びた人を調べたら……」という
ことらしい(?)。
孤独が老人の精神生活によくないことは、常識的に考えても納得できる。
また精神生活が貧弱になると、健康生活も貧弱になる。
運動もサボるようになる。
それ以上に、生活から緊張感が消える。
これがもろもろの病気を呼び込む。

 平たく言えば、「この7年半の間に、孤独だった人ほど、より多く死んだ」ということか。
「孤独な人のほうが、そうでない人よりも、1・5倍も死亡率が高い」(?)。
しかし「64歳」という年齢も気になる。
私は現在62歳。
もうすぐ63歳。
私の年齢は、世間では、そういう年齢に見られているらしい。
生存率?
活躍率や健康率ではなく、生存率?
つまり「死ぬのが当たり前」という前提で、考えられている。
イヤ~ナ感じ!
こんな調査をするくらいなら、反対に「前向きに生きる人の生存率」を調べてほしい。
そのほうが、私たちには、役に立つ。
励みにもなる。

Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●半夏厚朴湯(ハンゲコウボク湯)と水野伝一東大元薬学部長

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ハンゲコウボク湯を毎夜、寝る前に
服用するようになって、もう13年になる。
一度、田丸謙二先生(東大元総長補佐、
元理学部長)が私の家に来てくれたとき、
「林君(=私)も、のみなさいよ」と
先生に言われたのが、きっかけだった。

服用といっても、耳かき一杯程度で
じゅうぶん、とか。
一袋あれば、私たち夫婦でも、1~2
週間はもつ。
ごく微量でよい。

田丸謙二先生と、東大の元薬学部長を
していた水野伝一氏とは、同じ鎌倉に
住み、鎌倉テニスクラブのメンバーだった
という。
(現在は、水野氏は老齢のため、離脱。
田丸先生が前会長を務めていた。)
天皇陛下も当時、ときどきそのクラブで
テニスをしている。

前置きはこれくらいにして、ハンゲコウボク湯には、
強力な抗ガン作用があるという。
何かの研究をしているとき、水野氏はそれを
発見したという。
以来、鎌倉テニスクラブのメンバーの中に、
「ハンゲコウボク湯信者」なるものが、続々と
生まれたという(以上、田丸先生談)。

以下は、どうか参考程度に、自己責任で判断、
服用してほしい。
あくまでも医師もしくは、薬剤師と相談して
服用してほしい。

もともとハンゲコウボク湯というのは、
胃腸薬、あるいは女性の精神安定薬として
知られている。
ごくありふれた漢方薬である。
漢方薬局へ行けば、どこでも売っている。

が、ここで登場するのが、丸山ワクチンを
開発した、丸山千里博士である。
水野伝一氏と丸山千里博士とは深い関係にある。
丸山ワクチン開発史をかいま読むと、ところ
どころに水野伝一氏の名前が出てくる。
ともにがんの免疫療法の研究者であった。

が、ここで疑問。
丸山ワクチンのことは知らないが、
ハンゲコウボク湯については、先にも書いた
ように、ごく微量でよいとのこと。
「耳かきいっぱい程度でよい」という。
1グラムの1000万分の1、あるいは
1億分の1でもよい、と。
「耳かき一杯」というのは、それだけでも
たいへんな量ということになる。

なぜか。

つまりこれらのワクチンや薬は、がんに
直接作用して、がんを治すのではないという
こと。
脳(脳下垂体)を刺激して、人間が本来もつ
免疫作用を引き起こす。
「ほんの微量でいい」という理由は、こんな
ところにある。
一般の抗ガン性をもつ薬剤とは、治療メカニズム
そのものがちがう。

ということで、すでに13年。
今のところ私もワイフも、がんにはなっていない。
この先のことはわからないが、「信仰」には、
別のパワーがある。
「私たちはがんにはならない」という確信が、
私たちをどこかで元気にしている。
(もちろん油断するのもよくないが……。)

以上、久しぶりに田丸謙二先生のことを
書いたので、この原稿をこれから先生に送る。
前回のメールでは、「近くドイツへ行く」と
あったので、今ごろはドイツかもしれない。
今年は、空中窒素の固定化を成し遂げた
ハーバー博士の~~祭があるという。
その席に、田丸謙二先生が招かれているという。

すばらしいことだと思う。
2010/08/02


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●田丸謙二先生より

林様:メール有難うございました。唯田丸謙二について間違いがあります。もう(テニス
クラブの)会長でもないし、テニスクラブもまだ五十何年くらい、最古でもないし水野先
生が理研と関係したのも初耳、などなど。但し現在の会長は彼の父親も兄弟も、六十二、
三で胃ガンで亡くなっていますが、彼はハンゲコウボクトウを信じて毎日服用し七十過ぎ
の現在も元気です。私も今でもちょいちょい気休めに飲んでいますが、私の弟子の一人は、
あれは間違いであると言っていました。専門家の中では信じられていないみたい。
くれぐれもお元気で。
田丸謙二


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

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