Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, August 12, 2010

●インチキ育児書

●インチキ育児書(Fake Books)

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もうあれから20年以上になろうというのに、
いまだにインチキ育児書が後を絶たない。
いったい、これはどうしたことか。

ありのままを正直に書く。
書くというとりは、告白する。
実は私も20代のころ、そのインチキ本を
書いていた。
手法は、こうだ。

(1)まず有名になりたがっている専門家を探し出す。
すでに有名な専門家でもよい。
私のばあいは、医学関係者が多かった。
分野は東洋医学。
が、私が探し出すということは、ほとんどなかった。
たいてい出版社のほうが、探し出してくれた。
「林さん(=私)、1冊、またお願いします」と。

(2)おかしなことに、私自身が、その専門家と
言われる人に直接会うということは、めったになかった。
(編集会議のような席に招かれるということは
あったが、そのばあいでも、「あなたは発言しないように」
という釘を刺されることが多かった。)
間に出版社が入る。
私は出版社の一員として、動く。
その出版社が、たとえば「痩身法について、漢方的な
見地から本を書いてほしい」という依頼をしてくる。

私はプロット(あらすじ)を書き、見本として、
50~80枚ほどの原稿を添える。
それを出版社に送る。

(3)しばらくすると出版社のほうから連絡が入る。
「~月~日ごろまでに、400字詰めで、300~400
枚、書いてほしい」と。
そのとき別の資料を渡されることがある。
その資料を、文章の中にうまく組み込む。

(4)私は注文通りの原稿を書く。
それを出版社のほうで推敲し、加筆、訂正する。
この段階になると、私はすでにノータッチ。
本というのは、そういうもの。

構成を専門にする人。
校正を専門にする人。
イラストを描く人。
さらにリライトする人などなど。
表紙デザイナーという人もいる。
そういう人たちの手を経て、本はできあがっていく。

今でもそうだが、出版社には、大きくわけて
2つの部門がある。
出版部と営業部。
営業部は、本を売ることだけを考える。
言い替えると、「売れる本」だけを考える。
中身ではない。
が、その営業部の意向を無視して、本は出せない。
営業部が「NO!」と言ったら、そこで作業は
中断する。
停止する。

(5)こうした関門をくぐり抜けて、「本」は世に出る。
それなりに出版社も、投資する。
単行本1冊、初版1万部前後で、500~600万円の
コストがかかる(当時)。
(本の制作だけなら、150~200万円が相場だった。)
私が書いた本で、1億円もかかった本がある。
プラス、広告宣伝費。

で、私はこうして20~30冊以上の本を書いた。
(どの程度まで私が介入したかによっても、
冊数は異なってくる。
「テープ起し」と言って、テープレコーダーに吹き込まれた
声を、原稿になおすこともある。)

出版社は新聞広告を出し、自前の雑誌を使って
その本を紹介する。
そのあと出版社は、「買い取り」という名目で、
私に原稿料を払う。

(6)「ならば自分で本を書けばいいではないか」と
思う人もいるかもしれない。
しかし実際には、不可能。

よほどの特異性がなければ、出版社のほうが話に
乗ってこない。
とくに育児書のような広汎性のある分野はそうで、
昔も今も、「有名」であることが第一条件。
「親に安心感を与えない本は売れない」というのが、
当時の、(今でもそうだが)、常識だった。

裏を返していうと、私のような、「どこの馬の骨かも
わからないような人間が書いた本は、売れない」。
私も自分の立場を、よく心得ていた。
が、30歳になるころ、私はその世界から足を洗った。
つまり代筆業をやめた。

(7)で、それから20年あまり。
今度は逆の立場で、執筆依頼が入るようになった。
「先生(=私)の本をまとめさせてください」と。

私が若いころとはちがって、最近ではフリーの若い
ライターが直接、そういう依頼をしてくることが多い。
「先生の原稿をまとめて、本として出版させてください」と。

もちろん個人のライターだけではない。
10年ほど前には、日本を代表する育児書の専門出版社
からも、依頼があった。
ここから先は、その出版社にとっても名誉にかかわる
問題だから、正確に書く。

X社という出版社だった。
いわく、「育児書を書いてください。
本は、R先生の名前で出します」と。

R氏というのは、当時日本を代表する幼児教育家だった。
すでに何十冊という本を、書いていた。
ただ年齢はすでに80歳を超えていた。

私は、断わった。
私が書けば、どうしても(はやし浩司の思想)がそこに
混入してしまう。
育児書というのは、いわば哲学書のようなもの。
書き手の育児観のみならず、人生観、生き様、思考性
が、そのまま混入する。
文体だって、そうだ。
私には私の、独特の文体がある。

つまりR氏の名前で本を書けば、以後、私が書くものが
すべて「盗作」「盗用」ということになってしまう。
私は断わった。

(8)が、それから1年……。
たしか半年あまりたったある日のことだった。
ある書店に入って、驚いた。
ワゴンセールといって、そのR氏の書いた本が、
平積みになって、ずらりとそこに並んでいた。

私が受けた依頼と同じタイトルの本もあった。
「ああ、あれだな……」と思って本を開くと、
まず文体が、へん。
おかしい。
とても80歳を超えた老人の書いた文章とは思えなかった。

しかも何冊かの本を読み比べてみたが、どれもタッチがちがう!
文章というのは、それを書く人の個性が強烈に出てくる。
ゴッホとセザンヌのタッチがちがうように、書く人に
よってタッチがちがう。
もちろん漢字の使い方、言い回しのしかたもちがう。
そのタッチが、みなちがっていた。

(9)こうしてインチキ本は生まれるが、超有名な教授ともなると、
出版社の中に、その教授専門の部課をおくところもある。
私がよく出入りしていた、N社にもあった。
担当者も特定されていた。

そういう出版社は、その教授と太いパイプでつながれている。
本だけではなく、その出版社は、自社が出すワークブックにも、
その教授の名前を使っていた。
「X教授監修」とか何とか。
たいていはワークブックができあがったあと、電話一本で
了解を取りあっていた。

おそらく……というより、ワークブックが完成するまで、
その教授は、原稿を見ていないはず。
できたあとも、どんなワークブックかも、知らないだろう。

(10)で、こうした出版方法は、今でも、日本の出版界を
牛耳っている。
どこかの医師が突然、育児書を出したりする。
80歳を過ぎた老人が突然、育児書を出したりする。
私がいくら逆立ちしても、内科の本が書けないように、
内科医に育児書など書けるはずがない。
しかしこの世界は、本当に不思議な世界。

「育児書というのは、だれでも書けるもの」という迷信すら
はびこっている。
「医者なら育児書だって書けるはず」と。

何度も書くが、育児書というのは、そこに子どもがいなければ
書けない。
また書けるものではない。
幼児や子どもを教えたことがない人が、どうして育児書を
書くことができるのか。

先にあげたR氏は、すでに亡くなっているが、そのR氏はある本の
前書きで、こう書いている。

「私は3人の孫を通して、育児を学びました」と。

たったの3人!

(11)で、最近、ある雑誌広告を見て、驚いた。
私は若いころ、ある教授のためにワークブックを書いた
ことがある。
1冊や2冊ではない。
シリーズとして書いた。
当初は、私の名前が末尾に載っていたが、途中から、その
教授だけの名前になった。
そういうワークブックが、一時は、書店の一角にズラリと、
並んだこともある。
その教授が、またまた育児書を書いた。
年齢はすでにかなりの年齢になっているはず。

「すばらしいエネルギー」と感心する前に、「まだやっているな」と。
私はそう思った。

が、それにはこんなエピソードがある。

(12)私はそれまでもっぱら幼児向けのワークブック
の制作に、かかわっていた。
そんなある日のこと。
書店で、その教授(当時)の書いたという本を立ち読みした。
名前をK教授と言った。
当時、K教授の名前を知らない人はいなかった。
テレビにもよく顔を出していた。
とたん、体中が燃えるように熱くなったのを覚えている。
その本の中には、こうあった(一部改変、記憶によるもの
なので、不正確)。

●夫婦喧嘩は子どもの前でせよ……意見の対立を教えるよい
機会である。
●遊園地では子どもをわざと迷子にせよ……親子の絆を深めるの
によい機会である。
●家のありがたさをわからせるためには、2、3日、家から
子どもを追い出してみるとよい、などなど。

とんでもない本である。
どうとんでもないかは、(まともな)あなたならわかるはず。
もしあなたの子どもが、夕方まで行方不明になったら、あなたは
どうするだろうか。
またそれが私が本を書くきっかけとなった。

(13)その同じK教授(現在は元教授)が、またまた育児書を
出したという。
何10万部を超えるベストセラーを何冊ももっている人だから、
巨億の富を蓄えたはず。
そんな人が、またまた育児書を出した。

ここでは確定できないが、20年前、30年前の手法を使って
いるのだろうか。
それとも昔書いた本の、焼き直しなのだろうか。
その前に、こうしたK教授は、どこでどのように親や子どもたちと
接点をもっているのだろうか。
本当に自分で書いたのなら、よし。
そうでないなら、そうでない。

雑誌の広告だけなので、何とも判断しかねるが、「?」マークだけは、
何10個も並ぶ。
一度、書店で立ち読みをしたあと、自分なりに判断してみたい。
あるいは今でも、あの(とんでもない自説)を主張しているのだろうか。

そう言えば、当時、「子どもにはナイフをもたせろ」と説いた育児評論家
もいた。
「親子の信頼感を育てるのには、よい方法である」と。

つまり子どもにナイフをもたせることによって、「お前を信じている」
という親の意思表現になる(A新聞社文庫)、と。
その評論家は、「証(あかし)になる」と、「証」という言葉を使っていた。
が、ナイフによる殺傷事件が学校内部でつづくと、その評論家は自説を
ひっこめてしまった。

またその評論家は、親子ともどもで麻薬を吸引していたとかで、逮捕
されている。
数年前のことである。

(14)だからといって、私が正当派というわけではない。
私にも迷いはある。
まちがいはあるだろうし、今書いていることだって、この先、変わって
いくかもしれない。
しかし私はつねにそこにいる子どもたちに問いかけながら、こうして
文章を書いている。
研究室の奥で、空想だけでものを書くというのは、少なくとも私の
やり方ではない。

(15)……ということで、私の愚痴はここまで。
この世の中、要領のよい人は、楽に生きていく。
金を儲けていく。
そうでない人は苦労ばかり。
損をする。
こんなことは本来あってはいけないことだが、日本という
国は、まだそういう国とみてよい。

教授といっても、名ばかり。
たいした研究もせず、肩書きを切り売りして生きている。
そういう教授も、少なくない。
が、本当の被害者は、そういう本を読み、踊らされる親たち
ということになる。

ちなみに、あなたも遊園地で自分の子どもを、わざと迷子に
してみればよい。
それであなたと子どもの信頼関係は、こなごなに崩れるはず。
子どもの心にも、深い傷を残す。
相手が幼児であれば、それがきっかけで情緒障害児の引き金
を引くことにもなりかねない。

……ということで今朝は久々に、軽い怒りから始まった。
8月13日。
今日の予定はとくにないが、午前中に行かなければならない
ところが、2か所ある。
体はややだるいが、がんばるしかない。
がんばります。

おはようございます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 インチキ本 インチキ育児評論家 インチキ作家 インチキ育児書 夫婦喧嘩は子どもに見せろ)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司