Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, September 18, 2010

●子どもの心(冷たい子どもと温かい子ども)

●心が温かい子どもvs冷たい子ども

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その子どもの心が温かいか冷たいかは、
ほかの子どもたちと比較してみてわかる。
それもしばらくつきあってみて、わかる。
温かい子どもは、温かい。
冷たい子どもは、冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。

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●心の温かさ

 親のゆったりとした愛情に包まれ、穏やかな環境で育てられた子どもは、
心が温かくなる。
他人にやさしく、話していてもほっとするような親しみを覚える。
相手が3、4歳の幼児でも、それがわかる。
一方、そうでない子どもは、そうでない。
中には、ぞっとするほど、心の冷たい子どもがいる。

功利的で打算的。
自分勝手でわがまま。
心に余裕がなく、いつもピリピリしている。
「心」そのものが破壊されている。

ただ心の温かい子どもとちがって、幼児期にはそれはわからない。
「?」と思うことはあっても、確信はもてない。
が、小学校の3、4年生ごろになると、それがかなりはっきりしてくる。

 で、原因は親にある。
そう断言してよい。
親自身も、冷たい。
その冷たさが、子どもにそっくりそのまま伝わっている。
だからこの問題だけは、親に話しても、無駄。
親自身が、それで「ふつう」と思っている。
またそれで「よし」としてしまっている。

●自覚?

 受験期に子どもの心は大きく変化する。
それはよく知られた現象で、これは私の憶測でも何でもない。
が、その現象が、最近では小学校の高学年でも見られるようになった(静岡県地域)。
中高一貫校の入試が定着すると同時に、それが顕著に見られるようになった。
それ以前(2000年以前)には、めったに見られなかった。
つまり受験競争の低年齢化とともに、変化の時期も早まった。
早い子どもで、小学3~4年生。
どこかの進学塾の夏休みの特訓教室に通っただけで、そうなる子どももいる。

 目つきそのものが鋭くなる。
そうした変化をとらえて、親は、「やっと自覚ができました」と喜ぶ。
しかし……?

●食い散らし

 これから思春期、あるいは思春期の入り口にも入っていない子どもが、こうした
変化を見せることは、悲劇的ですらある。
人間性の完成期というよりは、その方向性が、そこで決まってしまう。

 仮にここでX君を考えてみる。
小学4年生。
架空の小学生である。

 親からかなりきびしい勉強を強いられている。
そのため勉強は、好きではない。
「いやいや」というほどではないが、「何となく……」という程度には勉強している。
この時期の子どもは、まだ親に従順で、自分でその方向性を決定することができない。
つまり反抗するだけの「力」が、まだ育っていない。
だから進学塾にしても、親が決めたところへ通う。

 現在、かけもちで3つの進学塾と学習塾に通っている。
日によっては、それが重なることもある。
が、こうなると(食い散らし症状)が現われてくる。
高額な月謝を払いながら、ものを食い散らすように、いいかげんな学習態度になる。

●バリバリの受験生

 こうしたX君の親には、独特の教育観がある。
「うちの子は、やればできすはず」という価値観である。
あるいは「やらせれば、できるはず」でもよい。
そのため子どもの意思は無視。
人格も無視。
親が先導して、子どもの日常的な行動を決めてしまう。

 先にも書いたように、この手法は小学3~4年生くらいまでなら、まだ通用する。
しかし中学生には通用しない。
もしそれが通用するというのであれば、子どもの発育程度に、かなりの問題があると
みてよい。
ふつうの子どもなら、(「ふつう」という言葉は、慎重に使いたいが……)、それに
抵抗する。
親子の関係は断絶し、子どもは非行に……というケースも少なくない。

 が、それでも何とか親の期待通りの子どもに育っていくケースもある。
つまりこうしてバリバリの受験生が育っていく。

●韓国の異常性

 頭の中は点数だらけ。
勉強のことしか、頭にない。
やることは、勉強だけ。
できることは、勉強だけ。
点数で他人を判断し、点数で自分を判断する。
何かにつけて、(数字)が優先する。

 こうした異常性は、その中に住んでいる人にはわからない。
たとえば隣の韓国。
国自体が、受験国家。
毎日の新聞(朝鮮N報、東亜N報)をみても、「順位」が並ばない日はない。
たまたま今朝(9月18日)も、朝鮮N報のトップ記事は、「先進化31位」。

『……まず、ソウル大学国際大学院の文輝昌(ムン・ヒチャン)教授が、「2010国家先進化指数の研究結果」について発表した。これは、経済開発機構(OECD)加盟30カ国を含む世界の主要40カ国・地域を対象に国家先進化指数を調べたもので、韓国は総合31位と中下位圏にとどまった。アジアでは中国(39位)を上回ったが、香港(18位)や日本(21位)、シンガポール(22位)、台湾(39位)に比べ低かった。韓国は2008年の同調査で30位、09年には29位だった』(記事より一部、転載)と。

 つい先日は、『現代車が、アメリカでの評価順位で、ホンダを抜いた』とか何とか。
順位が気になって仕方ないらしい。

「国」といっても、「民」が作る。
現在のエリートたちは、これまたはげしい受験競争をくぐり抜けてきた世代。
そうした結果が、こうした(異常性)となって、現われている。
(もちろん韓国のエリートたちは、自分が異常とは、思っていないだろうが……。)

●脳のCPU

 「心」というのは、一度壊れると、修復がたいへんむずかしい。
一生、不可能とさえ、断言してもよい。
温かい人が何かのきっかけで冷たくなるということは、ある。
しかし冷たい人が、そのあと、温かくなるということは、まず、ない。
そのことは、ほんの少しだけ、あなたの周辺の人たちを観察してみればわかるはず。

 つまりあなたの周囲にもいろいろな人がいる。
が、概して、受験競争とは無縁だった人ほど、心が温かい。
人間的な温もりを残している。
が、はげしい受験競争を通り抜けた人ほど、心が冷たい。

 ただしこの問題だけは、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいるため、
本人がそれに気づくことは、まずない。
価値観、人間観、プラス心そものが、ずれている。
世渡りがうまく、要領もよい。
ずる賢く、ささいな理由を見つけては、自分を正当化する。
むしろ「私は義理堅い、人情味あふれる人間」と思っているケースが多い。

●孤独

 心が冷たい人間に与えられる「罰」は、「孤独」という罰である。
この孤独感が、いつもついて回る。
つまり(心の冷たさ)と(孤独)は、紙の表と裏ということになる。

……とまで断言するのは危険なことだが、(というのも「孤独論」は、それ
自体、別の次元のテーマであるので)、心の冷たい人は、いつも孤独と葛藤する。
心の隙間を埋めることができない。
名声とか、地位とか、経済力にだまされてはいけない。
人が周囲にたくさん集まっていたとしても、それがその人の人格によるものとは
かぎらない。
むしろ社会で「成功者」と呼ばれている人ほど、心は冷たい。
また冷たくないと、この世界では成功者になりにくい。

 「なぜ、私は孤独なのか?」と悩んでいる人は、一度、自分の心の中をのぞいて
みるとよい。
原因は、あなた自身の、あなた自身が気がつかない心の奥深くにある。
あなたを知る人は、あなたの冷たさを知り、そして去っていく。

●子どもたちへ(親たちへ)

 子どもを受験競争に追い立てるとしても、心までつぶしてしまってはいけない。
そんなことをすれば、一抹の「成功」(?)を手に入れることはできるかもしれないが、
それ以上にたいせつなものを、失う。

 先にあげたX君。
どこの学校の、どのクラスにも、2~3人はいる。
実際には学年を追うごとに、もっと多くなる。
皮肉なことに、有名進学校と呼ばれる高校や中学ほど、多い。
その結果、どうなるか。

 先日、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)にこんな記事を書かせてもらった。
それをこの稿の結論としたい。

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「ファミリス・Q&Aより」

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相談:中学3年生の父から
 いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なことも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
 自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかっているのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。

A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。

そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、どうしてそんなことが言えるの!」と。

 内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。

 そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばかり見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配をしなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取らされますよ。

しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には「親のために大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。

あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さないこと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿勢が、かえって親子の絆を太くします。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心の暖かい子供 心の温かい子供 冷たい子供 冷たい子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司