●人生の密度
【今日も終わった】(2010年10月19日)
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午前中は、『ファミリス』(静岡県教育委員
会発行雑誌)の原稿書きに集中した。
短い原稿だったが、フルパワーで書いた。
真剣勝負で書いた。
「子育てQ&A」という、雑誌の中でも、
最末部の、目立たないところ。
12月号に、掲載されるという。
書き終えたとき、フーッと息が漏れた。
(どうか、「ファミリス」12月号を読んで
ほしい。)
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●人間関係
「悪妻をもてば、夫は哲学者になる」と、あのソクラテスは言った。
このことからもわかるように、ソクラテスの妻は、相当な悪妻だったらしい。
同じように、「愚息をもてば、親父(おやじ)は教育者になる」でもよい。
「愚息をもてば、親父は勤勉になる」でもよい。
もう少し深刻な話になると、「問題児をかかえると、母親は崇高になる」でもよい。
が、反対にこうも言える。
「ダメ親父をもつと、子どもは人格者になる」
「できのよい息子をもつと、親父は堕落する」
あるいは、「ダメ夫をもつと、妻は虚栄に生きるようになる」でもよい。
いろいろな例をあげたが、実際にはいろいろなバリエーションがある。
悪妻をもった夫が、うつ病になるケースもある。
同じように悪夫になるケースもある。
ダメ夫をもって、その分だけ、妻が努力家になるケースもある。
化学反応のように、結果がいつも同じとはかぎらない。
しかしこれだけは共通している。
その「人」は、周囲の人間関係の影響を受けて、大きく変化する。
●結婚37年目
で、私たちはもうすぐ結婚37年目を迎える。
37周年と書くべきか。
その37年を振り返ってみると、こんなことがわかる。
私はワイフによって作られ、ワイフは私によって作られた、と。
たがいに大きく影響しあった。
が、私は始終、悪夫であった。
自分でも、それがよくわかる。
欠点をあげたら、キリがない。
ワイフは、それによく耐えてくれた。
たいへんだっただろうと思う。
その結果、私より、はるかに人格者になった。
つまり「悪夫をもてば、妻は人格者になる」。
●満63歳までに・・・
「63歳になったら、~~しよう」というのは、前向きな考え方とは
言わない。
「先送り主義」という。
できることは、今すぐ、する。
明日に回さない。
明日に残さない。
今の私について言えば、63歳までに、すべてをする。
その63歳まで、あと1週間!
(1) 山荘の周囲の草を刈る。(除草剤もまく。)
(2) 教室の看板を完成させる。
(3) 11月の旅行の予定を立てる。(昼神温泉へ行く。)
(4) 友人が病気なので、見舞う。
(5) 義兄に会いに行く。
(6) 「ポケモン・カルト」を、HPに載せる。
●密度
要するに生き方によっては、1週間を、1か月にして生きることもできる。
1年は無理としても、数か月分にして生きることはできるかもしれない。
まずいのは、その反対。
明日も今日と同じ・・・という生き方を始めると、あっという間に
1日が終わり、1週間が終わる。
1年が終わる。
たとえば私の母は、最期は、特別擁護老人ホームで1年を過ごした。
その母を振り返ってみると、あの1年は、何だったのかということになる。
思い出という思い出がない。
何もない。
あるとすれば、あの椅子に座って、ぼんやりとテレビをながめていた
あの母の姿だけ。
時間の長さは、時計では決まらない。
密度。
密度によって、決まる。
●忙しい
が、密度といっても、忙しいだけではだめ。
昨日もサイクリングの途中で、行きつけのソバ屋へ寄った。
味がよい。
安い。
その店に、小柄の若い女性がいる。
美しい顔立ちの女性で、たいへんよく働く。
昼時になると、体を始終動かしている。
その店へ行くたびに、私はこう思う。
「もし私が豊田佐吉なら、自動ソバ揚げ機というのを作るだろう」と。
ソバがベルトコンベアーの上に乗って、最後は自動的にどんぶりの中に
落とされる。
そこへダシ汁が流される・・・。
つまり・・・その女性には悪いが、忙しいというだけでは、その時間を
長く生きたことにはならない。
●感動
長く生きるためには、感動が必要。
感動が、時間を長くする。
つまりそのつど感動を作る。
用意する。
わかりやすく言えば、ドラマ。
そのドラマこそが、人生を長く生きる秘訣ということになる。
が、ここで問題が起きてくる。
老後になると、生き方そのものが保守的になる。
ドラマが少なくなる。
つまり時間が短くなるのではなく、自らドラマを避けるようになる。
それが密度を薄くする。
言い換えると、長く生きるためには、冒険心を忘れない。
失敗を恐れない。
さらに言えば、年齢は関係ない。
年齢を忘れて・・・といっても、それはかなり難しいが、やりたいことをやる。
●モノより思い出
ところで私も、50歳を過ぎるころから、こんなことに気づいた。
それまでの私は、「モノ」を大切にした。
こだわった。
が、50歳を過ぎるころから、「モノより思い出」と。
たとえばあまったお金が、5万円あったとする。
その5万円で何を買うかと選択を迫られたら、モノではなく、できるだけ
思い出に使う。
わかりやすい例として、旅行がある。
あるいは知人や友人に喜んでもらえるようにする。
さらに付け加えるなら、思い出は、外見ではなく中身。
中身を重視する。
たとえば質素な服装でホテルへ入ったとする。
そういうときホテルの従業員によっては、客を服装で判断する人がいる。
露骨に態度を変える従業員もいる。
(東南アジアのホテルでは、どこも露骨に態度を変える。
これは余談。)
最初は気になるが、中身に徹してくると、やがてそれがわからなくなる。
無視できるようになる。
こうして中身の追求をはじめる。
●残り火
少し前までは、こう考えた。
モノを買うときも、「あと~~年、もてばいい」と。
その私が、今は、モノに対して、ほとんど興味を失ってしまった。
たとえば若いころは、骨董品を買い集めた。
浮世絵を買ったこともある。
置き物としての石を、何十個もまとめて買ったこともある。
しかし今は、そういうことに関心がなくなってしまった。
むしろ、虚しさを覚えるようになってしまった。
で、今は、身のまわりのモノを、知りあいや生徒、生徒の親たちに、
惜しげもなく配っている。
先月は生徒たちに、金メッキだが、中身は純銀の杯(さかずき)を、12個
あげてしまった。
「死」というものを考えると、モノに対する考え方は、確実に変わってくる。
モノだけではない。
名誉にしても、そうだ。
若いころは、有名になりたいと思った。
しかし今は、ほとんど、ない。
少しはまだ残り火のように燃えているが、ほとんど、ない。
●お金
ついでにお金の問題。
私のばあい、もっとも稼いだのが、20代の後半から、30代。
それ以後は、ジリ貧というか、下り坂。
今では毎月のやりくりだけで、稼いだお金は消えてしまう。
しかし思い出の中身は、お金では決まらない。
もっともこんなことは常識。
あえて私が言うべきことではない。
先日も、カツ丼屋へワイフと入った。
どうしてか理由はわからないが、かつ丼屋の料理は、どこも量が多い。
量の多さで、競いあっている(?)。
で、私とワイフは恐る恐る、店員さんにこう聞いた。
「子どもランチでも構いませんか?」と。
すると店員さんはにこやかに笑いながら、応諾してくれた。
「いいですよ」と。
私とワイフは、かつ丼と、「お子様ランチ」という名前の
子どもランチを分けあって食べた。
それが楽しかった。
店を出て、「お子様ランチを食べたのは、生まれてはじめて」と言って、
笑いあった。
●失敗
・・・それにおいしい料理を食べるだけが、思い出ではない。
まずい料理を食べるのも、これまた楽しい。
そのときはいやな思いをするが、あとになると楽しい。
笑い話となって、はね返ってくる。
つまり人生もそれに似ている。
うまくいったときは、楽しい。
しかし同じように、失敗も、これまた楽しい。
最近した失敗の中で、これは・・・?、というと、ハハハ、どうしても
ウンチやオナラの話が多い。
いろいろあった。
ワイフに言わせると、私はミスター・ビーンそっくりだそうだ。
ヘマやドジばかり、している。
●これで死ねる
そういう私だが、このところひとつ、心境に変化が現れ始めた。
「死」に対する考え方が、少しずつ変わってきた。
先日も山荘の廊下を歩いているときのこと。
ふと振り向いたとき、ズキンと激しい痛みが後頭部を襲った。
一瞬、床に座り込むほどの痛さだった。
そのあたりにある神経が、まとめてひねられるため、そういう痛みに
なるらしい?
ともかくもその瞬間、私は、死ぬのがこわいと思うよりも先に、「ああ、
これで死ねるかもしれない」と、そんなふうに思ってしまった。
どうしてだろう?
やりたいことは、まだ山のようにある。
やり残したことも多い。
その私が、「これで死ねる」とは?
ひとつには、こうした負け戦に疲れを覚え始めていること。
消耗戦。
先の見えない袋小路。
ぶつかっても、ぶつかっても、開かないドア。
楽になりたいとは思わないが、どうせ楽にはなれない。
死ぬまで、こうして闘うしかない。
働くしかない。
●今日のできごと
実は今日、こんなことがあった。
ここに書くのもつらい。
つまり1人の生徒を退塾させた。
内容については、書けない。
私はあやうく失明するところだった。
ふだんはすばらしい子どもなのだが、魔が差した?
コンパスのゆるみをなおすために、細いドライバーをもってきた。
ゆるみをなおしてやった。
そのあとのこと。
……。
やはり今は、ここには書けない。
似たような事件は、この30年間に、数度あった。
ひとつは、飲んでいるお茶に殺虫剤を入れられたこと。
私がトイレに行っている間のできごとだった。
トイレから戻ると、何人かの生徒(中学生)がニヤニヤと笑っていた。
「?」とは思ったが、そのあとそばにあったお茶を飲んだ。
そのときのこと。
J君という男子が、こう言った。
「へんな味がしなかったア?」と。
ピンときた。
「お前ら、何をした!」と聞くと、悪びれた様子もなく、こう言った。
「殺虫剤を入れておいた」と。
私はその場でJ君を、退塾処分にした。
もう一度は、M君というやはり中学生だった。
M君と対峙してすわり、M君の話を聞いていた。
M君は学校での話をしていたと思う。
私は目を閉じ、「そうか、そうか・・・」とうなずいていた。
その瞬間のこと。
何を思ったか、M君が、私の顔と机の間に、もっていたシャープペンシルを
立てた。
とたんシャープペンシルの端がメガネにガチンと当たり、眉毛の内側の
付け根に突き刺さった。
顔をあげると、噴水のように赤い血が飛び散った。
私はM君を怒鳴りつけると、そのまま退塾処分にした。
子どもたちの間には、「椅子引き」という危険な遊びがある。
相手が椅子に座ろうとした瞬間、その椅子を引く。
それと似た悪ふざけということになる。
が、こういうケースのばあい、子どもというのは、どういうわけか、
相手の目をねらってくる。
しかも突発的というか、ゲーム感覚?
ほかにもいくつか、ある。
「こんにちは!」と声をかけ、肩をたたいたとたん、私の腹に足蹴りを
してきた女児(小5)もいた。
「このヘンタイ野郎!」と。
数発、ドシッドシッと腹に当たった。
私は息ができなくなり、その場に倒れた。
その女児は、空手道場に通っていた。
●責任
こういう子どもたちに出会うと、心底、自分のしている仕事が情けなくなる。
今日もそうだった。
ほんの一瞬、顔の動きを止めたからよかったようなもの、もしその
まま顔をその子どものほうに向けていたら・・・。
今ごろ私は、救急病院で目の手当てを受けていることだろう。
で、そのことをワイフに話しながら、こう聞いた。
「そういうとき、親は責任を取ってくれるのだろうか」と。
それに答えて、ワイフは「それはあなたの専門でしょ」と。
私「しかしぼくだったからよかったけど、もし相手が別の子どもだったら、
ぼくの責任になるよ。管理者責任というのだ」
ワ「そうね・・・」
私「相手の子どもが失明したら、それこそたいへんなことになるよ」
ワ「そうね。相手の親は、あなたに責任を求めてくるでしょうね」
私「・・・そうなんだよ。だからこのタイプの子どもは、こわくて
指導できない。ぼくの仕事には、保険がきかない」と。
●退塾処分
私はその子どもを、その場で退塾処分にした。
悲しい気持ちだった。
やりきれなかった。
親は、もっとつらがるだろう。
それはわかっているが、冗談ですますことができるような事件でもなかった。
私はその子どもにこう言った。
「君は頭はよいかもしれないが、中身はバカだ。
本物のバカだ。
いいか、バカなことをする人をバカという。
頭じゃ、ない。
この言葉を一生、脳に刻んでおくといい。
二度と、こんなバカなことをしないためにね」と。
●気分転換
夜、仕事が終わってから、その子どもの家に電話をかけた。
しかしだれも出なかった。
それを知って、電話を切った。
が、気分はよくなかった。
だから時刻は10時を回っていたが、山荘へ向かうことにした。
親への一応の説明は、ワイフにさせた。
ワイフもその場に、助手として、いた。
一連のできごとを、横で見ていた。
迎えに来ていたその子どもの母親は、「家でもよく叱っておきます」と
言って去っていったという。
生徒といっても、長く教えていると、自分の子どものようになる。
つまりそういう子どもにしたのは、私の責任でもある。
またそういう雰囲気にしたのも、私の責任。
ときとして私もハメをはずす。
それがときとして、子どもたちに誤解される。
やりきれない気持ち。
しかし私にはそれしかほかに、選択の余地がなかった。
さようなら、M君!
君は本当は、心のやさしいすばらしい子どもだよ。
これからは気をつけようね!
●おやすみなさい!
・・・ということで、ともかくも私は生きてきたし、今も生きているし、
これからも生きていく。
小さなドラマも、いくつかあった。
が、「ここで終わります」と宣言するわけには、いかない。
もうすぐ満63歳。
勝負はこれから。
体力を維持し、自分の限界にいどむ。
寿命という限界に、いどむ。
そこにあるのは、エベレストよりも高い山。
その「山」にいどむ。
・・・とりとめもない話を書いてしまった。
63歳の決意というよりは、ダラダラの駄文。
とにかく明日もがんばろう。
ワイフは、すでに私の横でいびきをかいている。
あごの下のシワを数えたら、首の上から下までだけで、7本もあった。
すっかりバーさんになってしまった。
のんきな女性で、明日のことは何も心配していない。
「いい性格だなあ」と思いながら、今日もこれでおしまい。
新しい発見は、今日はなし。
では、みなさん、おやすみなさい!
2010年10月19日、11:40PM
●追記
小雨が降っていた。
時計を見ると、午前7時。
作業服の上に雨合羽を着た。
草刈機を用意すると、それにガソリンを入れた。
道路に面した土手の雑草が、大きくなっている。
それが道路側にはみだしている。
それを道路側から、バリバリと切り倒していく。
その爽快感は、それをしたものでないとわからない。
が、雨がひどくなって、途中でギブ・アップ。
時間にすれば、30分ほど。
あとは朝風呂に入って、恐る恐る体重計にのる。
62・8キロ。
ややオーバー。
「今日も減食(ダイエット)だな」と。
・・・あとはのんびりとした朝。
風もない。
風呂から出ると、雨もあがっていた。
たった今、カラスが谷の下を横切った。
遠くの山々は、白いモヤに包まれている。
さあ、これから家に帰って、仕事。
ワイフが「外は寒いわね」と言って、窓を閉め始めた。
はやし浩司 2010-10-20
(補記)
新発見!
こうして「はやし浩司 2010-10-20」と書いておくと、
つぎから自分の日記を、ヤフーやグーグルを使って、日付で検索できるようになる。
これから自分の書いた原稿の末尾には、こうして名前と日付を入れることにした。
GOOD IDEA!
Hiroshi Hayashi++++++Oct 2010++++++はやし浩司(林浩司)
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