●私は自己愛者?
●10月28日(Happy Birthday to Me!)
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今日は、私の誕生日。
満63歳!
おめでたいというより、今まで健康で、生きて
こられたことに感謝。
入院日数はゼロ。
病院のベッドの上に寝たのは、子どものころ、
喉の手術のときと、数年前に点滴を受けたときだけ。
つまり2度だけ。
ありがたいことと思う。
が、この先のことはわからない。
現状維持に心がけ、前に向かって進みたい。
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●「はやし浩司」への風当たり
このところ私への風当たりが強くなってきた。
BLOGなどへの辛辣なコメントが多くなった。
昨日もあった。
いわく、「ご立派なご宣託、ごちそう様。
あちこちのBLOGへ、同じ原稿を投稿するな。
わずらわしいだろ」と。
が、これには理由がある。
今でこそ、BLOGも選別され、優良なBLOGサービスのみが生き残るようになった。
しかし当初は、そうでなかった。
ある日突然、閉鎖されるBLOGも少なくなかった。
そのため、それまで書いた原稿が、みな消えてしまった。
「削除」ではなく、消えてしまった。
そんなことがよくあった。
電子マガジンにしても、安心できない。
大手電機会社の傘下にあったBマガジンも、去年、突然、閉鎖になってしまった。
私はそのBマガジンを、それまで5年近くも書きつづけてきた。
閉鎖になると、ご存知のように跡かたもなく、文章が消えてしまう。
現在、存続しているBLOGにしても、B・Blogなどは、一度、それまでの原稿が
すべて削除されてしまうというアクシデントがあった(2008年)。
さらにBLOGによっては、容量というのがあって、一定の容量を超えると削除されて
しまうところもある。
BLOGによって、いろいろな規約、制約がある。
性質もちがう。
G・Blogは、長い文章でも制約なく、載せてくれる。
しかし読みにくいし、読者もふえない。
R・Blogは、一回の転送量に制限がある。
長い文章は、いくつかに分断しなければならない。
が、読者は多い。
こうした性質は、それぞれ、みな、ちがう。
またBLOGによって、読者層もちがう。
若い人たちが好んで立ち寄るBLOGもあれば、若い母親たちが好んで立ち寄るBLOG
もある。
またアクセス数にしても、毎日2000件以上のものもあれば、50件どまりという
のもある。
HPにしても、規約の変更は、日常茶飯事。
私が主に使っていたHPサービスは、今年になって、突然、HTMLを暗号化すると
言い出した。
が、私が使っているHPソフトは、それに対応していなかった。
私がいかに冷や汗をかいたかは、この世界を多少なりとも知っている人なら、よく
わかるはず。
こういうニガ~イ経験を重ねているから、私が書くような「原稿的」な記事は、
ひとつのBLOGだけにしぼるのは、心配。
心配というより、危険?
それがよくわかっている。
だから原稿を残すという意味で、複数のBLOGを発行し、同じものを載せる。
が、どうしてそれが、悪いことなのか?
わずらわしいことなのか?
むしろこうしたコメントを書く人のほうが、私には理解できない。
読みたくなければ、読まなければよい。
「同じ原稿だな」で、すむ話である。
スパムメールのように、原稿の押し売りをしているわけではない。
●自己顕示
それはそれとして、「はやし浩司は、自己顕示欲の旺盛な人だ」と思う人は、
多いかもしれない。
性格障害のひとつである、「自己愛者」(自己愛性人格障害)の特徴のひとつになっている。
そこで、自己分析。
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●自己愛性人格障害 (DSMの診断基準より)
Narcissistic personality
A 自己の重要さ又はユニークさをおおげさに感じること
(例:業績や才能の誇張、自己の問題の特殊性の強調)
B 再現のない成功、権力、才気、美貌、あるいは理想的なあいの空想に夢中になること
C 自己宣伝癖
(例:絶えず人の注意と称賛を求める)
D 批判、他者の無関心、あるいは挫折に際しての反応がそ知らぬふりであるか、憤激、劣等感、羞恥心、屈辱感、または、空虚感といった目立った感情である
E 以下のうち少なくとも2項目が対人関係における障害の特徴である。
(1)権利の主張:それに見合っただけの責任を負わずに、特別の行為を期待すること、
(例:望むことを人がしてくれないと言って驚き、怒る)
(2)対人関係における利己性:
●自己の欲求にふけるため、又は自己の権力の拡大の為に他者を利用する。
●他者の自己保全や権利をないがしろにする。
(3)対人関係で、過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ。
(4)共感の欠如:他者がどう感じているかわからない。
(注:以上、人格障害 DSM-Ⅲ(第3版)「精神障害診断基準」(DSM-Ⅲ/1980年)
より)
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ここに書いてあることが、どれも当てはまるから、恐ろしい。
自己中心性が極端にまで肥大化した人を、自己愛者という。
しかし私がそうであると判断するのは、待ってほしい。
私はすでに捨て身。
こうしてものを書きながら、いつも捨て身。
あと何年、生きられるか?
あと何年、脳みそがもつか?
そんな不安感と闘いながら、こうして文章を叩いている。
自己を顕示しようという意識よりは、私を超えた「私」という人間が、この世に
生きてきたという記録を残したい。
言うなれば、私が書く文章は、1人の人間の墓石のようなもの。
どうせ死ねば、煙にもならない煙となって、私は消える。
ついでに言えば、あなたも消える。
名誉など、どこにもない。
金銭的な利益を求めているわけでもない。
私は私に与えられた脳みそを、自分で使っているだけ。
それよりも恐ろしいことは、年々、脳みその働きが鈍ってきていること。
それが自分でもよくわかる。
5年前に書いた文章、10年前に書いた文章と比べても、それがよくわかる。
とくに集中力と気力。
それが衰えてきた。
ものを書くというのは、そういう老化との闘いでもある。
が、希望がないわけではない。
恩師の田丸謙二先生は、50歳を過ぎて中国語を独学し、中国の科学院の総会で、
講演している。
もちろん中国語で、である。
80歳を過ぎて、本を翻訳、出版もしている。
脳みそは使えば、それなりに長持ちするらしい。
ただ反省すべき点は、いくつかある。
たしかに私は、ときとして極論に走りやすい。
白か黒か、はっきりしないと気が済まない。
好き嫌いもはげしい。
言うなれば、まろやかさがない。
自己愛者といえば、自己愛者ということになる。
ということで、今朝の私は、BLOGへのコメントを読みながら、おおいに反省した。
63歳という年齢を有意義に生きるためにも、こうしたコメントは大切にしたい。
誤解というよりは、意外と私の盲点をついている。
そんな感じがする。
おはようございます。
はやし浩司 2010-10-28!
今日も、始まった!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2010+++++++++はやし浩司・林浩司
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