Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, October 24, 2010

●最前線の子育て論byはやし浩司(心の豊かさについて)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   25日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親の前で固まる子ども

今週は2つの経験をした。
その子どもに問題があるというのではない。
子どものプライバシーを暴露するというのでもない。
こういうことはよくある。
あるから、あえて公表する。
つまり親がそばにいると、固まってしまう子どもである。
そういう子どもが、実際にはいる。
10人に1人(幼児園児~小学低学年児)はいる。
程度の差もあるが、症状が軽い子どもも含めると、もっと多い。
言い換えると、親をまったく気にしない子どものほうが少ないかもしれない。

【A子さん(年中児)のケース】

 母親が参観しているだけで、元気がない。
覇気もない。
暗く沈んだまま、憂うつそうな表情をしている。
みながはしゃぐときも、チラチラと視線を母親のほうに送る。
そのまま黙ってしまう。

 そういうA子さんを見て、母親はそれ以上に暗い表情をして見せる。
私も当初は、A子さんというのは、そういう子どもと思っていた。
が、ある日のこと。
何かの用事があって、母親がレッスンを参観できないと言った。
母親はどこか心配そうだった。
「ひとりでだいじょうぶでしょうか?」と。
私も自信がなかった。
「たぶん、だいじょうぶですよ」とだけ答えた。

 A子さんは下の子ども(妹)が生まれてから、軽い赤ちゃん返りに
よる症状も見られた。
親の姿が見えなくなるだけで、ギャーッと泣き叫んで、あとを
追いかける子どももいる。
その心配があった。

 が、その日のA子さんは、見違えるほど、明るかった。
表情も生き生きとしていた。
みなが笑うときも、いっしょになって、大声で笑った。
ゲラゲラと笑った。
私はほっとした。

【B君(小2)のケース】

 その日は休日レッスンだった。
いつもは母親が参観に来ていた。
が、その日は、父親が参観に来た。
母親は妹を連れて、外で待っていた。
そのときのこと。

 B君は、最初からコチンコチンに固まっていた。
緊張感に包まれているといったふうだった。
なめらかな動作も、いつもの笑顔もなかった。
レッスンを進めていった。
が、途中で何かのことで、B君がつまずいた。
私はいつものように、隣の子どもに順を回した。
とたん、B君が大粒の涙をこぼした。
声は出さなかった。
それを見て、助手役をしているワイフに視線を送ると、
ワイフがすぐB君の横に座った。
いろいろ慰めた。
が、それからもB君はかたまったままだった。

 あとで母親と話す機会があった。
母親はこう言った。
「きっと父親にいいところを見せようと、緊張したのね」と。

●視線

 視線には、人を刺す力がある。
今でこそ慣れたが、若いときは私もその視線に苦しんだ。
レッスンの間中、母親たちの視線が容赦なく、私の体を貫いた。
子どもたちを教えていて疲れるということはなかった。
親の視線に、疲れた。

 中には、ものすごい視線の母親もいた。
いくら笑顔を作っていても、視線は別。
それが映画『スターウォーズ』の中に出てくるような光線銃のように、
ズキ~ン、ズキ~ンと私の心を貫いた。

 教えにくかった。
それだけではない。
そういう母親が1人でもいると、クラスの雰囲気そのものが変わってしまう。
ほかの父母たちまで、(当時はほとんど、母親たちだったが)、緊張して
しまう。
さらに2~3か月ならともかくも、それが半年もつづいたりすると、
その緊張感に耐え切れず、教室をやめていく母親もいた。

 私もそのクラスになるたびに、重い気持ちに包まれた。

●親子のリズム

 原因は親と子の不協和音ということになる。
親子のリズムが合っていない。
さらにその原因はというと、親の過干渉、過関心がある。
子どもへの不信感、子育てへの不安感が、形を変えて、過干渉や過関心へと
つながっていく。

 親を責めているのではない。
長男、長女というのは、そういうもの。
はじめての子どもということで、親も神経質になりやすい。
最初は小さな亀裂。
それが年を追うごとに、大きくなる。
親は子どもの一挙手一動が気になる。
子どもはそうした視線を、そのつど気にする。

●母因性萎縮児
 
 どこかの評論家が、先に「母原性」という言葉を使った。
だから私は「母因性」という。
意味は同じ。
つまり母親が原因で、(もちろん父親というケースもあるが)、子どもが
萎縮してしまうというケースは多い。
中には、まったく別人のように変化する子どももいる。

 以前にも書いたが、ある医院でこんな少年(中学生)に出会ったことがある。
その少年は毎週、何かの薬を取りにやってくる。
母親がいないときは、看護士さんと冗談を言い合うほど、快活な
少年である。
が、母親がそばにいるときは、まったくの別人。
毎回、薬の数を窓口で確認するのだが、母親がいると薬の数すら数えない。
もじもじいているだけ。
それを見て母親が、せかす。
「早くしなさい!」
「ちゃんと数えなさい!」と。

●あくまでも一面

 だから・・・というわけでもないが、子どもの姿を見たとしても、
それが子どものすべてと思ってはいけない。
ある一面にすぎない。
ここに書いたAさん、B君、それに病院で見かけた少年にしても、それぞれ
別の世界では別の顔をもっている。

 もちろんその反対のケースもある。
親の前ではおとなしく、従順。
プラス優等生。
しかし外の世界では、陰湿ないじめを繰り返したりする、など。
ある中学生(男子)は、祭のとき酒を飲んで、補導された。
親は「うちの子は、友だちにそそのかされただけ」と言い張っていたが、
あとで調べみたら、その子どもが主犯格だった・・・というようなケースも
多い。

●では、どうするか

 この世界には「好意の返報性」という言葉がある。
英語では、『相手はあなたが相手を思うように、あなたのことを思う』という。

子どもというのは、(おとなもそうだが)、自分を信じてくれる
人の前では、自分のよい面を見せようとする。
そういう性質を利用して、子どもを伸ばす。

 私もどんなにその子どもに問題があったとしても、初対面のときに、
それを打ち消すようにしている。
「この子はいい子」「すばらしい子」と、思いなおすようにしている。
そうすることで、まず自分の心をだます。
作り変える。

 こうすることによって、子どもの表情も明るくなるが、同時に教えるの
も楽しくなる。
子どもを教えるときの第一の鉄則。
それは教える側も、楽しむ。
その楽しさの中に、子どもを巻き込んでいく。

●終わりに・・・

 A子さんは、このあとしばらくして、私の教室を去っていった。
B君は、幸いにも母親がそれを理解してくれて、明るく笑い飛ばしてくれた。
病院で出会ったその少年については、こんなエピソードがある。

 たまたまワイフがその医院にいたときのこと。
少年の母親もそのとき、そこにいた。
その母親に向かって、医院の医師がこう言って怒鳴っていたという。

「お母さん、あなたが横でごちゃごちゃ言ったら、息子さんは何も
言えないでしょ。少し黙っていなさい!」と。

 その話を聞いて、私も「その通り」と思った。
またそういう言葉も、医師だからこそ言える。
立場が強い。
私の世界では、親がそれに自分で気づくまで、じっと待っているしかない。
いつか親のほうから質問があったとき、それとなくその話をする。

 もちろんこの原稿を読んでくれた、あなたは別。
一度、この原稿をヒントに、あなたの子どもはどうか反省してみてほしい。

●付記

 この世界では、「うちの子のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語
する親ほど、自分の子どものことを知らない。
とくに過干渉ママと言われる親ほどそうで、子どもの心まで勝手に作って
しまう。

私、子どもに向かって、「夏休みにどこかへ行ってきた?」
母親、会話に割り込んできて、「・・・行ったでしょ。おじいちゃんの家に
行ったでしょ!」
私、再び子どもに向かって、「そう、それはよかったね。楽しかった?」
母親、再び会話に割り込んできて、「・・・楽しかったでしょ。だったら
どうして楽しかったと言わないの! ちゃんと言いなさい!」
私、「・・・」と。

 こういうケースは、多い。
日本人のばあい、とくに多い。

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BW はやし浩司 親の前で固まる子ども 母因性萎縮児 母原性萎縮児 親の視線 過
干渉児 過関心児 親の過干渉)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心の豊かさについて】

 満60歳という年齢は、本当に不愉快な年齢である。いくら「私はそうでない!」とが
んばっても、周囲の人たちは、年齢で私を見る。知的能力や運動能力では、ない。年齢で
見る。健康度もそうだ。「60歳の人は、こうだから……」という見方でしか、見てくれな
い。

 しかし私は、ひとりそれに抵抗している。近くに、60歳以上は、~~円引という理髪
店がある。しかし私は、60歳になっても、ぜったいに、そういうサービスを利用しない。
今から心に決めている。

 「だれが、自分から、ジジイになってやるか!」と。

 その60歳になると、貧困感がどっと押し寄せてくる。先日、80歳をすぎた女性につ
いて書いた。その女性は、郵便局だけでも、1000万円の貯金と、1000万円の
国債をもっていた。さらに手にした年金の100万円をどうしようかと、困っていた。

 実のところ、そういう女性の気持ちを理解できないわけではない。その女性は、ひょっ
としたら、「信じられるのはお金だけ」と、考えているのかもしれない。必死になって、お
金にしがみついているのかもしれない。私とて、油断をすれば、いつそうなるかわからな
い。すでにその傾向が、見え始めている(?)。

 「心の豊かさとは何か」「知恵の豊かさとは何か」、今日はこれをテーマに、一日、考え
てみたい。

++++++++++++++++++

心の豊かさで、自分の原稿を検索
してみたら、いくつかをヒットしま
した。

それらを紹介します。

++++++++++++++++++

●心の豊かさvs心の貧しさ

 K府に住んでいる、Rさん(女性)から、こんなメールが、届いた。題して、「悲しき笑
い話」。

 「私の母は、今年、82歳になります。頭もしっかりしています。が、昔から、異常な
までに虚栄心が強く、見栄を張ります。

 収入は、わずかな年金だけ。あとは私の兄が、毎月、いくらかの小遣いを送ってくれる
ので、それで生活をしています。

 たとえばサイフの中には、いつも、10万円近いお金を入れて歩いています。スーパー
でお金を払うときも、わざとそのお金が、店員さんに見えるようにして払うのです。で、
私が「そんな人にまで、見栄を張ることはないでしょう」と言うのですが、私の言うこと
など、まったく聞いてくれません。

 が、ときどき、お金が少なくなるときもあるようです。そういうときは、一番上と、一
番下に、1万円札を置き、中に1000円札を、10枚くらいはさんで、あたかも、お金
があるように見せかけます。

 そういう母を見ていると、ときどき、『この人は、いったい、どういう人生を歩いてきた
んだろう』と、娘として、さみしくなります」(以上、要約)と。

 見栄を張る人は多い。しかもそれが人生観の基本になっているから、始末が悪い。また
人生の途中でそれに気がついて、改めるということもしない。だから80歳をすぎても、
そのまま。

 が、この年代の人には、こういったタイプの人が多い。見かけはともかくも、心は貧し
い。貧乏な人の家にやってきて、ことさら金持ちであることを、吹聴してみせる。そして
相手に対して、優越感を覚え、それを楽しむ。

 そう言えば、バブル経済のこと、東南アジアの貧しい国々へでかけていって、札や、コ
インをバラまいていた日本人がいた。やはり、心の貧しい人たちである。体中に、キンキ
ラキンの宝飾をぶらさげ、ブランド品で身を包んで、得意になっている人たちもそうだ。

 話はそれたが、それたついでに、もうひとつ。

 よく東南アジアやアフリカへでかけていって、その国や、その国の人々を紹介するテレ
ビ番組がある。そういう番組の中で、レポーターが、相手の国の貧しさや不便さに、こと
さら驚いてみせたりすることがある。場違いな服装に、派手な装飾品。いかにも、リッチ
な、日本からやってきましたというふうな様子をしてみせる。

 そのレポーターの心が貧しいというよりは、日本人全体の心が、まだそのレベルにある
と考えてよい。

 相手の人が貧しい生活をしていたら、その貧しさに、自分を合わせる。合わせた生活を
する。相手がどういう感情をもつかを、相手の立場で思いやる。相手が、あなたに対して、
羨望(せんぼう)を覚えたとしたら、それはあなたの責任。決して、自分たちの優越性を
見せつけてはいけない。それがその国の人たちに対する、礼儀と言うもの。

 さて、冒頭の女性の話にもどる。Rさんの母親は、たいへん心の貧しい人と考えてよい。
あるいは心の豊さというものがどういうものか、わかっていない。Rさん自身が言ってい
るように、『この人は、いったい、どういう人生を歩いてきたんだろう』ということになる。

 で、そうならないための、いくつかの教訓を考えてみた。

(5)あるがままの自分をさらけ出して、生きる。
(6)「私は私」をつらぬき、他人の目を気にしない。
(7)心の豊かさを追求し、世間体、見栄、体裁を気にしない。
(8)いつも、ともに(生きている)という原点において、自分を見つめる。

 が、油断すると、ふと見栄を張ることがある。自分が自分でなくなるときがある。自分
の中に潜むそういう邪悪性を知るための、一番、手っ取り早い方法としては、あなたの周
辺にいる人の中から、そういう人をさがすというのがある。その人の愚かさを、しっかり
と認識する。あなたのまわりにも、必ず、1人や2人はいるはず。

 そういう人を反面教師として、自分を高めるために、利用する。その人には悪いが、そ
の人の愚かさがわかったら、それを自分の生きザマの中に、生かしていく。

【補足】

 相手に羨望感をもたせて(=うらやましがらせて)、優越感にひたるというのは、愚劣な
人間だけがなしうる、軽率な行為である。

 金持ちであることを、見せびらかしたり、得意になったりする。昔、私の近所にも、そ
ういう男がいた。和服の呉服店を経営していて、ことあるごとに、「今日は、x10万円、
もうけたよ」「これで今月は、x100万円だ」と言っていた。

 「オレは、それだけ力のある男だ」と言いたかったのだろうが、私には、ただのノーブ
レイン(=おバカ)にしか見えなかった。

 玄関中に、高価な、鎧やトラの皮を飾っている人もいた。借金だらけなのに、外車を乗
り回している人もいた。根底に、何か、大きな劣等感がある人ほど、そういう行為に走り
やすい。つまりは、「私」がないから、そうする。

 20代や30代の若い人ならともかくも、50代、60代になっても、「私」がつかめき
れていない人というのは、それだけで、人生の敗北者(失礼!)と考えてよいのでは……? 
こう言いきるのは危険なことかもしれないが、今の私は、そう思う。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ケチな人

++++++++++++++++++

ケチと質素とは、ちがう。

ケチな人は、使うべきところでも、お金を
使わない。

質素な人は、無用、無駄な、お金は使わない。
それをよくわきまえている。

++++++++++++++++++

 世の中には、「ケチ」と呼ばれる人は、ゴマンといる。長男、長女に多いのは、それだけ
生活が防衛的であることによる。わかりやすくいえば、下の子が生まれたことにより、乳
幼児期の愛情飢餓が、嫉妬(しっと)へと変化し、その嫉妬が、防衛的な生活態度に結び
ついたと考えるとわかりやすい。

 長男、長女ほど、「ぼくのもの」「私のもの」という意識が、強い。つまりそれだけ、心
の許容範囲が狭いということになる。

 私の兄なども、(今は、ボケてしまって、どうしようもないが)、若いころでも、私が買
ってやったステレオセットにすら、私にさわらせなかった。私は、私が買ってやったのだ
から、「私のもの」と考えた。しかし兄には、そうではなかった。

 そのときは、そういう長男、長女のもつ心理を、理解することができなかった。(今は、
できるが……。)

 こういうのを、「ケチ」という。

 で、以前、コンドームを、洗って、再使用している夫婦のことを書いた。ふつう(?)、
コンドームというのは、再使用しない。「質素」というふうにも、考えられなくはないが、
しかしその夫婦のばあいは、ほかの面でも、異常なほど、ケチだった。

 たとえば夫婦の兄弟たちと飲み食いしたときでも、「私は兄だ」という、家父長意識ばか
りがやたらと強く、自分で、お金を出したことがないという。出しても、10円単位まで
の割り勘。弟のほうが見るにみかねて、「まあ、いいから……」と言って、全額払うことが
多かったという。

 ほかに、衣服でも、破れて使い物にならなくても、きちんとタンスに入れてしまってい
たとか、など。

 ケチと質素は、どこがどうちがうか。

ケチな人は、使うべきところでも、お金を使わない。質素な人は、無用、無駄なお金は使
わない。それをよくわきまえている。が、もう少し踏みこんで考えてみると、こうなる。

 物欲に毒され、お金やモノに執着する人を、「ケチ」という。物欲とは関係なく、心の豊
かさを優先して考える人を、「質素」という。

 このことは、金持ちでありながら、ケチな人と、金持ちでありながら、質素な人を見比
べてみると、よくわかる。

 まず、金持ちでありながら、ケチな人……妻や子どもの必要経費にすら、お金を出し渋
る。兄弟や姉妹、親類に対しはなおさらで、実際には、1円も払わない。毎日札束か預金
通帳をながめて暮らしている。

 金持ちでありながら、質素な人……人生を、余裕をもって楽しんでいる。以前、この
浜松市でも、1、2番の長者番付に入るような人の子ども(姉妹)を、2人、教えたこと
がある。で、私は、その子どもたちの持ち物を見て、驚いた。

 何と、子どもたちのもっている手提げバッグは、母親の手作りだった。しかも、バッグ
には、家からBW(私の教室)までの地図が縫いこんであった。そういうのを、「質素」と
いう。

 しかし長い人生を通してみると、ケチは、一生、ケチ。その結果、失うものも、多い。(本
人は、死ぬまで、それに気づかないだろうが……。)殺伐とした人間性は、それだけで人を
遠ざける。物欲に固執する姿は、だれが見ても、見苦しい。心に余裕がないから、つまり、
自分の利益になることしか考えていないから、話していても、つまらない。

 が、それ以上に、人生の(真理)そのものから、遠ざかる。言い換えると、人は損をす
ることで、大きくなれる。損をすることに寛大になることで、心を豊かにすることができ
る。よい例が、ボランティア活動である。

 あのボランティア活動を、進んでする人たちを見ればよい。みな、生き生きと、明るい。
あの明るさこそが、ここでいう心の豊かさということになる。

 ケチは、心の大敵と考えてよい。



+++++++++++++++++

もう1作、5年間に書いた原稿です。

+++++++++++++++++

●無用の長物

 今から二〇年ほど前のこと。一台の大型トラックが、わが家の前に止まった。何かと思
ってみると、「座卓はいらないか?」と。「四国から来た」という。

案内されるまま荷台を見ると、原木を切り出したままの座卓。その中でも、とくに目立っ
たのが、トチの木をそのまま削ったもの。トラの模様のようになっていて、それが両端を
飾っていた。厚さは一五センチもあった。「樹齢、五〇〇年です」と言った。

 値段を聞くと、「四〇万円でいい」と。「貯金しておくより、財産になる」とも。そこで
どういうわけか、その座卓を買ってしまった。が、それから二〇年。そのテーブルは、わ
が家の居間にデーンと居座ることになった。が、大きいだけで、使いものにならない。そ
れに重い。二〇〇キロ以上はあるのでは。三〇〇キロはあるかも?

 この間、「何とかしよう」「何とかしなければ」と、ずっと思ってきた。今も思っている。
しかし無用の長物とは、そういう座卓をいう。テーブルといいながら、実際には、物置台。
今はパソコンと、プリンターがその上にのっている。売るにしても、売り先がない。こう
いう時代だから、買ってくれる人もいないだろう。

 そこで考えた。その座卓は、たしかに無用の長物だが、わが家には、同じような無用の
長物が、ゴロゴロしている。一、二度使っただけで、あとは倉庫や物置にしまわれている
のだけでも、かなりある。たとえばテントやバーベーキューセットなど。

そう言えば、当時の私は、毎週のようにいろいろなモノを買いこんでいた。近くに大型の
雑貨点があったこともある。少し不便を感ずると、モノを買い足すという生活がつづいた。
そのテーブルもそんなときに買った。

 その反動というわけでもないが、私は山荘のほうでは、ほとんどモノを買っていない。
どの部屋もガランとしている。不便を感ずることも多いが、その不便さが、これまた楽し
い。いや、それ以上に、広々とした空間は、それだけで気持ちがよい。どういうわけだか、
解放感がある。どこかの旅館へ行ったような気分になる。

 そこで私はさらに考えた。モノというのは、人間の豊かさとは関係ないのでは、と。少
なくとも、心の豊かさとは関係がない? さらにモノがあれば、本当に生活は便利になる
のか、とも。もちろん生活に必要なモノは、多い。それはそれだが、それを離れたモノは、
どうなのか? 

たとえばざっと見回してみても、この部屋の中には、大きな食堂テーブルがある。イスは、
六脚もある。家族は五人なので、最大でも五脚でよいはず。しかもめったに六脚も使うこ
とはない。
それに冒頭で書いた、無用の長物。テレビのまわりには、大型スピーカーだけでも、四個
も並んでいる。……などなど。こうしたものがなければ、この部屋は、もっと広々と使え
るはず。全体で、一六畳の広さがある。

 もっともそれに気づいてからは、ほとんどモノを買っていない。とくにあの座卓を買っ
てからは、買っていない。そうして考えてみると、無用の長物と嫌っている座卓だが、ひ
とつだけ役にたっていることがわかった。それは、その座卓を買ったことを後悔したこと。
そしてその後悔が、その後、ムダなモノを買う、大きなブレーキになったこと。何かを買
おうとするたびに、私の頭に、その座卓が思い浮かんだ。そして、「ムダになるから買うの
をやめよう」と。

 ……とまあ、今は、そういうふうに自分をなぐさめながら、その座卓をとらえている。
(以上2002-12-28記)

●テーブルを買ってくれる人はいませんか? 大きな料亭でも使えるような立派なテーブ
ルです。ホント!
●欲望を限定することのほうが、それを満たすことよりも、はるかに誇りに足ることである。
(メレ「格言」)(メレ……1610-84、フランスのモラリスト)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日中経済戦争】(2)(2010-9-29)

+++++++++++++++++

尖閣諸島事件で、中国はかえって
自ら、醜態をさらけ出した。
それが国際世論の反応である。

とくにヨーロッパでの風当たりが強い。
イランの核開発問題に関しては、
中国はことごとく欧米に非協力的な
態度をとり続けてきた。
それがここにきて、急速に「中国は
まともでない」という認識に変わりつつある。

+++++++++++++++++

●住宅バブル

 もうだれの目にも疑いようがないほど、中国の住宅バブルはひどい。
メチャメチャというか、デタラメ。
どうひどいかは、連日報道されているとおり。

 で、問題は、その金(マネー)の出所。
直接的には個人投資家によるものとされる。
が、さらにその元をたどると、その裏に銀行がいる。
この春ごろから中央政府は銀行融資の規制を始めたが、焼け石に水。
というか、本気で規制をかけたら、たいへんなことになる。
地方財政そのものが、住宅投資で潤っている。

 で、さらに銀行融資の金は、どこから出ているか?
言うまでもなく、海外からの投資資金。
本来ならそうした投資資金は、設備投資などに向かわねばならない。
が、その資金が、住宅バブルへと回されている。
しかしそれだけでは中国の住宅バブルは説明できない。
「異常」というより、異常をはるかに、通り越している。
つまりここに中国のかかえる特殊性がある。

●拝金主義
 
 中国人のもつ拝金主義には、これまたものすごいものがある。
日本の金権教も、中国人の拝金主義と比べたら、足下にも及ばない。
「マネーがすべてあるよ」と。

 が、なぜこうまで中国人は、拝金主義に走るのか。
ほかに彼らが心のより所とすべき「主義」はないのか。
その謎を解く鍵が、実は「中国」という国そのものにある。
中国という国は、私たち日本人が考える「国」とは、中身がちがう。
そのため概念もちがう。
多民族国家というよりは、言うなれば中央政府が武力で抑え込んだ、寄せ集め国家。
チベットを見れば、それがわかる。
今回の尖閣諸島事件は、はからずもその一端を世界に露呈した。
つまり北京周辺の中国人は別として、一歩そこから離れた中国人には「国」意識はない。
中央政府による武力統制がゆるめば、そのままバラバラになってしまう。
だから、「信じられるのはマネーだけ」となる。

 言い替えると、「中国、恐れるに足りず」。

 ここで住宅バブルがはじければ……それは可能性の問題ではなく、すでに
時間の問題だが、中国経済は未曾有の混乱状態に陥る。
が、それだけではすまない。
拝金主義者たちがマネーを失ったら、どうなるか?
中国の至る所で、暴動を起こすだろう。
その矛先を中央政府に向けるだろう。
中国共産党という一党独裁体制に向かう。

 実は、これが中国政府がもっとも恐れているシナリオである。
だから中国政府は、打つ手なし。
住宅バブルを本気で抑え込むこともできない。
かといって、元高に誘導することもできない。
そんなことをしたら、とたん、外資が一斉に逃げてしまう。
で、せっかく元安を利用して外資(借金)を呼び込んでも、民衆レベルにマネーが
回ったとき、それがそのままタンス預金として眠ってしまう。

 現在中国人の貯蓄率は、40%弱と言われている。
これほどまでの経済成長(?)をつづけながら、中国人自身は、自国の経済発展を
信用していない。
本来なら好景気に踊って、市中で札束が乱舞してもよいような状況である。
それがタンス預金!
個人消費につながっていかない!

●高まる不平、不満

 数日前にも書いたが、中国のジニ係数は、すでに0・5を超えていると言われている。
また同じく書いたが、先進国における0・5と、中国のような国における0・5は、
同じ「0・5」でも意味がちがう。
(それについても、数日前に書いたとおり。)

 上位10%の人は、超リッチな生活を楽しむことができる一方、4分の3前後の
人は、家(マンション)をもつことはもちろん、その日の食費すらも、じゅうぶん
稼ぐことができないでいる。

 さらに悪いことに、先に書いた拝金主義が医療機関はもちろん、末端の政府機関に
まで、はびこり始めている。
マネーをもっている人は、治療を受けられる。
政府サービスを受けられる。
が、貧しい人たちは、そうした社会の外にはじき飛ばされる。
それが不平、不満となり、うねりとなり、中国社会を動かし始めている。

 上海万博で沸き立っている(?)中国だが、その中身はきわめて脆弱。
大都市には豪華なマンションのビルが立ち並ぶ。
しかしその大半は、空きや家。
投資のために建てられた空き家。
つまり中身は、からっぽ。

 今回の尖閣諸島事件は、そうした民衆の、(中国には「人民」はいても、「国民」は
いないとよく言われるので、ここでは「民衆」としておく)、不平、不満を外に
そらすために、中央政府が作りあげた事件とも言えなくもない。
そう、まさに、「今」というこのときに、今回の事件が起きた!

●レア・メタル(泥土)問題

 中国政府は、レア・メタルに関して対日輸出を停止した。
公式には「停止した」とは言っていない。
しかし事実上、停止した。
(公式にそれをしたとなると、国際的に袋だたきにあう。)

 が、恐れるに足りず。

 これだけ経済がグローバル化してくると、対一国だけに輸出規制をかけても、
意味はない。
たとえば昔、私がある商社にいたころ、こんなことがあった。

 日本からの洪水のように押し寄せる繊維製品に、アメリカが音を上げた。
そこでアメリカ政府は、日本からの輸入に規制をかけた。
が、日本の商社はそんな規制など、どこ吹く風。
そのころサンフランシスコに向かっていた輸送船を、太平洋上ですべてUターン。
そのままオランダのアムステルダムへ。

 その輸送船がアムステルダムへ着くころには、すでにオランダ・XX会社が
設立されている。
つまりオランダ・XXを一度経由することによって、今度は「オランダ製(ものは
日本製のまま)」として、ニューヨーク港で陸揚げ。
繊維規制など、日本の商社は、こうして無力化してしまった。

 ずるいと言えば、ずるい。
しかし朝飯前。
こんなことができないようであれば、「総合商社」の名が泣く。
もし私が今、商社マンなら、即座にフィリッピンにレアメタルの加工工場を開く。
その加工工場に、中国のレアメタル(泥土)を輸入させる。
相手がフィリッピンなら、中国も規制できない。
日本はゆっくりと、そのあとフィリッピン製のレアメタルを、フィリッピンから
輸入すればよい。

 相手は中国。
フェアプレイなど、通用しない。
フェアプレイなど、考えなくてもよい。

●墓穴

 尖閣諸島周辺が、がぜん緊張してきた。
日本の巡視船と中国の哨戒船が、一触即発の状態で向かい合っている。
しかしここは音無の構え。
けっして相手のワナにはまってはいけない。
じっとがまんのとき。
感情的になり、先に手を出した方が負け。

 日本はあとは粛々と事務的に、ことを運んでいけばよい。
なおこの話を昨日、ある中学生(2年男子)に話したら、彼はこう言った。
「アメリカが助けてくれるよ」と。

 しかしアメリカは、そんな甘い国ではない。
頼りにしたとたん、中国以上のキバをむいて、日本に襲いかかってくる。
(今のアメリカは、傷を負ったオオカミのような状態。気をつけるべし。)
だからここは冷静に。
ただひたすら冷静に。
中国が騒げば騒ぐほど、中国は自ら墓穴を掘る。
すでに東南アジア諸国が、日本と連携して、中国包囲網を敷くという構想も
生まれつつある。
孤立するのは中国。
損をするのは中国。
が、それだけではない。

 冒頭の話にもどる。
それが引き金となって、中国のバブル経済が崩壊するかもしれない。
日本ももちろん大きな影響を受ける。
それはそれとして覚悟しておかなければならない。
しかしこれはまさに「戦争」。
「経済戦争」という「戦争」。
勝つか負けるか。
無傷のまま戦争に勝つことはできない。
またそんなムシのよい話は、通用しない。

がんばれ、日本!
負けるな、日本!
ひるむな、管さん!
2010/09/29記

(注)時間の関係で、未推敲のままの荒っぽい文章で、ごめん!


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