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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 11月 24日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【不潔嫌悪症・子どもの潔癖症】はやし浩司 2010-10-28
●子どもの強迫症
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今朝は千葉県にお住まいの、Aさんと
いう母親から、こんな相談が届いていた。
この相談を読みながら、私は自分が子ども
だったころのことを思い浮かべた。
私自身にも、似たような経験がある。
子どもの潔癖症に併せて、子どもの不安
について考えてみたい。
++++++++++++++++++
【千葉県のAさんより】
5歳の息子の相談です。
以前から幼稚園には行きたがらない傾向にある子でしたが、最近は特に、いつ
もと違う行事ごとがあるたびに、不安になり余計に行きたくないとぐずります。
夏ころから爪かみが始まりました。10月の初めに、ムカデに触ってしまい、
お家に帰ってよく洗えば大丈夫だよと話した出来事を境に、ここを触ってしま
ったが大丈夫か? お父さんの肘とぶつかったが大丈夫か? と何かと聞い
てくるようになりました。外遊びで夢中になっているときにでも、不安になる
と遊びを中断し、聞きに来ます。
その後は、トイレでおしっこをする時には、おちんちんを触らずしたり、玄関
の取っ手を肘で開けたりするようになりました。会話は常に触ってしまったこ
との報告ばかりです。私は、大丈夫だよ、大丈夫だよ。と、いつも言っていま
す。私の手は握れます。どうしてこうなってしまったのでしょうか?
幼稚園の先生は気を引くためではないか? 気にすることはない。とおっしゃ
ってくださいますが、心配で、兄弟の中でも、ひときは気にかけ、スキンシッ
プをしているつもりです。今後はどのように接していけば良いでしょうか?
治るのでしょうか? よろしくお願いします。
兄弟関係は、姉10歳 本人 弟8ヶ月です。
【はやし浩司より、Aさんへ】
●神経症
神経症のひとつと考えてください。(「神経症」の定義もあいまいですが…
…。
そのため症状は千差万別です。)
私のHPの中に、ある小学校の先生方と協力して作成した、診断シートがあり
ます。
その中に神経症の項目を並べておきました。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html
どうか一度、目を通してみてください。
なおこうした症状は単独で現われることは少なく、ほかに爪かみのほか、夜
尿症、チック、何かの強迫症なども現われることがあります。
シート(上記)で、一度、自己診断してみてください。
●愛情飢餓
兄弟関係で見ると、下に8か月の弟がいるということになります。
愛情に不安を抱き、それが遠因となり、愛情飢餓状態から大きく不安を抱くよ
うになったとも考えられます。
下の子どもが生まれたことにより、赤ちゃん返り、分離不安などの症状を示す
子どもも多いです。
「兄弟の中でも、気にかけ……」ということですが、それまであった自分への
愛情が減らされたことが問題と考えてください。
親は、「平等に……」と思っているかもしれませんが、子どもにとっては、「落
差」が問題なのです。
それについて書いた原稿を添付しておきます。
++++++++++++++
愛情は落差の問題。
++++++++++++++
●愛情は落差の問題
++++++++++++++
愛情の量は、落差の問題。
多い、少ないではなく、
ふえたか、減ったで、
考える。
よい例が、赤ちゃん返り。
++++++++++++++
下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こし
たりする。(赤ちゃんがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、
下の子に乱暴するのをプラス型ということができる。)本能的な嫉妬心が原因
だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教しても意味がない。叱れば叱
るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。
こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわ
いがっています。どうして上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみ
れば、フィフティフィフティ(50%50%)だから文句はないということに
なるが、上の子どもにしてみれば、その「50%」というのが不満なのだ。つ
まり下の子どもが生まれるまでは、100%だった親の愛情が、五〇%に減っ
たことが問題なのだ。
もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」で
はなく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくった
ことを考えてみればよい。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛
人も平等に愛している」とあなたに言ったとしたら、あなたはそれに納得する
だろうか。
本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤
立させないように、上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、
下の子どもが生まれてくるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをする。
「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」
「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれ
たというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子
どもの心はゆがむ。ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじ
らないほうがよい。
で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、(1)様子があま
りひどいようであれば、以前と同じように、もう一度100%近い愛情を与え
つつ、少しずつ、愛情を減らしていく。(2)症状がそれほどひどくないよな
ら、フィフティフィフティ(50%50%)を貫き、そのつど、上の子どもに
納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い
食生活にこころがける。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て
はやし浩司 赤ちゃん返り 愛情問題 愛情 落差 落差の問題)
●100%の愛情
精神的に心のより所を失い、たいへん不安定になっています。
子どもは、(おとなもそうですが)、環境の変化にはかなりの柔軟性を示しま
すが、とくに愛情の変化には、大きく反応し、もろいです。
もし神経症がひどいようであれば、下の子には少しかわいそうですが、一度、
100%の愛情を注ぎなおしてみてください。
(当然、上の10歳の姉にも配慮しながら、です。
上の子は上の子で、嫉妬しやすくなります。)
●私自身のこと
私も子どものころ、こんな経験があります。
あるとき、針が足の裏に刺さったことがあります。
針はすぐ抜けたと思うのですが、近所のおじさんにそれを話すと、そのおじさ
んは、こう言いました。
「折れた針があるかもしれない。その針は、血管を通って心臓に行く。そうな
れば死ぬこともある」と。
私はこの言葉におびえ、自分はもう死ぬのだと思いました。
年齢的には、6歳前後ではなかったかと思います。
はっきりと死の恐怖を覚えたのを、今でもよく覚えています。
おとなには笑い話でも、子どもにはそうでないということです。
お子さんは、心底、それにおびえているのです。
ですから「何でもない」という言い方で突っぱねるのではなく、子どもの立場
になって、真剣に話を聞き、納得するまでていねいに不安を解いてあげること
です。
●不潔嫌悪症
手洗い癖、潔癖症と並んで、子どもにはよく見られる神経症です。
幼稚園でも、休み時間ごとに、手を洗っている子どももいます。
「何でもない」と考えるのではなく、ほかの神経症の前兆、もしくは、たとえ
ば学校恐怖症(ジョンソン)の前兆もありえるという前提で、対処してくださ
い。
けっして安易に考えてはいけないということです。
そのためにも愛情的に不安を抱かないように、つぎのことを守ってください。
(1)スキンシップなど、求めてきたら、すかさず応ずる、です。
一度、ぐいと抱きしめるだけで、効果があります。
「あとでね」とか、「今、忙しいのよ」は、禁句です。
(2)添い寝、手つなぎ、だっこなどは、機会があればそのつどこまめにして
あげます。
(3)不安症状が強いようであれば、Ca,Mg,Kの多い食生活、つまり海
産物の多い食生活に心がけます。
とくにカルシュウムは、子どもの心を安定させます。
●恐怖症
恐怖症は、一度それを経験すると、姿、形を変えて、いろいろな場面で現わ
れます。
私も子どものころ、閉所恐怖症、高所恐怖症でした。
30歳になる少し前、飛行機事故を経験してからは、ちょっとしたことが原因
で、よく恐怖症になります。
先日はワイフが自動車の後部を電柱にぶつけましたが、助手席にいた私は、
固まってしまいました。
お子さんのケースは、恐怖症とはちがいますが、この先、折りにつけ、強迫
観念はもちやすくなるかもしれません。
「治そう」と考えるのではなく、「じょうずにつきあう」という考え方で、接
してあげるとよいでしょう。
どんな子どもにも、その程度の問題はあります。
文面からすると、もっとも心配されるのは、学校恐怖症ということになりま
す。
それについて書いた原稿(簡単なもの)を、添付しておきます。
(別の角度から書いた原稿のため、余計な部分もありますが、お許しくださ
い。)
詳しくは、また機会があれば、「はやし浩司 学校恐怖症」で検索してみてく
ださい。
参考になると思います。
+++++++++++++++
学校恐怖症(ジョンソン)
+++++++++++++++
【集団に溶けこめない子ども】
++++++++++++++++++
集団に溶けこめない……。そのため、
集団の中にいると、気疲れを起こしや
すくなる。
さらにそれが慢性化すると、不登校の
原因になったりすることもある。
++++++++++++++++++
●集団の中では……
小学校の低学年児で、集団に溶け込めない子どもというのは、10人のうち、
1~2人はいる。主な症状としては、つぎのような点が、あげられる。
(1) 集団の中では、おとなしく、おだやか。遠慮深い。やさしい。静かで
目立たない。
(2) 自己主張が弱く、いつも、ほかの子どものうしろをついていくといっ
た感じ。
(3) 何か話しかけると、柔和な笑みで、答えたりするが、感情表現はいつ
も、控え目。
(4) 学習態度は比較的よく、そのため、成績も、それほど、悪くない。
(5) 外の世界(学校や塾)では、大声で笑ったり、声を出したりするとい
うことはない。
これらの症状は、家の中での様子とは、正反対のことが多い。家の中では、
別人のように活発に行動する。かつ、親に対しては、言いたいことを言ったり、
したりする。そのため、こうした外での様子を指摘されたりすると、たいてい
の親は、それを否定する。「うちでは、ふつうです」と。
しかしこのタイプの子どもは、その分だけ、ストレスを内へ内へとためやす
い。様子だけを見ると、仮面をかぶった子どもに似ている。俗にいう「ぶりっ
子」をいう。仮面をかぶった子どもは、いつもどこかで他人の目を気にしてい
る。どうすれば、自分が、いい子に見られるか、それだけを考えている。
これに対して、集団に溶けこめない子どもは、集団そのものを恐れ、他人の
目から、逃れようとする。そのため、ひとり静かに行動し、できるだけ目立た
ないようにしていることが多い。
このタイプの子どもは、教える側としては、教えやすい。従順で、すなお。
みなに迷惑をかけるということはない。しかしそれは子ども本来の姿ではない。
このタイプの子どもは、心を自由に、開けない。みなが大声で笑うようなとき
ども、そのリズムにのれない。そのため、いじけやすく、くじけやすい。心を
ゆがめやすい。
そして長い時間をかけて、ストレスを蓄積し、そのストレスが、さまざまな
問題を、引き起こす。
たとえばこのタイプの子どもは、集団の中では、神経疲労を起こしやすい。
そしてその結果として、神経症や、心身症による、さまざまな症状を起こす。
そしてその症状は、多岐にわたる。「何か、うちの子は、おかしい?」と感じ
たら、神経症、もしくは、心身症を疑ってみる。
●子どもの神経症について
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症と
いう。子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考え
る。
(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐
れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわ
がる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱し
てわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発
的に叫んだり、暴れたりすることもある。
(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態に
なる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚
醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(そ
の意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身
体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警
戒する。
(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症
状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その
前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒
食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだ
らしなくなることもある。
その中の一つが、学校恐怖症(後述、参照)ということになる。その学校恐
怖症については、すでにたびたび書いてきたので、ここでは省略する。
●対処のし方
では、どうするか?
このタイプの子どもは、心の開放を第一に考えて指導する。たとえば大声を
出させる、大声で笑わせる、など。しかしそれは簡単なことではない。友だち
どうしの間では、結構、心を開くことができても、集団の中へ入ったとたん、
かん黙してしまう子どももいる。教師を前にしただけで、緊張して、体をこわ
ばらせてしまう子どももいる。
こうした症状を不適応症状というが、その症状して、よく見られるものを列
挙してみると、つぎのようなものがある。
(1) 対人恐怖症、集団恐怖症、回避性障害(他人との接触ができない)な
ど。
(2) 緊張性の頭痛、腹痛、下痢、嘔吐など。
本来なら、一対一、もしくは、きわめて小人数(3~4人程度)のようなて
いねいな指導が望ましいが、しかしそれにも程度の問題があって、小人数にし
たからといって、心を開くということはない。とくに小学校へ入学したあとで
は、指導による改善は、ほとんど望めない。おとなになってからも、そのまま
つづくというケースは、少なくない。
もしどうしても……ということなら、まったく別の環境の中で、その子ども
が心を開けるような、ばしょをさがすしか、ない。スポーツやサークル活動な
ど。一度、その世界で、何らかのこだわりを作ってしまうと、そのこだわりを、
消すのは、むずかしい。
J君(小5)の子どもがいた。彼は、集団の中では、ほとんど心を開くこと
はなかったが、サッカーをしているときだけは、黙々と、それに励むことがで
きた。
一方、Cさん(小2)の子どもがいた。小1のはじめから、私の教室へ来た
が、小2の途中でやめるまで、一度とて、大声で歌を歌ったり、笑ったりする
ことはなかった。いりいろな方法で、手を変え、品を変え、私なりに努力はし
てみたが、結局は、Cさんの心を開くことはできなかった。
このことからも、わかるように、集団に溶けこめない子どもの、「根」は、
深い。時期を言えば、0歳から、1、2歳前後までに、そういった方向性がで
きあがると考えてよい。そのため、たいていのばあい、まず母子関係の不全を
疑ってみる。
このタイプの子どもは、母子の間の基本的信頼関係ができあがっていないこ
とが多い。何らかの理由で、絶対的な安心感を、母親に対していだくことがで
きなかった。「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味である。
つまり、それから生まれる、不信感が、子どもの心を閉じさせ、ついで、子ど
もの心を緊張させるようになると考える。
しかもなお悪いことに、母親に、その自覚がないことが多い。そういう自分
の子どもを見て、むしろ、「できのいい子」と思ってしまうケースが目立つ。
そしてそのままの母子関係をつづけてしまう。
で、問題が起きてはじめて、自分の子育てのどこにどういう問題があったか
を知る。(が、それでも気づかないケースも、少なくない。ここにあげたCさ
んのケースでは、Cさん自身は、私のところへは、彼女なりに楽しんできてい
た。しかし伸びやかさには、欠けた。母親はそういう姿を見て、「うちの子は、
この教室には合っていない」と判断したようだ。
で、さらに、ここに書いた不適応症状がこじれて、学校恐怖症から、不登校
へと進むこともある。この段階でも、親は、自分を反省するということは、な
い。子どもの言い分だけを聞いて、「教師の指導が悪い」「いじめが原因だ」
と。
●まとめ
本来なら、集団に溶けこめない子どもについては、それを「悪」と決めてか
かるのではなく、その子どもにあった、環境を用意してやるのがよい。苦手な
ものは、苦手。だれにも、そういう面の一つは二つは、ある。
何でもかんでも、学校という集団教育の場で解決しようという発想そのもの
が、おかしい。そういう前提で考える。
コツは、無理をしないこと。そしてこのタイプの子どもほど、家の中では、
態度が横柄になったり、乱暴になったりする。そういうときは、「ああ、うち
の子は、外の世界でがんばっているから、こうなのだ」というふうに考えて、
理解してやる。
家の中でも、静かで、おとなしく……ということになると、子どもは、やが
て行き場をなくし、外の世界で、さまざまな問題を引き起こすようになる。し
かもたいてい、深刻な問題へと発展することが多い。
(はやし浩司 子供の心理 集団 集団に入れない子供 集団に溶け込めな
い子供 集団が苦手な子供 外で静かな子供 はやし浩司)
++++++++++++++++++
以前、書いた、「内弁慶、外幽霊」の
原稿を添付します。
++++++++++++++++++
●内弁慶、外幽霊
家の中ではおお声を出していばっているものの、一歩家の外に出ると、借り
てきたネコの子のようにおとなしくなることを、「内弁慶、外幽霊」という。
といっても、それは二つに分けて考える。自意識によるものと、自意識によら
ないもの。緊張したり、恐怖感を感じて外幽霊になるのが、前者。情緒そのも
のに何かの問題があって、外幽霊になるのが、後者ということになる。たとえ
ばかん黙症などがあるが、それについてはまた別のところで考える。
子どもというのは、緊張したり、恐怖感を覚えたりすると、外幽霊になるが、
それはごく自然な症状であって、問題はない。しかしその程度を超えて、子ど
も自身の意識では制御できなくなることがある。対人恐怖症、集団恐怖症など。
子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。その図式はつぎのよ
うに考えるとわかりやすい。
もともと手厚い親の保護のもとで、ていねいにかつわがままに育てられる。
→そのため社会経験がじゅうぶん、身についていない。この時期、子どもは同
年齢の子どもととっくみあいのけんかをしながら成長する。→同年齢の子ども
たちの中に、いきなりほうりこまれる。→そういう変化に対処できず、恐怖症
になる。→おとなしくすることによって、自分を防御する。
このタイプの子どもが問題なのは、外幽霊そのものではなく、外で幽霊のよ
うにふるまうことによって、その分、ストレスを自分の内側にためやすいとい
うこと。そしてそのストレスが、子どもの心に大きな影響を与える。家の中で
暴れたり、暴言をはくのをプラス型とするなら、ぐずったり、引きこもったり
するのはマイナス型ということになる。
こういう様子がみられたら、それをなおそうと考えるのではなく、家の中では
むしろ心をゆるめさせるようにする。リラックスさせ、心を開放させる。多少
の暴言などは、大目に見て許す。
とくに保育園や幼稚園、さらには小学校に入学したりすると、この緊張感は極
度に高くなるので注意する。仮に家でおさえつけるようなことがあると、子ど
もは行き場をなくし、さらに対処がむずかしくなる。
本来そうしないために、子どもは乳幼児期から、適度な刺激を与え、社会性
を身につけさせる。親子だけのマンツーマンの子育ては、子どもにとっては、
決して好ましい環境とはいえない。
(はやし浩司 子供の心理 内弁慶 外幽霊 集団になじめない子供)
+++++++++++++++++++++
合わせて、学校恐怖症の原稿を
添付します。
原文(英文)は、私のHPのほうに
収録しておきました。
+++++++++++++++++++++
子どもが学校恐怖症になるとき
●四つの段階論
同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。
私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り
返した。
が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に
近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、
症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的
時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少
しわかりやすくしたのが次である。
(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、
疲れ、倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中
に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい
声で答えたりする。これを症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由
を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、
今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)
が、そのつど移動するのが特徴。
(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとし
たりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう
今日は休んでもいい」などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こ
う言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。
たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と
思うことが多い。
(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、
暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。た
だ心の緊張感は残り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な
言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害)。こ
の段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感
をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、
ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子ども
をどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状
態が、数か月から数年続く。
(4)回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を
始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなこ
とを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一~二時
間、週に一日~二日、月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間
が長くなる。
(注、この(4)の回復期は、ジョンソンの論文にはないものである。私が勝
手に加筆した。)
●前兆をいかにとらえるか
要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかという
こと。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけ
て、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。
この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含
めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。な
おそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。
※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)
遊び非行型、(3)無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否
型、(6)複合型に区分して考えられている。
またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学
業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、
(2)家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本
人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。
しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子どもを外の
世界から見た区分のし方でしかない。
(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ
こうした恐怖症は、はやい子どもで、満4~5歳から表れる。乳幼児期は、
主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれ
に対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。
集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学
校恐怖症はあくまでもその一つと考える。
●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロード
ウィンが、1932年に最初に使い、1941年にアメリカのA・M・ジョン
ソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖
症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期
に分けて、学校恐怖症を考えた。
【はやし浩司より、Aさんへ】
以上ですが、参考意見として利用していただければ、うれしいです。
今日は、これで失礼します。
(はやし浩司 子どもの心理 学校恐怖症 対人障害 不登校 不登校児
不潔嫌悪症 潔癖症 神経症 はやし浩司 学校恐怖症 ジョンソン)
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●子育て雑感集
++++++++++++++++++++
今朝、私のEマガ、10月27日号を読んだ。
1か月前に発行予約を入れたマガジンである。
内容も、1か月前のもの。
それを読みながら、・・・というのは、その
マガジンでは、「雑感集」というテーマで書いた
ので、今日は「子育て」についての雑感を
書いてみたい。
++++++++++++++++++++
●10月27日
10月27日。
本当は、今日が、私の誕生日。
10月27日に生まれたのだが、父が役所へ出生届を出したとき、日にちをまちがえた。
父は、10月28日生まれとして、役所に届け出た。
それで私の誕生日は、10月28日になってしまった。
まちがいに気がついたのは、母の話では、私が小学校に入学するときだったという。
戸籍を調べたら、10月28日になっていた。
10月27日でも、28日でも、どちらでもよい。
が、私は10月27日のほうが、好き。
子どものころは、ずっと10月27日が私の誕生日と思っていた。
そのときの思いが、今でも心のどこかに残っている。
その10月27日。
つまり、今日。
外では肌寒い風が吹いている。
庭の栗の木も、心なしか元気がない。
灰色の沈んだ空を背景に、葉をゆらゆらと揺らしている。
●Sさん
先週、18年間私の教室に通ってくれたSさんの、大学合格祝いをした。
若いころは、18年間通ってくれた生徒も、少なくなかった。
が、今は、少ない。
中学生になるころ、あるいは高校生になるころ、進学塾へとみな、移っていく。
そのSさん。
大学が決まっても、まだ来年3月まで、通ってくれるという。
母親から電話があり、母親はこう言った。
「ずっと習慣になっていまして・・・3月まで、よろしくお願いします」と。
18年というと、私の人生にとっても約3分の1。
(Sさんにしてみれば、全生涯!)
理知的な女の子で、ものごとを何度も頭の中でかみくだいて考える。
もの静かな女の子だが、振り返ってみると、私のそばにいつもいたような気がする。
私のそばにいて、ずっと私をうしろから見つめていた。
生徒というよりは、私の娘。
今にして思うと、そんな感じがする。
●よき親子関係
「娘」と書いたが、もしSさんが私の娘なら、私はSさんはすばらしい親子関係
を築いたことになる。
Sさんは、何でも話してくれる。
私はSさんに、何でも話せる。
私はSさんの話を真剣に聞くし、Sさんもまた私の話を真剣に聞いてくれる。
それでいてたがいに礼儀をわきまえ、尊敬しあっている。
一方、そこには、教師と生徒という関係もある。
私はSさんに命令したこともないし、Sさんを叱ったこともない。
何かを教えても、私はいつもそこでじっと待っていた。
Sさんもそれを知っているから、自分ができるまで、黙々と自分の勉強をこなした。
・・・そう言えば、Sさんが中学生のころは、そのクラスは生徒は2人だけだった。
経営的な意味では、採算が取れる教室ではなかった。
が、私は気にしなかった。
長く通ってきてくれる子どもについては、利益を考えことはない。
そのときすでにSさんは、8~10年間、私の教室に通っていた。
●A君
が、みながみな、円満な別れ方をするというわけではない。
けんか別れのような別れ方をする生徒も、いる。
理由というか、原因は、子ども自身にある。
子どもというのは、教室をやめたくなったりすると、親に、教室の悪口を言い始める。
「先生がまじめに教えてくれない」「ふざけて遊んでばかりいる」と。
子どもの常とう手段と考えてよい。
つまりこうして子どもは、親をして、「そんな教室ならやめなさい」と思わせるようにする。
一方、私には、こう言う。
こうしたウソには双方向性がある。
「ママが、BW(=私の教室)なんか、やめて、S進学塾へ行けと言っている」と。
印象に残っている子どもに、A君(小4)という子どもがいた。
4、5年も前の話だが、A君は、こう言った。
「BWは月謝ばかり高くて、中身がないとママが言っていた」と。
そこで私が「君のお母さんが本当にそんなことを言っているかどうか、電話で確かめて
みる」と言うと、A君は、泣きながら「それだけはやめて!」と。
A君の母親は、A君の話だけしか聞いていないから、それこそ蹴飛ばすようにして、
教室を去っていった。
その月の月謝も、未納のままだった。
●バツ
今朝のニュースにこんなのがあった。
どこかの小学校で、先生がバツ・サイコロというのをしていたらしい。
(今でもバラエティ番組などの中で、ときどき登場する。)
何かのことで悪いことをして先生に注意されたら、そのサイコロを振るのだそうだ。
それによってバツを決める。
鼻くそをどうのとか、お尻をどうのとか、そういう内容のバツである。
バツの内容が、よくなかった。
それがセクハラ行為にあたるとかで、問題になった。
しかしもし教師と生徒、教師と親の間に、信頼関係があれば、こんなことは何でもない。
「遊び」で終わる。
私の教室でも、居眠りをしていたり、あくびをしていたりすると、私は布でできた
ボールを投げつけることにしている。
もちろん当たっても、痛くない。
が、それ以上に、自閉傾向のある子どもには、この指導法は、たいへん効果的である。
集中力の欠ける子どもにも、効果的である。
若いころ、オーストラリアの幼稚園で、先生がそういうふうにして指導しているのを見て、
私もまねをするようになった。
そのオーストラリアの幼稚園では、先生と生徒がキャッチボールをしながら、
授業を進めていた。
が、見方によっては、この方法は「体罰」に当たる。
しかしこの方法が問題になったことはない。
私の教室にはいつも参観している親たちがいる。
その親たちが、笑って見ている。
ボールを投げつけられた子どもにしても、それが楽しいらしい。
ボールを拾って、すかさず、投げ返してくる。
それに・・・。
それがいやだったら、いつでも教室をやめることができる。
親や生徒の意思で、先生を取りかえることができる。
私もいつも、生徒たちにこう言っている。
「いやになったら、いつでもやめていいよ」と。
●相反した目的
教師はいつも2つの相反した問題で、悩む。
「どうすれば、子どもたちを楽しませることができるか」という問題。
「どうすれば、子どもたちに学ぶことに耐えてもらえるか」という問題。
わかりにくい書き方をしてしまったので、もう一度、書く。
(楽しさ)と(苦痛)を、いかに両立させるか、と。
楽しさを追求すれば、勉強がどうしてもおろそかになる。
一方、勉強ばかりさせると、子どもが逃げてしまう。
もうひとつ多くの進学塾がしているように、成績で子どもを脅すという方法もある。
「こんな成績では、○×中学には入れないぞ!」と。
しかしこれは邪道。
で、さらに問題はつづく。
楽しませようとすると、必要以上に乗りまくってしまう子どもが出てくる。
このタイプの子どもは、「教室」の秩序を、メチャメチャにしてしまう。
授業そのものが、成り立たなくなってしまう。
昔、こんなことがあった。
B君というやや多動性のある子どもがいた。
こういうときはB君を抑えながら、ほかの子どもたちを楽しませなければならない。
教える方も、たいへん神経をつかう。
が、そのとき異変が起きた。
私は楽しませているはずなのに、ふとB君の両側の子ども(女児)を見ると、2人も
涙ぐんでいるではないか。
「どうしたの?」と聞くと、「先生が、こわい」と。
B君には鋭い視線を投げかけていた。
B君をこまかく注意しながら、授業を進めていた。
それが両側にいた子どもに、影響を与えていた。
●親との問題
学校の先生は、みな、こう言う。
「教育という職業は、すばらしいです。親が介在してこなければ、もっとすば
らしいです」と。
親と言っても、いろいろな親がいる。
10人のうち、9人まではよくても、残りの1人に問題があると、教師はとことん
神経をすり減らす。
で、その鍵を握るのが、親と教師との間の信頼関係ということになる。
信頼関係があれば、よし。
そうでなければ、ささいなできごとが、そのまま大きな問題となってしまう。
たとえば体罰にしても、体罰を問題にするのは、体罰を受けた子どもの親ではない。
その体罰を見ていた子どもの親である。
むしろ体罰を受けた子どもの親は、感謝するケースのほうが多い。
(だからといって、体罰を肯定しているわけではない。誤解のないように。)
しかし今、教師がプリントを丸めて子どもの頭をたたいただけで、親たちは、
「そら、体罰だ」と言って騒ぐ。
それはそれで仕方のないことかもしれないが、こうした親たちの姿勢が、教師を
萎縮させる。
その結果、教育の内容そのものまで、萎縮してしまう。
で、私の住む地域でも、万事、事なかれ主義が蔓延し始めている。
「やるべきことはやります。しかしそれ以上のことはしません」と。
たとえば小学2年生で、かけ算を学ぶことになっている。
昔は(20~30年前は)、かけ算ができなかったりすると、教師は残り勉強をさせてでも、
子どもに九九を暗記させた。
子どもが泣いても、暗記させた。
かけ算でつまずくと、そのあと、いろいろな学習でつまずくようになる。
が、今は、それをしない。
通り一遍のことを教えて、それで終わってしまう。
またそういう指導の仕方は、自粛されている。
それがよいことなのか、悪いことなのかということになれば、悪いことに決まって
いる。
結果、中学生でもかけ算のできない子どもが、続出している。
「七八(しちは)?」と聞かれても、即座に、「56」と答えられないなど。
「約20%の中学生がそうでないか」と言われている。
教育力の低下がよく問題になる。
たしかに低下している。
しかしその原因の大半は、親にある。
どうして親たちは、もっと自由に、子どもの教育を学校の教師に任せないのか。
親が介在してくるから、話がおかしくなる。
それが「親が介在してこなければ、もっとすばらしいです」という言葉になって、
はね返ってくる。
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司
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