Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, December 05, 2010

●乳幼児の心と親像

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   6日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回からのつづき】

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(※1)(※2)(※3)(※4)
(※5)について、原稿を添付します。

++++++++++++++

(※1)

●親が子育てできなくなるとき 

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた
父親がいた。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、そ
れがわからない」と訴えた父親もいた。

あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力その
ものがない母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。こ
のタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがど
ういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前
のたいへん頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっと
も会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、その
チンパンジーが九八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の
人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができる
かどうか」(新聞報道)だった。

人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのよ
うな、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのも
いるという。いわんや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てら
れた」という体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。し
かしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない
親」になる危険性がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、
この日本ではタブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。

先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を
書いただけでその翌日、一〇本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を
助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結
婚はできないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのも
あった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたの
ではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。
この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへ
んデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に
見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上
は解決したとみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づく
だけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違
う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分
の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔
父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、あ
る作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。すると
こうなる。もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築い
てほしいと願っているなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭が
どういうものであるかを、見せておかねばならない。いや、見せるだけではた
りない。しっかりと体にしみこませておく。そういう体験があってはじめて、
あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てができるようになる。
と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかって
いても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、
一つの努力目標と考えてほしい。

(付記)

●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育て
の「情報」そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本
文の中に書いたが、そのアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをし
ているという(二〇〇一年春)。これについて、つまりアイが子育てができる
理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを見せられたり、ぬいぐるみ
のチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説明されて
いる(報道)。しかしどうもそうではないようだ。

アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは
人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育と
いうワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、
アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五
人に一人は、「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の
面で夫に不満を感じている母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、
三倍になっていることがわかった(有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、
虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れ
たり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、
「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」
の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有
効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは
虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そして
その大半が何らかの形で虐待していることもわかったという(同、
総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、
虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一
九九八年までの八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二
〇〇〇年度には、一万七七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七
三件(五三%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九
件(三〇・四%)、差別的、攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。
虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。
また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前ま
でが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※2)ミューチュアル・アタッチメント

【新生児の謎】

●人間の脳の大きさは、母体の産道(骨盤)の大きさに比例する

+++++++++++++++++

進化の過程で、人間の脳は、より
大きくなってきた。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクゥス) ……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容量……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

+++++++++++++++++

胎児は母体の産道(骨盤の間)をくぐり抜けて、生まれる。
そのときもし胎児の頭の大きさが、産道よりも大きければ、胎児は、母胎の産
道をくぐり抜けることができない。

だから『人間の脳の大きさは、母体の産道の大きさに比例する』。

胎児の頭が大きくなればなるほど、母体の産道の直径は大きくなければならな
い。
もし胎児が産道をくぐり抜けることができなければ、胎児が死ぬか、反対に母
親が死ぬかのどちらかになる。
が、反対に、母体の産道が大きくなればなるほど、胎児の頭も大きくなるかと
いえば、それは言えない。

たとえば人間以外のほかの動物のばあい、頭よりも体のほうが大きい。
またその多くは、2体以上の子どもを出産する。
頭の大きさが問題になることは、ない。
つまりほかの動物のばあい、母体の産道の大きさは、頭というより、体の大き
さによって決まる。(その反対でもよいが……)。

が、人間だけは、いびつなまでに、頭だけが大きい。
なぜか?

●頭を大きくするために

人間の脳を、今以上に大きくするためには、母体の産道を大きくするか、胎児
そのものを、人工胎盤で育てるしかない。
よくSF映画の中にも、そういうシーンが出てくる。
大きな水槽の中で、胎児が人工飼育(?)されているシーンである。

水槽の中に胎児が浮かび、へその緒は、水槽外の栄養補給装置とつながってい
る。

この方法であれば、胎児は何の制約も受けず、自分の頭、つまり脳を大きくす
ることができる。いくら大きくなっても、出産時の問題は起きない。

「あれはSF映画の中の話」と思う人もいるかもしれないが、現在の科学技術
だけをもってしても、けっして、不可能ではない。
現在でも、一度体外に取り出した女性の卵子に、人工授精させ、再び母体に戻
すという方法は、ごくふつうのこととしてなされている。
あと50~100年もすれば、こうした方法、つまり人工胎盤を用いた育児法
が、ごくふつうのこととしてなされるようになるかもしれない。

●2つの問題

が、ここで2つの問題が起きる。
厳密には、3つの問題ということになるが、3つ目は、このつぎに書く。

ひとつは、こうして生まれた子どもは、頭が大きくなった分だけ、つぎの代か
らは、自然分娩による出産がむずかしくなるだろうということ。
代を重ねれば重ねるほど、むずかしくなるかもしれない。

「ぼくは人工胎盤で生まれたから、ぼくの子どもも、人工胎盤で育てる」と。
そう主張する子どもがふえることも考えられる。

もうひとつの問題は、『頭が大きくなればなるほど、脳の活動は鈍くなる』と
いうこと。

脳というのは、コンピュータの構造に似ている。
とはいうものの、シナプス間の信号伝達は、電気的信号ではなく、化学反応に
よってなされる。
この(化学反応)という部分で、脳は大きくなればなるほど、信号伝達の速度
が遅くなる。
言いかえると、脳は小さければ小さいほど、信号伝達の速度が速い。
このことは昆虫などの小動物を見ればわかる。
こうした小動物は、知的活動は別として、人間には考えられないような速い動
きをしてみせる。

つまり頭を大きくすることによって、より高度な知的活動ができるようになる
反面、たとえば運動能力をともなう作業的な活動になると、かえって遅くなっ
てしまう可能性がある。
歩くときも、ノソノソとした動きになるかしれない。
ひょっとしたら、頭の反応も鈍くなるかもしれない。

これら2つの問題は、克服できない問題ではない。
が、もうひとつ、深刻な問題がある。

●豊かな感情は人間の財産

人工胎盤で育てられた子どもは、はたして人間的な感情をもつだろうか?

豊かな感情は、安定した母子関係の中ではぐくまれる……というのが、現在の
常識である。
とくに生後直後から、満2歳前後までに、その子どもの感情、つまり情緒的発
達は完成される。

しかし胎児のばあいは、どうだろうか。
胎児は母親の母体内にいる間、母親の愛情を感ずることはないのだろうか。

が、これについては、「感じている」と考えるのが、自然である。
最近の研究によれば、誕生直後の新生児ですら、実は母親に向かって(働きか
け)を行っていることがわかってきた。
たとえば新生児は新生児で、本能的な部分で、自らの(かわいさ)を演出する
ことによって、親の愛情を自分に引きつけようとする。
つまり新生児の側からも、働きかけがあるということになる。
それまでは、たとえば愛情表現にしても、母親から新生児への一方的なものと
考えられてきた。
「母親から新生児への働きかけはあっても、新生児からの働きかけはない」と。

母親から新生児へ、新生児から母親へ。
こうした相互の(働きかけ)を、「ミューチュアル・アタッチメント(Mutual
Attachment)」という。

が、その「ミューチュアル・アタッチメント」が、誕生直後から始まると考え
るのには、無理がある。
あらゆる生物は、もちろん人間もだが、その成長過程において、連続性を維持
しながら成長する。
誕生と同時に、突然、「ミューチュアル・アタッチメント」が始まるというわ
けではない。
胎児は胎児であるときから、「ミューチュアル・アタッチメント」は始めてい
ると考えるのが、自然である。

となると、人工胎盤のばあい、胎児は、その「ミューチュアル・アタッチメン
ト」が、できないということになる。
人工胎盤の中の胎児は、暗くて冷たい、孤独な世界でもがき、苦しむというこ
とになる。
いくら働きかけをしても、それに応えてくれる母親は、そこにいない!

仮に100歩譲って、何とか情緒面の問題を克服して誕生したとしても、今度
は、そういう子どもに対して、卵子の提供者でしかない母親が、母親としての
じゅうぶんな愛情を感ずることができるかどうかという問題もある。

母親は10か月という長い期間、自分の胎内で子どもを育てるうちに、母親と
しての愛情を自覚する。
あるいは出産の苦しみをとおして、その愛情を倍加させる。
もちろん夫の役割も無視できない。
妻の出産を喜ぶ夫。
そういう姿を見て、母親である妻は、さらに子どもへの愛情を倍加させる。

こうしたプロセスを省略した子どもが、はたして、感情豊かな子どもに成長す
るかどうかということになると、あ・や・し・い。

●人間の脳

ところで進化の過程で、人間の脳は、より大きくなってきたと言われている。

ちなみに、猿人、原人、旧人、新人、現代人の脳容積はつぎのようになってい
る。

350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス)     ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクトゥス)……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積           ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容積……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)

ここで私は、「進化」という言葉を使ったが、実のところ現代人の祖先という
のは、定かではない。
ただ言えることは、人間(ヒト)は、猿(サル)から進化したのではないとい
うこと。
反対に、たとえばチンパンジーにしても、やがて人間のように進化するという
ことは、ありえない。
人間は、人間。
猿は、猿。
それぞれが、完成された個体である。

もちろん人間がここまで進化する過程の中では、猿人→原人→旧人→新人のそ
れぞれの段階で、無数の新種が生まれ、そして絶滅していった。
たとえばよく知られた例として、ネアンデルタール人がいる。
ネアンデルタール人は、人間の祖先であるホモサピエンスとそれほど能力的に
は差がなかったものの、今から1万数千年前に、絶滅している。

●未熟化する新生児

仮に産道の大きさはそのままで、胎児の頭だけが大きくなったら、どうなるか。
先にも書いたように、胎児は、母親の産道をくぐり抜けることができなくなる。
そうなれば母体である母親が死ぬか、胎児が死ぬかの、どちらかしかない。

が、ほかに方法がないわけではない。

胎児の頭がまだ、産道をくぐり抜けることができる大きさの段階で、出産する
という方法である。
つまり新生児としては未熟だが、その段階で母体から離され、そのあと、母体
の外で育てる。
現に新生児の体重は、3200グラム弱(平均)とされているが、(平均体重
は、この10年、年々減少傾向にあるが……)、その1か月後には、体重は、
約1・5倍に増加する。
2か月で2倍になる新生児も少なくない。

つまり人間の子どもの出産は、きわめて微妙な時期を選んでなされることが、
これでわかる。
もし出産時が、1か月早ければ、新生児は、特別な介護なくしては生きていく
ことすらむずかしい。
一方、もし1か月遅ければ、体重が増加し、ついで頭も大きくなり、出産その
ものがむずかしくなる。

ちょうどよいころに、ちょうどよい、……というギリギリのところで母親は子
どもを出産する。子どもは、うまく産道をくぐり抜ける。

が、疑問は、残る。

なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか、という疑問
である。
新生児のばあい、少なくとも生後6か月まで、保護者による手厚い保護がない
かぎり、自分で生きていくことはおろか、動き回ることすら、できない。

●進化論への疑問

ここにも書いたように、人間は人間として、今に見る人間に進化した。
「今の今も進化しつづけている」と説く人もいるが、反対に、「同時に退化し
つづけている」と説く人もいる。

突然変異というのは、まさに両刃の剣。
突然変異によって進化することもあるが、それまでの重要な遺伝子を喪失する
こともある。
つまり進化と退化は、相互に関連し合いながら、同時進行的に進むと考えてよ
い。

が、それはさておき、人間が今に見る人間になるについて、「ダーウィン的な
進化論では説明できない進化」と説く学者も少なくない。

進化論の世界では、「10万年に1回の、ささいな変化」でも、「突然変異」
とみるのだそうだ。
が、こと人間に関していえば、ほぼ20万年単位で「大・突然変異」を繰りか
えし、今に見る人間になった。

たとえば「人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたにもかか
わらず、350万年前の猿人の脳容量は、ほとんどチンパンジーと変わってい
ない」(「るい・NETWORK・生物史」)そうだ。

「二足歩行するようになったから、脳容積が大きくなった」という従来の常識
にも、よくよく考えてみればおかしいということになる。

そこで現われたのが、「作為説」。
「つまり人間は、その進化の過程で、何ものかによって、作為的に改良された」
という説である。

この説を説く学者も少なくない。

『……スミソニアン協会の著名な生物学者オースチン・H・クラーク氏は、進
化論についてこう述べています。

「人間が下等な生命形態から、段階的に発達してきたという証拠はない。いか
なる形においても人間をサルに関連づけるものは何もない。人間は突然に、今
日と同じ形で出現した」』(指摘:「宇宙GOGO」HPより)と。

「なぜ人間だけが、こうまで未熟な状態で、母体から生まれるのか」という疑
問についても、未熟なまま生まれるというように、だれかによって操作された
とも、考えられなくはない。

そのだれかとは、だれか?

このあたりから、話が、SF的になる。
あるいはどこか宗教的になる。
実際、こうした説に基づいて活動しているカルト教団もある。
だから私の話は、ここまで。

この先のことは、皆さんの判断に任せるが、UFOが存在し、当然、宇宙人が
存在するというこになれば、私たち人間が、その宇宙人によって何らかの(作
為的な改良)を受けたことがあるのではないかと考えても、おかしくない。

とくに(脳)については、そうである。
なぜ私たちの脳は、こうまで飛躍的に進化してしまったのか?
わずか5500年以前には、私たちは火の使い方すら知らない新石器人間であ
ったことを考えるなら、この疑いは大きくなることはあっても、小さくなるこ
とはない。

(注)自分で読み返しても、稚拙な内容の文章だと思う。
文章もへたくそだし、つっこみも甘い。
が、私はここを出発点として、さらにこの問題について、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist
産道 胎児の大きさ 胎児の頭 人間の脳)

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

(※3)基本的信頼関係

【基本的不信関係】

+++++++++++++++++++++++

私は子どものころから、心の開けない人間だった。
今も、そうだ。

+++++++++++++++++++++++

●基本的信頼関係

 0歳期に、母親との信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、いわゆる(心の開けない子ども)になる。
こうした状態を、「基本的不信関係」と呼ぶ。
が、基本的不信関係の恐ろしさは、これにとどまらない。
一度、基本的信頼関係の構築に失敗すると、その後遺症は、
一生にわたってつづく。
修復するのは不可能とまでは言い切れないが、自然の状態で、
修復されることは、まずない。

●絶対的なさらけ出し

 (絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)。
この2つの上に、基本的信頼関係は、構築される。
「絶対的」というのは、「疑うこともない」という意味。

 「私は親の前で、どんなことでもできる」というのが、
絶対的なさらけ出し。
「子どもがどんなことをしても許す」というのが、
絶対的な受け入れ。
それは、親側に子どもを全幅に包み込む愛情があって、
はじめて可能。

●不幸にして・・・

 が、不幸にして、不幸な家庭に育った子どもは、
少なくない。
家庭不和、育児拒否、家庭騒動、経済問題、無視、冷淡など。
親にしても、「子育てどころではない」となる。
こういう環境で育つと、子どもは、基本的信頼関係の
構築をすることができなくなる。
一見、愛想はよくなるが、それは子ども本来の姿ではない。
中に、「うちの子は、人見知りも、後追いもしませんでした」と
言う親がいる。
どこか自慢げに言う人もいるが、それは自慢すべきような
話ではない。

 良好な家庭環境で育てば、子どもは1歳7か月前後まで、
他人には警戒し、自分の親が見えなくなると、後を追いかけたり
する。

●孤独という無間地獄

 「人を信じられない」というのは、たいへん不幸なことである。
「信じられない」だけでは、すまない。
それと引き換えに、「孤独」を背負う。
その孤独が、こわい。
どうこわいかは、仏教でも、「無間の孤独地獄」と表現している
ことからも、わかる。
キリスト教でも、「愛」を横軸とするなら、「魂の解放」、つまり、
「渇き(=孤独)」からの解放を縦軸としている。
(これは私の勝手な解釈によるものだから、まちがっていたら、
ごめん。)

 実のところ、この私がそうである。

●父と母

 私は不幸にして、不幸な家庭に育った。
家庭教育の「か」の字もないような、家庭だった。
戦後直後のドサクサ期ということもあった。
父は、傷痍軍人として帰国。
やがて酒に溺れるようになった。
母は、虚栄心が強く、わがままで自分勝手だった。
その上、みな、食べていくだけで、精一杯という
時代だった。

 基本的信頼関係など、もとから望むべくもない。
私が生来的にもつ不安感、焦燥感は、すでにそのころから
始まっていたとみるべき。

●シッポ

 子どものころの私を知る人たちは、みな、こう言う。
「浩司は、明るくて、朗らかな子だった」と。
しかしそう言われるたびに、私は大きな違和感を覚える。
私はだれにでもシッポを振るような子どもだった。
相手に合わせて、おじょうずを言ったり、うまく取り入ったり
した。

 が、けっして相手を信用しなかった。
いつも私の心の中には、別の目があって、その目で相手を
ながめていた。
「この人の目的は何か」
「この人は、私をどう利用しようとしているのか」
「私は、この人をどう利用したらいいのか」
「あるいは、利用価値はあるのか」と。

●4つのパターン
 
 基本的信頼関係の構築に失敗すると、ふつう、つぎの
4つのタイプの子ども(人間)になると言われている。

(1) 攻撃型(ツッパル)
(2) 服従型(親分肌の子どもに徹底的に服従する)
(3) 依存型(ベタベタと甘える)
(4) 同情型(わざと弱々しさを演じて同情を集める)

 が、何も子どもにかぎらない。
一度、こうした傾向が子ども時代(思春期前夜から思春期)に
現れると、その症状は、一生、つづく。
それがその人の、性格的ベースになる。

●不安と焦燥感

 私が基本的に、淋しがり屋なのは、基本的不信関係に起因
している。
が、それだけではない。
先にも書いたように、常に襲いくる不安と焦燥感。
この2つの間で、いまだに苦しんでいる。

 わかっていても、どうすることもできない。
「だれかを信じたい」という思いは強いが、信ずるほど、
心を開くことができない。
いつも一歩、その手前で、相手を疑ってしまう。
そして裏切られることを恐れ、裏切られる前に、相手を
裏切ってしまう。
裏切ることはないにしても、裏切られることに、強い
警戒心をいだく。

●シッポを振る

 そのため、基本的不信関係の人は、心がもろく、傷つき
やすい。
「私は私」と、デンと構えることができない。
わかりやすく言えば、ガタガタ。
「シッポを振る」というのは、そういうことをいう。

 孤独でさみしいから、人の中に入っていく。
しかし自分をさらけ出すことができない。
だから疲れる。
精神疲労を、起こしやすい。
で、家に帰ってきて、「もう、いやだ~ア」と、声をはりあげる。

 ショーペンハウエルという学者は、それを『2匹のヤマアラシ』
という言葉を使って説明した。

●2匹のヤマアラシ

 ある寒い夜のこと。
2匹のヤマアラシが、たがいによりそって、暖をとることにした。
しかし近づきすぎると、たがいの針が痛い。
離れると、寒い。
そこで2匹のヤマアラシは、一晩中、近づいたり、離れたりを
繰り返していた。

 基本的不信関係にある人の、心理状態を、たくみに説明している。
このタイプの人は、(孤独)と(精神疲労)の間を、行ったり、
来たりする。
が、それだけではない。

●孤独の世界

 「人を信じたい」と思う。
しかし信じられない。
信じられそうになると、それがこわくて、自ら逃げてしまう。
自分のほうから、ぶち壊してしまうこともある。
「本当の私を知ったら、みんな逃げていく」と。

 愛についてもそうだ。
「人を愛したい」と思う。
しかし愛せない。
愛されそうになると、それがこわくて、自ら逃げてしまう。
自分のほうから、ぶち壊してしまうこともある。
「本当の私を知ったら、みんな逃げていく」と。

 こうして自らを、ますます孤独の世界へと追いやっていく。

●基底不安

 もうひとつの特徴は、いつ果てるともなくつづく、悶々と
した不安感。
「基底不安」ともいう。

 もっともその不安感を強く覚えたのは、子どものころ。
おとなになるにつれて、原発的な不安感は消え、姿を
変えた。

 たとえば長い休暇を手にしたとする。
長いといっても、1~2週間である。
そういうとき私は、遊ぶことに対して、おかしな罪悪感を
覚える。
「遊んでいてはいけないのだ」という罪悪感である。
人は、そういう私を批評して、「貧乏性」という。

 だから私のばあい、利益があるとかないとか、
そういうことには関係なく、働いていたほうが、気が楽。
何かをしていないと、落ち着かない。

●悪夢

 もうひとつは、悪夢。
悪夢といっても、怪獣が出てくるとか、悪魔が出てくる
とかいうものではない。
何かに乗り遅れるという夢である。

 たとえばどこかの旅行地に行っている。
飛行機に乗る時刻が迫っている。
空港まで行くリムジンは、ホテルの前で待っている。
しかし部屋の中は、散らかったまま……。
急いで片付けているのだが、すでにバスはそこにいない。

 内容はさまざまだが、基本的な部分は同じ。
こうした夢を、ほとんど毎朝のように見る。

●世代連鎖

 話を戻す。 
さらに言えば、その人が基本的不信関係の人であっても、
それはその人の範囲での問題ということになる。
不幸な過去について、その人に責任があるわけではない。
しかしあくまでも、その人、個人の問題。

 それに私の世代でいうなら、みな、そうだった。
「戦争」というのは、そういうもの。
人心そのものを荒廃させる。
あの時代、まともな家庭環境で育った人のほうが、少ない。

 が、この基本的不信関係は、きわめて世代連鎖しやすい。
親から子へと伝わりやすい。
親が心を閉じていて、どうして子が、心を開ける子どもに
なるだろうか。
夫婦関係についても、同じ。
夫が心を閉じていて、どうして妻が、心を開ける妻に
なるだろうか。
友人関係や、近隣関係、さらには親類関係にしても同じ。
この問題には、そういう深刻な側面が含まれる。

●私たちの子育て

 私のばあいも、結婚はしたものの、妻にさえ、心を
開くことができなかった。
妻も、4歳くらいのときに、母親をなくしている。
ともにいびつな家庭環境で、生まれ育った。

 だから今にして思えば、私たちのした子育ては、どこか
いびつだった。
子育ての情報そのものが、脳の中に、インプットされて
いなかった。
おまけに、私たちを指導してくれる人さえ、近くにいなかった。
暗闇の中を、手探りで、子育てをしているようなものだった。

 私は(仕事の虫)となって、夢中で仕事をした。
家庭を顧みなかった。
ワイフのほうはどうかは知らないが、全体としてもみても、
平均的な母親よりは、愛情が希薄だったと思う。
3人の子どもたちは、日常的に愛情飢餓の状態に置かれた。

●母自身も犠牲者(?)

 先ほど、世代連鎖のことを書いた。
実のところ、私が基本的不信関係に陥ったのは、私の母との
関係だけ、というふうに考えるには、無理がある。

 このことは最近になって、いとこたちと話すことで知った。
当人たちは、それに気づいているかどうかは知らないが、いとこの
中には、私と同じような症状で苦しんでいる人が多い。
つまり私の母自身も、心の開けない人だった。
虚栄心が強かったのも、そのひとつということになる。

 同じように、いとこたちの中にも、心の開けない人がいる。
そういう人を知ることによって、私の母自身も、その前の
世代から、世代連鎖を経て、あのような母になったことがわかる。
こんなことがあった。

●ある知人

 あるいとこと、いっしょに食事をしたときのこと。
当時私は、入眠導入剤というのを、のんでいた。
いわゆる「眠り薬」である。
ときどき眠り損ねると、夜中の2時、3時まで、眠られない
ことがある。
それでそういう薬を、医師に処方してもらった。

 で、その話をして、ふと薬を見せると、そのいとこは、
その薬名を、さっとメモに書き写していた。
イヤ~ナ気分だった。
何かを調べられているような気分だった。

 実のところ、そのいとこも、愛想はよいが、だれにも
心を許さないタイプの男だった。
ただ私とのちがいは、私にはそれがわかったが、その
知人には、それがわからなかったということ。
もちろん「基本的不信関係」という言葉すら、知らないだろう。

●オーストラリア

 私が「心を開く」ということを知ったのは、オーストラリアへ
渡ってからのこと。
オーストラリア人というのは、総じて、心がオープン。
戦勝国として、戦後、きわめて恵まれた国で、みな生まれ育った。
当時は、世界でも1、2を争うほど、豊かな国だった。

 たとえば映画館などでも、静かに映画を観ているような客は
いない。
画面に反応して、声を張り上げたり、手を叩いたりして観ていた。
海辺へ行けば、みな、素っ裸で、泳いだ。
男も、女もない。
そういうオーストラリア人と接するうちに、私は、心を開くことが
どういうことかを知った。
そのせいか、今でも、個人的な悩みや苦しみは、相手がオーストラリア
人だと、話せる。
日本人だと、話せない。

 あるいは今でも、相手がオーストラリア人とわかったとたん、
10年来、20年来の友人のように、話しかけていくことが
できる。

●私の教室では・・・

 今、多くの幼児を教えさせてもらっている。
で、あのピアジェも、人間は、2度、作りかえるチャンスが
あるというようなことを説いている。
一回目は、1・5歳~2歳前後※。
しかしこれは私の専門外。

 もう1度は、4~5歳※にかけての時期。
(※年齢は、記憶によるものなので、不正確。)
これについては、私も納得する。

この時期に適切な指導をすれば、心の開けない子どもでも、心を
開くことができるようになる。
子ども自身が、大きく変化する。

 もちろんそんなことは親には言わない。
言っても理解されないだろう。
しかし私はそういう子どもを知ると、猛烈な指導意欲が
わいてくる。
それは自分自身との闘いのようなもの。
そしてこう思う。
「ぼくが直して(治して)やろう!」と。

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育ち、(けっして
見た目の裕福さにだまされてはいけない)、心が
開けなくなった子どもは、多い。
そういう子どもを見かけると、とても他人ごとのように
思えなくなる。

●知っているのは、私だけ

 もちろん子ども自身も、それに気がつくことはない。
仮に開けるようになったとしても、私のおかげで
そうなったとは、思わない。
ただ自分が味わった不幸、現在進行形でつづいている
不幸だけは、経験させたくない。
そういう思いが、強く働く。

 方法は、簡単。
大声でゲラゲラと笑わせる。
言いたいことを言わせる。
心の状態と表情を一致させる。

 が、この時期を逃したら・・・。
この問題にも臨界期のようなものがあって、それ以後、
心を開くようになるのは、たいへんむずかしい。

●終わりに・・・

 ほとんどの人は、「私は私」と思っている。
しかしその「私」は、けっして私ではない。
繰り返しになるが、私のばあいも、日々に襲いくる不安感と
焦燥感。
いまだにそれに苦しんでいる。
人を信じられない孤独感を、どうしようもないでいる。

 が、それが本当の「私」かというと、そうは思いたくない。
そういう「私」は、環境の中で、作られた「私」でしかない。
私は、作られた「私」にあやつられているだけ。

 ……ということで、ここでの結論。

●結論

 まず、そういう「私」であることを知ること。
そういう「私」で知った上で、そういう「私」と、うまくつきあうこと。
直そうとおもって、直るものではない。
直そうともがけばもがくほど、深みにはまってしまう。

この問題は、本能に近い部分にまで、刻み込まれている。
また前頭連合野の理性で、コントロールできるような問題もない。
だから、あとは、うまくつきあっていくしかない。
つまり居直る。
「私は、こういう私」と居直る。

 だれしもこの程度の十字架の、1本や2本を背負っている。
十字架を背負っていない人はいない。
まずいのは、そういう「私」がいることに気づかず、それに振り回される
こと。
同じ失敗を繰り返すこと。

このエッセーが、あなたの中の「私」を発見するための手がかりになれば、
うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 基本的信頼関係 基本的不信関係 ショ
ーペンハウエル 2匹のヤマアラシ 私探し はやし浩司 私とは 心を開
く 幼児教育 解放 心の解放 はやし浩司)

【次回へつづく】(次回は基本的信頼関係について)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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