Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, January 12, 2011

●自尊感情

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司



●自尊感情

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『日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大体満足している」と答えたのは米国が53.5%、中国も24.3%に上ったのに対し、日本は9.4%にとどまっていた。また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よいところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3年生の39.6%が否定的な回答をしていた』(以上、毎日新聞の記事より・08・11・26)。

数字をもう一度、整理してみる。

「私は自分に大体満足している」と答えたのは、

アメリカ……53.5%
中国  ……24.3%
日本  …… 9.4%

「自分には、よいところがあると思いますか」という質問に対して、否定的な回答を
したのは、

都内の小学6年生……29.4%、
中学3年生   ……39.6%

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東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持てない子どもの自尊感情を高める指導方法について研究を始める方針を固めたという(毎日新聞※)。

しかしどうして今ごろ?、というのが、私の率直な感想。
つまりどうして今ごろ、「研究を始めるのか?」と。
こんなことは発達心理学を少しでも勉強してことがある人なら、みな、知っている。
つまり常識。
「自己の同一性」(アイデンティティ)という言葉を知らない人は、ない。
自尊感情にしても、やる気にしても、すべてこの自己の同一性で、決まる。

その自己の同一性について、

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●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どんな人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念ということになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズレる。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにいれば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1) 自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。
(2) 責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。
(3) 自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。
(4) 自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。
(5) 脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いてみる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思いこんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!
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●自分を知る

 自分の中には、(自分で知っている部分)と、(自分では気がつかない部分)がある。

 同じように、自分の中には、(他人が知っている部分)と、(他人が知らない部分)がある。

 この中で、(自分でも気がつかない部分)と、(他人が知らない部分)が、「自分の盲点」ということになる(「ジョー・ハリー・ウインドウ」理論)。

 (他人が知っていて、自分では知らない部分)については、その他人と親しくなることによって、知ることができる。そのため、つまり自分をより深く知るためには、いろいろな人と、広く交際するのがよい。その人が、いろいろ教えてくれる(※)。

 問題は、ここでいう(盲点)である。

 しかし広く心理学の世界では、自分をよりよく知れば知るほど、この(盲点)は、小さくなると考えられている。言いかえると、人格の完成度の高い人ほど、この(盲点)が小さいということになる。(必ずしも、そうとは言えない面があるかもしれないが……。)

 このことは、そのまま、子どもの能力についても言える。

 幼児をもつほとんどの親は、「子どもは、その環境の中で、ふさわしい教育を受ければ、みんな、勉強ができるようになる」と考えている。

 しかし、はっきり言おう。子どもの能力は、決して、平等ではない。中に平等論を説く人もいるが、それは、「いろいろな分野で、さまざまな能力について、平等」という意味である。

 が、こと学習的な能力ということになると、決して、平等ではない。

 その(差)は、学年を追うごとに、顕著になってくる。ほとんど何も教えなくても、こちらが教えたいことを、スイスイと理解していく子どももいれば、何度教えても、ザルで水をすくうような感じの子どももいる。

 そういう子どもの能力について、(子ども自身が知らない部分)と、(親自身が気がついていない部分)が、ここでいう(盲点)ということになる。

 子どもの学習能力が、ふつうの子どもよりも劣っているいるということを、親自身が気がついていれば、まだ教え方もある。指導のし方もある。しかし、親自身がそれに気がついていないときは、指導のし方そのものが、ない。

 親は、「やればできるはず」「うちの子は、まだ伸びるはず」と、子どもをせきたてる。そして私に向っては、「もっとしぼってほしい」「もっとやらせてほしい」と迫る。そして子どもが逆立ちしてもできないような難解なワークブックを子どもに与え、「しなさい!」と言う。私に向っては、「できるようにしてほしい」と言う。

 こうした無理が、ますます子どもを勉強から、遠ざける。もちろん成績は、ますますさがる。

 言いかえると、賢い親ほど、その(盲点)が小さく、そうでない親ほど、その(盲点)が大きいということになる。そして(盲点)が大きければ大きいほど、家庭教育が、ちぐはぐになりやすいということになる。子育てで失敗しやすいということになる。

 自分のことを正しく知るのも難しいが、自分の子どものことを正しく知るのは、さらにむずかしい。……というようなことを考えながら、あなたの子どもを、一度、見つめなおしてみてはどうだろうか。

(注※)

 (自分では気がつかない部分)で、(他人が知っている部分)については、その人と親しくなることで、それを知ることができる。

 そこで登場するのが、「自己開示」。わかりやすく言えば、「心を開く」ということ。もっと言えば、「自分をさらけ出す」ということ。しかし実際には、これはむずかしい。それができる人は、ごく自然な形で、それができる。そうでない人は、そうでない。

 が、とりあえず(失礼!)は、あなたの夫(妻)、もしくは、子どもに対して、それをしてみる。コツは、何を言われても、それを聞くだけの寛容の精神をもつこと。批判されるたびに、カリカリしていたのでは、相手も、それについて、話せなくなる。

 一般論として、自己愛者ほど、自己中心性が強く、他人の批判を受けいれない。批判されただけで、狂乱状態になる人さえいる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【私らしく生きるために……】

●不適応障害

 「私は私」と、自分に自信をもって、生活している人は、いったい、どれだけいるだろうか。実際には、少ないのでは……。

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 「私は、こうでなければならない」「こうであるべきだ」という輪郭(りんかく)を、「自己概念」という。

 しかし、現実には、そうはいかない。いかないことが多い。現実の自分は、自分が描く理想像とは、ほど遠い。そういうことはよくある。

 その現実の自分を、「現実自己」という。

 この(自己概念)と(現実自己)が、一致していれば、その人は、「私は私」と、自分を確信することができる。自分の道を、進むべき道として、自信をもって、進むことができる。そうでなければ、そうでない。

不安定な自分をかかえ、そのつど、道に迷ったり、悩んだりする。が、それだけではすまない。心の状態も、きわめて不安定になる。

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 Aさん(女性)は、財産家の両親をもつ、夫のB氏と結婚したつもりだった。B氏の両親は、その地域でも、昔からの土地持ちという話を聞いていた。

 が、実際には、B家は、借金だらけ。しかも大半の土地は、すでに他人のものになっていた。ここでAさんの夢は、大きく崩れた。

 Aさんは、B氏の夫として、そして良家の奥様として、優雅な生活を設計していた。とたん、つまり、そういう現実を目の前につきつけられたとき、Aさんの情緒は、きわめて不安定になった。

 良家の奥様にもなりきれず、さりとて、商家のおかみさんにも、なりきれず……。

 毎晩のように、夫と、はげしい夫婦げんかを繰りかえした。

 ……というような例は、多い。似たようなケースは、子どもの世界でも、よく起こる。

 (こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)。その両者がうまくかみあえば、それなりに、子どもというのは、落ちついた様子を見せる。

 しかし(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が、大きく食い違ったとき、そこで不適応症状が現れる。

 不適応症状として代表的なものが、心の緊張感である。心はいつも緊張した状態になり、ささいなことで、カッとなって暴れたり、反対に、極度に落ちこんだりするようになる。

 私も、高校2年から3年にかけて、進学指導の担任教師に、強引に、文科系の学部へと、進学先を強引に変えられてしまったことがある。それまでは、工学部の建築学科を志望していたのだが、それが、文学部へ。大転身である!

 その時点で、私は、それまで描いていた人生設計を、すべて、ご破算にしなければならななかった。私は、あのときの苦しみを、今でも、忘れない。

……ということで、典型的な例で、考えてみよう。

 Cさん(中2.女子)は、子どものころから、蝶よ、花よと、目一杯、甘やかされて育てられた。夏休みや冬休みになると、毎年のように家族とともに、海外旅行を繰りかえした。

 が、容姿はあまりよくなかった。学校でも、ほとんどといってよいほど、目だたない存在だった。その上、学業の成績も、かんばしくなかった。で、そんなとき、その学校でも、進学指導の三者面談が、始まった。

 最初に指導の担任が示した学校は、Cさんの希望とは、ほど遠い、Dランクの学校だった。「今の成績では、ここしか入るところがない」と、言われた。Cさんは、Cさんなりに、がんばっているつもりだった。が、同席した母親は、そのあとCさんを、はげしく叱った。

 それまでにも、親子の間に、大きなモヤモヤ(確執)があったのかもしれない。その数日後、Cさんは塾の帰りにコンビニに寄り、門限を破った。そしてあとは、お決まりの非行コース。

 (夜遊び)→(外泊)→(家出)と。

 中学3年生になるころには、Cさんは、何人かの男とセックスまでするようになっていた。こうなると、もう勉強どころではなくなる。かろうじて学校には通っていたが、授業中でも、先生に叱られたりすると、プイと、外に出ていってしまうこともある。

 このCさんのケースでも、(Cさんが子どものころから夢見ていた自分の将来)と、(現実の自分)との間が、大きく食い違っているのがわかる。この際、その理由や原因など、どうでもよい。ともかくも、食い違ってしまった。

 ここで、心理学でいう、(不適応障害)が始まる。

 「私はすばらしい人間のはずだ」と、思いこむCさん。しかし現実には、だれも、すばらしいとは思ってくれない。

 「本当の私は、そんな家出を繰りかえすような、できそこないではないはず」と、自分を否定するCさん。しかし現実には、ズルズルと、自分の望む方向とは別の方向に入っていてしまう。

 こうなると、Cさんの生活そのものが、何がなんだかわからなくなってしまう。それはたとえて言うなら、毎日、サラ金の借金取りに追い立てられる、多重債務者のようなものではないか。

 一日とて、安心して、落ちついた日を過ごすことができなくなる。

 当然のことながら、Cさんも、ささいなことで、カッとキレやすくなった。今ではもう、父親ですら、Cさんには何も言えない状態だという。

日本語には、『地に足のついた生活』という言葉がある。これを子どもの世界について言いかえると、子どもは、その地についた子どもにしなければならない。(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が一致した子どもにしなければならない。

 得てして、親の高望み、過剰期待は、この両者を遊離させる。そして結局は、子どもの心をバラバラにしてしまう。大切なことは、あるがままの子どもを認め、そのあるがままに育てていくということ。子どもの側の立場でいうなら、子どもがいつも自分らしさを保っている状態をいう。

 具体的には、「もっとがんばれ!」ではなく、「あなたは、よくがんばっている。無理をしなくていい」という育て方をいう。

子どもの不適応障害を、決して軽く考えてはいけない。

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 「私らしく生きる……」「私は私」と言うためには、まず、その前提として、(こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)、その両者を、うまくかみあわせなければならない。

 簡単な方法としては、まず、自分のしたいことをする、ということ。その中から、生きがいを見つけ、その目標に向って、進んでいくということ。

 子どもも、またしかり。子どものしたいこと、つまり夢や希望によく耳を傾け、その夢や希望にそって、子どもに目的をもたせていく。子どもを伸ばすということは、そういうことをいう。
(はやし浩司 子どもの不適応障害 子どもの不適応障害 現実自己 自己概念)

(注)役割混乱による、不適応障害も、少なくない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

この日本には、子どもたちに用意された道が、一本しかないということ。
すべての問題の根源はここにある。

一人の人間が、子どもからおとなになる過程において、子ども自身が選べる
道が、もっとたくさんあってもよいのではないか。

たとえばドイツやイタリアでは、中学生たちはたいてい午前中だけで授業を
終え、それぞれがみな、クラブに通っている。
その費用は、(チャイルド・マネー)として、国から支給されている(ドイツ)。

東京都教育委員会は、「脳科学の専門家と連携して」、その方法を探るという。
すごいことだと思うが、これは脳科学の問題ではない。
制度の問題である。

今の制度では、(ものを考えない、従順な子ども)のみが、受験競争を勝ち抜く
ことができる。
その異常さに、まずみなが先に気がついたらよい。

(注※)(以下、毎日新聞の記事より)東京都教育委員会は来年度から、自分に自信の持てない子どもの自尊感情を高める指導方法について研究を始める方針を固めた。日本の子どもは最近の学力テストや国際調査で自己肯定感が低いことが分かっている。いじめや不登校など教育問題の根底にも子どもの自尊心が少ない点があるともみられ、向上策の開発に着手する。

 都教委の計画では、都教職員研修センター(文京区)と大学が共同研究を進める。脳科学などの専門家と連携し、子どもにどのような働きかけをすれば自尊感情が高まるかを探る。さらに小学校1校を研究協力校に指定し、児童の意識調査を行い、指導方法を実証する。事業費として400万円を要求している。

 日本青少年研究所が02年11月にまとめた中学生の国際調査によると、「私は自分に大体満足している」と答えたのは米国が53.5%、中国も24.3%に上ったのに対し、日本は9.4%にとどまっていた。また、07年度の国の学力テストでも「自分には、よいところがあると思いますか」との質問に対し、都内の小学6年生の29.4%、中学3年生の39.6%が否定的な回答をしていた。

 都教委の担当者は「子どもに自信が育つ核心の部分をできるだけ解明し、いろいろな手立てで働きかけられるようにしていきたい」と話している(以上、毎日新聞の記事より)。

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自尊感情 やる気)