Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, February 20, 2011

●子どもをよく知るために

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 2日
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3月2日  第1487号になりました!

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもを知る心理学byはやし浩司】

●窮地の演出

 子どもの自尊心を高める方法が、これ。つまり「私はお母さんのピンチを救った」と思
わせながら、子どもを得意にさせる。「家族のピンチ」でもよい。これを『窮地の演出』(は
やし浩司)という。「あなたのおかげで、お父さんは無事だったのよ。命の恩人ね」と。と
いっても、そういう場面は、そうは多くない。が、そのときどきにおいて、それを演出す
る。「今日、あなたのおかげで、助かったわ。あなたがいなかったら、どうなっていたこと
か」と。要するに負けを認めるところでは認める。意地を張って、親の優位性を子どもに
押しつけてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司※

●クロス・コンプレインニング

 コンプレイン(Complain)は、アメリカの精神医学会の診断基準によれば、精神障害の
主症状のひとつになっている。愚痴をよく言う人は、何らかの精神障害を疑ってみる。そ
の愚痴を言い合うのが、クロス・コンプレインニング。「お前はあのとき、みなの前でぼく
に恥をかかせた」「あなただって、私の兄に、悪口を言ったじゃない」「それはお前が、ぼ
くの言ったことを、バカげていると笑ったからだ」と。ある賢人はこう書き残した。『怒っ
ているときは愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな』と。とくに子どもには愚痴を言わ
ない。子どもの愚痴を聞いても、怒らない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自我の拡大

 「私は私」と強く認識することを、「自我」という。その自我がさらに強くなると、周り
の人たちを自分の支配下に置こうとする。「私」を実際以上に、大きく見せようとする。そ
れが「自我の拡大」。親意識も、総じて言えば、この自我の拡大として理解できる。それほ
ど力もない親が、大物ぶって見せるなど。あるいは物知りであるように振舞うなど。なけ
なしのサイフを振りながら、金持ちぶるのも、それ。つまり「私は力がある」ということ
を誇示しながら、相手を自分の下に置こうとする。力のない親が、陥りやすいワナのひと
つ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己効力感

人は常に他者との関わりの中で生きている。かかわりももたず、ひとりで生きている人
(?)は、何か心に大きな障害をもった人と考えてよい。その(関わり)の第一が、自己
効力感ということになる。自己肯定感ともいう。「私は他人に認められている」「自分は社
会で役に立っている」「私を必要とする人がいる」「私はやればできる」と。子どもの世界
でいうなら、「私は親に守られている」「私の親は、私を信じてくれている」というのも、
それ。こうして人は、他人との関わりの中で、自分を位置づけていく。またそれがあると、
その人(子ども)は、それをバネとして、前向きに伸びていくことができる。まずいのは、
ネガティブな育児姿勢。「あなたはやっぱりダメね」式の言葉は、子育てではタブー。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マザコン(マザーコンプレックス)

 マザコン男ほど、相手に「マドンナ(=理想的な女性)」を求めやすい。が、この世の中
に、マドンナ(聖女)など、いない。だから一般論として、マザコン男ほど、離婚しやす
いと言われている(確たる統計があるわけではないが……。)あるいはマザコン男ほど、浮
気をしやすいとも言われている。だから子ども(男児)をマザコンにすると、子どもは将
来、幸福な結婚生活を送れなくなる可能性が高くなる。で、それを是正するのが、父親。『子
どもを産み育てるのは母親。狩の仕方を教えるのが父親』と。母子関係の是正と、社会性
の認識。それが父親の役目ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●空想的虚言

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのは構わない。しかし空中の楼閣に
住まわせてはならない』というのがある。空想するのは、子どもの自由。自由というより、
特権。しかし空想は空想。現実との間に一線を引く。この一線が引けなくなると、子ども
は、空想的虚言を口にするようになる。ウソの世界に生きているから、空想と現実の区別
さえつかない。「私はイタリアの女王」と言い張った女の子(小2)がいた(オーストラリ
ア)。が、その一方で、空想がまったくできない子どもがいる。冗談を言っても笑わないど
ころか、反対に怒り出してしまう。頭がカチカチで、融通がきかない。アスペルガー児に
よく症状のひとつである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夢の加工

 私たちが見る夢は、そのつど加工されている。現実をそのまま夢に見ることは、めった
にない。たとえば私は電車に乗り遅れる夢を、よく見る。これは私の心の中に内在する強
迫観念が圧縮され、象徴化されたものと考えることができる。「電車」は、「人生」を置き
換えたもの。乗り遅れることによってハラハラするのは、強迫観念が象徴化したもの。つ
まり夢は心の中を映す鏡ということになる。反対にどんな夢を見るかを知ることによって、
たとえば子どもの心の中をのぞくことができる。意外なのは、幼児でもこわい夢を見る子
どもが多いということ。先日幼児クラスで聞いてみたら、約60%の子どもが、こわい夢
をよく見ていることがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己達成感

 子どもに何かをやらせるときは、自己達成感を大切にする。「できた!」という喜びが、
つぎの意欲へとつながっていく。たとえばワークブックでも、半分程度できればよしとす
る。あるいは子どもにとって、やや簡単すぎるかな(?)と思えるようなものにする。こ
んなことがあった。生徒に30問くらい計算問題をさせたときのこと。1~2問、答がち
がっていたが、私は花丸をつけて、その子どもをほめた。それについて祖母が、こう言っ
た。「いいかげんな丸はつけないでほしい」と。私はこう反論した。「一生懸命したことに、
花丸をつけたのです」と。その子どもは計算が苦手だった

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●セルフ・サマライジング(自己完結)

 相手の立場や心を勝手に結論づけてしまう。それを「セルフ・サマライジング」という。
「自己完結」と訳す。たとえばこういう会話。「あなたの成績は最悪ね。これじゃあ、あな
たの人生は終わりね」とか、など。相手をさして、「人間のクズ」とか、「負け犬」とか、
反論できないような言葉を使うのも、それ。「君は本当は、ぼくを嫌っている。だからそう
いうことを言うのだ」というのも、それ。相手の立場や心を確かめることなく、「そうだ」
という前提で、自分の立場や心を決めてしまう。自己中心性の強い人が陥りやすいワナで
ある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ウィンザー効果

 子どもをほめるときは、第三者の口を借りるとよい。それとなく子どもの耳に入るよう
にしむける。あるいは第三者を介してほめる。子どもが聞こえるようなところで、(あるい
は聞こえなくてもよいが)、父親に向かってこう言う。「うちの子ねえ、今日、先生にほめ
られたのよ。うれしいわ」と。これを私は「間接話法」(はやし浩司)と呼んでいる。心理
学の世界では「ウィンザー効果」という。ウィンザー公爵夫人(小説『伯爵夫人はスパイ』)
が言った言葉とされる。「あなたはすばらしい」とほめるのが、直接話法。直接話法よりも、
間接話法の方が効果的。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●セルフ・ハンディキャッピング

 テスト前なのに、子どもがやるべきことをやらないで、ゲームばかりしている。そうい
う姿を見ると、親は、イライラする。が、子どもとて、テスト前ということを知らないわ
けではない。あせればあせるほど、勉強が手につかなくなる。どうしようもない状態に、
自分を追い込んでしまう。これを心理学の世界では『セルフ・ハンディキャッピング』と
いう。自ら、ハンディを設定し、その中に自分を押し込んでしまう。こういうときは子ど
もを追いつめるのではなく、逆に気分転換をさせるとよい。「レストランでおいしいもので
も食べてきましょう」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●完璧主義の子ども

 何をやらせても、完璧。また完璧でないと、気がすまない。先生やほかの親たちには、「す
ばらしい子ども」と評価される。またそう評価されることで、自分の立場を作る。が、こ
のタイプの子どもは、その一方で、他人に仕事が任せられない。他人の失敗を許さない。
何でもイチから自分でしたがる。またそれができないと、突然、仕事を投げ出したりする。
そのため、仲間の間では嫌われる。心を許さないから、いつも孤独。本人が思っているほ
ど、仲間の間ではよく思われていない。が、このタイプの子どもは、一度何かでつまずく
と、ガタガタになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●好意の返報性

 子どもを伸ばす最大の秘訣は、その子どもを「いい子」「すばらしい子」と、信ずること。
たとえそうでなくても、何度も心の中で繰り返し、自分の心をだます。英語のことわざに
も、『相手は、あなたが思うように、あなたを思う』というのがある。あなたがその子ども
を「いい子」と思っていると、その子どもも、あなたを「いい人」「いい先生」「いい親」
と思うようになる。以心伝心ともいう。魚心あれば水心ともいう。好意には、返報性があ
る。

(補記)

●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を
意味す
る(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」という単
語に由来す
る。

 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせ
いか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参観して
いる私の
ほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。

 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、そ
れが強
化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。

●脳内ホルモンが脳を活発化させる

 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときに
は、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活
動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。

 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつ
ぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、
伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よく
みられる現象である。が、それだけではない。

ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなことが
あった。

●子どもをほめるときは本気で

 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴
るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出
されていた。

 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休み
になる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにし
た。

 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、
あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、
そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返
報性」という言葉がある。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子
どもを伸ばす。

●「先生、肩もんでやるよ。」

 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助
手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。

 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」
と。

 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解
した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こ
んなことがあった。

 いつもより30~40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K
君は、少し恥ずかしそうにこう言った。

 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。

 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン
 子どものやる気 子供の集中力 思考力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ストレス学説

 ストレスの原因を、「ストレッサー」という。人間はある程度のストレスには耐えられる。
が、限界を超えると、さまざまな身体的変調となって、それが外に現れる。が、それがさ
らに慢性化すると、脳内でサイトカインが分泌され、脳内ストレスを引き起こす。食欲不
振、低体温、性欲減退など。さらにそれが進むと、免疫機能が低下し、ばあいによっては
心疾患、脳疾患、がんなどの病気の引き金を引くこともある。けっして軽く見てはいけな
い。なおストレスの程度と、それに対する反応には、個人差がある。Aさんには何でもな
いストレスが、Bさんには大きなストレッサーとなることもある。ところでこんな話を耳
にした。「庭で放し飼いにしている犬ほど、長生きする」と。それだけストレスが少ないと
いうことか。私の家のハナ(犬)も庭で放し飼いにしているが、今年で16歳になる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己開示度

 相手がどの程度まで秘密を暴露しているかで、相手が、どの程度、あなたと親密になり
たがっているかがわかる。それを知るのが、「自己開示度」。いつもどうでもよいような世
間話だけで終わる人は、あなたと親しくなるのを拒んでいるとみてよい。反対に、自分の
病気や家族の問題などを話す人は、あなたと親しくなりたがっているとみてよい。反対に
あなたがその人と親密になりたかったら、秘密を暴露してみるとよい。あなたの秘密を知
ったことで、相手は信頼されていると思い、あなたに親近感を覚えるようになるかもしれ
ない。これを「自己開示の返報性」という。

(補記)

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタ
ルシス(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を
軽減させることをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻
であれば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、
そういう機能がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しか
った思い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出
を、すべて吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分
の心を開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)
相手もあなたに自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことが
できるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

● 私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
● 私にとって、今まで、一番つらかったことは、
● 私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容につ
いては、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っているか
どうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という言葉
は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくことができ
る。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしかっ
たことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプ
レックスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそ
ういうのがあれば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、
あなたと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がう
まく結べない人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対
して自己開示してみるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものが
ない人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理
解するという方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立
場になって聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、も
う一度、話してくれない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうす
るか、いろいろ考えてみたわ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せるこ
とで、同時に、自分もまた相手に対して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがい
にわけのわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出し
て、自己開示してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※ ……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによっ
ては、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、
そういう作用もある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●感受性訓練法

●感受性訓練法

 5~6人のクラスで、そのままにしておくと、子どもたちは勝手な会話を
し始める。
ふだんは制止するが、ときには、そのままにしておく。
それによって子どもたちの本音を知ることができる。
が、それだけではない。
言いたいことを、そのまま言わせることは、大切なこと。
それによって、よりよい人間関係を築くことができる。
たとえば心理学の世界には、「感受性訓練法」というのがある。
「ラボラトリー・トレーニング」とも呼ばれている。

 これは体験者を一室に隔離して、ありのままの感情を、さらけ出させるという方法。
それを体験者の状態に合わせて、数時間とか数日間、つづける。
やがてカタルシス効果が現れて、体験者は、大声で泣きわめいたり、怒ったりする。
不平不満をぶつけたり、ときに暴れたりする。
が、それが一巡すると、体験者は、やがて心を抑圧していた殻(から)から解放され、
感情をストレートに表現できるようになる。

 この訓練を受けると、感受性が豊かになり、他人に対して、深い思いやりが
生まれたり、相手の悲しみや苦しみが、よりよく理解できるようになるという。
が、似たような経験を、実は私は教育の場ではよくする。

 私はときどき、子どもたち(幼稚園児)に、こう言う。
「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。
すると子どもたちは、最初は、はにかみながら、「嫌いだよ~オ」などと答えたりする。

 そこで私は、語気を強めて、こう言う。
「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」「自分にウソをつくのは
悪いことだ!」と。
まじめな顔をして、叱る。
するとやがて子どもたちは、「好きだけどオ~」とか言うようになる。

 が、何もおっぱいの話にかぎらない。
ときに子どもたちをじらしながら、「見たかったら、見たいと言え!」と促したりする。
(この方法は、私がレッスン中によく使う。「BW公開教室」(私のHPより)
でも紹介しているので、興味のある人は見てほしい。)

 つまりこうして内にたまった(思い)を、一度、外に吐き出させる。
大声で言えるようにする。
感情を、そのまま表現させる。
言うなれば、これもカタルシス効果のひとつということか。
この方法により、一義的には、(性)に対して暗いイメージをもたせることを
防ぐことができる。
が、それ以上に、子どもの心をまっすぐにすることができる。

その結果として、子どもをして、かつ感受性豊かな子どもにすることができる。
「感受性が豊か」ということは、それだけ「他人の心に敏感に反応できること」を
いう。
 
反対に心がゆがんでくると、心(=情意)と表情が、一致しなくなってくる。
ばあいによっては、遊離し、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)になる。

 むずかしい話はさておき、親子の間でも、夫婦の間でも、また友人との間でも、
たがいに言いたいことを言うというのは、人間関係の基本。
それなくして、良好な人間関係は育たない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 感受性訓練 感受性訓練法 ラボラトリー・トレーニング 心の
訓練 はやし浩司 カタルシス効果)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●シンクロ効果(同調理論)

 その人と親しくなりたかったら、「同一景色」を見る。同一景色を見ながら、話をする。
たとえば美術館へ行ったようなとき。つねにその相手と同じ位置に立ち、同じ角度から同
じ絵や像を見る。たったそれだけのことだが、相手のあなたへの親近感がぐんと増す。こ
れを「同一景色理論」(はやし浩司)という。「同じものを見ている」という無意識下の意
識が、「シンクロ効果」を生み出す。けっしてあなたは、その相手を置いてきぼりにしたり、
勝手な行動をしてはいけない。子どもの心をつかみたかったら、子どもと同じレベルに置
いて、ゲームを楽しむのも一手。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦の相補性

 夫婦というのは、不思議なもの。30年とか40年もいっしょに暮らしていると、たが
いにたがいを補完しあいながら生きるようになる。行動だけではない。性格、性質につい
ても同じ。神経質な夫に、ヘマばかりしている妻。無口な夫に、おしゃべりな妻。独立心
が旺盛な夫に、甘えん坊の妻。活動的な夫に、従順な妻など。これを「性的相補性」と言
う。夫婦が100組いれば、100通りの夫婦が生まれる。だから夫婦はおもしろい。男
と女の世界は、おもしろい。

(補記)

●夫婦の相補性

++++++++++++++

夫婦が円満に暮らすためには、
相補性が必要である。

たがいにたがいを補いあう。それ
を「相補性」という。

++++++++++++++

 仲のよい夫婦を観察してみると、そこにはひとつの共通点があるのがわかる。「相補性」
という共通点である。たがいにたがいを補いあう。それを「相補性」という。

 たとえば1人の人間には、得意な点もあれば、不得意な点もある。良点もあれば、欠点
もある。そうしたもろもろの(点)を、たがいに補いあう。それが歯車のように、しっか
りとかみあう。それが「相補性」ということになる。

 もし夫婦のどちらも、勝ち気で社交的ということになれば、衝突から離婚……というこ
とになる。タレントどうしの結婚を例にあげるまでもない。が、そういう夫婦でも仲良く
やっているというケースもなくはないが、しかしよくよく観察してみると、ここでいう相
補性があることがわかる。

 反対に言うと、夫婦が円満であるためのコツは、いかにしてその相補性をつくるかとい
うことにもなる。

 これは私たち夫婦のばあいだが、私は車の運転免許証をもっていない。いろいろ理由は
あるが、私は車には、興味がない。だからワイフが近くにいないと、身動きが取れない。
たとえ夫婦げんかの最中でも、頭をさげなければならないときは、さげる。しかたないか
ら、さげる。これも相補性のひとつということになる。

 車を運転できない私を、ワイフが補ってくれる。

 つまり夫婦というのは、たがいに無数の相補性をもっている。結婚生活が長ければ長い
ほど、歯車の数もふえ、そしてそれぞれの歯車が、しっとりとかみ合うようになる。私が
担当すべきところは、私が担当する。半面、ワイフに任すべきところは、ワイフに任す。
一方、身を引くところは、引く。

 車の運転を例にあげるなら、車の運転は、ワイフに任せておけばよい。こうしてたがい
の相補性を、さらに濃密にしていく。

 が、それだけではない。

 相補性には、それぞれの分野で、主従関係をもつ。車を運転するワイフが、(主)であ
るとするなら、乗せてもらう私は、(従)ということになる。一方、仕事、収入という面
では、私が(主)であるとするなら、家計を管理するワイフは、(従)ということになる。

 この主従関係をうまくつくるのも、相補性を考える点で大切である。「夫が主で、妻が
従」というのではない。それぞれの分野で、主従関係をつくる。つくるというより、自然
にできる。もっとも、だからといって、私たち夫婦が、仲がよいというわけではない。

 要するに、私はワイフなしでは生きていかれないし、一方、ワイフは、私なしでは生き
ていかれない。そういうたがいの関係が、ときに(あきらめ)につながり、ついで(妥協)
につながる。総じていえば、結婚生活などというものは、そういうもの。またそれができ
る夫婦のことを、「仲のよい夫婦」という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦の相補性 仲のよい夫婦 仲の良い夫婦)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同性愛

 子どもはつぎの過程を経て、成長していく。(自己愛)→(同性愛)→(異性愛)と。フ
ロイトがそう言っている。つまり子どもの成長過程で、同性愛的傾向があるからといって、
あわててはいけない。ほとんどの子どもは、思春期前夜から思春期以前は、同性愛的傾向
をもつ。その時期を経て、それが異性愛へと変化していく。が、その時期を過ぎても同性
愛的傾向がつづくようであれば、性同一性障害が疑われる。(だからといって、それが異常
と考えてはいけない。どうであれ、あるがまま認め、納得する。)「性」の世界には、常識
は通用しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●エディプス・コンプレックス

 ソフォクレスの戯曲に、『エディプス王』というのがある。ギリシャ神話である。物語の
内容は、つぎのようなものである。

 テーバイの王、ラウルスは、やがて自分の息子が自分を殺すという予言を受け、妻イヨ
カスタとの間に生まれた子どもを、山里に捨てる。しかしその子どもはやがて、別の王に
拾われ、王子として育てられる。それがエディプスである。

 そのエディプスがおとなになり、あるとき道を歩いていると、ラウルスと出会い、けん
かする。が、エディプスは、それが彼の実父とも知らず、殺してしまう。

 そのあとエディプスは、スフィンクスとの問答に打ち勝ち、民衆に支持されて、テーバ
イの王となり、イヨカスタと結婚する。つまり実母と結婚することになる。

 が、やがてこの秘密は、エディプス自身が知るところとなる。つまりエディプスは、実
父を殺し、実母と近親相姦をしていたことを、自ら知る。

 そのため母であり、妻であるイヨカスタは、自殺。エディプス自身も、自分で自分の目
をつぶし、放浪の旅に出る……。

 この物語は、フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六~一九三九)にも取りあげ
られ、「エディプス・コンプレックス」という言葉も、彼によって生みだされた(小此木啓
吾著「フロイト思想のキーワード」(講談社現代新書))。

つまり「母親を欲し、ライバルの父親を憎みはじめる男の子は、エディプスコンプレック
スの支配下にある」(同書)と。わかりやすく言えば、男の子は成長とともに、母親を欲す
るあまり、ライバルとして父親を憎むようになるという。(女児が、父親を欲して、母親を
ライバル視するということも、これに含まれる。)

 この説話から、一般に、成人した男性が、母親との間に強烈な依存関係をもち、そのこ
とに疑問をもたない状態を、心理学の世界では、「エディプスコンプレックス」という。母
親からの異常な愛情が原因で、症状としては、同年齢の女性と、正常な交友関係がもてな
くなることが多い。

 で、私も今までに何度か、この話を聞いたことがある。しかしこうしたコンプレックス
は、この日本ではそのまま当てはめて考えることはできない。
その第一。日本の家族の結びつき方は、欧米のそれとは、かなり違う。その第二。文化が
ある程度、高揚してくると、男性の女性化(あるいは女性の男性化といってもよいが)が、
かぎりなく進む。現代の日本が、そういう状態になりつつあるが、そうなると、父親、母
親の、輪郭(りんかく)そのものが、ぼやけてくる。

つまり「母親を欲するため、父親をライバルとみる」という見方そのものが、軟弱になっ
てくる。現に今、小学校の低学年児のばあい、「いじめられて泣くのは、男児。いじめるの
は女児」という、逆転現象(「逆転」と言ってよいかどうかはわからないが、私の世代から
みると、逆転)が、当たり前になっている。

 家族の結びつき方が違うというのは、日本の家族は、父、母、子どもという三者が、相
互の依存関係で成り立っている。三〇年ほど前、それを「甘えの構造」として発表した学
者がいるが、まさに「甘えの関係」で成り立っている。子どもの側からみて、父親と母親
の境目が、いろいろな意味において、明確ではない。
少なくとも、フロイトが活躍していたころの欧米とは、かなり違う。だから男児にしても、
ばあいによっては、「父親を欲するあまり、母親をライバル視することもありうる」という
ことになる。

 しかし全体としてみると、親子といえども、基本的には、人間関係で決まる。親子でも
嫉妬(しっと)することもあるし、当然、ライバルになることもある。親子の縁は絶対と
思っている人も多いが、しかし親子の縁も、切れるときには切れる。

 また親なら子どもを愛しているはず、子どもならふるさとを愛しているはずと考える、
いわゆる「ハズ論」にしても、それをすべての人に当てはめるのは、危険なことでもある。
そういう「ハズ論」の中で、人知れず苦しんでいる人も少なくない。

 ただ、ここに書いたエディプスコンプレックスが、この日本には、まったくないかとい
うと、そうでもない。私も、「これがそうかな?」と思うような事例を、経験している。私
にもこんな記憶がある。

 小学五年生のときだったと思う。私はしばらく担任になった、Iという女性の教師に、
淡い恋心をいだいたことがある。で、その教師は、まもなく結婚してしまった。それから
の記憶はないが、つぎによく覚えているのは、私がそのIという教師の家に遊びに行った
ときのこと。川のそばの、小さな家だったが、私は家全体に、猛烈に嫉妬した。家の中に
はたしか、白いソファが置いてあったが、そのソファにすら、私は嫉妬した。
常識で考えれば、彼女の夫に嫉妬にするはずだが、夫には嫉妬しなかった。私は「家」嫉
妬した。家全体を自分のものにしたい衝動にかられた。

 こういう心理を何と言うのか。フロイトなら多分、おもしろい名前をつけるだろうと思
う。あえて言うなら、「代償物嫉妬性コンプレックス」か。好きな女性の持ち物に嫉妬する
という、まあ、ゆがんだ嫉妬心だ。

そういえば、高校時代、私は、好きだった女の子のブラジャーになりたかったのを覚えて
いる。「ブラジャーに変身できれば、毎日、彼女の胸にさわることができる」と。そういう
意味では、私にはかなりヘンタイ的な部分があったかもしれない。(今も、ある!?)

 話を戻すが、ときとして子どもの心は複雑に変化し、ふつうの常識では理解できないと
きがある。このエディプスコンプレックスも、そのひとつということになる。まあ、そう
いうこともあるという程度に覚えておくとよいのでは……。何かのときに、役にたつかも
しれない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親の役割

●母子関係の是正

 母子関係は、絶対的なものである。それは母親が、妊娠、出産、授乳(育児)という、
子どもの「命」にかかわる部分を、分担するためである。

 同じ親でも、母親と父親は、そういう意味においても、決して平等ではない。はっきり
言えば、父親がいなくても、子どもは生まれ、育つ。

 が、ここでいくつかの問題が生まれる。
 その第一は、精神の発育には、父親の存在が、不可欠であるということ。それには、つ
ぎの二つの意味が含まれる。

(1)父親像の移植
(2)母子関係の是正

 人間は、社会的な動物である。そしてその「社会」は、「家族」という、無数の共同体が
集合して、成りたっている。世界のあちこちには、大家族制度や、かつてのヒッピー族が
経験した、集団家族制度のような家族形態をとっているところもある。
しかしこの日本では、一人の父親と、一人の母親が結婚して、家族を構成する。それが家
族の基本であると同時に、子育ての基本となっている。(だからといって、そうであるべき
と言っているのではない。誤解のないように!)

 そうした家族形態の中における、父親の役割を、子どもに教える。「父親というのは、こ
ういうもの」「父親というのは、こうあるべき」と。これが父親像の移植である。子どもは、
父親に育てられたという経験があってはじめて、その父親像を、自分のものとすることが
できる。

 しかしこれに加えて、もう一つ、重要な役割がある。それが、(2)の母子関係の是正で
ある。

 このことは、離婚家庭や、父親不在家庭の子どもをみれば、わかる。
 父親像がない状態で育った子どもは、母子関係がどうしてもその分、濃密になり、母親
の影響を大きく受けやすい。そのためマザーコンプレックスをもちやすいことは、すでに
あちこちで指摘されているとおりである。

 子どもは、その成長過程において、母子関係から離脱し、社会性を身につける。これを
「個人化」という。その個人化が、遅れる。あるいは未発達なまま、おとなになる。三〇
歳を過ぎても、四〇歳を過ぎても、さらに五〇歳をすぎても、母親なしでは、生きられな
い状態を、自ら、つくりだす。

 六〇歳をすぎても、「お母さん」「お母さん」と、甘えている男性など、いくらでもいる。
 しかしこうした依存性は、決して、一方的なものではない。
 ふつう子どもが、依存性をもつと、子どもの側だけが問題になる。しかし実際には、子
どもの依存性を許す、甘い環境が、その子どもの周辺にあると考える。もっとはっきり言
えば、母親自身が、依存性が強いことが多い。

だから母親自身が、子どもの依存性を見落としてしまう。あるいは子どもに、自分がもっ
ている依存性と同じものを、もたせてしまう。
たとえば依存性の強い母親は、親にベタネタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、
よい子、としてしまう。反対に、親に反抗したり、自立心が旺盛な子どもを、「親不孝者」
と、排斥してしまう。

 こうしてベタベタに甘い、母子関係が、生まれる。
 そのベタベタになりがちな母子関係を制限し、修復するのが、父親の役目ということに
なる。

 具体的には、(1)行動に制限を教える。(2)社会的人間としての、父親の役割を教え
る。
 たとえば溺愛ママと呼ばれる母親がいる。
 このタイプの母親は、母親と子どもの間にカベがない。だから子どもが何かの不祥事を
起こしたりすると、自らが責任をかぶることにより、子どもの責任をあいまいにしてしま
う。

 子ども(中3男子)が、万引き事件を引き起こして補導されたとき、一夜にして、あち
こちをかけずりまわり、事件そのものをもみ消してしまった母親がいた。
 つまりそういうことをしながら、子どもの精神的な発育を、母親自身が、むしろ、はば
んでしまう。

 こうした母親の行動にブレーキをかけるのが、父親の役目ということになる。もともと
父子関係は、「精液一しずく」の関係にすぎない。しかしこうした父親のもちうる客観性こ
そが、父親像の特徴ということにもなる。
 つぎに(2)社会的人間としての、父親の役割だが、これは、現代の社会構造と、深く
結びついている。たとえば少し前まで、この日本では、「男は仕事」という言葉が、よく使
われた。「男が仕事をし、女が家庭を守る」と。(だからといって、こうした考え方を、私
が肯定しているわけではない。誤解のないように!)

 こうした「男」と「女」のちがいは、さまざまな形で、社会の中に組みこまれている。
そのちがいを、教えていくのも、実は、父親の役割ということになる。
 父親は、決して、母親にかわることはできない。またかわる必要もない。母親には母親
の、そして父親には父親の限界がある。その限界をたがいに、補いあうのが、父親の役目
であり、母親の役目ということになる。

 その役割を混乱させると、子育てそのものが、混乱する。
 よくあるケースは、(1)父親の母親化。(2)母親の父親化。(3)それに父親の不在(疑
似母子家庭)である。こういう家庭では、子育てそのものが、混乱しやすい。
 父親の母親化というのは、父親自身が、女性化していることをいう。子どもを、溺愛マ
マよろしく、息子や娘を溺愛する父親は、決して珍しくない。

 つぎに母親の父親化も、ある。このばあい、その影響は、子どもに強く現れる。本来な
ら、母子関係ではぐくまれねばならない、基本的な信頼関係(絶対的なさらけ出しと、絶
対的な受け入れ)が、結べなくなる。その結果、子どもの情緒、精神の発育に、深刻かつ
重大な影響を与える。

 一般的に言えば、母親が父親化すれば、子どもは、愛情飢餓の状態になり、心の開けな
い子どもになる。

 さらに父親の職業などで、疑似母子家庭と呼ばれるようなケースになることもある。夫
の長期にわたる、単身赴任が、その一例である。
だからといって、母子家庭が悪いと言っているのではない。ただこうした問題があるとい
うのは、事実であり、そういう事実があるということを知るだけでも、母親は、自分の子
育てを、軌道修正できる。母子家庭が本来的にもつ問題を、克服することができる。

 まずいのは、こうした問題を知ることもなく、母子関係だけに溺れてしまうケースであ
る。この原稿は、そういう目的のために書いたのであって、決して、母子家庭には問題が
あると書いたのではない。どうか、誤解のないようにしてほしい。
(はやし浩司 父親役割 母子家庭 問題 エディプス コンプレックス)
________________________________________
【追記】

 母子家庭でなくても、母親が、日常的に父親を否定したり、バカにしたりすると、ここ
でいう父親像のない子どもになることがある。

 このタイプの子どもは、言動に節制がなくなったり、常識ハズレになったりしやすい。
あるいはマザコンになりやすい。

 マザコンタイプの子どもの特徴は、自分のマザコン性を正当化するために、ことさら親
(とくに母親)を、美化するところにある。「私の母親は、偉大でした」「世のカサになれ
と、教えてくれました」と。そして親を批判したりする人物がいると、それに猛烈に反発
したりする。

 こうしたマザコン性から子どもを救い出し、父親像をインプットしていくのが、実は、
父親の役目ということになる。これを心理学の世界では、「個人化」という。もともと個人
化というのは、家族どうしの依存性から脱却することを言う。つまりわかりやすく言えば、
「自立化」のこと。

 マザコンタイプの人は、その個人化が遅れる。ベタベタとよりそう関係を、かえって美
化することもある。親は、「親孝行のいい息子」と思いこみ、一方、子どもは、「やさしく、
すばらしい親」と思いこむ。

 簡単に言えば、父親の役目は、子どもを母親から切り離し、子どもを自立させていくこ
と。

 もちろんその過程で、子どもの側にも、さまざまな葛藤(かっとう)が起きることがあ
る。エディプスコンプレックス※も、その一つということになる。

 が、最近の問題として、父親自身が、じゅうぶんな父親像をもっていないことがあげら
れる。父親自身が、「父親」を知らないケースである。

 さらに父親自身が、マザコンタイプであったりして、ベタベタになっている母子関係を
見ながら、それに気がつかないということもある。あるいはさらに、父親自身が、母親の
役割にとってかわろうとするケースもある。

 溺愛パパの誕生というわけである。

 このように、現代の親子関係は、今、混沌(こんとん)としている。しかし今こそ、改
めて、父親の役割とは何か、母親の役割とは何か。それを冷静に判断してみる必要はある
のではないだろうか。でないと、これから先、日本人のそれは、ますますわけのわからな
い親子関係になってしまう。

 ここに書いたことが、あなたの親子関係をわかりやすいものにすれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。


この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性が、とくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサ
イト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわからなかった」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。

(040201)(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピータパンシンドローム 
モラトリアム人間 パラサイト人間 ダン・カイリー 大人になれない若者)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●天皇の敬称問題

産経新聞は、天皇の敬称問題について、以下のように報じている。(2011年1月12日)。
教育の世界では、たいへんデリケートな問題だから、全文、そのまま掲載させてもらう。

++++++++以下、産経新聞、2011年1月12日++++++++++

 天皇陛下に敬称を付けず“呼び捨て”の記述が文部科学省の教科書検定をパスし、今年
4月から小学校6年生の教科書として供給・使用されることが10日わかった。巻末の用
語の索引に「天皇」を盛り込まなかった教科書もあった。天皇、皇后両陛下はじめ「皇室
軽視」の傾向はこれまでも教科書でみられたが、学習指導要領では「天皇への理解と敬愛
の念を深める」よう求めている。専門家からは「指導要領の趣旨が教科書に十分浸透して
いない」との批判の声が上がる。

 敬称がない表記があったのは、小6社会の教科書。文科省の検定を通過した4出版社の
うち教育出版と日本文教出版、光村図書の教科書が、陛下ご自身が写った写真を説明する
際に「文化勲章を授与する天皇」「インドの首相をむかえた天皇」と表記していた。

 2つの教科書を出す日本文教出版は、別の教科書でも天皇、皇后両陛下の写真説明を「福
祉施設を訪問される天皇と皇后」と表記。「される」と敬語はあるが敬称はなかった。

 「天皇」という地位自体の説明は、憲法や法律、指導要領でも敬称を付けずにただ「天
皇」と記述し、新聞や出版物も同様。しかし、陛下ご自身の行動や表情などを伝える際に
は必ず敬称をつけるのが一般的。

 しかし、教科書は陛下に敬称がなく、一方で一般国民や外国人らの名前には「被爆体験
を持つ○○さん」「緒方貞子さん」(元国連難民高等弁務官)などと敬称があった。

 東京書籍は“呼び捨て”はないが、教科書の重要語を並べた巻末索引に「天皇」はなし。
一方で「内閣総理大臣」「ユニバーサルデザイン」などはあった。

 過去の小中高の教科書でも「仁徳天皇陵」の記載が括弧書きや「大仙陵古墳」「大山古墳」
「仁徳陵」として検定をパス。「皇太子明仁」の記載が「明仁皇太子」となったり、皇后陛
下を「正田美智子」とした記載がパスしたことがあった。

 皇室や教科書問題に詳しい高崎経済大学の八木秀次教授は「憲法上の『天皇の地位』は、
重い。国民の敬愛を受ける存在で、教科書では敬称を付けるべきだ」と話すが、文科省は
「教科書記述の内容に誤りがあるわけではない」とする。

++++++++以下、産経新聞、2011年1月12日++++++++++

●私も……

 私も子どものころ、「天皇」と言っただけで、父に殴られた経験がある。
父はそのとき、こう言った。「陛下と言え!」と。
私が小学3年生のときのことだった。
で、父はそのあと学校へ出向き、担任の教師たちに、「貴様らは学校で、何を教えているか」
と怒鳴り散らしたという。

 天皇のために命を捧げた父にしてみれば、当然の行為だった。
しかし天皇は、「天皇」でよいのではないか。
私も、天皇にかぎらず、客観的に事実を書くときは、いっさい敬語を使わないようにして
いる。
また「天皇」と書いたことによって、呼び捨てにしているという意識はない。
いわんや軽んじている意識はない。

もちろん産経新聞にもあるように、『陛下ご自身の行動や表情などを伝える際には必ず敬称
をつけるのが一般的』というのには、異論はない。
当然のことである。

 それがわからないときは、たとえば日本の国政を論ずるとき、「内閣総理大臣」と書くべ
きなのか、それとも「内閣総理大臣閣下」と書くべきなのか、それを考えてみればよい。
こういうとき「閣下」という敬称をつける人は、いないはず。
もっと卑近な例では、「浜松市長」と書くことはあっても、「浜松市長様」と書く人はいな
い。
また敬称をつけたからといって、「敬愛の念」を示したことにはならない。

今では、学校の先生に対して、「先生」という敬称をつけて、先生を呼ぶ生徒はいない。
呼び捨てが一般化している。
私も幼児に、「はやし!」「はやし!」と呼ばれている。
親たちの中には気にする人もいるようだが、私は気にしない。
私も、子どもたちを特別なばあいを除き、呼び捨てにしている。

 で、この問題は、どこかのだれかが決めるようなことではない。
その向こうに、(大きな流れ)がある。
いくら教科書にそう書いてあるからといっても、子どもたちのもつ(流れ)を変えること
はできない。
つぎの世代が、時間をかけて、ゆっくりと解決していけばよい。
ただ私の印象としては、つまり現在の(流れ)を見る限り、それがよいことなのか、悪い
ことなのかという判断はさておき、こうした敬称は消える運命にあると思う。

 八木秀次教授は「憲法上の『天皇の地位』は、重い。国民の敬愛を受ける存在で、教科
書では敬称を付けるべきだ」と話している(同紙)。
そういう意見もあるだろう。
が、文科省は「教科書記述の内容に誤りがあるわけではない」としている。
文科省の立場を支持したい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 天皇の敬称 敬称問題 陛下という敬称 天皇陛下の敬称問題 敬
語 敬称)


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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