Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, March 13, 2011

●老後の統合性

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【講演会要旨】

●親を尊敬しない

 平成10年というと、ちょうどみなさんが、成人式を迎えられたころのことです。
当時の総理府がした調査、つまり「青少年白書」によりますと、「父親のようになりたくな
い」と答えた、中高校生が、79%、つまり約80%もいました。
「父親を尊敬できない」と答えた子どもも、55%もいました。

 ここで注意しなければならないのは、「55%」という数字です。
では残りの45%はどうかということです。
45%の子どもは、「父親を尊敬している」ということにはなりません。
大半は、「何とも思っていない」ということではないでしょうか。

 また「尊敬できない」という子どもの中には、「軽蔑している」という子どもも含まれて
いるはずです。
総理府の調査ですから、「父親を軽蔑している」という調査項目をつけるわけにはいかなか
ったのでしょう。
だからどこか遠まわし的に、「父親を尊敬していない」という調査項目にしたのだと思いま
す。
それにしても、80%の子どもが、「父親のようになりたくない」と答えているのには、驚
きました。

 で、「私は母親だから」と思っている人にしても、安心してはいけません。
たしかに子どもにとって、父親と母親の存在はちがいます。
父親は、子どもにとっては、「一滴(ひとしずく)」の関係です。
一方、母親は、子どもを宿し、産み、そのあと乳を与えます。
同じ親でも、絆(きずな)ということになれば、母親のほうが太いということになります。
さらに最近の研究によれば、人間にも、一部の鳥類に似た「刷り込み」(インプリンティン
グ)というのがわかってきました。
生後0か月から7か月くらいまでの間をいいます。
この時期を「敏感期」と言います。
この時期を通して、親子の関係は、本能に近い部分にまで刷り込まれます。

 それはそれとして、つまり「一滴」の希薄な関係を、あのフロイトという学者は、「血統
空想」という言葉を使って説明しました。
子どもは少年少女期から思春期前夜、学年的に言えば、小学3、4年生ごろを境にして、
急速に親離れをはじめます。

 男児ですと、それまで学校であったことを、親に話します。
が、このころを境に、急に話さなくなります。
女児ですと、それまで父親といっしょに風呂に入っていたのが、このころを境に、急に入
らなくなります。
そのころ、子どもは、自分の血統を疑うようになります。
「私は、あの父の子どもではない」とです。
「私の父は、もっと高貴で、気高い人だ」とです。
これを「血統空想」と言います。

 残念ですが、母親との血筋を疑う子どもはいません。
先にも書いたように、母親からは「命」を授かっているからです。
それが脳にしっかりと刻まれています。
が、母親とて、安心してはいけません。
先の総理府(現在の内閣府)の調査でも、それほど大きな差は出ていません。
ちがいは数%程度です。

●親の恩も遺産しだい

 さらにショッキングな調査結果があります。
数年置きに、こんな調査がなされています。
総理府の調査結果によれば、「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と考え
ている子どもが、日本人のばあい、28%前後しかいないということ。
たいはんの若者たち、あなたがた自身の意識ということになりますが、たいはんの若者た
ちは、「経済的な余裕があれば、めんどうをみる」と答えています。

 が、残念ながら、「経済的に余裕のある人」など、今では探さなければならないほど、少
ないです。
みな、目一杯の生活をしている。
また目一杯の状態で、結婚し、子どもをもうけます。

 私たちの世代と比較するのもヤボなことですが、私たちの世代は、20歳を過ぎるまで、
ボットン便所がふつうでした。
トイレットペーパーが世に出てきたのもそのころでした。
では、それ以前はどうだったかというと、「落とし紙というザラ紙」でした。
さらにそれ以前はというと、これは私が小学生のころの話ですが、新聞紙でした。
そういう私ですから、はじめてアパートに住むようになり、水洗便所になったとき、それ
がうれしくてたまりませんでした。
きれい……というより、臭いがしませでした。
それがうれしかったです。

 さらに結婚したときは、中古の軽自動車を買いました。
冷蔵庫と洗濯機だけは早く買いましたが、それ以外のものは、収入に応じて、少しずつ買
い足していきました。
が、今は、すべて、「あるのが当たり前」というところから始まります。
つまり目一杯の生活というのは、それをいいます。
ですから「経済的に余裕のある人はいない」ということになります。
言い換えると、「親のめんどうはみない」ということになります。
あるいは『親の恩も遺産しだい』というところでしょうか。

 こんな話をしても、みなさんにとっては、耳が痛いだけかもしれません。
が、私は何も今のみなさんを批判するために、ここに立っているわけではありません。
その逆です。

 みなさんとて、あの飽食とぜいたくの時代の犠牲者かもしれないということです。
みなさんが生まれたころは、日本は、バブル経済の真っ只中。
高度成長期の流れの中で、この日本は、世界でも経験したことがないほどの反映を謳歌し
ました。
そんな中、みなさんは生まれました。
それこそ祖父母がやってきて、手をかけ、時間をかけ、お金をかけた。
まさに「蝶よ、花よ」と育てられたわけです。
が、そのあと、日本は長くて暗いトンネルに入ってしまいました。
「失われた10年」と言われていましたが、今では「失われた20年」と言われるように
なりました。

 「2015年には中国に抜かれるだろう」と予測されていましたが、それよりも5年も
早く、中国に抜かれてしまいました。
また国民1人当たりの所得にしても、とっくの昔にシンガポールに抜かれています。
今のままでは、2025年には韓国に抜かれ、国力においては、インドやブラジルにも抜
かれるだろうと言われています。

 日本がアジアの中心という話は、すでに遠い昔の話です。
アメリカでも、アジアのニュースは、シンガポール経由で入ってきます。
東京ではありません。
シンガポールです。
東京のマーケット情報ですら、一度シンガポールに集められ、そこからアメリカへ入って
きています。
東京証券取引所に上場されている外資系企業も、一時は200社近くもありましたが、今
年に入って、とうとう9社になってしまいました。
こういう現実を、いったい、どれほどの日本人が認識しているでしょうか。

 ……またまた暗い話になってしまいました。
寒いところおいでくださった方には、本当に申し訳ないと思います。
「元気になる話ならいいが、こんな暗い話を聞きにきたのではない」と思っておられる人
も多いかと思います。
もう少しがまんして、どうか私の話を聞いてください。
この問題は、そのままみなさんの将来に直結してくる問題だからです。
またそれがわかれば、みなさんの将来、さらには現在の子育てがどうあるべきかがわかっ
てくるからです。

●「親の責任でしょ!」 

 こんな事件がありました。
こういう不況です。
今では珍しくない事件です。

 そのお父さんには、2人の娘がいました。
1人は大学生。
もう1人は、そのとき高校3年生になったばかりです。

 お父さんはその数年前、それまで務めていた会社をリストラされ、自分でそれまでに取
った資格をもとに、小さな事務所を開きました。
が、最初のころこそはそこそこに仕事がありましたが、数年もすると左前になり、閉鎖と
いうことになってしまいました。

 そこでそのお父さんは高校3年生になったばかりの娘にこう言いました。
「お金がないから、大学進学をあきらめてくれ」と。
が、この言葉にその娘が猛反発。
「何を今さら! 借金でも何でもして、私を大学へやって。親の義務でしょ!」と。

 この話を私は私のワイフから聞きました。
ワイフの友人の娘です。
そこで私はその夏休みのある日、その娘を私の家に呼びました。
「何という、ドラ娘め!」と。
腹の底では煮えくり返るような怒りを覚え、しかし表情はにこやかに……。
が、私はその高校生の一言で、見方が180度、変わってしまいました。
その高校生は、こう言ったのです。

 「だって、先生、私は子どものときから、親に『勉強しろ、勉強しろ』と言われつづけ
てきたのよ。行きたくもないのに塾へ通わされ、成績はどうの、順位はどうのと、そんな
ことばかり言われつづけてきたのよ。この状態は中学校へ入ってからも変わらなかった。
どうして今になって、『もう勉強しなくていい』と、そんなことが言えるの!」と。

 ……子どもに向かって『勉強しろ』と言うのは構いませんが、安易に言ってはいけませ
んよ。
言えば言うほど、あとあと責任を取らされますから。
今ね、学校へ通うことについて、親に感謝しながら通っている子どもは、ゼロとみてよい
です。
高校生では、ゼロ。
大学生でも、「ありがとう」と言うのは、お金をもらうときだけ。
たいていの大学生は、社会人となったとたん、「ハイ、さようなら」。
しかしまだそんな大学生は、よいほう。
先日も、こんな話を聞きました。

 ある日、突然、息子が彼女を連れて帰ってきた。
帰省するたびに、ちがった彼女を連れてくる。
で、親にこう言ったそうです。
「結婚式をしたいが、お金を出してくれるか?」と。
そこでその親が、「少しくらいなら……」と答えると、その息子はこう言ったそうです。
「親なら、結婚式の費用を出してくれてもいいだろ!」と。

 今はそういう時代なのでしょうか。
私などは、結婚する前から、収入の約半分は実家に送金していました。
今のワイフもそれに納得して、私と結婚しました。
以後、30年近く、実家に、お金を送り続けました。
それ以外にも、法事や冠婚葬祭の費用、すべてです。
ですから私たちは、結婚式をあげていません。
その費用がありませんでした。

●世代闘争

 何かが、おかしい。
何かが、狂っている。
あるいは今は、その過渡期ということになるのでしょうか。
この半世紀を振り返ってみると、こんなことが言えます。

(1) 私たちの世代……反権力闘争の時代。
(2) つづくつぎの世代……反世代闘争の時代。

 私たちの時代は、反権力との闘いが、大きなテーマになっていました。
安保闘争も、そのひとつです。
しかしよく誤解されますが、あの学生運動に参加した学生にしても、何も共産主義を求め
ていたわけではありません。
共産主義の「キ」の字も知らなかった。
ただ私たちは、私たちの体をがんじがらめにしている鎖を、解き放ちたかった。
それが反権力闘争へと結びついていったわけです。

 が、それも一巡すると、今度は、反世代闘争へと変化していきました。
そのよい例が、あの尾崎豊の歌った、『卒業』です。
「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」というあの歌です。
あの歌には大きなショックを受けました。
「学校」というより、「教育」の否定。
私はそれを感じたからです。

 教育というのは、言うまでもなく、先人たちが得た知識や経験を、あとにつづく人たち
に伝えていくのが、第一の目標です。
その教育を否定するということは、若い人たちは若い人たちで、まさにゼロからの出発を
意味します。
これは若い人たちにとっても、たいへん不幸なことです。
同時に、私たち老人族にとっても、たいへん不幸なことです。
最近のインターネットをのぞいていると、ますます言葉が辛らつになってきているのがわ
かります。
少し前までは「粗大ゴミ」と言われていましたが、今では、「老害」とまで言われるように
なってきています。
社会に「害」を与える存在というわけです。

 で、その世代闘争も、今は、一巡しました。
尾崎豊と言っても、今では名前すら知らない人も多いかと思います。
長淵剛にしても、そうです。

 では今は何か。
私は「恋愛ごっこ」の時代と位置づけています。
恋愛ごっこ、です。
恋愛こそ、人生の最大の関心ごと。
今の若い人たちは、それしか頭にない。
またそれがすべて。
この話を先に進める前に、ひとつ話しておかねばならないことがあります。

●自我の同一性

 思春期から青年期にかけて、最大のテーマといえば、自我の同一性の確立ということに
なります。
「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、自分像のことを、「自己概念」と言い
ます。
一方、そこには「現実の自分」がいます。
それを「現実自己」と言います。

 この自己概念と現実自己をどう一致させていくか。
これが青年期における最大のテーマとなります。
その確立に成功した人は、自分が信ずる道を、力強くまい進することができます。
そうでない人は、そうでない。
中途半端で、訳のわからない人生を送ることになります。
が、これは、発達心理学の世界では、常識的な話です。
で、ここではその先というか、「自己概念」の中身について考えてみます。

 問題は「私はどうあるべきか」という部分。
話を戻しますが、私たちの世代では、それがいつも「天下・国家」と結びついていました。
つづく尾崎豊の世代では、「親」と結びついていました。
私が出世主義に対して、家族主義を唱え始めたのも、そのころです。

 で、今はそれがどうか?
それが先に書いた「恋愛ごっこ」ということになります。
私がそれを強く感じたのは、あの韓流ドラマがブームになったころです。
今でもブームがつづいていますが……。

 あの韓流ブームを知ったとき、私はこう思いました。
「今までの私たちは何だったのか」と、です。
韓国の人たちの反日感情には、ものすごいものがあります。
最初に私がそれを経験したのは、1968年に、UNESCOの交換学生として、韓国に
渡ったときです。
以後、韓国の人たちの心は、大きく変わったとは思っていません。

 一方、そういう韓国に対して、私たちは「嫌韓」という言葉を使いました。
間にはげしい経済戦争があったからです。
好きになるのは、その人個人の自由ですが、しかしそういう歴史というか、現状を一足飛
びに飛び越えて、韓流ブーム?
若い人たちだけではない。
それなりの年配の女性まで、韓国の若い俳優を追いかけまわしていました。
一方で経済戦争。
一方で韓流ブーム。

 こうした時代の流れの中に、みなさんがいます。
で、今では、高校生でも大学生でも、政治の話をする人はほとんどいません。
いわんや天下、国家を論ずる人もいません。
世代の話をする人もいません。
するといえば、恋愛。
恋の話。
愛の話。
明けても暮れても、携帯電話片手に、恋愛の話。

 これを自我の同一性の中に押し入れてみると、こうなります。

「私はどんな人を好きになるべきか。またどんな人が私を好きになるべきか」。
それが「自己概念」ということになります。
そして現実に、どんな異性と交際しているか。
どう交際しているか。
それが「現実自己」ということになります。
またこの両者が一致した状態を、「自己の同一性」ということになります。

●変わる家族意識

 こうした変化に大きく影響を受けたのが、「家族意識」です。
たとえば私たちの世代は、企業戦士おだてられ、会社一筋で仕事をしてきました。
「一社懸命」という言葉も、生まれました。
当時の私たちが、「仕事と家庭とどちらが大切か」と聞かれれば、まよわず「仕事」と答え
たものです。

 が、それが大きく変化したのが、ちょうど2000年ごろです。
この2000年を境にして、「仕事」と「家族」の地位が逆転しました。
それ以後は、「家族のほうが大切」と考える人のほうが多くなり、今では、80~90%の
人が、「家族」と答えています。

 が、ここで重要な欠陥が生じてきました。
先ほども言いましたように、私が説いた「家族主義」とは、異質のものになってきたとい
うことです。
私はそれまでの「出世主義」に対して、「家族主義」という言葉を使いました。
が、それが行き過ぎてしまった。
「家族を大切に」という思いが行き過ぎてしまい、「仕事はどうでもいい」というふうに考
える若い人たちが多くなったということです。

 仕事もしない、かといって、将来の準備もしない。
そんな若い人たちの出現です。
しかもその数が、年々ふえています。
推定64万人もいるということです(2009年版「青少年の現状と施策」・青少年白書)。

 が、私が言う問題は、そのことではありません。
「仕事より家族が大切」というのは、よく理解できます。
またそれに異論を唱えるつもりはありません。
が、最近の若い人たちが使う家族主義には、ひとつ大きな欠陥があります。
欠陥というより、世界の常識からはずれている、と言ったほうが正確かもしれません。
つまりその家族主義には、両親の姿がないということです。

 家族主義……簡単に言えば、夫婦とその子どもだけの世界をいいます。
それぞれの両親は、その外の世界に置かれます。
あるいは、その世界の中に入っていない。
しかしこれは世界の常識ではありません。

 冒頭のところで、「どうしても親のめんどうをみる」と答えた若者は、28%と書きまし
た。
この数字がいかに低いものであるかは、世界の青年の意識と比べてみるとよくわかります。

イギリスの若者…66%、アメリカの若者…64%、という数字と見比べてみてほしい。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんど
うをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%。

 日本だけが突出して(?)、低いのです。
ね、おかしいと思いませんか。
世界でもっとも豊かな繁栄を築いた日本ですよ。
みなさんもそうだったでしょうが、食べ物にも困らず、ほしいものは何でも手に入れるこ
とができた。
本来なら、昔風に言えば、親の恩をもっとも強く感じてよいはずの世代です。
その世代が、「経済的に余裕があれば……」と。
繰り返しになりますが、経済的に余裕のある人はいません。
裏を返して言うと、「めんどうはみない」ということです。

 どうしてでしょうか?
……というよりも、この問題は、そのままみなさんの近未来の問題ということになります。
中には、「私はだいじょうぶ。私と子どもたちとは、深い絆で結ばれているから」と。
そんなふうに考えている人も多いかと思います。

 しかしそれは幻想。
まったくの幻想。
それがわからなければ、あなたがた自身の心の中をのぞいてみればいいでしょう。
先ほどあげた数字は、まさにここにいるあなたがた自身の心だからです。
平たく言えば、この先、私たちの世代はもちろんのこと、あなたがたの世代も、やがて6
0%以上が独居老人、もしくは無縁老人になり、孤独死を迎えるのです。
孤独死をしても、すぐ発見されるというわけではありません。
平均発見日数は、6日です。
私の知人の老人などは、死後30日を経て、やっと発見されたそうです。
そういう現実が、そこに迫ってきています。

 あなただけが無縁と、どうして言えるでしょうか。

●苦労論

 では、どうすればよいのでしょうか。
私たちはどう考え、その中で、どう子育てを考えていったら、よいのでしょうか。
が、その前に、ひとつだけ考えなければならない問題があります。
それが原因です。
どうしてそうなってしまったか、ということです。

 そのひとつが、「苦労」という言葉に集約されます。
苦痛を乗り越える経験ということになります。
その苦労をしていない。

 ……と書くと、反発する人も多いかと思います。
「私は苦労した」とです。
しかし苦労にも、2種類あります。
自分のための苦労と、他人のための苦労です。
おおざっぱに言えば、そういうことになります。

 で、たとえば受験勉強をし、有名な、こういう言葉は本当に好きではありませんが、一
流大学に合格したとします。
これは自分のための苦労ということになります。

 一方、無私無欲でするボランティア活動というのがあります。
これが他人のための苦労ということになります。
今の若い人たちは、子どものときから、後者の他人のための苦労というのをしていない。

(以下、つづく)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老齢期の自己概念(ソーシャル自己概念の構築)

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 「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、
自分像を、「自己概念」という。
この自己概念に対して、現実の「自分」がいる。
これを「現実自己」という。

 青年期の自己概念と、老齢期の自己概念には、
内容において、大きなちがいがある。
青年期の自己概念については、シャベルソンという
学者が、4つの領域に分類している。

(1)アカデミック自己概念(どういう学歴を身につけるか)
(2)ソーシャル自己概念(どういう社会的人間になるか)
(3)エモーショナル自己概念(どういう感情をもった人間になるか)
(4)フィジカル自己概念(どういう身体的特徴をもった人間になるか)

 が、当然のことながら、老齢期に入ると、
上記(1)のアカデミック自己概念は、終了している。
(3)のエモーショナル自己概念も、それほど重要ではない。
(4)のフィジカル自己概念についても、「ああはなりたくない」と考える
ことはあっても、そこでSTOP。
いつもそこに(どうしようもない自分)を発見する。
肉体の老化だけは、いかんともしがたい。

 問題は(2)のソーシャル、つまり「社会的な」自己概念である。
これをどう自分の中に構築していくか。
というのも、この時期、人は仕事を退職し、子育てからも解放される。
(正しくは、仕事からも追放され、子どもには逃げられる?)
言うなれば、心の中に空白部分が生ずる。

 心理学的には、「私的領域」が拡大する。
その私的領域でどう生きるか。
それを模索する時期ということになる。

++++++++++++++++++++++

●人生の節目

 人生にはそのつど、大きな節目がある。
個人的な環境によってもちがうが、一般的には、(1)青年期、(2)壮年期、(3)
老年期に分ける。

 青年期は思春期から始まり、自分の進むべき道が決まる時期までをいう。
壮年期は長く、ばくぜんとしている。
壮年期を通して、人は社会的地位を固め、その中における評価を定める。
老年期は、別名「喪失の時代」とも言われている。
「喪失」(この言葉は、あまり好きではないが……)との闘いの時期ということになる。

 そこで重要なのは、(1)自己概念をどう構築するかということ。
その前提として、(2)どう現実を受け入れていくかということ。
その上で(3)自分の役割を策定し、(4)現実の自分(=現実自己)をどう
一致させていくかということ。
順に考えてみよう。

●現実の受け入れ

 多くの人は、こう言う。
「温泉などで、自分の姿を鏡に映してみたとき、それがわかる」と。
緩んだ肉体、垂れ下がった臀部(でんぶ)、張りのない肌……。
若い人と比較するまでもない。
歩き方まで、老人臭くなる。

 が、それが現実。
受け入れるしかない。
が、そこは人間。
簡単には受け入れない。
もがく。
抵抗する。
無理をする。
が、それも一巡するときがやってくる。

●自己概念の構築

 老後の自分はどうあるべきか。
退職すると同時に、あるいは子育てが終わると同時に、みな、同じように
考え始める。
が、簡単には、答が出てこない。
ばくぜんとして、つかみどころのない毎日。
悶々として、いつ晴れるともわからない世界。
「これではいけない」と思っていても、それにつづく道が見えてこない。

 「老後は孫の世話と庭いじり……」と、だれかが言った。
「それが理想の老後」と。
しかし自分がその老後を迎え、それがまったくの虚構であると知った。
そんなことで自分の心の隙間を埋めることはできない。
かえって虚しくなるだけ。

 そこでエリクソンという学者は、「統合性」という言葉を使った。
青年期の自我の同一性の確立と、同じに考えてよい。
「老後になったら、やるべきことを見つけ、現実にそれをする」と。

が、(やるべきこと)と言っても、条件がある。
無私無欲でする。
功利、打算が入ったら、統合性はそのまま霧散する。
かといって、「退職しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」と
いうわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、長続きしない。
そこでエリクソンは、その準備を、人生の正午と言われる、40歳から始めろと説く。

●自分の役割の策定

 「私は何をなすべきか」と。
周りの人たちの老後が、参考になる。

 学生時代の先輩の1人は、観光ガイドを始めた。
現職時代の技術能力を生かして、世界中を回りながら、技術指導している人もいる。
家庭菜園を本業にした人もいる。
団体で、やはり現役時代の経験を生かしてがんばっている人もいる。
それぞれが、それぞれの道を進んでいるが、みながみな、うまくコースに乗って
いるわけではない。

 仕事から仕事へと、渡り歩いている人もいる。
日雇い労働者と同じ身分の人もいる。
が、健康であれば、まだよいほう。
脳梗塞や糖尿病を悪化させてしまった人もいる。
この時期になると、若いころからもっていた持病が、急に表に出てくる。
とくにこわいのが、精神病。
若いときは気力で何とかごまかせるが、老齢期にさしかかると、その気力が弱くなる。
肉体にしても、そうだ。
ひざや腰を痛めると、それがそのまま定着してしまう。
もちろんボケの問題もある。

 そういうのを乗り越え、私たちは「自分の役割」を設定しなければならない。
で、ここで言えることは、ただひとつ。
「この問題で苦しんでいるのは、あなただけではない」ということ。
総じて老齢期を迎えると、みな、この関門をくぐり抜けなければならない。

●現実自己との一致

 役割が設定できたら、あとはそれに向かって邁進(まいしん)していく。
「自己概念」と「現実自己」を一致させていく。

 子育てから解放され、仕事からも解放される。
親の介護からも解放される。
そのため自分で使える時間がどんとふえる。
これを「私的領域の拡大」という。

 考え方によっては、もっとも気楽な時期ということにもなる。
この時期になると、無責任であることが、ひとつの美徳になる。
もちろん人生そのものが、いわゆる「死の待合室」に突入する。
先の見えない袋小路。
先細りの人生。
すべてが不可逆的に悪化する。

が、ものごとは悪い方ばかりに考えてはいけない。
だからといって、落ち込んでばかりいてはいけない。
先にも書いたように、だれしも一度は通り抜けなければならない「関門」。
私ひとりだけがそうではないし、あなたひとりだけがそうではない。
そう考えるだけでも、気が楽になる。

●終わりに……

 こういう原稿を書くと、「では、私はどうなのか?」と考える。
率直に言えば、こういう原稿を書きながら、自分はどうあるべきかをいつも考える。
が、道筋だけできてしまえば、あとは楽。

 そのときが来たら、有料の老人ホームに入居する。
そこでも死ぬまで原稿を書きつづける。
さみしかったら、さみしいと書く。
悲しかったら、悲しいと書く。
そんな人生を、最期までつづける。

 もっともそれとて、運がよければ……という条件がつく。
明日、何かの大病が発見されるかもしれない。
すでに私の年齢の人は、約10%が他界している。

が、こうして書いていること自体が、あとにつづく人たちの参考になる。
どの人もこの世に生まれ、やがて老齢期を迎える。
あえて言うなら、今まで、その老齢期を老人の立場で考え、ものを書いた人が、
あまりにも少ない。
だから私は書く。
無私無欲で書く。
つまりこれが私にとっての「統合性」ということになる。
いつまでできるか自信はないが、とにかく、つづけるしかない。
どうか、よろしく!
(今朝の私は少し悲観的かな?)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自己概念 統合性の確立 現実自己 人生の節目 ソーシャル自己概
念)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●30年前の生徒たち

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今、パソコの横に、30~35年前の写真がある。
みなで、何かのことで記念撮影したときのもの。
先週、棚の隅からポロリと出てきた。
様子から見て、年長児(5~6歳児)の子どもたち。
場所は、A幼稚園の東園舎(当時)。
その写真をときどき見ながら、ふとこう思う。
「みんな、今ごろ、どうしているだろう?」と。

当時の私は、幼稚園の年中児から、高校3年生まで
教えていた。
午前中はA幼稚園で教え、午後からは、「教室」で教えた。
幼児クラスが終わると、別の場所で小学生、中学生
を教え、夜は、高校生を教えていた。
この写真の中の子どもたちにしても、そのあと、
高校を卒業するまで教えた子どもが、3人いる。
14年間、教えたことになる。

width="882" height="543" alt="img130.jpg">

で、名前を思い出してみる。

上段(男児)、左から、
KD君
TK君
MZ君?
SZ君
??君
??君
下段(女児)、左から、
??さん
AZさん
ETさん
??さん
??さん
IGさん
??さん
MRさん
もちろん右端に立っているのが、私。

 名前を覚えているのが、14人中、8人。
約60%。
「そんなものだろうなア」と、自分をなぐさめる。
何といっても、30年以上も前の生徒たち。
それに忘れたのは名前だけで、今でもこうした写真を見るたびに、
スーッとその世界にタイムスリップする。
そのままその当時の「私」になる。

声が印象に残っている子どもがいる。
しぐさが印象に残っている子どもがいる。
その後、家族ぐるみで交際した人がいる。
兄弟が同時に通ってくれていて、いっしょに遊んだ子どもがいる。
うち何人かは、おとなになってからも、連絡をくれた子どもがいる。
(現在は途絶えているが……。)

みな、それぞれだが、この時代も、私の一部。
まぎれもない、私の一部。

あのころの私は、無我夢中だった。
朝9時から教え始め、いつも仕事が終わるのが、午後10時ごろ。
13時間労働!
その間をぬって教材を作ったり、本を書いたりしていた。
このころは、テレビ局の脚本も書いていた。
翻訳もしていたし、通訳もしていた。
貿易の手伝いもしていた。

写真を見ているだけで、あれこれと脳裏に浮かんでくる。
あの日も今朝と同じような太陽が輝いていた。
写真は、どこか色あせているが、青い空は青い空。
ただ自分だけが、年を取ったよう。
私だけが変わったのか?
あるいはここに写っている私は、どこへ行ったのか?

なんともしまりのない、バカな顔をしている。
そう、それにあのころは、いつも写真のようにネクタイをしていた。
幼稚園の園長がきびしい女性で、いつもこう言っていた。
「人前に立つには、それなりの服装をしなさい!」と。
それでそうしていた。
(現在は、セーターなど、ラフは服装で教えているが……。)

今日も午後は、年長児から教え始める。
教える子どもたちは、30年前と同じ。
毎年、毎年、この繰り返し。
こうして教えながら、この4月からは、41年目に入る。

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●今週の予定

 今週は、何かの大会の場で、基調講演することになっている。
学校の先生たち、300人が集まってくれる。
それもあって、今朝から運動量をふやした。
だらけた脳みそでは、講演はできない。
その日までに体調を整えなければならない。

 朝早く出れば、会場に間に合う。
が、大事を取って、その前夜、現地に到着。
ホテルに一泊。
ワイフも付き添ってくれる。
このところあれこれ、私の健康に気を遣ってくれる。
心配なのは心臓だが、この1年間、狭心痛らしきものは、数回だけ。
(どういうのを狭心痛というのか、私にはよくわからない。
ただの神経痛だったのかもしれない。
逆流性食道炎によるものだったのかもしれない。)
が、私の父は、今の私の年齢と同じ63歳で、心筋梗塞で他界している。
油断は禁物。

●「子ども手当てより、空母」?

 今朝の朝刊に、週刊誌のコマーシャルが載っていた。
いわく「子ども手当てより、空母を」と。
SKという女流評論家の意見らしい。
(見出しだけで、記事は読んでない。)

 が、私なら、こう書く。
「空母より、防空壕(核シェルター)」と。

 日本の防衛と将棋を対比させるのは正しくないかもしれない。
しかし将棋を指しているとき、攻め一方では、あっという間に、敗れる。
攻める一手を指す前に、相手の飛車・角の位置、それに持ち駒を確認する。
つまり攻撃6割、防御4割。
(この割合は、あくまでも私の将棋の指し方だが……。
また序盤、中盤、終盤で、そのつど変わる。)

 つまり日本の防衛は、あまりにも脆弱。
ちゃんとした防空壕(核シェルター)がどこにもないというのは、おかしい。
どう考えてもおかしい。
いくら近代的な兵器で海岸線を守っても、内陸部、つまり守りがガタガタでは、
どうしようもない。
どうして日本政府は、防空壕(核シェルター)を用意しないのか?

 今は、ミサイルの時代。
空母なんか造っても、意味はない。
「どうしても……」というのなら、韓国のように高速道路と滑走路を兼用させればよい。
いざとなったら、高速道路を遮断し、滑走路して使用する。
コンクリートの厚さを40センチ(韓国)にし、中央分離帯を除去する。
そのほうがコストもはるかに安くつく。

 ついでに言えば、トンネルと防空壕を兼用させるという方法もある。
(大都市では、いざとなったら地下鉄のトンネルを防空壕にするという方法を考えて
いるそうだが……。)

 「空母」という発想が、陳腐。
SKさんには悪いが、空母にしてもミサイルに攻撃されたら、ひとたまりもない。
第一、何のために、どこに浮かべるのか?
仮想敵国が中国ということであれば、やめたほうがよい。
中国はすでに核ミサイルを、実戦配備している。
まともにぶつかったら、日本に勝ち目はない。

 さらに一言。
どうして「子ども手当て」と「空母」が、バーターされるのか。
どうして「子ども手当て」なのか。
「戦闘機より空母」と書くなら、まだ話もわかるのだが……。

●インフレ進行中!

 今朝の経済ニュース(2011/01/24)を読むと、世界的にインフレが進行しているという。
たしかにこの日本でも、物価がジワジワとあがり始めた。
食料品にガソリン。
それが私にも、よくわかる。

 インフレを知るひとつの指数として、金・プラチナ価格がある。
で、今朝の金、プラチナ価格を調べてみると、金が3795円、プラチナが5195円。
金は、下降傾向。
プラチナは、上昇傾向。

 ほかにニッケル、アルミ、銅は、この数か月で最高値を更新しつづけている。
金価格はたしかに異常。……だった。
それがここにきて、調整局面に入った。
だから下降傾向。
一方、不気味なのは、プラチナ。
投機性が強く、上昇傾向に乗ると、一気に7000円台まであがる。
今がそのときか?

 ともあれ、これだけ市中に札をばらまけば、影響が出ないという方がおかしい。
アメリカを中心として、札印刷機は、現在フル回転中。
日本もEUも、現在フル回転中。
かわいそうなのは、中進国。
それだけのインフレを吸収できる能力がない。
同じように札を印刷しても、世界で通用しない。
世界の人は、やはりドルをほしがる。
円やユーロをほしがる。
(中国の元をほしがる人もふえてはいるが……。)

 つまり世界の政治情勢が不安定化するということ。
この先、それがツケとなって、中進国以下に回っていく。
そのときがこわい。
世界中で紛争が始まる。

 ということで今朝も、始まった。
先ほどまで、布団の中でPSPを相手に将棋をさしていた。
今朝は、1勝2敗。
脳みその調子は、あまりよくない。

(そう言えば、PSPの将棋をうまく利用すれば、ボケ診断ができるのでは?
たとえば満55歳のとき、勝率、40%。
60歳のとき、勝率、30%。
65歳のとき、勝率、20%、と。
ゲーム機のほうは、「力」は同じ。
勝率の低下イコール、ボケの進行度ということになる。
それを使えば、ボケ診断ができる。)

 1月24日、2011年。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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