Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, March 09, 2011

●学校の先生とのトラブル

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 9日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教師が親を訴える

 新聞などで報道されている程度の情報しかない。
だから本当のところは、どうなのか?
それはよくわからない。
だからあくまでもここでは、一般論として、自分の考えを書いてみたい。
学校の教師が、親を訴えた!
そういう事件である。

Jcastは、つぎのように伝える。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

S県の市立小学校に勤務する女性教師が、女児の親から何度もクレームを受けて不眠症に
陥ったとして、慰謝料500万円の支払いを求めて係争中の騒動。「とくダネ!」は騒動の原
因に迫った。

女性教師が提訴したのは昨年9月(2010年)。担当していたクラスの女子児童2人が喧嘩
となり、それを仲裁したときに一方の保護者から差別をしていると非難された。さらに、背中を触れただけで警察に暴行容疑の被害届が出されたという。

取材したKAキャスターによれば、「2人の喧嘩はクラスでも話し合いが行われました。
でも、提訴している親は、もめ事は喧嘩ではなくイジメであると思ったようです。それで、
連絡帳に娘が差別されていると30行から80行にわたる教師批判の文章を何回も書いたよ
うです」

女性教師の言質を取るために、親がICレコーダーを密かに子供に持たせていたことも紹
介、メインキャスターのOGは「モンスターペアレントではないのか」と疑問を投げかけ
た。

提訴するまでに、両親と女性教師の話し合いの場が設定されていたが、両親は拒否したと
いう。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

 その親がどうであったかは、知らない。
またこう書くからといって、その親がそうであるというのではない。
ただ一般論として、10人の親がいれば、そのうち1人くらいの割合で、「たいへんな親」
がいるのは事実。
「たいへんな親」というのには、いろいろな意味が含まれる。
教える側からみて、「たいへん」。
そういう親をいう。
受験ノイローゼの親も、それに含まれる。

 以前、(もう20年以上も前のことだが)、書いた本に、こんな話を書いた。
BLOGに紹介したのは、2006年8月の日付になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【受験ノイローゼ】

●受験ノイローゼ

 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がな
る。ある母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼ
りました」と。「家でゴロゴロしている息子(中2)を見ただけで、気分が悪くなり、その
場に伏せたこともあります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験があ
る。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学
歴信仰をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこち
らが排斥されてしまう。

「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまった
母親もいた。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言った
ときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰り
かえす。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようにな
ると、親自身がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという
恐怖。そしてそれを子どもにぶつける。

もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状態の中に、不安が
入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状
態になると、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。
家族の心を犠牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学5年の女児をも
つある母親はこう言った。

「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝す
るはずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノ
イローゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。た
とえば人前では、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、
「私はどこの学校でもいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているの
で、何とか、希望をかなえさせてやりたい」とか、言ったりする。

外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じたりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えて
みる。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1) 生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな
目つき、元気のない応答など。

(2) 思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶
力の低下)……同じことを考えたり、繰り返したりする。

(3) 精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪
失、日常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。

(4) 睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。

(5) 風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意に
よる事故が多くなる。

(6) ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったり
する。衝動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同
時にいくつか買う。

(7) ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れ
ず、それが苦になってしかたない。

(8) 同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロール
ができなくなる(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと
思うことが多い。ヒステリックに泣き叫んだりする。

(9) 他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉
じこもる。

(10) 過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒食症にな
る。体重が極端に変化する。

(11) また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)……ささい
なことで、相手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判断できな
くなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につなが
ることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●受験ノイローゼ

 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることがで
きる。しかし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっか
りもっている」のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼ
られるということ。

明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。

むしろ子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関心になったり
する。育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味では、限られた範
囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受験」に対して、
過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで1~2時間過ごしていた
母親がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意して
いた母親もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこうい
うエッセーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつか
の話をまとめたり、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを
書く人間の常識のようなもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭では
なかったが、30万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、
車の免許証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をま
ちがえたりすると、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。

ワイフが「そこまでしなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子ど
ものために、不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、
いくつか、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、
東大だって入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。

Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させた。
いや、もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノイロー
ゼになる前に、ある程度のレベルで収めることができる。が、その子どものできが、親の
望みを下回ったとき、ノイローゼがノイローゼになる。

●特徴

 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような
症状のうち、5個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。

あなたのためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあ
なたの子どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身
の受験体験にメスを入れてみてほしい。

○ 子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライ
ラしたり、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。

○ 子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくよ
うで、心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。


○ 子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのま
まダメになっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。

○ 同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどん
なことをしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。


○ 子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あ
れこれ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。

○ 子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもが
したりすると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。


○ テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、
子どもと衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。

○ 明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、
家庭での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。

○ 「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっ
とできるはず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。

○ 子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使
えば使うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結局は犠牲者

 繰り返すが、こう書くからといって、今話題になっている親が、そうと言うのではない。
その親のことは知らない。
テレビなどではキャスターのインタビューに答えているようだが、それも見たことがない。
本当に教師による体罰があったのかもしれない。
本当に教師による差別があったのかもしれない。
それはこれからの裁判の中で、明らかになっていくだろう。

 しかしその前に、受験ノイローゼと言われる親にしても、現在の日本がかかえる、
学校神話、受験競争、学歴主義の犠牲者にすぎないということ。
他の多くの親同様、現代の日本がもつ価値観の中で、踊らされているだけ。
「私」を見失っているだけ。
やがて時がくれば、それに気づく。
が、今は、わからない。

 が、本当の犠牲者は、子ども自身。
それを忘れてはならない。
同じく以前、こんな原稿を書いたことがある。
これがこの原稿の結論ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)


++++++++++++++++++


息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。
そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。


【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)


[投稿者] 小6の母
こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子
が下りてきました。


解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ
ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。


2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意
されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で
はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい
うのです。


でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」
と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす
みませんと謝りました。


いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自
分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら
ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言
いました。


というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。
「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って
あげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。
口を挿むすきがなかったというのです。


息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ
ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。
私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が
出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう
か?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう
か。


私が学校に行って話をすることは間違っていますか?


【はやし浩司より、Aさんへ】


 この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかた、その中での生き方を学んでいきます。
お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、
しむけます。


一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならない問題ではありません。
 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。


そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。
 で、あなたは……


(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。


(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。


(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。


(4)先生に抗議しようと考える。


 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、過干渉、過関心+
溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?


 先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。


 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。
 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、先生は、忙しかったと思いますよ。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。


それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。
……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。


 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。


(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。
 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。


 で、それはそれとして、結論は、同じ。
「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。


 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。


 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。


(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)
子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)
で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。
子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視」です。


子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。


その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。
またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。
なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいか思います。


+++++++++++++++++


『負けるが勝ち』


これは子育ての鉄則です。
以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。
大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。
もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。
私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。
その程度のことは、みな、しています。


+++++++++++++++++


●負けるが勝ち


 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。
 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、
「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆
が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人も
いる。


さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。


 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。


しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから
……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。
 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。


それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ
は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ
きあいの大鉄則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


【親の欲目】


●親の欲目


 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。


親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして
子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。


●やってここまで


 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。


 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ
くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や
る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子
どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。


●子どもを受け入れる


 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。


そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ
ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう
「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【Aさんへ】


 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。

 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉 はやし浩司 家
庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩
司 負けるが勝ち 教師が親を訴える モンスターママ論 育児ノイローゼ 受験ノイロ
ーゼ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月19日

●不良老人

 ワイフは、私たち夫婦のことを、ときどき、
「不良老人」と呼ぶ。
行動が、昔で言う「不良」のそれだかからである。

夜な夜な、遊び回っている。
気が向いたら、即実行。
深夜映画を観て、そのままビジネスホテルに。
これには理由がある。
自宅に帰っても、寒い。
寒いというより、「冷たい」。
暖房機をONにしても、暖かくなるまでには
時間がかかる。
だから「どこかに泊まっていこうか?」となる。

 浜松市内では、一泊3000円(1名分)で
泊まれる。
セミダブルの部屋だと、朝食付きで、
5500円(2名分)。
部屋に入ったら、暖房をがんがんつける。

安いというか、この業界でも、価格破壊が起きている?
利用者の私たちにはありがたい。

●今朝は、5時起き

 昨夜はワイフは、ふとんの中でDVDを観ていた。
私は反対側を向いて、PSPを相手に将棋を指していた。
電気を消すとき時計を見たら、午前0時。

 そのせいか、あまりよく眠られなかった。
トイレに起きたのが、午前4時。
1時間ほどふとんの中でがんばってみたが、そのまま頭が冴えてしまった。
再び時計を見たら、午前5時。
で、起床。
書斎へ。
途中、台所を通ると、パン焼き機(ホームベーカリー)が、ゴトゴトと音を立てていた。
気になって中を見ると、パンの生地をこねているところだった。

 「こんな朝早くから、仕事をしている!」と、へんに感心した。

●キジバトの餌

 数日前、餌を切らした。
この数日、餌をまいてない。
そのせいか、キジバトが一羽、終日、キーウィの木の上でじっとしている。
餌を待っている?
去年の秋(ほんの数か月前)に、生まれた雛である。

 餌はいつも近くの農協で買っている。
農協で買うと、10キロ入りで、1700円前後で買える。
今日の午後、買いに行くつもり。
しかし……。

 野生の鳥を餌付けするのは、よくない。
それはよく承知している。
依存性ができてしまい、自立できなくなってしまう。
で、餌の量を減らすなどの方法で、自分なりに考えている。

しかしこのところ、野鳥の数がめっきりと減った。
スズメなどは、10分の1程度になってしまった。
今ここで餌付けをやめたら、このあたりから野鳥は、本当にいなくなってしまう。
それもまた、さみしい。

●Eマガ 

 このところEマガの配信が、乱れている。
「配信終了」のメールは届くが、実際には配信されていない。
そこで「再配信版」を、配信する。
が、それも配信されない。

 ……で、今朝(1月19日)は、1月17日号と、1月19日号の2号を、再々度、
配信してみた。
で、それはうまくいった。
数分もたたないうちに、Eマガが、メールボックスに入った。

しかし……?
理由も原因もわからない。
以前、Eマガ社に問い合わせたが、返事はなし。
いつも無料で配信してもらっているため、文句は言えない。
そのつど、手動で対処するしかない。

【Eマガ読者のみなさんへ】

 そんなわけで、できれば、Eマガからメルマガに乗り換えてください。
こちらも無料です。
メルマガの申し込みは、私のメイン・ホームページからできます。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

 なおメルマガのほうでは、今年も、人気投票で第1位(カテゴリー別部門)を受賞
した。
投票してくれた読者のみなさん、ありがとう!

●花粉症

 今年はまだ1月というのに、花粉症による症状が出てきた。
ときどきクシャン、クシャンと、はげしいクシャミが出る。
新聞報道などによれば、今年の花粉の飛散量は、例年の数倍以上になりそう、とか。
昨年(2010)の夏の猛暑の影響らしい。

ユーウツ!

 私のばあい、シソの葉エキスがよく効く。
初期の段階で、やや濃いのを、空腹時にのむ。
最初の1週間ほどで症状は、そのまま消える。
今日あたり、それを買ってくるつもり。

 そういう私でも、若いころは花粉症に苦しんだ。
一時は、沖縄への移住を本気で考えた。
沖縄には、杉の木やヒノキがない。
それでそう考えた。

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
はやし浩司 2011-01-19

【BW子どもクラブ】(中日ショッパー紙・2011年1月号より)

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Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●自由と孤独(父親の存在とは?)「父子論」byはやし浩司

++++++++++++++++++

昨日も介護に疲れた息子(50代)が、
父親(80代)を殺すという事件が起きた。
痛ましい事件である。

こういう事件を見聞きすると、介護の経験の
ない人は、「どうして?」と首をかしげる。
私もそうだったし、今のあなたもそうかも
しれない。

しかし「介護」のもつ重圧感には、相当な
ものがある。
それはいつ晴れるともなく綿々とつづく、
曇り空のようなもの。
被介護者との間に良好な人間関係があれば、
まだ救われる。
が、それがないと、「介護」はとたん、巨大な
重石となって、あなたを押しつぶす。

それはそれとして、つまり介護の問題は別として、
息子が父親を殺した。
ここに焦点を当てて、今朝は、父親と
子ども(息子や娘)、つまり「父子論」について
考えてみたい。

++++++++++++++++++

●自己評価力

 ほとんどの人は、「私はふつう以上の、ふつうの人間」と思っている。
少なくとも、平均以上の人間と思っている。
自分のことを客観的、かつ正確に知る人は少ない。
さらに、ほとんどの親は、「私はふつう以上の、ふつうの親」と思っている。
ここでは親といっても、「父親」に的をしぼって考えてみる。
つまりこと、父親に関して言うなら、少なくとも、平均以上の父親と思っている。
自分のことを客観的、かつ正確に知る人は少ない。

 が、まわりの人たちは、あなたを「ふつうの人」とは思っていない。
あなたの子どもたちは、あなたを「ふつうの父親」とは思っていない。
このことはいろいろな調査結果を見ても、わかる。

 以前「断絶」という題で、それについて書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないな
どがある。「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。家族には助け合い、
わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうという5つの機能があるが、断絶状態になる
と、家族がその機能を果たさなくなる。

親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即
発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親
で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! そして一度、こうい
う状態になると、あとは底なしの悪循環。親が修復を試みようとすればするほど、子ども
はそれに反発し、子どもは親が望む方向とは別の方向に行ってしまう。

 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認め
あわない状態をいう。たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は5
5%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青
少年白書』平成10年)。

もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論した
り、逆らうなどということは論外だった。今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ
親は少なくないが、「家から追い出される」ということは、子どもにとっては恐怖以外の
何ものでもなかった。江戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまれば
そのまま佐渡の金山に送り込まれたという。その名残がごく最近まで生きていた。いや、
今でも、親の権威にしがみついている人は少なくない。

 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。た
とえば子どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家
族」を誇る親は少ない。中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入っ
てくれれば」と、子どもの受験競争に狂奔する親すらいる。

価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見よりも中身こそ、大切にすべきでは
ないのか。そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という状態は、まさに家庭教育の
大失敗ととらえてよい。言いかえると、家族が助け合い、わかりあい、教えあい、守りあ
い、支えあうことこそが、家庭教育の大目標であり、それができれば、あとの問題はすべ
てマイナーな問題ということになる。そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考えては
いけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●79%!

 この原稿の中で、とくに注意してほしいところは、つぎ。

……「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。
「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青少年白書』平成
10年)……。

 あなたはこの「55%」「79%」という数字をどう読むだろうか。
さらに一言、付け加えるなら、この中には、「父親を軽蔑している」という調査項目がなか
ったのは、なぜか?
言うまでもなく、総理府(現在の内閣府)の調査では、そこまではできなかった。
つまり「父親を尊敬していない」の中には、当然、「父親を軽蔑している」という子どもも、
多数含まれる。

 さらに言えば、100-79=21%の子どもが、「父親を尊敬している」という
ことにはならない。
「何とも思っていない」という子どもが、大半と推定される。

 つまり父親の存在感は、きわめて薄い。
父親の立場は、きわめて弱い。
しかしほとんどの親(父親)は、「私はだいじょうぶ」と高をくくっている。
つまり自己評価力は、その分だけ、きあめて低い。

 そこで私は、この数字を、逆にこう読む。
「父親というのは、そういうもの」と。
あのフロイトも、「血統空想」という言葉を使って、それを説明している。
それについて書いたのが、つぎの原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親・ヨセフ  

●今朝・あれこれ(2007年11月19日)

++++++++++++++

昨夜、どこか風邪っぽかった。
が、外食。大きな店だったが、
暖房があまりきいていなかった。

肉料理を久しぶりに食べたが、
家に帰ると、悪寒。薬をのんで、
そのまま就寝。

ところで、この土日に、2本の
DVDを見た。

『敬愛なるベートーベン』と、
『ドレスデン』。ともに、すばらしい
映画だった。

学生のころは、毎年、第九交響曲を
歌っていた。映画を見ながら、
いっしょに合唱。涙、ポロポロ。
『敬愛なるベートーベン』は、
星は4つの、★★★★。

もう1本の『ドレスデン』も、
星は4つの、★★★★。2時間半もの
大作なので、じっくりと構えて見るの
がよい。

ドイツも、このところ、すばらしい
映画を制作するようになった。
CGも、ハリウッド映画に追いついた
という感じ。

よかった! 感動した!

ほんとうは、どれも星は5つかも
しれない。乱発すると価値が
さがるので、あえて、星は、
4つにした。

++++++++++++++

●ヨセフ

 今度、キリストの父親のヨセフをテーマにした映画が、劇場で公開されるという。公開
されしだい、ワイフと見に行くつもり。ワイフは、たいへん楽しみにしている。

 チラシには、こうある。

 「あの日、ヨセフがマリアを信じなければ、あの時、ふたりが大王による虐殺から逃れ
えなければ、キリストは誕生しなかっった」と。

 キリスト教会の中には、「聖ヨセフ教会」というのもあるが、全体としてみると、父、ヨ
セフの影は薄い。マリア像をかかげる教会は多いが、ヨセフ像をかかげる教会は、ほとん
ど、ない。

私は、若いころから、教会へ行くたびに、それを疑問に感じていた。そういう疑問をベー
スに、以前、いくつかの原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++

●育児に参加しない父親

Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。何もしてくれません。負担がすべて、私にの
しかかってきます。

A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうで
はない。たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だっ
たかもしれない」という「血統空想」(フロイト)をもつという。

ある女の子(小5)は母親に、こう言った。「どうしてあんなパパと、結婚したの。もっと
いい男の人と結婚すればよかったのに!」と。理屈で考えれば、母親が別の男性と結婚し
ていたら、その子どもは存在していなかったことになるのだが…。

 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方を
する。そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親
のヨセフは、マリアにくらべると、ずっと影が薄い?

 これに加えて、日本独特の風習文化がある。旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、
その一方で、家事をおろそかにしてきた。若い夫婦でも、約30%の夫は、家事をほとん
どしていない(筆者、浜松市で調査)。身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。

 そこで母親の出番ということになる。まず母親は父親をたてる。大切な判断は、父親に
してもらう。子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」
と。決して男尊女卑的なことを言っているのではない。もしこの文を読んでいるのが父親
なら、私はその反対のことを書く。つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬
しあうことをいう。まちがっても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。とく
に子どもの前では、してはいけない。

 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、
母親の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。ある女
性(32歳)は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。男性そのものを、軽蔑
していた。原因は、その女性の母親にあった。

 母親は町の中で、ブティックを経営していた。町内の役員もし、活動的だった。一方父
親は、まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。母親はいつも、父親
を、「甲斐性(生活力)なし」とバカにしていた。それでその女性は、そうなった?

 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。今は、その過
渡期にあるとみてよい。同じく私の調査だが、やはり約30%の若い夫は、育児はもちろ
ん、炊事、洗濯、掃除など、家事を積極的にしていることがわかっている。

 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。日本の風土そのものにも、根を
張っている。あせらず、じっくりと構えること。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●母親の役目

 子どもにとって、自分と母親の関係は、絶対的なものだが、しかし自分と父親の関係は、
絶対的なものではない。「母親から生まれた」という実感はあるが、「父親から生まれた」
という実感は、もちにくい。だからたいていの子どもは、自意識(だいたい10歳前後か
ら)が発達してくると、父親との間に、一定の距離を置くようになる。「ひょっとしたら、
自分は父親の子どもではないかもしれない」と思う子どもも少なくない。

ある男の子(小5)は、こう言った。「ママが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼ
くは、もっと幸福になれた」と。

 こういうケースでは、「パパが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼくは、もっと
幸福になれた」とは、言わない。中には母親に向かって、「どうしてあんなパパと結婚した
の!」と、迫る子どもさえいる。理屈で考えれば、もし母親が別の男性と結婚していたら、
その子どもは、絶対に生まれていなかったことになるのだが……。

 このことは、子どもと母親の結びつきを理解するには、たいへん重要なポイントとなる。
わかりやすく言えば、子どもと母親のつながりは、父親のそれよりも太いということ。も
ちろん中には、そうでないケースもあるが、少なくとも、子どもの側からみると、太い。
だから父親と母親が、けんかをすると、特別の事情がないかぎり、子どもは、母親の味方
をする。歌にしても、母親をたたえる歌は多いが、父親をたたえる歌は少ない。

 たとえば窪田聡氏が作詞した、『かあさんの歌』にしても、森進一氏が歌う、『おふくろ
さん』にしても、母親をたたえる歌である。「♪母さんは、夜なべをして……」とは、歌う
が、同じように苦労をしている父親に対して、「♪父さんは、夜なべをして……」とは、歌
わない。

最近、演歌歌手のK氏が、父親をたたえる歌を歌いだしたが、そういう歌は例外と考えて
よい。つまり母親というのは、どこかたたえやすいが、父親というのは、どこかたたえに
くい?

 このことと関連しているのかもしれないが、たとえばキリスト教でも、聖母マリアをた
たえる信者は多いが、父親ヨセフをたたえる信者は少ない。実のところ、これがこのエッ
セーを書き始めたヒントになっている。昨夜ワイフが、ふと、「どうしてヨセフは影が薄い
のかしら?」と言ったのが、きっかけになった。

 話が脱線したが、つまり子どもの側からみたとき、父親と母親は、決して対等ではない。
子どもにとって母親は、父親以上に、特別な存在である。幼児でも、「お母さんがいないと、
どんなことで困りますか?」と質問すると、つぎつぎと答がかえってくる。しかし「お父
さんがいないと、どんなことで困りますか?」と質問すると、とたんに、答が少なくなる。

 そこで母親は、このアンバランスを、子育ての場で、調整しなければならない。そして
結果として、子どもの側から見たとき、父親と母親が、等距離にいるようにしなければな
らない。この仕事は、父親ではできない。それをするのは、母親自身ということになる。

方法としては、母親の立場をよいことに、母親だけが親であるというような押しつけはし
ないこと。もっと言えば、家庭教育の場で、父親の存在を、いつも子どもに感じさせるよ
うにする。「これは大切な問題だから、お父さんに判断してもらいましょうね」「お父さん
ががんばってくれるから、みんなが安心して生活ができるのよ」とか。

 決して男尊女卑的なことを言っているのではない。賢い母親なら、そうする。たがいに
高い次元に置き、尊敬しあうことを、「平等」という。もちろんこの文章を読んでいるのが
父親なら、その反対のことをすればよい。

 しかし、なぜ私がこのエッセーを書いているかについては、もう一つの理由がある。そ
れは今、父親の存在感が、ますます薄くなってきているということ。これに対して、「父親
の威厳を回復せよ」という意見もあるが、今は、もうそういう時代ではない。「威厳論」を
もちだしても、子ども自身が従わない。そこでここでいうように、「たがいに高めあう」と
いう意味での、平等論ということになる。

 またまた話が脱線したが、家庭教育においては、いかにして子どもと父親のパイプを太
くするかが、重要なテーマと考えてよい。またその努力を怠ると、家族そのものが、バラ
バラになってしまう。話せば長くなるが、問題行動を起こす子どもの家庭ほど、父親の存
在感が薄いことが知られている。

もっとはっきり言えば、母親だけでは、子育てはできないということ。できなくはないが、
失敗する確率は、ぐんと高くなる。そのためにも、子どもと父親のパイプは、今から太く
しておく。そしてそれをするのは、母親の役目ということになる。
(03-1-5)

【追記】
 よく父親の教育参加が話題になるが、それはここにも書いたように、そんな単純な問題
ではない。父親が、「では、私も子育てに参加してみるか」と思うころは、すでに手遅れ。
問題の「根」は、もっと深い。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●父親、ヨセフ

●存在感の薄い、ヨセフ

 イエス・キリストの父親は、ヨセフである。しかし母親のマリアは、処女懐胎している。
一説によると、そのときヨセフは、マリアと婚約関係にはあったが、マリアとは性的関係
はなかったとされる。また一説によると、処女懐胎のことは、マリアには、天使が知らせ
たが、ヨセフには、知らせなかったという。さらにヨセフは、イエス・キリストが、神の
子としての活動を始める前に、死んでいる。ここでキリスト教、最大の謎にぶつかる。父
親ヨセフは、では、いったい、何であったのか、と。

 この議論は、キリスト教の世界では、すでにし尽くされているほど、し尽くされている。
私のような門外漢が、いまさら、論じても意味はない。そこでここでは、もう一歩、話を
先に進めてみたい。

●母親は絶対

 母親と子どもの関係は、絶対的なものである。それは母親が、出産、授乳という直接的
な方法で、子どもの「命」そのものにかかわるからと考えてよい。一方、父親と子どもの
関係は、母親とくらべると、もろく不安定なもの。わかりやすく言えば、「精液一しずく」
の関係にすぎない。このちがいは、そのあとの親子関係にも、色濃く反映される。

 たとえば夫婦でけんかをしたとする。そのとき子どもは、たいてい母親の側にたつ。そ
ればかりか、子どもは、自意識が発達してくると、「自分は父親の子どもではないのでは」
という疑いをもつようになる。「私の本当の父親は、もっと高貴な人物で、私もそれにふさ
わしい人物にちがいない」と。これをフロイトは、「血統空想」と呼んだ。

 実際、男というのは、排泄が目的だけのためのセックスをすることができる。その気に
さえなれば、行きずりの女性と、数時間だけの性的関係をもつことだって可能である。一
方、女には、妊娠、出産、育児という責務がその時点から課せられる。

もし男も女も、同等の快感であったとするなら、女はセックスなどしないだろう。そのあ
と予想される「重荷」を考えたら、とても割にあわない。たとえば男というのは、そのセ
ックスの途中であっても、冷静に、女の反応を楽しむことができる。しかし女はそうでは
ない。無我夢中というか、我を忘れてセックスの快感に酔いしびれる。

またクライマックスの長さも深さも、男のそれとは比較ならないほど、長く、深い。恐ら
く長い間の進化の過程でそうなったのだろう。つまり女にとっての快感は、そのあと予想
される「重荷」を忘れさせるほど、すばらしいものであるらしい。またそれがあるから、
女も、あと先のことを考えることなく、セックスに没頭することができる?

 となると、太古の昔の男女関係がどういうものであったかについて、こう推理すること
はできる。

●親は、母親だけ?

 人間が、下等な哺乳動物の時代においては、あるいはそれよりもずっと先の時代におい
ては、男というのは、ただの「精液供給者」にすぎなかったのでは、と。結婚という形が
できたのは、ずっとあとのことで、それ以前はというと、子どもにとって親というのは、
母親でしかなかったのでは、と。その原始的な関係が、イエス・キリスとマリアの関係に、
如実に示されていると考えられなくもない。

 で、インターネットで検索してみると、父親のヨセフをたたえる教会も、少なからず存
在することがわかった。こうした教会では、父親のヨセフの苦悩や悲しみ、さらにはそれ
を克服した崇高さを、ことさら美化している。

しかしその視点そのものが、結婚観が確立し、父親像、母親像が確立した、「現代」から見
た視点にすぎない。つまり現代という視点から見れば、どう考えても矛盾する。おかしい。
おかしいから、どうしても父親のヨセフを、たたえる必要性が生まれた?

 しかし当時といえば、社会秩序そのものが確立されていなかった。だから当然のことな
がら、家族という概念も、まだ確立されていなかった。少なくとも、現在、私たちが考え
る家族観、……つまり、父親がいて、母親がいて、そして子どもがいるという家族観とは、
異質のものであったと考えるのが正しい。この日本でも、「家」中心の家族観から、「個」
中心の家族観に改められたのは、戦後のことである。

●母親と父親は平等ではない?

 こう考えていくと、母親と子どもの関係と、父親と子どもの関係は、決して平等でも、
同一のものでもないことがわかる。このことは、母親の子どもに対する意識と、父親の子
どもに対する意識の違いとなっても現れる。自分の子どもを見ながら、「この子どもは私の
子どもではない」と疑う母親は、絶対にいない。しかし同じように自分の子どもを見なが
ら、「ひょっとしたら、この子どもは、私の子どもではない」と疑う父親はいくらでもいる。
そしてそれがちょうどカガミに映されるかのように、子どもの心となる。

 つまり子どもにとって、親は、母親であったということは、一方で、「父親」という概念
は、ずっとあとになって、生まれたと考えるのが正しい。少なくとも社会秩序が確立し、
一夫一妻制度が確立したあとに、その輪郭を明確にした。それ以前はというと、父親は、
まさに「精液一しずく」。

 そこで家庭では、まず父親の存在と、母親の存在は、平等ではないという前提で、考え
る。父親の母親化、あるいは反対に母親の父親化ということは、ある程度はありえるが、
子どもの意識まで変えることはできない。いくら父親が母親らしくしても、父親の乳首を
吸う子どもはいない。

●母親は父親を立てる

 で、ここから先は、母親の出番ということになる。母親は絶対的な立場を利用して、父
親と子どもの関係を、より強固にするという義務がある。具体的には、家庭では、(1)子
どもが父親との関係を疑わないようにする。子どもが「血統空想」(フロイト)をもつこと
自体、すでに、父親と子どもの関係は、ゆらぎ始めているということ。

 つぎに(2)母親は、父親を自分より上位に置くことにより、父親の家庭における存在
を高める。こう書くと、男尊女卑論だと騒ぐ人がいるが、そうではない。「平等」というの
は、互いに相手を高い次元においてはじめて、平等という。「父親を立てる」ということ。
「大切な判断は、お父さんにしてもらおう」「この話は、お父さんにも聞いてもらおう」と。
そういう姿勢を通して、子どもは、父親像を学ぶ。身につける。

●父親ヨセフの苦悩

 こうして考えてみると、イエス・キリストの父親である「神」は、イエス・キリストを
もうけるためにマリアを選んだが、ヨセフは、選ぶという対象そのものにはなっていなか
ったのではということになる。はっきり言えば、マリアとイエス・キリストのめんどうを
みるなら、だれでもよかった? ……こう書くと、猛反発を受けそうだが、しかし事実を
冷静に積み重ねていくと、そうなる。あるいは、あなたがヨセフならどうだったかという
視点で考えてみるとよい。

 妻が、ある日突然、妊娠した。自分には性交したという記憶がない。そこで妻を問いつ
めると、「神の子だ」という。半信半疑だったが、しかしやがて子どもは生まれてしまった。
そういう状況に置かれたら、あなたはどう考えるだろうか。

ヨセフをたたえる教会では、「そうした苦悩を乗り越えたところに、父親ヨセフの偉大さが
ある」というような論陣を張るが、それはあくまでも結果論。結果的に、イエス・キリス
トが、偉大な人物になったから言えることであって、そうでなかったら、そうでなかった
であろう。

 いやそれ以上に、イエス・キリストはどうであったのか。ヨセフを父としながらも、お
そらく母親のマリアからは、「あんたの父は、ヨセフではない。天にいる『主』である」と
聞かされていた。イエス・キリストは、そういう話を、どこでどう納得したのか。矛盾を
感じなかったのか。あるいはそれこそ、フロイトがいう、「血統空想」そのものではなかっ
たのか? 

 「どうしてキリスト教では、父親のヨセフの影が薄いのか」、また「どうしてキリスト教
会では、マリア像を飾るが、ヨセフとマリアを並べて飾らないのか」という、何気ない疑
問をもったのがきかっけで、このエッセーを書いてみた。このつづきは、また今度、どこ
かの教会へ行ったときにでも、じっくりと考えてみる。
(03-1-15)

++++++++++++++

 「マリア」のチラシの裏面には、こうある。

 「本作は、神学、歴史、政治、社会、文化などのあらゆる専門家の協力を得て、マリア
とヨセフ、そしてキリスト誕生までの物語を、忠実に再現。突然、神からの啓示を受けた
若いふたりがどのように困難を乗り越え、お互いの親愛を築いていったのか? そしてク
リスマスの本当の意味とは……」とある。

 映画が楽しみだ。

 そうそう、ほかに、ニコラス・ケイジ主演の、「ナショナル・トレジャー」と、アンジェ
リーナ・ジョリー主演の、「マイティ・ハート」も封切りになる。ワイフは「みんな見に行
く」とがんばっているので、つきあうつもりでいる

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 フロイト 血統空想 マリア ヨセフ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親と子ども(息子と娘)

 自分という人間が、他人にどう評価されているか、それを知る能力が、「自己評価力」
ということになる。
その力がある人ほど、自分を客観的に見つめる能力をもっている。
(あるいは、その逆でもよいが……。)

 が、こと「父親」に関していうなら、子どもにどのように評価されているか、それを
客観的に評価できる父親は、いない。
そのヒマもない。
余裕もない。
家族や生活を支えるだけで、精一杯。
だから父親は、「自分」をそのまま、ストレートに子どもたちにぶつけてしまう。
私もそうだったし、今のあなたも、そうかもしれない。

 だからといって、今ここで、「子どもたちの視点で、もう一度、自分を見つめなおして
みよう」などと、提案するつもりはない。
はっきり言えば、そんなことは、どうでもよい。
先にも書いたように、父親というのは、そういう存在。
「嫌われて当然」という存在。
それがわからなければ、一度、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲で、父親と子ども(息子や娘)が、仲よく、「友」の関係にある人は
いるだろうか。
私にも、60数名近い、いとこたちがいるが、父親と子ども(息子や娘)が、うまく
いっている親子は、ほとんどいない。
「ゼロ」と断言してもよい。

★父親が心筋梗塞で倒れても、見舞いにいかない。
★同居して40年になるが、たがいに口をきかない。
★生まれてこの方、父親と会話らしい会話をしたことがない。
★離婚したあと、父親には一度も会っていない。
★仏壇を開いて、手を合わせたこともない、など。

 だからといって、そういう、いとこたちを責めているのではない。
私自身も似たようなもの。
私の息子たちも似たようなもの。
言い替えると、「子ども(息子や娘)に好かれよう」「尊敬されよう」と考えても無駄。
子どもたちはさらにその向こうで、「父親のようになりたくない」と考える。
いかにあなたが、平均以上のすばらしい父親であっても、だ。

 だからわかりやすく言えば、こういうこと。
「あなたの知ったことではない。
父親の役目を果たしたら、さっさと子どもたちから去ればよい」と。

●パラドックス

 どこの家庭も、表面的には、うまくいっているように見える。
しかしそれは「表面」だけ。
どこの家庭にも、それぞれ問題がある。
問題のない家庭は、ない。

 ただ残念なことに、今の若い夫婦(父親と母親)は、不幸な家庭、あるいは生活の
苦労というものを知らない。
つまりそうした不幸や苦労を受け入れる度量が、きわめて狭い。
小さい。
だから父親の(父親にかぎらないが)ささいな欠点をとらえては、おおげさに騒ぐ。
(してもらったこと)を忘れ、(ないものねだり)に始終する。
「私の父親は、ここが悪い」「あそこが悪い」と。

 が、これだけは忘れない方がよい。
私も若いころ、私の父親を、そういう形で批判した。
つまり今度は、やがてあなた自身も、そういう形で批判される。
いかにあなたが「私は完ぺきな父親」と思っていても、だ。
つまりそこに自己評価力の、落とし穴がある。

 たとえばひとつの例として、「寝る前の読み聞かせ」を取りあげてみる。

●読み聞かせ

 私は戦後生まれのあの時代の人間である。
父親に本を寝る前に読んでもらったという経験がない。
母親にもなかったと思う。
記憶には、ない。

 で、そういう私が父親になった。
子どもを3人、もうけた。
が、世代連鎖というのは、恐ろしい。
無意識のうちにも、親は、自分が受けた子育てを再現する。
よい再現なら、問題はない。
しかしそうでない再現もある。

 私は3人の息子たちに、寝る前に読み聞かせをしてやったことは、一度もない。
そういう習慣そのものがなかった。

 で、たとえば、(実際に、息子たちがそう不満を漏らしているわけではないが)、
息子の1人が「パパは、ぼくたちが子どものころ、寝る前に読み聞かせをしてくれ
たことがない」と言ったとする。
息子たちは外国の映画を見、外国にはそういう習慣があることを知ったらしい。
が、この日本には、なかった。

 そういうふうに言われたら、この私は何と答えればよいのか。
まさか「ごめん」とは、言えない。

 で、息子たちは結婚し、子ども(孫)をもうけたとする。
そして自分がしてほしかったことを、子ども(孫)にする。
寝る前に、ベッドで横になり、本の読み聞かせをしてやる。
いつか見た、あの「映画」のように、だ。

 で、ここで一件落着。
めでたし、めでたし……ということになる。
息子たちは、私ができなかったことをし、親子(息子と孫)の絆を深める。
よい親子関係を築く……と書きたいが、ここで待ったア!

 本当に、それでよい親子関係を築くことができるだろうか?
答は、「NO!」。
たぶん息子たちの子ども(孫)は、いつかこう言うにちがいない。

「パパは、毎晩、頼んでもいないのに本を読み聞かせ、ぼくたちを眠らせてくれ
なかった」と。
わかるかな?
このパラドックス?

 私は私で、私の思いがあって、子育てをした。
その第一、息子たちには、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
貧乏の恐ろしさは、いやというほど、身にしみている。
大学の学費についても、これまた惜しみなく注いだ。
自分がしたような苦労だけは、させたくなかった。
私は毎月、実家から、下宿代しか送ってもらえなかった。
が、そういう思いというのは、息子たちには、伝わらない。
伝わらないばかりか、(実際に、そう言っているわけではないが)、息子たちは、
たぶん、こう思っているにちがいない。

 「パパは、毎日仕事ばかりしていて、家族を顧みなかった。そのため家族はバラバラ
だった」と。

●決別

 子離れとは、結局は、依存性との決別を意味する。
相互依存と言い替えてもよい。
この依存性があるかぎり、「父親というのは、さみしい存在」ということになる。
が、ひとたび依存性を断ち切ってしまえば、あとは楽。
目の前の道が、パッと開ける。

 つまり宝くじと同じ。
当たればもうけもの。
父親と子どもの関係も、またしかり。
たまによいことがあれば、もうけもの。
そう考えて、当たることを期待してはいけない。
また当たろうと努力しても、無駄。
こと、父親と子どもの関係について言えば、当たらなくて、当たり前。
期待しない。
幻想を抱かない。
そういう前提で、自分の将来を考える。

 それが父親と、子ども(息子や娘)との、あるべき姿ということになる。
これであなたも、少しは気が楽になっただろうか。

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 総理府調査 青少年白書 将来親のめんどうを見る 父親のようになりたくない 総理
府 青少年白書 はやし浩司 父親の役割 断絶 親子の断絶)


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