Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, March 20, 2011

●2011-03-21

●はやし浩司 2011-03-21

++++++++++++++++++

オーストラリアの友人からメールが届いた。

オーストラリアでは、連日、日本での原発事故を
大きく報道していたという。
が、それが解決に向かって大きく動き出した。
「管理下(under control)」に入った。
それがわかったとたん、今度はリビアの爆撃ニュース。
一日中、そのニュースばかり。
それについて、友人は、こう書いてきた。
「世界のマスコミは、事件がほしいだけ」と。

今日は2011年3月21日。
私の電子マガジン(3月21日号)が、今日、
配信された。
電子マガジンは、ちょうど1か月前に配信予約を
入れることにしている。
だから記事の内容は、1か月前のもの。
テーマは、「相撲の八百長問題」。
1か月前には、相撲の八百長問題が、
日本中の話題をさらっていた。
が、今は、八百長問題を取りあげるマスコミはない。

この変わり身の速さ。
移り変わりの速さ。

やがて今回の大震災も、そして原発事故も
過去のものとなるだろう。
これでよいのかと考えたところで、思考停止。

……事件があるから、マスコミは、それをニュースに
するのか。
それともニュースがほしいから、事件をさがすのか。

日本の原発事故は、まだ片づいていない。
現在の今も、まだ「余談を許さない状態にある」
(官房長官)。
が、すでに世界の目は、原発事故から離れつつある。

一方、相撲の八百長問題は、何も解決していない。
解決していないまま、今、まさに、大震災のニュースに
隠れて、闇に葬られようとしている。

これでよいのかと考えたところで、再び思考停止。

++++++++++++++++++++

●人の命

 人の命の軽さ。
その軽さに、今回の震災を通して、私は大きな衝撃を受けた。
いとも簡単に、2万人近い人たちの命が、まさに文字通り、「洗い流された」。
こんなことがあってよいものか。

 少し前まで、日本人は、みなこう言っていた。
「自然を愛しましょう」と。

しかしこんなバカなことを言っているのは、日本人だけ。
世界の人たちは、その自然と闘っている。
ウソだと思うなら、アラブの人たちに、「自然(nature)を愛しましょう」と言って
みることだ。
「お前は、アホか?」と言い返される。
彼らにとって自然とは、あの「砂漠」をいう。

 ブラジルでも、そうだ。
彼らにとって自然とは、あの「密林」をいう。

 言葉のちがいもあるのかもしれない。
たとえばオーストラリアでは、日本で「自然」という言葉を使うとき、「wild life(野生生活・生物)」という言い方をするときが多い。
が、日本では、「自然(nature)」という言葉を、汎用的に使う。
それが誤解を生ずる。
ともかくも、大津波のような「自然」を愛する人は、いない。

●私もその中の1人

 たった1回の津波で、2万人以上もの人たちの命が奪われた。
被災者となると、その数10倍以上。
私もその中の1人。
それを考えると、「私」がかぎりなく小さくなっていく。
私というのは、それほどまでに小さいものなのか。
私の命はそれほどまでにもろく、人生ははかないものなのか。

 私だけではない。
日本中がショック状態。
日本人全体がショック状態。
今も、まだ、その状態がつづいている。

 たとえば原稿にしても、震災以来、ほとんど書いていない。
書きたいことはあるはずなのに、書く前におっくうになってしまう。
「こんなことを書いて何になるのだろう」と。

 ……今も、そういう状態。
だから今日も、ここまで。
ともかくも、みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司