Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, April 09, 2011

●はやし浩司 2011-04-10

●山荘にて

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久しぶりに山荘へやってきた。
2011年4月10日、日曜日。
時刻は午前6時30分。
雨戸を開けると、まっさきにウグイスの声。
ホーホケキョと、飛び込んできた。
空は快晴。
明るいライトブルーの空が、空一面に
広がっていた。

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●映画『ザ・ライト、エキソシストの真実』

 昨日の午後、義兄にオーストラリアのみやげを届けた。
その前に、近くの劇場で、映画『ザ・ライト、エキソシストの真実』という
映画を観てきた。
簡単に言えば、悪魔払い(=エキソシスト)の映画。

 まあ、何というか、この種の映画には免疫性ができている。
つまりこの種の映画は、見慣れている。
(はじめて『エキソシスト』という映画を観たときは、こわかったが……。)
途中で、バカバカしくなってしまった。

最初に、「この映画は、現実にあったことにinspired(=ヒントを得て)
制作されました」という断りが表示される。
翻訳のほうでは、たしか「事実に基づいて・・・」とあった(?)。
誤訳というより、意図的なインチキ。
私はそう感じた。

だいたい悪魔だの何だの、そんなものがいるはずがない。
もしいるとするなら、どうしてこの日本にはいないのか?
キリスト教国にだけ、神がいる。
おまけとして、悪魔がいる。
が、この日本には、いない。
どうして、この日本には、いないのか?
悪魔も国を選ぶということなのか?

もし日本にいるとしたら、キツネ。
キツネつき。
英語で言えば、「fox possession」。
私が子どものころには、いたぞ!

 キツネが乗り移ったとか、キツネそっくりのしぐさをする。
両手を体の前で丸めて、座ったまま、そこらをピョンピョンと跳び回る。
が、こうした獣信仰は、日本だけのものではない。
世界中にある。
国によって、何を信仰するかは、みな、ちがう。
ゾウやワニなど。
それこそ何でも、ござれ!

 星は2つの★★。
期待はずれ。
最初の10分ほどで、結末が予想できてしまった。
また予想通りの展開で、映画は終わってしまった。

●仏教vsキリスト教

 私が悪魔なら、人間の世界など、相手にしない。
人間が、猿が島に住む、猿たちを相手にするようなもの。
そんな時間とエネルギーがあったら、もっと別のことに使う。
それをワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「悪魔も、人間に近いところにいるんじゃナ~イ?」と。
つまり人間も悪魔も、それほど、ちがわない、と。
ナルホド!
 
しかし仏教とキリスト教の根本的な違いは、ここにある。
仏教では、それぞれの人の心の中に、善(仏)と悪(邪)があると教える。
キリスト教では、人間の外に、神(善の集合体)と悪魔(悪の集合体)
がいると教える。
 
 わかりやすく言えば、心の中と心の外。
そのちがいが、仏教とキリスト教のちがいということになる。
異論、反論もあるだろうが・・・。

●思想の自由

 話はそれたが、私が悪魔なら、人間など相手にしない。
神にしてもそうだ。
私が神なら、人間など、相手にしない。
猿が島の猿たちに、善や悪を教えて、どうする?
どうなる?
悪魔についても、同じ。
猿が島の猿たちに乗り移って、猿たちを苦しめて、どうする?
どうなる?

 が、私たち人間は、どういうわけか、相手にされている。
ということは、つまり神にせよ、悪魔にせよ、かなり人間に近いということ。
「神は自分に似せて人間を創った」(旧約聖書)ともいう。
その反対でもよい。
神にせよ、悪魔にせよ、人間によって創られた(?)。

 どちらであるにせよ、私なら断る。
いくら近くても、断る。
「人間の世界へ入れ」と言われても、断る。
たとえば今、(そんなことはありえないが)、北朝鮮から招へいを
受けたとする。
「貴君を、政府高官に迎えたいから、我が国においでください」と。

 あんな国へ行って、窮屈な思いをするくらいなら、断る。
あんな思想の自由のない国へ行って、どうする?
どうなる?
いくら貧しくても、(=地位がなくても)、今の方がずっと楽しい。
こうして好き勝手なことを書いている方が、ずっと楽しい。

●静かな朝

 それにしても静かな朝だ。
窓の外に広がる山々の木は、まるでスティール写真のように、動きを
止めている。
小枝一本、揺れていない。

 先ほどワイフが起きてきて、こう言った。
「オーストラリアの空気は乾いていたけど、こっちの空気は、湿っぽいわね」と。

 ・・・森というのは、フィルターの役目もしている。
言うなれば、天然の、巨大なマスク。
たとえば仮に放射性物質が飛遊していたとしても、森の木々が、それを浄化
してくれる。
言うまでもなく、森の木々も、呼吸をしている。
その呼吸によって、空気が浄化される。
もちろん乾いた空気より、湿った空気のほうがよい。
水の粒子には、それ自体に、吸着力がある。

 目の前には、その森が深々と広がっている。
それを見ていると、ほっとするような安心感を覚えるのは、そのせいか。

●「週刊現代」(今週号)

 そう言えば、おととい、「週刊現代」(今週号)という週刊誌を買ってきた。
いろいろな記事を読んできたが、今回ほどそら恐ろしさを覚えたものはない。
原発事故が最悪の状態になったら、どうなるか。
それについての記事が、ずらりと並んでいた。
要するに、東京以北、本州には、人がだれも住めなくなるかもしれない。
そういうこと。
読んでいるうちに気分が悪くなってしまった。

 というのも、放射能汚染は、その「地域」だけの問題ではない。
「世代」を超え、この先、何10年もつづく。
チェルノブイリでも罪のない子どもたちが、影響を受けている。
今の今も、その影響で苦しんでいる。
それが心配。

●欲望vs電力

 ・・・で、もし悪魔がいるとするなら、人間の「欲望」こそが、悪魔。 
とき図らずも今、「節電」が、話題になっている。
この夏、電力不足が予想される事態になっている。

しかしその一方で、無駄に消費されている電力も、多い。
その「無駄な部分」が、「欲望」と結びついている。
飛躍した考え方に思う人もいるかもしれない。
が、それがわからなければ、夜の繁華街を歩いてみることだ。
光々(=煌々)と輝く夜の街。
その間を意味もなくたむろする、男や女たち・・・。

●質素な生活

 「節電」・・・おおいに結構。
大賛成!
とりあえずコンビニの24時間営業は、やめたらよい。
照明も、半分、あるいは3分の1にしたらよい。
欲望の肥大化と電力の消費量とは、比例関係にある。
欲望が肥大化すればするほど、エネルギーの消費量は多くなる。
その結果が、原子力発電所ということになる。

 私たちは限られたエネルギーの中で、質素に暮らす。
そのあたりから、もう一度、考え方を改める。
生活を組み立てなおす。

●アデレードで

 アデレードの町に入る前に、友人が、Mt. ロフティ・サミット(頂上)
へ連れていってくれた。
そこからはアデレードの町が一望できる。
近くには、自然動物公園があって、コアラなどを抱かせてくれる。

 その山から下の方をみたときのこと。
あちこちで野焼きをしているのを知って、驚いた。
たき火ですら厳禁のオーストラリア。
そのオーストラリアで、野焼き?
しかも煙は、あちこちの山の中から起きている。

 それを友人に聞くと、こう話してくれた。
「今のうちに、背丈の伸びた雑草を燃やしておくのだ」と。
つまり山火事(ブッシュ・ファイア)の予防策。

 が、この日本では、そういうことはしない。
その理由が、「乾いた空気」と「湿った空気」ということになる。
日本では空気が湿っている。
その分だけ、山火事が起こりにくい。
オーストラリアのようなさわやかさはないが、山火事の心配はしなくてすむ。

 どちらがいいかと聞かれれば、当然、日本のほうがよい。
もし山火事が起きれば、この山荘など、ひとたまりもない。
ワイフの言葉を聞いて、そんなことを考えた。

 ・・・そのワイフが朝の散歩から帰ってきた。
「うちの桜は、6分咲きね」と。
見ると、つくしをたくさん、手にもっていた。
家に帰って、それを料理するつもりらしい。

 今日も、こうして始まった。
みなさん、おはようございます。
(はやし浩司 2011-04-10)

(今日の予定)

 午前中に、湖西の友人宅を訪問。オーストラリア旅行の報告。
午後は、県議会議員選挙の投票。
夕方からは、明日からのレッスンの教材づくり。


Hiroshi Hayashi++++++++APRIL 2011+++++++++はやし浩司