●土下座・・・みな、悲しい
【土下座・論】
土下座を迫る人も、土下座をする人も、そしてそれを見る人も、みな、悲しい。
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日本に残る最悪の風習といえば、「土下座」。
悪習中の悪習。
世界に類をみない、悪習。
奇習。
土下座は、人間が基本的にもつ尊厳すらをも踏みにじる。
謝罪する側にしても、その尊厳まで、捨ててはいけない。
謝罪を迫る側にしても、その尊厳まで、踏みにじってはいけない。
私も人間、あなたも人間。
みな、人間。
同じ、人間。
相手が土下座したからといって、問題は何も解決しない。
謝罪したことにはならない。
またそれでもって、相手が謝罪したと錯覚してはいけない。
一方、相手に土下座させたからといって、問題は何も
解決しない。
謝罪させたことにはならない。
またそれでもって、あなたの正当性が相手に認められたと、
錯覚してはいけない。
中には土下座し、その場をごまかす人もいる。
ずるい政治家は、この手法をよく利用する。
土下座……。
あまりにも非人間的な謝罪法。
それを強いる人にしても、相手に向かって、人間であることを
あえて否定させる。
人間であることの尊厳を否定させる。
みなの前で、恥をかかせる。
恥をかかせて、「罰」とする。
それが土下座の原点。
東京電力の社長をかばうつもりは、まったく、ない。
天災というよりは、人災。
おかしな官僚体質が、今回の事故を引き起こした。
「国の基準を守り、やるべきことはします。しかしそれ以上のことはしません」と。
一方、被災者の方たちの気持ちも、よくわかる。
つらくてきびしい生活も、よくわかる。
やりようのない怒りも、よくわかる。
が、しかし東京電力の社長たちは、少なくとも犯罪者ではない。
今後、過失などがあれば、それはそれとして、法的に罰せればよい。
が、それはそれ。
しかし少なくとも、今は、犯罪者ではない。
私やあなたと同じ、1人の人間。
家族もいれば、仲間もいる。
それを見ている親がいる。
子どもがいる。
孫もいるだろう。
そんな人に土下座など、させてはいけない。
大切なことは、東京電力の社長以下、みなに、
「今」を原点として、原発事故を収束させること。
がんばらせること。
責任の追及と謝罪は、そのあとでよい。
土下座する、社長以下、東京電力の役員たち。
それを取り囲み、立って見下す、被災地のみなさん。
それを見ている私たちだって、かえって悲しくなるだけ。
さみしくなるだけ。
もし今、原子炉が一機でも爆発してしまえば、それこそ万事休す。
福島どころか、東京にだって、人は住めなくなる。
今が最悪ではない。
最悪の下には、さらに別の最悪がある。
二番底、三番底がある。
土下座させたからといって、その最悪の最悪が回避できるわけではない。
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●土下座した東京電力の社長
私は、TBSのつぎの記事を読んで、いたたまれない気持ちになった。
責める側も、責められる側も、まさに地獄。
生き地獄。
どうして同じ日本人が、こうまで過酷な地獄を味あわなければならないのか。
傷つけあわなければならないのか。
その悲しさ。
そのつらさ。
+++++++++以下、TBSNEWSより+++++++++++
●「土下座しろ!清水!」 東電社長に怒号
5月4日(水)19時12分配信
東京電力の清水社長は4日、2回目となる福島入りをしました。原発の事故で自治体の
機能ごと移転させたH町、N町、K村の対策本部を訪れ、それぞれの首長に謝罪を行いま
した。N町の対策本部では・・・
「賠償補償については速やかにやっていただかないと。生業がなっていないんです。全
員失業者です」(N町 B町長)
「生活の故郷であるところに戻っていただくよう、全力をあげて取り組んでいきたい」(東
京電力 清水正孝社長)
町長らへの謝罪を終え、避難している住民のもとへ向かおうとする清水社長。しかし・・・
「清水社長、町民に謝らないで帰るのですか?」
詰め寄ったのは実家がN町だという女性。ただ頭を下げる清水社長。ですが、女性の怒
りは収まりません。
「ここにもいっぱい浪江の人がいるんですよ。謝らないんですか?」(女性)
さらに・・・
「土下座しろよ!清水!」(男性)
清水社長は激しい住民の怒りに対し、膝をついて謝罪しました。
この後、清水社長は原発事故の影響で避難生活を送る人たちを訪問しました。ここでは
避難住民たちの悲痛な叫びが・・・
「収入途絶えた・・・。『仮払金払います』、そんなもの3~4か月でなくなる。その先
のこと考えてくれていますか」
「頑張って家も建てました。ローンも残ってます。どうしてくれるんですか、これ。こ
れで(一時金が)100万って、あなたたちが一晩で飲んでなくなるような金額もらって、
みんなが納得すると思ってるんですか」(避難している住民)
住民の具体的な要望に対しても清水社長の答えは・・・
「誠意をもって対応したい。お話はよく分かりました」(東京電力 清水正孝社長)
清水社長が繰り返す「わかりました」「誠意を持って」の言葉に、住民からさらなる怒り
が・・・
「カスタマーセンターのオペレーターの返事と同じ。指針がない」(避難している住民)
住民の納得を得られないまま、清水社長は避難所を後にしました。
「期待していなかったが、がっかり」
「みんなうちに帰りたい」(避難している住民)
避難住民らへの一刻も早い補償の具体的指針が求められます。(04日17:28)
+++++++++以上、TBSNEWSより+++++++++++
●責任論
あえて言うなら、大地震も、大津波も、天災だった。
人知の及ばない天災だった。
その天災が引き金となり、福島第一原発の事故は起きた。
けっして事故を容認せよと言っているのではない。
過失もあった。
油断もあった。
先にも書いたように、天災というよりは人災。
その結果として、事故は起きた。
が、その一方で、使い放題電力を使ってきたのは、私たち。
ぜいたくな生活をしてきたのは、私たち。
少しでも停電になれば、そのつど電力会社に文句を言ってきたのも、私たち。
その私たちに責任がないと、どうして言えるのか。
今は清水社長も、こう言っている。
「生活の故郷であるところに戻っていただくよう、全力をあげて取り組んでいきたい」
と。
その言葉には偽りはないだろう。
だったら、今は、それを信ずるしかない。
応援するしかない。
が、今のこの日本で、こう発言することは、たいへん勇気がいる。
同じようなことを書いて、袋だたきにあった人は、いくらでもいる。
しかし今大切なことは、みなが力を合わせて、そこにある危機を克服すること。
たがいに責めあって、何が解決するというのか。
へたをすれば、先にも書いたように、第一原発は明日にでも爆発するかもしれない。
もしそうなれば……。
責任を追及し、法的な補償を求めるのは、そのあと。
そのときは東京電力の責任を、徹底的に追及すればよい。
●命がけの作業
今、福島第一原発では、まさに命がけの作業がつづいている。
放射線という見えない敵を相手に、作業員の人たちが、懸命に努力している。
作業員といっても、大手ゼネコンの下請け企業の労働者のみなさん。
昨夜も、テレビでそういう人たちを紹介していた。
中に、涙を流しながら、仲間たちと安全を誓いあったという人もいた。
そういう人たちがいるの知るにつけ、ただただ頭がさがる。
本当に、頭がさがる。
今すぐには影響がなくても、10年先、20年先に、どんな病気になるかわからない。
そういう不安とも、これから先、闘っていかねばならない。
そういう人たちが、今、がんばっている。
今は、そういう人たちを静かに、見守るしかない。
●土下座
ともかくも、もうやめよう、こんな風習。
悪習。
奇習。
「土下座しろ!」と叫んだ、被災地のみなさん。
気持ちはよくわかる。
やりようのない怒り。
不安。
孤独。
それに絶望感……。
が、今、日本中の人たちが、被災地のみなさんと同じ気持ちになって、懸命に
闘っている。
悲しみや苦しみを共有したいと、みな、がんばっている。
相手が土下座したからといって、何も問題は解決しない。
相手に土下座させたからといって、何も問題は解決しない。
土下座する、社長以下、東京電力の役員たち。
それを取り囲み、立って見下す、被災地のみなさん。
それを見ている私たちだって、かえって悲しくなるだけ。
さみしくなるだけ。
だからもうやめよう、こんな風習。
悪習。
奇習。
……というのが、このエッセーのしめくくり。
繰り返しになるが、だからといって、被災地の人たちを責めているのではない。
やむにやまれず、そういう状況を作ってしまった。
そういう状況を、作らざるをえなかった。
土下座させる被災地の人たちにしても、さぞかしつらかったことだろう。
悲しかったことだろう。
何とも歯切れの悪い結論になってしまった。
「土下座」について書くつもりだった。
が、話が、原発事故につながったしまったのは、問題が今の今も進行中だから。
どう解決したらよいのか、その糸口さえ、まだ見つかっていない。
不安といえば、不安。
心配といえば、心配。
だから今は、こう書くしかない。
福島第一原発の事故が、一日も早く、収束に向かうことを、心から願っています。
同時に、被災地のみなさんに、一日も早く、平安な日々がやってくることを、
心から願っています、と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●土下座について
ウィキペディア百科事典(英語版)は、「土下座」について、つぎのように説明する。
In gishiwajinden (魏志倭人伝, the oldest Chinese record of encounters with the
Japanese), as a custom of yamataikoku (邪馬台国, a country in old Japan), it was
mentioned that commoners would, upon meeting noblemen along the road, fall
prostrate on the spot, clapping their hands as in prayer (柏手 read: kashiwade), and
this is believed to be an old Japanese custom.
日本人に関するもっとも古い中国の文献によれば、邪馬台国の習慣として、道路で高貴な
人物に出会ったようなとき、庶民は、その場で、平伏し、拝むように手を合わせた。これ
は日本の古い習慣と理解されている。
The haniwa (埴輪) of the Kofun Period (古墳時代) can be seen prostrating themselves in
dogeza.
古墳時代の埴輪にも、土下座したものが見られる。
In addition, common people performing dogeza in modern times when being
interviewed by higher-ups was normal. In the early modern period, popularly as the
daimyo's procession passed by, it is believed that it was mandatory for the commoners
present to perform dogeza, but that is incorrect.
さらに近代においては、位の高い人と面会するとき、一般庶民は土下座するようになった。
たとえば大名行列が通り過ぎるようなとき、一般庶民は、土下座するように信じられてい
るが、これは正しくない。
In the Japanese social consciousness, the act of sitting on the ground and creating a
scene (dogeza), is an uncommon deference only used when one is deviating greatly from
daily behavior.
日本人の社会的意識においては、土下座をするということは、日常の生活から著しく逸脱
したようなときのみなされる、「ふつうでない服従的な行為」ということになる。
Seen as an etiquette filled with the meaning of "sorry to trouble you", in the Edo period,
by performing dogeza and apologizing to someone, usually the person would have a
tendency to forgive.
江戸時代には、土下座し、だれかに謝罪するときは、「ご迷惑をおかけしました」という意
味での行為として見られた。またふつうその人は、相手をそれで許した。
Even nowadays, as a method of self-protection and apology in which damage to one's
image is neglected, the idea of feeling shame while performing dogeza remains firmly
rooted.
今日においてでさえ、土下座は用いられているが、土下座は個人のイメージを傷つけ、土
下座をすることは、たいへん恥なこととされている。
However, generally people willingly performing dogeza in order to show that they come
from a lower social standing essentially has almost no meaning.
しかしながら自分が下であることを示すために、喜んで土下座をするということもあり、
土下座の社会的意味は、ほとんどなくなりつつある。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●(補記)管総理大臣へ
先日も国会中継を見ていたら、こんなシーンがあった。
同じ与党(民主党)の議員が、管総理大臣を口汚くののしっていた。
「見通しが甘かったことを、認めたらどうだ!」と。
そんなようなことを言っていた。
それを評して自民党(野党)の議員は、「民主党は不思議な党だ」と酷評していた。
つまり民主党内部が、すでに分裂している。
分裂しながら、それをみじんも恥じない。
今、重要なことは、挙国一致態勢で、この「危機」を乗り切ること。
足下どころか、身内でさえバラバラで、どうしてこの危機を乗り切ることができるのか。
へたをすれば、日本がバラバラになってしまう。
今、日本が置かれた状況は、それほどまでにきびしい。
だから今は、一言。
管総理大臣、どうか、ここはがんばってほしい。
今のこの危機を乗り切る力があるのは、あなたしかいない!
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【組み合わせと場合の数】(小1児のレッスン)
どこまで組み合わせと場合の数を理解できるか。
つづく小2児(うち小1児が飛び級で、3人)は、どこまで
理解できるか。
BW実験教室より(はやし浩司 2011-05-05)。
【組み合わせと場合の数】(小2児のレッスン)
さらに見てくださる方は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、「BW公開教室」→「2011年4月~版」へ。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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