Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, June 18, 2011

●山荘にてwithワイフ

●6月18日(土曜日)

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まずホトトギスが鳴いた。
へたくそな鳴き方だった。
「……ポッポー、ポキャキョク……」と。
外は、ほんのりと明るくなり始めていた。

窓のすぐ外で鳴いた。
大きいというより、クリアな声だった。

しばらくすると、今度はウグイスが鳴いた。
こちらはこのあたりの主。
春先には、終日、このあたりで鳴いている。
じょうずな鳴き方だった。
つづいてコジュケイ。
「……チョットコイ、チョットコイ……」と。
これは谷の向こうで鳴いた。

ついでヒヨドリ、カラス……。
山の朝は、鳥の合唱で目が覚める。

横を見るとワイフも起きていた。
「なあ、あのホトトギス、へたくそだな」と言うと、
ワイフは笑った。
「本当に、ヘタクソねエ」と。

6月18日、土曜日。

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●ビワの収穫

 今朝は、ビワの収穫で始まった。
どんよりと重い空。
雨で湿った枯れ葉。
それを長靴で踏みながら、畑へ。
一応、果樹園。
柿、梅、ハッサクなど。

 こういう日は、マムシに注意。
昨年と今年は、まだ見ていない。
しかしマムシはどこにいるか、わからない。
このあたりの農家の人たちも、みなこう言う。
「マムシに居場所なし」と。
が、日中は、枯れ草の間で、とぐろを巻いて休んでいる。

 長靴でそのあたりの枯れ葉をどかす。
安全を確かめる。
そのあと脚立を立て、ビワの木に登る。

 そう言えば、数日前、近くのショッピングセンターへ行ったら、ビワを売っていた。
8個入りで、700円だった。
高い!
そんなことを思い出しながら、つぎつぎと、もいでは、口に入れる。
少しでも酸(す)っぱいと、そのまま吐き出す。
甘いのだけを選んで食べる。
「うちのは見栄えは悪いが、完全、無農薬」と。

 のこぎりで大きな枝ごと、下に切り落とす。
その枝からワイフが、ビワの実をちぎって、カゴに入れる。
今年は大豊作。
あっという間に、ダンボール箱、数杯分のビワが収穫できた。

●暑気(あつけ)

 居間に戻ると、頭がフラフラした。
暑気に当たったらしい。
作業服の上に、厚いビニール製の雨合羽。
作業服を脱ぐと、全身、汗でぐっしょりと濡れていた。

 扇風機の前で涼んでいると、ワイフが水を持ってきてくれた。
「水分をたくさんとって、横になりなさいよ」と。

私「水分はビワで摂(と)った……」
ワ「気温がそれほど高くなくても、熱中症になる人はいるのよ」
私「気をつけるよ」と。

 マムシがこわくて、私は雨合羽を着た。
それがよくなかったらしい。
私はそのままワイフの膝の上に、頭を置いた。

●雑談

 いろいろな雑談をした。
まず映画の話。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』。
これは今日の午後、観に行くつもり。
もうひとつは、『スーパー・8』。
近く劇場で公開される。

 そのあとは、雑談、また雑談。

私「ないものねだりをしたら、キリがないよね」
ワ「そうよ」
私「ぼくたち、クリスマスも正月も、それに誕生日も、3人だけになってしまったよ」
ワ「みんなそうよ。私の友だちなんかも、みんなそうみたいよ」
私「でもね、名古屋のM君ね、還暦の祝いのときは、娘さん夫婦や、近所の人たちまで集
まり、祝ってもらったそうだよ」
ワ「私たちのときは、何もなかったわね」
私「でもね、こんな話もある……」と。

●あるもの感謝

 友人に、K氏という人がいた。
10歳ほど、私より年上だった。
この20年近く、音信が途絶えた。
そのK氏。
私の家に遊びに来るたびに、こう言った。
「林さんは、いいなあ」と。

 私たちの息子を見て、そう言った。
K氏には、子どもがいなかった。
が、そのときは、K氏の気持ちが理解できなかった。
私たちにしてみれば、子どもがいるのが当たり前。
日々の生活に追われ、むしろ、子育てをうっとうしく思っていた。

 が、今は理解できる。
K氏はK氏なりに、子作りに励んでいたのかもしれない。
そのつど、親子連れを見るたびに、それをうらやましく思っていたのかもしれない。
だから「林さんは、いいなあ」と。

私「ないものをねだり始めたら、キリがない」
ワ「私も、そう思うわ。私たちは健康だし、したいことができるわ」
私「そうだよな。健康だよな」
ワ「そうよ。あなたももうすぐ64歳になるけど、64歳で持病のない人は、珍しいのよ」
私「そうだよな……」
ワ「それに仕事もあるでしょ。何、ぜいたく言っているのよ」
私「ないものねだりではなく、あるもの感謝だね」
ワ「そうよ。今、あるものに、感謝しなくちゃあ」と。

●夫婦仲

私「ところでさ、この前、名古屋のO君が遊びにきただろ」
ワ「……」
私「あのO君、今は、別居中みたいだよ」
ワ「そうみたいね」
私「そのO君が、ぼくたちを見てね、『林君たちは、仲がいいね』と言っていたよ」
ワ「私たちね、他人が見ると、仲がいい夫婦に見えるらしいわ」
私「ぼくは、ゼンゼン、そうは思っていないけどね」

ワ「あら、そんなことないわよ。私の友だちのKさんね、寝室も別々だって言っていたわ」
私「それでも夫婦なのかア?」
ワ「そうよ。たがいに1か月以上、口をきかないこともあるって……」
私「1か月? ぼくならとても耐えられないなア……」
ワ「みんな、いろいろな問題をかかえているのよ。私たちなんか、いいほうよ」と。

●人工中絶

 ワイフの友人に、Uさん(女性)という人がいる。
その息子氏は、5年ほど前に結婚した。
そのときのこと。
息子氏がはじめて婚約者を家に連れてきた。
そのときのこと。
Uさんは、婚約者の体に妊娠線があるのを見落とさなかった。
妊娠した経験のある女性にできる、あの「白い線」である。
が、Uさんは、息子氏には、それは話さなかった。
「2人が幸福になれば、それでいい」と。

 が、それから3年。
息子氏夫婦には、いまだに子どもができないという。
妊娠はするらしいが、すぐ流産してしまう。
で、先月も、息子氏から電話があり、また妊娠した、と。

ワ「でね、その電話がおかしいのよ。息子さんは、子宮外妊娠のことを心配していたとい
うのね」
私「ああ、あの話ね。ぼくも若いころ、産科医のゴーストライターをしていたから、よく
知っているよ」
ワ「でしょ。初産の人は、子宮外妊娠のことなど、心配しないわよね」
私「ふつうは、しない」
ワ「だからね、私、そのお嫁さんはね、子宮外妊娠もしたことがあるのではないかと思っ
ているの」
私「……可能性としては、ありえない話ではないよね」と。

 人工中絶にも、時期がある。
早い時期であれば、外来手術で済んでしまう。
が、胎児がある程度大きくなると、そうはいかない。
子宮口を開くための処置も必要になる。
当然、入院手術ということになる。
さらに子宮外妊娠になると、かなりおおがかりな手術になる。
そのときの処置が悪いと、最悪のばあい、不妊症になってしまうこともある。

私「人工中絶した女性は、流産、早産をしやすくなるよ」
ワ「息子さんは、そういうことを知っているのかしら……?」
私「知らないだろうね。嫁さんにしても、そういうことは話さないだろうから……」
ワ「でも、Uさんは、知っているわよ」
私「Uさんも、息子さんには言わないだろうね」
ワ「言えないわよね」と。

 前回、妻が流産したとき、Uさんの息子氏は、涙を流して泣いていたという。
たまたまその場にいたUさんは、「またがんばればいいから」と言って、息子氏を慰めたと
いう。
それにしても罪深いのは、その妻(=嫁)。
日々の生活の中で、どうやって、その罪を償っていくのだろう?

●罪

 罪深いと言えば、こんな話も聞いたことがある。

 15年ほど前、私の知人の娘が、オーストラリアへ留学したいと言い出した。
そこでオーストラリアの友人のN君に連絡すると、すぐ身元引受人になってくれた。
オーストラリアには、ワーキングホリディという留学制度がある。
昼間は働いて、夕方から夜学に通う。

 で、最初の2か月は、N君の家に下宿(ホームステイ)した。
それからは自分でフラット(アパート)を借りて、そこに住んだ。
そのN君から、私に数回、こんな手紙が届いた。

「ヒロシ、親に話して、あの女の子をすぐ日本へ戻した方がいい」と。

 で、理由を聞くと、毎晩のように取っ替え、引っ替え、男遊びに狂っているという。
オーストラリア人のN君の目にもあまるほどの(遊びぶり)だったらしい。
当時、『イエローキャブ』という本も話題になった。

 ニューヨークのイエローキャブ(タクシー)のように、男を乗せて遊ぶ日本の若い女性
を揶揄(やゆ)したタイトルの本だった。
だれでも平気で乗せるから、「イエローキャブ」という。
「イエロー」というのは、もちろん黄色い肌の日本女性をいう。

 が、私もその知人の娘をよく知っている。
いつだったか、その知人(父親)は、私にこう言った。
「娘には、門限をきびしく守らせています」と。
事実、私が知るかぎり、その娘は、親の前では、おとなしく静かな女性だった。

 が、その女性が、やはり3年ほど前、結婚した。
相手は、何と京都のK大学を出た男性。
都市銀行に勤めている。
かなりの資産家の御曹司。
その話をN君にすると、N君は、すかさずこう言った。
「A stupid man!(バカな男だ)」と。
N君は、相手の男性を、「バカ」と言った。

 何も男遊びする女性が悪いというのではない。
人並みはずれた性欲をもっている女性は、ゴマンといる。
またそういう女性を責めても意味はない。
現代は、そういう時代ではない。
所詮、「性は無」(今東光)。
便の排泄行為と同じ。
深い意味はない。
しかし私も、同意した。
「Yeah, a stupid man!(ホント、バカな男だ)」と。

●メール

 体を起こして、メールを開く。
ドコモの携帯端末を購入してから、山荘でも、メールを読むことができる。
その中に、ある女性からの相談が届いていた。
四国のE県に住む女性からのものだった。
転載許可とあったので、そのまま紹介させてもらう。

『娘は幼稚園の年中児です。1歳の時離婚をし、実家に戻りました。
 
 以前から幼稚園でのお友だちに対する言動が気になっていました。具体的には「あっち
いって」「じゃまだよ」「~したらいけないんだよ」などと否定的な言葉を強い調子で言い
ます。
 
 一度、それを聞いたお友だちのママから、「○○ちゃんって怖いね」「気が強い子だよね」「う
ちの子もそういってた」などと言っているのを耳にしたことがあります。

 悲しい気持ちになりましたが、私の育て方が原因であることは認識しています。家庭環
境も良くないと思っています。仕事柄、週の半分は私が帰宅する前に就寝しています。さ
らに私の父と私は殆ど会話がありません。食事も(朝・昼・晩)父は自分の部屋に持って
行き、テレビを見ながら一人で食べています。理由はみたいテレビがあるかららしいです。

 母は非常にだらしが無く、部屋は散らかり放題で、食事も惣菜など出来合いのものをよ
く利用します。お菓子やジュースも欲しがるだけ与えているようで、歯磨きなどもお願い
してもなかなかしてくれません。子供も肥満気味です。

 私は出来る限りと思い、週3回の早く帰れる日は食事を作り、一緒に食べます。仕事の
都合をつけて、幼稚園の行事なども積極的に参加しています。

 でも、頻繁にヒステリックに怒ってしまいます。お菓子をだらだら食べているとき、お
友達にきついことを言ったことがわかったとき、さらに私が、自分の親に対して苛々した
時などです。自分でも止められません。心療科を探してみたこともありますが行動に移せ
ませんでした。娘に人格を否定する言葉を投げつけたことも何度もあります。

 自分なりに一生懸命やってはいるものの子供にとっては心が休まらないのかと悩んでい
ます。離婚をして実家に戻ってからずっとです。2歳児クラスのときは、「明るく元気な子」
と先生方もおしゃっていましたが、あのような言動から、ひとりで遊ぶことも増えたよう
です。笑顔も減りました。

生活は自立していますが、仕事中、子供を見てもらっているため、親に意見することはあ
りません。以前「お菓子ばかりでなく・・・」といった際、母親には「じゃあもう2度と
買ってこない」と強く言われ、それからは「子供が一人で留守番できるようになるまでの
辛抱だ」と自分に言い聞かせながら過ごしています。

 子供が、優しい子、お友だちとケンカしながらも、仲良く元気に遊べる子、勉強や運動
はどっちでもいいから、ただこれだけを望んでいます。アドバイスをお願いします』(E県、
MSより)。

 現在、娘さんは、4歳という。

●MSさんへ

 子育ては重労働。
仮に子どもがそばにいなくても、その精神的負担には、相当なものがある。
一瞬たりとも、気が抜けない。
4歳児といえば、動きも活発。
目も離せない。
いわんやMSさんは、現在は離婚し、ひとりで子育てをしている。
そのための支援制度もあるが、現実には、不備だらけ。

 が、こういうときの鉄則は、ひとつ。
「今できることだけを懸命にし、先のことは悩まない」。

 「先」を求め、「先」を悩み、「先」に期待すると、不平や不満はかぎりなく増大する。
心配や不安も増大する。
というのも、「先」には、いつも欲望がからんでいる。
その欲望には、際限がない。
ひとつの「先」を達成すると、「もっと……」とか、「さらに……」となる。
だからいつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。

 MSさんも、「今」のこの瞬間に、集中する。
今、そこにある現実を原点とし、今、すべきことをする。
いろいろ問題が起きたとしても、過去は過去。
問題を過去(離婚)に結びつけないこと。
というのも、MSさんの子どもが現在示しているような症状は、少し生意気な子どもなら、
だれにでも見られるもの。
「○○ちゃんって怖いね」「気が強い子だよね」「うちの子もそういってた」などなど。
心に引け目があると、悪い言葉ばかりが、気になるもの。
これらの言葉を言い換えると、こうなる。
「○○ちゃんって、しっかりしてるね」「負けず嫌いね」「うちの子もそういってた」と。

 ただ現状をみるかぎり、両親の協力は不可欠。
両親に任すべきことは、両親に任す。
両親に任せても、MSさん以上には、「悪い子」にはならないはず(失礼!)。
なぜならMSさん自身も、その両親に育てられているから。

 たとえば糖分の多い食生活にしても、生活全体から見れば、マイナーな問題(=あとで
取り返しのきく、小さな問題)。
メールを読む範囲では、MSさん自身も、またMSさんの子どもも、満たされない欲求を
かかえ、欲求不満状態にあると思われる。
MSさん自身は、かなり性的なものかもしれない。
MSさんの子どもは、いわゆる愛情飢餓状態。
MSさん自身のことは、私にはどうとも書けないが、子どもについては、つぎの方法で、
改善できる。

(1)MSさん自身がもっと心を開くこと。おかしな親意識を捨て、さみしかったら、さ
みしいと言えばよい。
(2)MSさんが、もっと濃密な愛情表現をすること。添い寝、手つなぎ、抱っこなどな
ど。子どもをもっと、甘えさせる。MSさん自身が心を開いていないため、子どももまた
心を開けない状態にある。

 「ママもさみしいから、いっしょに寝ようね」と、そう言えばよい。
ただし元夫(父親)の悪口、愚痴、不満、不平は、タブー中のタブー。
これらは、いつか子どもが、母親に何かのことで反感を覚えたとき、即、母親攻撃の材料
に転化してしまう。

 要するに、今は今で、MSさんは、今の人生を楽しめばよい。
両親に子どもを任せ、したいことをすればよい。
考えようによっては、すばらしいチャンス。
MSさんが生き生きと楽しく過ごしていれば、かならずつぎのチャンスもやってくる。
繰り返しになるが、過去をジクジクと引きずってはいけない。

●恋愛至上主義について

 電子マガジンに『恋愛至上主義』について書いた。
それについて2人の人から、メールが届いた。

1人は男性。
もう1人は女性。

【S氏から、はやし浩司へ】

……そう、こういうはなしは、温泉にでも浸かりながらのんびり語り合うのがいいで
すね(笑)。

ちなみに、『アジャストメント』は観ていないのですが、このごろアメリカ人の
恋愛観には辟易しています。

ドラマ『デッドゾーン』とか『ギャラクティカ』のような奥深い人間ドラマがあ
る一方で、フェロモンに支配された?老若男女の乱交?礼賛のような底の浅いも
のも多数あります。

ゆうべたまたま見たドラマ『グレイズ・アナトミー』で、「人はなぜ浮気するの
だろう?」というセリフがあってアングリしたのですが(笑)、その前にもっと
自制とかしないのかとツッコミ入れたくなりました。

アメリカ人は、性の欲望のままに行動することを、ちょうど「警察官に銃を向け
たらその気はなくても撃ち殺されてもしかたない」という価値観というかカルチャー
と同様に、全面肯定しているんだなと納得しました。そのくせ議員には潔癖を求
める矛盾。

少なくとも、「性=愛」とするアメリカ恋愛観は、日本人にとってはかなり異質
なものであるとおもいます。

【Hさんから、はやし浩司へ】

……現代、映画が世の中の人たちに及ぼす影響はどれほどなのでしょうか?
見れば何かしら影響はあると思いますが、あまり大きいものではないと思うのですが。
(中には非常に大きな影響を受けてしまう人もいるでしょうが)
そう考える私はこう思います。
映画はあくまでも映画。「昔々あるところに~そして二人は、ず~っと幸せに過ごしました。」
で、好いのではないでしょうか?

恋愛の賞味期限についてあっさり語っている映画もたくさんあります。
なかでも印象にあるのは”ダメージ”という映画です。
先生はご覧になったでしょうか?
ジェレミー・アイアンズ扮する外交官が息子の恋人であるジュリエット・ビノシュと恋に
落ちるのですが、恋というよりも、愛欲に陥る、です。
最後に全てを失った男が、かつての”女”を偶然見かけて思うのです。
「なんてことない、どこにでもいる普通の女だった」と。

ハッピーな気分になれる映画を見て、それから少しの間楽しくウキウキした気持ちで過ご
し、その後厳しい現実社会に向き合う。ハッピーエンドの映画の役割はそれだけだと思い
ます。愛さえあれば。。。と考える事ができる人がどれだけいるでしょうか。日本人であっ
ても、欧米人であっても。そう思うことが出来れば、どれほど幸せなことでしょうか。

●懐疑派と否定派

 S氏(男性)は、おおむね、私の意見に同感ということか。
Hさん(女性)は、「映画には、それほどの力はない」と。

 『恋愛至上主義』というのは、恋愛という「愛」があれば、何でも許されるという考え
方をいう。
しかしこれはあくまでも比較してみてわかること。
その時代のその渦中にある人には、理解できない。
自分の姿を、客観的に浮かびあがらせることすらできない。
だから現在の若い人たちに、「君たちは、恋愛至上主義者だ」と言っても、理解されないば
かりか、かえって猛反発をくらってしまうだろう。

 が、私にはできる。
私はすでに半世紀以上も生きてきた。
この半世紀だけを見ても、過去と現在を比較することで、その変化を知ることができる。
わかりやすく言えば、現在の恋愛至上主義が、たった50年前には、いかに異常なもので
あったかということが、そのころの自分と比較するとわかる。

 さらに言えば、男も更年期を迎え、性欲から解放される時期がやってくる。
そのころになると、若いころの自分がいかに「性」の奴隷であったかがわかる。
若い男性のばあい、(私もそうだったが)、24時間のうち、23時間は「女」のことばか
り考えている。
だからフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使った。

 が、それは重要な現象かもしれないが、(種族を後世に残すという意味において)、しか
しけっしてすべてではない。
もちろん至上ではない。
が、現代という社会においては、人は、欲望の追求に生きがいを求め、それがまた「善」
であるという前提で生きている。
もろもろの経済活動を例にあげるまでもない。
「恋愛」も、その「欲望」のひとつ。
S氏は、それをつぎのように端的に表現している。

『少なくとも、「性=愛」とするアメリカ恋愛観は、日本人にとってはかなり異質なもので
あるとおもいます』と。

 で、私たち日本人は、アメリカ式の恋愛観の影響を受けているか、いないか。
ひとつの例として、戦後、アメリカのGHQは、日本で見せるアメリカ映画について、ひ
とつの条件をつけた。
ウソか本当かという話は別として、(というのも、事実、すべてそうであったから)、「映画
の中には、かならずキスシーンを1回は入れること」と。

 それまでの日本人は、キス(接吻)とは、無縁の世界に生きていた。
性愛行為の途中でのことは知らないが、「好きよ」「好きだ」と、唇を重ねるということは、
まずなかった。
私の子どもの時代にもなかった。
それが日本映画にも影響を与え、日本映画の中にも、キスシーンがごくふつうのこととし
て現れるようになった。
(この説に疑問をもつ人は、自分で調べてみたらよい。)

 私なんかは、いつもこう思った。
「あんな臭い口を、どうしてくっつけあうのか?」と。
当時の日本人にとっては、虫歯は、老若男女問わず、国民病でもあった!

●草刈り

 ないものをねだっても、仕方ない。
今、ここにあるものに感謝する。
で、今日のキーワードは、「ねだる」。

 今、あるものをさがそう。
それを感謝しよう。

(1)今のところ健康
(2)今のところ仕事も順調
(3)今のところ夫婦仲も良好
(4)今のところ人間関係も良好(つきあっている人だけの範囲内で……)

 というのも、今朝、起き、雨戸を開けてびっくり!
何と我が家の前の土手の草刈りを、だれかがしてくれていた。
私が草を刈らねばならない、私の土地である。
その土地を、ときどき草刈りをしてくれる人がいる。

 先ほどまで心当たりのある人、何人かに電話をかけてみた。
が、みな、「私ではない」と。
?????????????

 本当に不思議なことがあるものだ。
というか、村の人たちの温かい心遣いが、うれしい。

Life is beautiful!

 そうそう10時ごろになって、あのホトトギスがじょうずに鳴くようになった。
「トウキョウー、トッキョ、キョカキョク(東京、特許、許可局)」と。
鳥も練習を重ねて、じょうずに鳴くことができるようになるものらしい。

6月18日、みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司