Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, March 09, 2013

Physical Evidence of Aliens by Hiroshi Hayashi


【エイリアンの証明byはやし浩司】

神も仏も、エイリアンが創った

 

Hiroshi Hayashi+++++March.2013+++++はやし浩司・林浩司

 

地球を支配しているのは、エイリアンという、人間とは別の知的生命体です。

その証拠を、ここにお見せします。

「バカな!」と思う人は、一度、このビデオを見てください。

またこの事実を、どう解釈したらよいのか、どうかそれを説明してください。

それともあなたなら、この事実を、どう解釈しますか。

 

ミロのヴィーナス(パリのルーブル博物館)と、ガンダーラの釈迦立像(東京国立博物館)が、その証拠です。

指紋ならぬ、髪紋が一致しました。

 

220 神と仏の物的証拠・精査検証版(Physical Evidence of God and Buddha)

 

ミロのヴィーナス、ガンダーラの釈迦立像は、同じデータ・ベースで作られていた。ギリシアの神も、ガンダーラの仏も、エイリアンだった。ここにその証拠をお見せします。

(Venus in Milo and Buddha in Gandhara were made with the same date bases of CAD.

God in Ancient Greece and Buddha in Gandhara were Aliens.

This is the evidence!)

 


 

http://youtu.be/EN89Ksdc0zI

 

どうか少し時間をください。このビデオを見てください。私が今まで述べてきたことの正しさが、これでわかっていただけます。同時にあなたの世界観も、また世界の歴史も、180度、変わります。けっして大げさな、ホラを言っているのではありません。ここで述べていることは、すべて「事実」です。つまり、ミロのヴィーナスも、ガンダーラの釈迦立像も、さらに中宮寺の弥勒菩薩も、すべて、エイリアンによって作られていたのです。その物的証拠を、このビデオの中で、お見せします。なお、これらの事実は、ご自身で検証できます。ぜひ、検証してみてください。私の頭がおかしいと思うのは、当然です。8か月前の私なら、あなたと同じように思ったことでしょう。が、ビデオを見終わったら、あなたは、今までの歴史のほうがおかしかったことを知ります。約束します。

 

Give me some of your time and watch this video. And then the world you know will be changed. And also you will know what I have been talking in these series of videos are correct and true. Because these are FACTS! Venus in Milo, Standing Buddha in Gandhara and Buddhist Saint in Chuguji-Temple were made (not created by humans) by aliens, whom we call “God” or “Guddha”. Here in this video, I show you the real physical evidences of them, or fingerprints of God and Buddha, or Aliens. You can verify these facts by yourselves in this video. You may think of me to be out of mind. If I had been you 8 months ago, I would have had the same impressin as you have now. But after some minutes of your time, you will know that the history of the world have been out of mind. I promise here.

 

なおこれらの事実は、すべて、はやし浩司が発見したことです。

流用、転用、盗用を、きびしく禁止します。

リンクは自由にしていただいて結構ですが、この禁止事項を、どうかお守りください。

 

These facts have been all found by Hiroshi Hayashi, and no one is allowed to use my knowledge and theories in any case without my permission and names. At this moment (March 07th 2013), I have allowed no one to use my ideas. Thank you for your attention.

 

Hiroshi Hayashi

March 07th, 2013

 

はやし浩司

2013年3月9日

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

仕事が終わったあと、新幹線に乗る。

飛び乗る。

東京へ向かう。

上野。

東京国立博物館。

目的は、あのガンダーラの如来立像(釈迦立像)。

展示してあるという。

ガラスケース、なし。

写真撮影、自由。

またとないチャンス。

 

一方、市立図書館で、ミロのヴィーナスの鮮明な写真が手に入った。

つまりこれで詳細な比較ができる。

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

○迷い

 

 発見が発見だけに、そのつど、迷う。

ふと不安になる。

「まちがっているのではないか?」と。

で、そのつど、自分のYOUTUBEを見なおす。

確認する。

ワイフにも確認させる。

今の今もそうだ。

問題点がいくつかあった。

 

 その第一。

ライトの当て方によって、地肌が線に見えること。

ミロのヴィーナスのばあい、随所で、地肌がむき出しになっている。

それが白い線になっている。

その白い線を、髪の毛と見誤る。

最初は、それで苦しんだ。

 

 その第二。

展示されているミロのヴィーナスは、本当に、本物なのか。

市立図書館での写真と比較すると、破壊度が少ない(?)。

そんな印象をもつ。

が、パリのルーブル博物館が、そんなことをするだろうか。

つまりレプリカを展示するようなことを、するだろうか。

迷う。

不安になる。

 

○運動不足

 

 2012年の8月から、『謎の点と線』に、はまり込んでしまった。

そのこともあって、完全に運動不足。

それまでは、1日、2単位(40分x2)の運動を欠かさなかった。

が、今は、ウォーキングマシンの上で、歩く。

その程度。

時間にしても、1日、30~40分。

あとは、そのつど、生活の場で、歩く。

それだけ。

が、これでは足りない。

 

 今の今も、眠い。

だるい。

食欲は旺盛だが、食べたら食べた分だけ、頭がぼんやりとしてくる。

使い物にならない。

 

 ……年齢的には、いつボケても、おかしくない。

大学の友人などは、みな、ボケ始めている。

自分ではそう思っていないだろう。

が、中学生や高校生と比較すると、それがよくわかる。

 

頭の回転がのろい。

反応が鈍い。

言葉の数が少ない。

繊細な会話ができない、など。

 

 加齢とともに、人格的に高邁(こうまい)になるといのは、ウソ。

鈍感になる。

鈍感になるから、一見、落ち着いて見えるようになる。

言うなれば、日常的に、ボーッとした状態になる。

黙って座っていれば、その境地に達したかのように見える。

が、これは誤解。

現在の自分の姿を見ると、それがよくわかる。

繰り返す。

 

 人格論は、健康論に似ている。

運動を怠ったとたん、健康は下り坂に向かう。

同じように、鍛練を怠ったとたん、人格は、後退に向かう。

だから釈迦は、こう言った。

「日々に精進(しょうじん)、あるのみ」と。

 

 一日も欠かさず、前に向かって進む。

結果として、人格を維持することができる。

とくに私のように、もともとチャランポランな人間ほど、注意したらよい。

 

○今朝(3月08日)

 

 今朝のこと。

いつものように、『謎の点と線』を調べているときのこと。

今朝は、ハラッパーについて調べた。

インダス文明の中心地。

そのビデオは、NO.219として、YOUTUBEにUPした。

そのときのこと。

私ははじめて、まわりの空気が軽いのを知った。

楽しいというよりは、軽いのを知った。

それまでの私は、いつも、心のどこかで重苦しさを感じていた。

先が見えない、閉塞感。

上から私を押さえつける、抑うつ感。

それをいつも、感じていた。

 

 が、今朝は、それがなかった。

 

 ヴィーナスと釈迦立像(国立博物館では、如来立像という)、その2つの像の髪紋が一致した。

 

○はやし浩司のナスカ理論

 

 謎が解けたというより、閉塞感に穴が開いた。

とたん、抑うつ感は、消えた。

が、(軽さ)は、それえだけが原因ではなさそう。

何というか、大発見をしたという喜び。

(まだ確認されたわけではないが……。)

それが心地よかった。

 

 いつものようにハラッパーについて、調べる。

ナスカに線を引く。

今までの経験から、ナスカに同じ線がないわけがない。

しかも古い線のはず。

そんなことも、前もって、わかるようになった。

で、案の定というか、ズバリ、ナスカに古い線を見つける。

ハラッパーからの線と一致した。

 

 はやし浩司のナスカ理論(セオリー)。

エイリアンが関係した遺跡かどうかは、ナスカに線を引いてみれば、わかる。

関係した遺跡であれば、同じ直線が見つかる。

古い遺跡であれば、古い線が見つかる。

重要な遺跡であれば、何本も見つかる。

 

 たとえばカラクルム遺跡。

近年になって発見された、最大級の遺跡である。

テオティワカンよりも、規模的に、大きいとさえ言われている。

そのカラクルムのばあい、ナスカには、4本もの線がある。

古いのから、新しいのまで、4本。

さらにあのキナバル山(ボルネオ)。

何と、10本以上もある。

(ギザのスフィンクスが向いている方向に、キナバル山がある。)

 

日本については、出雲大社。

出雲大社の線は、2本、ある。

伊勢神宮も、大仙陵(仁徳陵)も、ない。

しかし出雲大社からの線は、2本、ある。

 

 一見、乱雑に引かれた線に見える。

また多数の線があるから、1本ぐらい、どこかと結びつくだろうと考える人もいるかもしれない。

が、そうはいかない。

いかないことは、自分で線を引いてみるとわかる。

 

 今朝は、ハラッパーからの直線を見つけることができた。

と、同時に、「ハッラパーには、異星人が関係した」と、あっさりと、わかった。

いつもなら、この時点で、迷う。

迷いながら、押し切る。

が、今朝は、そういう迷いがなかった。

 

○友人

 

 この数か月で、多くの友人ができた。

私のYOUTUBEを見て、連絡を取ってきた。

メールを交換する。

意見を交換する。

 

 おかしなことに、本当におかしなことに、そうした友人が、じわーっと胸にしみる。

10年来、20年来の友人のように思えてくる。

命がけで戦った、戦友のような仲間。

それだけに、太いきずなを覚える。

 

 で、一方、私をからかった友人も多い。

10年とか、20年とか、そんなつきあいもある。

が、からかわれたとたん、それまでの友情が、煙のようになって消える。

これには、親子も、親類も、ない。

学友も、親友もない。

たとえば1人の男がいた。

10年来の友人と思っていた。

が、最後のメールに、こうあった。

「家内(=友人の妻)が、(私のUFO論)を、笑っていましたよ」と。

 

 私はしがない物書きだが、見知らぬ女性に笑われる筋合いは、ない。

友人の妻とはいえ、見知らぬ女性。

とたん、それまでの友情が、はじけて、消えた。

 

○まず崖から、飛び降りろ

 

 一方で、こう考える。

「もうあとが、ない」と。

私も、今年、66歳になる。

この先の10年など、あっという間に過ぎるだろう。

それがよくわかっている。

だから、急ぐ。

急ぐしかない。

 

 加えて、「1日1作」と決めている。

またそうとでも決めないと、すぐだらける。

お金のためではない。

名誉のためでもない。

まさに真実の探求。

 

 そのため毎日が、冒険の連続。

ワイフは、いつもこう言う。

「もう少し、確かめてから、発表したら!」と。

今回も、そうだった。

「本当にそうか、しっかりと確かめてから、発表したら!」と。

が、そのときは、そのとき。

「まちがっていました」と訂正すれば、よい。

それですむ。

 

 私は学者ではない。

研究費など、だれからも、もらっていない。

地位も名誉も、もとから、ない。

そんな私が、いったい、だれに遠慮しなければならないのか。

大切なことは、前に進むこと。

失うものは、もとから何もない。

 

 『まず崖から飛び降りろ。空の飛び方は、それから学べ』。

 

○ウソと現実

 

 考えてみれば、おかしな世界だ。

私は正しいと思ったことを、書く。

映像にする。

ビデオ化する。

YOUTUBEにUPする。

 

 が、世間の目は冷たい。

私の脳みそを疑う人も多い。

が、では、あの『ロード・オブ・ザリング』(映画)はどうなのか。

『ハリーポッター』(映画)でもよい

まったくの嘘。

作り話。

デタラメ。

が、あの映画を楽しむ人は、多い。

(私も、その中の1人だが……。)

だれも、監督や脚本家の脳みそは、疑わない。

 

 神にしても、そうだ。

見たこともない人が、神の存在を信ずる。

が、私が示した髪紋を疑う。

証拠をいくら見せても、疑う。

疑うだけならまだしも、私の脳みそを疑う。

大半がそうではないか。

 

 だから私はそのつど、ビデオの中で、こう繰り返す。

「大切なことは、自分で確かめることです」と。

人間は、とくに日本人は、自分で確かめることさえ、しない。

お上の言いなり。

権威者の言いなり。

上から言われたことだけを、聞く。

ありがたがる。

信用する。

 

 長くつづいた官僚制度が、日本人から反骨精神を、抜いてしまった。

自分で立ち上がることさえ、許さなくなってしまった。

その結果というか、浜松市内の小さな企業ですら、どれだけ公的機関の仕事を請け負うかで、業績が決まってしまう。

またそれだけを、追い求める。

 

 話が脱線したが、大切なことは、自分で考えること。

そういう意味でも、私が今、していることを、どうか前向きに理解してほしい。

(これは私の甘えかな?)

 

○新幹線

 

 夜、8時11分発の新幹線。

ワイフは、汗をかいていた。

「いつもより、暑いわね」と。

 

お茶を飲む。

一息、つく。

 

○夕食

 

 静岡駅で、駅弁を2個、買った。

最後の2個だった。

それを先ほど、食べた。

 

 ……子どものころの遠足を思い出す。

前の晩、うきうきして、眠られなかった。

今が、そうだ。

明日は、釈迦如来立像に、会える。

楽しみ。

 

「パキスタンへ行くのは、無理だと思っていた」と私。

「まさか、東京にあるなんて」とワイフ。

「フランスへは、行ってみたいね」

「ルーブル博物館ね。今では、10万円で往復できるそうよ」

「……でも、飛行機は、恐いね」と。

 

 意味のない会話がつづく。

車内の電光掲示板は、ベネズエラのチャベス大統領の葬儀のニュースを流していた。

死体を永久保存するという。

結構な話だが、1000年たっても、2000年たっても、人間の愚かさは変わらない。

永久保存されるほうも、永久保存するほうも、バカ。

まだ銅像のほうが、よい。

石造でもよい。

何なら、古代ギリシア人に作ってもらえばよい。

あの人たちに頼めば、その瞬間を、写真で撮ったかのような石造を作ってくれる。

 

「あの大統領は、儲けたお金を、貧しい人に配ったそうよ」

「ヘエ~、本当? その裏で、配った分の10倍を、自分の懐(ふところ)に収めていると思うけど」

 

 「貪欲」という生命力がなければ、政治家にはなれない。

いわんや大統領にはなれない。

それほどまでのチャリティ精神があったら、村の役人にすら、なれなかっただろう。

 

「そうねエ……」

「そうだよ。何なら、自分の権力を配って歩いたら……」と私。

 

○ミロのヴィーナス

 

 市立図書館で、ミロのヴィーナスの写真が手に入った。

それを見た。

驚いた。

髪の毛の付け根(=額の最上部)あたりに、浅い四角が彫ってある。

「何、これ?」と私。

「何かしら?」とワイフ。

 

 全体としてみると、きわめて精緻な石造。

その瞬間の、筋肉の動きまで、みごとに表現している。

が、髪の毛や付け根は、きわめて荒っぽい。

この矛盾を、どう考えたらよいのか。

ここにも書いたように、髪の毛の付けには、削り跡が残っている。

しかも、しっかりとした長方形。

よく見ると、1本、1本すべてに、ついている。

 

 私はそれを見つけたとき、モナリザの顔だけで描いた、モナリザの絵を思い出した。

一点、  一点に、モナリザの写真が貼りつけてある。

小さな絵である。

明暗だけが、微妙に変えてある。

が、遠くから見ると、全体として、モナリザの顔に見える。

ミロのヴィーナスも、これと同じ。

細部は、たいへん荒っぽい。

が、遠くから見ると、ご存知のように、矛盾なく、美しい。

つまり、ここがおかしい。

手法が、逆。

こまかいところまで、ていねいに作りながら、全体として美しい像にする。

それなら話はわかる。

が、こまかいところは、実に雑。

髪の毛などは、まるで荒縄で編んだ、縄のよう。

その付け根に、不思議な削り跡。

 

 言うまでもなく、ミロのヴィーナスは、マシン・カットされている。

3D加工機で作ってあるから、全体としては、精緻。

が、細部は、荒っぽい。

北海道で売っている、熊の彫り物を思い出せばよい。

あれと同じ。

熊の彫り物も、3D加工機で大量生産されている。

が、細部は、荒っぽい。

 

 そうそう熊の彫り物にしても、大小さまざまなものがある。

が、形は、みな同じ。

同じデータ・ベースを基に作られている。

 

○新たな発見

 

 釈迦立像は、92センチ。

足底から、頭長までの長さをいう。

一方、ミロのヴィーナスは、204センチ(各所、HP)。

で、ここで気がついた。

ミロのヴィーナスは、台座を含めた高さ。

つまり台座を含めて、204センチ。

 

 もしここで台座の高さを、8センチと計算すると、ヴィーナス自身の高さは、196センチとなる。

つまり92x2=194。

ミロのヴィーナスは、釈迦立像のほぼ2.0倍の身長(足底から頭長)ということになる。

もしそうだとするなら、CAD製作説が、改めて補強されることになる。

 

 つまり調べれば調べるほど、脇を固める傍証が出てくる。

向こうのほうから、出てくる。

けっして、私は、自分のつごうのよい事実だけを集めて、自説を組み立てているのではない。

 

 ……ふつう銅像の高さは、どこからどこまでを言うのか。

それも明日、博物館の館員に会ったら、聞いてみよう。

が、もしミロのヴィーナスの台座の高さが、8センチということになったら……。

(写真でみると、それくらいだが……。)

 

 この問題は、ここでは保留ということにしておく。

 

○常識

 

 みなさんも、一度、自分の常識を疑ってみたらよい。

あのギリシア彫刻にしても、そうだ。

あんなものを、人間が彫れるわけがない。

先日も、図書館で、ガンダーラの仏像を調べていた。

そのときのこと。

手指の間に、水かきのある釈迦像を何体か、見つけた。

釈迦には、水かきがあったという説がある。

それはそれとして、その薄さに、驚いた。

見たところ、紙のように薄い。

そんな水かきを、どうやって彫ったのか?

ノミと金づちだけで、どうやって彫ったのか?

 

 ギリシア彫刻にしても、そうだ。

身に着けている布にしても、見るからに薄い。

布のように薄い。

現代工具を使っても、あのような布を石造で表現するのは、むずかしい。

そうそう、あのギザのピラミッドにしても、岩を割るのも、整形するのも、丸い石だけでしたという。

工具としては、それしかなかったという。

 

 ……回りくどい言い方は、やめよう。

私たちは、ああした像を、人間が作ったという前提でしか見ない。

あるいはそういった疑問をもったとしても、それを心の奥でねじ曲げてしまう。

押し殺してしまう。

その上で、一方的に、「美しい」と礼賛する。

 

○金閣寺の模型

 

 先日、友人の家に遊びに行ったら、金閣寺の模型が置いてあった。

模型といっても、中を彫り込んである模型。

大きさは、7~8センチ程度の透明の立方体。

プラスチック製。

その中に、内側から、金閣寺が彫り込んであった。

精緻といえば、まさに精緻。

外からの光を反射し、白く光っていた。

 

 精密な3D加工機で、内側から彫った。

直線などは、まさに直線。

写真で見る金閣寺と、寸部、ちがわない。

が、美しいだけ。

ただ美しいだけ。

美術的な価値は、ない。

いくら精緻でも、美術的な価値は、ない。

写真と同じ。

 

私はミロのヴィーナスを思い浮かべながら、一方で、金閣寺のその模型を思い浮かべている。

もし江戸時代の人が、(昭和の初期の人でもよいが)、もしその模型を見たら、驚嘆の声をあげるにちがいない。

私たちも、ひょっとしたら、同じことをしている?

 

○ホテルで

 

 上野駅から、徒歩1分……というのは、ウソ。

Mホテル。

安ホテル。

歩いて10分も、かかった。

火事にでもなれば、全員、焼死。

そんなホテル。

がまんしよう。

 

○東京

 

 今、東京にいる。

泊まっている。

何年ぶりか?

……記憶にあるかぎり、40年ぶり?

東京に来ても、いつも別の温泉地に泊まっている。

先月は、東京で講演をしたあと、熱海の温泉に泊まった。

 

 が、不幸なことに、その東京が、情報の発信地になっている。

文化の中心地になっている。

昔、「田舎の空は、(星がいっぱいあって)、じんましんのようで気味が悪い」と書いた子ども(小学5年生女児)がいた。

「田舎の川は、底が見えて、気味が悪い」とも。

大阪市に住む女児だったと記憶している。

今から45年ほど、前のことである。

当時ですら、その作文が、話題になった。

が、反対に、今、こう思う。

 

 どこへ行っても、人、また人。

私にはそういう東京が、どうしても、なじめない。

星の見えない空は、気味が悪い。

底の見えない川は、気味が悪い。

 

○太平洋

 

 話は前後するが、先日、ワイフがこう聞いた。

「どうして日本なの?」と。

つまり日本は、まさに神々の国だった。

それについて、疑問をもったらしい。

で、私は、こう答えた。

 

 「彼らは、太平洋を見ながら、拠点を決めているからさ」と。

 

 ナスカにしても、テオティワカンにしても、みな、太平洋を取り巻くように位置している。

水の星=地球と考えるなら、日本が拠点になったところで、何もおかしくない。

中国から日本へ文化が入ってきたというよりは、日本が、中国への拠点となった。

「入口」でもよい。

与那国島も、さらに台湾の卑南文化も、太平洋を取り囲むように位置している。

プレア・ビヒア(カンボジア)もそうだ。

彼らを理解するためには、彼らの思考回路の中に、自分を置いてみる。

とたん、それまで謎だったことが、スルスルと解ける。

 

 ついでながら、プーマプンク(ティワナク)には、無数の石材がころがっている。

その中に、酒船石と同じ彫り方をした岩を見つけた。

Google Earthで紹介されている写真だった。

ほかにも、外国のテレビ番組だったが、同じような岩が紹介されていた。

 

 プーマプンクから、奈良へ。

1個や2個、岩が運ばれたからといっても、私は驚かない。

そういう例は、多い。

たとえば昨日も、カッパドキアを調べていた。

写真をながめていた。

そのときのこと。

トンカラリンと同じ縞模様のある岩を、見つけた。

まったく、同じ。

近くYOUTUBE上で紹介する。

なおトンカラリンの岩と、熊野古道の岩も、模様が同じ。

さらに同じ縞模様が、エジプトの神殿でも、見つかっている。

 

 何のために?

どうして?

理由はわからないが、模様が一致しているのは、事実。

 

○エイリアンはいる

 

 もっともこの地球にエイリアンがいるというのは、常識で考えれば、常識。

いるというよりは、人間の近くにいるというのは、常識。

その第一の理由は、細菌やウィルスを共有していること。

UFOを目撃した人は多い。

(私たち夫婦も、そうだが……。)

が、同時に、それはエイリアンたちが地球に降りたっていることを示す。

 

 もしまったくの異星人だったら、人間か、エイリアンのどちらか、あるいはその両方がすべて絶滅しているはず。

地球にある細菌やウィルスで、異星人は、死滅する。

あるいは異星人がもちこんだ細菌やウィルスで、人間は、死滅する。

たがいに防ぎようがない。

 

 が、現実に、そういうことは、起きていない。

起きていないということは、異星人たちと人間は、共通の細菌とウィルスをもっているということになる。

 

 回りくどい言い方はやめよう。

こういう話になると、どうしても回りくどくなる。

結論を先に言えば、太古の昔から、エイリアンは、この地球に住んでいる。

人間を、指導してきた。

だから私たち人間は、エイリアンのもっている細菌やウィルスで死ぬことはない。

反対に、エイリアンたちも、死ぬことはない。

人間が、今、ここに生きているということ自体が、すでに共存しているという証拠ということになる。

 

 ちがうかな?

 

 論理的に少し穴があるので、補強しておきたい。

正しくは、「私たちはすでに共存しているというのは、常識」と書くべき。

つまり私の言いたいことは、こうだ。

 

○接触

 

 2000年前なら、2000年前でもよい。

そのころエイリアンがやってきて、ギリシア彫刻を作り、ガンダーラの仏像を作った。

当然、人間との接触があったはず。

そのとき、もし異星人が、まったくの異星人であったとするなら、人間はとっくの昔に絶滅していただろうということ。

(もちろん、その反対のことも、起きた。)

 

 が、人間は絶滅していない。

ということは、さらに太古の昔から、すでに共存していたということになる。

あるいは人間そのものが、エイリアンによって作られたのかもしれない。

わかりやすく言えば、分身。

またそう考えると、すべてに納得がいく。

 

 そういう意味で、「常識で考えれば、常識」と書いた。

 

 ちがうかな?

 

○おやすみ

 

 明日の目的。

如来立像(釈迦立像)の写真を、さまざまな角度から、撮ること。

細部の細部まで、撮ること。

分析は、そのあと。 

 

 ああ、明日が待ち遠しい。

早く、明日になればよい。

ということで、今夜は、ここまで。

おやすみ。

 

○藪蕎麦(池之端)

 

 博物館で、2時間半。

出てから、不忍池(しのばずのいけ)を歩き、藪蕎麦(店名)にやってきた。

森鴎外の小説(「雁」)に出てくる、あの店である。

このあたりに来ると、いつも、ここでソバを食べる。

 

 そこで、ヴィーナスと釈迦立像の写真を見比べる。

さらに詳細な写真。

目で一本、一本、髪の毛を追いかける。

確認する。

同じ。

確信する。

ホッとため息を漏らす。

緊張感が緩(ゆる)む。

空腹感が、襲う。

ソバを一気にのどに、押し込む。

2皿目も、一気に、のどに押し込む。

 

「まちがいない」と私。

「そうだった」とワイフ。

 

 ミロのヴィーナスと、ガンダーラの釈迦立像は、同じデータ・ベースを使っている。

 

○東京駅

 

 東京駅でしばらく時間ができた。

浜松止まりの、ひかりに乗るまでに、30分、ある。

その間に、今回の検証旅行の総括。

 

 成果があったというよりは、まったくの追認。

改めて、自分の説の正しさを、確認できた。

と、同時に、3~4つの謎が、解けた。

これについては、追って、ビデオ化したい。

 

 みなさん、この地球を支配しているのは、私たち人間ではありませんよ。

異星人と呼んでいる、知的生命体ですよ。

その証拠を、私は、とうとうつかみました。

嘘だと思う人は、ビデオ220号を、ぜひ、見てください。

私の頭がおかしいと笑うのは、そのあと。

まず見てください。

 

 もっと言えば、ギリシア彫刻も、ガンダーラ仏像も、目だったものは、すべてCAD製。

コンピューター製。

さらに言えば、私たちが神とか仏とか呼んでいる(存在)も、まさに異星人が作りあげた(存在)です。

 

 その証拠を、お見せします。

 

2013年03月09日

 

 

Hiroshi Hayashi+++++++March.2013++++++はやし浩司(ひろし)