Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, January 15, 2008

*What is the culture for the man?

【文化性】(The “Culture” that each man has)

What is the “Culture” that each man has? I understand “Culture” is a sort of thing that supports us in case we face a crisis. Man with high culture is able to stand against the crisis without losing himself, but man without is not so. Therefore I understand the “Culture” that each man has is a kind of a “Pillar”. This reminds me of a student I met in Argentine, Buenos Aires, who was waiting for the door open in front of a museum.

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その人の文化性は、その人が
危機に陥(おちい)ったときに、
試される。

危機に陥ったとき、泰然自若(たいぜんじじゃく)
として、動じない人もいれば、
あたふたと狼狽(ろうばい)し、
自分を見失ってしまう人もいる。

つまりその人の文化性は、いわば心の
貯金のようなもの。「心の柱」と言ってもよい。

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●その人の文化性

 本は読もう。音楽は聴こう。美術は鑑賞しよう。日々に高邁(こうまい)な思想に触れ、感動し、ものを考えよう。こうした日々の研鑽(けんさん)が、その人の文化性を高める。そうでなければ、そうでない。そうでないばかりか、油断すると、通俗的価値に毒されて、その人のもつ文化性は、どんどんと低下する。

 こんな人がいた。

 趣味は、掛け軸を集めることだという。一度だけだが、私は、その掛け軸を見せてもらったことがある。それは2間ほどの壁に、びっしりと、積まれていた。が、その人が口にするのは、その価値(?)だけ。値段だけ。

 「この掛け軸は、○○万円の価値がある」
 「この掛け軸は、江戸時代の、あの○○が、描いたもの」
 「この掛け軸と同じものが、ヤフオクで、○○万円で、売れた」と。

 こんな話までした。

 「これは伯母から買った掛け軸でね。伯母は、価値がわからないから、相場の10分の1の値段で売ってくれましたよ」と。つまり「伯母をだまして、安く買いたたいた」と。

 こういう話を聞くと、ぞっとする。そういうことが平気でできる人というのは、そうはいない。またそれを自慢話にする人というのは、そうはいない。

 が、それ以上に私は、(掛け軸を集める)という高邁(こうまい)な文化性と、その人が口にする言葉とのギャップに驚いた。わかりやすく言えば、その人にとって掛け軸というのは、ただのモノにすぎなかったということになる。

 さらにこんな人も。

 これは友人から聞いた話だが、その友人の近くに、1人の女性が住んでいた。当時、年齢は、70歳くらいだった。

 その女性は、近所を散歩しながら、軒先に植木鉢が並べてあったりすると、それをそのまま家に持ち帰ってきてしまうという。

 この話を聞いたときも、驚いた。70歳近い女性が、盗みをしているということについてではない。(花を楽しむ)という高邁な文化性と、(盗みをするというその女性の行為)が、私は頭の中で、結びつかなかったからである。

 その女性について書いた原稿がある。日付はわからないが、もう7、8年前に書いた原稿だと思う。少し話が脱線するが、許してほしい。

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●しつけは普遍

 50歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし60歳を過ぎると、その人の人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。

たとえばTさん(70歳女性)は近所でも、「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様子がおかしくなってきた。近所を散歩しながら、よその家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできてしまうのだ。

人はそれを、Tさんが老人になったせいだと話していたが、実のところTさんの盗みグセは、Tさんが2、30歳のときからあった。ただ若いときは巧妙というか、そういう自分をごまかすだけの気力があった。

しかし70歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それと反比例するかのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。むずかしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、そういうことで決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。子どもが中学生になるころには、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。途中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見ていないところでは捨てたりする。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、話がおかしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。

人間がもつしつけなどというのは、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけてみれば、それでわかる。してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。しかししてはいけないことをしたときには、どこか不快感が心に充満する。そういう常識に従って生きることを教えればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということになる。

そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「しつけは普遍」という。

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●試される文化性

 その人のもつ文化性は、危機的状況になったときに、試される。高い文化性をもった人は、その文化性を維持したまま、泰然自若と、それを構えて受けることができる。が、そうでない人は、そうでない。

 そういう意味で、その人がもつ文化性というのは、「心の貯金」のようなものと考えてよい。あるいは、「心の柱」と言いかえてもよい。つまり文化性というのは、それを身に貯金しているときは、その価値がわからない。「柱」と意識することもない。

 が、けっして、無駄ではない。しかもその時期というのは、小学時代とか、中学時代に決まる。少なくとも大学生になったころには、ある程度の方向づけが、決まる。アルゼンチンのブエノスアイレスに行ったときのこと。こんなことがあった。

 ホテルの反対側に、大きな美術館があった。道路をはさんだ、向かい側だった。朝早く散歩をしながら、その美術館の前に行くと、1人の女子学生が、石の階段に腰をかけてすわっていた。「何をしているのか?」と聞くと、「美術館が開くのを待っている」と。

 私はそのまま別れた。そして数時間ほどたってから、私もその美術館に足を運んでみた。その女子学生は、そこにいた。大きな絵画を一枚ずつ、身動きすらしないで、じっとながめていた。そのあまりの迫力に圧倒されて、私は、声もかけられなかった。

 今にして思うと、あのような若い女性でも、方向づけができていたことになる。コンサートやスポーツの世界では、開館を待ってそこに並ぶということはあるが、美術の世界では、珍しい。今ごろ、あの女性は、アルゼンチンでも、すばらしい女性になっているにちがいない。

●反対に……

 反対に、こんな人もいた。

(……とここまで書いて、私はその先を書くのが、いやになった。愚劣な人たちの、愚劣な話など、書きたくない。世の中には、サルのような人というか、サル同然の人もいる。ささいな問題で、ギャーギャーとわめき散らす。

 そういう人たちの話を書きたいと思ったが、どういうわけか、指先が止まってしまった。はっきり言えば、私は、もうそういう人たちを相手にしたくない。だから、この話は、ここまで!)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 文化性)