Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Sunday, July 13, 2008

*Tsukechi-Valley

● 明日から月曜日

~~~~~~~~~~~~~~H. Hayashi

明日から月曜日。
フ~~~ン?
やや気が重い。
来週は、忙しい。
それに今夜中に、今度の講演会のレジュメを作成しなければならない。
静岡県教職員組組合HN支部での講演会である。
学校の先生たちが集まってくれる。
それだけに緊張する。

それに懇談会もある。
今年度は、12人で、定員を締め切らせてもらった。
椅子が12席しかない。
それで12人。
今月に入ってから申し込んでくれた人には、申し訳ないことをした。
2回に分けて、24人……ということにしてもよかった。
しかしこのところ、体力の限界を強く感ずるようになった。

今の私には、2講座は、無理。
若いときは4講座もしたことがあるが……。

で、それが終われば、夏休みということで、7月の後半に、4日つづきの連休がある。
とくに予定はないが、そのうち1日は、伊吹山に登ってくるつもり。
中学2年生のとき登って以来のこと。
あのときは早朝、日の出を見ることができた。
メンバーの中に、淡い恋心をもった女の子もいた。
いっしょにみなで記念写真を撮った。
遠い遠い昔のできごとのようでもあり、つい先日のできごとのようでもある。

記憶というのはそういうもので、古い記憶も、新しい記憶も、ごちゃまぜになって、脳みその中に入っている。
古いのから順に、層になっているわけではない。

よい例が、眠っているときに見る夢。
10年前に見た夢も、数日前見た夢も、夢は夢。
新しい、古いはない。
(夢日記といって、見た夢の内容を記録している人は別だが……。)

記憶が古いか新しいかは、その内容に応じて、脳みそが判断しているかにほかならない。
「中学2年のときの記憶だから、古い」
「40歳のときの記憶だから、新しい」と。

もしそれがなかったら、古い記憶とか、新しい記憶とか、区別できないはず。

ただ記憶といっても、(記銘)→(保持)→(想起)というプロセスを経て、脳みその中に残り、思い出すことができる。
「思い出せないから」といって、記憶が消えたわけではない。
たとえばロンドン大学のメルツォフという教授は、7、8年前、「乳幼児にも記憶がある」という論文を発表して、話題になったことがある。

「乳幼児にも記憶があるが、記憶として、想起できないだけ」と。

現象的に考えれば、当然のことである。
が、それをメルツォフは、科学的に証明した。

ということで、もう一度、あの日のことを思い出してみる。
よく覚えているのは、帰りは自由行動ということで、目的地まで、みな、走って山をくだったこと。
それほど急な坂ではなかったように思う。
あるいは私の身が軽かったのか?

あとは、あの山の近くを、電車や車で通るたびに、「あの山に登ったことがある」と、思ったこと。
そうそう山頂の山小屋で、仮眠をしたことも覚えている。
仮眠といっても、数時間のことではなかったか。
木造の粗末な山小屋で、多くの人で、ごったがえしていた。
みなでとった写真の中で、私は眠そうな顔をしているので、かなり眠ったのでは?
杖の上に頭を載せて、うつろな目つきでカメラのほうを見ている。

私にははじめての登山だった。
楽しかった。
今でも「伊吹山」と聞いただけで、あのときの(心)が、そのままよみがえってくる。
その伊吹山に、今度、登る。

楽しみ!


● 付知峡(つけちきょう)

~~~~~~~~~~~~~~H. Hayashi

7月x日、日曜日。
岐阜県の山奥、付知峡というところへ行ってきた。
「つけちきょう」と読む。
往復、約7キロ強の、ハイキング・コースである。
同じ7キロでも、山あり、谷あり、急な坂ありの、結構、たいへんなコースだった。
おまけに気温は、30度を軽く超えていた。
昨日は、このあたりでも、36度前後もあったという。

行きはよいよい、帰りは……、ということで、私とワイフは、
ヒーヒーとあえぎながら、最後の坂道を登って、目的地の不動滝というところまで戻ってきた。
が、そこは峡谷。
暑いといっても、木陰にすわると、森の冷気がさっと、体をいたわってくれる。

白い日差し。
森の緑。
そして青い空。

私「なんだか、ぼくたちの人生みたいだね」
ワ「何が?」
私「いつもこうして、ヒーヒー言いながら、生きてきた」

ワ「そうねエ……」と。

こうして月に1、2度は、地元のバス会社が企画する旅行会に参加するようになって、もう3、4年になる。
今日は、「付知峡ハイキング」というのに、参加した。
旅行というよりは、体を鍛えるための(運動コース)。
料金も、1人、5000円弱と、安い。

私「今日、がんばったから、今月は何とか元気で、仕事ができるよね」
ワ「そうね。今月は、だいじょうぶね」
私「毎月、毎月、こうしてその月を生きていく……」
ワ「来月は、来月で、また何かをすればいい」
私「そうだね」と。

私たちにとって運動というのは、「貯金」のようなもの。
「楽しむ」というよりは、(もちろん、それもあるが……)、そこにはいつも、別の切実感がともなう。
「今月はいいかもしれないが、来月はわからない」
「今年はいいかもしれないが、来年はわからない」と。

こうして付知峡へやってきたが、とくに来たくてやって来たわけではない。
だいたい私たちは、「付知峡」にしても、「ふちきょう」と読んでいた。
岐阜県の山奥にあるということは知っていたが、木曽川の上流だったということまでは、知らなかった。
かい間見た表示板に、「下呂まで23キロ」とあったのを思い出した。

目的は、やはり運動だった。
よく、「成人病を予防するためには、週2回、30分程度の運動をするといい」という。
私は50歳を過ぎたら、それでは足りないと思っている。
が、同じように、こうも言える。

「成人病を予防するためには、月、1、2回、3~4時間の運動をするといい」と。

今日が、その月、1、2回のうちの1回ということになる。

私「今月は、もう1回、どこへ行くことになっていたっけ?」
ワ「ほら、伊吹山(いぶきざん)に登ることになっているわ」
私「そうだったなあ」と。

ところで私はここ数年、こんなことに心がけている。
とくに仕事から帰ってきてから床につくまでの数時間のことだが、
できるだけワイフのそばにいてやること。
若いころは、そのまま書斎へ入って、夜遅くまで仕事をしていた。
が、それではよくない。
よくないということに、最近、気がついた。

私「ほら、E(三男)が、富士登山のとき、泣いていたというだろ」
ワ「ああ、あのことね」
私「あのときぼくは、背負ってでも、Eを、頂上まで連れていくべきだった」
ワ「だって、あれはEが、足が痛いから、もうこれ以上、歩けないと言ったからよ」
私「そうかもしれない。でも、それでも、ぼくはEに、『ここに残れ』と言い残して、自分たちだけで登ってしまった」
ワ「……」
私「いつだったか、Eが富士登山をやりとげたとき、ハガキをくれただろ。『雪辱を果たしました』と。あのとき、ぼくは、心底、あの日のことを悔やんだ。それが今の今も、心のトゲとなって、ぼくを苦しめる」と。

こうしてワイフと旅行ができるのも、あと数年かもしれない。
うまくいっても、10年だろう。
今日は無事に行ってきたから、来月も、たぶん、だいじょうぶだろう。
そう、私に見えるのは、そのあたりまで。
来年のことになると、自信がない。

だから……1日でも多く、1時間でも長く、ワイフのそばにいてやる。
ワイフにはかえってありがた迷惑かもしれないが、今、そんなことに心がけている。

……ところでこの原稿は、帰りのバスの中で書いている。
今度買った、ミニ・パソコンで書いている。
バッテリーのもちは、スペックよりも、やや短いかなという感じ。
2つのバッテリーで、計7時間近くもつということだが……?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 付知峡)