Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, July 08, 2008

*Political Apathy

●教育と政治(Political Apathy itself is to be ashamed.)

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教育と政治は分離する。
当然のことである。
私も、子どもたち(生徒たち)と
接するときは、政治の話は、
いっさい、しない。
してはならない。

しかし教師であるなら、当然、
政治に関心をもつべきである。
それが教育の場でないなら、
政治の話をして、当然。
意見を述べて、当然。

子どもの未来を考えていくと、
その向こうに(政治)がある。
政治抜きに、子どもの未来を
語ることはできない。

が、この日本には、おかしな
偏見が蔓延している。
高校生あたりに「6か国協議を
どう思う?」と問いかけても、
即座に、「ダサイ!」とはねのけられて
しまう。

あるいは政治的に無関心である
ことが、(常識的な人間の条件?)と
思われている。

しかしこんなバカげた民主主義国家
が、どこにある?
税金の使われ方すら知らない国民が、
どこにいる?

私が10年間に書いた原稿を、
もう一度読んでみてほしい。

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●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Political Apathy)」というのは、それだけで軽蔑の対象になる。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われたりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということになっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セイジ……」と言いかけただけで、「ダサ~イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分がどのようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よく理解できない。)

● 政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
● 社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
● あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、その結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

● 文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。文部省が一九六〇年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、それに「初等中等局長通達」(一二月二四日)。

 この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動から、政治色は一掃された。さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、禁止された。当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があったが、それから四〇年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。その結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に入ると、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、それである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう一〇年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革されていない。このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、どうか理解してほしい。日本の教育は、(日本人の心も)、こういう形で、中央官僚の思うがままにあやつられている。

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もちろん、極右であることも、極左であることも、
望ましいことではない。(否定はしないが……。)

ものごとは、常識を基点にして考える。
あるいは常識の上に常識を重ねながら、考える。
私たちが何よりも警戒しなければならないのは、
「極端化」である。
「先鋭化」ともいう。
とくに政治の世界では、警戒した方がよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●聖火台への着火

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来月、北京オリンピックが
中国で開催される。
今朝の新聞(中日新聞)に、
それについての記事と、
聖火台への着火方法についての
記事が載っていた。

どうやらUFO型のヘリコプター
を使って、着火するらしい。
(あくまでも予想だが……。)

その記事を見て、では、日本でなら、
どんな方法があるかを考えてみた。

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(次々回、東京オリンピックでは……。)

(1)参加国と同じ数だけの、ロボットに、
行進させる。
衣装は、映画『スターウォーズ』に出てきた
ロボットのに、すればよい。
ただし手にもつのは、銃ではなく、各国の
旗。

『スターウォーズ』の行進音楽に合わせて、
行進する。
♪バンバンバン、バババ~ン、と。

(2) 聖火台の前あたりまで来たら、ロボット
たちは二手に分かれて、花道をつくる。

(3) やがて後方から、聖火をもったロボットが、
駆け足で、ヒョコヒョコやてくる。そしてそれが
みなに、あいさつなどをしたあと、聖火台の階段を
のぼり、聖火台に聖火を着火する。

(4) ほかのロボットたち、それを見て、拍手する。
あとは、入ってきたときのように、出口に向かって
行進しながら退場する。

次々回の開催地が東京に決まれば、8年後。
ロボットも、それまでにさらに改良されるに
ちがいない。

「介護ロボット」も実用化されるという。
であるなら、こんな演出はどうだろう。

(5) 聖火をもったロボットが、階段の
途中で、こけて、倒れる。そのとき、足を
負傷したかのような様子をしてみせる。それを
見た別のロボット2体が、階段をかけのぼり、
そのロボットを助けながら、頂上までいっしょに
のぼる。

想像するだけでも、楽しい!