Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, December 23, 2008

*Dec 24th,2008

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●チン問答(正方形)

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ましかく(真四角)を見せて、子どもたち(年長児)に、
「この形は何ですか?」と聞くと、中に、「正方形!」と
答える子どもがいる。

私「ウヌ、何だって? シェイホウケイ?」
子「シェイホウケイじゃないよ、さしすせその、セイホウケイ」
私「セホウケイ?」
子「だからさあ、セイホウケイだってばさア」
私「ホウケエ?(=遠州地方の方言で、「そうですか?」の意)」
子「……?」と。

私はこういうやり取りが、大好き。
子どもたちの脳みそを、ひっかき回すことができる。

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子どもにとって、(おとなにとっても、そうだが)、大切なことは、自分で考えること。
その習慣があること。
その力があること。

それがないと、知識はただの知識で終わってしまう。
あるいは中には、(物知りな子ども)イコール、(頭のいい子)と誤解している人がいる。
しかしこれは誤解。
たいへんな誤解。

今どき情報などというものは、インターネットを介せば、いくらでも手に入る。
情報イコール、知識。
大切なのは、その情報を、自分の力で、いかに加工し、知恵として消化するかということ。
それをしないでいると、あっという間に、情報の洪水の中に溺れてしまう。
私の知人の中にも、こんな女性(55歳くらい)がいる。

たいへんな物知りで、何かを質問すると、こちらの話をじゅうぶん聞かないうちから、
ペラペラといろいろ話し始める。
しかしよく聞いていると、情報が脳みその表面をかすっているだけ。
中身がないというより、深みがない。
情報の洪水の中に溺れるというのは、そういうことをいう。

さて幼児の話に戻る。

掛け算の九九をペラペラと口にしたからといって、その子どもに、算数の力があるという
ことにはならない。
さらにお経をペラペラと口にしたからといって、その子どもに、仏教がわかっているとは
かぎらない。
(おとなの中にも、いるぞ! 知ったかぶりというか、それでもって、優越感を覚えて
いるような人だ。)

では、どうすれば、子どもをして、(考える子ども)にすることができるか?
しかしこれは教育の問題ではなく、家庭環境の問題。
親の習慣の問題。
親にその(力)がなくて、どうして子どもにその(力)をもてと言うことができるのか。
結局は、そこへ行き着く。

たとえば子どもがあなたに何かを話しかけたとする。
そのとき大切なことは、子どもの言葉に耳を傾け、それについて考えてやること。
そして自分なりの意見を、それに添(そ)えてやること。
そういう親の習慣を見ながら、子どもは、(考える力)を身につける。

で、冒頭の話に戻る。
どこかの幼稚園では、子どもに掛け算の九九を教えている。
暗記させている。
そして「ましかく」を、「正方形」と言うように、指導している。
しかしこんなのは、幼児教育でも何でもない。
サルの訓練でも、そこまでしない。

「4つの角があるから、四角」「それがきれいに並んでいるから、ましかく」と、
どうしてそういうふうに、教えないのか。
それでよいではないか。
「方形」というのは、「四角形」をいう(広辞苑)。
だから「正方形」というのは、「どちらの方角から見ても同じに見える、四角形」という
ことになる。
しかしそこまで「セイホウケイ」の意味のわかる子どもは、いない。
だから私は、こう言って、子どもたちをからかう。

私「セイホウケイ……ねえ。どこかで聞いたような名前だなあ」
子「先生、正方形も知らないの?」
私「だからさ、どこかで聞いたような気がする。正方形というのは、ましかくのことか?」
子「そうだよ。ましかくのことだよ」
私「フ~~~ン、知らなかったなあ。覚えておくよ」と。


Hiroshi Hayashi++++++++dec 08++++++++++はやし浩司

●ウソをつく

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犬でも、ウソをつく。
うちのハナが、そうだ。
何かかまってほしいときに、かまってやらないと、ウソをつく。

ワンワンと軽くほえたあと、庭の端まで行って、じっと
体を固める。
「そこに何かがいる」という素振りをして見せる。

ハナの心理をよく知っているから、だまされたフリを
して、庭の端に立つ。
じっと体を固めて、その先を見る。

私「何かいるか?」
犬「……」
私「何かいるか?」と。

こうするとハナのほうも、バツが悪いのか、さらに右へ走ったり、
左へ走ったりして、身を固める。
(身を固めるのは、ポインター種の猟犬の特徴と聞いている。)

こうしてハナは、私をかつぐ。
私は、かつがれたフリをする。
これを発達心理学的に解釈すると、こうなる。

子どもというのは、ウソをつくことで、おとなの優位性を破ろうとする。
年齢的には、2歳前後から始まるとされる。
よく知られているのが、噓寝、噓泣き。

噓寝、噓泣きをすることによって、おとなを操作する。
それがおとなの優位性の打破につながる。
で、こういうとき大切なことは、それを「ウソ」と決めつけ、子どもを叱っては
いけないということ。
「ああ、うちの子は、おとなの優位性を打破しようとしている」と考えて、
一歩、退いてやる。
そのおおらかさが、子どもを伸ばす。

反対におとなの優位性に押し込められてしまうと、(あるいはおとなの優位性を
押しつけ過ぎると)、子どもはハキのない子どもになってしまう。
ひどいばあいには、おとなになりきれないおとなになったり、おとなになることに
恐怖心を抱いたりする。
赤ちゃん返りならぬ、幼児返りをする子どもも、珍しくない。

時には子どもに負けてやる。
「おとなを負かした」という自負心が、自信につながる。
未来に向かって、前向きな姿勢も、そこから生まれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子どもの噓 子供の噓 噓と優位性 おとなの優位性 発達心理)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●発想の転換(ロメオ・シンドローム、ジュリエット・シンドローム)

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ワイフがこう言った。
「今年も、あと少しで終わりね」と。
カレンダーを垣間見ながら、そう言った。
言い方が、どこか暗かった。
沈んでいた。

そこで私はこう言った。
「そういう、うしろ向きな言い方をしてはだめだ。
そういうときは、『もうすぐ新しい年ね』と
言わなくちゃア」と。

こういうのを発想の転換という。
「あと少し……」と言うよりは、「もうすぐ……」と
言ったほうが、心がずっと軽くなる。
明るくなる。
(12月22日記)

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●私は71歳だ

子どもたちに、「ぼくは51歳だ」というと、子どもたちはすかさず「ウソだ、
ウソだ」と騒ぐ。
中に私の生年月日を知っている子どもがいて、(たぶん、親がそう教えているのだろうが)、
「先生は、本当は61歳だよ」と言うのもいる。

自分の年齢をごまかすということは、よくある。
私も少し前まで、10歳ほど、年齢を引いて、子どもたちに言っていた。
「ぼくは、51歳だよ」と。
しかしこういうウソは、疲れる。
どこかで無理をしなければならない。
(本当の年齢は、1947年生まれ、今年、満61歳。)

そこで最近は、こう言うようにしている。
「あのね、本当は、71歳なんだよ」と。
ときどき「81歳だよ」と言うときもある。

すると子どもたちは、「そんなジジイには見えないよ。……先生は、ぼくのパパ
くらいかな」とか言う。

●年齢をごまかす

自分の年齢を若く言うか、それとも、古く言うかで、生き方そのものが変ってくる。
最近、そんな発見をした。

自分の年齢を若く言う人は、「まだ若いから、仕事ができる」と人に思わせたいのかも
しれない。
あるいは若い女性(あるいは男性)に、相手にしてもらいたいという潜在的な
願望があって、そう言うのかもしれない。
それに若さと決別するには、それなりの勇気がいる。
が、中には、異常なまでに、(若さ)にこだわる人もいる。
タレントの中には、40歳を過ぎているはずなのに、どう見ても20代後半かな(?)
と思うような人もいる。
このタイプの人は、自分の年齢を受け入れることができない。
だからそれに抵抗する。
ホルモン剤を顔に注入し、化粧に化粧を重ねる。
整形手術などというのは、この世界では常識。

そういう心理状態を総称して、「ロメオ・シンドローム」、あるいは
「ジュリエット・シンドローム」※という。
私がつけた名前である。

で、女性のばあいは、化粧で年齢をごまかす。
(最近では、こうしたごまかしを、「アンチ・エイジング(抗年齢)」と呼ぶ。)
そのつじつま合わせのために、年齢という(数字)もごまかす。
しかしこの方法は、無意味。

仮に35歳のとき、30歳に見られても、5年後の40歳のときには、35歳に
見られるだけ。
そのつど5歳ほど年齢をごまかすことはできても、10歳は、無理。
それに(若さ)というのは、外見や年齢という数字では決まらない。
中身だ。
中身で決まる。

だったら、35歳だったら、35歳と正直に言いながら、生きればよい……ということに
なる。
が、現実には、だれしも若く見られたい。

が、そこで発想の転換。

●人生、50年

少し前、がんで闘病生活をしている大学の友人が、電話でこう言った。
「ぼくはね、50歳すぎてからの人生は、1年ごと、もうけものと思うようにしているよ」
と。

そのとき彼は、織田信長の話をした。
織田信長は、「人生、50年」と言ったとか。
だから「それからの命は、(もうけもの)」と。
「50歳で、がんで死ぬことを考える必要はない。
悲観的になることはない。
50歳で死んだと思って、残りの人生を楽しく生きる」と。

だったら、これはあくまでも私のばあいだが、「51歳」と言うよりは、「71歳」と
言ったほうが、よいということになる。
「71歳なのだが、61歳の人のように、若々しい」と。
そのほうが、感謝の念も強くなる。
生き方にも、力が入る。
あるいは余命を計算しながら、「残りの人生は、よくて10年」と、生きていることその
ものを大切にするようになる。

それに先にも書いたように、私が「ぼくは71歳だ」と言っても、だれも信用しないだろう。
「あなたは、どう見ても、71歳には見えない」と。
しかし「51歳だ」と言うと、みなが、疑う。

●1年ごと、(もうけもの)

2008年も無事、終わろうとしている。
いろいろあったが、私や私の家族は、ともかくも無事だった。
仕事も楽しかった。
やりがいもあった。
これを(もうけもの)と言わずして、何と言う?
つまりそういう意識をもつためにも、「71歳」と言う。

「71歳」と言えば、60歳から計算すると、11年も「もうけた」ということになる。
その分だけ、心を広くすることもできる。
が、それだけではない。

「71歳」と言うことによって、人生を先取りすることができる。
ジジ臭くなれということではない。
71歳らしく生きろということでもない。
71歳の人が、61歳の人のように、あるいは51歳の人のように、
若々しく生きたところで、おかしくない。

それに本当に71歳になったとき、10年分、前もって心の準備しておくことができる。
81歳になったときも、そうだろう。
91歳になったときも、そうだろう。
そのつど、10年分、得をしたような気分になる。
その(得をした)という気分こそが、大切。

●私は71歳なのだ

「私は71歳」と思うことによって、71歳の高齢者の人たちと、同じレベルに
自分を置く。
そして自分にこう言って聞かせる。
「ぼくは71歳だけど、中身は61歳」と。

そのほうが、ずっと楽しい。
無理をして、51歳のまねをするような、うしろめたさというか、イヤミがない。
ウソはウソだが、「51歳」と言うときは、他人を欺くため。
しかし「71歳」と言うときは、自分を欺くため。
むしろ他人を楽しませるかもしれない。

簡単に言えば、「年齢を若く言って無理をするより、年齢を古く言って、余裕を
もって生きたほうがいい」ということ。

あとのことは、天命に任せる。
そのときが来たら、そのとき。
ジタバタしない。
……ということで、最近、私は子どもたちから年齢を聞かれるたびに、「ぼくは71歳だよ」
と答えることにしている。

(付記)
「♪もういくつ寝ると、お正月……」という歌は、前向きな歌ということになる。
しかしジー様、バー様は、(私も含めて)、暗い顔をして、こう歌う。
「♪もういくつ寝ると、今年もおしまい……」と。
しかしそれではいけない。
いけないということで、このエッセーを書いた。

さあ、ここは童心に返って、『お正月』の歌を、明るく、楽しく歌ってみよう。

♪もういくつ寝ると、お正月
 お正月には、凧あげて、コマを回して遊びましょう。
 早く来い来い、お正月

(付記)
ところであなたはどうだろうか?
新年が近づくたびに、「今年も、もうおしまい?」とか、「もうお正月?」とか
言って、暗い顔をするだろうか。
もしそうなら、あなたはすでに、片足を棺おけにつっこんでいるようなもの!

同じ1年でも、やりたいことを思う存分しながら、有意義に過ごした人は、
その1年を長く感ずる。
新年が来ることを、喜ぶことができる。
そうでない人は、そうでない。
大切なのは、前向きに生きること。
中身の濃い人生を送ること。
が、ふと油断すると、すぐうしろ向きになってしまう。
わかりやすい例が、同窓会。

50歳を過ぎると、とたんに同窓会の回数がふえる。
心理学でも、こうした現象を、「回顧性」という言葉を使って説明する。
過去を懐かしむことが、多くなる。

その反対の位置にあるのが、「展望性」という言葉。
未来に向かって夢や希望をいだきながら、生きることをいう。
その回顧性と展望性は、満55歳くらいのときに、クロス交差するという。
つまり満55歳くらいのときに、前向きな生き方と、うしろ向きな生き方が、交差する。
それからは生き方そのものが、うしろ向きになる。

が、回顧性など、くそ食らえ!
回顧性にしばられるようになると、未来よりも過去ばかりを気にするようになる。
過去の肩書きや、学歴、名誉、地位にしがみついて生きる人もいる。
もっと言えば、そういう人たちは、「年齢の奴隷」ということになる。
若かったころの自分から、自分を解放することができない。

今は今。
年齢という数字にまどわされてはいけない。
私たちは、どこまでも前向きに生きる。
死ぬまで前向きに生きる。
けっしてうしろ向きになってはいけない。
いつか書いたが、年齢というのは、ただの数字。
そんな数字に、どんな意味があるというのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
前向きな人生 展望性 回顧性 後ろ向きな人生 ロメオ シンドローム 
ロメオ症候群 ジュリエットシンドローム ジュリエット・シンドローム)

(注※)ロメオ・シンドローム……若かりしころの自分に、人生の基点を置く。
それから遠ざかることに、強迫観念をもつ。そのため(若さ)の
維持に何よりも注意を払う。自分をロメオに見立て、常にそこに悲劇性を
もたせる。『ピーターパン・シンドローム』を、(おとなになりきれない、
おとな)とするなら、『ロメオ・シンドローム』は、(加齢を受け入れ
ることができないおとな)ということになる。そのため年配者や老人をことさら
嫌ったりする。あるいは年配者や老人の価値観、思想を、ことさら否定したり
する。顔にシワやシミ、白髪が現われたりすると、人一倍、狼狽(ろうばい)
したりする。ロメオ・シンドロームというのは、(ピーターパン・シンドローム
もそうだが)、結局は、その人の精神的未熟性に起因すると考えられる。

 
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【学歴制度】

● 5か条の御誓文

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1868年、明治維新で生まれた新政府は、
明治天皇の名前で、『5か条の御誓文』、つまり
政治の方針を定めた。

5か条の御誓文というのは、つぎのような
ものであった。

一、 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一、 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一、 みんなの志が、かなえられwるようにしよう。
一、 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一、 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう

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明治維新の中でもっとも大切なのは、『四民平等』ではなかったか。
天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、そのほかは「平民」となった。
それぞれの割合は、

人口3313万人のうち、
華族、神宮、僧……0・9%
士族     ……5・5%
平民    ……93・6%

この数字を見て、9年前に書いた原稿を思い出した。
日本人が平等になったというのは、ウソと考えてよい。
そのかわり明治政府は今に残る学歴制度を作りあげた。

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●子どもの希望

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)
きたい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を
選びたい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカ
ラー志向が強い。韓国は特技系の仕事に関心がある。米国では特技や専門技術系の職業に
人気があり、普通のサラリーマンになる願望が最も弱い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。しかも今、どんな公
務員試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。さらに公務員試験を
受けるための予備校まである。そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。もちろ
ん退職金も、年金も、満額支給される。さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保
されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。そこに5
年間勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。ごくふつう
の自衛官ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。(だからといって、
その人個人を責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。「市
役所の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。「お前も、
公務員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。しかしこの日本
では、今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。数がふえるだけなら
まだしも、公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員たちによって管
理されることを意味する。自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおい
て、ほかにないだろう。ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。しか
し本当に、そうか。あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなの
か。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、
今一度、「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。
(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】
ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員
の子どもが、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがあ
る』と答えた。日本と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。しかし日本や韓国の子どもに
は、それがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れ
る学部」という視点で、大学を選択している。いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハ
ッパをかけても、子どもたちは、こう言う。「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのであ
る。

 人生には、無数の道がある。幸福になるにも、無数の道がある。子どもの世界も、同じ。
そういう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たい
へん便利で、能率よくできている。しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始め
ている。現状にそぐわなくなってきている。明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、
いざ知らず、今は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものでは
ないということ。仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年に
なってから勉強するということも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づける
ことによって、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、
「勉強しなさい!」と怒鳴る親は少ない。こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育
制度の欠陥である。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使わ
れるようになった。「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい
身分を手に入れる」という目的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。「私は、もう終わりましたから」と。私が、「お母さん、
あなたたちも勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。
なのに、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を
使った。「革命」という意味だが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時
代に温存するかであった。ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けた
かったにちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。しかし一般庶民にとっては、教
科書や本すら、満足に購入することができなかった。だから結局、大学まで出られるのは、
士族や華族、一部の豪族にかぎられた。明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生の
うち、約75~80%が、士族、華族の師弟であったという記録が残っている。

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の知事となって、
派遣されていった。選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。変っていないことは、実は、
あなた自身が、一番、よく知っている。たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜
松市の市長も、そして国会議員の大半も、みな、元中央官僚である。(だから、それがまち
がっていると言っているのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。あるいは大半
の日本人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らないのでは
ないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 私もこの国に住んで、56年になるが、
つくづくと、そう思う。

++++++++++++++++++++++
つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。どこかの国のカルト
信仰を笑う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。その中にどっぷりとつかっている
と、自分の姿が見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制
度をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それ
がわかる。そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別し
た。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。学校出の教師の給料が、15~30円、
県令(今の県知事)の給料が250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。そして今に見る、学
歴制度ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学校
が、末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。教育はだれの目にも必要だった
し、学校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。
日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。そうでない人は、何か
につけて、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。親たちは日
常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係
なく、職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっ
ちもいかないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後
閉鎖論まで、公然と議論されるようになっている。それだけ公教育の荒廃が進んでいると
いうことになる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。今の、
この時点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子ど
もたちが、苦しみ、そして傷ついていることか。そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多
くのおとなたちが、今も、ひきずっていることか。それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。ウソだと思うなら、あな
たの、あるいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。
(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、
自分の鼻先を指さす。(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。年長児の大半も、自分の鼻
先をさす。しかし年中児になると、それが乱れる。つまりこの部分については、子ども
は年中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうこと
になる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。よく誤解さ
れるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるか
に多い。どれくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらに
はもっと多いかしれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教
えずして教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。あるいは子ども
というのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。しか
しむしろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大
半の子どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。だれが育てる
というのでもない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以
上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはって
いく。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行
士になるという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。全員(一〇人)がこう言っ
た。「どうせ、なれないもんね」と。「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別の
ところで、別のことを学んでしまう。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。あるいは何を教えていないだろう
か。そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいる
だろうか。それを少しだけここで考えてみてほしい。
(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評
論 幼児教育 子育て はやし浩司 学歴制度 学歴社会)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●従兄弟(いとこ)

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昨夜、従兄弟(いとこ)と、電話で1時間ほど、話す。
このところいつも、健康談義になる。
その従兄弟は、人一倍、健康に気をつかっている。
話を聞くだけで、よい勉強になる。

++++++++++++++++++

●健康

健康というのは、作るものではなく、守るもの。
しかも健康であるときには、健康の価値がわからない。
それを失ったとき、はじめて、その価値がわかる。

従兄弟は、機会を見つけては、体を鍛えている。
趣味は登山、水泳、競歩、自転車……。
まさに何でもござれのスーパーマン。
私と同じ歳だが、そのため今でも筋肉が隆々としている。

加えて健康診断は、欠かしたことがない。
脳ドックから、最近は前立腺がんの検査まで。
話の内容からして、毎月のように何らかの検査を受けているらしい。
親しい友人に、ドクターがいるという。
そのドクターから、いろいろアドバイスを受けている。

一方、私は、検査という検査が、嫌い。
嫌いというより、あきらめている。
もし(がん)と診断されたら、そのときは、そのとき。
「年貢の納めどき」と考えて、仕事もやめる。
やめなければならない。
闘病生活を繰り返すくらいなら、死んだほうがまし。
私はずっと、そういう考え方をしてきたし、これからもその考えは変わらない。

前立腺がんにしても、おとなしいがんだそうだ。
じょうずにつきあえば、10~15年は生きられるという。
そのころには、ちょうど寿命も尽きる。

ただしそれには、条件がある。

ぐうたらな生活をしていて、「そのときは、そのとき」は、ない。
常に健康に気をつかう。
努力する。
やれることは、何でもやる。

私も、やれることは、何でもやっている。
寒い夜でも、サイクリングを欠かしたことがない。
つまりそれでも病気になるとしたら、あきらめるしかない。
あきらめもつく。
つまり日ごろから、そういう状態にしておく。

●不況

ついでに、不況の話になった。
が、この不況下でも、10万~20万円の自転車に乗っている人がいるという。
「ぼくのは、2万円だ」と言うと、笑っていた。

私「ぼくはどんな自転車でも、乗りこなすことができるよ」
従「ぼくは、今、7万円の自転車に乗っている。いい自転車は、足腰がしっかりと
している」
私「ぼくは、それは感じない」
従「ベンツにしても、BMWにしても、高速を走ってみるとわかる。スーッと、
アクセルが地面になじんでいくのがわかる」
私「そういうものかなあ」
従「そういうものだよ。自転車もそうだ」と。

ところで従兄弟の友人たちも、今度の株価の暴落で、大損をしたらしい。
「も」というのは、私も損をしたし、従兄弟も損をしたということ。
損をしなかった人は、いないのではないか。
理由がある。

銀行へ現金を預けておいても、すずめの涙ほどの利息しかつかない。
そこである程度の小銭をもっている人は、証券会社へ走った。
利息もよい。
世界には、5~10%もの利息をつけてくれる国がある。……あった。
為替でも稼げる。
1ドル110円のとき買って、120円になったとき売れば、プラス約9%の
利息、ということになる。

が、今度のサブプライム・ショック、それにリーマンブラザーズ・ショック。
打つ手もなかった。
「まさか」「まさか」と思っているうちに、世界の株価は、どんどんとさがっていった。
あまりにも急激だった。
ほとんどの人は、売る機会を失ってしまった。
結果、資産を3~4割失った人は、いくらでもいる。
平均して、5割?
中には、資産を、10分の1にしてしまった人もいる。

その影響が出てくるのは、これから。
倒産、失業、自己破産などなど。
犯罪もふえるだろう。
それを想像するだけで、そら恐ろしくなる。

2009年は、はたしてどんな年になることやら?
従兄弟も、それを心配していた。

●浜松の外国人

浜松市には、ブラジル人を中心に、約3万人の外国人が住んでいる。
仕事をしている。
そういう人たちが、今回の大不況で仕事をなくし、寮などを追い出されている。
……と書くと、「たいへんだな」と思う。
またこう書くからとって、みながみな、そうであると言っているのではない。
たしかに職を失い、寮などを追い出される人もいる。
しかしここ数年、そういう外国人たちの存在感が大きくなったのは、事実。

10年前には、まだ車をもっている人は少なかった。
しかし今は、みな、大型の車を運転し、猛スピードで道路を走ったりしている。
交通法規がちがうのか、日本の交通ルールを守らない。
そういった人たちの(たまり場)のようなところがあって、夜中まで騒ぐ。
アパートによっては、外国人に占拠されてしまったところもある。

で、これはあくまでも私の印象だが、彼らは日本へ来て、日本で働きながら、
少しばかり、日本に同化しようという努力が足りないのではないか?
外国人は、外国人どうしが集まってしまい、日本人の社会に入ってこない。
もちろん言葉も覚えない。
習慣も覚えない。
もちろん町内の自治活動などには、参加しない。
本当はそうではないのかもしれないが、私には、そう見える。

たとえばどこの小学校へ言っても、校長たちは、異口同音にこう言う。
「彼らはある日突然、子どもをつれてきて、『この子に日本語を教えてくれ』という。
そこでボランティアの人たちの力を借りて、特別レッスンをほどこす。
しかしまたある日突然、学校をやめていく。
家に連絡しても、まわりの人たちが、『今度、新潟に引越しました』と言うだけ。
現状では、外国人を教えるためのカリキュラムも、予算もない。
学校教育自体が、危機的状況にあります」と。

そういう人たちが、「職を失った」「寮を追い出された」「だから何とかしろ」と
言っても、どうもピンとこない。
同情心というのが、わいてこない。

これは外国の人にとっても不幸なことだが、私たち日本人にとっても、不幸なことである。

彼らも、この日本で生きていかねばならない。
日本は、彼らの労働力を必要としている。
私たちは、たがいに、仲よくしたほうがよい。

そんなわけで、一言。
日本へ来るなら来るで、それなりの覚悟と準備をしてきてほしい。
あるいは日本の社会に、もう少し敬意を表してほしい。

そうそうついでに一言。
いろいろな人に話しかけてみたが、英語を話せる人は、ほとんどいない。
これもひとつの問題点ではないか。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●大型自転車店

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関西地方を中心に、「AS」という大型自転車店がある。
「サイクル・ベース」という名前がついている。
全国に約150店舗を構え、常時、800台前後の
自転車を並べている。
この浜松市にも、2店舗、ある。
折からの自転車ブームに乗り、店舗数もさることながら、
売り上げ高も急激に伸びている。
売る上げも、前年度比17%増の、173億円(08年2月)。
ふつう自転車の利益率は、30~35%と言われている。
個人の自転車店(従業員2人以下)でも、40%前後と言
われている、
そういう中で、ASは、50%前後の利益率を確保しているという。
(日経ビジネス)
それだけ値段が高いかというと、事実は、逆。
中間マージンを排しているため、かえって安い!
中国を中心に、自社ブランドの製品を開発している。

そのASに入ってみてまず驚くのは、品数の多さ。
まるで遊園地のようにカラフルである。
そういうのを見ると、……というより、私が若いころ頭の中で
描いていた自転車店そっくりなので、驚く。
私も商社マンだったころ、すでに同じような商売を考えていた。
1971~2年のころである。

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●がんばれ、町の自転車店!

私の実家も自転車屋だった。
しかし子どものころから、いつもこう考えていた。
「どうせ商売をするなら、大きいほうが勝ち」と。
しかも全国ネットで、大量に仕入れて、薄利多売で勝負する。

M物産という商社にいたときから。そしてそのあと10年ほど。
あちこちで貿易の顧問をしていたときから、私は密かに、大型自転車店の
構想を考えていた。

当時は中国本土までは行けなかったが、台湾、香港で、自転車の製造を
始めつつあった。
品質は、おせじにも、よいとは言えなかった。
しかし値段が安かった。
私自身も、香港や台湾へ行ったついでに、向こうの自転車を、20~30台、
実家へ仕入れてやったことがある。
おとな用の自転車でも、5000円前後で仕入れ、店で、7000~8000円で、
売ることができた。
(品質が悪すぎて、かえって評判を落としてしまった面もあるが……。)

が、それから20~30年。
ASという名前の自転車店を知った。
ふつうなら、悔しいと思わなければならないはずだが、私にはそれはない。
私の夢を実現してくれた、ASの経営者の方たちに、むしろ敬意を表したい。

で、こういう店ができると、町の個人の自転車屋は、大打撃を受ける。
もし私が今でも自転車店を経営していたら、そのままつぶれてしまっただろう。
が、それでも、ASに恨みをもつことはなかっただろう。
規模そのものがちがう。
それには、こんな話がある。

自転車屋には、ランクがある。
いちばん小さい、田舎町の自転車店。
それよりやや大きい、町の自転車店。
さらに大きい、町の自転車店。
さらに大きな、中堅の自転車店。

自転車店の世界には、大型店というのは、ない。……なかった。

どんぐりの背比べというか、わずかの(ちがい)の中で、「うちの店は大きい」
「あの店は小さい」と、張りあっている。……いた。
縄張り意識も強かった。
私には、それがバカげて見えるほど、おかしかった。
大きな中堅の自転車店といっても、従業員は1~2人。
妻や祖父母がそれを手伝っていた。

言うなれば、小さな、どうしようないほど小さな世界で、それぞれが張りあっていた。
そういうところへ、ASというとてつもないほど大きな店が現われた。
勝つとか、負けるとか、そういうレベルの話ではない。
みなが大八車を引きながら、たがいに足の引っ張りあいをしていたところへ、
大型トラックがやってきた。
そんな感じである。

自転車業は技術職と言う人もいるが、昔とちがって、今では自転車は、
完成品として各店に届けられる。
(私が子どものころには、自転車は、スポークで車輪を組み立てるところから、
手作業だった。)
また自転車業には、自転車技師の認定書が必要と言われているが、あんなものは
あってもなくても、同じようなもの。
自転車店組合が、自分たちの職業を権威づけるために、資格試験にまで
祭りあげた。
そのあたりの経緯(いきさつ)を私は知っているが、私の祖父も、父も、
あえてその試験を受けなかった。
きっとプライドが許さなかったのだろう。

現に大半の自転車屋では、妻や、年老いた祖父母が、修理を手伝っている。
言い換えると、今までの自転車店は、あまりにも居心地のよい世界に、
安住しすぎた。
つまりなぜ、今まで自転車店業界が無風地帯であったかというと、(技術)の
問題ではなく、(油)の問題だった。
自転車店というのは、どこでもそうだが、トイレのドアのノブまで油で黒く
なっている。
パンクの修理にしても、やり方をまちがえると、服やズボンが、油で汚れてしまう。
一般の人は、それを嫌った。

つまりこの点だけクリアできれば、自転車店といっても、ほかの商店と、どこも
ちがわない。
が、Sの店内は、明るく、清潔。
油臭さが、どこにもない。

そういうASに対抗する方法があるとするなら、自転車店の店主が、きわめて
専門的な知識人になることでしかない。
健康哲学とか、自転車工学とか、あるいは自然哲学とか、そういうものをもって、
勝負する。
自前でサイクリング・クラブを運営するのもよいだろう。
ただの(もの売り屋)ではないという、差別化。
マニアを相手にした、高級店化。
それを前面に押し出すしかない。

が、それもしないというのであれば、市場から退散するしかない。
かなりきびしい意見を書いたが、これは町の自転車店のために書いた。
ASだけではない。
ここ5年前後で、あなたの町にも、大型店がやってくる。
その準備と覚悟だけは、しておいたほうがよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●過剰な妥協(Excessive Compromise by C. Rice and C. Hill toward North Korea)

Nobody denies in Japan, that C. Rice and C. Hill has done too much excessive
compromise toward North Korea, or these two people are too innocent to be cheated by
them during the conferences. What they have done is just to give them money, oil, food,
music and time. The biggest show was the “Explosion Show of Junk Yard in Yonbyon”,
which means nothing to them.

+++++++++++++++++

C・ライスとC・ヒルのコンビが、
K国に対して、「過剰な妥協」をしたのは、
だれの目にも明らか。

この5年間で、この2人がしたことは、
K国に、マネー、原油、食糧、音楽、それに
時間を与えたことだけ。
あとは、もとからガラクタだったヨンビョンの
核施設の爆破ショーを演じて見せただけ。

それに対して、当のC・ライスは、
「80%は合意していた」と、わけのわからない
ことを言っている。
何をもって、「80%」というのか?

++++++++++++++++++

時事通信、08年12月22日は、つぎのように伝える。

『ライス米国務長官は21日、NBCテレビのインタビュー番組で、「もちろんK国を信用
していない」と述べ、K国の非核化をめぐる交渉で、米政府がK国の約束を信頼して過剰
に譲歩しているとの批判に反論した。

 ライス長官は「誰もK国を信頼していないからこそ、核検証の枠組みを交渉している」
と指摘。「枠組みの80%は合意したが、K国は科学的手続きの要素を明確にする最後の2
0%に同意しようとしない」と述べ、核検証枠組みの文書化失敗は、K国側に原因がある
と強調した』(時事通信・12月22日)と。

この報道を読んで、まず気になったのが、「80%」という数字。
いかにもアメリカ人らしい発想だが、同時に、何をもって「80%」というのか。
外交交渉は、すべて結果で決まる。
その結果が何もない今、「80%は合意した」とは、どういうことなのだろう。
まさか原油の提供が、80%済んだということでもあるまい。

各検証枠組みの文書化失敗は、K国にあるのではない。
米朝2か国だけで、秘密会議を開いてきた、C・ライスとC・ヒルにある。
6か国協議を形骸化してしまった。
結果として、C・ヒルは、K国に、いいように、もてあそばれてしまった。
しかもあろうことか、C・ライスは、この日本を脅した。
「K国援助に加われ。さもなくば、K国をテロ支援国家リストからはずす」と。

が、日本はそれに応じず、K国は、テロ支援国家リストからはずされてしまった。
さらにその前には、「拉致問題を6か国協議からはずせ」と迫ったこともある。
拉致問題については、C・ヒルが話し合った形跡は、ゼロ。
成果も、もちろんゼロ。
さらに最近に至っては、「日本は日本で、勝手にやれ」とまで、言いだした。

C・ライスは、頭のよい女性かもしれないが、自分の能力を過信するあまり、独断と
偏見だけで、K国との外交を進めてしまった。
加えてC・ヒルの(思いこみ外交)。
「アメリカはここまでしたのだから、K国も、応じてくれるはず」と。
よい例が、08年の正月に、K国に派遣した、ニューヨーク・フィル。
いったい、あれは何だったのか?

いまだにC・ヒルは、こう言って、K国をかばっている。
「原油の提供が完了すれば、K国は、核検証に応じてくるはず」と。
さらにその原油支援についても、支援中断は、5か国も承諾していると、
ここでもまた(思いこみ外交)を展開した。

これに対して、中国、ロシアは、「これからも支援をつづける」と表明。
日本と韓国は、「そんな話は聞いていない」と表明。
いったい、C・ヒルの脳みそは、どうなっているのか。

現在、日米関係は、こと日本側でみるかぎり、最悪の状態になっている。
その責任の大半は、C・ライスとC・ヒルにあることは、言うまでもない。

それにしても、「80%」?
K国の核開発関連施設は、ヨンビョンだけではないというのは、常識なのだが……。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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