Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, December 23, 2008

*Dignity of Parents

●親の品格

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賢明な親もいれば、
そうでない親もいる。

子どもを伸ばそうと考えたら、
親も、子どもといっしょに、
伸びなければならない。

賢明な親というのは、
それが自然な形でできる親をいう。

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 「親」といっても、いろいろなレベルの人がいる。賢明な親もいれば、そうでない親も
いる。

 昔、幼稚園で働いていたころのこと。こんなことがあった。

 ある子ども(年長児)が、掛け算の九九を、ソラで言うようになった。「ニニンが4、ニ
サンが6……」と。多分、兄かだれかがいて、その兄を見ながら、九九を覚えてしまった
らしい。

 その子どもを見て、ある親が、「あの子は、天才!」と騒ぎ出した。「幼稚園児なのに、
もう掛け算ができる!」と。

 しかし掛け算の九九をソラで言えるからといって、その子どもが、本当に掛け算を理解
しているとはかぎらない。その子どもにとっては、歌のようなもの。しかしレベルの低い
親は(失礼!)、表面的な部分だけをみて、子どものレベル、さらには教育のレベルまで、
自分で決めてしまう。

 あるいは、こんなこともあった。

 あるとき、職員室へ、若い母親が飛びこんできた。そしていきなり、こう言った。

 「うちの子は、3年保育で、この幼稚園に入った。どうして2年保育で入った○○さん
より、できが悪いのか!」と。つまり「3年保育で入園してきた自分の子どもが、2年保
育で入園してきた○○さんより、できが悪いのは、おかしい」と。

 その母親の子どもは、何かにつけて、できが悪かった(失礼!)。しかしその親は、自分
のできの悪さには、気づいていなかった(失礼!)。

 ……とまあ、実は、こういうケースは、多い。幼稚園や保育園という世界では、日常茶
飯事。そういう話を見聞きするたびに、「幼稚園の先生も、たいへんだな」と思う。

 で、今では少なくなったが、当時は、子どもの能力を、テストの点数だけで判断する親
がいた。学校のテストでつけられる点数である。その点数を見て、一喜一憂するのはしか
たないとしても、そのたびに、家の中で、大騒動。「勉強しろ!」「いやだ!」と。

 しかし親でも、小学3、4年生の問題を解けない人は、いくらでもいる。高校を出たあ
と、(勉強)から遠ざかった人なら、みな、そうではないか。そういう親が、子どもを叱り
ながら、「どうしてこんな問題が解けないの!」「何よ、この点数は!」と言うから、おか
しい。

 (本当に、そういうことがあったぞ!)

 そこで私が、やんわりとその母親に、こう言った。「この問題は、むずかしいですよ。何
なら、一度、お母さん、あなたが解いてみたら、どうでしょう?」と。すると、その母親
は、はにかみながら、こう言った。「私は、もう終わりましたから……」と。

 子どもを産むことで、親は親になる。しかし親になったからといって、別の人間になる
わけではない。環境は変わるが、中身まで変わるわけではない。つまりその時点から、親
は、今度は、親になる努力をしなければならない。それを怠ると、名ばかりの親になって
しまう。

 勉強にしても、しかり。

 ほとんどの親は、中学や高校で勉強したことは、そのまま頭の中に残っていると誤解し
ている。しかし実際には、卒業すると同時に、忘れていく。どんどんと忘れていく。英語
の単語や、算数の計算問題を、例にあげるまでもない。

 さらに分数の足し算、引き算のできない大学生となると、いまどき、珍しくもなんとも
ない。

 そこで賢明な親と、そうでない親とは、どこがちがうかといえば、賢明な親ほど、子ど
もに対して謙虚。自分も子どもといっしょに、伸びようとする姿勢が見られる。

 が、そうでない親は、そうでない。「自分は絶対」という自己中心性ばかりが強い。目立
つ。自分の世界だけで、自分の子どもを判断しようとする。先にあげた、テストの点数だ
けで、子どもの能力を判断する親も、そうである。

 どこをどうまちがえたか。どうしてまちがえたか。どこに弱点があるか。そういうこと
は、まったく、みない。だからつぎにどうしたらよいのか、それを的確に判断することが
できない。その判断ができないから、いきなり、子どもに向かって、「もっと、勉強しなさ
い!」となる。

 正直に告白するが、教育をする側の者の意欲、つまり教師としての意欲を引き出すのは、
親である。子どもではない。教師は、親を見て、「教えたい」と思うようになったり、「教
えたくない」と思うようになったりする。とくに、「教えたくない」と思うときは、そうで
ある。親をみて、そう思うようになる。

 「こういう親の子どもは、教えたくない」と思うことは、しばしばある。親をみただけ
で、絶望感を覚えるときもある。たがいの間に、あまりにも遠い距離感を覚えるからであ
る。

 そうそう、たまたま、昨日も、そういうことがあった。

 教室にいると、電話がかかってきた。そして電話口の向こうで、その母親は、いきなり、
こう言った。

 「うちの子を、今度、SS小学校に入れたいのですが、お宅の塾へ入れていただけます
か?」「お宅では、どんなことを教えているのですか?」と。

 私が、「うちは、受験塾ではありませんので、どこかほかのところを当たってみてくださ
い」と言うと、その母親は、「あら、そう」と言って、そのまま電話を切ってしまった。

 名前も言わない。あいさつもしない。おまけに、私の教室を、受験塾と誤解している。
電話の切り方も、ふつうではない。

 そういう母親の子どもは、私は、ぜったいに、教えたくない。その前に、そういう母親
とは、つきあいたくない。時間のムダ。人生のムダ。

 ……と話が脱線したが、最後にこれだけは、気をつけた方がよい。

 あなたの子どもも、やがておとなになる。そのとき、あなたという親が、自分の子ども
に何かを示せれば、それでよし。しかしそうでなければ、あなたという親は、その時点で、
容赦なく、あなたの子どもによって、評価される。

 そのときのためにも、あなたという親は、親として、自分をみがいていかなければなら
ない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
親論 親のあり方 親のレベル)