Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, January 26, 2009

*Depression *Muderous Impulse

●景気回復

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おおかたの経済学者たちは、「今年(09)いっぱいは、
だめだろう」と言う。
「景気回復は見込めない」と言う。
よくて今年の夏以降、あるいは来年、と。
このまま不況は、5年つづくと主張する学者もいる。
日本のばあい、バブル景気が崩壊したあと、それが10年もつづいた。

しかし経済なんてものは、その兆候が見られただけで、
パッと動く。
だから私は、それほど悲観していない。

「今年いっぱいは、だめだろう」と思っていても、
「来年からよくなる」という兆候をつかんだだけで、
その時点から好転する。
それがこの春になるか、夏になるかはわからない。
しかし秋まで、この状態がつづくとは思っていない。

あるいはその直前までドン底でも、数日単位で
好転するということもある。
そのカギを握るのが、中国であり、アメリカという
ことになる。
中国やアメリカが動けば、世界も動く。

だからここは、じっとがまんのとき。
成り行きを静かに見守る。
穴にこもって、嵐が過ぎ去るのを待つ。

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●大不況の発端

だんだん日がたつにつれて、今回の大不況の輪郭が、おぼろげながら、わかってきた。

原因は、やはりアメリカの住宅バブル。
ひとつのモデルケースを考えて、説明してみよう。

A氏は、10万ドルで、家を買った。
しかし半年後には、その家の価値が、15万ドルになった。
そこでA氏は、自分の家を担保に、銀行から15万ドルを借りて、
となりの15万ドルの家を買った。
が、その半年後には、最初に買った家と、新しく買った家が、それぞれ20万ドルに
なった。
計40万ドルの資産ということになる。
気をよくしたA氏は、さらに25万ドルを銀行から借りた。
その25万ドルで、3軒目の家を買った。
今度は、すこしばかり豪華な家である。

が、さらに半年後、住宅の価値があがった。
住宅バブルがつづいた。
その結果……

1軒目……20万ドル→25万ドル
2軒目……25万ドル→30万ドル
3軒目……25万ドル→30万ドル、になった。

この時点で、借金の総額は、40万ドル。
資産の総額は、85万ドル。
A氏は、差し引き、45万ドルの資産家になった。
そこでそのお金で、車を買ったり、海外旅行を楽しんだりした。
住宅の値上がりを見込んで、45万ドルのうち、大半を使い果たしてしまった。
A氏は、こう思った。
「オレは住宅を3軒も、もっている。値上がりすれば、その分で、取り返せる」と。

が、ある日、それが限界にやってきた。
住宅価格の値上がりが止まった。
この点は、日本のバブル景気(1980年代の後半→90年代の前半)の
崩壊したときの様子に似ている。
とたん、A氏の資金計画に誤算が生ずるようになった。
ローンの支払いに、苦労するようになった。
銀行も、お金を貸してくれなくなった。

で、さらにしばらくすると、今度は、住宅価格が下落し始めた。
経済の逆回転が始まった。
こうなると、今度は逆に、A氏は損害に損害を重ねることになる。
経済のこわいところは、みなが「まさか」と思っていると、その(まさかの状態)に
なること。
その(まさかの状態)になってしまった。
A氏についていうと、こうなる。

1軒目……25万ドル→10万ドル
2軒目……30万ドル→20万ドル
3軒目……30万ドル→20万ドル、になった。

資産価値は、50万ドル。
借金は、85万ドル。

あっという間にA氏は、奈落の底に転落!
それが今度の、世界大恐慌の引き金を引いた。

最初に、住宅金融会社が炎上した。
その中でも、最大手のリーマン・ブラザーズが、倒産した。

世界中の投資会社や投資家が、住宅金融会社に金を貸していた。
そのため、世界中の投資会社や投資家が、被害をこうむった。
何しろ、ケタはずれ。
ざっとみて、1000兆円。
日本の国家予算の約15倍!
アメリカが100兆円、日本が50兆円、ドイツが50兆円ほか、
それぞれお金をばらまいた。
が、とてもそれで足りる額ではない。

……ということで、経済そのものが、麻痺状態に陥ってしまった。

が、本当の問題は、これから起きる。

(1) 社会不安の増大
(2) ハイパー・インフレの到来

失業率が10%を超えると、町に失業者が現れるようになる。
15%を超えると、それがだれの目にもわかるようになる。
20%を超えると、略奪、暴行が起こるようになる。
おおざっぱに言えば、そう考えてよい。
職を失った人たちは、社会から見捨てられたと、とる。
それがそういう人たちの心をゆがめる。
犯罪を犯すことを、悪いことと思わなくなる。

またこれだけお金をばらまいて、無事ですむはずがない。
世界中が、お金でジャブジャブになる。
現在の「100円ショップ」が、やがて「200円ショップ」になり、
最終的には、「500円ショップ」になる。
戦後のあの混乱期と同じような状況が、やってくる。

借金をかかえている人にとってはよい話かもしれない。
しかし退職して、退職金を手にした人は、どうか。
実質、退職金が、5分の1、つまりたとえば2000万円の退職金でも、
400万円にまで目減りすることになる。
中には、退職金を、債権投資や株式投資に回した人もいる。
そういう人は、今度の大不況で、そのほとんどを失った。

住宅バブルがはじけて、損をした人のことは、心配しなくてもよい。
それこそまさに、自業自得。
が、まじめにコツコツ働いてきた人はどうか。
回りまわって、そういう人たちが、結局、いちばん損をすることになる。
バカげた話だが、これが現実。

日本人の平均貯蓄額を、仮に1073万円(金融広報中央委員会・06)とすると、
何とか1年くらいは、もちこたえることができるかもしれない。
しかし2年は、無理。
だから日本は、それまでには、この大不況から脱しなければならない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●人が殺意を感ずるとき

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先日、知人のZさん(55歳、女性)と話して
いたら、「殺意」という、おどろおどろしい言葉が話題になった。
何でもその女性は、ときどき、義理の父親に
殺意を覚えるという。

冗談ではない。
本気である。

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同居している義理の父親は、かなりわがままな人らしい。
今年、85歳になるという。
こまかい話はさておき、実の息子や娘が正月などで
やってくると、それとなくZさんの悪口を言うという。
たとえば息子が何かの食べ物をもってきたりする。
それについて、「こんなおいしいものは、この半年、
食べていない」とか言うなど。

事実は、どうも逆らしい。
Zさんの趣味は、料理。
だからそれなりにおいしいものを食べてもらおうと
努力しているという。
が、そういう努力は完全に無視。
その上で、そう言うという。

「あたかも私が何も料理していないような言い方をします。
頭にカチンときます」
「ときどき、包丁を義父の腹に突き刺してやりたく
なることもあります」と。

そういうZさんの気持ちを察して、Zさんの息子(30歳、
税理士)は、ときどきZさんにこう言うという。
「お母さん、事件だけは起こさないでくれよな」と。

で、殺意論。

「殺意」がどういうものか、それを知っている人は、
心のどこかに傷のある人とみる。
それは研ぎ澄まされた感覚で、憎しみや嫌悪感とはちがう。
ふつうなら、(殺人)→(犯罪)→(反社会的行為)と
いうふうに、つなげていく。
だから「殺したい」とは思っても、実行まではしない。
その一歩手前で、踏みとどまる。

しかし人が殺意を覚えるときは、そういった理性の
ブレーキすら、どこかへ消えてしまう。
「相手を殺すことによって、自分を取り戻す」。
「相手がいたら、自分が成り立たなくなってしまう」
「相手を殺すというよりは、相手を無にしたい」と。

そういう感覚になる。

Zさんは、そういった気持ちを、ていねいに説明してくれた。
で、「林さんは、そういう殺意を感じたことがありますか?」と
聞いた。

実は、私も生涯において、二度ほど、殺意を覚えたことがある。
詳しくは書けないが、一度は、私が27、8歳のとき。
相手は仕事先の人だった。
もう一度は、4、5年前。
このときは、近親の人だった。
つまりそういう殺意を覚えるということは、私の心がかなり
ゆがんでいることを示す。
成長過程のどこかで、はげしい憎悪、恐怖、不安を感じたのが原因と思われる。
それがトラウマとなり、ある状況下で、殺意へとつながっていく(?)。
だからZさんの気持ちが、よく理解できる。

そこで話は、今度は、「殺人論」になった。

私「殺人事件というのは、よくありますが、無差別な殺人事件は別として、
親戚、兄弟、あるいは親子の間で起きる事件には、それなりの背景が
あるということです」
Z「そうですよ。長い時間をかけて、悲しみや苦しみが、圧縮されますから。
他人なら、距離を置くことで、その人を忘れることができます。
しかし近親者だと、そうはいきません」
私「今はなくなりましたが、私が学生のころには、尊属殺というのがありました。
尊属殺というのは、ふつうの殺人よりも、ワンランク、刑が重かったのです。
しかし、これはおかしい。人が殺人に走るときというのは、それなりの背景
というものがある。親子であるがゆえに、確執も深いと考えるべきです。
やむにやまれず、親を殺したという事件も、数多くあります」と。

が、殺意を覚えたことがない人もいる。
私のワイフも、その中の1人である。
何度も確かめたが、ワイフには、それがない。
反対に、殺意というものがどういうものか、理解できないらしい。
「本当にお前は、人を殺したいと思ったことはないのか?」と私が聞いても、
「あなたのほうが、おかしいわよ」で、終わってしまう。

もちろんこう書いたからといって、殺人を肯定するわけでも、支持するわけでもない。
犯罪は、犯罪。
しかも最悪の犯罪。
しかし同時に、こうも言える。

殺人を犯す人には、それなりの過去があり、心に傷をもった人が多いということ。
刑法の世界では、よく『罪を憎んで、人を憎まず』という。
悪いのはその人のした行為であって、その人自身ではないという意味である。
もう少し深くいうと、こうなる。

だれしも同じような境遇で生まれ、同じような状況に置かれたら、同じような立場
に立たされたら、同じような行動をとるようになるということ。
善人も悪人も、基本的には、どこもちがわない。
殺人という犯罪についても、そのひとつ。

繰り返すが、だからといって、殺人という反社会的行為を容認するわけではない。
反社会的行為は、反社会的行為として、罰していかねばならない。

そこでクエスチョン。

あなたはどうだろうか?
今までに、だれかに対して、ここに書いたような殺意を覚えたことがあるだろうか。
もしそうなら、あなたの不幸な過去を、さぐってみるとよい。
そこに何かあるはずである。

最後にZさんは、こう言った。

「でも、後味のわるいことだけは、したくありませんね。
たった一度しかない人生ですから……。
死ぬときは気持ちよく死にたいです。
だから『殺してやりたい』と思っても、その一歩手前で、踏みとどまるのです」と。

まったくの同感である。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●歩く

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今日も、街までの7・5キロを歩いた。
毎回、コースを変えている。
今日は、南を流れる、川沿いに、歩いた。
昔は、その両横は、うなぎの養殖池になっていた。
が、今は、荒れ放題。
その面影すら、残っていない。

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全国のみなさん、「浜松のうなぎ」は、今は昔の物語。
「浜松産のうなぎ」とか、「浜名湖産のうなぎ」という文字を見ても、
信用しないほうがよい。
養殖池は残ってはいるが、しかし今では、さがさなければ見つからないほど、少ない。
もちろん天然のうなぎなど、庶民の口に届くことは、めったに、ない。

そんな話をしながら、街までの距離を歩いた。
大回りしたので、8、9キロは歩いたかもしれない。
万歩計では、9900歩になっていたが、私の万歩計は100円ショップで買ったもの。
アテにならない。

今度の「歩こう会」では、10キロを歩くことになっている。
だいじょうぶかな?
トップランナーをキープできるかな?

とにかくこうして足腰を鍛えるしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司