Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, January 27, 2009

*Jan 28th 2009

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ゆとり教育

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時として、外国から日本をながめてみたほうが、
日本のことがよくわかる。
韓国の東亜N報は、つぎのように伝える。

+++++++++++以下、東亜N報より++++++++++++++++++++

日本は、小中学校に続き、高校教育にも「脱ゆとり教育」を導入することを決めた。
日本の文部科学省は22日、国語、英語、数学を大幅に強化する内容を盛り込んだ新たな
高校学習指導要領の改正案を発表した。

改正案は、「英語の授業は英語で行うのが基本」と明示した上で、「生活で使われる英語」
の習得を目標にし、高校3年間、生徒に教える英単語数も1300語から1800語へ約
40%増やすことにした。

(中略)

また、科学と数学は、これまで「ゆとり教育」路線に沿って、「○○は(難しいので)教え
ない」とし、教育内容に制限を置いた規定を撤廃し、学校や教師の判断で難度の高い授業
もできるようにした。

高校の授業時数も現行基準の週30単位時間(1単位時間は50分)の越えてもよいとし
た。

新たな高校学習指導要領は、これから各界の意見を汲み上げる過程を経て、来年3月に告
示され、13年度入学生から適用される。
ただし、科学と数学は12年度入学生から先に適用される。

+++++++++++以上、東亜N報より++++++++++++++++++++

教育は、国の要(かなめ)。
理由は、簡単。
国は、人によって作られる。
人なくして、国は成りたたない。

「ゆとり教育」なるものが、いかに日本の教育を後退させたかは、今さら説明するまでも
ない。
教育全体が、小学校も、中学校も、そして高校も、だらしなくなってしまった。
たとえば小2で習う掛け算にしても、今では、(教えるだけ)。
本当に教えるだけ。
「覚えたい人は、覚えなさい。覚えたくない人は、覚えなくても結構です」と。
それでおしまい。

ほんの10年、20年前には、先生たちは、子どもたちに残り勉強をさせてでも、掛け算
の九九を暗記させた。
それでも暗記できない子どもは、宿題につづく宿題で暗記させた。
子どもが泣いても、暗記させた。
この段階で掛け算ができないと、そのあと、算数の学習すべてに影響がおよぶ。

一事が万事。
こういう緊張感が、今、消えてしまった。
ゴムにたとえるなら、伸びて、ゆるんでしまった感じ。
私たちが受けた教育がよいとは思わないが、私たちは中学2年生で、三角関数を学んだ。
サイン、コサイン、タンジェントという、あれである。
それがどんどんと削られ、今に見る教育になった。

この責任は、いったい、だれが負うのか?

教育というのは、そのときはわからない。
結果が出るのは、20年後とか30年後。

つい先日の報道によれば、国民1人あたりのGDPは、とうとう世界13位になってしま
った。
「日本は先進国だ」「金持ちだ」と言っていたのは、当の昔の話。
先進国中でも最下位。

日本の(ゆとり教育)を、いちばん喜んだのは、おそらく隣の韓国ではなかったか。
「これで日本を追い抜ける!」と。

そこで(ゆとり教育)の見直しが始まったが、一度ゆるんだゴムは、もとには戻らない。
ここ10年~15年は、日本の1人あたりのGDPは、さらにさがる。
今から、覚悟しておこう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
ゆとり教育 国の要)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●神棚を整理する

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先日、実家に帰って、神棚を整理してきた。
何しろ、それが3つもある。
大黒様、稲荷様、それに八幡神社の神様。
大きな神棚で、その中に神札などが、祖父母の
時代から、3代分、ぎっしりとつまっていた。

ダンボール箱に詰めかえたら、ちょうど1杯分に
なった。

その道に詳しい人に相談すると、○○神社へもっていけとか、
一度お祓(はら)いをしてもらってから、処分したらいいとか言う。

しかし、どうしたらよいものか。

++++++++++++++++++

●信仰論

神であるにせよ、仏であるにせよ、さらにキリスト教でいう神であるにせよ、
信仰は、(教え)でするもの。
モノや形でするものではない。
モノや形に拝んでも意味はない。
あの釈迦だって、「私に似せて偶像を作るな」(法句経)と教えている。

が、か弱き人間たちは、それでは自分を支えることができない。
そこかしこで偶像を立て、それに向かって信仰する。
その結果のひとつが、大黒様であり、稲荷様ということになる。
仏教でいう仏像も、その類(たぐい)かもしれない。

が、だからといって、私は、それを否定しているわけではない。
人はみな、それぞれ。
それぞれの人が、幸福を求めて、それぞれの道を歩む。
その方法はみなちがう。
心の拠(よ)り所として、それぞれの神や仏を信仰する。
それはそれとして、そっとしておいてやることこそ、大切。
「あなたはまちがっている」とか、「あなたがしていることは、おかしい」などとは、
言ってはならない。
言う必要もない。

●バチ論

私は、ずっと無神論で通してきた。
家には仏壇もなければ、神棚もなかった。
よく墓参りもしたし、初詣もした。
全国の神社や仏閣へ行けば、手を合わせて、拝んだ。
しかしそこまで。

が、今度、私の家に仏壇が入った。
それについては、前にも書いた。
が、冒頭に書いた、神棚までは考えていなかった。
そこで、ハタとどうするか、困ってしまった。
「どうしよう?」「どうしたらいい?」と。
で、その道に詳しい人に相談すると、あれこれと教えてくれた。
中には、「それをしないと、バチが当たりますよ」と言った人もいた。

しかし(バチ)などというものは、ない。
そんなことをいちいち考えている神や仏がいるとしたら、その神や仏は、
エセと考えてよい。
インチキでもよい。
よくカルト教団では、「この教団を抜けると、バチが当たる」と教えるが、
もしそうなら、その教団自体が、魔の巣窟と考えてよい。
勇気を出して遠ざかったらよい。

だいたいバチを与えるほどの、パワーがあるなら、そのパワーは、もっと
別のところに使えばよい。
常識で考えれば、そうなる。

こうしてその箱は、私の居間の隅に置かれた。
1か月、2か月と過ぎた。

●処分

で、私は私のやり方で、処分した。
その日は、午後までワイフは家にいなかった。
クラブとその忘年会で、家をあけた。

帰ってきてからワイフが、私にこう聞いた。
「あの箱は、どうしたの?」と。
私は、それに答えて、「知らない」と言った。
ついでに、「お前にはバチは当たらないから……」と。
ワイフもそれ以上のことは聞かなかった。

のどかな、白い日差しがまぶしい午後のことだった。
私は居間で茶を飲みながら、栗の木から枯れ葉が舞い落ちるのを
ぼんやりとながめていた。

祖父母や両親、それに兄には、それぞれの思いがあったことだろう。
それはわかる。
わかるが、こんなことで心を煩(わずら)わすのは、私の代でやめにしたい。
どこまでいっても、私は私。
息子たちは息子たち。
そんな私をまちがって言うというのなら、それを言う神や仏のほうがまちがっている。
先にも書いたように、そんな私にバチを与えるようなパワーがあるなら、
そのパワーを、たとえば、アフリカや中東で、戦争で苦しんでいる人たちのために
使えばよい。

繰り返すが、信仰はモノに向かってするものではない。
形でもない。
信仰は(教え)に従ってするもの。
(教え)に始まって、(教え)で終わる。
もしその(教え)がないとするなら、それこそその信仰は(イワシの頭)。

……それにしても、日本も日本だが、世界へ行くと、珍奇な宗教が多いのには、
驚かされる。
マレーシアのアモック(悪霊)信仰、マレーシアのラタ信仰、アイヌのイム信仰、
北アメリカ先住民のウェンディゴ信仰、アフリカ、ポリネシアのブードー教などなど。
それぞれの国の人たちもまた、それぞれの信仰をしながら、自分を支えている。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●信仰

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世界にはいろいろな信仰がある。
その多くは、(おかしな現象)が起きると、
それを(何かのたたり)と考え、それを
(信仰)へと結びつけていく……という
プロセスを経て生まれる。

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信仰論(宗教論ではない)を考えていて、興味深いのは、
それぞれの国の信仰は、それぞれの文化や、伝統、さらには
風土的特徴と結びついているとうこと。
とくに風土。

どこの国のどの宗教とは、ここには書けないが、ある国では、
ある季節のある時期になると、女性を中心に、おかしな症状が
現れる。

別人格になってしまい、理性のコントロールがきかなくなってしまう、など。
奇妙な動作で踊りだすこともあり、ときに村全体の女性たちが、集団で
踊りだすこともあるという。

そこでその国では、それを悪霊のたたりとして、独特の
悪霊信仰が生まれた。
そのときの動作が、ある動物のそれと似ていることから、
その国でも、その動物を信仰の中心に置いている。
ついで、その信仰から祭りが生まれ、文化や伝統も生まれている。

が、こうした症状は、精神医学の世界では、「ヒステリー」という
言葉を使って説明される。
集団で起これば、「集団ヒステリー」ということになる。
が、それぞれに原因があることが、最近、科学的につきとめられている。
(日本語でいう「ヒステリー」というときの意味とはちがい、またよく
混同されるので、最近では、精神医学の世界では、あまり使われなくなった。
以前は、同じような症状を、転換症状とか解離症状とか呼んでいた。)

たとえばその国では、冬の間、国全体が氷と雪に閉ざされ、その
国の人たちは、極端なカルシウム不足に陥る。
その結果、とくに出産直後の女性たちが、カルシウム不足による
ヒステリー症状を示すようになる。

この話と似たような現象は、日本のみならず、世界中で起きている。

(おかしな現象)が起きると、それを(何かのしわざ)と考え、それを
(信仰)へと結びつけていく。
言うなれば、(思いこみ)の世界ということになる。

こうした信仰には、当然のことながら、(教え)はない。
つまり私たちがいう、「宗教」とは、一線を画すものである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
宗教 信仰 宗教と信仰 思い込み 迷信 信仰論 ヒステリー 集団ヒステリー)

●ただし「宗教といえども、その99%は、思い込みによるもの」(はやし浩司)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●冬休み

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明日から私も冬休みに入る。
そこで決意。
毎年、ほぼ例外なく、私は冬休みが
終わるころには、運動不足が重なって、
体重がふえる。
そして休み明けに自転車に乗るのだが、
そのとき、体がそれについてこない。
ふだんなら何でもない坂道ですら、
降りて歩く。
そこで今年こそは、その愚を繰り返したくない。

……ということで、明日からではなく、
実は昨日から、運動量をふやした。
今日も、とりあえず、片道、7キロを
歩いた。
仕事の帰りはどうしようかと、今の
ところ迷っているが、たぶん、歩くことに
なるだろう。
(12月26日記)

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●映画「ワールド・オブ・ライズ(噓の世界)」

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デュカプリオ主演の『ワールド・オブ・ライズ(噓の世界)』を見てきた。
原題は、「Body of Lies」。
久々に迫力のあるスパイ映画を見た。
そんな感じの映画だった。
星は4つの★★★★。

ただ題名の翻訳がおかしい。
「ボデイ・オブ・ライズ」のままでよかったのではないか?
「ワールド・オブ・ライズ」というと、何かしら「噓の博覧会」というイメージを
もってしまう。

映画は、謀略に謀略を重ねるアメリカCIAを中心に、ストーリーが展開する。
迫力はそれなりにあるが、あちこちで、「?」と思った。
私の友人にこんな人たちがいた。

1人は、メルボルン大学時代の友人で、大学を中退して、イギリスの諜報専門学校
へ転学していった。
そのまま諜報部員になるということだった。
オーストラリアの友人たちは何とも思っていなかったようだが、私は驚いた。
諜報専門学校?
日本では、そういうコースは、さがしても見つからない。

もう1人は、I国のアメリカ大使館直属の諜報部員をしていた。
同じカレッジにいたが、その友人とは、その10数年後、東京で会ったことがある。
そのときホテルに彼を訪ねると、彼は胸のホルスターに拳銃をもっていた。
それを無造作に、ベッドの上に投げ置いた。
私は驚いたが、彼にしてみれば、何でもない行為だったようだ。

現実にワールド・オブ・ライズのような世界はある。
しかし今、諜報活動といっても、スパイどうしが拳銃をバンバンと撃ちあうようなことは、
しない(?)。
諜報活動そのもののやり方が、変わってきた……と、私は思う。
何しろ、私とはまったく無縁の世界の話である。
だからこれ以上のことはわからない。
ただ映画のはじめに、「これはフィクションだが、実際にあったことに基づいている」
というような説明があったような気がする。

ありえない話ではないが、現実にあんなことがあれば、私ならたった数日で、
PTSD(心的外傷後ストレス症候群)になってしまうだろう。
再起不能の精神病患者になってしまうかもしれない。
やはりあれは、映画の世界の話ということにしておこう。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●暖房器具(Heating System of Fu-ton (Japanese Thick Blenket)

++++++++++++++++++++

最近の家は、密閉性がよいため、部屋暖房
が常識化している。
しかし私の家は、築40年のボロ家。
隙間風が、あちこちから入ってくる。
で、冬になると、暖房方法に苦労する。
とくに寝床になっている、ふとん。

今年の冬は、電気毛布(かけふとん)と、
電気敷き毛布を併用している。
床につく1時間ほど前に電源を入れ、床に入る
ときに電源を切る。
しかしそれでもこのところ、寒いと感ずることがある。
そこで一案!

ふとん乾燥機を購入してきた。
これで一度ふとんを乾燥させる。
床につく30分~1時間前に、電源を入れる。
が、これがたいへん、暖かい。
つまりうまくいった。

が、それだけではない。
数日前、風呂から出たあと、散歩をしてしまった。
「まずい」とは思いつつ、それをしてしまった。
で、そのあと、予感どおり、鼻かぜをひいてしまった。
ゾクゾクとした悪寒もあり、腰のあたりも
痛くなってきた。

こうなるとふつうの暖房方法では、ふとんは
暖まらない。
そこでふとん乾燥機を、毛布と、かけぶとんの間にはさみ、
そのまま寝た。

しかしこれがよかった。

というのも、人間は眠っているときも、肌を通して、
皮膚呼吸をしている。
そのため通気性の悪いふとんだと、そのまま
寝苦しくなってしまう。
寝るときはできるだけ薄着で、ふとんも通気性の
よいものがよい。

この点、ふとん乾燥機はよい。
通気性がよいどころか、通気そのものをしてくれる。
もちろん暖かい。
それに電熱器が発する、あの電磁波特有の
不快感もない。
さわやかで、軽い風がふとんの中に入ってくるような感じ。

そのときは、額に汗がじんわりと出てくるような
熱さだったが、これがよかった。
朝起きると、鼻かぜは治っていた!

そこで提案。

電気毛布、電気敷きぶとんもよいが、この方法、
つまりふとん乾燥機方式で、ふとんを暖める
製品を開発してほしい。
外から暖かい空気を注入しながら、ふとんを
暖めるという方式である。

ふとんの温もりも自然で、寝心地もよい。
もちろん通気性もよく、厚いふとんで感ずるような
寝苦しさもない。

モーターによる騒音もあるが、あの程度の騒音
なら、気にならない。
飛行機のエンジン音、あるいは車のエンジン音
のようで、かえって快眠を誘うのではないか。

(注:ふとん乾燥機をふとんの暖房に使って
いる人も多いかと思うが、しかし熱くなりすぎるので、
注意する。
ふとんの中で汗をかくほどだと、今度は、眠って
いる間に、脱水状態になるかもしれない。
高血圧の人や、血栓性の何かの病気をもっている
人は、注意してほしい。)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

【撤退する外国企業、規制緩和の必要性】

●この現実を、知っているか?

++++++++++++++++++++

日本の証券取引所から、外国企業の撤退が
つづいている。
現在、東京証券取引所の上場している外国企業は、
「16社と、ピークだった1991年(127社)の
8分の1減少した」
(時事通信・08・12・27)。

かつては127社あったのが、現在は、たったの16社。
(2002年には36社。3分の1に減った。
さらにそれから2分の1以下に減ったことになる。)

その理由として第一にあげられるのが、
「日本語による経営情報の開示など企業側の負担が大きく、
コストに見合う上場メリットが見いだせないこと」(同)
ということ。

+++++++++++++++++++

時事通信(12・27)は、つぎのように伝える。

++++++++++以下、時事通信より++++++++++

外国企業の上場廃止も英金融大手バークレイズなど9社に上り、前年(3社)の3倍になっ
た。株式取引の低迷に加え、日本語による経営情報の開示など企業側の負担が大きく、コ
ストに見合う上場メリットが見いだせないことも外資の撤退に拍車を掛けている。東証上
場の外国企業は16社とピークだった1991年(127社)の8分の1に減少した。 
(時事通信・12・27)

++++++++++以上、時事通信より++++++++++

日本から逃げた外資企業は、どこは行ったか?
今さら言うまでもなく、その行き先は、シンガポール。
すでに10年ほど前から、アメリカへ入ってくるアジアの経済ニュースは、
シンガポール経由。
東京ではない。
シンガポール。
東京の経済ニュースすら、シンガポール経由である。
いったい、こうした事実を、日本人はどれほど知っているのか。
深刻にとらえているのか。

言葉の問題だけではない。

シンガポールには、アメリカ本土とそっくりそのまま同じ、アメリカ人向けの
医療機関が整っている。
医療保険も、そのまま使える。

だからアメリカ人ならだれしも、アジアのどこかに拠点を構えるとしたら、
東京ではなく、シンガポールを選ぶ。
逆の立場で、考えてみればわかる。

もしあなたがヨーロッパに、あなたの会社の支店を作ろうと考えたとする。
そのときあなたは、言葉もちがい、医療制度もちがう、A国を選ぶだろうか。
それとも、言葉はそのまま使え、医療制度が同じ、B国を選ぶだろうか。

日本の証券取引所は、投資者保護(?)という名目のため、「経営情報の開示」
も含めて、ほとんどの書類を、日本語に翻訳することを義務づけている。
が、この負担が大きい。
日本における経費の大半が、翻訳にかかるという話を聞いたことがある。

だったら、翻訳を義務づけるのをやめればよいということになるのだが……。

こんなことをしていれば、そのうち日本の証券取引所から、外資系企業は
消えることになる。
(事実、すでに消えかかっているが……。)

日本がアジアの経済の中心地という話は、とうの昔の話。
「国際化」などという言葉は、この日本では、絵に描いた餅(もち)の
ようなもの。
日本のどこを、どのようにとったら、そう言えるのか。

東京へ行くにも、へき地の成田空港で降りなければならない。
どうして羽田空港であっては、いけないのか?

もう一度、私が6年前に書いた原稿を読んでみてほしい。

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●日本から逃げる外資

 今日、1月4日、日本の株価は、戦後最大とも言える、大暴落を経験した。終値で61
6円安。それについて、東証のS社長は、欧米やアジアの主要株式相場に比べて日本株が
出遅れていることに触れ、「(日本株の低迷は東京市場が)投資したい場所としての魅力を
失いつつあることを示唆しているようにも映る」と危機感を募らせたという(日本経済新
聞)。

 この記事を読んで、数年前に書いた原稿を思い出した。つぎのが、それである。日付は、
2002年になっている。

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【みんなで考えよう、日本の教育改革】(Open the door and liberate the market)

More and more foreign enterprises are going out of Japan. In 1990, there used to be 125
enterprises in Tokyo Exchange Market but in 2002 there were only 36 enterprises. The
number of enterprises are decreasing. The reason is very simple. It costs a lot of money
for translation from their languages to Japanese. We should open the door to the world
and liberate the market. Or more and more foreign enterprises will go out of Japan.
Here is my article which I wrote 6 years ago in 2002.

●遅れた教育改革

 2002年1月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの36社。こ
の数はピーク時の約3分の1(90年は125社)。さらに2003年に入って、マクドナ
ルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、
コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用
しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)に
よる情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとす
れば。今どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ
二を争うしまつ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試
験で、日本人の成績は、165か国中、150位・99年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や
理科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レ
ベルの問題で、正解率は59%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそ
うだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、1000
近い分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。し
かし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大には1人もいない。ちなみにアメ
リカだけでも、250人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。

「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たい
へんお粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の
参観日(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まる
でプロレスの授業でした」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立
高校の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを
言った。いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。
すると別の教師が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているの
がいる」と。そこで私が「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「み
んな、自動車の教習本を読んでいる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう15年以上も前のこと。
日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生
はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、
疲弊している! つまり何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を
支えている。

もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも
崩壊する。確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内
閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、26%もいる(2
000年)。98年の調査よりも8%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌク
と生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比では
ない。護送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、20年先、30年先を見越して、「形」
を作らねばならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに
10年以上も前から、小学3年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市に
ある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイツ語、
インドネシア語、日本語の中から、1科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、
コンピュータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さ
らに環境保護の科目もある。

もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科
目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減
しているという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教え
てくれた。「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを
閉鎖した学校もあります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っている
のだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。も
っとはっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方
に任す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかし
い。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、
それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をの
さばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良
な会社人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会
社のために命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から
生まれた。が、これからはそういう時代ではない。

日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのよ
うな教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「ま
だ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英
語教育は、ムダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく
旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、
火星に探査機を送るのはムダ」と。

私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかり
とした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校
では、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。たとえば
ルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、4歳児か
ら子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。

近くのヘンダーソン州立大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教
えてくれた。「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを
育てるのが、教育の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べてい
る。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること」(長野県経営者
協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達し
ていて、子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こ
ういう時代に、「英語を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文
法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者
になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体
系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。

こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはも
っとかわいそうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使
って、いかにして自分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、3人称単
数だの、そんなことばかりにこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いにな
る。ちなみに中学1年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、
一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なも
のなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切
なものなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つ
というのか。

こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生
活を営む上で必要な基礎学力だ」と。もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それが
どう必要なのか」、それを説明してほしい。「なぜ中学1年で一次方程式を学び、3年で
二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか」と、それを説明してほしい。その
説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなけ
ればいけないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーション・「第
3回学習基本調査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がな
い。こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから
英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子ど
もがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人が
いる。早くから教える必要はないという人もいる。

大切なことは、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生が
やる気をなくしてしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから家
庭教育まで押しつけられて、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。

ある教師(小学5年担任、女性)はこう言った。「授業中だけが、体を休める場所です」
と。「子どもの生きるの死ぬのという問題をかかえて、何が教材研究ですか」とはき捨て
た教師もいた。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそ
れができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもあ
りき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。
教師は学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたない
という制度が徹底している。教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えな
い。

だからたとえば親がその教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。す
るとしばらくすると、教師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいの
か悪いのかについては、議論が分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほ
うが多いことも忘れてはいけない。

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 6年前に書いた原稿だが、この6年の間に、日本の教育も大きく変わった。しかし、そ
れでは不十分。

 同じように、日本の経済構造も、旧態依然のまま。東証のS社長の言葉が、それを如実
に表している。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●さわやかに生きるために

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1人、気になる人(男性、55歳)がいる。
去年、離婚したという。
3人の子どもがいたが、子どもたちはみな、
妻とともに、T県の実家に移り住んだという。
その上、昨年、コンピュータの改造事務所を
開いたが、今度の大不況で、あえなく閉鎖。
おまけに、持病の糖尿病が悪化。
「腎臓の透析を受けなければならなくなるかも」
とのこと。
55歳といえば、まだ若い。

電話での、一方的な、かつボソボソとした言い方だったので、
返事のしようがなかった。
が、それからちょうど1か月。
その人のことが、やたらと気になるようになった。

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●気になる

相手のことが気になる……ということには、いろいろな意味がある。
心配して気になることもある。
好奇心で気になることもある。
こういうとき、どちらなのだろうと、ふと迷う。
心配しているのか、それとも好奇心からなのか、と。
迷うが、そこまで。

どうであるにせよ、こういうばあい、そっとしておいてやることこそ、大切。
相手のほうから、相談でもあれば話は別。
こちらから、電話をかけて、聞きだすようなことはしてはいけない。
そんな残酷なことはしてはいけない。
また、そんな残酷なことは、私にはできない。

●そこで私のこと

私も過去において、つらいことがあった。
きびしい時もあった。
そういうときのことを思い出してみると、ほとんどの人たちは、
私たちをそっとしておいてくれた。
それはそれでありがたかった。
が、中には、私たちのことを聞きだそうと、わざと近づいてきた人もいた。
たとえば理由もなく、1000円とか2000円の菓子を送り届けてきたりした。
私が礼の電話を入れるのを見込んで、つまりそれをきっかけに、私の家の内情を
さぐろうとした(?)。

が、そういうことが平気でできる人というのは、相当の悪(ワル)と考えてよい。
人間性そのものが崩壊している。
反対の立場になってみると、それがよくわかる。

●仮に……

先に書いた人の(不幸)について、興味がないと言えば、ウソになる。
奥さんとも、何度か会ったことがある。
子どもの教育のことで、相談にのってやったこともある。
コンピュータの改造事務所を開いたと聞いたとき、私も、何か仕事を
頼もうと考えたこともある。
しかしそれ以上のことを知ったところで、それがどうなのか。
私が金銭的に援助するとか、治療費を負担するというのであれば、
それはそれ。
しかし私には、そのつもりはない。
またこちらから、「援助しようか」と話しかけるのも、失礼。

が、仮に私がこんなことをしたらどうだろうか。
好奇心が増大し、その人が今ごろどうしているか、知りたくなったとする。
そこで私は、まず、1000円かそこらの菓子を送る。
相手は、それに礼を言ってくるはず。
送った理由を聞かれたら、「いろいろ君には世話になったから」とか、何とか言えばよい。
で、相手が話に乗ってきたら、「その後は、どう?」と聞けばよい。

しかしそれができるというのは、先にも書いたように、相当の悪(ワル)と考えてよい。
少なくとも、私にはできない。

●酒の肴(さかな)

が、世の中には、他人の不幸を酒の肴にして、楽しむ人がいる。
さも同情したフリをしながら、ああでもない、こうでもないと、他人の不幸話に
花を咲かせる。
中には、「あいつも、かわいそうだよな」と、沈んだ声で言いながら、その人の
悪口を言いふらしたりする。
このタイプの人は、元来ゴシップ好き。
情報を得るために、用もないのに電話をかけてきたりする。
探りを入れてきたりする。
「林君、昨夜、君の夢を見たよ」とか、何とか言って……。

こういう人に、こちらの内情をうっかり話したりすると、その話は、あっという間に、
みなに伝わってしまう。
「あの林は……」と。

●あなたに告げ口をする人は……

『あなたに告げ口をする人は、あなたのことを、また別のだれかに告げ口する』。
イギリスの格言だが、そういう人のことを、「つげ口屋(タトラー)」という。
英語国の世界では、もっとも軽蔑されるべき人間の1人ということになっている。

そこであなたの周囲を見回してみてほしい。
あなたの周囲にも、1人や2人、かならずそういう人がいるはず。
で、私のばあいだが、私に何か告げ口をしてくる人がいたら、こう思うようにしている。
「ああ、この人は、つぎに私のことを、だれかに告げ口をするぞ」と。
つまり相手にしない。
遠ざかる。

好きか、嫌いかということになれば、私は(告げ口)が、大嫌い。
だから子どもを指導するときも、だれかが告げ口をしてきたら、すかさず、
こう言い返すようにしている。

「ぼくは告げ口が嫌いだ。聞きたくない」と。

●そっとしておく

今の今も、不幸のどん底であえいでいる人は、多い。
しかしその人がその人なりにがんばっているなら、そっとしておいてやることこそ大切。
またそれが思いやりというもの。
いわんやその人の不幸を、酒の肴にしてはいけない。
そんな残酷なことを、してはいけない。

これはたがいの人間関係をさわやかにするための、大鉄則ということになる。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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