Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, December 26, 2008

*Portable Shrine in my House

●冬休み

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明日から私も冬休みに入る。
そこで決意。
毎年、ほぼ例外なく、私は冬休みが
終わるころには、運動不足が重なって、
体重がふえる。
そして休み明けに自転車に乗るのだが、
そのとき、体がそれについてこない。
ふだんなら何でもない坂道ですら、
降りて歩く。
そこで今年こそは、その愚を繰り返したくない。

……ということで、明日からではなく、
実は昨日から、運動量をふやした。
今日も、とりあえず、片道、7キロを
歩いた。
仕事の帰りはどうしようかと、今の
ところ迷っているが、たぶん、歩くことに
なるだろう。
(12月26日記)

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●映画「ワールド・オブ・ライズ(噓の世界)」

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デュカプリオ主演の『ワールド・オブ・ライズ(噓の世界)』を見てきた。
原題は、「Body of Lies」。
久々に迫力のあるスパイ映画を見た。
そんな感じの映画だった。
星は4つの★★★★。

ただ題名の翻訳がおかしい。
「ボデイ・オブ・ライズ」のままでよかったのではないか?
「ワールド・オブ・ライズ」というと、何かしら「噓の博覧会」というイメージを
もってしまう。

映画は、謀略に謀略を重ねるアメリカCIAを中心に、ストーリーが展開する。
迫力はそれなりにあるが、あちこちで、「?」と思った。
私の友人にこんな人たちがいた。

1人は、メルボルン大学時代の友人で、大学を中退して、イギリスの諜報専門学校
へ転学していった。
そのまま諜報部員になるということだった。
オーストラリアの友人たちは何とも思っていなかったようだが、私は驚いた。
諜報専門学校?
日本では、そういうコースは、さがしても見つからない。

もう1人は、I国のアメリカ大使館直属の諜報部員をしていた。
同じカレッジにいたが、その友人とは、その10数年後、東京で会ったことがある。
そのときホテルに彼を訪ねると、彼は胸のホルスターに拳銃をもっていた。
それを無造作に、ベッドの上に投げ置いた。
私は驚いたが、彼にしてみれば、何でもない行為だったようだ。

現実にワールド・オブ・ライズのような世界はある。
しかし今、諜報活動といっても、スパイどうしが拳銃をバンバンと撃ちあうようなことは、
しない(?)。
諜報活動そのもののやり方が、変わってきた……と、私は思う。
何しろ、私とはまったく無縁の世界の話である。
だからこれ以上のことはわからない。
ただ映画のはじめに、「これはフィクションだが、実際にあったことに基づいている」
というような説明があったような気がする。

ありえない話ではないが、現実にあんなことがあれば、私ならたった数日で、
PTSD(心的外傷後ストレス症候群)になってしまうだろう。
再起不能の精神病患者になってしまうかもしれない。
やはりあれは、映画の世界の話ということにしておこう。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司

●神棚を整理する

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先日、実家に帰って、神棚を整理してきた。
何しろ、それが3つもある。
大黒様、稲荷様、それに八幡神社の神様。
大きな神棚で、その中に神札などが、祖父母の
時代から、3代分、ぎっしりとつまっていた。

ダンボール箱に詰めかえたら、ちょうど1杯分に
なった。

その道に詳しい人に相談すると、○○神社へもっていけとか、
一度お祓(はら)いをしてもらってから、処分したらいいとか言う。

しかし、どうしたらよいものか。

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●信仰論

神であるにせよ、仏であるにせよ、さらにキリスト教でいう神であるにせよ、
信仰は、(教え)でするもの。
モノや形でするものではない。
モノや形に拝んでも意味はない。
あの釈迦だって、「私に似せて偶像を作るな」(法句経)と教えている。

が、か弱き人間たちは、それでは自分を支えることができない。
そこかしこで偶像を立て、それに向かって信仰する。
その結果のひとつが、大黒様であり、稲荷様ということになる。
仏教でいう仏像も、その類(たぐい)かもしれない。

が、だからといって、私は、それを否定しているわけではない。
人はみな、それぞれ。
それぞれの人が、幸福を求めて、それぞれの道を歩む。
その方法はみなちがう。
心の拠(よ)り所として、それぞれの神や仏を信仰する。
それはそれとして、そっとしておいてやることこそ、大切。
「あなたはまちがっている」とか、「あなたがしていることは、おかしい」などとは、
言ってはならない。
言う必要もない。

●バチ論

私は、ずっと無神論で通してきた。
家には仏壇もなければ、神棚もなかった。
よく墓参りもしたし、初詣もした。
全国の神社や仏閣へ行けば、手を合わせて、拝んだ。
しかしそこまで。

が、今度、私の家に仏壇が入った。
それについては、前にも書いた。
が、冒頭に書いた、神棚までは考えていなかった。
そこで、ハタとどうするか、困ってしまった。
「どうしよう?」「どうしたらいい?」と。
で、その道に詳しい人に相談すると、あれこれと教えてくれた。
中には、「それをしないと、バチが当たりますよ」と言った人もいた。

しかし(バチ)などというものは、ない。
そんなことをいちいち考えている神や仏がいるとしたら、その神や仏は、
エセと考えてよい。
インチキでもよい。
よくカルト教団では、「この教団を抜けると、バチが当たる」と教えるが、
もしそうなら、その教団自体が、魔の巣窟と考えてよい。
勇気を出して遠ざかったらよい。

だいたいバチを与えるほどの、パワーがあるなら、そのパワーは、もっと
別のところに使えばよい。
常識で考えれば、そうなる。

こうしてその箱は、私の居間の隅に置かれた。
1か月、2か月と過ぎた。

●処分

で、私は私のやり方で、処分した。
その日は、午後までワイフは家にいなかった。
クラブとその忘年会で、家をあけた。

帰ってきてからワイフが、私にこう聞いた。
「あの箱は、どうしたの?」と。
私は、それに答えて、「知らない」と言った。
ついでに、「お前にはバチは当たらないから……」と。
ワイフもそれ以上のことは聞かなかった。

のどかな、白い日差しがまぶしい午後のことだった。
私は居間で茶を飲みながら、栗の木から枯れ葉が舞い落ちるのを
ぼんやりとながめていた。

祖父母や両親、それに兄には、それぞれの思いがあったことだろう。
それはわかる。
わかるが、こんなことで心を煩(わずら)わすのは、私の代でやめにしたい。
どこまでいっても、私は私。
息子たちは息子たち。
そんな私をまちがって言うというのなら、それを言う神や仏のほうがまちがっている。
先にも書いたように、そんな私にバチを与えるようなパワーがあるなら、
そのパワーを、たとえば、アフリカや中東で、戦争で苦しんでいる人たちのために
使えばよい。

繰り返すが、信仰はモノに向かってするものではない。
形でもない。
信仰は(教え)に従ってするもの。
(教え)に始まって、(教え)で終わる。
もしその(教え)がないとするなら、それこそその信仰は(イワシの頭)。

……それにしても、日本も日本だが、世界へ行くと、珍奇な宗教が多いのには、
驚かされる。
マレーシアのアモック(悪霊)信仰、マレーシアのラタ信仰、アイヌのイム信仰、
北アメリカ先住民のウェンディゴ信仰、アフリカ、ポリネシアのブードー教などなど。
それぞれの国の人たちもまた、それぞれの信仰をしながら、自分を支えている。