Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, December 25, 2008

*Too young to die *Na,e-dropping

●36歳!

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数日前、タレントのIAという女性が、
自宅で死んでいるのが見つかったという。
AV女優で売り出した女性である。
享年、36歳。
その年齢を聞いて、あまりの若さに、私は驚いた。
死因は病死か自殺か、今のところ不明。
私は、「IA」という名前を、『クレヨンしんちゃん』
を読んでいたときに知った。
クレヨンしんちゃんは、そのIAのファンだった。
(あるいは父親のヒロシのファンだったかもしれない。)
私はそのとき、『野原家の子育て論』という本を書いて
いた。
「野原」というのは、クレヨンしんちゃんの姓
である。

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こう書くと不謹慎に思われるかもしれないが、(実際、不謹慎だが……)、女性がもっとも
美しく輝くのは、35歳前後ではないだろうか。
このころ、女性は、肉体的にもっとも充実した時期を迎える。
これは私の個人的な好みというよりは、世間の常識的ではないか。
ただしその35歳を過ぎると、女性は1年ごとに急速に、変化する。
急速にというより、急激に、である。
40歳を超えたとたん、おばあさん顔になる(失礼!)。
私は職業を通して、そうした女性の変化を、ずっと目(ま)の当たりに見てきた。

で、そのIAというタレントは、36歳だったという。
ネットニュースには顔写真が紹介されていたが、たしかに見覚えがある。
細い顔の、美しい女性である。
『クレヨンしんちゃん野原家の子育て論』(三一書房)という本を書いていたとき、
その名前が出てきた。
それで、私はその女性に興味をもつようになった。
IAは、父親のヒロシが好きなタレントだったように記憶している。
クレヨンしんちゃんが好きなタレントだったかもしれない。
(調べてまで書くような話ではないので、いいかげんなまま、ごめん!)

で、またまた私は、「自分が36歳のときは何をしていたか」と考えてしまう。
自分の年齢ではそれがわからないが、三男が3歳くらいのときといえば、わかる。
計算してみると、そうなる。
壁にそのころみんなでディズニーランドへ行ったときの写真が張ってある。

私には、遠い遠い昔の、幻のように消えた過去だが、IAというタレントにとっては、
(今が現実)なのだろう。

ワイフの話では、結婚はしていなかったらしい。
また体調を崩していたともある(週刊誌の見出し)。
芸能界からは、昨年の終わりごろ、引退していたという。
いろいろあって、こういうことになったらしい(?)。

しかしこういうことは言える。
36歳といえば、それまでに作りあげた土台の上で、いよいよ自分の花を
咲かせる年齢。
仮に失敗しても、やり直しができる。
そのころの1年は、50代、60代の人の、2年分、あるいは3年分はある。
それに先にも書いたように、女性がもっとも美しく輝く年齢でもある。
けっして死に急ぐような年齢ではない。

私たちが知りえない、(何か)がIAというタレントにあったにちがいない。
その事情は深く、そして複雑。
もし自殺ということであれば、なおさらだ。
私のような部外者が、いくら推理しようとしても、推理しきれるものではない。
だからこの話は、ここまで。

ただ、生きようによっては、人は他人の2倍、生きることができる。
中身を濃くすれば、3倍、4倍と長く、生きることができる。
繰り返すが、決して、死に急いではいけない。
苦しくても、つらくても、たった一度しかない人生。
たった一度しかないなら、じっくりと最後の最後まで見届けてやろうではないか。
そのときが来たら、人はどうせ否応(いやおう)なしに死ぬ。
死ねば、どうせこの世のもろとも、私たちは消える。

36歳という年齢は、人生の結論を出すには、あまりにも若すぎる。


Hiroshi Hayashi++++++++dec 08++++++++++はやし浩司

●ネームドロッピング

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それとなく会話の中に、有名人の名前を
混ぜ、それでもって、「自分は有名人と
親交がある」「……あった」と相手に思わせる
ことを、「ネームドロッピング」というらしい。

私はこの言葉を、今日、はじめて知った。

……と書くと、「何だ、林浩司は、
そんな言葉すら知らなかったのか」と
思われそうだが、事実は事実。

虚偽性人格障害者と呼ばれる人が、この手法を
よく用いるそうである。
そしてそれが犯罪に結びつくと、詐欺師と
いうことになる。

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しかし私には、その反対の経験がある。
名前を出したくても、出せなかった。
出したところで、だれも本気にはしなかっただろう。
今でこそ、「ネームドロッピング」という言葉もあるが、ネームドロッピングそのもの。
だれしもみな、そう思ったことだろう。

私はSH氏に後見人(身元引受人)になってもらい、オーストラリアへ渡った。
1970年の3月のことである。
SH氏というのは、現在の皇后陛下の父君である。
そのSH氏は、そういう関係もあって、留学する前も、そしてそのあとも、電話一本で、
気軽に会ってくれた。
会うといつも、東京商工会議所の横の路地にあるそば屋へ、私を連れていってくれた。
そばのたいへん好きな人だった。

が、そのSH氏の名前をこうして書くようになったのは、私が47歳も過ぎてからのこと。
そのころから猛烈に本を書き始めた。
それまでは、名前を口にするだけでも、畏(おそ)れ多かった。
その状況は、今でも変わらない。

先日も友人と電話で話しているとき、何かの話のついでに、SH氏が話題になった。
そのときもつい、口がすべりそうになった。
しかし言えば言ったで、まさにネームドロッピング。
その友人は、そう思っただろう。
だから言わなかった。

で、詐欺師といっても、いろいろある。
相手を意図的に騙そうとする詐欺師もいれば、その意識もないまま騙そうとする
詐欺師もいる。
前者はまだ救われるが、後者は、人格障害の一つで、虚偽性人格障害とも呼ばれる。
もちろん軽重はある。
軽い人は、「境界性~」という名前がつく。
「パーソナル障害」と呼ぶときもある。

このタイプの人は、頭の中で虚構の世界を作りあげ、虚構が虚構であることさえ、
わからなくなってしまう。
「私の父親は、SH氏」「だから私も皇族」と。
本人自身が本気でそう信じているから、相手も騙されやすい。
(噓をついているという)スキがない。

しかし世の中には、ネームドロッピングの、(ネーム)そのものの人もいる。
そういう人が詐欺を働くときもある。
アメリカで起きた、元Nダック会長による詐欺事件である。
被害額は数兆円にのぼるとされる。
数兆円である。
仮に2兆円として、1万円札が100枚で1センチの高さになるとして計算
してみると、何と、その高さは、20キロメートル!
それもそうだろう。
「元Nダック会長」と言えば、だれだって信用してしまう。
そんな人がまさか詐欺を働くとは、だれも思わない。

話はそれたが、虚偽性人格障害と位置づけられる人は、このネームドロッピングという
手法をよく用いるそうである。
有名人の名前を、会話の中に織り込むのは、ほどほどに!、ということになる。
かえってあなたの人格を疑われることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
ネームドロッピング 虚偽性人格障害 パーソナル障害 ペルソナ人格障害)


Hiroshi Hayashi++++++++dec 08++++++++++はやし浩司

●感覚的未来論

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7年ほど前、息子の結婚式のため、アメリカへ行った。
そのときアメリカ人が、目の玉が飛び出るような
大豪邸に住んでいるのを知って、驚いた。
それこそ、(こういう書き方は失礼ということは
よく知っているが)、そこらの銀行員ですら、
映画『ホームアローン』に出てくるような大豪邸に
住んでいた。

また去年、友人のお嬢さんの結婚式に出席するため、
オーストラリアのメルボルンへ行った。
そこでホテルの料金を聞いて、これまた驚いた。
メルボルン市内のごくふつうのホテルですら、
一泊4万円~5万円。
少し高級なホテルになると、7万円~8万円。

日本人の私にとっては、もうメチャメチャな料金と
言ってもよい。
そう、そのメチャメチャが、今度の大不況で、是正
されつつある(?)。

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日本のバブル経済が最盛期のころのこと。
私は近くのデパートへ、ワイフの誕生日プレゼントを買いに行った。
そこで私は、小さな財布(さいふ)ですら、1つ、4万~5万円もすることを知った。
それを手に取り、「私が1日働いても、こんな財布1つ買えないのか」と、
自分が情けなくなった。

が、そのバブル経済は崩壊した。
当然である。
東京では、小さな、それこそ10坪とか20坪とかいう土地が、1億円、2億円で
取り引きされていた。
メチャメチャというが、それにも程度というものがある。
そんなメチャメチャが、いつまでもつづくはずがない。
ないことは、(現実の自分の生活)を、そこに置いてみると、わかる。
いつかどこかで、何らかの形で、是正される。
その動きは、必ず、生まれる。
これが私がいう「感覚的未来論」である。

その感覚的未来論を使って、今回の大不況を評価してみると、こうなる。
ただしどこか、過激?
そういう見方もあるという程度に、読んでほしい。

(1)自動車産業

今では、ほんの300~500メートル先のショッピングセンターに行くにも、
車に乗っていく人は多い。
その一方で、「太りすぎた」「運動不足だ」「ダイエットだ」と騒ぐ。
基本的な部分で、どこか狂っている。
その狂いが収まるまで、自動車産業は衰退する。
もっともだからといって、車社会を否定しているのではない。
しかしこうした矛盾は、あちこちで感じる。
たとえば車そのものにしても、たった1人や2人の人間を運ぶために、
丸々部屋ごと、いっしょに運んでいるようなもの。
これをエネルギーの無駄づかいと言わずして、何という?

(2)外国為替

対オーストラリア・ドルの為替レートがおかしいことは、ホテル代をみただけでもわかる。
昨年は、1豪州ドルが、110円前後だった。
それが今は、60円前後にまで下がっている。
この為替レートで計算すると、ホテル代は、約半額になったことになる。
1泊2万~2万5000円。
それでも安いとは思わないが、ほぼリーズナブル。
「円高になった」と世間は騒いでいるが、適正になったと考えても、おかしくない。

(3)景気判断

世の中には今、モノがあふれかえっている。
私が住む浜松市にしても、今度周辺の市町村と合併して、政令都市になった。
これはあくまでも一説だが、なぜ周辺都市がすなおに合併に応じたかというと、
ゴミの処分場の問題があったから、という。

が、ゴミの捨て場がないほど、モノがあふれかえるほうが、おかしい。
ゴミの処分場が満杯になるほど、モノがあふれかえるほど、おかしい。
が、一方で、どんどんとモノを製造している。
そのモノが売れなくなったとたん、景気が悪くなったという。
多くの人は失業し、中には生活するための住居もないという。
しかし考えてみれば、これほどおかしな話はない。
つまり、この(おかしさ)が是正されるまで、景気は悪くなる。

(4)世界情勢

1時間働いて、アメリカドルで、70ドル(日本円で7000円、
GM、フォードの会社員)という国もあれば、1か月働いて、たったの2ドル(日本円で200円、北朝鮮・開城で働く労働者の実質的な受け取り額)という国もある。

これは両極端なケースだが、こうした不均衡があるかぎり、世界情勢は不安定のまま
つづく。
それが臨界点に達したとき、あるいはその下でどす黒い欲望が渦巻いたとき、戦争が
起きる。

今回の不況で、金持ちの国というよりは、国に関係なく、金持ちが、総じておおきな
損失をこうむっている。
「戦争を選ぶか、大不況を選ぶか」ということになれば、賢明な人なら、大不況を
選ぶだろう。
(過去の歴史の中では、大不況を打破するために、大国は外国に向けて戦争をしかけて
いった。今回も、それがないとは、だれも言えない。)

(5)食糧問題

食糧問題ほど、需要と供給の関係がはっきりしている問題はない。
限界を超えて、食糧は生産できない。
生産できる食糧以上に、それを消費する人間はふえない。
10億人分の食糧しか生産できないのなら、10億人しか生きられない。
が、現実はかなりいびつである。

世界の3分の1以上が、現在、食糧難に苦しんでいる。
その一方で、ありあまる食糧を、食い散らしている国民もいる。
これも一説だが、日本人がペットに与える食糧をすべてアフリカへ送ったとすると、
それでアフリカの食糧問題は解決すると言われている。

この(おかしさ)がつづくかぎり、世界は安定しない。

(6)宇宙開発

人間はぜったいに、宇宙の住人にはなれない。
人工衛星を飛ばし、地球、あるいは太陽系の一角を、ごく少数の人間が、探検的に
行き来はできるようにはなるかもしれないが、そこまで。

理由は明白。
もし人間が宇宙へ出られるほどの科学技術を手にしたとすると、(現に今がそうだが……)、
同時にさらに大型の破壊兵器を手にすることになる。
人間にとって、(あくまでも人間についてだが)、科学技術の進歩と、破壊技術の
進歩は、比例関係にある。
これだけ科学技術が進歩した今でも、世界中のいたるところで、戦争はつづいている。
そんな人間が宇宙へ出たらどうなるか。
今度は、宇宙で戦争をするようになる。
が、その戦争は、すさまじい破壊力をもった兵器でなされる。
つまりたがいに生き残ることはできない。
だから人間は、宇宙の住人となることは、将来的に、ありえない。

(7)温暖化

温暖化は解決しない。
そのことがわからなければ、目を宇宙にやればよい。
もし知的生物がいるとするなら、この宇宙は、今ごろは宇宙人だらけになっているはず。
何千、何万という、大小さまざま、形もさまざまな宇宙人が、まるで東京の
ラッシュアワーのように宇宙を行き交っているはず。

しかし現実の宇宙は、静か。
静かということは、ほとんどゼロ。

もう少し確率論的に言うと、1000分の1の星が、地球のような惑星をもっていた
とする。
その地球のような惑星のうち、1000分の1が、やや知的な生物をもっていたとする。
……と順に考えていっても、この銀河系だけでも……、おそらく、何万、何十万という
知的生物がいることになる。
そしてその知的生物が、1万年単位で進化し、宇宙へ飛び出したとすると、今ごろは、
「ラッシュアワーのように」になっているはず。

が、現実に、いない。
いないということは、つまり知的生物は、それ自体、自滅プログラムを内包している
ということになる。
よい例が火星である。
だから人類の自滅プログラムは、すでに起動されている。
それが温暖化ということになる。

(注:もし宇宙人がいるとするなら、その宇宙人は、きわめて平和主義的な生物
と考えてよい。
でなければ、この宇宙では、生き残れなかったはず。)

(8)宗教

宗教と信仰は、別。
宗教はそれ自体、哲学であり、学問である。
しかし信仰には、それがない。
だから一般の人は、宗教は、宗教プロに任せ、それを信仰するという形で、宗教の
片鱗(へんりん)に参加している。

しかし信仰には、理屈は必要ない。
そこはまさに、『イワシの頭も信心から』という世界である。
これから先、世界が不安定になればなるほど、宗教と信仰の2極化が進むだろう。
同時に無数のカルトも、勢力を伸ばす。
すでにUFOや、地球温暖化にかこつけたカルトの存在も、確認されている。
信者となって信仰するのは、その人の勝手。
それなりの理由があって、人は、信仰に走るようになる。
しかしこれだけは覚えておいたほうがよい。
けっして、人間ロボットだけには、なってはいけない。
おかしいものは、おかしいと思う心だけは、なくしてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec 08++++++++++はやし浩司