Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, January 29, 2009

*Jan 30th 2009

.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /~~~\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β     
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 1月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●三日酔い闘病記

++++++++++++++++++

息子が、アメリカのNAPAのワインを、
みやげにもってきてくれた。

「あぶないかな?」と思いつつ、それを
フルーツ・ジュースで割って飲んでしまった。

飲みやすかった。
おいしかった。
で、調子にのって、その翌日も、飲んでしまった。
今度は、コップ3分の1ほどを、それを野菜
ジュースで薄めて飲んだ。

が、これが悪夢の始まりだった。
三日酔いの始まりだった。

++++++++++++++++++

翌朝、実はその日、愛知県のほうへ、グルメ観光に行く予定だったが、はげしい頭痛で
目が覚めた。
旅行は、そのままキャンセル。
頭痛だけではない。
症状を列挙してみる。

目が回る。
じっと見ているだけで、目の奥が痛くなる。
動きのあるものを見つめていると、吐き気を催す。
音がだめ。
音楽もだめ。
それがガンガンと頭に響く。

頭を動かすと、同じように吐き気を催す。
脈数を計ってみると、105~110もある。
こめかみを指で触れてみると、そこでドクン、ドクンしているのがわかる。

食欲はなし。
インターネットで調べてみると、「水分補給がいい」とあった。
しかし胃そのものが、水分を受けつけない。
アレルギー反応を示している。
少しお茶を口にしてみたが、そのままゲーッ!

加えて、下痢、また下痢。
昨日だけでも、10回近く、トイレへ走った。
腸全体も、アレルギー反応を示している。
(これは素人判断だが……。)

昼過ぎになって、息子が二日酔いの薬を買ってきてくれた。
「2000円のワインを飲んで、薬代が2000円では、
赤字だね」と、おかしなことを言いながら、薬をのむ。
胃の不快感は、しばらくすると、軽くなった。
そこではじめて、ぬるいお湯に、蜂蜜を溶かして飲む。

が、食欲は、ゼロ。

起きていても目が回る。
しかたないので、そのままふとんの中へ。
こうして私は、約24時間も、つづけて眠ることに……。
ときどき体を起こしたが、24時間というのは、すごい。

そして三日目の今朝、やっとパソコンに電源を入れた。
頭を動かすと目が回るので、頭は椅子に固定したまま。
今朝になって、お茶を2杯飲むことができた。
が、飲んだとたん、またあの頭痛。
摂取した水分で、血管が拡張したためらしい。
それが神経を圧迫した。
片頭痛のときの頭痛に似ている(?)。

が、何よりもつらかったのは、厭世気分。
「二日酔いになると、厭世気分が増大する」という。
「生きていることそのものが、いやになる」……というのは、少し大袈裟だが、
しかしそれに近い。
犬のハナを見ても、いつものような愛情を感じない。
そこにいるのは、ただの動物。
あれこれグチを言うと、ワイフがこう言った。
「二日酔いを私のせいにしないでよ」と。

いつだったか、友人のT氏がこう言ったのを思いだした。
「酒で、憂(う)さが晴れるというのは、ウソだよ。
そのときは、酒で自分を忘れることができても、そのあと、何倍も、落ち込むよ」よ。

二日酔いと厭世気分。
悶々とした不快感。
暗く沈んだ夕方の景色を見ただけで、気分が落ち込む。
しかたないので、また床に横になる。
あとはこの繰り返し。

そして今。
こうしてキーボードを叩いているだけで、頭が痛くなる。
先ほど飲んだお茶が、胃の中でガボガボしている。
風邪をひいているわけでもないのに、背中がゾクゾクする。

だから称して、三日酔い。
酒と縁を切って、もう14年になる。
その私が、またまた失敗を繰り返してしまった。

だからこう誓う。
もう2度と、酒は飲まないぞ!、と。

12月31日。
大みそか。
何たるザマ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
二日酔い 三日酔い)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●三日酔いから学んだこと

++++++++++++++++++

二日酔いの症状のひとつに、「厭世的気分」
(ウィキペディア百科事典)というのが
ある。

「厭世」というのは、「世の中をいやなものと
思うこと」(広辞苑)とある。

++++++++++++++++++

●飲めないワイン

43、44歳のころ、私は村の祭りに呼ばれ、そこでビールを飲んでしまった。
断りきれなかった。
まるで砂を飲むかのような感触だった。
コップにすれば、3分の1も飲まなかった。
が、それがあの悪夢のような三日酔いの始まりだった。

で、以来、アルコールとは縁を切った。
宴会の席などでも、「飲めません」と最初に断るようにした。

が、まったく飲まないわけではない。
ときどき、ワイフから分けてもらい、大さじにいっぱいほどをなめることはある。
しかしその程度。

が、先日、息子がアメリカから帰ってきた。
みやげにNAPAのワインをもってきた。
私は、フルーツ・ジュースで、それを薄めて飲んだ。
「あぶないかな?」とは思ったが、おいしかった。

で、翌日は、さらに量をふやし、コップ3分の1ほどのワインを、野菜ジュースで
割って飲んだ。
これもまたおいしかった。
しかしこれが三日酔い、実際には、四日酔いの始まりだった。

●下痢

厭世的気分は、その翌日、つまり12月30日から始まった。
(ワインを飲み始めたのが、12月28日。)

今回は頭痛はそれほどひどくはなかったが、吐き気と腹部の膨満感、それに下痢。
とくに下痢がひどかった。

しかもその下痢の色が、(赤)→(緑)→(白)→(黄色)と変化していくのには、
驚いた。
「まるで道路の信号みたい」と私は笑ったが、それには理由がある。

赤い便が出たのは、ワイン、もしくは、二日酔い用の飲み薬が赤かったため。
緑色の便が出たのは、緑色の胃腸薬を飲んだため。
つづいて白い便が出たのは、もう腹の中には何もなくなってしまったためではないか。
いや、少し牛乳を飲んだ。
それがそのまま出てきた(?)。
で、少しずつ体が回復して、黄色い便が出るようになった。

●厭世的気分

「厭世」というのは、「世の中をいやなものと思うこと」(広辞苑)とある。
たしかにそうで、それは二日酔いの最中から始まった。
最初に、「アレッ?」と思ったのは、犬のハナに対しての接し方が変わったこと。
庭へ出ると、いつものようにハナが私の足元にじゃれてきた。
が、そのハナに対して、「かわいい」とか、そういう感情がわいてこなかった。
ただの(犬)。
そんな感じだった。

つづいてワイフや息子たちにも、それが広がっていった。
居間でいっしょにいるときも、「そこに人がいるだけ」という感じになった。
あれこれと気になることはあったが、「どうでもいい」という気分ばかりが先に立った。

投げやり?
無責任?
無関心?
自暴自棄?

12月30日は、そういうわけで、ほぼ24時間、床の中にいた。
が、横になってばかりは、いられない。
夜中に起きて、書斎に入った。
で、そのとき、厭世的気分がどういうものであるか、それを知った。
ふと、死んでしまおうかとさえ思った。

息子たちはもちろんのこと、ワイフにしても、私の苦しみなど、どこ吹く風。
そんな雰囲気で、そのときそれぞれの部屋で眠っていた。
おまけに腹の膨満感がひどく、掛け布団が、ひどく重く感じられた。
そこでワイフに「布団が重い」とこぼすと、ワイフは、「二日酔いを
私のせいにしないでよ」と怒った。

それでますます私は、落ち込んでしまった。

●気分は作られるもの

で、今日は1月2日。
やっと食欲も戻ってきた。
(そうそう、体重は、64キロ台から、62キロ台へと、激減!)

今も少し、厭世的気分は残っている。
こうして文章を打ちながらも、だれとも顔を合わせたくないと思っている。
ワイフにも、息子たちとも顔を合わせたくない。
ただひとり、ぼんやりとしていたい。

言うなれば、うつ状態の気分に似ている。
ただうつ状態のときとちがうのは、ものごとを悪い方へ、悪い方へとは考えないこと。
うつ状態になると、ひとつのことが頭の中に張りつき、それについて悶々と悩むように
なる。
しかし二日酔いには、それはない。
一方的な落ち込み。
一方的な厭世気分。

そこで私は発見した。
「気分というのは、作られるもの」と。

●脳のCPU

脳のCPU(中央演算装置)がいかれるから、自分で自分をおかしい(?)と自覚
するのは、むずかしい。
たとえばサングラスにしても、それをしばらくかけたままにしておくと、赤色はそれ
なりに赤色に見え、青色はそれなりに青色に見えるようになってくる。
さらに長くかけていると、サングラスをかけていることそのものを忘れてしまう。

それに似たような現象が起きてくる。

一度厭世的気分に襲われると、そうである(私)が正しいと思い込んでしまう。
世の中はいやなものという前提で、ものごとを考え始めてしまう。
そしてそれまでの自分を、否定するようになる。
「今まで楽しかったのは、みんな、自分がそう思い込んでいただけだ」と。

心にサングラスがかかっていることすら、忘れてしまう。
つまり私たちがいう(心)というのは、(作られるもの)ということになる。
そしてこのことは、重要な教訓を私たちに教えている。

「心を信じすぎては、だめだ」という教訓である。

たとえば……。

「私は死にたい」という感情にしても、本当にその人がそう思っているのではなく、
そう思うように、脳が勝手にその人を仕向けているだけ。
おそらく、脳内の脳間伝達物質が、何らかの作用を起こしているのだろう。
つまりそういった感情が生まれたとしても、それは(私)ではない。
(作られた私)でしかない。

では、どうするか?

●これから買い物

1月2日。
あちこちのショッピングセンターでは、初売りが始まる。
私とワイフは、これから全快祝いをかねて、その初売りに行ってくる。
ほしいものは、昨夜、チラシに丸印を描いておいた。

予算は、XX万円。
手当たり次第に買ってくる。
まったくの無駄買いである。
しかしそういうことをして、パッと気分を晴らす。
たしかに今の私は正常ではない。
だから、そうする。
そうして、脳みそを一度、正常にもどす。

大切なことは、厭世的気分にせよ、うつ状態であるにせよ、さらには自殺願望が
あるにせよ、それは(本来の私)ではないと知ること。
そんな気分になるのは、最期の最期でよい。

……以上、今回の三日酔いで学んだこと。
喪中とはいえ、みなさん、新年明けまして、おめでとうございます。
(少し、不謹慎かな?)

(付記)
今日の収穫。
羽毛布団、ハードディスク(320GB)、SDカード2枚、
圧力なべ、電熱レンジ、5000円の福袋、洗浄装置付きシェーバーほか、数点。
しめてXX万円弱。



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2009年まで、あと1日】

●BLOG

数日前、楽天BLOGへのアクセス数が、(楽天BLOGだけで)、1600件を超えた。
アクセスランキングでも、上位14~5位に入った。
その数字を見ながら、しばらく手の動きを休める。
「どんな人が読んでくれているのだろう?」と。
が、そこにあるのは、数字だけ。
「1600」という数字だけ。

そこで「1600」を、30倍してみる。
1600x30=4万8000件となる。
約5万件ということになる。
「5万件」というと、実感がわいてくる。

本でも、5万部も売れれば、ベストセラーとまではいかなくても、そこそこに
評判の高い本ということになる。
もの書きとしては、それなりの収入が得られる数字ということになる。

HPやBLOGが、私の生きがいとなって、もう7、8年になる。
この間、電子マガジンも、1100号を超えた。
願わくは、2009年も、今のままつづけたい。
HPもBLOGも、そして電子マガジンも!
私の今の生活は、(ものを書くこと)で、回っている。
その努力が、少しずつだが、報われてきたように思う。

読者のみなさん、ありがとうございました。
2009年も、よろしくお願いします。


●2008年を振り返って……

2008年、実兄と母が、相次いで、他界した。
兄については、それなりに覚悟をしていたが、母は、そうではなかった。
まわりの介護士さんたちも、「100歳までは生きられますよ」と言ってくれていた。
つまりそれくらい、元気だった。
体の故障も、なかった。
ホームでも、薬をのんでいなかったのは、母だけだった。

が、2月の終わりに、脳梗塞を起こしてからは、そのまま寝たきりになってしまった。
毎月のように、ホームへ呼び出されるようになった。
そして兄は8月に、つづいて母は10月に、この世を去った。

そのときは、長く感じられた毎日だったが、振り返ってみると、あっという間だった。
母にしても、約2年、この浜松にいたことなるが、その実感は、まったくない。
こと母についていえば、時間は止まったまま。
そしてその時間は、すっぽりと抜けてしまっている。
思い出といっても、断片的なもの。
その断片が、みな、同じ。
何枚も何枚も同じ絵が重なり、1枚の絵になってしまった。

で、時おり、さみしくなることはある。
ふと「兄や母は、何だったのだろう」と思うことはある。
あるいは「つぎは、私」と、心細くなることもある。
が、それ以上に、ほっとした気持ちも否定できない。
この安堵感は、いったい、どうしたものか。

最後に兄を見舞ったときには、兄は、胃に穴をあけ、そこから食物を
摂取していた。
あまりにも痛々しい姿に、驚いた。
声をかけると、細いまぶたの中で、三角の目が、左右に動いた。

母のばあいは、私は、経済的重圧感というよりは、社会的重圧感に苦しんだ。
とくにこの40年間、そうだった。
心理学の世界にも、「家族自我群」という言葉がある。
私はそれに苦しんだ。
が、けっして、母を恨んでいたわけではない。
母は母で、あの時代を懸命に生きた。
あの時代を、そのひとつ前の時代を背負いながら、懸命に生きた。

「家意識」「家父長意識」「権威主義」「親絶対教」などなど。
私は母の心理を解きほぐすことで、それがどういうものであるかを知った。
反面教師というよりは、母は教師そのものだった。

しかしそれも終わった。
長くつづいた重圧感だったが、ともかくも、終わった。
私にとっては、長い長い、40年間だった。
いや、本当は、60年間だったかもしれない。
父が酒を飲んで暴れ始めたのは、私が3、4歳くらいのときだった。
ゆうつつで、暗い毎日だった。
幼児だった私にも、それがよくわかった。
そういう生活の中で、兄が犠牲になった。

もし私が兄だったら、私も兄と同じ運命をたどっていたことだろう。
心の傷は同じ。
どこもちがわない。
だから兄の葬儀のとき、私はうれしかった。
兄が死んだことがうれしかったのではない。
兄が、私の心の傷を持ち去ってくれたようで、うれしかった。
どこかで、「浩司、あの世までもっていってやるよ」と言ってくれたようで、
うれしかった。

そう、母も、そう言っていた。
ある夜、私が横で添い寝をしてやっているとき、ふと、母がこう言った。
私が「何がいややった?」と聞いたときのこと。
母は、「父ちゃんの酒はいややった」と。
母も、同じような傷を受けていた。

ともかくも、それも終わった。
そしてあの時代は、遠い、遠い、暗闇の中に消えた。
裸電球が、どんどんと遠ざかり、そのまま小さな点となって、消えた。
私にとって、「終わった」というのは、そういうことをいう。

2009年からは、私は私の人生を、思う存分、生きてみたい。
「家」や「家族」にとらわれることなく、思う存分、生きてみたい。
が、残り少ないというか、気がついてみたら、もうあと10年、ないかもしれない。
がんばろう!
がんばるしかない!
がんばります!
……ということで、2009年まであと2時間10分。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【12月29日】

●息子が帰ってきた

++++++++++++++++++++

夜遅く、三男が東京から帰ってきた。
夕食後、2時間ほど、あれこれ話す。

「エアバスと、767はどう見分けるか」とか、
「GEのエンジンと、ロールスロイスのエンジンはどうちがうか」とか、
さらに「ブラジルの航空機メーカーは、どうしてすぐれているか」とか、など。

B-777は、2基のエンジンをつけているが、1基だけで、1万1000ポンド
もの推力があるそうだ。
(そう言われても、ピンとこないが……。)
だから1基だけで、じゅうぶん離陸とのこと。

「1基が故障しても、楽に片肺飛行できるということだね」と念を押すと、
「そのため垂直尾翼が大きくなる」と。

今度の787の納期引渡しが遅れているのも、そのあたりに本当の理由があるらしい。
エンジンを担当したGE社が、予定より大型のエンジンを製作してしまった。
(エンジンを大型にする)→(垂直尾翼大きくする)→(重量が変化する)→
(設計の全面見直し)と。

言い忘れたが、片肺飛行のとき、垂直尾翼が小さいと、飛行機をコントロール
することができなくなる。
エンジンの推力と垂直尾翼の大きさは、比例する。

ほかにもこんな話を聞いた。

コックピットでは、3系統の電源が用意されているそうだ。
どれかひとつでも故障すれば、自動的につぎつぎと電源が作動する。
が、その3系統とも故障したら……?

そのときは、B-777の場合は、コックピット下の窓が開き、
風力で発電機を回して電力起こすそうだ。
なお水平儀など、飛行に絶対必要な機器については、7段階まで、予備が
用意されているそうだ。

「コンピュータにOSが7つ、ついているようなものだね」と私が言うと、
「まあ、そんなとこ」と息子は言った。

飛行機の話は、いつ聞いても楽しい。
J社のカレンダーを、みやげにもってきてくれた。

++++++++++++++++++++

●40%が債務不履行状態

現在、韓国の企業の約40%が、債務不履行状態にあるという(東亜N報・
12・29)。
そのパーセンテイジは、日増しに大きくなっている(同)。
先の97年危機のときは、50数%だったというから、かなり危険な状況に
近づきつつある。

が、その一方で、韓国は、今度は「対馬(つしま)は韓国の領土だ。
文献もそろっている」と言い出した。
竹島(独島)どころではない。
対馬、だぞ!

今はまだよい。
もし日韓の経済関係が逆転するようなことにでもなれば、「九州まで……」とまでは
言わないにしても、きわめて強硬な姿勢で、日本に臨んでくるはず。
そのことは、先のN前大統領時代を思い出してみればわかるはず。
そんな韓国を、どうして日本が救済しなければならないのか。

小泉総理は、日韓間で、100億ドルのスワップ協定を結んだ。
それを今度のAS総理は、300億ドルにふやし、さらに倍増しようとしている。
「スワップ協定」というのは、資金の融通制度をいう。
どちらか一方が債務不履行に陥ったとき、資金を融通しあう。
借りたときの為替レートで、借りたほうは、あとあとゆっくりと、お金を返せばよい。
それがスワップ協定である。

しかしこれほど不平等な協定はない!

大企業(日本)と、中企業(韓国)が、資金の融通を相互に約束しあうようなもの。
韓国にとっては、大助かりだが、日本にとっては、ほとんど役にたたない。
経済規模そのものがちがう。
仮に500億ドルもあれば、それで韓国は立ち直ることができる。
が、日本にとっては、500億ドルなど、(もし日本がデフォルトを宣言すれば
の話だが)、焼け石に水。

AS総理のことだから、こと韓国に対しては慎重な姿勢を見せるかと思っていたが、
韓国の大統領に会ったとたん、ホイホイとそれを決めてしまった。
「おバカ首相」(週刊B春)と言われるゆえんは、こんなところにもある。
一貫性が、まったくない!


●緊迫するパレスチナ問題

イスラエル軍の空爆で、300人近くのガザ地区の人たちが死んだという。
何度も書くが、この戦争は、ただの領土問題が原因ではない。
宗教がからんだ宗教戦争である。
だからやっかい。
宗教がからむと、人は、命までかけるようになる。

小さな家庭の中でさえ、宗教が理由で離婚騒動をしている夫婦となると、
ゴマンといる。
実際、離婚した人も多い。
たいていはある日突然、妻がどこかの新興宗教団体に身を寄せるところから、
それは始まる。
最初は夫に隠れて、静かに信仰している。
が、そのうち、おおっぴらにやるようになる。
「信仰は個人の自由」などというような、なまやさしいものではない。
妻は、夫の価値観、哲学、人生観すべてを、否定するようになる。
価値のないものとして、退けてしまう。
が、この程度ですめば、まだよいほう。

やがて妻は、とんでもないことを言い出す。
「あなたと私は、前世の因縁では結ばれていなかったのよ」とか、何とか。

妻だけではない。
夫のほうが入信するケースもある。
ある夫は、こう言って、日々に、おびえていた。

「私の妻は悪魔の手先だ。妻といっしょにいるだけで、私はやがて地獄に落ちる」と。

実際、そのような相談を、その夫の妻の側から受けたことがある。

私「本気であなたの夫は、そんなことを信じているのですか」
妻「そうです。本気です。宗教の話になると、体をガタガタ震わせて、おびえます」
私「どうしてあなたにおびえるのですか」
妻「私のことを、悪魔と思い込んでいるからです」
私「どうして?」
妻「私がその宗教に反対しているからです」と。

こう書くと、かなり「?」な夫を想像するかもしれない。
が、妻の話では、国立大学の理科系の学部を出た、ごくふつうのサラリーマンとのこと。
そのときは、どこかの設計事務所で、機械設計をしていた。

パレスチナ問題は、その延長線上にある。
だから、やっかい。
複雑。
アメリカのライス国務長官程度の人が、停戦を呼びかけて、それで停戦できるような
戦争ではない。
(ライス氏にしても、またあのヒル氏にしても、そういうことがまるでわかっていない。)

今はまだロケット弾程度による攻撃ですんでいるが、核兵器が登場するのは、
時間の問題。
イランは今、急ピッチで核兵器の製造をつづけている。
シリアもそうだろう。
ロシアの核兵器が使われる心配もある。
宗教戦争であるだけに、妥協がない。
もしそうなれば、それこそまさにハルマゲドン!

いちばんよい方法は、イスラエルが負けを認めて、あの地から出て行くこと。
2000年前の聖地を理由に、あの地に居座っていること自体、おかしい。
どこかに土地を買って、そこに集団移住するということは、できないものか。
……と言っても、イスラエルも建国してから、もう60年近くになる。
「いつまで戦争をやっているのだろう」と思うと同時に、「この戦争は、まだまだ
つづくだろうな」と思う。

宗教戦争というのは、そういうもの。
「妥協」という言葉は、通用しない。

(イギリスの植民地を、イギリスから買い取る形で、現在のイスラエルは、
あの地にイスラエルという国を建国した。
パレスチナ人を追い出して建国したというところが、まずかった。)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【散歩】

+++++++++++++++++

「運動不足」。
この言葉がこのところ、恐ろしいものに
聞こえるようになった。

運動不足イコール、不健康。
不健康イコール、病気へとつながっていく。

+++++++++++++++++

●冬の山荘

今日は、山荘のまわりを散歩した。
距離は、ぐるりと一周して、4~5キロ。
山坂はあるが、「歩こう会」の基準では、初心者コースということになる。
ゆっくりとあるいて、1時間。
ふだんなら、運動にならない運動である。

が、こうした山の散歩は、冬場しかできない。
少し暖かくなると、ハチやヘビが出る。
今はイノシシの季節だが、イノシシとなら、まだ対峙できる。
まっすぐイノシシに向かって、杖を向ければよい。
あるいは棒で払えばよい。

しかし相手がハチのばあいは、打つ手がない。
ヘビもこわい。
だから山の散歩は、冬場だけ。
もっともこのあたりでは、冬といっても、どこかまだ秋の風情(ふぜい)が
残っている。
枯れた木々の間で、まだ葉も落とさず、冬の陽光を浴びて、黄金色に輝いている
のもある。
それに少し歩くと、背中がほんのりと熱くなってくる。
寒さも、消える。
冬というよりは、晩秋。
ここ浜松では、このまま冬らしい冬もなく、やがてすぐ春になる。

村道から脇道へそれる。
そこからさらに進むと、杉林。
「すごい落ち葉ね」とワイフが、数度、同じセリフを繰り返す。
私は杖でその落ち葉を適当に払いながら、先へ進む。
大木が、根をむきだしにしたまま、一列に横に並んでいる。
その横を、カサカサと、大きな音を立てて、歩く。
深々とした感触。
それを足で左右に払う。
波を切るような爽快感。

山道は、谷の下にあるUさんの庭端のところで、再び、通りに出る。
「下りるのは楽だけど……。帰りがたいへんだね」と私。
杖を持ちなおす。
腹に力を入れなおす。

この4日間で食べたものといえば、おかゆ一杯と、スープ一皿。
それに今日になって、やっと焼いた秋刀魚(さんま)一匹と、ご飯を茶碗に半分。
出てくる(力)もない。
それにしてもひどい二日酔いだった。
三日酔いが、そのまま四日酔いになってしまった。

●悲壮感

とにかく運動をするしかない。
私の年齢になると、楽しむというよりは、そこに悲壮感が漂うようになる。
数日も運動をサボっていると、そのまま体がサビついてしまう。
頭のサエも消えてしまう。
文が書けなくなってしまう。

「あと9年。何とか、9年はがんばる」と私。
しかしこのところ、その自信がなくなってきた。
ときどき「まだ9年もあるのかア」と思ったり、「無理かもしれない」と思ったりする。
とくにここ数日は、今まで経験したことのない厭世気分に包まれた。
二日酔いの症状のひとつという。
ふと「このまま死んでしまったら、楽だろうな」と思う。
やはり厭世気分(?)。

が、それに負けたら、おしまい。
少しぐらい調子が悪くても、そこは気力。
気力で、自分を立てなおす。
ということで、あえて、今日は散歩に出た。

歩きながら、うしろから、ワイフが何度も「あなた、だいじょうぶ?」と
声をかけてくれる。
が、それに答えて、返事のしようがない。
何と答えたら、よいのか。
だいじょうぶなわけがない。

……が、ともかくも、無事散歩は終わった。
山荘へ戻ると、細い息が、ハーハーと喉を鳴らしているのがわかった。
足は宙に浮いたような感じ。
軽いめまいもある。

途中、私とワイフは、自分の畑からいくつかのミカンをもぎとった。
まったく野生のままのミカン。
そのためサルも手を出せない。
固くて、皮もめくれない。
そのミカンを、山荘の横のイスに座って、食べた。

食べながら、「やはり散歩は無理だったかな」と、思った。
弱気な自分が顔を出した。
しかしそれはワイフには、言わなかった。

●一羽の鳶(トンビ)

白い雲の間に、最初に黒い小さな点を見つけたのは、私だった。
ワイフは、長いすに座り、反対側の空に消える飛行機を、目で追いかけていた。
私はそれを飛行機と思った。
が、飛行機にしては、小さすぎる。
それに今は、真冬。
肌を刺すような冷気が、谷底から枯れた草木を揺らしている。
上空は、もっと冷たいはず。

「トンビかなあ?」と言うと、ワイフも、「そうねえ……」と。
しかし確信はもてなかった。
私はぼんやりとその黒い点をながめていた。
高さは、その横のM山とくらべても、600メートル近くはある。
そんな高いところを、鳶が飛ぶだろうか。
ぽっかりと浮かんだ白い雲の下あたりを、ゆっくりと右や左に飛んでいた。

「あんなところから餌をさがしているのかしら?」とワイフ。
「まさか!」と私。
二日酔いの後遺症だと思うが、まだ頭のを振ると、胸の奥がむかつく。

私「トンビも、自分を試しているのかもしれないよ」
ワ「かもめのジョナサンみたいね」
私「トンビは、頭がいいから、そういうことを考えてもおかしくない」
ワ「自分の限界を知りたいのね」と。

と、そんとき、その黒い点が、M山の方向に向かって、急に動き出した。
風に乗ったというよりは、急降下だった。
ものすごいスピードだった。

私「あれじゃあ、時速100キロは出ているよ」
ワ「速いわねえ……」
私「今度は、スピードに挑戦しているみたい」
ワ「あら、やっぱりトンビだった」
私「トンビだな」と。

天空を真一文字に横切ったあと、鳶は、M山の頂上あたりで、ゆっくりと小さな
円を描いたあと、M山の向こう側へ、消えた。

それを見届けたあと、ワイフがこう言った。
「部屋に入って、お茶でものみましょう」と。
私はイスから立ち上がると、ワイフのうしろにつづいた。

●山荘

山荘へ入ると、日本間にあるコタツに電源を入れた。
もってきたミニ・パソコンを開いた。
台所で、ワイフがお茶をわかす音がする。
静かな夕刻。
穏やかな夕刻。

私はたった今見かけた、鳶のことを書く。
しかし集中力がつづかない。
眠い。
体がだるい。
指が重い。
タイプミスがつづく。

「たった4日なのに……」と、私。
そう、たった4日間、パソコンに向かっていなかっただけ。
が、もうこんな状態。
脳みそがサビつくのは、本当に早い。

気がつくと、いつの間にかワイフは、お茶を飲むのをやめ、となりで
スヤスヤと眠っていた。
こたつのふとんを、目一杯自分のほうに引き寄せていた。

何もかもいっしょにやってきた、ワイフ。
すっかりバーさん顔になってしまった、ワイフ。
そう思いながら、横のふとんをもちあげて、ワイフにかけてやる。

……ここまで書いたとき、村のチャイムが5時を知らせた。
「あら、もう5時……」と独り言を言ったあと、大きなあくびを1度したあと、
ワイフは、今度は、本当に居眠りモードに入ってしまった。
こうなると、あと1~2時間は、起きない。

「晃子へ、今日は、散歩につきあってくれて、ありがとう!」。

P.S.

明日は、散歩の距離を、2倍に延ばすぞ!
明後日は、そのまた2倍!
我ら、ヤング・オールド・マンは、絶対に負けない!


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++はやし浩司

●老化の確認

+++++++++++++++++

こんなことは、50代のころにはなかった。
しかし60代になると、だれと会っても、
まず老化の確認から始まる。

「この人は、だいじょうぶかな?」と。

++++++++++++++++

というのも、認知症にしても、ある日突然、
人はそうなるのではない。
徐々に、徐々に、しかも少しずつ、10年単位という
長い時間をかけて、そうなる。

それに認知症といっても、千差万別。
定型はない。
程度の差もある。

たとえば話し方が、妙にかったるくなる人。
反応が鈍くなる人。
繊細な会話ができなくなる人。
ときどきぼんやりする人。

さらにおかしな行動を見せるようになる人もいる。

がんこになったり、わがままになったり……。
家の中に引きこもってしまう人もいる。
見苦しいまでにケチになったり、こまかいことを言う人もいる。
が、本当にこわいのは、そのことではない。

加齢とともに、それまでその人を隠していた仮面がはずれる。
自分を飾ろうという気力そのものが、弱くなる。
とたん、その人の(地)が、表にそのまま出てくる。
モロに出てくる。
そのとき、それなりの人格が備わっている人は、恐れることはない。
しかしそれが備わっている人は、少ない。

「60歳を過ぎたら、円熟の境地に達する」というのは、ウソ。
自分がその年齢に達してみて、それがわかった。
むしろ、この年齢を境に、あさましいほどまでに貪欲になる人がいる。
一片の哲学ももちえず、「世間体」という渦の中で、自分を見失う人もいる。

ウソだと思うなら、電車や観光バスの中で、ゲラゲラ、ギャーギャーと
騒ぎまくる、あのオバチャンたちを見ればよい。
大半の人たちは、みな、ああなる。
油断すると、みな、ああなる。
ああなったあと、それぞれがボケ老人の道へと入っていく。

だからというわけでもないが、久しぶりに会ったりすると、まず、
「この人は、だいじょうぶかな?」と思うところから、会話が始まる。
「どこかおかしいところはないかな?」とも。

だからといって、そういう人たちを、どうこう思うわけではない。
差別するわけではない。
私自身だって、おかしい(?)。
おかしくない人は、いない。
現に、昨日やおとといの私は、「死んでも構わない」と思っていた。
うつ病と診断されても、おかしくない状態だった。

大切なことは、それぞれの(おかしさ)を認めあいながら、接すること。
相手がかったるい話し方をするなら、こちらも、それに合わせて、かったるく
話せばよい。
繊細な会話ができないなら、こちらも、それをしなければよい。
相手に合わせて、おおざっぱな話をして、それですませばよい。

そう言えば、今年の正月、小さな事件が起きた。

親戚のG氏から年賀状が届いた。
私の家が喪中であることは、よく承知のはず。
最初は、「まちがいかな?」と思ったが、しかしG氏は昔から、冠婚葬祭には
うるさい人。
まちがえるはずはない。
で、よくよく思い出してみると、葬儀の席でも、法要の席でも、どこか妙な
行動が気になった。
会話そのものが、間延びしたような感じ。
ア~~ウ~~、と。
反応も鈍かった。
僧侶の読経に合わせて、何かしら踊るようなしぐさをして見せた。
それにもらった香典も、会食1食分にもならないような、小額だった、などなど。

だからいって、G氏があぶない……ということではない。
先にも書いたように、多かれ少なかれ、私たちの年代は、みな、あぶない。
G氏を批判しても、意味はない。
まさに「明日は、わが身」。
4、5年後には、私も、同じようなことをするようになるかもしれない。
非常識なことをしながら、それが非常識とも、わからなくなる(?)。
つまりこうして相手の脳みその中身を確かめながら、つき合う。
そしてその人はその人として、そっと暖かく見守る。

それが私たちの年代ということになる。


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