Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Thursday, February 26, 2009

*Magazine (Feb.27th 2009)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   27日号
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【Mae’s Room(芽衣の部屋)】

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2008年のはじめ、「音楽と私」というコーナーを、
私のウェブサイト(HP)上に、もうけた。

で、今年は、【芽衣の部屋】というのを、もうけた。
この1年をかけて、充実させるつもり。

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私の夢は、一度でよいから、孫を自分の幼児教室で教えてみることだった。
しかしその夢は、前回、はかなく消えた。
孫の誠司が日本へやってきたとき、新しい教材を用意し、それに備えた。
数日前から準備した。
言うなれば、特別教室。
が、その前夜、私と二男が、大喧嘩。
(よくあることです。)
二男は当日、誠司を連れて、名古屋へ行ってしまった。
それで、「消えた」。

もう1人の孫がいる。
現在、満2歳。
しかし今のところ、日本へ来る予定はない。
それで今回、『芽衣の部屋』を、もうけた。
5月の誕生日までに間に合えばよい。
それまでに、完成させる。

『芽衣の部屋』……今までの幼児教室のすべてを、ビデオに撮影し、それを
YOU TUBEを使って、世界に向けて発信する。
子どももいっしょに、楽しめるようにしたい。
当然、いちばん見てほしいのは、芽衣。
しかし期待はしていない。
そのかわり、全世界の子どもたちに、見てほしい。

そうそう三男が、結婚すると言い出した。
その三男に、先日、こう言った。
「一度でいいから、孫をぼくの教室へ連れてこいよ」と。
三男は、すなおにそれに応じてくれた。

「それまで、ぼくは今の仕事をつづけているかな?」と思ったが、それは言わなかった。
それまでがんばるぞオ!!!!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思考回路

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脳みそというのは、反復性のある行動、思考に
ついては、別回路をつくり、つぎに同じような
行動、思考をするようなとき、その回路にしたがって、
行動したり、思考したりする。
そのほうが、便利だからである。

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このことは、幼児に、同じ絵を何回も描かせてみる
とよくわかる。

たとえば帽子が三角、顔が丸、手と足が「十」に
なった(かかし)を描かせてみる。

「  △
   ○
   十  」

最初はたどたどしく、描き方に迷っていた子どもでも、
4~10回も描くうちに、描き順が定まってくる。
思考回路が決まってきたことを意味する。

こうした思考回路は、無数にある。
たとえば目の前にあるお茶のコップにしても、それを手に
取るとき、指をどのように使うか、それをいちいち考えて
取る人はいない。
自然な形で、しかも何も考えないで、コップを取ることが
できる。

それが思考回路である。

この思考回路には、大きく、つぎのふたつに分けて考える
ことができる。

(1)手続きや運動に関する思考回路…運動、動作に関する思考回路。
(2)思考のパターンに関する思考回路…ものの考え方、論理の組み立て方。
「固定常識」(はやし浩司)も、それに含まれる。

ここでいう「固定常識」というのは、常識の中でも、傷口のかさぶたのように、
心の中で、固定してしまった常識をいう。

先日もワイフが私のためにと、赤いパンツを買ってきてくれた。
しかしどうも、はき心地が悪い。
子どものころから、「赤は女の色」と、そういう常識を叩き込まれたせいと
考えてよい(?)。
つまり心理学でいえば、私は、そのとき軽い(役割混乱)を起こしたことになる。

役割混乱…「男の子は男の子らしく」「女の子は女の子らしく」と、子どもは
成長の過程で、そうした(役割)を身につけていく。
だれに教えられるというわけではないが、常識(?)として、身につけていく。
しかしこの(役割)が混乱するときがある。
たとえば男の子に赤いスカートをはかせてみるとよい。
ふつう、子どもは、それに抵抗する。
が、それでもはかせてみると、精神状態そのものがたいへん不安定になる。
(実際には、はかないだろうが……。)

今回の赤いパンツがそうである。
つまり思考回路が、混線する。
たとえば自分でパンツを買いにいくときは、意識することもなく、(男らしい色)を、
私は選ぶ。
青とか、茶色とか、など。
それがここでいう「思考のパターンによる思考回路」という。

しかも、だ。
ワイフの買ってきたパンツには、穴がない!
これはどう理解したらよいのか。
男性用のパンツには、穴がある。
そう決めてかかっているのも、実は、「思考のパターンによる思考回路」ということに
なる。

……しかし、こうした思考回路は、そのつど、できるだけ破壊してみたほうがよい。
破壊したとたん、そこに別の世界が広がる。

話は飛躍するが、ときどき映画を見ながら、私は、それを経験する。
たとえば『シクス・センス』『マトリックス』『ミラーズ』など。
これらの映画は、私に強烈な印象を残した。
またそういう映画は、楽しい。
脳みそがひっくり返るような、衝撃を覚える。

言いかえると、思考回路が、そのときひっくり返ったことになる。
先にも書いたように、そこにはいつも、別の世界が広がる。
予想もしなかったような、別の世界である。

…しかし、パンツだけは、やはり男の色がよい。
もしこの垣根を取り払ってしまうと、自分がどうなってしまうか。
それがこわい。
そのうちリカちゃん人形のコスチュームを着て、街を歩くようになるかもしれない。
私なら、そうなりそう(?)。
だからこわい。
(でも、楽しいだろうな?)

(付記)

少し前、二男夫婦が私の家に泊まったときのこと。
二男が、嫁さんの足の爪を、爪切りで切ってやっているのを、見た。
そのときも、私の頭の中の思考回路が、バチバチと火花が飛ぶのを感じた。
この日本では考えられない光景である。
またそういうことをしてやっている夫を見たことがない。
(もちろん私もしてやったことがない。)

そういう点では、二男夫婦を見ていると、よい勉強になる。
彼らは、教えずして、私にいろいろなことを教えてくれる。
で、思考回路が変更され、それ以後、私も、似たような行動を、ワイフに
してやることができるようになった。

「男だから……」とか、「女だから……」とか、『ダカラ論』で、ものごとを
考えてはいけない。

『ダカラ論』そのものが、私がいう「固定常識」ということになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
固定常識 役割形成 役割混乱 常識論 赤いパンツ だから論 ダカラ論 はやし浩司
思考回路 思考パターン)

(追記)

今日も電車の中で、ワイフとこんな会話をした。
もし(あの世)があるとするなら、という前提での話だが、私は、この世こそが、
あの世ではないかと思っている。

つまり本当は、私たちが思っているあの世こそ、リアルな世界で、今、私たちが
生きている(?)、この世が、あの世ではないか、と。
つまり地獄、極楽というのは、(天国、地獄でもよいが)、この世のように、ある、と。

話がわかりにくくなってきたので、こうしよう。

今、私たちが生きている、この世界を、A世界とする。
そして私たちが死んだら行くとされる、あの世(天国)を、B世界とする。

B世界の住人たちは、こんな会話をしている。

X「この世は善人ばかりで、つまらないですなあ。ところで私は、今度、あの世
(A世界)へ、遊びに行ってくることにしましたよ」
Y「どちらの国を選びましたか?」
X「ハハハ、あまり苦労をするのもいやだから、国は、日本という国にしました」
Y「日本ねえ……。そんな国があったのですか」

X「小さな国ですよ。そこでね、私は、思う存分、自由に生きてみたいと思いますよ」
Y「それはいい。あの世(A世界)へ行けば、いろいろと生きる原点のようなものを
体験できるそうですよ」
X「憎しみや悲しみ、喜びや楽しみ……、この世(B世界)には、ないものばかりです」
Y「ところで隣のイエスさん。ご存知ですか? あの方は、向こうでこの世の話をして
きたそうです。今度また、あの世へ行ってみたいと、今、申請を出しているそうですよ」

X「そうですかア。あのイエスさんが、ねえ……。しかしあの世で、この世の話をする
のは、禁止事項ではなかったのですか」
Y「何でも、特別許可をもらったそうです」
X「特別許可ねエ……。私は、もらえそうにもありませんから、ふつうの住民として、
行ってきますよ。まあ、そんなわけで、しばらく、あなたとは連絡を取れませんが、
よろしく」

Y「わかりました。で、何時間ほど、あの世(A世界)へ行ってくるのですか?」
X「一応、申請では、3時間15分ということになっています。向こうの時間では、
76年ということになるそうです」
Y「76年ですかア? みんなあの世へ行ったときは、それを長く感ずるようですが、
帰ってくると、あっという間だったと言いますね。これもおもしろい現象です」
X「そりゃあ、そうですよ。3時間15分ですから……。エート、旅行社がくれた
プログラムによれば、息子が3人できるということになっています」

Y「それはまた、平凡なコースを選びましたねエ」
X「みんなに嫌われて、最期は、どこかの病院でさみしく死ぬという、まあ、そんな
ありきたりのコースですよ」
Y「ハハハ、それもよい経験になりますよ。またあの世(A世界)から帰ってきたら、
みやげ話でもしてください」
X「わかりました。楽しみにしておいてください。で、もうそろそろ行かなくてはいけ
ません。失礼します」
Y「お元気で!」と。

あなたも一度、この世とあの世を、ひっくり返して考えてみては、どうだろうか。
既存の思考回路が、バチバチを音をたてるはず。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●法事

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実は今日は、実家の法事で、郷里の
M市に来ている。
M市では、いつも長良川沿いにある
緑風荘という旅館に泊まることにしている。
今、その緑風荘の一室で、この文章を
書いている。
時は、1月22日木曜日、午前5時。
昨夜、風呂に入ったあと、午後9時ごろ、
床についた。
それで、今朝は、午前3時起き。

++++++++++++++++++

●母の日記

実家を整理しているとき、戸棚から、母の日記が出てきた。
2冊、あった。
日記といっても、「何があった」「だれが来た」とかいう、メモ帳のようなもの。
それを先ほどまで、1時間くらいかけて、読んだ。

それを読んで、いろいろ考えさせられた。
「母も1人の人間として、生きていたのだなあ」という思い。
「老後と懸命に闘っていたのだなあ」という思い。
そういう(思い)が、無数に頭の中で折り重なっては、消えた。

が、それについては、もう少し頭の中を整理してから書いてみたい。
今は、ペンディング……ということにしておきたい。
安易にそれについて書くのは、慎みたい。


●日記

私がこうして書いている文章にしても、日記のようなもの。
しかし私の息子たちは、私の文章を読むようなデリカシー(?)は、もっていない。
「いつか読んでほしい」とは思っているが、期待はしていない。
そういう期待は、とっくの昔に、捨てた。

孫の誠司にしても、芽衣にしても、そうだ。
それともいつか、日本語を読めるようになるのだろうか。
読めるようになっても、まず、私の書いた文章は、読まないだろう……。

それに、こういう仕事をしているせいもあるが、私は、今では、
自分の子どもも、他人の子どもも、区別していない。
そう感ずるようになったのは、40歳も半ばごろではなかったか。
反対に、今、生徒の中には、自分の孫のように感ずる子どもが、何人かいる。
毎週、その子どもに会うのが楽しみ。
みな、男児だが、それは言わない。
私がすべきことは、いつも一歩退いて、その子の成長を見守ること。

で、子どもたち(生徒たち)には、いつもこう言っている。
「ぼくはいろいろなことを書いている。
いつか君たちがおとなになったら、ぼくの書いている文章を読んでね」と。
あとで日付を照合すればよい。
そうすれば、たとえば「ああ、このことは、ぼくのことだ」と、わかるはず。
(ただし名前のアルファベットは、そのつど変えているので、注意。
たとえば、麻生君は、HT君というように。ルールは、ない。)

そういう子どもたちも、ひょっとしたら、何人か出てくるかもしれない。
楽しみというより、どこか、切ない(?)。
こうして私は文章を残し、彼らがそれを読むときは、100%、私はこの世にいない。

……そう言えば、住職が読経してくれているときも、その切なさを、心のどこかで
感じた。
母や兄の死を悼(いた)みながら、生きることにまつわる切なさを感じた。
今は今だが、やがてすぐ、私も、母や兄のように、跡形(あとかた)もなく、消える。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【ザ・ムーン】(In the shadow of the Moon)

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昨夜、仕事の帰りに、深夜劇場へ寄った。
封切りになったばかりの、「ザ・ムーン」を見た。
星は、2~3個の、★★。

ドキュメンタリー映画としての価値は認める。
が、そこまで。
あとは元宇宙飛行士たちの回顧また回顧。
何割かが、おしゃべり。
それぞれに深みのある言葉だったが、娯楽映画
として見るには、もの足りない。
だから星は、2つ。

圧倒されるような地球の風景もなかった。
月の風景もなかった。
ザラザラした古い画像ばかり……。

++++++++++++++++++

●アポロ11号

アポロ7号は、地球軌道を周回。
アポロ8号は、月軌道を周回。
アポロ9号は、地球軌道を周回。
アポロ10号は、月軌道を周回。
アポロ11号で、アメリカは、人間を月に着陸させることに成功した。
……ということになっているが、アポロ11号は、やらせだったという
疑惑がある。
(ついでに、あのガガーリンも着陸時に、死亡しているという説もあり、
こちらのほうは、半ば常識化している。)
当時は、そういう時代だった。

もちろん映画の中では、元宇宙飛行士たちは、それを強く否定している。
「やらせと言っている人もいるが、そんなに多くの人をだませるはずがない」
というようなセリフも、終わりのほうにあった。

事実、アポロ11号については、世界中の天文台が追跡していたし、
持ち帰った岩石には、地球上にはない鉱物も含まれていた。

で、私の関心は、その一点に集中した。
そのあたりを、目を凝らして見た。
アポロ11号は、果たしてやらせだったのか。
それとも本当に、乗組員たちは、月に行ったのか。
しかしフィルムは古く、また目新しい証拠も写真もなかった。
つまり、つまらなかった!

アポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉、
"That's one small step for a man, one giant leap for mankind."
(これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)は、
あまりにも有名である(ウィキペディア百科事典)。

で、このとき『記念すべき第一歩を記したのは左足である。
アポロ11号が着陸した「静かの海」には、鏡100枚で作られた
一辺が約46cmのレーザー反射鏡が設置された。この反射鏡は
地球から発射されたレーザーを反射させて、地球と月の距離を
測定するために利用されている。地球と月の距離は約38万kmであり、
年に3・8cmずつ距離が増えているという』(同)と。

「反射板があるから、それが行ったという証拠だ」と説く人もいる。
しかしここにも書いたように、その後、アポロ計画は、アポロ17号まで
つづく。
反射板を設置するだけなら、月を周回しているとき、それをそこへ落とすことによっても、
可能である。
それをしたのは、アポロ8号か10号、あるいは12号か、14号、15号かもしれない。
私は、こういうことには、たいへん疑り深い。
もし本当に、アポロ11号が月へ行っていたのなら、やらせ疑惑が出るような
スキはなかったはず。

もし事実であれば、調べれば調べるほど、(事実)の深遠へと、吸い込まれていくはず。
が、それがない(?)。

疑惑の根拠となった事実は、いろいろある。

星条旗が、はためいていた。
影が複数本あった。(あるいはなぜか、修正され、消されていた。)
しかも光源の方向がちがっていた。
飛行士が何かを落としたが、それが地球上でのように、速く落ちた。
たまたま写り込んだ岩石の表面に、きれいな「C」の文字が書いてあった、などなど。

映画なのだから、そういう疑惑に、しっかりと答えてほしかった。
つまりわざわざお金を払って見にいってやったのだから、しっかりと答えてほしかった。

むしろ私は映画を見て、新たな疑問をもった。
それは、こんな疑問だ。

月着陸船から2人の宇宙飛行士が、月の軌道を周回する母船に向かって飛び立つ。
このシーンは有名だから、知っている人も多いことと思う。

一方、今度は母船のほうからの映像。
月の表面から、まるで氷の上をすべる石のように、宇宙船が近づいてくる。
なめらかで、寸部の狂いもない。
それがやがてすぐ、母船とドッキングする。

しかし、だ。
今から40年前に、そんな技術があったのだろうか。
それが新たな疑問。
映画の中にも出てきたが、月着陸船にしても、やっと完成した(?)ばかりの乗り物。
フラフラと飛び回って、墜落するシーンもあった。

月の軌道を回る母船(=地球帰還船)が、時速どれくらいの速さだったかは知らないが、
地球の軌道を回っているときは、秒速10キロ前後だったという。
(秒速10キロだぞ!)
それを手動で発射させた月着陸船が、うまく母船をとらえるということ自体、
不可能と考えてよい。

最近になってやっとミサイル迎撃ミサイルが、実践配備されるようになった。
が、地球上ですら、それは難しい。
何十人、(あるいは何百人もの)、要員がいて、高性能のレーダーで追跡してやっと、
可能なのである。
もちろん高性能のコンピュータも必要だが……。

何か、おかしい?
へん?
謎?
それがあのアポロ11号である。

ついでながら、ウィキペディア百科事典に出てきた、2つの数字に
注目してみた。

38万キロを3・8センチで割ると……

38000000000÷3・8=10000000000年
               =100億年

単純に考えれば、分離説(月は地球から分離したという説)に従えば、
毎年3・8センチずつ月は、100億年をかけて、現在の位置にやって
きたことになる。

しかし地球の歴史は、60~70億年。
どこかに矛盾を感ずるが、この話はここまで。

つぎは、『007・慰めの報酬』が楽しみ!
必ず、見るぞ!

(付記)
地球の大気は、卵にたとえるなら、外の硬い殻(から)どころか、その内側の薄い膜の
ようなものである。
計算上、そうなる。
その薄い膜の中に大気があり、その下のほうに、人間を含めて、いろいろな動物が
へばりついている。
だから大気もモノも、そして人間も、全体として、分子が姿を変えただけ。
そういう解釈も成り立つ。
しかしそういう発想は、地球を宇宙からながめたことがある人だけにできる。
だれだったかは忘れたが、(映画館の中では、メモを取ることができないので)、
そのようなことを言った宇宙飛行士がいた。
私はその言葉を聞いたとき、心底、その宇宙飛行士がうらやましかった。
そういう発想は、残念ながら、私には、ない。
劇場から出るとき、「なるほど、そうだろうな」と、何度も自分にそう言って聞かせた。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●歯磨き一考

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歯をみがくとき、ほとんどの人は、チューブに
入った、「練り歯磨き粉」(以下、歯磨き粉)を使う。
古風な言い方に聞こえるかもしれないが、それが
正式の呼び名である。

私も、子どものときから、ずっとそれを使っていた。
欠かさず、使っていた。
しかし、この半年ほど、使うのをやめている。
で、その報告。

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●不要?

歯磨き粉をいつも使っている人は、一度、使わないで、歯を磨いてみるとよい。
しばらく磨いていると、口の中に唾液がたまってくる。
その唾液を吐き出してみる。
そのとき、あなたはギョッとするはず。

歯というのは、驚くほど、食べ物のカスだらけ。
それが汚物のように、(汚物なのだが)、歯にくっついている。
歯を磨くと、そのカスが、ドロドロとはがれてくる。

しかしこのとき、歯磨き粉を使っていると、それがわからない。
わからないまま、歯がきれいになったと思い、それ以上、歯を磨くのをやめてしまう。
つまり汚れが、かえってそのまま残ってしまう。

通っている歯科医のアドバイスもあって、私はこの半年ほど、歯磨き粉の使用を
やめている。
そのかわり、カスが出なくなるまで、歯を磨くようにしている。
時間にすれば、それ以前の2~3倍にもなっただろうか。
つまりそれくらい長く磨かないと、カスは取りきれない。

もし、どうしても……ということであれば、塩でよい。
塩をつけて磨く。
逆に言うと、なぜ私たちは、歯を磨くとき、歯磨き粉を使うのかということになる。
本来必要もないものを、必要であると思い込まされているだけ(?)。
子どものころ、歯磨き粉を使うと、白い歯になるとかなんとか、そんなコマーシャルも
よく耳にした。

中には、歯磨き粉イコール、(歯の石鹸)のように考えている人がいるかもしれない。
私も、そうだった。
あるいは、歯磨き粉の中には、歯をガードする物質、たとえばフッ素などが
含まれているから、有効と考えている人がいるかもしれない。

どうであるにせよ、汚れが残ったまま、歯磨きをやめてしまったら、意味がない。
そういうことも考えながら、一度、歯磨き粉なしで、歯を磨いてみるとよい。

で、半年たった今、私は、こんな結論を出している。
「歯磨き粉は、必要ない」と。

で、それ以上に大切なことは、歯ブラシを複数本、用意すること。
小さくめで、歯先の短いもの。
長くて、歯先が硬いもの。
ふつうのもの。
それにローリング・ブラシ。
そういった歯ブラシを、そのつど取り替えて使う。

いつも同じ歯ブラシを使っていると、その歯ブラシのクセに応じてでしか、
歯を磨けなくなる。
死角ができる。
しかしそのつど歯ブラシを取り替え、歯の磨き方を変えると、いろいろなし方で、
歯を磨くことができる。
死角ができるのを防ぐことができる。
ついでに歯間ブラシも使うとよいそうだ。
これは先の歯科医の先生が、そう言った。

で、ここではもう一歩、話を先に進める。

歯の重要さは、老人を見れば、わかる。
「歯がなくなれば、入れ歯にすればいい」と思っている人がいるかもしれない。
しかしこれは、とんでもない誤解。

老人になると、入れ歯そのものが、作れなくなる。
入れ歯というのは、そのあとの調整が大切。
その調整ができなくなる。
だから実際には、80歳とか85歳以上になると、入れ歯を作るのは、むずかしい
そうだ(あるケアマネの人の言葉)。

さらに高齢になると、入れ歯をはめたまま眠ってしまったりして、それで命を
落とす人もいるという。
ある女性は、入れ歯を口に入れたまま眠ってしまい、それが喉の奥に入り、
窒息して死んでしまったという。
あるいは舌が、入れ歯を巻き込んでしまい、救急車で病院へ運ばれた人もいる。
入れ歯の事故は、多い。

だからやはり、歯は大切にしたほうがよい。
「たとえ数本でも残っていれば、長生きできます」(ある介護士の言葉)とのこと。
その数本が、目標。
……ということで、このところ、歯の磨き方に神経を使っている。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 
歯の磨き方 歯磨き粉 不要論 入れ歯 老人の入れ歯)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●「赤」という漢字

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「赤」という漢字は、もともとは、
人が火にあぶられている様子を示したものだ
そうだ(「本当は怖ろしい漢字」・彩図社)。

「赤」の上半分は、人間。
下半分は、炎(ほのお)を示しているそうだ。

つまり火にあぶられると、皮膚は赤くめくりあがり、
血管が破れて血が噴き出す……。
そこから「赤」という意味が生まれたという(?)。

残念ながら、にわかには信じがたい話である。
というのも、漢字にまつわるこの種の話は、多い。
私もかつて、何度か、子ども向けの漢字字典の編集に
携わったことがある。
が、それぞれの漢字には、いろいろな説があって、
定説がないことを知った。

「フ~~ン」と感心したところで、この話はおしまい。
私も知らなかった。

で、こんなこともある。
私の名前は、「林」。
私は子どものころから、「林」は、「林」と思っていた。
それについて、小4のA君が、「林は、木へんだね」と
言った。

なるほど!
「林」という漢字は、「木へんに、木がくっついたもの」だ。
満61歳になって、はじめて、それに気がついた。

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●「ドンマイ」

数日前、中日新聞のコラムを読んでいたら、こんなことが書いてあった。
「ドンマイ」というのは、「Don’t mind(気にするな)」を短くしたものだ、と。
そこでその編集者は、つづけて、こう書いている。

「英語では、Never mindとは言うが、Don’t mindとは言わない」と。

本当かな?

こういうとき私は、自分の耳の中をさがす。
すると、いつかだれかが言った言葉が、よみがえってくる。
もちろん英語国の人の言った言葉である。

「Don’t mind.」……ちゃんとした英語である。
よく使う。
たぶん、そのコラムを書いた編集者は、外国に住んだ経験がないのだろう。
だからそういうトンチンカンなコラムを平気で書く。

ほかにも、以前、こんなことを書いている人もいた。
英語雑誌の編集を手伝っているときである。

「アメリカでは、I am....とは、言いません。I’m....と言います」と。

私はその原稿を読んで、編集長氏に、「これはおかしい」と言ったが、
取り合ってもらえなかった。
どこかの教授の原稿だったので、遠慮したのだろう。

つまり英語というのは、元来、自由な言葉である。
おととい見た映画、『ザ・ムーン』の中でも、月のことを、
「the Heavenly Body(神聖なボディ)」と呼んでいた宇宙飛行士
がいた。
シェークスピアの時代から、いかに豊かな表現力があるか、それでその人の
英語力が決まる。
知的能力のレベルが決まる。
だから英語で話すときは、思い切って、学校で習ったような表現方法は忘れてしまう
とよい。

たとえば「お会いできてうれしいです」は、「Nice to meet you」だが、
「Nice」の部分を、その場の雰囲気で、いろいろに変えてよい。
またそのほうが、相手に好感をもたれる。

「Great」「Wonderful」「Super」、あるいは品位のある席では、
「It’s my privilage」でもよい。

一方、日本語ほど、「型」にこだわる言葉は、ない。
型にはまった言い方をするのが、正しい言い方と、信じて疑わない人も多い。
言いかえると、日本語という言葉は、表現力においては、貧弱。
つまりこの問題は、「Don’t mind」と言うかいわないか、という問題ではない。
そういった発想そのものが、実に日本的ということになる。

繰り返す。
「Don’t mind」は、立派な英語である。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●1月25日(日曜日)

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気温は、部屋の中で、摂氏1度。
外に出て、水道をひねってみたが、蛇口が凍りついて、水は
出なかった。
朝風呂に入るつもりだったが、やめた。
このあたりも、今は、渇水期。
水不足。
うちが水を使えば、農家の人たちが困る。

+++++++++++++++++++

帰りに、農協祭に寄ってみた。
いつもになく、混雑していた。
店の数も、数倍、ふえていた。

私とワイフは、米はざし(20円)、焼きソバ(300円)、おでん(150円)、
あんまん(100円)、肉まん(100円)、焼きイカ(150円)、
フランクフルト(100円)、トン汁(100円)を食べた。
全部で、ちょうど1000円。
2人で割って、1人、500円。

みやげに、イチゴとたくあん、じねんじょ(長いも)を買った。

こういう祭見るたびに、私はそのまま童心に返る。
ウキウキしてくる。
が、ひとつ不愉快なことがあった。

政治家の、片山さつき氏(実名)が来ていた。
あの女性は、こうした祭があるたびに、顔を出す。
またそれ以外の顔を、私は知らない。
例によって例のごとく、秘書官を数名連れていた。
こういう祭では、スーツ姿の男性は、よく目立つ。
また、それが彼女のねらい(?)。
ダンナを連れてくれば、まだ印象もよい。
しかしどうして秘書官なのか?
祭に?

先日の夏祭のときは、どこかのテレビ局のカメラマンを
連れてきた。
花火大会の夜だったが、まばゆいばかりのスポットライトを、始終つけたまま。
何がねらいか、ヨ~クわかる。
彼女から見れば、私たちは田舎のバカに見えるかもしれないが、
私たちから見れば、彼女がバカに見える。
というより、私たちは、彼女が思っているほど、バカではない。

そうそうもう、ひとつ、気づいたことがある。
ポスターの片山さつき氏は、若くて美しい。
しかし実物の片山さつき氏は、xxxxxxxxxxxxxxx。
私とワイフは、あまりの落差に、思わず、笑ってしまった(ゴメン!)。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●老後

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考えるといっても、そのつど、起爆剤(信管)のようなものが必要。
「きっかけ」と言ってもよい。
「マッチ」でもよい。
それがないと、脳みそに火がつかない。
で、今は、その起爆剤がない。
そんな状態。
窓の外は、まったくの冬景色。
しかも夕方。
コタツの椅子から、ぼんやりとそれを眺めている。
眺めながら、ふと母の書いたメモ帳のことを思い出した。

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●母のメモ帳

亡くなった母のメモ帳に、先ほど、1時間ほど、目を通した。
1日、250~300字程度。
たいていその日の天気で始まり、体の調子、人との交流を記して、それでおしまい。
が、長く読んでいると、不思議なものだ。
ただのメモ帳なのに、老後の不安というか、さみしさが、ひしひしと伝わってくる。
その中から、母の(心)を読み取ることができる。
文というものは、そういうものか。
たとえば、こうある。

「浩司(=私のこと)たちは、今年の正月は、どこかへ旅行に行った。
そのため今年の正月も、J(=兄)と2人だけ。
手の中でB(=手乗り文鳥)が、眠っている。
 昼過ぎになって、Kさん(=近所の友人)が、ちぎり絵のことで寄ってくれた。
 明日の展示会には、ひざが痛いので、出られそうもない……。
みんな、今年も、元気でありますように」(xx年1月1日)と。

母は母で、さみしさと懸命に闘っていた。
さぞかし不安で、心細かったことだろう。
が、それはそのまま私たちの近未来の姿でもある。

母自身もこう書いている。
「みなに、迷惑をかけたくない」
「みなに迷惑をかけている自分が、なさけない」と。

●「どう死ぬか」

老後は、どうがんばったところで、必ずやってくる。
その上、肉体は、不可逆的に衰えていく。
病気や故障が、それに追い討ちをかける。
「家族の温かい愛情に包まれて……」というのが理想の老後かもしれない。
が、包まれていたところで、孤独から逃れることができるというわけではない。

実は、私の中にも、こんな(考え)が芽生え始めている。
まだ小さく、心の闇の中で、息をひそめているが、しかしたしかに芽生え始めている。
「どう生きるか」ではなく、「どう死ぬか」という(考え)である。
今日も、長男に、私の家にある置き物についての説明をした。
「これは見た目には安物に見えるかもしれないが、価値がある物だ。
だからぼくが死んでも大切にするように」と。
これからは、そういう会話が、多くなることと思う。

●老後の旅行

こうした(考え)は、たとえばワイフと旅行をしていても、顔を出す。
美しい景色を見ても、ふと「二度と見ることはないだろうな」とか、「これが最後だろうな」
とか、思う。
先日も、長野県の諏訪湖へ行ってきた。
そのときも、そうだ。

どちらか一方が先に死んだら、この場所を思い出の場所にするのだろうか、と。
つまりワイフが先に死んだら、私は、ワイフとの思い出をたどるために、
ここへ再び来るだろうか、と。

しかしそれはないと思う。
訪れるとしたら、若いときにいっしょに行った場所のほうがよい。
八丈島かもしれない。
香港かもしれない。

さらに同じ旅行でも、若いときにする旅行と、そして今する旅行は、中身がちがう。
楽しむといっても、今は、心を開いて楽しむことができない。
が、悪いことばかりではない。

同じ景色でも、「二度と見ることはないだろうな」と思うだけで、深みがちがう。
若いときは、どこへ行っても、食い散らすようにして、思い出を粗末にした。
むしろそういうときの自分のほうが、愚かに見える。

●息子たちへ

道が明るい未来へとつづく、青春時代。
しかし老後は、その道が、すべて先細り。
さらにその先は、闇に包まれている。

2週間ほど前も、東京の出版社が、ある企画を提示してくれた。
20代、30代のころの私なら、それを小躍りして喜んだことだろう。
しかし、今は、もうない。
そういう喜びが、わいてこない。
「どうぞ、ご勝手に」と。
そんな気分で企画の説明を受けた。

……などなど。
今、母のメモ帳を読みながら、私がしていることもまた、同じような運命を
たどることを知る。
いつかだれか、今、ここに書いていることを読むかもしれない。
私が死んだあとに、だ。
息子たちのうちのだれかかもしれない。
孫たちのだれかかもしれない。

が、だれであるにせよ、私は、こう伝えたい。

私が書いている文章を読んで、「あのパパも、結構、孤独だったんだなあ」とか、
「さみしさと懸命に闘っていたのだなあ」とか、そんなふうには思ってほしくない。
私は私なりに、けっこう、楽しく過ごしている。
見た目には、朗らかで、明るい。
だからこの文章を読んで、自分たちの老後を、暗く、つらいものとは考えてほしくない。
むしろ逆。
私は、すでに、死ぬ準備を始め、死ぬ覚悟を作りつつある。
「死ぬ準備」とか、「死ぬ覚悟」とか書くと、悲壮感がただよう。
が、実際には、そうではない。
あえて言うなら、「満足感」ということになる。
そう、満足感だ。
その満足感が、「死ぬ準備」や「死ぬ覚悟」につながっている。

言い換えると、私は、自分の人生を思う存分、自由に生きた。
今も生きている。
何も思い残すことはない。
あるいは私は、私が生きた以上の人生を、ほかに生きることができただろうか。
私はやるべきことはした。
できることはした。
不完全でボロボロだったかもしれないが、そして息子たちからみれば、いやな
父親だったかもしれないが、それが「私」ということになる。

で、できれば、息子たちも、(孫たちも)、そう生きてほしい。
いつも前向きに!

息子たちよ、孫たちよ、
元気で、暮らせ。
私は母のメモ帳を読みながら、「ああしてやればよかった」「こうしてやればよかった」と
思った。
しかしお前たちは、そんなふうに思う必要はない。
私は、私の母とは、ちがう。
ちがうぞ!
……いらぬ節介かな?


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●行方不明

先日、高校の同窓会の事務局から、通知が届いた。
その中に、10名ほどの名前が記してあり、「現住所などを知っていたら、知らせて
ほしい」とあった。
要するに、「行方不明だから、知っていたら、教えてくれ」と。

うち、数名は、私がよく知っていた人たちであった。
(今は、知らないが……。)

で、おかしなもので、住所のわかっている人よりも、そういう人たちの
ほうが、気になる。
「どこで、どうしているのか」と。
そういう点では、住所には住所としての意味がある。
住所を知っているというだけで、安心感を覚える。

で、本気で調べれば、私にも、わかる。
その人たちがいた会社や、属していた団体を、知っている。
そういう会社や団体を通して聞けば、わかる。
電話連絡だけで、わかる。
しかしどうも、そこまでする気にはなれない。
なぜだろう?

私がそれを知って、同窓会の事務局へ伝えたところで、それがどうだというのか。
それでどうこうなるわけでもない。
ひょっとしたら、その人たちも、あえて知られたくないところにいるのかもしれない。
あるいはそれぞれには、それぞれの深い思いというものが、ある。
そっとしておいてやることのほうが、大切(?)。
それがまた、思いやりというものかも、しれない。

(付記)

その中の1人に、Mさんという女性がいた。
私の郷里でも、かなり裕福な家庭に生まれ育った人である。
当時、自家用車で学校へ来ていた人は、彼女だけだった。
が、その家は、そのあと15、6年で、没落。
彼女の父親が経営していた会社も、倒産した。
その前後に、母親が他界したという話も聞いている。
同窓生の話では、それがショックで、Mさんは、ある
宗教団体に身を寄せることになったという。
狂信的な宗教団体として知られるカルト教団である。
が、そこで行方不明(?)。

私なら……という言い方はおかしいかもしれないが、
私なら、そんなことは気にしない。
仮に実家が倒産しても、それはそれ。
(だからといって、それを気にしてMさんが、同窓会との
連絡を絶ったということではない。誤解のないように。)
どこかの宗教団体に身を寄せたからといっても、それもそれ。
同窓会とは、関係ない。

しかしなぜ、連絡を絶ったのだろう?
連絡を取り合っている友だちはいないのだろうか?
その友だちが、なぜ同窓会の事務局に連絡をしてやらないの
だろうか?

いろいろな思いが、頭の中をかけめぐる。
が、この話は、ここまで。
やはり、そっとしておいてやるのが、いちばん、よい。
同窓会の事務局も、あえて住所を調べる必要もないのでは
ないか。
それが私の今の、率直な気持ちである。
というのも、私自身もいつもワイフや息子たちにこう言って
いる。

「ぼくが死んでも、たとえ兄弟、親類であっても、
知らせるな」と。


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