Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, February 24, 2009

*E-Magazine dated Feb.25th 2009






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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   25日号
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思春期前夜

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今は廃線となった、美濃町線。
かつては岐阜市と美濃市をつないでいた。
その美濃町線の美濃駅は、小さな展示館になっている。
私とワイフは、バスを待つ間、その展示館に入ってみた。
そこにB紙大の看板があって、こう書いてあった。

『チンチン・ビール電車』と。

昔は、美濃町線のことを、このあたりの人たちは、
「チンチン電車」と呼んでいた。
親しみをこめて、そう呼んでいた。
走るとき、そのつど、うしろにいた車掌が、
ひもを引いて、チンチンと小さな鐘を叩いた。
それで「チンチン電車」となった。

しかしどういうわけか、私は、その文句にひかれた。
「チンチン・ビール電車ねエ~」と。
デジカメで、写真にも撮った。
たぶん、電車の中でビールが楽しめるようにしたのだろう。
文字の背景には、ビールのジョッキが、描かれていた。

++++++++++++++++++++++

●「ノ・ビール電車」

一方、私が今住んでいる浜松市のほうでは、「チンチン」というのは、
チンチン。
男性のあれをさす。

で、昨日、その話を子どもたち(小5、6児)にした。
が、子どもたちは私の話を信じなかった。
それでデジカメの写真を見せてやった。
子どもたちは、それを見て、ゲラゲラと笑った。
が、それはそれ。

ここからは、少し話が、回りくどくなる。
少しがまんして読んでほしい。

そのクラスに、ズバ抜けて聡明な女の子がいる。
小学6年生の子どもである。
学校でもトップというが、実力はそれ以上。
容姿も美しく、いわゆる「モデル系」というタイプ。
静かにしていれば、ブンブンと男たちが群がる。
そんなタイプの女の子である。

が、ひとつだけ、欠点がある。
男勝(まさ)りの女の子で、どこからどう見ても、
男の子ぽい。
女の子らしくない。
「おてんば」という言葉に入りきれないほどの、おてんば。
口の利(き)き方も、男。
態度も、男。
雰囲気も、男。
そのくせ自分が男に扱われると、猛烈に反発する。
名前を、SKさんとしておく。

だからいつもほかの男のたちにからかわれる。
去年の終わりにも、ある男の子が、SKさんにこう言った。
「お前なア、もう少し男の子らしくしろよ」と。
これを聞いて、SKさんは、その男の子に飛びかかっていった。

で、昨日も、同じ男の子が、SKさんにこう言った。
「お前なア、もう少し、女の子らしく笑えよ」と。

……ということで、昨日の会話になった。

A男「お前、本当に、女か?」
SK「女の子だよオ~。ほら、ちゃんと、ピンクのセーターを着てるでしょ」
B男「ピンクだからといって、女の子とはかぎらないよ」
SK「ピンクは、女の子の色なの」
A男「ぼくのパンツは、ピンクだよ」

SK「ゲーッ、キモイ(気持ち悪い)。あんたのパンツ、ピンク?」
A男「ピンク色に近い、ピンク」
SK「何、それ?」
私 「そうだ。ぼくも、この前まで、赤いパンツをはいていた」
SK「ゲーッ、もっとキモイ」

B男「お前なア、女の子なんだろ。だったら、もっと女の子らしくしたら?」
SK「どうすればいいのさア?」
B男「笑い方を変えるとかさア……」
SK「どう笑えばいいのヨ~」
B男「ホホホとか、フフフとか、いろいろあるじゃん」

SK「それこそ、キモイ」
C男「お前って、本当に、女かア?」
SK「女の子だってばあ……」
C男「じゃあ、証拠見せろよ」
SK「エッチ、どスケベ、変態! あんたは変態よ」

そのとき、先ほどの「チンチン電車」の話に戻った。

私「チンチン・ビール電車に、『ノ』を入れたら、たいへんなことになる」
男児たち、即座に、ゲラゲラ笑い出す。
「ノ・ビールだってエ、ハハハ」と。
ひっくり返って笑っているのもいた。

それを見て、SKさん、きょとんとするばかり。
SK「どうして、みな笑うの」
A男「ノ・ビールって、おかしくねエのか?」
SK「ゼンゼン……?」
B男「チンチン・ノ・ビール電車って、聞いて、おかしくねエのか?」
SK「どうして、それがおかしいのよオ?」

C男「あのなア、お前って、バカかア?」
SK「バカじゃ、ないわよ」
B男「だからさあ、ハハハ」
私 「あのなア、みんな、笑わないということが、SKさんが女の子という
証拠だ」
男児「そうだ、そうだ。やっぱり、お前は、女だ」

SK「どうして笑わないと、女の子なの?」
みな、さらに腹をかかえて笑い出す。
私 「つづきは、お母さんに聞いてこい」
SK「お母さんなら、わかるの?」
私 「たぶん、ね、ハハハ」と。

A男「でもさあ、先生、どうしてお母さんなら、わかるのよオ?」
私 「それも、お母さんに聞けばいい。ちゃんと話してくれるから」
A男「そうかなあ……」
B男「うちのママだって、笑わないと思うよ」
私 「どうかなア……? ぼくにはわからないが、聞くだけ、聞いてみればいい」

たまたまそこへワイフがやってきた。

簡単に説明すると、ワイフもハハハと笑った。

A男「アッ、先生の奥さんも笑った……!」
SK「奥さん、どうしておかしいの?」
B男「先生の奥さんって、変態かア?」
ワイフ「おかしいわねエ……」
SK「ホント? どこがおかしいの?」と。

思春期前夜の子どもたちというのは、ざっと言えば、こういう状態。
こうして性的興味をふくらませながら、思春期へと突入していく。

私も久しぶりに大声で笑って、気分がすっきりした。
2009年1月23日、金曜日記。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●赤いパンツ

+++++++++++++++++

何を血迷ったのか、ワイフが赤いパンツ
を買ってきた。
赤といっても、濃い、血のような赤。
「これぼくの?」と聞くと、「そうよ」と。

私の世代で、赤いパンツをはくような男はいない。
「赤」は、「女の色」ということに決まっている。

私「フ~~ン」
ワ「何が?」
私「赤いパンツなんて、生まれて始めてだよ」
ワ「あら、そう。似合うわよ」
私「そうかなあ……」と。

たしかに作りは男性用。
腰にあたるゴムの部分が太い。
それにちゃんとあの部分が袋のようになっている。
しかし、だ。
肝心の穴がない。

私「なあ、これって、女性用じゃ、ないのかア?」
ワ「ちゃんと、男性用コーナーで買ってきたわよ」
私「店員さんが、まちがえてそこに置いたのじゃ、ないのか?」
ワ「そんなことないわよ」
私「……?」

しかし習慣というのは、恐ろしい。
小便のとき、思わず指先で、穴をさがしてしまう。
しかしもとから穴はない。
そこでパンツを指でさぐる。
で、そのとき、やっと気がつく。
「ああ、このパンツには、穴がないのだ」と。

で、教室で、こんな話をした。
わんぱくで、やりたい放題、したい放題の子どもが1人、いる。
小学3年生。
男児。
名前を、H君という。
そのH君に、それとなく、こう言ってみた。

私「あのなあ、ぼくのパンツ、赤だよ」
H「フン」
私「フンって、信じないのか?」
H「信ずるわけがない」
私「本当なんだ。本当に赤なんだ」
H「そんなわけないよ、先生。ウソをつくなら、もっとマシなウソをつきな」
私「何なら、見せてあげようか」
H「ハハハ」と。

子どもでも、信じない。

で、家に帰って再び、パンツの話。

私「やっぱり、このパンツは、女性用だよ」
ワ「だったら、このふくらみは、何よ?」
私「たしかに袋のようには、なっている。でもね、中には、あの部分が大きくふくらん
でいる女性もいるかもしれないよ」
ワ「そんな女性はいないわよ」
私「そうかなあ……?」と。

最近のパンツは、男性用でも、穴がないのか?
あるいは外国では、男性でも、穴のないパンツをはくのか。
しかしどうやって、用を足すのだろう。
考えれば考えるほど、わからない。

私「どうやって、おしっこをするんだ?」
ワ「横から出すとか、上から出せばいいんじゃない?」
私「あのなあ、それはたいへんだよ。いちいち亀の頭を引き出すように、
外へ引き出さなければならない。めんどうだよ」
ワ「じゃあ、そこに穴をあけてあげましょうか」
私「どうするの?」

ワ「ハサミで切ればいいじゃない?」
私「それはまずいよ。それにこんなパンツをはいていたら、交通事故にもあえない」
ワ「どうして?」
私「医者や看護士が、ぼくのことを変態と思うかもしれないよ」
ワ「今どき、思わないわよ」と。

ともかくも、赤いパンツは、はき心地が、どうもよくない。
落ち着かない。
自分の中にできた思考回路を変えるのは、容易なことではない。

私たちの世代の男たちは、ぜったいに赤いパンツは、はかない。
それが私たちの世代の常識なのだア!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ネット時代のもの書き】

++++++++++++++++++

今、情報の価値が、かぎりなく下がっている。
若い人たちを中心に、「情報はただ」という風潮が、
ますます強くなっている。
「お金を出してまで、買う必要はない」と考える人も多い。
また情報を発信する側も、それをよく知っている。
ただで使われることを前提として、発信する。

そのため、(情報の世界)が大きく変わりつつある。
よい例が、新聞であり、雑誌ということになる。
新聞については、ここ10年近く、発行部数は減る一方。
テレビと並んで、広告収入が、年間1000億円前後から、
この2年間だけをみても、10%前後減っている。

雑誌については、2008年度だけでも、「月刊・現代」を
はじめとして、「主婦の友」「読売ウィークリー」
「PLAYBOY・日本版」などが、休刊となった。
全体としてみても、「1995年の約39億部がピークだったが、
その後は長期低落傾向がつづき、07年には、26億部と、3分の
2に減った」(「朝日キーワード・2009→2010」とのこと。

若い人を中心に、「新聞で得る情報は、インターネットで」という
人がふえている。
私の家でも、「そろそろ夕刊をやめようか」という話も出始めている。
理由が、いくつかある。

たとえば朝刊にしても、毎日目を通すページというのが決まっている。
全体で、30ページ近くあるが、その中でも4~5ページのみ。
夕刊にいたっては、1~2ページのみ。
スポーツ欄は、ほとんど読まない。
あとはそのままゴミ箱行き。
無駄といっても、これほど資源の無駄づかいはない。

一方、インターネットからの情報は、速い。
おまけに読みたいときに、選んで読んだり、それに見たりすることができる。
この簡便性は、テレビにもない。

そこで改めて、情報の価値を、いかに利益につなげていくかを
考えてみる。

++++++++++++++++++++++++++

●私のHP(ウェブサイト)

私は多いときには、年間10冊あまりの単行本を出版したことがある。
しかしこの8年間、1冊も出していない。
かわりに、インターネットのほうで、自分の書いた原稿を発表している。
当初は読者数もかぎられていて、新聞や雑誌に原稿を発表することと
比べたら、読者数も少なく、その影響力は、微々たるものだった。
しかし私はインターネットのほうに、それまでになかった魅力を感ずる
ようになった。

それを列挙してみる。

(1) 地域性の打破…「もの書きは中央でないと生きていかれない」という
のが、若いころの常識だった。それだけの機会と人脈の交流が、地方
では得られなかった。今、その垣根がはずれた。
(2)独自性の追求…雑誌や新聞に原稿を書くときは、どうしてもそこに
編集者への(へつらい)が入る。しかしこの世界では、(書きたいこと)
が書ける。これこそまさに「言論の自由」。
(3) 世界の情報が直接手に入る…若いころは、その国の大使館員からでしか
手に入らなかったような情報が、容易に手に入る。多少のタイム・ラグ
(時間差)はあるが、1日を遅れることはない。
(4) 読者数の増加…最近になって、HPやBLOGへのアクセ数が驚異的に
伸びている。08年の2月に、月間10万件。さらに09年に入ってから
は、瞬間的ではあったが、月間30万件を超えるようになった。
(5) 無料で書く喜び…収入のない世界で生きる喜びというのがある。言うなれば
ボランティア活動ということか。損得のない世界でものを書くというのは、
それだけで、そのままストレートに生きがいに結びついてくる。
(6) 一貫性の追求…とくに育児においては、その人の人生観なり哲学が、混入して
くる。育児論は育児論だけではすまない。育児論を「城」とするなら、人生観
や哲学は、その土台ということになる。その土台まで踏み込んだ育児論を展開
することができる。
(7) 大量性の確保…たとえば本の出版では、体裁に合わせて、原稿の量を削ったり、
することが、当然のように行われている。しかしインターネットの世界には、
それがない。毎日書いたままを、同時に、世界に向けて発信できる。
(8) 速報性…書いた原稿を、瞬時に、マスコミの世界に配信できる。ものごとが、
瞬時、瞬時に片づいていく。読者の反応が、リアルタイムで返ってくるのも、
   インターネットならではの、利便性ということになる。

が、何よりもすばらしいのは、(1)出版社が介在しないこと(出版社にあたる関門
がない)、(2)本のような配本会社が介在しないこと(自分でリアルタイムに配信
できる)、という点がある。

紙製の単行本のばあい、原稿を書いてから、出版→配本まで、どんなに早くても
2か月はかかる。
ふつう売り込みから出版まで、3~4か月はみる。
(有名な作家のばあいは、出版社のほうから原稿依頼があるというが、私のばあい、
そういうことは、『東洋医学・経穴編』(学研)をのぞいて、一度もなかった。)
その間、郵送によるやりとりが、数回以上は必要。
出版社へも出向かなくてはならない。
さらにここ30年だけをみても、出版についての条件が、毎年のようにきびしく
なっている。

30年前には、印税も、5%をくだることはなかった。
6~12%前後、出版と同時に支払ってくれる出版社もあった。
それが今では、印税も売れ高払い。
5%以下というのも、珍しくない。
そのため印税の支払いも、売り上げが確定したあとということで、最低でも
3か月、ふつうは6か月待たされる。
あるいは1年待たされるというのも、珍しくない。

●マネーか名誉か

が、最大の問題は、インターネットでは、それを収入につなげるのが、
たいへんむずかしいということ。
広告収入ということもあるが、実際には、私のばあい、月額4000~
5000円程度に過ぎない。
(ほかに方法はあるのだろうが、私は試していない。)
そこで私はつぎの択一に迫られた。

「収入を取るか、それとも生きがいを取るか」と。
「ものを書いて、収入を得るか」、それとも「より多くの人に読んでもらうか」
という選択と考えてもよい。
そういえば、昔、A出版社の社長が、私にこう言った。
「金(マネー)を取るか、名誉を取るか、どちらかにしてほしい。
両方というのは、ムシがよすぎる」と。

で、私のばあいは、(生きがい)を取った。
(……と書くと、少しおおげさに聞こえるかもしれない。
実際には、どちらか一方をあきらめることにした。)

それに本を出版していた時代に、あの(めんどうくささ)というか、
限界をよく知っていたこともある。
校正だの訂正だの、いろいろある。
加えて、30年前には、初刷りでも、6000部~1万2000部がふつうだった。
それが今では、3000部。
この部数は、全国の書店にやっと1~2冊並ぶか並ばないかという数である。

「だったらすべて無料で提供しよう」と私は考えた。
頭の中には、毎日のように、書きたいことがつぎつぎと浮かんでくる。
本を出版するときのように、たとえば出版社と連絡を取り合っている暇さえない。
書きたいことがつぎつぎと浮かんでくる。
それをパソコンのキーボードをたたいて、吐き出す。
それこそまさに、「肛門期の快感」(フロイト)ということになる。

たとえば量だけをみると、1か月に、40字x36行を1枚として、500~600
枚は、書いている。
その量は、単行本に換算すると、3~4冊分ということになる。
ふつう単行本のばあい、120~140枚で、1冊の本ができる。
それに私のばあい、ひとつのテーマにしばられるのが苦手。
苦手というより、苦痛。
教育論を書きながらも、宗教論や政治論についても、書いている。
若いころは東洋医学にも興味をもった。
最近は、宇宙に興味をもち始めている。

●著作権

問題は、著作権である。
私は過去においても、そして現在も、だれにも原稿の転載、流用を許可していない。
そういう申し出はよくあるが、すべて明確に断っている。
これは私のスタンス(立場)を明確にするために、重要なこと。
どこかでだれかに例外をつくると、それが元で、原稿が四方八方に散ってしまう。
収拾がつかなくなってしまう。
(だからもし、読者のみなさんが、私の書いていることと同じ内容、同じ文章を
見られたら、それはその人が、無断で使用していると考えてほしい。引用についても、
同じ。)

ともかくも、こうした裏話が、育児論、教育論に併せて、一貫性をもって書けるのも、
インターネットのすばらしさということになる。
読む、読まないの選択は、あくまでも読者のみなさんの手にゆだねるしかない。

この先、当然のことながら、「紙」という資源を使った本や雑誌は、衰退することは
あっても、その地位を再び確保するということは、ありえない。
アメリカでは、一時、インターネットに対して、新聞が奮闘した時代もあった。
ちょうど2000年ごろのことで、そうした問題がアメリカでも起きた。
アメリカの有力新聞社が善戦しているのを見て、「インターネット、恐れるに足りず」と
いう、社説をどこかの新聞で読んだこともある。
しかしそれはあくまでも一時的。
現在は世界的にみても、そのあと、新聞も、発行部数、読者数、広告収入ともに、
激減している。

で、最初の話に戻るが、要するに、広告媒体とインターネットをどう結びつけていくか。
それについても、新聞や雑誌とちがい、広告対象をしぼることによって、無駄な広告料を
節約することができる。
読者が若い男性なら、若い男性向けのコマーシャルを、ねらいうちする形で、配信する
ことができる。

しかしこれらのことは、同時に、これからのライター(=もの書き)の世界を、大きく変
えることを意味する。

(1) 発信する情報の量そのものが、多くなる。(1人のライターが発信する文書の量が
多くなり、管理するのがむずかしくなる。)
(2) 利益を確保する方法、手段が、複雑化する。(本のばあいは、対出版社との交渉
だけで、それ以上のわずらわしさはない。)
(3) 自己責任の幅が大きくなる。本のばあいは、出版社、編集者の目を通ることで、
責任を回避することができる。しかしインターネットのばあいは、ライターの
書いた文章が、直接、読者に届くことになる。インターネットの世界には、「炎上」
という言葉がある。書き方をまちがえると、思わぬトラブルの原因となる。

ともあれ、いろいろ問題が起きているが、私は過渡的な現象ととらえている。
インターネットにしても、10数年前に産声(うぶごえ)をあげ、やっと少年期にたどり
つきつつあるといった状態である。
(あるいはやっとヨチヨチ歩き始めた、乳幼児の段階かもしれない。)
不完全ではあるが、今を見て、将来を判断してはいけない。
これからの可能性を考えるなら、インターネットの世界は、この宇宙を包み込むほどの
広さと大きさがある。
「第二の産業革命」と位置づける人もいる。
それがどんな世界かは、私にもわからない。
が、しかしこれだけは言える。

それがどんな世界であるにせよ、この時代を生きる私たちの思いや考えは、未来永劫に
残るということ。
いくらインターネットが進化しても、それを作るのは、人間だからである。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●いろいろな顔

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英語のことわざに、『2人の人に、いい顔はできない』というのがある。
このことわざを言いかえると、『人には、いろいろな顔がある』という
意味にもなる。
あるいは『その人の一面だけを見て、その人を判断してはいけない』とも
読める。
こんなことがある。

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●母の顔

母が他界して、3か月になる。
その間、いろいろな人から、悔やみの言葉をもらった。
ありがたかった。
と、同時に、母にもいろいろな顔があったのを知った。
母のことをよく思っている人もいたし、そうでない人もいた。
悪く思っている人は、いなかった。

しかしそのつど、率直に言えば、「?」という印象をもった。
どこの親も、そうなのかもしれない。
他人の集まる(外)で見せる顔と、肉親が集まる(内)で
見せる顔は、ちがう。
母もそうだった。
どちらが本当の顔で、どちらがニセの顔ということを
論じても意味はない。
またどちらでもよい。
外できびしく、家庭で甘い親は、いくらでもいる。
外でやさしく、家庭できびしい親も、いくらでもいる。

さらに他人の中では、高い評価を受けながら、家庭では
きびしい評価を受ける親がいる。
他人の中では、極悪人と呼ばれながらも、家庭では、
やさしいと評価を受ける親もいる。

だからといって、人それぞれ。
それぞれの人が、それぞれの人を認める。
それぞれの顔を認める。
母にしても、そうだ。
「?」と思っても、その人の心に合わせて、「ありがとう
ございます」と、言う。
またそれですます。

昔、よど号ハイジャック事件で、人質となり、
K国に渡った政治家がいた。
YM運輸政務次官である。
そのあと1週間ほど、オーストラリアのメルボルン市へ、
休養のため、やってきた。
縁あって、そのとき知りあった。
温厚で、やさしい人だった。
知的で、政治家というよりは、学者風の人だった。

が、そのYM氏は、やがて息子氏に腹を刺されて、死ぬ。
何があったのか。
また家庭の事情がどうであったのか。
私には知る由もない。
また知る必要もない。

その反対のこともある。

昔、浜松市の駅前に、暴力団(?)の事務所ができたことがある。
それに対して、周辺の住民の人たちが、追い出し運動を始めた。
子どもの通学が心配ということで、親たちが集団で送り迎えをするようになった。
そのときのこと。
たまたまその暴力団(?)の親分と言われる人の子どもが、
私の教室へ来ていた。

それについて、その祖母にあたる人が、私の家にやってきて、こう言った。

「先生、うちにも小学生の孫がいます。
そんなことするはずがないじゃ、ないですか」と。

「そんなこと」というのは、住民たちが心配しているような(こと)を言った。

「ピケを張って、人の出入りを止めるというのは、いいです。
しかし集団登下校というのは、あまりにもひどいです」と。
その祖母は、玄関先で、おいおいと泣いた。

言いかえると、根っからの悪人はいない。
同時に、善人と呼ばれている人でも、バランスの問題。
善悪のバランスのしっかりしている人を、善人という。
そうでない人を、そうでないという。
でないというのなら、「私は善人」と、自信をもって言える人は、
いったい、どれだけいるだろうか。
一歩退いて、「私は悪人ではない」と、自信をもって言える人は、
いったい、どれだけいるだろうか。

ただ許せないのは、偽善者たち。
陰でこそこそと、小ずるいことをしながら、表では善人のフリをする。
ふだんはタレント業で巨億の富を手にしながら、一方で、慈善運動家として、
テレビに出てきたりする。
一貫性が、ない。
そういう人は、別。

……ということで、結論。
私やあなたが、その人のことをどう思っても、その印象を、他人に
押しつけてはいけない。
「私はそうではないと思います」とも、言ってはいけない。
まわりの人がどう思っても、人、それぞれ。
人には、いろいろな顔がある。
同じように、それを見る人にも、いろいろな印象がある。
それはそれとして、そっとしておいてやる。
それが結局は、あなたという(私)を守ることになる。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●他責型人間vs自責型人間

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何か失敗したようなとき、すかさず、
だれかに責任を求める人を、他責型人間という。
すかさず自分に責任を求める人を、自責型人間という。

子どもでも、年中児(4~5歳児)でも、それがわかる。
子どもがお茶をこぼしたとする。
それを母親が、注意したとする。
そのとき、他責型人間(子ども)は、すかさず、
こう言う。
「ママが、こんなところにお茶を置いておくから悪い」と。
いつも責任を他人に転嫁する。

一方自責型人間(子ども)は、すかさず、「ごめん」と言う。
「いつも責任は、自分にある」と考える。

一般論として、(あくまでも一般論だが)、他責型人間は、
悶々とした欲求不満を、持続的にかかえていることが多い。
「自分は正しい」という過剰な思い込みが、他責の
原因になることもある。
しっかりした人という評価を受けやすい。

一方、自責型人間は、その分だけ、うつ病になりやすいと言われている。
自信喪失が根底にあり、人格の「核」形成も、遅れがちになる。
どこかヘラヘラした感じになりやすい。

表面的な様子からだけでは、判断できない。
快活で積極的だから、他責型人間ということにはならない。
静かで落ち着いているから、自責型人間ということにもならない。

それを知るためには、心理テストが必要。
こんな例で考えてみよう。

あなたは今、電車の中にいる。
そのとき緊急の、かつ重要な連絡が、携帯電話に入った。
ベルが鳴った。
あなたは携帯電話で話し始めた。
と、そのとき、横にいた人が、あなたに、「電車の中では
携帯電話はいけませんよ」と、軽く注意した。

そのときあなたなら、どうするだろうか。
ムッとして、その人をにらみ返すだろうか。
「今、すぐ終わりますから」とか、「緊急です」とか
言うだろうか。

それとも、すかさず、「ごめんなさい」とか、「すぐ終わります」とか、
謝罪するだろうか。

前者のようであれば、あなたは他責型人間ということになる。
後者のようであれば、あなたは自責型人間ということになる。

他責型人間か、それとも自責型人間か。
いろいろ調べてみると、(あくまでも私が調べた範囲だが)、
その中間型というのは、ない。
しかもこの「型」は、その人の人格の中核部分に居座るため、
たとえば状況に応じて、他責型になったり、自責型になったり
ということもない。
幼児期に他責型になった子どもは、ずっと、それこそ、
死ぬまで他責型人間のまま。
自責型になった子どもは、ずっと、それこそ死ぬまで
自責型人間のまま。
途中で変化するということも、ない。
(「ない」と断言するのも、危険なことだが……。)

さらに興味深いことに、他責型人間からは、自責型人間が理解できない。
自責型人間からは、他責型人間が理解できない。
ともに自分を基準にして、相手をみる。
相手も自分と同じ人間と、思い込む。
したがってたとえば、夫が他責型、妻が自責型というケースのばあい、
(その反対でもよいが)、どちらか一方が、それに気づくまで、夫婦喧嘩が
絶えないということになる。

夫「謝れ!」
妻「どうして謝らなきゃ、ならないのよ!」と。

(いつも夫婦喧嘩をしている人は、一度、ここに書いたようなことを
参考に、自分を見つめなおしてみるとよい。)

が、さらにもう一言。

自責が過剰になると、相手の失敗まで、自分の責任のように感じてしまう。
こんな例がある。

ある学校で、ある子どもが何かの事件を起こした。
それについて、ある教師は、こう言った。
「警察に出向き、謝罪してきました」と。
そこで私が、「そこまでは学校の責任ではないでしょう」と言うと、
その教師はこう言った。

「新聞などで、少年犯罪が報じられるたびに、胸が痛くなります」と。

自責型人間の中には、そこまで自分を責め人もいる。

……となぜ、今、他責型人間と自責型人間について書くか?

実は、今日の午後、たまたまこんなことがあった。
バスに乗っていて、うとうとと眠っていたときのこと。
私のすぐうしろに座っていた女性のところに電話がかかってきた。
かなり豪快な(?)、着信音が鳴った。
とたん、眠気が消えた。

その女性は、「今、バスの中! もうすぐそこへ着くから待ってエ……」
というようなことを言っていた。
そのときのこと。
ちょうどタイミングよく、つぎの停留所名を言ったあと、
「携帯電話は周りのお客様に迷惑になりますから、スイッチをOFFに
するか、マナーモードに……」というアナウンスが、流れた。
私は、すかさず、「その通り!」と声をあげた。
……あげてしまった。

よほど私の言葉が、その女性のカンに触ったらしい。
しばらくしてバスは、目的地に着いた。
「どんな女性だったか」と思って、立ったついでに、うしろの女性を見た。
私をものすごい目つきで、にらんでいた。
顔中が、鬼バンバというような感じだった。
年齢は、18、9歳ではなかったか。

私は、「ああ、この人は、他責型人間だな」と思った。
それでこの原稿を書いた。

……ところで、私は、完全な自責型人間。
いつも他人を責めてばかりいるが、根は、自責型人間。
自分でも、それがよくわかっている。
だから先に書いたことを繰り返す。

人間というのは、見た目で判断してはいけない。
さて、あなた自身は、どうか?

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
自責 他責 自責型人間 他責型人間 はやし浩司 自責vs他責 自分を責める
他人を責める)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●隠れマザコン

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私の知人に、これまた人も羨(うらや)むような、
親孝行の娘をもった人がいる。
その娘を、娘Aとする。
その娘Aは、結婚して嫁いでいるというのに、「お母さん、お母さん」と
言って、毎週のようにやってきては、菓子を届けたり、
旅行のみやげを届けたりしているという。
知人が、今年、85歳になる。
娘Aは、60歳になる。
だから近所の人は、みな、こう言う。

「あの娘さんは、すばらしい人だ。人間の鑑(かがみ)」と。

しかし、ちょっと、待ったア!

++++++++++++++++++

こういう娘Aのばあい、つぎの2つを疑ってみる。

(1) 隠れマザコン
(2) 代理ミュンヒハウゼン症候群

ふつうマザコンというと、男性ばかりが問題になる。
しかし女性にも、マザコン、つまりマザーコンプレックスをもった人はいる。
が、母と娘という女性どうしだから、目立たない。
成人した男性が、彼の母親といっしょに入浴すれば、だれしも、おかしいと思う。
しかし女性のばあいには、だれも、おかしいとは思わない。
だから女性のマザコンを、「隠れマザコン」(はやし浩司)と呼ぶ。

また代理ミュンヒハウゼン症候群というと、ふつう虐待が先に問題になる。
「新しいタイプの虐待」と位置づける人もいる。
たとえば子どもを一方で虐待しながら、他方で、よい母親(父親)を演ずるなど。
しかしあえて虐待をしなくても、もともと虚弱な子どもであれば、その子どもを
利用して、よい母親を演ずることもできる。
他人の同情を買いながら、よい母親を演ずる。
みなに、「よくできた、すばらしい母親」と思わせる。
当然、虐待をともなわない、代理ミュンヒハウゼン症候群というのも、ある。

また対象が子どものばあいだけを、代理ミュンヒハウゼン症候群というのではない。
舞台が病院であるとも、かぎらない。
広義には、対象が、兄弟、姉妹、さらには親であっても構わない。
舞台が、施設であっても、さらに家庭であっても構わない。

ことさら苦労している様子を誇張してみせ、他人の同情を買う。
他人からよい人と思われるようにするため、あれこれと工作する。
このタイプの人は、口もうまい。
ここでいう隠れマザコンと私が呼んでいる人も、同様の行動パターンをとる。

冒頭にあげた女性にしても、かなりの高齢で、このところ歩くのもままならない。
そういう母親を支えながら、その娘Aは、通りをいっしょに歩くこともあるという。
それで近所の人たちは、「人間の鑑」と。

しかしそれこそが、その娘Aの望むところ。
他人にそう思われるように、他人の心を誘導する。
操る。

では、本物の(?)、親孝行とは、どこがちがうか?

その第一。
本物の親孝行は、静か。
目立たない。
他人の目を意識しない。
私のような他人の耳に、そういった話は、届いてこない。

また「毎週のように、菓子やみやげを届けている」という話は、母親の言葉ではない。
その娘A自身が、あちこちでそのように自分で吹聴している。
私もその娘Aのことは、よく知っているが、一貫性がない。
それだけの人徳がある人なら、ほかの面でも光るはず。
体の芯からにじみ出てくるような、人間性があるはず。
が、そういった話は、伝わってこない。
むしろ父親の遺産相続問題で、ほかの姉妹と言い争ったとか、実の息子たちとは
絶縁状態にあるとか、など。
そういう話のほうが目立つ。

どこかチグハグ?
おかしい?
へん?
その(チグハグさ)を感じたら、こういう話は、まず疑ってかかったほうがよい。

が、だからといって、その娘Aを責めているのではない。
マザコンであるにせよ、ないにせよ、それで、母と娘が仲よく暮らしていれば、
それでよい。
他人がとやかく言う必要は、ない。

今どきマザコンにしても、隠れマザコンにしても、珍しくもなんともない。
まただからといって、周囲の人たちが、人間の鏡とするなら、それもよい。
ただ、だからといって、操られるまま操られるのは、よくない。
こういう話には、「待ったア!をかける。
それが知性ということになる。
理性ということになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
隠れマザコン 代理ミュンヒハウゼン 親孝行 孝行娘 親孝行の子ども)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●不況の嵐

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毎月のように内閣府の発表する市況判断は、
下方へ、下方へと訂正される。
まるでジェットコースターか何かに乗っている
かのよう。
今朝の新聞によれば、「急速に悪化」という
言葉も見られた。

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●個人企業vs会社組織

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こういう不況時代になると、原則的には、個人企業が有利。
個人企業といっても、家族だけで経営する零細企業。
固定して支払わなければならない給料そのものがない。
収入が減れば、その分だけ、生活を切り詰めればよい。
が、もっとも、それにも限度がある。

一方、会社組織で運営している企業は、小回りがきかない。
一度赤字に転落すると、そのまま奈落の底へと転落していく。
そこで企業は、社員数を減らしたりして、「種」だけは残そうとする。
いつかまた景気が回復したとき、その種をまいて、再生をねらう。
が、それにもやはり限度がある。

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●株価大暴落

もっている株の株価が10分の1どころか、20分の1、30分の1になってしまった
人もいる。
先日、SCという会社の株をもっていて、1億円を、1000万円にしてしまった人の
話を書いた。
泣くに泣けない状態、とか。
「おおげさかな?」と思って調べてみると、SCという会社の株価は、昨年1年間だけで、
たしかに10分の1になっていた。
が、さらに去年の終わりから、今年にかけて、3分の1になっていることがわかった。

もし今でもその人が、その株価を塩漬けにしていたとすると、現在の評価額は、300
万円ということになる。
1億円が300万円である!
同情したくても、同情のしようが、ない。

ほかに財産のある人ではないので、これだけをみても、その人がいかに落ちこんでいる
かは、容易に察しがつく。

●お金で、ジャブジャブ

一方、世界中が、これだけお金(=マネー)を市中にばらまいているのだから、どこかで、
それを集めている人もいるはず。
経済誌などによれば、アメリカ・ドルも、日本・円も、「ジャブジャブの状態」(経済各誌)
だそうだ。
日本だけでも、50兆円。
アメリカも100兆円。
しかしそういうお金は、どこへ消えているのか?

先日も、S氏(会社社長、70歳)と、そういう話になった。

S氏がいうには、金融機関の救済のために使われている、とのこと。
たとえば0・2%という公定歩合がいかに魅力的なものであるかは、具体的に数字を
放り込んでみると、わかる。

1億円借りて、1年間に返す利息は、たったの20万円。
1億円のマンションを買っても、月々の部屋代が、1万7000円程度ということになる。
5000万円のマンションなら、8000円程度。

つまりそういう形で、世界中が、今、お金で、ジャブジャブになっている。

私が「そういうお金は、庶民のところには回ってこないのですか?」と聞くと、
「天井の上をクルクル回っているだけで、下には落ちてこないよ」とのこと。

そんなわけで、この不況のあとにやってくるのは、猛烈なインフレ。
景気が回復のきざしを見せたとたん、そうなる。
結局は、そのツケは、一般の庶民が負うことになる。
これを『踏んだり蹴ったり』と言わずして、何という。

●じっと耐えるしかない

ここはじっと耐えるしかない。
ジタバタしたところで、どうにもならない。
が、こういうことは言える。
零細企業であろうが、大中の企業であろうが、最後までふんばったほうが勝ち。
その間に、ライバル企業(商店)が、力を落としていく。
そして景気の回復とともに、ふんばった企業が先頭に立って、復活する。

……といっても、それまでがたいへん。
どうやって食いつないくのか……?

今回の不況を、「50年来の不況」とか、「100年来の不況」とか言う人がいる。
それほどまでに深刻ということだが、しかし先が見えないわけではない。
人が生きている以上、そこには(動き)がある。
(動き)があれば、そこに経済がある。
小さな光でも、光が見えれば、回復は早い。
経済というのは、いつも先読みで回復する。

10分の1以下になった株価については、もとに戻ることはないにしても、
20~40%の範囲であれば、もとに戻る可能性は、高い。

まあ、こういうこともあるから、昔からこう言う。
『資産は、分散せよ!』と。

貯金、債権(外債)、国債、金、株……。
ひとつで損をしても、べつのところで儲けていく。
全体として、バランスをとっていく。
それが賢い利殖の仕方ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●不敬罪?(Lese Mejesty?)
The Government of Thailand has sentenced an Australian writer, 3-year long prisoning
because of the lese majesty. What is the lese majesty now? This is an oppression of
words, isn’it? Be ashamed, Thailand people!

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『タイの裁判所は19日、著作物のなかでタイ国王を侮辱したとして、
オーストラリア人の作家に禁固3年の刑が言い渡されたという』(TBS-i・News・1月19日)。

++++++++++++++++++

タイで大学講師をしていた、1人のオーストラリア人が、『過去の出版した著作の中に、タ
イ国王を侮辱する表現があったとして、不敬罪の疑いで逮捕、勾留された』(同)という。
その結果、禁固3年の実刑判決がくだされたという。

なお同時に、『タイ当局は昨年以降、王室に批判的と判断したおよそ4000のウェブサイ
トを閉鎖していて、言論弾圧との非難が国内外から出ている』(同)との報道もなされてい
る。

今どき不敬罪?
戦前の日本にもあったが、「敬う」などという心の中の感情まで、法律でしばるところが恐
ろしい。
またそういうふうにして敬われたとしても、当の国王は、それで満足なのだろうか。
私が国王なら、そんなバカげた法律は、自分のほうから願いさげる。

で、日本という国は、意識的には、オーストラリアとタイの中間あたりに位置する。
私たち日本人が、「バカげている」と思う以上に、オーストラリア人は、そう思うだろう。
だいたい、オーストラリア人には、そういう意識そのものがない。

が、それだけではない。
王室に批判的なウェブサイト(ホームページ)が、4000以上も閉鎖されたという。
こうなると、タイという国は、もうデタラメな国と判断してよい。
タイの人たちは、もっと自分に恥じたらよい。
国王を敬わないことを恥じるのではなく、言論の自由がないことを恥じたらよい。

世界から見れば、ちっぽけな国ではないか。
そんな国で、国王だのなんの、不敬罪だのなんのといっている、自分たちのおかしさに、
まず気がついたらよい。

人間に上下があるわけがない。
一人ひとりの人たちが、自由にものを言い、生きる。
国としてのダイナミズムは、そこから生まれる。
またそういうふうにみなが、生き生きと生きている国を、近代国家という。
すばらしい国という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
近代国家 不敬罪 すばらしい国)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●カタカナ文字(Katakana Words)
In Japan we have three types of Characters. Hiragana, Katakana and Kanzi (=Chinese
Characters). Katakana is mainly used to express the words which come from overseas.
But nowadays so many Katakana words in our daily life, which confuses our lives.

++++++++++++++++

数日前、サイトカインについて
書いた。

書きながら、一度確かめておかなくては
いけないと思った。
こうした脳内物質について書くときは
いつもそうだが、私が知っているのは、
名前だけ。
現物を見たわけではない。
また見たところで、ただの液体にしか
見えないだろう。

書いていても、不安になる。
それはちょうど、パソコンを相手に、
カタカナ文字を見るときの気分に似ている。
座右に、「パソコン用語辞典」というのが
ある。
が、カタカナ文字だらけで、読んでも
よく意味がわからないときがある。

たとえば……、
「パケット転送:一定のパケット単位に情報をまとめて送る通信方式。一定の長さの
データブロックにしたものをパケットと呼ぶ。宛先や信号順位など(タブデータ)を
パケットに付けて……」(「標準パソコン用語辞典」秀和システム)とある。

ついでに言えば、鳥インフルエンザについても、
そうだ。
ウィルス名を、「H5N1ウィルス」という。
「H5って、何だ」「N1って、何だ」と、
つい言ってしまう。

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●サイトカイン

以前自分で書いた原稿の中から、「サイトカイン」という文字を検索してみる。
方法は、大きく分けて、2つある。

(1) 原稿集から検索する
ひとつの外付けハードディスクに、今までに書いた原稿が、ひとつのファイルと
して収録してある。
数万ページもある。
それを一度、パソコン上に呼び出して、そこから検索する。
しかしこの方法だと、私の最新鋭のパソコンをもってしても、負担が大きい。
一度画面上で開くと、とたんにパソコンの動きが悪くなる。

(2) インターネットのヤフー、もしくはグーグルの検索機能を使って検索する
   最近は、この方法で検索することが多くなった。
   パソコンへの負担も少ない。
   たとえばサイトカインについて調べたいときは、「はやし浩司 サイトカイン」と
   入力して、検索する。
   この方法でたった今検索してみたが、72件もヒットした(ヤフー検索)。
   その中から、適当な原稿を選ぶ。
   いうなれば、インターネットの世界全体が、私の私設辞書になっている。

で、その「サイトカイン」について。

『ストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人間
が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの頭
を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の更新ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低
体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は
「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている』(Biglobe Blog 最前線の子育て
論byはやし浩司)と。

自分で書いた原稿を読みながら、改めて勉強しなおす。
少しおかしな気分だが、最近は、こういうことが多くなった。
つまりそのために、私は自分の書いた原稿の末尾に、検索用の文字を並べることにして
いる。

ついでに、「H5N1」について。

成美堂出版の「時事用語」によれば、つぎのようにある。

『A型インフルエンザの表面には、HA(ヘマグルチニン)とNA(ノイラミニダーゼ)
という2種類の糖たんぱく質がスパイク状についている。そして、HAは16種類、NA
は9種類ある。H5N1は、HA5型とNA1型をもったウィルスのこと』と。

インフルエンザには、A型、B型、C型の3種類がある。
それは知っている。
(知っているといっても、やはり名前だけだが……。)
その中のA型のひとつが、鳥インフルエンザということになる。
このH5N1の恐ろしいところは、感染すると、いきなり肺の奥に入り込むことだそうだ。
人間にはまだ免疫性がないため、いわゆる「パンデミック」が起こるという。

わかるかな?
パンデミックだぞ。
またまたカタカナ文字。

パンデミック……『短期間に感染症が大流行すること』(同書)とある。
『新型インフルエンザが日本でパンデミックを起こすと、入院患者最大210万人、
死者最大64万人』(同)とか。

ゾーッ!

で、ふと今、思う。
「今、この瞬間には、『パンデミック』という言葉の意味を知っている。
しかしいつまで覚えておられるか」と。
たしかに私の脳みその底には穴があいている。
一方で覚えながら、他方でどんどんと知識が、流れ出ていく。
これは食事と下痢の関係に似ている。

しかし忘れることを恐れていたのでは、何も書けない。
とにかく日々に、精進(しょうじん)あるのみ。

「パンデミック、パンデミック、パンデミック……」と数回復唱して、
この話は、おしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
サイトカイン パンデミック はやし浩司 H5N1 鳥インフルエンザ ストレス
ストレス学説)

(付記)

H5N1について、「流行しないのではないか?」という意見も、最近出てきた。
というのも、流行するなら、とっくの昔に大流行しているはずだから、と。
中国やベトナムなどでも感染者が現れてはいるが、人から人への感染したばあいには、
症状はそれほど重くない。
それでそういう意見が、出てきた。
ともかくも、警戒するに越したことはない。
外出時には、マスクを着用する。
マスクはマスト!
(へたなシャレで、ごめん!)


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