*March 6th 2009
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 3月 6日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【欲望と知覚】
●お金と「知覚」
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こんな興味深い実験がある。
子どもたちにコイン(1、5、10、25、50セント)を見せ、
それを子どもたちに、紙に描かせてみたという。
すると貧しい家庭の子どもたちは、コインを実際よりも大きく描き、
裕福な家庭の子どもたちは、実際よりも小さく描いたという。
(アメリカ・心理学者のブルーナーとグッドマンの研究、出典
「心理学のすべて」(日本実業出版社))
++++++++++++++++++
●「感覚」→「知覚」→「認知」
目から入ってきた情報は、一度、大脳後頭部にある視覚野に映し出される。
言うなれば、ここがモニター画面ということになる。
が、それだけではただの映像。
心理学の世界では、これを「感覚」と呼ぶ。
その映像の中から、意味のあるものと、そうでないものを、まずよりわける。
これを心理学の世界では、「知覚」と呼ぶ。
その知覚がどういうものであるかを知りたかったら、ぼんやりと外の景色を
ながめてみればよい。
庭が見える。
木々が見える。
畑の一部も見える。
全体の景色が意味もなく、目に飛び込んでくる。
が、その庭の中で、今動くものが見えた。
鳥だ。
野生のドバトだ。
つまりこうして私たちは、ぼんやりとした映像の中から、ハトを選び出す。
そしてそれがドバトと知る。
これが「知覚」である。
が、そこで終わるわけではない。
知覚したあと、それにさまざまな思考を加える。
たとえば私はふと我に返り、庭に餌をまいてないことを知る。
2~3月は、野生の鳥たちにとっては、もっともきびしい時期。
昨日までは雨が降っていた。
私はドバトに餌をあげるのを忘れていた。
ドバトはどこか心配そうな顔をして、枝の上から庭を見つめている。
……とまあ、あれこれと考える。
これが「認知」ということになる。
文字で考えると、さらにわかりやすい。
たとえば今、私は自分の書いた文章を、パソコンのモニター上でながめている。
ぼんやりとながめれば、ただの線。
無数の線が、いろいろと交差している。
これが「感覚」。
その中から、私は「文字」を選び、順にそれを目で追っていく。
これが「知覚」。
が、そのままでは意味をもたない。
大脳の側頭部や頭頂部が、それを解読する。
意味のある文として理解しようとする。
これが「認知」。
●知覚は影響を受ける
そこで最初の実験。
同書(「心理学のすべて」)によれば、「貧しい家庭の子どものほうが、コインが大きく
見えるのは、お金に対する欲求が強いためと考えられます」(P43)とある。
知覚は欲求に左右される例として、同書は、ブルーナーとグッドマンによる実験をあげた。
で、同じような経験を、私もしている。
たとえば年中児(4~5歳児)に、「お父さんとお母さんの顔を描いてごらん」と言って、
白い紙を渡す。
私が「お父さんとお母さん」と言ったにもかかわらず、半分以上の子どもたちは、
母親のほうから描き始める。
しかもたいてい母親のほうが、父親よりも大きい。
つまり子どもにとっては、それだけ母親の存在感が大きいということになる。
このばあいは、知覚が、印象に左右されたということになる。
さらにこんなこともある……。
●性欲からの解放
話はぐんと生臭くなるが、許してほしい。
私が55歳前後のときのことだった。
(正確には年齢を覚えていない。)
あとでいろいろな人に話を聞くと、それが男の更年期症候群のひとつと知った。
つまりそのころ、私は、男性と女性の区別がつかなくなってしまった。
だからある日、ふとこう思った。
「今なら、女性と混浴風呂に入っても、平気で入れるだろうな」と。
それをワイフに告げると、ワイフはこう言って笑った。
「相手がいやがるわよ」と。
それを喜んでよいのか悪いのかは、わからない。
が、そのとき生れてはじめて、私は、「性欲からの解放」を味わった。
というのも、フロイト学説を借りるまでもなく、私たち人間は、性欲の奴隷と
いっても過言ではない。
ありとあらゆる行動や心理が、心の奥底で、性欲と結びついている。
つまり感覚として得た情報を、つぎの知覚というレベルで判断するとき、
どうしても(性欲)というものが、そこに混入してくる。
たとえば同じ母親と呼ばれる人たちでも、その美貌や雰囲気、年齢やスタイルで、
おおまかな判断をくだしてしまう。
ときに色気を感ずることもあるし、反対に、「この人は私のタイプではないな」と
思ってしまうこともある。
(居直るわけではないが、健康な男性なら、みなそうだ。)
が、そのとき、つまり性欲からの解放を味わったとき、母親たちを、女性として
ではなく、それぞれを1人の人間として見ることができるようになった。
心理学的に言えば、冷静に感覚を判断し、それを知覚につなげることができる
ようになった。
(少し、大げさかな?)
ともかくも、性欲からの解放は、悪いものではない。
そのころの私は、参観に来ている母親を、女性として意識しなくなった。
子どもたちを教えながらも、好き勝手なことを言ったり、したりすることが
できるようになった。
●体制化
さらに同書(「心理学のすべて」)によれば、感覚で得た情報は、さまざまな形で、
脳の中で処理されるという。
そのひとつが、「体制化」。
つまり「感覚が得た情報の中から、自分にとって重要な意味をもつものと、
さして意味のもたないものに選択する『体制化』も行われています」(P42)
と。
このことも、子どもの世界に当てはめてみると、理解しやすい。
たとえば小学3年生くらいに、角度というものを教えてみる。
しかし大半の子どもは、最初の段階で、すでにほとんど興味を示さない。
分度器の使い方を教えても、どこ吹く風といった感じになる。
つまりこの段階では、子どもにとって、角度などという話は、どうでもよい
ことということになる。
心理学的に言えば、子ども自身が、「さして意味のもたないもの」と判断している
ということになる。
そこで私のばあい、プラスチック(下敷き)で、10~15枚の三角形をつくり、
その三角形を見せながら、子どもたちにこう問いかける。
「この中で、一番角がツクンツクンとして、痛いところはどこかな?」と。
自分のてのひらを、その先で突き刺すしぐさをして見せる。
するととたん、子どもたちの目が輝き始める。
(痛いところ)→(角がとがっているところ)→(角)→(角度)と、頭の中で、
情報をつなげていく。
つまりそれを「自分にとって重要な情報」と位置づける。
●知覚
何気なく見ている情報だが、常に私たちは、それを脳の中で、加工している。
加工しながら、自分というものを、その中でつくりあげている。
が、それは本当に「私」によるものかというと、それは疑わしい。
冒頭にあげた実験を例にあげるまでもなく、私たちはそのつど、欲望という
エネルギーによって影響を受ける。
性欲もそのひとつだし、金銭欲もそのひとつということになる。
さてあなたも、ひとつの実験として、ここで1000万円の札束を、
紙に描いてみてはどうだろうか。
(男性であれば、女体、女性であれば、男体でもよい。)
そしてそのあと、実際の札束よりも大きく描けば、あなたは慢性的に貧困状態にある
ということになる。
そうでなければ、お金に困らない生活をしていることになる。
(男性であれば、その描いた絵で、どこにどのような不満を妻に感じているかが、
わかるかも?)
実験結果については、ブルーナとグッドマンに、責任を取ってもらう。
なお性欲からの解放について、一言。
現在私は満61歳だが、そのあと少しずつだが、再び、性差意識が呼び戻されて
きたように思う。
美しい母親を前にしたりすると、ドキッとすることが、このところよくある。
正常に戻ったというべきか、それとも再び、性の奴隷になったというべきか。
現在の私なら、たとえば混浴風呂などには、とても平然としては入れないだろう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
感覚 知覚 認知 体制化 ブルーナー グッドマン 性の奴隷)
Hiroshi Hayashi++++++++Feb. 09++++++++++++はやし浩司
●喪失の時代
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老齢期を「喪失の時代」ともいう。
それは主に、つぎの4つからなるという(堀井俊章著「心理学」PHP)
(1) 心身の健康の喪失
(2) 経済的基盤の喪失
(3) 社会的役割の喪失
(4) 生きがいの喪失、と。
どれも重要なものだが、これら4つの(喪失)を裏返すと、こうなる。
(1) 病気との闘い
(2) 貧困との闘い
(3) 自己否定との闘い
(4) 絶望との闘い。
が、私は、これら4つのほかに、もうひとつの項目があると考える。
これら4つだけでは、あまりにもさみしい。
だから「第五番目の項目」ということにしておく。
順に考えてみたい。
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(1) 病気との闘い
私は最近、30代、40代の人と話すたびに、こう言っている。
「持病だけは、つくらないように」と。
成人病はもちろんのこと、持病というと、足腰や関節に関するものが多い。
が、30代、40代のころは、体力もそこそこにあり、こうした持病を肉体の奥に
押し隠すことができる。
しかし50代、60代になってくると、体力そのものが衰えてくる。
とたん、それまで隠れていた持病が、表に出てくる。
心の病気も同じ。
若いころは気力で、それをごまかすことができる。
しかし50代、60代になってくると、気力そのものが衰えてくる。
とたん、それまで隠れていた精神的、情緒的もろさが、表に出てくる。
(2) 貧困との闘い
老後イコール、貧乏と考えてよい。
収入そのものが、極端に少なくなる。
そのため生活の規模そのものが、縮小する。
活動の範囲も、狭くなる。
加えて気力も弱くなる。
「何かをしたい」という思いがあっても、根気がつづかない。
やがてすぐ、乾いた風の中に、そのまま消えてしまう。
(3) 自己否定との闘い
「あなたには、もう用はない」
「あなたは役立たず」と言われることほど、つらいことはない。
存在性そのものを否定される。
多くの人は、それを知ったとき、「私は何をしてきたのだ」という自己嫌悪感に襲われる。
が、それならまだよいほう。
中には、「あなたはまちがったことをしてきたのだ」と、教えられる人もいる。
そういう立場に立たされたとき、人は、つぎの2つのうちから、1つを選ぶ。
過去に盲目的にしがみつくか、あるいは自己否定の泥沼に入っていくか。
しかし「自己否定」というのは、まさに自分の人生の否定そのものと考えてよい。
だからほとんどの人は、過去にしがみつく。
過去の地位や名誉、学歴や業績などなど。
(4) 絶望との闘い。
そこで人は、老後に向けて、生きがいを模索する。
しかし(生きがい)というのは、一朝一夕に確立できるものではない。
それまでの熟成期間が必要である。
10年とか、20年とか、そういう長い年月を経て、自分の中で熟成される。
「老後になりました。明日からボランティア活動を始めます」というわけにはいかない。
生きがいには、その人の人生そのものが集約される。
が、その(生きがい)の構築に失敗すればどうなるか。
その先に待っているのは、(絶望)ということになる。
が、老後の最大の問題は、これら4つではない。
これら4つも、つぎの問題を前にしたら、幼稚園児が解く知恵パズルのようなもの。
つまり老後の最大かつもっとも深刻な問題は、「死の受容」である。
この死の受容には、(1)他者の死(肉親、配偶者、友人の死)の受容と、(2)自分自身
の死の受容がある。
だれしも死と無縁であることはできない。
死は現実であり、いつもそこにある。
その(死)といかに闘うか。
それこそがまさに、私たちに最後に残された最大の問題ということになる。
が、この問題は、おそらく個人の力では、どうにもならない。
それにはこんな話がある。
恩師の田丸謙二先生の隣家に、以前、中村光男という、戦後の日本を代表する文芸評論家
が住んでいた。
ビキニで被爆した第五福竜丸事件をきっかけに、先頭に立って、核兵器廃絶運動を
推し進めた人物である。
その中村光男は、……というか、あの中村光男ですら、死の直前には妻の手引きで、
教会で洗礼を受けている。
雑誌の記事によると、死の一週間前のことだったという。
その話を田丸先生に話すと、先生は感慨深そうにこう言った。
「知りませんでした。……あの中村さんがねえ……」と。
死の恐怖を目前にしたとき、それと自前で闘える人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。
私は中村光男の話を聞いたとき、さらに自信を失った。
「私にはとても無理だ」と。
……ということもあって、60代になってさらに宗教に興味をもつようになった。
私のワイフもそうで、あちこちで話を聞いてきては、そのつど私に報告する。
しかしこれにも、段階がある。
(1) 死の恐怖は克服できるものなのかという疑問。
(2) 克服できないとするなら、どうすればよいのかという疑問。
(3) 臨終を迎えた人は、どのように死を受容していくかという疑問。
(4) 宗教で、それを克服できるかという疑問。
(5) できるとするなら、その宗教とは何かという疑問。
キューブラー・ロスの『死の受容段階論』もあるが、今の私には現実的ではない。
だれしも、(こんな書き方は失礼な言い方になるかもしれないが……)、死を目前に
すれば、いやおうなしに、死の受容に向かって進むしかない。
問題は、健康である(今)、どう(死にまつわる不条理)を克服したらよいかということ。
この問題を解決しないかぎり、真の自由を、手に入れることはできない。
それこそ老後の残り少ない時間を、死の影におびえながら、ビクビクして生きて
いかねばならない。
が、ものごとは悲観的にばかり考えてはいけない。
死という限界があるからこそ、私たちはさらに真剣に自分の人生を見つめなおすことが
できる。
「心理学」(同書)の中には、こうある。
「エリクソンは老年期を(統合対絶望)と考え、心身の老化や社会的なさまざまな喪失を
受容し、これまでの人生を振り返り、1人の人間としての自分を統合する時期と考えて
います。
エリクソンは、『自分の唯一の人生周期を、そうあらねばならなかったものとして、
またどうしても取り替えを許されないものとして、受け入れること』が必要であると述べ、
人間としての完成期を老年期におきます」(P76)と。
つまりいかに死ぬかではなく、いかに自分の人生を完成させるか、と。
老後は終わりではなく、完成の始まりと考える。
これが先に書いた、第5番目の項目ということになる。
(5)人生を完成させるための闘い、と。
老後を感じたら、テーマを広げてはいけない。
テーマをしぼる。
何をしたいか、何をすべきか、何ができるか……。
その中から、自分を選択していく。
だれしも、それまでにしてきたことがあるはず。
たとえそれが小さな芽であっても、そこに自分を集中させる。
それを育てる。
伸ばす。
ちょうど幼い子どもの中に、何かの才能を見つけたときのように。
無駄にできる時間は、ない。
一瞬一秒も、ない。
最期の最後まで。
そうあのゲオルギウは、こう言った。
ゲオルギウ……ルーマニアの作家である。
1901年生まれというから、今、生きていれば、108歳になる。
そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。
「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)す
るとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。
さあ、私にできるだろうか……?
4年前に、こんな原稿を書いたのを思い出した。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●夢、希望、目的
子どもを伸ばすための、三種の神器、それが「夢、希望、そして目的」。
それはわかるが、これは何も、子どもにかぎったことではない。おとなだって、そして
老人だって、そうだ。みな、そうだ。この夢、希望、目的にしがみつきながら、生きてい
る。
もし、この夢、希望、目的をなくしたら、人は、……。よくわからないが、私なら、生
きていかれないだろうと思う。
が、中身は、それほど、重要ではない。花畑に咲く、大輪のバラが、その夢や希望や目
的になることもある。しかしその一方で、砂漠に咲く、小さな一輪の花でも、その夢や希
望や目的になることもある。
大切なことは、どんなばあいでも、この夢、希望、目的を捨てないことだ。たとえ今は、
消えたように見えるときがあっても、明日になれば、かならず、夢、希望、目的はもどっ
てくる。
あのゲオルギウは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉
(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』(二十五時)
という名言を残している。
ゲオルギウという人は、生涯のほとんどを、収容所ですごしたという。そのゲオルギウ
が、そう書いている。ギオルギウという人は、ものすごい人だと思う。
以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。
●希望論
希望にせよ、その反対側にある絶望にせよ、おおかたのものは、虚妄である。『希望とは、
めざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。『絶望の虚妄なることは、ま
さに希望と相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。
さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。私のばあい、希望をな
くしたとき、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言った、シャンフォールがい
る。
このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。
もう10年にもなるだろうか。「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子ども
たちの世界で流行した。その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯
王、マジギャザというカードゲームに移り変わってきている。
そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。
一度私が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。そ
のときその女の子(小1)は、狂ったように泣いた。「先生が、殺してしまったア!」と。
つまりその女の子は、(たまごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。
同じように、その反対側に、希望がある。ある受験塾のパンフレットにはこうある。
「努力は必ず、報われる。希望の星を、君自身の手でつかめ。○×進学塾」と。
こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よ
くわかる。希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。それにまつわる人間たち
が、勝手につくりだした虚妄にすぎない。その虚妄にハマり、ときに希望をもったり、と
きに絶望したりする。
……となると、希望とは何か。絶望とは何か。もう一度、考えなおしてみる必要がある。
キリスト教には、こんな説話がある。あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。
「神よ、こうして邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつ
くらなかったのか」と。それに対して、神は、こう答える。「人間に希望を与えるため」
と。
少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに
転載する。
++++++++++++++++++++
【子どもに善と悪を教えるとき】
●四割の善と四割の悪
社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四
割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさない
で、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、
「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。
つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をす
る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマり
やすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生
徒を、プールの中に放り投げていた。
その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては
どうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびし
いのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強して
いる親は、少ない。
●善悪のハバから生まれる人間のドラマ
話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動
物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな
ってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の
世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書
についても、こんな説話が残っている。
ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。「希望を与えるため」と。
もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希
望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。
●子どもの世界だけの問題ではない
子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それ
がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。問題は、そういう
環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの
仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそ
れと闘っているだろうか。
私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校
生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際を
していたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。
「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手
の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それ
が問題なのだ。
●悪と戦って、はじめて善人
よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。(中日新聞投稿済み)
++++++++++++++++++++++
このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。その中に、「希望論」を織りまぜ
た。それはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間がすべて天使のようになってしま
ったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこと
もするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。それ
が希望だ」と教えている。
となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。キリスト教では、「堕落(だら
く)」という言葉を使って、それを説明する。もちろんこれはキリスト教の立場にそった、
希望論であり、絶望論ということになる。だからほかの世界では、また違った考え方をす
る。
冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶
望論を説いた。が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひ
かれる。「人間は、努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。
もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。だからいきなり、「そういう
人間になるのが希望だ」と言われても困る。しかし何となく、この説話は正しいような気
がする。言いかえると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望
論や絶望論は、たしかに「虚妄」に思えてくる。つい先日も、私は生徒たち(小四)にこ
う言った。授業の前に、遊戯王のカードについて、ワイワイと騒いでいた。
「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。強いカードをもっていると、心
はハッピーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。幻想にだまされてはいけないよ。
ゲームはゲームだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線
を引かないと、時間をムダにすることになるよ。カードなんかより、自分の時間のほうが、
はるかに大切ものだよ。それだけは、忘れてはいけないよ」と。
まあ、言うだけのことは言ってみた。しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否
定するのは、正しくない。もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、
心を休めたり、癒(いや)したりする。が、それはあくまでも「趣味」。決して希望ではな
い。またそれがかなわないからといって、絶望する必要もない。大切なことは、どこかで
一線を引くこと。でないと、自分を見失うことになる。時間をムダにすることになる。
●絶望と希望
人は希望を感じたとき、前に進み、絶望したとき、そこで立ち止まる。そしてそれぞれ
のとき、人には、まったくちがう、二つの力が作用する。
希望を感じて前に進むときは、自己を外に向って伸ばす力が働き、絶望を感じて立ち
止まるときは、自己を内に向って掘りさげる力が働く。一見、正反対の力だが、この二
つがあって、人は、外にも、そして内にも、ハバのある人間になることができる。
冒頭にあげた、「子どもの受験で失敗して、落ちこんでしまった母親」について言うなら、
そういう経験をとおして、母親は、自分を掘りさげることができる。私はその母親を慰め
ながらも、別の心で、「こうして人は、無数の落胆を乗り越えながら、ハバの広い人間にな
るのだ」と思った。
そしていつか、人は、「死」という究極の絶望を味わうときが、やってくる。必ずやって
くる。そのとき、人は、その死をどう迎えるか。つまりその迎え方は、その人がいかに多
くの落胆を経験してきたかによっても、ちがう。
『落胆は、絶望の母』と言った、キーツの言葉の意味は、そこにある。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●孤独
孤独は、人の心を狂わす。そういう意味では、嫉妬、性欲と並んで、人間が原罪として
もつ、三罪と考える。これら三罪は、扱い方をまちがえると、人の心を狂わす。
この「三悪」という概念は、私が考えた。悪というよりは、「罪」。正確には、三罪とい
うことになる。ほかによい言葉が、思いつかない。
孤独という罪
嫉妬という罪
性欲という罪
嫉妬や性欲については、何度も書いてきた。ここでは孤独について考えてみたい。
その孤独。肉体的な孤独と、精神的な孤独がある。
肉体的な孤独には、精神的な苦痛がともなわない。当然である。
私も学生時代、よくヒッチハイクをしながら、旅をした。お金がなかったこともある。
そういう旅には、孤独といえば孤独だったが、さみしさは、まったくなかった。見知らぬ
ところで、見知らぬ人のトラックに乗せてもらい、夜は、駅の構内で寝る。そして朝とと
もに、パンをかじりながら、何キロも何キロも歩く。
私はむしろ言いようのない解放感を味わった。それが楽しかった。
一方、都会の雑踏の中を歩いていると、人間だらけなのに、おかしな孤独感を味わうこ
とがある。そう、それをはっきりと意識したのは、アメリカのリトルロック(アーカンソ
ー州の州都)という町の中を歩いていたときのことだ。
あのあたりまで行くと、ほとんどの人は、日本がどこにあるかさえ知らない。英語とい
っても、南部なまりのベラメー・イングリッシュである。あのジョン・ウェイン(映画俳
優)の英語を思い浮かべればよい。
私はふと、こう考えた。
「こんなところで生きていくためには、私は何をすればよいのか」「何が、できるのか」
と。
肉体労働といっても、私の体は小さい。力もない。年齢も、年齢だ。アメリカで通用す
る資格など、何もない。頼れる会社も組織もない。もちろん私は、アメリカ人ではない。
市民権をとるといっても、もう、不可能。
通りで新聞を買った。私はその中のコラムをいくつか読みながら、「こういう新聞に自分
のコラムを載せてもらうだけでも、20年はかかるだろうな」と思った。20年でも、短
いほうかもしれない。
そう思ったとき、足元をすくわれるような孤独感を覚えた。体中が、スカスカするよう
な孤独感である。「この国では、私はまったく必要とされていない」と感じたとき、さらに
その孤独感は大きくなった。
ついでだが、そのとき、私は、日本という「国」のもつありがたさが、しみじみとわか
った。で、それはそれとして、孤独は、恐怖ですらある。
いつになったら、人は、孤独という無間地獄から解放されるのか。あるいは永遠にされ
ないのか。あのゲオルギウもこう書いている。
『孤独は、この世でもっとも恐ろしい苦しみである。どんなにはげしい恐怖でも、みな
がいっしょなら耐えられるが、孤独は、死にも等しい』と。
ゲオルギウというのは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、
終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』(二十五時)
という名言を残している作家である。ルーマニアの作家、1910年生まれ。
+++++++++++++++++++++
●私に夢、希望、目的
そこで最後に、では、私の夢、希望、目的は何かと改めて考えてみる。
毎日、こうして生きていることに、夢や希望、それに目的は、あるのだろうか、と。
私が今、一番、楽しいと思うのは、パソコンショップをのぞいては、新製品に触れるこ
と。今は(2・18)は、HPに音やビデオを入れることに夢中になっている。(いまだに
方法は、よくわからないが、このわからないときが、楽しい。)
希望は、いろいろあるが、目的は、今、発行している電子マガジンを、1000号まで
つづけること。とにかく、今は、それに向って、まっすぐに進んでいる。1001号以後
のことは、考えていない。
毎号、原稿を書くたびに、何か、新しい発見をする。その発見も、楽しい。「こんなこと
もあるのか!」と。
しかし自分でも、それがよくわかるが、脳ミソというのは、使わないでいると、すぐ腐
る。体力と同じで、毎日鍛えていないと、すぐ、使いものにならなくなる。こうしてモノ
を毎日、書いていると、それがよくわかる。
数日も、モノを書かないでいると、とたんに、ヒラメキやサエが消える。頭の中がボン
ヤリとしてくる。
ただ脳ミソの衰えは、体力とちがって、外からはわかりにくい。そのため、みな、油断
してしまうのではないか。それに脳ミソのばあいは、ほかに客観的な基準がないから、腐
っても、自分ではそれがわからない。
「私は正常だ」「ふつうだ」と思っている間に、どんどんと腐っていく。それがこわい。
だからあえて希望をいえば、脳ミソよ、いつまでも若くいてくれ、ということになる。
(050218)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【長いトンネル】(息子の引きこもり)
●パパ、もうだめだ
「日本には、2度と帰って来ない」と。C雄は、そう言って、伊丹空港から、オースト
ラリアへと旅立っていった。友人のT君もいっしょだった。
が、それから1年、そして2年が過ぎた。1年目は、キャンベラにある、C大学、2年
目は、メルボルンにある、L工科大学に席を移して、専門学部への進学に備えていた。
あまり勉強しているふうでもなかったが、私もそれほど期待はしていなかった。専門学
部へ入学し、学士号(バッチャラー)を取得するのは、オーストラリア人の学生でもむず
かしい。日本人の留学生のばあい、20人に1人以下と聞いていた。「数年オーストラリア
にいて、それなりの力をつけて帰ってくれば、それでいい」と、私は考えていた。それ以
上に、広い世界を見ることが、何よりも大切と考えていた。
が、そのC雄から、ある夜電話がかかってきた。受話器を取ると、電話口の向こうで、「パ
パ、もうだめだ」と言った。暗く沈んだ声だった。私は異常さを察知して、「すぐ帰って来
い」と言った。その少し前、専門学部に進学できそうだと言っていた矢先のことだった。
が、まさか、その翌々日の夜に帰ってくるとは思っていなかった。勝手口で物音がする
ので、そちらを見たら、C雄が、そこに立っていた。大きなカバンを2個、横に置いてい
た。
●私の夢
「日本の大学……」ということも考えた。しかし私は、C雄が小学生のころから、オース
トラリアへ留学させることだけを考えていた。私は、オーストラリアですばらしい経験を
した。同じ経験を、C雄にもさせたかった。
今にして思うと、それは私という親の、身勝手な願いであった。C雄がそれをしたいと
言ったわけではない。C雄の心を確かめたわけでもない。私は妄信的に、それがC雄にと
っても、いちばん好ましいことだと思った。
何人かの知り合いのつてを頼りに、C雄をオーストラリアへ送った。下宿先も、元高校
教師という人に頼んだ。が、何よりも心強かったのは、もし万が一のときでも、オースト
ラリアの友人たちが、そこにいたことだった。みな、協力を、快く申し出てくれた。
しかしC雄には、何もかも、合わなかった。水も空気も食べ物も、そして生活も。
●引きこもりの始まり
家に帰ってから、C雄は、私たちとはほとんど口をきかなかった。食事ときだけ、食堂
へ下りてきたが、それが終わると、また自分の部屋へそのまま戻っていった。「まさか……」
とは思いながらも、日増しに不安は大きくなっていった。C雄の生活が、大きく乱れ始め
たのは、帰国してから、1~2週間目くらいからではなかったか。
朝、起きてきない。夜更かしがつづく。食事の時間が、混乱する。が、やがて昼と夜が
逆転し始めた。
昼間は一日中、引きこもったまま。夜になるとノソノソと動き出した。しばらく観察し
てみると、毎日、約1時間ずつ時間がずれていくのがわかった。C雄にとっては、1日が
25時間ということになる。前々日は、午後4時ごろ眠り始める。前日は、午後5時ごろ
眠り始める。そして今日は、午後6時ごろ眠り始める。
●引きこもり
幸いというべきか、私には、それまでに、10例以上も、このタイプの子どもを指導し
てきた経験があった。早くは20数歳のときに経験した。が、当時は、「引きこもり」とい
う言葉すらなかった。家庭内暴力についても、そうだった。多くの人は、専門家とよばれ
る人たちも含めて、引きこもりは、子どものわがまま、家庭内暴力は、親の甘やかしが原
因と考えていた。
21世紀に入ってからも、引きこもりや不登校を、強引な方法で治す(?)女性が、愛
知県に現れた。マスコミでも話題になった。その女性のばあい、その子どもや親に罵声を
浴びせかけて治す(?)というものだった。
それ以前にも、Tヨットスクールという、これまたあやしげな団体があった。そのスク
ールでは、わざと転倒するヨット(セールボート)を子どもに操縦させ、それでもって子
どもの情緒障害を治す(?)というものであった。
しかしこんな方法で、子どもの心の問題が、解決するはずはない。
●M君のケース
が、私が最初に、というか本格的にこのタイプの子どもを指導をしたのは、30歳も過
ぎてからのことだった。名前をM君としておく。
M君は当初、不登校から始まった。中学2年のときのことである。親か相談があったの
で、私はM君の家まで出向いた。M君はふとんの中にもぐったまま、返事もしなかった。
私が体を引きずりだそうとしても、ビクともしなかった。そばにいた父親と母親は、あき
れ顔でそれを見ていた。
それがはじまりで、そのあと私はM君と、5年間、つきあうことになった。いろいろあ
ったが、それを書くのは、ここでの目的ではない。で、私の結論は、こうだ。この問題だ
けは、簡単には解決しない。まわりの人たちがあせればあせるほど、逆効果。むしろ症状
をこじらせてしまう。何よりも大切なのは、(時間)である、と。
このことは話が飛ぶが、それから10年後、M君と街角で会って確信した。「先生!」と
声をかける男性がいたので、見るとM君だった。そのM君は、いきなり私にこう言った。「先
生、ぼくのほうが先生より稼いでいるよね」と。話を聞くと、ゴルフのプロコーチをして
いるということだった。
中学時代からM君は、学校をさぼって、近くの公園でゴルフばかりしていた。
●覚悟を決める
私とワイフは覚悟を決めた。「なるようになれ」「なるようにしかならない」と。しかし
それは苦しい決断だった。私の立場では、つまり私の職業からして、これほどまでに大き
な敗北感はなかった。事実、それから数か月、自信をなくした私は、今の仕事をやめるこ
とまで考えた。
が、そんな私を救ってくれたのが、もう1人の息子だった。同じころ、中学校で、学年
でも1、2位の成績を修める一方、生徒会長に立候補して、当選した。成績がよかったか
ら……とか、生徒会長になったから……とかいうわけではなかったが、暗い袋小路の中で、
一筋の光明を見たことは事実。
私とワイフは夜中にこっそりとドライブに出かけ、山の中に車を止め、そこで泣いた。
●許して忘れる
オーストラリアで学生生活を送っていたころ、私の友人は、よくこう言った。「ヒロシ、
許して忘れろ」と。英語では、「forgive & forget」という。この単語をよく見ると、「フォ・
ギブ」は、「与えるため」とも訳せる。「フォ・ゲッツ」は、「得るため」とも訳せる。
そのとき私は、その言葉の意味がわかった。……と書くと少しおおげさに聞こえるかも
しれないが、そのとき、大粒の涙がいく筋も、頬を伝って落ちた。
「フォ・ギブ&フォ・ゲッツ」というのは、「愛を与えるために許し、愛を得るために忘れ
る」と意味になる。
つまり「愛」ほど、実感のしにくい感情はない。しかし「いかに相手を許し、いかに相
手を忘れるか」、その度量の深さで、愛の深さが決まる。他人の子どもなら、「はい、さよ
うなら」で別れることもできる。しかし自分の子どもでは、それができない。だったら、
許して忘れるしかない、と。
●ほどよい親、暖かい無視
C雄に接する上において、私たち夫婦は、つぎの2つのことを頭に置いた。(1)ほどよ
い親であること、(2)暖かい無視を繰り返すこと。
これはこうした子どもと接するときの、家族の鉄則。あれこれ気を使えば使うほど、ま
た何かをすればするほど、子ども自身を追い込んでしまう。それもそのはず。親以上に、
子どものほうが、苦しんでいる。
が、それから3、4年にわたって、闘病生活がつづいた。一時は心療内科に通い、精神
薬を処方してもらったこともある。が、C雄には、合わなかった。副作用が強く、吐き気
を催したり、腹部の不快感を訴えたりした。また一時的に快方に向かう様子を見せたあと、
その反動からか、どっと落ち込むこともあった。
私たち夫婦にしても、まるで腫れ物に触れるかのような接し方をしなければならなかっ
た。表面的には静かでも、C雄の心は、いつも緊張していた。言い方をまちがえると、C
雄はそれに過剰なまでに反応した。
●友人のZ君
その間、C雄には、友人は1人しかいなかった。が、その1人でも、ありがたかった。
名前をZ君という。小学校からの友人で、彼が週に1、2度、C雄を訪問してくれた。C
雄も、彼だけには、心を許していたようである。もちろん部屋の中で、彼ら2人が何をし、
どんな会話をしているかは、知らない。
しかしZ君だけが、C雄の心の窓口となった。私はZ君には、感謝した。またZ君が訪
問してくれるよう、私たちなりに努力した。たまたまZ君の両親が、土建の仕事をしてい
たので、そういった仕事は、Z君の両親に頼んだりした。
ただふつうの引きこもりよりは、やや症状は軽かったと思う。C雄は、ときどきはアル
バイト的な仕事はした。すし屋の小僧、デパートの玩具売り場の店員など。しかし長くは
つづかなかった。運も悪かった。C雄が勤める店や職場が、閉店になったり、閉鎖された
りした。
が、ある日、突然、こんなことを言い出した。「旗振りの仕事をやってみる」と。
●旗振りの仕事
旗振りの仕事というのは、道路の建設現場などで、交通整理のためなどに、旗を振る仕
事をいう。夏の暑い日だった。「何もそんなきびしい仕事でなくても……」と言ったが、C
雄は、「そういう仕事で、自分を試してみたい」と。
引きこもりを始めてから、3年目のことだった。
私たちができることといえば、日焼け止めのクリームを、C雄の部屋の前に置いておく
ことくらいでしかなかった。言い忘れたが、私たちはどんなことがあっても、C雄の部屋
には入らないと心に決めていた。のぞくことも、しなかった。
C雄は自分の部屋で、心を休めていた。……というより、原因は、心の緊張感から解放
されないこと。いつも心は、ピンと張りつめたような状態にある。言い方を変えると、一
触即発の状態。見た目の静かさにだまされてはいけない。
ともかくも、C雄は、旗振りの仕事を始めた。長くはつづかないだろうと思っていたが、
それを6か月もつづけた。
で、ある日のこと。C雄がどんな仕事をしているかと、私とワイフの2人で見に行こう
としたことがある。そのときC雄は、車で1時間ほどのところにある現場で、旗を振って
いた。
が、途中で、何かの拍子に車を止めたときのこと。ワイフがふと、こう言った。「やめま
しょう」と。見ると、ワイフの頬に、涙が流れていた。
●トイレ通信
私には3人の息子がいる。その中でもC雄だけは、子どものころから、私との相性があ
まりよくなかった。理由はいろいろある。あるが、ここに書いても意味はない。親子とい
っても、みながみな、よき関係を築けるものではない。子どもによっても、異なる。
最初は、どこかで歯車がズレる。小さなズレかもしれないが、長い年月を経て、それが
大きな亀裂となる。断絶につながることもある。親子であるがゆえに、確執も大きくなる。
他人のように、間に距離を置くことができない。
私とC雄の関係もそうだった。C雄のため……と思って口にしたことが、かえってC雄
を激怒させたこともある。だから、私のほうは、黙るしかない。しかしそれでも……とい
うときがある。
C雄ののむタバコの量がふえたと感じたときもそうだ。一度、ワイフがそれをたしなめ
たことがある。が、C雄は、「オレには、これしか楽しみがない」とか、「気分を落ち着か
せるためにはタバコしかない」と言った。
で、そういうときは、つまりC雄とのコミュニケーションがうまく取れないときは、(ト
イレ通信)という方法を用いた。
トイレの中にメモ用紙とペンを置いた。私の言いたいことを、それに書いた。それにC
雄が返事を書いた。
「タバコがふえたように思うが、減らしたらどうか」「わかった」と。
メモによる交信のため、たがいに冷静に話せる。
で、ついでながら、私もC雄が喫煙を始める前までは、禁煙運動に参加していた。しか
しC雄が喫煙するようになってからは、それはC雄が高校3年生のときのことだったが、
禁煙運動はやめた。「自分の子どもの喫煙すら止めることができなかったのに……」と。
●一進一退
それでC雄の症状が、快方に向かったというわけではない。全体の流れからみると、数
か月から半年単位で、症状は一進一退を繰り返した。仕事も、やったり、やらなかったり
がつづいた。
が、その中でも、ある授産施設での仕事は、1年近く、つづいた。その会社はいくつか
の部門に分かれていて、そのひとつに、知的障害のある人たちが集まっていた。C雄は、
そういう人たちをまとめる仕事をしていた。
尊い仕事である。が、ある日突然、その仕事をやめると言い出した。話を聞くと、設計
士の資格を取りたい、と。設計士といっても、パソコンを使ったCADの仕事をいう。そ
のために専門学校に通いたい、と。
私は賛成したが、ワープロが使えるようになったからといって、文章が書けるようには
ならない。同じように、設計士とCAD技術者の間には、越えがたい壁がある。しかしC
ADが使えるようになれば、設計士になれると、C雄は信じていた。
ともかくも私としては、反対する理由はなかった。
●重なる挫折
運が悪かったのか、それともC雄に忍耐力がなかったのか、それはわからない。しかし
C雄のすることは、いつも裏目、裏目と出た。専門学校との教師とのトラブルもつづいた。
原因の大半は、C雄にあっただろうと思う。C雄には、相手に合わせて行動するという包
容力に欠けていた。
C雄は学校へ行くといっては、家を出た。しかしその足で、一日中、街をぶらついたり、
映画を見たりして過ごしていたらしい。C雄のつらい気持ちがよくわかっていた。だから
私たちは、何も言わなかった。C雄のしたいようにさせていた。
そう、C雄は、挫折感といつも闘っていた。オーストラリアでの留学生活を頓挫したこ
とによる挫折感が大きかったと思う。C雄がそれを直接言ったわけではないが、私はそう
感じていた。
●だらしない生活
C雄の生活の特徴は、だらしないこと。電気はつけっぱなし、ドアはあけっぱなし、裏
の木戸の鍵も、あけっぱなし……、など。しかしこれはC雄の責任というよりは、C雄自
身でもコントロール不能の部分が、そうさせていると私は考えた。万事に投げやりという
か、神経の向く方向が、極端にどこかに偏(かたよ)っていた。
こまかいことにピリピリしている半面、別のところでは、おおざっぱだった。ときに腹
立たしいこともあった。たとえば夏など、一日中、いてもいなくても、クーラーをかけっ
ぱなしにしたりしたこともあった。
そういう点では、このタイプの子どもと接するときは、一に忍耐、二に忍耐ということ
になる。私とワイフは、その忍耐をC雄から学んだ。
●再び、授産施設で
C雄は、ときどきどこかの会社の面接試験を受けていたようだ。ハローワークにも通っ
たことがある。が、中には辛らつな言葉を浴びせかける面接官もいたようだ。ある会社で
面接を受けたとき、その面接官は、C雄にこう言ったという。
「お前のような人間がいるから、この日本はだめになるのだ」と。
これは事実である。
で、いくつか面接試験を受けたあと、以前働いたことのある授産施設での入社が、再び
決まった。社長以下、みながC雄のことを覚えていたという。それで「お帰りなさい」と
いうことになったらしい。
最初は迷っていたようだったが、日増しに、C雄の表情が明るくなっていくのがわかっ
た。「オレも、障害者のようなものだからなあ」と。つまり「みんなの気持ちが、よくわか
る」と。
●励まし
直接的には、ほかの2人の兄弟。少しワクを広くして、高校の同級生たち。C雄にはC
雄なりに、自分を卑下していた。二男が結婚し、子どもをもうけたときも、「オレは、だめ
な兄」と、ふと漏らしたことがある。
そういう気持ちがよくわかったから、折につけ、私たちはC雄を励ました。その第一は、
仕事。
「お前のしている仕事は、そこらの銀行マンのしている仕事より、はるかに気高いもの
だ。障害のある人にやさしくするというのは、銀行マンたちには逆立ちしても、できない
仕事だ」と。
私は心底、そう思っているから、そう言った。というのも、満60歳が近づいてくると、
多くの同窓生たちは、退職したり、リストラされたりして、それぞれの会社を離れ始めて
いた。銀行マンになった友人も、10人前後いた。その最中はともかくも、そうして人生
を半ば終わってみると、仕事のもつ空しさというか、無意味がよくわかる。「私たちは、結
局は、企業戦士としておだてられ、もてあそばれただけ」と。
大切なのは、「何かをしてきた」という実感である。その実感が残る仕事を、よい仕事と
いい、そうでない仕事を、そうでないという。
●マラソン大会
それから何年も過ぎた。現在、C雄は、33歳。こういう大不況という時世にあっても、
授産施設というのは、保護されているらしい。今のところ、リストラの話は伝わってこな
い。そればかりか、たいへん温かい職場らしい。毎月のように親睦会があり、定期的に何
かの行事がある。
今度は、専務とほかにもう1人と、市が主催するマラソン大会に出るという。10キロ
の距離を1時間で走れば、新聞に名前が載るとか。そのこともあって、このところ、週に
2回ほど、同じコースを走っているという。
私はその話を聞いて、あのころのC雄を思い出しながら、「これでよかった」と思ってい
る。うれしかった。そのときは、遅々として進まない境遇に、イライラしたこともある。「ど
うして私の息子が」と、自分を恨んだこともある。C雄の将来を心配して、不安になった
こともある。しかし今、その先に、かすかだが、光を見ることができるようになった。私
から見れば、まだまだ半人前だが、C雄はけっしてそうは思っていないらしい。相変わら
ず生意気なことを口にして、ああでもない、こうでもないと言っている。
●引きこもり
2005年3月、国会内の答弁において、南野国務大臣は、つぎのように答弁している。
『青少年の引きこもり、これは最近の青少年を取り巻く環境の変化により深刻化している
問題の一つであり、各種の調査によりますと、例えば、何が根拠で私がそう申し上げてい
るかといいますのは、厚生労働省の研究班の調査によりますと、平成15年度におきまし
て、20歳から49歳の引きこもりの状態にある者が約24万人に上ると推計されている。
また、2番目といたしましては、厚生労働省の別の研究班の調査によりますと、平成14
年度におきまして、引きこもり状態である子供が存在する家庭は、世帯といいますか、こ
れが41万世帯に上るとも推計されております』(衆議院青少年問題特別委員会会議録)と。
厚生労働省の調査によれば、20歳から49歳までの、引きこもりの状態にある青年が、
24万人~41万人いるということだそうだ。しかし実際には、この倍の人たちがいると
考えてよい。C雄が引きこもるようになって、私も同じようなタイプの子どもを注意して
みるようになった。その結果だが、私の家の近辺だけでも、そういった子どもが、数名は
いる。けっして、少ない数ではない。
家族に引きこもる人がいても、家族は、それを隠そうとする。しかも診断基準がない。
心療内科でも、うつ病と診断されるケースが多い。またうつ病に準じて、薬物が処方され
る。引きこもっている青年が、100万人いると聞いても、私は、驚かない。
●原因
引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者がふ
えている。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗す
ると、子どもは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田
敬子・母子保健情報54・06年11月)を形成すると説く。さらに、心の病気、たとえ
ば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成
人してから、うつ病につながっていく、と。
C雄についても、思い当たるフシがいくつかある。結婚当初の私たちは、夫婦喧嘩ばか
りしていた。それに私は仕事第一主義で、ワイフに子育てを押しつけ、仕事ばかりしてい
た。ワイフのみならず、C雄にまで、仕事からくるストレスをぶつけていた。
C雄にしてみれば、暗くて、憂うつな乳幼児期だったかもしれない。そしてそれが原因
となって、青年期の引きこもりへとつながっていった(?)。
しかしこの問題だけは、原因さがしをしても、あまり意味はない。意味があるとすれば、
C雄がそうなったのも、私たち夫婦に責任があるということ。その責任をさておいて、C
雄ばかりを責めても意味はない。こういうケースでは、親がまず謙虚になること。子ども
は、家族の代表者にすぎない。子どもに何か問題が起きれば、それは家族の問題であり、
家族全体でかかえる問題である。そういう視点を、踏みはずしてはいけない。
●私たちの経験から
(1) まず自分を知る……だれしも、ひとつやふたつ、暗い過去を背負っている。暗い
過去のない人など、いない。だからだれしも心の傷を負っている。傷を負っていない人な
どいない。大切なことは、その傷に早く気がつくこと。まずいのは、傷があることに気が
つかないまま、その傷に振り回されること。私のばあいも、あの戦後直後という時代に生
まれ、家庭教育の「カ」の字もないような家庭環境で育った。そのため「家庭」というも
のを知らず、家庭のもつ(温かさ)に、飢えていた。そしてその(飢え)が、気負いとな
り、私の家庭をぎくしゃくしたものにしていた。C雄は、その犠牲者に過ぎなかった。
(2) 暖かい無視……子どもが引きこもるようになったら、暖かい無視に心がける。最
近になってC雄もこう言っている。「親たちが、ぼくを無視してくれたのが、いちばんよか
った」と。とにかく何も言わない。小言も言わない。生活態度がだらしなくなるから、そ
れなりに、そのつど、言いたいことはあった。しかしそこはがまん、またがまん。いちば
ん苦しんでいるのは、C雄自身であることを理解する。寝たいときに寝る。起きたいとき
に起きる。そういう生活が、2年とか3年つづいても、無視する。暖かく無視する。
(3) ほどよい親である……やりすぎない。しかし何もしないというわけではない。子
どものほうから何かを求めてきたら、そのときはていねいに答えてやる。C雄のばあいも、
一度、専門学校への再入学を考えた。私たちは資料を集め、C雄が望むようにした。内心
では、「無駄になるだろうな」と感じていたが、それは言わなかった。「がんばれ」とか、「し
っかりやれ」とも言わなかった。淡々と事務的に協力し、それですました。
(4) 精神薬……現在もC雄は内科で処方してくれる(軽い薬)をのんでいる。しかし
こうした精神薬の投与は、慎重であったほうがよい。副作用も強いが、それをやめたとき
の反作用も強い。かえって症状が以前よりひどくなるということも、よくある。また個人
差がはげしく、個人によって効果の現れ方が大きく異なる。私自身は、時間がかかっても、
当人がもつ自然治癒力を信じた方がよいと考えている。その点、心療内科にせよ、精神科
にせよ、投薬しないと収入につながらないため、何らかの薬を処方したがる(ようだ)。
(5) 時間……この病気だけは、(病気と言ってさしつかえないと思うが)、5年単位、
10年単位の根気が必要である。C雄のばあいも、一進一退を繰り返した。ぬか喜び、取
り越し苦労は禁物。親の方が動じない。今、その最中にある人にはつらいことかもしれな
いが、5年単位、10年単位の忍耐が必要である。あせればあせるほど、一時的な効果は
得られるが、かえって症状をこじらせてしまう。説教などは、しても意味はない。本人が
自分で考え、自分で行動するようにしむける。なおC雄について言えば、自分からマラソ
ン練習を始めたとき、私たちは、はじめてC雄が回復したと実感した。オーストラリアか
ら帰ってきて、13年目のことである。
(6) 幼児返り……回復に向かうとき、特異な現象がいくつか見られた。たとえば幼児
返りもそのひとつ。幼児期からもう一度、自分を再現するような行動が、順に見られた。
最初は幼児期、そして小学生のころ……、と。そのころC雄がしていた遊びなどを、C雄
は繰り返した。バラバラになっていた過去を、積み木を積み重ねるように、C雄なりのや
り方で、再構築したのではなかったのか。が、それが終わったからといって、すぐに回復
に向かったというわけではない。
(7) 退屈作戦……「作戦」と呼ぶのは、C雄には失礼な言い方になるが、しかし私た
ち夫婦は、こう決めた。C雄が退屈に耐えられなくなるまで、退屈にするしかない、と。
しかし引きこもりをする子どもというのは、その退屈をしない。そこでまた根競べが始ま
る。「ふつうの人なら耐えられないだろうな」と思うような生活を、平気で繰り返す。それ
が5年とか10年もつづく。しかしここであせってはいけない。脳の機能が正常に近づい
てくると、子どもは退屈を覚える。覚えたとたん、行動を開始する。
(8) 前向きに考える……引きこもりは悪いことばかりではない。引きこもる子どもは、
人生を内側からいつもしっかりと見つめている。ふつうの人にはない人生観を手にするこ
ともある。C雄についても、こう感じたことがある。「まったく世間と接していないはずな
のに、どうしてこうまでしっかりとした人生観をもっているのだろう」と。むしろ私の方
が、いろいろ教えられたほどである。
●最後に……
どの家庭も外から見ると、何も問題がないように見える。しかし問題のない家庭など、
ない。いわんや、子どもをや。だから子どもに問題があったとしても、「どうしてうちの子
だけが」とか、そういうふうには、考えてはいけない。
平凡は美徳だが、平凡な人生からは、何も生まれない。ドラマも生まれない。子育ても
また、しかり。「ようし、十字架のひとつやふたつ、背負ってやる」と覚悟したときから、
前に道が見えてくる。その道を子どもといっしょに歩むつもりで、あとは前に向って進む。
そこに子どもがいるという事実だけを受け入れる。子どものよい面だけを見ながら、それ
を信ずる。
そう、昔の人はこう言った。『上見てきりなし、下見て切りなし』と。C雄についていう
なら、C雄は他人に対しては、やさしすぎるほど、やさしい心をもっている。(私たち夫婦
には冷たいが……。)健康だし、それなりの人生観ももっている。タバコは吸うが、酒は飲
まない。麻薬などとは、まったく無縁の世界にいる。が、何よりもすばらしいのは、まじ
めなこと。
今でも仕事の勤務時間は不規則だが、不平不満を口にすることもなく、がんばっている。
その(まじめさ)にまさる価値があるだろうか。
まだまだドラマはつづきそう。しかしそのドラマを楽しむ心を忘れたら、C雄も行く道
を見失う。私たちは、これからもC雄とともに、そのドラマを楽しみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
引きこもり 子どもの引きこもり 引き籠り 引き篭もり NEET ニート)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●新聞の投書を読む
(能力主義vs年功序列主義)
新聞(C新聞)を読む。
投書欄に目を通す。
そこに50代のある女性が、こう書いていた。
「こういう不況の時代になると、日本型の年功序列主義のありがたさが
よくわかる。
アメリカ追従の、能力主義、効率主義がよいわけではない。
日本型の年功序列主義のよさを見直そう」と。
中学生や高校生の意見なら、「よく書けている」と評価したかもしれない。
しかし50代の女性の意見としては、「?」。
年功序列主義にしても、能力主義にしても、それは択一の問題ではない。
年功序列主義の中に、能力主義があり、能力主義といっても、そこには、
ある程度の年功序列主義がある。
この大不況の中にあって、「私たちだけはだいじょうぶ」と喜んでいるのは、
おそらく公務員の人たちだけではないのか。
公務員の世界では、完全に近いほど、年功序列主義が徹底している。
そういう人なら、この女性のような意見をもつかもしれない。
それにこの女性の意見には、基本的な部分で、事実認識にまちがいがある。
「こういう時代」とは、現在の大不況のことをいうのだろう。
であるならなおさら、こういう時代に、年功序列主義を貫いていたら、その会社は、
あっという間に倒産してしまう。
あのトヨタだって、あぶない。
つまり「年功序列主義だから、安心」「能力主義だから、仕事を失った」という
視点が、的をはずれている。
またどうしてここに「アメリカ」が出てくるのか?
大不況だからみな、職を失っている。
能力主義だから、職を失っているわけではない。
どうしてそんな簡単なことがわからないのだろう、とまあ、辛らつな批評をしたところで、
この話はおしまい。
繰り返すが、50代の女性の意見としては、「?」。
ついでに言うなら、こういう意見を、私たちの世界では、「つっこみが甘い」という。
俗な言い方をすれば、「浅い」。
ありきたりの意見で、深みがない。
思想として、熟成されたものを感じない。
先にも書いたように、私はこれを書いた女性は、(あるいはその女性の夫は)、
公務員ではないかと思う。
あのバブル景気が崩壊したときも、デフレが進んだときも、また今回の大不況になった
ときも、彼らだけは守られた。
「大不況、どこ吹く風」と。
そういう人たちを守るための年功序列主義であるなら、私はあえて、年功序列主義に
反対したい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●品質保持というウソ
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テレビを見ていたら、こんなことを言っている人がいた。
あるパソコンメーカーの社員だった。
「安い台湾製のパソコンをどう思うか?」と聞かれたのに
対して、「日本は、品質で勝負する」と。
その社員はこう説明していた。
「どうして台湾製のパソコンは安いか、パソコンを分解して
調べている」「しかし台湾製は、あやしげな部品を多く使って
いる」「日本ではそういう部品は使わない」「だから日本は
品質で勝負する」と。
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しかしこの話は、どう考えてもおかしい。
何も台湾製のパソコンの肩をもつわけではないが、パソコンは
品質ではない。
サービス。
サービスで買う。
故障したら、修理してもらえばよい。
内部にどんな部品を使っていようが、パソコンとして機能すれば、
あとは値段。
値段が安ければ、それでよい。
というのも、日本製のパソコンは、同じレベルのものなら、台湾製より、
値段は、5割は高い。
だいたい2倍、とみる。
だったら、日本製のパソコンを1台買うお金で、台湾製のパソコンを
2台、買ったほうがよい。
たとえ寿命が半分でも、そのほうが得。
私も現在、ACERのASPIRE、MSIのU100、それに
HPの2133(中身は台湾製)の3台を使っている。
それぞれにクセはあるが、今のところすべて快適に動作している。
中には、「3台も!」と思う人がいるかもしれないが、ASPIREは、
5万4000円、U100は、4万2000円、2133は、6万8000円。
計16万4000円。
それでも日本のT社のダイナブックの約半額である。
加えてパソコンの世界は、日進月歩。
品質を問題にする前に、たいていの人は、つぎの新機種へと乗り換えていく。
ふつう2~3年で、買い換えていく。
さらに言えば、品質を問題にするなら、こうも言える。
「日本製だって、故障だらけではないか」と。
それもそのはず。
今、ハードディスクも含めて、ほとんどが輸入品。
何をもって日本製というのか。
つまりこういうトンチンカンなことを言っているから、日本製は
台湾製のパソコンに市場を奪われていく。
現在、日本市場を席巻きしているパソコンの30~40%は、
台湾製と言われている。
その社員は、こういう現実を、どう考えているのか。
さらに付け加えれば、パソコンはすでに生活の一部になりつつある。
品質よりも使い勝手、仕事の内容で選ぶ。
私のばあい、ミニパソコンは、ワープロ専用。
一般の人は、インターネットとメール専用。
それだけできれば、じゅうぶん。
棚に飾っておく時代から、気軽に、ノートのように
使う時代になった。
日本製のようにゴチャゴチャと余計なものばかりついて、それで
値段が高いとしたら、それこそ無駄。
私たちは無駄な買い物は、しない。
がんばれ、日本!
発想を変えろ、日本!
でないと、本当に日本は沈没してしまうぞ!
Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司
●BW公開教室(2)
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BW公開教室を開設して、1週間になる。
初日のアクセス数は、30件前後。
昨日のアクセス数は、70件前後。
まあまあの出だしである。
悪くない。
アクセス件数を見ていたら、やる気が出てきた。
今日も、6作ほど、子育てのポイントを
収録した。
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BW公開教室を通して、私はありのままの「私」を出していく。
今さら飾るものはない。
飾っても意味はない。
それよりも、私は今の「私」を、こういう形で残しておきたい。
たぶん、(あくまでも私の夢だが)、こうすることによって、私が死んだあとも、
「私」は残るだろう。
墓石で自分を残すという方法もあるかもしれない。
が、墓石にしたところで、50~100年はもたない。
墓石がどうのこうのいうのではない。
ただ墓石よりは、長く残ればよい。
100年後の人が、1文でも、1人でも、読んでくれれば、それでよい。
だから私は書く。
書きつづける。
私の計算によれば、こうだ。
仮に私が、3万ページの原稿を書いたとする。
で、私の死後、1年ごとに、50%の文が削除されるとする。
2年目には、15000ページ。
3年目には、7500ページ。
4年目には、約3800ページ。
5年目には、約1900ページ。
6年目には、約1000ページ。
7年目には、約500ページ。
8年目には、約250ページ。
9年目には、約125ページ。
10年目には、約60ページ。
10年後に、60ページも残れば、感謝しなければならない。
が、ほかに方法がないわけではない。
有料のプロバイダーに前もって、代金を先払いしておく。
100年分は無理としても、50年分くらいなら、何とかなる。
あるいは、元から無料のHPサービス会社に、原稿を分散して残しておく。
その会社が残るかぎり、原稿は残る。
それにこんな方法もある。
3万ページでも、10万ページでもよい。
それをDVDに焼いておく。
いつか私の子孫が、それをその時代のインターネットにアプロードしてくれればよい。
今は無理かもしれないが、100年後には、10万ページでも、瞬時に
アプロードできるようになるはず。
どうであるにせよ、私にとっての墓石は、このインターネットである。
今書いているこの文章こそが、私の遺骨である。
いや、遺骨など残しても意味はない。
まったく意味はない。
残すなら、脳みそということになるが、しかし保存には向かない。
それに脳みそから、(その人)を取り出すのは、むずかしい。
いくら解剖しても、そこにあるのは、神経細胞とそれから延びるシナプスだけ。
(その人)が(その人)なのは、思想であり、哲学であり、生き様ということになる。
生きた記録でもよい。
だとするなら、やはりインターネット上に、自分の書いたものを残すのが、いちばんよい。
私は文章がよいと思うが、文章でなくてもかまわない。
絵でも写真でも声でも作品でも、何でもよい。
……という思いをこめて、「芽衣の部屋」の制作に夢中になっている。
BW教室をそのまま紹介している。
自分でも、バカなことをしていると思っている部分もないわけではない。
しかしそれも私。
あれも私。
あとの判断は、それを見た人に任せればよい。
私の知ったことではない。
残るものは残る。
残らないものは残らない。
万事、人任せ。
風任せ。
しかし楽しい。
ここしばらくは、芽衣の部屋にのめりこみそう。
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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