*Thinking & Letters
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 3月 4日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●従順な子ども(Obedient Children)
(Has the Japanese education changed a lot since the end og the WW2? The answer
should be “No”. Still now most of the teachers want more obedient children, so-called
“obedient children without mouths”. The biggest problem we have is that there is only
one course provided for children in Japan.
++++++++++++++++++++++
日本の学校、つまり日本の教育は、基本的に、
「もの言わぬ、従順な子ども」ほど、いい子と考える。
またそういう子どもにすることを、教育の(柱)に
している。
(少し過激かな?
しかしこれくらい過激に書かないと、みな、
目を覚まさない。)
明治以来、国策としてつづけられてきた、こうした
教育観は、ほとんど変わっていない。
代々、教師から生徒、さらにつぎの生徒へと、
受け継がれている。
こう書くと、「私はちがう」と反発する教師も
いるかもしれない。
しかし反発する前に、外国の学校と、比較して
みたらよい。
あるいはあなたが入学試験の試験官だったら、
どういう生徒を望むか、それをほんの少しだけ、
考えてみたらよい。
直接、日本人を、外国の子どもたちと比較してみるのも
よいかもしれない。
私がここに書いていることが、大筋ではまちがっていない
ことを、あなたは知るはずだ。
+++++++++++++++++++++++
●一定のワク
幼稚園教育には、「6領域」という言葉がある。
「健康」「社会」「自然」「言語」「音楽リズム」「絵画制作」の
6つを、「6領域と」いう。
「6つの分野にわたって子どもを指導する」というものだが、
要するに、何を教えてもよいということ。
が、この「6領域」という言葉は、日本人が考えたものではない。
アメリカの学校にも、同じ言葉がある。
しかも小学校で、それを使っている。
アメリカが日本の教育のまねをした形跡はないから、
日本がアメリカのまねをした。
あるいは戦後、GHQとともに、日本へもたらされた。
そう考えてよい。
要するに、アメリカの小学校では、何を教えてもよい
ということになっている。
「州政府の指導はきわめて緩やかなものです」と、
ある小学校の校長が、私に、話してくれた(アメリカ・A州S小学校)。
(念のため申し添えると、その校長の部屋の前には。
鯉のぼりが飾ってあった。
日本の学校を視察したこともあるという。
そういう立場、つまり日本の教育がどういうものであるかを
知った上で、そう言った。)
言うなれば、日本の教育には、メニューはひとつしかない。
一方、アメリカの小学校には、メニューがいくつもある。
入学年度すら、それぞれの小学校が、自由に決められる。
だから教師にしても、日本では、与えられたワクの中に、
子どもに押し込めようとする。
またそれからはずれる子どもは、嫌われる(?)。
嫌われるという言葉がきついなら、敬遠される。
アメリカには、最初から、そのワクそのものがない。
だったら、どうするか?
教育を自由化する。
自由化に始まって、自由化で終わる。
「それでは国がバラバラになってしまう」と考える人が
いるかもしれない。
もしそうなら、それこそ全体主義。
中国やK国の指導者がそう言うなら、まだわかる。
が、どうしてこの日本が、そんなことを心配するのか。
あるいは、以前、私にこう反論した教師がいた。
「日本は、まだそのレベルに達していない」と。
「自由化してよいほど、日本人の教育観は熟成していない」と。
しかし本当にそうだろうか?
あるいは、そう思い込んでいるだけではないのか?
もしそうなら、文部科学省が、率先して、教育の
自由化を推し進めたらよい。
それでこそ、「教育」である。
アメリカでは、学校の設立そのものが、自由化されている。
さらに進んで、カナダでは学校で使う言語すら、自由。
(アメリカの学校は、英語で教えるが基本になっている。)
カリキュラムにしても、「6領域」※を定める程度にする。
もちろん教科書の検定などというものは、廃止。
もとからあのようなバカげた制度があるほうが、おかしい。
もうやめたらよい。
現在、教科書の検定制度をもっている国は、欧米先進国
の中では、この日本だけ。
どうしてそういう事実に、日本人は、もっと目を向けないのか。
子どもたちが学校で使うテキストにまちがいがあるなら、
そのつど、教師がそれを正せば、それですむこと。
それに今は、インターネットという、すばらしい文明の
利器がある。
やがてコンピュータも、ノート大になり、ノートの
ように気軽に使える時代がやってくる。
言うなれば、巨大な図書館が、ノートの中に、
収まることになる。
教科書に書いてあることが正しいかどうかは、瞬時に、
自分で判断できるようになる。
そういう時代も想定して、では教育はどうあるべきかを、
考えたらよい。
人間の生き方は、けっして、ひとつではない。
同じように、子どもの教育も、けっして、ひとつで
あってはいけない。
多様な道を用意することこそ、教育者の義務では
ないのか。
たまたま今も、窓の外に、学校の校舎が見える。
真四角の箱にしか見えない校舎である。
あの箱の中で、今、どんな教育がなされているのか。
またなされていないのか。
ふと手を休めて、私はそんなことを考えた。
かなり過激な書き方をしたが、しかしこれくらい
過激に書かないと、みな、目を覚まさない。
私自身も、一足飛びに自由化せよと考えているわけではない。
ひとつの努力目標として、前にかかげるべきではないかと、
考えている。
(補記※)「幼稚園教育の六領域」(以下、文部科学省HPより抜粋・転載)
●幼稚園教育要領の制定
文部省は保育要領実施後の経験と、研究の結果に基づき、また現場の要望にこ
たえて、昭和三十一年度に「幼稚園教育要領」を作成した。幼稚園教育要領に
おいては、教育内容を「健康」、「社会」、「自然」、「言語」、「音楽リズ
ム」、「絵画制作」の六領域に分類し、さらにその領域区分ごとに「幼児の発
達上の特質」およびそれぞれの内容領域において予想される「望ましい経験」
とを示した。さらに、三十九年度には、それまでの経験や研究の結果を生かし
て、教育課程の編成や指導計画の作成をよりいっそう適切にするために「幼稚
園教育要領」の改訂を行ない、小・中・高校と同様、文部省告示をもってこれ
を公示し現在に至っている。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
幼稚園教育 幼児教育 六領域 6領域 教育の自由化 教育自由論)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●文字と思考
(The invention of letters has changed the world a lot and so did in Japan, too.)
+++++++++++++++++++
文字は、論理を組み立てる上において、
必要不可欠なものである。
言うなれば、子どもが遊ぶ、ブロックのようなもの。
そのブロックを組み合わせて、人は、論理の世界をつくる。
つまり(言葉)という抽象的概念を、(文字)化することによって、
人はそれを、(思考)(思想)にまとめることができる。
たとえば「怒り」。
カーッとなって不愉快な状態になったことを、(怒り)という。
それを「怒り」という言葉を使って、表現する。
「私は怒っている」と。
が、そのままでは、怒りを分析したり、論理的に
解明したりすることはできない。
「なぜ私は怒っているのか」「怒りを静めるためには、
どうすればいいのか」と。
そこで「怒っている」という言葉を、「怒り」という
文字に置き換える。
文字にすれば、遠く離れた人に、自分の感情を伝える
ことができる。
「私はあなたを怒っています」と。
が、それだけではない。
理由も、書くことができる。
「あなたは、私をだましました。それで怒っているのです」と。
こうして人は文字を使って、情報の伝達を行い、感情を
共有することができる。
++++++++++++++++++++++
●万葉仮名
あなたは、つぎの漢字をどう読むだろうか。
『皮留久佐乃皮斯米之刀斯』
ウ~~ン!
謎解きのような文章である。
しかしこれは、「はるくさのはじめのとし」(春草の始めの年)と読むのだそうだ
(「日本古代史・謎とミステリー」・リイド社)。
2006年10月、大阪中央区の難波宮(なにわのみや)跡で見つかった、
木簡に、そう記されていたという(同)。
文字は漢字を使い、読みと文法は、日本語に従った。
こういうのを、万葉仮名という。
そこで私も考えてみた。
亜
伊
宇
江
尾
上から、「あいうえお」と読む。
その万葉仮名から、平仮名やカタカナが生まれた。
今さら説明するまでもないことである。
「は」は、「波」から生まれた?
「や」は、「矢」から生まれた?
「し」は、「氏」から生まれた?
よく平仮名やカタカナは、日本人の発明したすばらしい文字であると
説く人がいる。
しかし本(もと)を正せば、中国語。
それを簡略化したにすぎない。
いちいち漢字で書いていたら、それこそたいへん。
時間の無駄。
だれだって、簡略化することを考えただろう。
「日本人の発明」というような、おおげさなものではない。
……で、今、改めてしげしげと、自分の書いた文章を見つめなおす。
そこには平仮名と漢字が入り交ざった文章が、並んでいる。
当たり前のようにして使っている(文字)だが、それにもいろいろな歴史があるらしい。
たまたま横で別の本(「日本史」・河出書房新社)を読んでいたワイフが、こんな
おもしろい事実を話してくれた。
あの紀貫之(きのつらゆき)の幼名は、「阿古久曽麻呂(あこのくそまろ)」と
言ったそうだ。
「くそ」は、そのままズバリ、「ウンチ」のこと。
そんな名前をつける親も親だが、まだ名前があっただけ、よかったほうなのかもしれない。
これも万葉仮名ということになるが、「阿」が、「あ」になり、一部を取って、「ア」
になった。
「久」は、わかりやすい。
「久」が、「く」になり、「ク」になった。
難波宮跡で見つかった木簡でも、「久」が、「く」と読まれていた。
……しかしこういう話は、あまり深入りしないほうがよい。
へたなことを書くと、その道の専門家たちの袋叩きにあう。
こういうことを一生懸命調べている人もいるわけだから、ここは謙虚になったほうがよい。
で、話を戻す。
(戻すといっても、どこへ戻したらよいか、わからないが……。)
●文字
文字を知って、日本人は、飛躍的に進歩した。
文字があるからこそ、人から人へと、情報を伝えることができる。
言いかえると、もし文字がなかったら、……というよりそれ以前の日本人は、
きわめて原始的な民族だったということになる。
進歩をしたくても、進歩のしようが、ない。
私の近辺にも、本をほとんど読んだことがないという人がいる※。
率直に言って、そういう人は、どこか変?
だから私は、こう推察する。
(文字を読んだり書いたりすること)で、脳のある部分が
刺激され、それが(思考力)に結びついているのではないか、と。
だから文字を読んだり書いたりすることがない人は、思考力そのものが、育たない。
私自身も、こうしてパソコンに向かっていないときは、深くものを
考えることができない。
こうして文字を打ち始めて、はじめて脳みそのある部分が、アクティブになる。
そのとき思考力が働き始める。
もう少し、わかりやすく説明しよう。
たとえばあなたが、何かのことでだれかに、怒りを感じたとしよう。
怒りそのものは、悶々とした感情で、それには(形)はない。
その(怒り)に形を与えるのが、言葉ということになる。
「なぜ私は怒っているのか」と。
つまり言葉で表すことによって、人間は感情的感覚を、抽象的概念にする。
そしてそのとき、それを(文字)で表現することによって、(怒り)を
分析し、内容を論理的に考えることができる。
もちろん他人に伝えることもできる。
が、それはかなりめんどうな作業である。
たいていの人は、できるならそれを避けようとする。
難解な数学の問題を押しつけられたときの状態に似ている。
もし文字を書くことがなかったら、「バカヤロー」「コノヤロー」程度の、
感情的表現で、終わってしまっていたかもしれない。
またそのほうが、ずっと楽(?)。
事実、本を読んだことがないという人は、情報だけが脳みその表面をかすっている
といったような印象を受ける。
感情のおもむくまま行動しているといった感じもする。
言葉にしても、頭の中で反すうするということを、しない。
そういう意味で、(文字)には、特別の意味がある。
ただ「使う」とか「使わない」とかいうレベルの問題ではない。
万葉仮名を使うことによって、日本人は、日本人としての「個」を確立した。
また文字を使ったからこそ、その時代を今に、伝えることができた。
だからこそ、その時代を、私たちは「個」としてとらえることができる。
冒頭にあげた難波宮跡から見つかった木簡は、7世紀中ごろのものとみられている(同書)。
つまり日本人が日本人としての「個」をもち始めたのも、そのころと考えてよい。
それまでの日本人は、言うなれば、「個」のない、ただの原住民に過ぎなかった。
……というのは言い過ぎかもしれないが、隣の中国から見れば、そう見えたにちがいない。
そのころすでに中国では、何千もの漢字を自由に操って、文学や思想の世界だけではなく、
科学や医学の分野においても、世界をリードしていた。
(※付記)
昔、私の知っている女性に、こんな人がいた。
口は達者で、よくしゃべる。
情報量も多く、何かを質問すると、即座に答がはね返ってくる。
が、その女性(当時、50歳くらい)の家を訪れてみて、驚いた。
新聞はとっているようなのだが、本とか、雑誌が、ほとんどなかった!
で、ある日のこと。
その女性が、ある問題で困っているようだったので、私は資料を届けることにした。
本をコピーしたので、それが20~30枚になった。
ところが、である。
私がその資料をテーブルの上に置いたとたん、その女性はヒステリックな声を
あげて、こう叫んだ。
「私は、そんなものは、読みません!」と。
で、そのときは、そのまま私のほうが引きさがった。
私のほうが何か悪いことでもしたような気分になった。
が、そのあとも、似たようなことが、2度、3度とつづいた。
私は、その女性が、何かの障害をもっているのではないかと疑うようになった。
識字能力……読み書きできる人のことを、識字者という。
それができない人を、非識字者という。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関=UNESCO)では、識字について、
「日常生活における短い簡単な文章の読み書きができる人を識字者、できない人を非識字
者」と定義している。
日本では、昔、文字を読めない人を、「文盲」と呼んだ。
しかしその後の教育の整備が進んで、今では、文盲の人はいないということになっている。
そこで近年では、(1)文字は読めても、(2)それを理解できない人を、非識字者と
位置づける学者も多い。
ポイントは、一応の読み書きはできる。
しかし読んでも、それを理解することができない、というところにある。
で、たとえばその女性のばあい、(1)文字を目で拾って、読むことはできる。
簡単な手紙を書くことはできる。
しかし、(2)論説的な文章になると、それを理解することができない。
それができる人には、何でもないことかもしれないが、文字が活字として、
こうまで一般に普及したのは、ここ100年前後のことである。
能力が、それについていないという人がいたとしても、おかしくない。
たとえば工事中の現場を見たとする。
地面が掘り返され、工事車両が並んでいる。
私たちは、そうした様子から、そこが工事中であると知る。
が、「工事中」という文字を見たときはどうだろうか。
大脳後頭部の視覚野に映し出された映像の中から、まず文字だけを選び出さなければ
ならない。
つづいてその情報を、今度は、側東部や頭頂部が、
そこでそれまでに蓄積してあった情報と照合する。
さらに記憶となって残っている情報と照合する。
そこではじめて「工事中」という文字の意味を知る。
つまり文字を理解するというのは、それまでにたいへんなことだということ。
それができる人には、何でもないことかもしれないが、そうでない人にはそうでない。
このことは、LD児(学習障害児)をみると、わかる。
ある一定の割合で、文字を読んでも理解できない子どもがいる。
たとえば算数の応用問題が、できない、など。
そこで私が「声を出して読んでいい」と言って、声を出して読ませたり、
別の紙に書き写させたりすると、とたん、「わかった!」とか、言う。
一度、自分の声で読み、それが耳を経由すれば、理解できるというわけである。
ただし程度の差もあり、また診断方法も確立されていないため、このタイプの
子どもが、どれくらいの割合でいるかということについては、わからない。
さらに言えば、文字を読んでも理解できない点について、識字能力に問題があるのか、
それとも、知的能力そのものに問題があるのか、その判別もむずかしい。
しかしそういう子どもがいるのは、事実。
20人に1人くらいではないか。
だとするなら、その延長線上に、文字を読んでも理解できないおとながいると考えても、
おかしくない。
私は、その女性が、そうではないかと疑った。
と、同時に、いろいろな面で、思い当たることがあった。
先に書いたように、その女性の周辺には、本だとか雑誌など、そういったものが、
ほとんどなかったということ。
反対に、私のばあい、本に埋もれて生活をしているので、そういう生活そのものが、
たいへん奇異に見えた。
またビデオ・デッキも、なかった。
「ビデオは見ないのですか?」と聞くと、「ああいうものは、疲れるだけ」と。
とくに洋画は、まったく見ないと言った。
あとから思うと、字幕を読むのが苦痛だったためではないか。
……そうこうしながら、それから10年ほど、たった。
話を聞くと、その女性は、この10年間、ほぼ同じような状態ということがわかった。
が、そこに認知症が加わってきた。
周囲の人たちの話では、的をはずれた言動や、はげしい物忘れが目立つようになってきた
という。
今のところ、日常の生活に支障をきたすようなことはないそうだが、「どこか、
おかしい?」と。
となると、当然のことながら、識字力は、衰退する。
(文字を読まない)→(文字から遠ざかる)の悪循環の中で、文字を読んでも
ますます理解できなくなる。
ワイフはその女性について、最近、こう言った。
「あの人には、文化性を感じないわ」と。
文化性というのは、生活を心豊かに楽しむための、高い知性や理性をいう。
その逆でもよい。
高い知性や理性をもった人は、生活を心豊かに楽しむことができる。
つまり文化性のある人は、音楽を楽しんだり、本を読んだりする。
それがその女性には、「ない」と。
私もそう感じていたので、本文の中で、「率直に言って、そういう人は、どこか変?」
と書いた。
なおあのモンテーニュ(フランスの哲学者、1533~92)も、こう書いている。
「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、
考えたことはない」(随想録)と。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 識字
識字者 非識字者 文字 文盲 文章の読めない子ども 文を理解できない子供)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ネットブック
+++++++++++++++++
ネットブックが、3台になった。
HPの2133、ACERのASPIRE(1)、
それにMSIのU100。
U100は、今夜、買った。
緊急値下げということで、4万2700円。
ネット販売の価格より、ほんのわずか高かったが、
即、手に入るということで、近くの店で買った。
+++++++++++++++++
●日本勢、敗れたり
台湾製のネットブックが、日本で席巻きしている。
売れ筋のネットブックは、HP社、DEL社をのぞいて、すべて台湾製。
HP社のパソコンも、DEL社のパソコンも、中身は、台湾製。
そのあとを日本勢が追いかけている。
エプソン、東芝、NEC……。
エプソンをのぞいて、どれもパッとしない。
今のところ、日本勢に、勝ち目はない。
その第一。
性能はほとんど変わらないのに、値段が、2~3万円も割高。
無駄なものばかりくっついて、値段が高い。
(付加価値をつけて、利益をあげようという意図が見え見え。)
その点、MSIのU100には、無駄なものは、いっさい、なし。
XPにしても、セットアップから、自分でする。
おまけのソフトも、なし。
包装も、簡単なもの。
その代わり、うれしかったのは、バッグが付属していたこと。
(ACERのASPIRE(1)も、バッグが付属していた。)
こういう気配りが、うれしい。
で、近く、ソニーのネットブックが発売になるという。
すでに店には見本が並んでいる。
大きさは、ちょうどASPIRE(1)や、U100を、上下に半分に
割った大きさ。
キーボードの配列、大きさは、ほぼ同じ。
それを見た私の感想は、「これでは売れない」。
理由がある。
第一に、値段が高すぎる。
実売価格は、7万円前後。
若い人が、おいそれと買える値段ではない。
が、最大の理由は、日本の会社の悪い癖というか、差別化意識が強すぎる。
ソニーはソニーの独自色を出したいのだろうが、出しすぎ。
売れ筋の後を追ってでもよいから、どうして(売れるもの)を作らないのか?
「どうだい、うちのソニーは、こんなものを作れるんだぞ」というような
傲慢さが、かえってユーザーの購買意欲を退けてしまう。
今、売れ筋は、(1)値段が安く、(2)持ち運びができて、(3)そこそこに
機能するパソコンである。
小さければ小さいほどよいというわけではない。
小さくてよければ、KOJINSHAのが、2万9000円から出ている。
無駄なものは、必要ない。
それに日本勢は、サービス過剰。
包装もマニュアルも、バカていねい。
ショップにあるカタログによれば、おしりのポケットに収まるという雰囲気だが、
どこのだれが、おしりのポケットに、パソコンなど入れるだろうか。
仮に入ったとしても、そんなところへは入れない。
が、何よりも致命的なのは、バッテリーのもち時間が短い。
本体が小さいから、バッテリーも小さくなったのだろうが、今どき3時間程度
しかもたないネットブックなど、だれが買うだろうか?
画面は高精細で美しいが、必要以上に高精細であっても、老眼ぎみの人には、
かえって見づらい。
日本のメーカーも、一度、ものづくりの原点に立ち返るべきである。
安くて、よいものをめざす。
(飾り)よりも(中身)。
言うなれば日本製は、盆暮れの付け届けで届く、海苔の化粧箱のよう。
見た目には豪華だが、中身がない。
一方、台湾製は、中身だけを売るといった感じ。
ユーザーの身になって、製品を開発している。
では、どうするか?
(1)おかしなプライドは捨てて、売れ筋のパソコンで勝負する。
(2)台湾製が5万円なら、4万5000円で出す。
少しきびしい意見だが、日本の再興を願って、一言。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●迷惑メール
一時は、迷惑メールだけでも、1日、300~400通を超える
ようになった。
で、そのあと、プロバイダーのほうでもフィルターをかけてくれるようになった。
私のほうでも、フィルターをかけるようにした。
ということもあって、このところ、迷惑メールは、ほとんどこなくなった。
しかし敵もさるもの。
(「さるもの」というのは、「然(さ)るもの=さすが」という意味だが、
「猿」にかけている。正しくは、「敵もさるもの、ひっかくもの」と言う。)
差出人をフィルターに登録しても、すり抜けてくる。
たいていは個人名でくる。
おそらく似たような漢字を使うことによって、フィルターをすり抜けているのではないか。
「斉藤」を「齊藤」と表記するなど。
それがしつこいほど、毎日のようにつづく。
件名:連絡は届きましたか。
件名:これが最後です。
件名:チャンスを逃さないように。
件名:連絡、ありがとうございました、などなど。
片っぱしから削除しているが、これがなかなかたいへん。
追いつかない。
何のメールかわからないから、それだけに不気味。
が、そのうちボロが出る。
件名:今なら、2時間以内に、Sxxできます、とか。
で、そんな話をしていたら、ある人と話していたら、その人がこう言った。
メールもうるさいが、電話もうるさい、と。
最近多いのが、電話回線の乗り換え。
「○○光通信の者です」とか言って、電話がかかってくる。
で、その人のばあい、こう言って、相手を撃退しているそうだ。
知「……なんですか、そのヒ・カ・リ・通信というのは?」
相「お宅では、今、インターネットをなさっていますか?」
知「名前だけは聞いたことがありますが……。していません」と。
その知人が言うには、ボケたフリをするのも、よいそうだ。
相手はそのまま、あきれたような声で、電話を切る。
で、私のばあいは、今まで、まじめに応答していた。
しかしこれからは、そういう手もありかなと思うようになった。
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●いじけた心
++++++++++++++++++++
あのK国が、またまた対韓国非難をエスカレート
させている。
いろいろ騒ぐのだが、相手にされない。
そこでまたまた騒ぐ……。
あとはこの悪循環。
子どもの世界ではよく見られる現象だが、それを
一国の独裁者がしているところが、おもしろい。
TBSニュースは、つぎのように伝えている。
+++++++++以下、TBS-i・newsより++++++++++
K国は30日、南北間の政治軍事的対立の解消にかかわる「全ての合意事項を無効にする」
との声明を発表、韓国側との対決の姿勢をさらに強めました。
「逆徒一味により、これまで北南間で採択された合意はすでに死文化され、白紙化され
た」(K国中央テレビ午後5時すぎ放送)と。
+++++++++以上、TBS-inewsより++++++++++
自分の意にかなわないからといって、「逆徒」と呼ぶのは、どうか?
もし韓国政府なり日本政府が、類似した言葉を使ったら、どうなるか?
彼らのことだから、「このときぞ」とばかり、ギャーギャーとわめき散らすにちがいない。
つまり自分たちは言いたい放題のことを言いながら、相手がそれを口にするのを許さない。
身勝手きわまりないとは、このことを言う。
これについて、韓国系の新聞各紙は、「脅し」と報道している。
韓国政府も、本気では相手にしていないようだ。
「オバマ政権に対する、ラブコール」という意見もある。
だれにも相手にされないから、ますますいきり立つ。
で、危ないのは、黄海(朝鮮半島の西側)。
しかしそれについても、K国の海軍では、どうしようもない。
2隻、フリゲート艦がもっているが、以前私が調べたところ、
どれも旧ソ連からの払い下げ。
写真で見るかぎり、サビついている。
「動いた形跡なし」と、どこかに書いてあったのも記憶している。
つまりゼンゼン、問題外。
しかしもちろん楽観視していてよいわけではない。
小競(こぜ)り合いが、そのまま戦争に、ということもありえないわけではない。
そうなれば、双方に、甚大な被害が出る。
もちろん日本も、無傷(むきず)では、すまない。
核兵器を使われたら、さらに困る。
それだけはぜったいに、容認できない。
韓国側が、冷静なのはよい。
……というより、今は、それどころではない。
韓国自体が、経済危機という巨大な津波に包まれようとしている。
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●矛盾
(45% of the people in the world are working with only 2 dollars payment a day. Ans
acording to the newspaper of today, an old man of the age 80 had been stolen money of
360000000 yen. The money is equivalent to the payment of 5500 years to one poor man.)
++++++++++++++++
世界に45%の人が、1日2ドルで
働いているという。
一方、日本で、4億円近い現金を
盗まれた人がいた。
++++++++++++++++
今朝の朝刊に、お金にまつわる、2つのニュースが載っていた。
ひとつは、世界の45%の人が、1日2ドル以下で働いているというニュース。
そういう人たちが、14億人にもなるという(ILO・090128)。
もうひとつは、ある県の老人が、庭に埋めておいた、4億円※近い現金を
盗まれたというニュース(以上、中日新聞)。
盗まれたのは、80歳の老人だったという。
(しかもそのあとまもなく、亡くなっているという。)
これら2つのニュースを並べて読んでいると、あまりにも両極端すぎて、どう理解したら
よいか、わからなくなる。
たったの2ドル!、と思ったあとに、4億円も!、となる。
そこで……。
4億円(警察の発表では、3億6000万円)を、ドルに換算すると、約400万ドル。
400万ドルを2ドルで割ると、200万日分。
200万日を365日で割ると、約5500年分。
このあたりまでくると、少し、理解できるようになる。
つまり貧しい人が、5500年働いて稼ぐお金を、どこかの1人の老人が、
盗まれた。
5500年分だぞ!
ところがおかしなことに、こうして考えていくと、その老人のほうが、まちがっている
ように思ってしまう。
老人というより、世界のしくみのほうが、まちがっているように思ってしまう。
もちろんだからといって、盗まれてよかったと書いているのではない。
それはそれ。
しかし同情すべきなのだろうが、正直に書くが、その同情心が、わいてこない。
むしろ「80歳の老人が、4億円ももっていて、どうするの?」と、そんなふうに、
考えてしまう。
実際、この日本では、お金をもっている人は、もっている。
10億円単位でもっている。
しかしその一方で、月額20万円以下の給料で働いている人も多い。
そういう人たちは、毎日、爪に灯をともすような生活を強いられている。
これを社会の矛盾と言わずして、何と言う?
……というような話をしていたら、こんな広告が目に留まった。
何でも、今度、有料の老人ホームができたという。
介護度が4とか5の老人でも、入居できるという。
それを見ると、入居金が500万円。
月々の費用が、部屋代、食事代を含めると、約20万円。
私とワイフが、2人で入居したとすると、入居金が1000万円。
月々の費用が、40万円。
ほかに医療費などもある。
そういう計算をしながら、「死ぬのも楽ではないな」と、まあ、
そんなような会話を、ワイフと交わす。
何かおかしいが、こればかりはどうしようもない。
これでいいとは思わないが、だからといって、何ができるのか。
先の2つのニュースを読んだ直後だけに、矛盾だけが、あとに強く残った。
私「それにしてもさあ、だれが盗んだのだろう?」
ワ「そこに現金が埋まっていると知っていた人よ」
私「どこかで見ていたのだろうか?」
ワ「どこかで見ていたのよ、きっと……」
私「そのあとすぐ、その老人は亡くなったそうだ」
ワ「おかしいわね。何か、事件性を感ずるわ」
私「ぼくも、そう。感ずる、感ずる……。」
ワ「そのあたりも、警察は調べていると思うわ」と。
実は、お金というのは、稼ぎ方よりも、使い方のほうが、むずかしい。
ところがほとんどの人は、どう稼ぐかということばかりを考える。
どう使うかということは、あまり考えない。
「お金は、あればあるほどいい」と考えて、そこで思考を停止してしまう。
その老人がそうだったとは言わないが、やはり結論は、先の話に戻って
しまう。
「そんな老人が、4億円ももっていて、どうするの?」と。
しかしこれは、私のひがみか?
(注※)警察が追認できた金額が、3億6000万円。
盗まれた金額は、それ以上と考えられる。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●1月4日
●OPEN OFFICE
++++++++++++++++++
数日前、「OPEN OFFICE」という
総合ソフトをインストールして、使ってみた。
MS社のワード、エクセルと互換性のある、
無料ソフトである。
以前から二男が、「使ってみたら?」と勧めて
くれていたこともある。
が、使ってみて、ビックリ!
これほどまでに快適に動作するとは、思っても
みなかった。
ワードの文書を自由に読みだせる。
それを編集。
そのあとも、またワード形式で、保存できる。
何よりも、無料という点がすばらしい。
と、同時にこう思った。
「では今までの、MS社の製品は何だったのか」と。
MS社のOfficeは、現在、2万円前後で
売られている。
(最近、1万円前後の廉価版が売りにだされた
という話も聞いているが……。)
現在、ミニパソ(ネットブック)を3台もって
いるが、すべてに、Open Officeを
インストールするつもり。
これならいける!
+++++++++++++++++++
●花粉症対策
(このエッセーは、自己責任で読んでほしい。)
先週の土曜日、山荘へ行ったついでに、杉の木から杉の実を両手にいっぱい取ってきた。
私が子どものころは、「杉ボボ」と呼んでいた。
杉鉄砲の弾(たま)にして、遊んだ。
で、いつかどこかで、杉の花粉症には、杉の実を煎じてのむとよいという話を聞いた。
理屈は、合っている。
前もって、少しずつ体を、杉の花粉に慣らしておく。
減感療法(?)というのである。
家に帰って、それをそのままガラス製の湯沸かし器に入れて、煎じてみた。
が、なかなか色が出てこない。
スギの実も、今ごろはまだ、硬い。
熱湯でグツグツと30~40分ほど煎じてみた。
が、そのあたりで、「飲んでみようか?」ということになり、湯呑に移した。
それを見てワイフが心配そうに、「だいじょうぶかしら?」と。
胃か腸がアレルギー反応を起こすことを心配した。
私「ぼくが飲んでみるよ」
ワ「少しにしておきなよ」
私「わかった……」と。
飲んでみると、杉の木特有の、あの木の香りがプンと鼻をついた。
私「ほら、檜風呂とか何とかいうのがあるだろ。あの香りだよ」
ワ「あら、本当ね。これなら飲めるかもね」
私「今度煎じるときは、一度、杉の実をつぶしてから煎じてみるよ」と。
……ということで、私とワイフで、半分ずつ、飲んでみた。
「おいしい」とは、とても言えないが、飲めないほど、まずくはない。
今日も午前中、少し時間があるから、近くの杉林まで行って、杉の実を取ってくるつもり。
この数日間、毎日湯呑一杯程度飲んでいるが、今のところ異変はない。
ただワイフのほうが、鼻水が出るようになったと言っている。
風邪からそうなったのか、アレルギー反応が起きてそうなったのかはわからない。
が、ここは慎重に。
素人療法ほど、こわいものはない。
この実験結果は、追って報告。
2月……今年は花粉の飛散量が多いそうだ。
花粉症の人には、ゆううつな季節がやってきた。
●今朝のニュースから
●テポドン2号
朝起きると、まずパソコンに電源を入れて、いくつかのニュースサイトに目を通す。
その中でもまず目を引いたのが、「テポドン2号発射準備の兆候」というニュース。
またまたあのK国が、ミサイルの発射実験をするかもしれないという。
今度はテポドン2号の改良型とか。
射程距離は、6000キロ。
アメリカ本土も射程範囲に入るという。
K国は、まるで一人芝居をしているかのよう。
だれにも相手にされないから、一人でワーワーとわめき散らしている。
かわいそうというより、こっけい。
その(こっけいさ)に、K国の指導者たちは、気がついていない。
私には、そんな感じがする。
●L社による巨額詐欺事件
つぎに、目を引いたのが、L社による巨額詐欺事件。
TBS-iニュースは、つぎのように伝える。
『全国の5万人から2200億円を集めたとされる、東京の健康商品販売会社「L社」に
ついて、警視庁は破綻を認識したあとも出資を募り、1億1800万円をだましとった疑
いで、NK会長と、全国10の都道府県に住む営業や経理担当者、合わせて22人の逮捕
状を取りました』と。
私はこういうニュースを読むと、すぐ割り算をしてみる。
2200億円÷5万人、と。
小さな電卓では計算できない。
コンピュータの中にある電卓(アクセサリーの中の電卓)で計算してみると、1人当たり、
440万円という数字が出てきた。
が、それよりも驚いたのは、主犯格(?)のNKという男性の年齢が、75歳ということ。
どうしてか、年齢が気になる。
「75歳でもそんなことができるのか?」という思いと、「75歳になっても、マネーに
そこまで執着するのかなあ?」という思い。
この2つが複雑に交錯する。
ただこういうことは言える。
人は加齢とともに、脳みそのキャパシティ(容量)を、急速に失っていくということ。
高齢者イコール、人格者というのは、まったくの幻想。
「ウソ」と断言してもよい。
知識や知恵、それに経験というものは、穴のあいたバケツから、水が漏れ出るように、
ボロボロと消えていく。
残ったのは、カス。
カスだけが、表に出てくる。
報道によると、NKという男性は、若いころからあやしげな商売を繰り返していたという。
逮捕歴もある。
言うなればその男性の頭の中には、カスだけが残り、その男性は、そのカスのような
人間になった。
実は、加齢の恐ろしい点は、ここにある。
何かの認知症が加われば、なおさらである。
だから精進、また精進。
精進あるのみ……ということになるが、この先は繰り返しになるので、ここまで。
●ジョンベネちゃん事件、再捜査を開始
1996年に、アメリカ・コロラド州で、ジョンベネ・ラムジーちゃんが、
自宅で殺害されたという事件があった。
いわゆる「ジョンベネ事件」というのが、それ。
ジョンベネ・ラムジーちゃんは、美少女コンテストの常連だったという。
その事件について、地元警察は、改めて捜査を開始したと発表した(TBS-i)。
当初、両親(とくに父親)が疑われたというが、DNA鑑定の結果、シロ。
事件は迷宮入りということになった。
が、私は以前から、もう一人忘れてはならない人物がいることを指摘してきた。
私なら、まずその人物を疑ってみる。
事件のあらましは、こうだ。
(1)ジョンベネちゃんが、性的暴行を受けた上、殺害される。
(2)外部から侵入者が入った形跡はなし。
(3)両親は、偽の手紙を書くなど、だれかをかばった形跡がある。
(4)両親の捜査への非協力的な姿勢が問題になったこともある。
が、その人物は、どういうわけか、捜査の対象になっていない。
「まさか!」ということで、見過ごしてきてしまった人物である。
今回捜査当局は、『これまで検察主体だった捜査が警察主導に戻ることになり、警察幹部は
「最先端の科学的手法で証拠を洗い直し、事件解決につなげたいと」決意を示しました』
(同)と。
DNA鑑定も、より精密なものになっている。
捜査の結果に注目したい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●長生きは得か?
+++++++++++++++
昔、こう言っていた老人(男性)がいた。
年齢は、80歳を過ぎていたのではなかったか。
「あいつが死ぬのを見届けるまで、オレは死ねない」と。
「あいつ」というのは、その老人の長年のライバルだった人をさす。
子どものころから、たがいにいがみあっていた。
+++++++++++++++
60歳を過ぎると、まわりの人たちが急に、ポツポツと亡くなっていく。
「どこへ消えたのだろう」と、さみしがっている暇はない。
そう思っている最中に、またつぎの人が、亡くなっていく。
死は、身分、貧富、名誉、地位に関係なく、やってくる。
そういうときふと、「私でなくてよかった」という悪魔のささやきが聞こえてくる。
しかしすぐ、「つぎは、お前だろ」という声がつづく。
だからどんなばあいも、他人の死を願ってはいけない。
願えば願うほど、心が腐る。
しかしこんなことを考えることはある。
「長生きは得か、損か」と。
ほとんどの人は、長生きすればするほど、得と考えている。
私も、その1人かもしれない。
しかし大切なのは、長生きすることではなく、どう生きるかである。
その生き様さえ確立できれば、「たとえ夕べに死んでも、悔いはない」ということになる。
またそういう状態であるなら、できるだけ長生きをしたい。
そうでなければ、そうでない。
無駄に醜態をさらけ出して生きるくらいなら、その場で命を断ったほうが、マシ。
命を断つのがむずかしいのなら、少なくとも、だれにも会わず、ひっそりと暮らしたい。
だから私はいつも、ワイフや息子たちには、こう言っている。
「ぼくが死んでも、だれにも知らせなくてもいい」
「葬式など、ぜったいにするな」と。
それには、もうひとつの願いがこめられている。
「私の無様(ぶざま)な老後をさらけ出したくない」という願いである。
というのも、私は、基本的には、他人を信じていない。
『人を見たら、泥棒と思え』とまではいかないが、私という人間は、
他人を信じやすく、また、だまされやすい。
そういうタイプの人間である。
60年というこの人生においても、「この人だけは……」と思っていた人にさえ、何度か
裏切られたことがある。
そういう苦い経験があるから、この10年間は、自分にブレーキをかけるという意味に
おいても、できるだけ他人を信じないようにしている。
(それでも、信じてしまうが……。)
だからこう思う。
「私が倒れたら、それを喜ぶ人はいても、悲しんでくれる人はいないだろう」と。
だから身近な人が亡くなっても、こう思う。
「悲しんでいるフリをするのは、いや」と。
またそういうフリをしなければならないような葬式には、出ないようにしている。
自己欺瞞もよいところ。
また相手がだれであれ、他人の死を、そういうふうにして、もてあそぶのは避けたい。
さみしい人生観と自分でもわかっているが、こればかりは、どうしようもない。
……ということで、冒頭の話に戻る。
あの老人は、私たちとはちがった死生観をもっていた。
そのため自分が病気で倒れたりすることを、何よりも警戒していた。
いや、一度、こんなことがあった。
その老人が、家で倒れた。
が、その老人は、隣人宅(医師)の家にやってきて、「病院へ連れていってほしい」と。
そこでその隣人が、「救急車を呼びましょうか?」と声をかけると、その老人はこう
言ったという。
「それだけは、恥ずかしいから、ぜったいにやめてくれ!」と。
その老人にはその老人なりの一貫性がある。
「あいつが死ぬのを見届けるまで、オレは死ねない」という言葉と、「それだけは、
恥ずかしいから、ぜったいにやめてくれ」という言葉は、その底流で、
しっかりとつながっている。
が、では、私はどうか?
私も一方で、「他人を信じない」と言いつつ、「無様な様子は見せたくない」と言う。
似たようなものだ。
つまりこう考えていくと、私とその老人は、それほど違わないということになる。
その老人は、私の近未来像そのものと考えてもよい。
……ということは、私の考え方は、まちがっている。
ゆがんでいる。
いじけている。
フ~~~ン……。
どこがまちがっているのだろう?
いや、私は、いつも他人は他人、私は私と考えている。
その人がどんな人生を送っていようとも、その人はその人。
「あいつが死ぬまでは……」というような、(あいつ)はいない。
気になる人は何人かはいるが、その人の不幸や死を願っているわけではない。
そう思うときもあるが、「あんな人、相手にしてもしかたない」と考えなおすことで、
いつも乗り越えている。
で、ここでの結論は、こういうことになる。
要するに、「私は私」ということ。
生きるにしても、また死ぬにしても、他人の目など気にしてはいけない。
最後の最後まで、「私は私」と。
……そう考えると、私の考えには、矛盾が生じてくる。
「私は私」を貫くなら、私が死んだときのことまで心配するほうがおかしい。
私は「私の無様(ぶざま)な老後をさらけ出したくない」と書いた。
しかしそう考えること自体、まちがっている。
……ということで、この話は、ここまで。
これから先、この問題については、ゆっくりと考えてみたい。
まだ時間もある。
10年くらいかけて結論を出そう。
(もし運がよければの話だが……。)
それまで「乞う、ご期待!」ということになるのか。
そういう言い方も、どこかおかしい……?
はやし浩司+++++++++09+++++++++Hiroshi Hayashi
●2月3日
映画『マンマ・ミーア』
++++++++++++++++++++++
星は3つの★★★。
最初から最後まで、ドンチャカ・パーティ。
その連続。
ABBAのファンなら、星を5つ、つけたかも。
ギリシアの夢のような景色を背景に、夢のような
数日が過ぎる。
意味のない、まったく意味のない映画だが、
思わず体が動き出すほど、楽しい映画。
一方、ABBAを知らない世代には、退屈な
映画かも。
団塊の世代、ご用達映画というところか。
それで間をとって、星は3つ。
+++++++++++++++++++++
●『ワルキューレ』
予告編で見た『ワルキューレ』。
トム・クルーズ主演。
ヒットラーの暗殺計画映画。
おもしろそう。
私には、そういう映画のほうが、合っている。
で、今夜見た『マンマ・ミーア』は、私向きではない。
もともとああいう騒々しいパーティが好きではない。
映画を見ながら、「本当にみんな、あんなふうに楽しむのかなあ」と、思った。
無理をしているのではないか、とも。
私なら、20~30分で疲れてしまうだろう。
パーティが終われば、ヘトヘトになるにちがいない。
理由がある。
私は子どものころから、集団の中へ入るのが苦手だった。
だれにでもシッポを振る半面、他人に心を許さなかった。
みなは、「浩司は、明るく朗らかな子だ」と言ったが、それは仮面。
私はいつもその仮面をかぶっていた。
乳幼児期に、母親との間で、基本的信頼関係がうまく結べなかったためと
考えている。
だから孤独な半面、集団の中に入ると、疲れた。
ショーペンハウエルという心理学者は、そういう状態を、「二匹の
ヤマアラシ」という言葉を使って説明した。
遠ざかれば寒い(=孤独)。
しかし近づきすぎると、たがいの針が痛い。
今でも、その状態は基本的には、変わっていない。
だから映画を見ながら、ふとそう思った。
「本当にみんな、あんなふうに楽しむのかなあ」と。
で、映画の中では、ABBAの往年の曲がつぎつぎと披露された。
が、私がよく聴くのは一曲だけ。
『I have a dream』。
あの曲は好きだ。
プラス、好きだった。
Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司
●おわび
(When I write essays I have to pay much attention not to offend or insult people in the
essays, and therefore I write like this way: in most cases I change names and their
relations with me, or stories themselves as fictions. Otherwise I am to get involved in
unexpected troubles. Please understand this when you read my esseys for which I thnak
you very much.)
+++++++++++++++++++++
定期的に、こうしたおわび文を掲載しています。
+++++++++++++++++++++
私が書くエッセー(文章)について、つぎのことを、どうか、
ご理解ください。
こうしたエッセーでは、他人の話を、身内の人の話にしたり、
1つの話を2つに分けたり、あるいは反対に、2つの話を
1つの話にしたりすることは、よくあります。
もちろん身内の話を、他人の話にすることもあります。
またそれをしないと、たいへんなことになるからです。
ほかに、その人から聞いた話でも、その人とわからないように、
別のストーリーを組み立てることもあります。
さらに過去の話を現在風に仕立てたり、現在の話を、過去の話に
仕立てたりするときもあります。
その人の家族構成を変えたり、職業を変えたりすることは、
この世界では常識です。
ただ現在、私と交友関係にある人については、原則として
その人については、書きません。
批判も、しません。
またそういうことのために、(ものを書く)という手段を、
使いたくありません。
ものを書くことによって、交友関係を破壊したくないからです。
一方、一度でも批判したことがある人とは、交際しないことに
しています。
これは私が決めた、信義則のようなものです。
一方でその人を批判しながら、他方でにこやかな笑みを浮かべてつきあう
というような芸当は、私にはできないからです。
ただし政治家などの公人は、別です。
しかしそのばあいでも、できるだけ実名は避けています。
「麻生総理大臣」は、「AS総理大臣」と表記しています、など。
というわけで、中には、「あの林は私のことを書いた」とか、何とか
言って、不愉快に思う人もいらっしゃるかもしれません。
しかしそれは誤解です。
私は、個人攻撃はしませんし、そういうことをしても意味がないことを、
よく知っています。
せっかく私の文章を読んでくれる人にも、それでは申し訳ありません。
そういう人を、利用することになるからです。
以上のことを、どうかご理解の上、私の書いたエッセーを
読んでくだされば、うれしいです。
よろしくお願いします。
はやし浩司
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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【BW生・募集中!】
(案内書の請求)
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●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。
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よろしくお願いします。 はやし浩司
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