*Loneliness *Health Check
●みんな孤独(Loneliness)
Everybody is lonely, but the cause itself is inside himself. We mistake what is important to be not important or what is not important to be not important. The wider world is just beyond yourself.
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ある母親が、私にこう言った。
「私は、孤独です」と。
私はその言葉に、はっと驚いた。
そうまで自分の心をすなおに表現できる人は、
そういない。
が、その母親だけではない。
みな、そうだ。
本当のところ、私だって孤独。
懸命に隠してはいるが、孤独。
その孤独。
孤独ほど、怖しいものはない。
あのイエス・キリストでさえ、孤独に
苦しんだという(マザーテレサ)。
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なぜ、私たちは孤独なのか。
理由も、原因も、実は私たち内部にある。
もっとはっきり言えば、私たちそのものが、その原因を作っている。
しかしそれに気がつかない。
気がつかないまま、右往左往している。
が、問題は、なぜ孤独かではなく、どうしてそれを作り出している
原因に気がつかないか、ということ。
日々の生活の中で、その生活に追われるあまり、大切なものを、
大切でないと思いこみ、大切でないものを、大切と思いこんで
しまっている。
そのため、孤独の原因そのものが、わからない。
見えない。
地位や名誉のむなしさは、言うに及ばない。
いくら豪華な生活をしたからといって、孤独を癒すことはできない。
むしろかえって孤独になる。
が、そういうものを、大切なものと思いこんでしまっている。
だから孤独の原因がわからない。
ふと気がついてみると、そこには、だれもいない。
ゆいいつの希望は、「明日になれば……」と思うこと。
しかし明日になっても、明後日になっても、来年になっても、
そこには、だれもいない。
端的に言えば、私たちの生きざまそのものが、狂っているということ。
その(狂い)に気がつかないまま、それを「よし」と受け入れてしまっている。
たとえば、ほんの30年前には、観光バスに乗れば、まずみなが、
自己紹介をした。
ほんの50年前には、乗り合いバスに乗れば、見知らぬものどうしでも、
会話を始めた。
今は、それがない。
みな、自分のことしか、考えていない。
自分の家族のことしか、考えていない。
いつも「得か、損か」、そんなことしか考えていない。
孤独と闘うためには、まず失ったものを取り返すこと。
何が大切で、何がそうでないかを、見極めること。
それをしないでおいて、「私は孤独」は、ない。
みな孤独だが、その孤独は自ら作りあげたもの。
自ら孤独の世界に、自分を追い込んで、その中で右往左往しているだけ。
そのすぐ外には、広い、広い、どこまでも広い世界がある。
それに気がつかないでいるだけ。
Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司
●3月2日(月曜日)
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このところ花粉症による症状が、出ている。
目がかゆい、鼻水が出る。
それほどひどくはないが、しかし不快。
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●田丸謙二先生(Mr. Kenzi Tamaru, the great scholar)
昨夜は遅くまで、先生のビデオの編集をしていた。
先生は、若いときに、奥さんを亡くされた。
昨日も、奥さんの写真を見ながら、「長い間、待たせてごめんね」と
言っていた。
さみしそうだった。
で、奥さんの写真を、ビデオにまとめることにした。
それを今朝、完成させた。
そのままYOU TUBEにUPLOAD。
アドレスを、先生に送る。
すぐ返事が届いた。
「何度も見ていると、心が温まってきます」とあった。
うれしかった。
先生に喜んでもらえた。
みやげにもらった「はとサブレー(鎌倉の銘菓)」を
食べならが、メールを読んだ。
来週から、先生のHPの整理を始める。
私のもうひとつの仕事。
それは先生の名前を、永遠に残すこと。
インターネットを利用すれば、それができる。
●オープン・オフィス(open Office)
私はずっと、ワープロソフトに、MS社の「ワード」を使ってきた。
しかし値段が高い。
最小構成でも、2万円前後もする(パソコンショップでのバルク品)。
正規に買えば、もっと高額。
そこで少しずつだが、オープン・オフィスを使い始めている。
無料のソフトである。
が、驚いたことに、ことワープロに関するかぎり、ワードで編集した
原稿を、そのまま読み書き、訂正できる。
それだけではない。
使い勝手も、ワードよりも、よい。
現在、オープン・オフィスは、V3・0まで、無料配布されている。
ほかにも無料ソフトとして、「ゾーホー」や「ロータス・シンフォニー・
1・2」などがある。
どうしてこんなソフトが無料で使えるんだろ?
……と思いつつ、これからは、少しずつ、ワードからオープン・オフィスに移行
していく。
1、 2年で、オープン・オフィスに乗り換える。
何といっても、タダ(無料)というところが、魅力的。
同時に、こう思った。
「今まで、1台ごとに、パソコンにMSオフィスを購入していた自分が
バカみたい」と。
なおオープン・オフィスでは、MSオフィス2007のファイルが、
自由に読み書きもできる。
エクセル、パワーポイントと同等の、「カルク」「インプレス」のほか、
「ベース(データベース)」「ドロー(描画ソフト)」も付随している。
もちろん2000、XP、ビスタに対応。
PDF機能までついているので、オープン・オフィスを導入していない
相手にも、原稿を送ることができる。
オープン・オフィスのダウンロードは、
http://ja.openoffice.org/
より。
(補記)
オープン・オフィスの使い方としては、2台目用として、導入するのが
よいのでは?
メインパソコンには、MSオフィスを導入しておき、(何といっても、
まだ主流だから)、2台目のパソコンから、オープン・オフィスを
導入する。
●たった「30メートル」!
K国がまたまたわけのわからないことを言い出した。
アメリカ軍の兵士が、国境を侵害しているという。
そこで「われわれは、戦争をする準備を整えている」と。
が、K国の言い分を読んで、思わず笑ってしまった。
「アメリカ軍の兵士が、30メートルも領土を侵害した」※と。
別のところには、「傲慢なアメリカ軍が、100メートルも領土を侵害した」と
ある。
私は、「30キロ」「100キロ」のまちがいではないかと思った。
30キロとか、100キロなら、まだ話もわかる。
しかし30メートル(?)。
100メートル(?)。
仮に100メートルにしても、そんな程度のことで、戦争までする
必要があるのか。
またそれによって、いったい、どんな法益が守られるというのか。
似たような話だが、こんなことを耳にした。
私の近所に、「道路」にたいへんうるさい老人がいる。
どこかの工事車が道に止まっただけで、すぐパトカーを呼びつける。
先日も、ある人が、その老人に告発された。
(これは本当の話!)
理由は、角から、2メートル60センチにところに、車が停車したから、と。
交通法規では、角から3メートル以内には、車を止めてはいけない
ことになっている。
つまり「40センチ、違反している」と。
(そのあたりは、団地の奥で、駐車禁止区域にはなっていない。念のため。)
その老人は、写真まで撮って、それを浜松市の中央署に送り届けた。
が、一応、法規違反は、法規違反。
警察としても、無視するわけにはいかなかったらしい。
仮に3メートルにしても、そんな程度のことで、告発までする必要があるのか。
またそれによって、いったい、どんな法益が守られるというのか。
どこか頭のおかしい人は、そういうことが平気でできる。
つまり現在のK国も、その老人と同じ。
たかが30メートルや、100メートルくらいのことで、ギャーギャーと
大げさに騒ぐほうが、おかしい。
狂っている。
狂っているから、そのおかしさが、わからない。
では、どうするか。
あの国は、世界に相手にしてもらいたい。
もらいたいがため、騒いでいる。
だったら、無視すればよい。
「敵がしてほしいことを、しない」、
「敵がしてほしくないことを、する」。
これが国際政治の常識。
K国のミサイルを、迎撃ミサイルで撃ち落すという話もあるが、
そんなことをしてはいけない。
する必要もない。
ああいう国だから、へたに撃ち落せば、そのあと何をしてくるか
わかったものではない。
昔から、『XXXXに刃物』とも言う。
その危険があるから、ここは忍耐。
ただひたすらがまん。
静観。
日本は、国際の場に、K国のミサイル問題を持ち出せばよい。
世界を味方に、K国を締めあげればよい。
もともと相手にする価値などない。
いっしょに心中しなければならないような、相手でもない。
わかったか、AS首相!
早まったことを、するな!
(注※)韓国・聯合ニュースは、つぎのように伝える(090302)。
++++++++++一部、抜粋+++++++++++++
『……1月5日と21日に、米軍が西海地区北南管理区域の軍事境界線から30メートルのラインまで入り、われわれの哨所に向かって写真を撮り、軍事境界線を通過する車両を監視した』と説明した。このほか、年初から2月20日まででも66回にわたり、人員62人と車両58台が、北南管理区域の軍事境界線から100メートルの地点に入り、勝手に動き回ったと主張している』
++++++++++以上、聯合ニュースより+++++++
Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司
●無益の世界
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よく、「毎日原稿を書いていて、収入が
ありますか?」と聞く人がいる。
実は、昨日も、田丸先生が、そう聞いた。
しかし無私無欲で書いているから、楽しい。
だれにもコビを売らず、好き勝手なことが
書ける。
この「自由さ」こそが、大切。
おもしろい。
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では、収入は、どうするか?
老後は、どうするか?
そういう心配はあるにはあるが、そのときは、そのとき。
いさぎよく死ねばよい。
自殺するということではないが、それ以上に
大切なことは、この世に未練を残さないこと。
それまでに、自分を燃やして燃やして、燃やし尽くす。
「死」は、あくまでもその結果としてやってくる。
死を怖れる必要など、まったくない。
どうせ、裸で生まれた体。
死ぬときも裸。
だったら今も、裸で生きればよい。
ワイフもこう言っている。
「お金がなくなったら、家と土地を売ればいいわよ」と。
しかし家と土地がなくなれば、住むところがなくなってしまう……。
そうなれば、あとは、死ぬしかない。
「死」は、あくまでも結果としてやってくるというのは、そういう意味。
Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司
●信頼関係
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教育は親と教師、子どもと教師の間の
信頼関係にはじまり、信頼関係に終わる。
信頼関係がなかったら、教育の基盤
そのものが、崩壊する。
教育そのものが、成り立たない。
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●要するに安心感
では、信頼関係とは何か。
要するに、安心感ということになる。
親の側の安心感だけではない。
教師の側の安心感もある。
が、その信頼関係が崩れると、冗談すら言えなくなる。
そういった状態になる。
間に子どもをはさむため、些細な冗談でも、
誤解が誤解を生み、それがとんでもないほうに、進んでしまう。
そういう例は多い。
が、それだけではない。
教師がいちばん困るのは、親に、「最近、うちの子は
どうでしょうか?」と聞かれること。
そういう質問を受けると、戸惑ってしまう。
何をどの程度まで答えてよいのか、それがわからない。
まさかそういうとき、「○○さんは、学習障害の
心配があります」などと言うことはできない。
で、そういうときは、すかさず、教師の側から、
さぐりを入れる。
「おうちでは、いかがですか?」と。
その内容に応じて、教師も、親の質問に答える。
そのプロセスを怠ると、たいへんなことになる。
で、その信頼関係には、段階がある。
概して言えば、教師という立場にある人は、親を
信用していない。
年配の教師であればあるほど、そうではないか。
仮に9人の親と信頼関係を結ぶことができても、
残り1人の親が、その信頼関係を粉々に破壊する。
そこで教師は、「やっぱり、親は信用できない」
となる。
それに親といっても、10人いれば、みな、ちがう。
生活基盤もちがえば、教養もちがう。
性格もちがえば、教育観もちがう。
心の問題をかかえた親も多い。
だから教師は、最大公約数的な範囲で、親とつきあう。
つまり人間関係を縮小する。
●「バカと何よ!」
こんな例がある。
ある小学校で、ある教師が、ある母親と、何かの会合の
資料の整理をしていた。
そのときはふだんと変わらない、和気あいあいとした
雰囲気だったという。
で、そのとき、ふと、その教師が、こうもらした。
「今、塾へ、週に3つも、4つも子どもを通わせている、バカな
親がいる」と。
「バカ」という言葉を使ったのがまずかった。
一方、いまどき、3つや4つ、塾へ通っている子どもは、
珍しくない。
で、この話は、数日のうちに親たち全員に伝わってしまい、
それこそ大騒動になってしまった。
「バカとは何よ!」と。
結局その教師は、任期途中で、他校へと転校していくことになった。
が、もしこの段階でも、教師と親の間に、信頼関係が
できていれば、それほどまでにおおごとにはならなかったはず。
ただの世間話、もしくは雑談として、その場で終わったはず。
●信頼関係の構築
一方、親の側も、教師を信頼していない。
とくに何か問題のある子どもの親ほど、教師を信頼していない。
これは教育の宿命のようなものかもしれない。
ある教師(小学校)は、こう話してくれた。
「できる子どもの親は、学校や教師を信頼してくれる。
できない子どもの親ほど、学校や教師を信頼してくれない」と。
信頼関係のあるなしも、子どもの(でき・ふでき)で決まるらしい。
しかしそれが親心というものか。
●では、どうするか?
「おかしい?」「へん?」と思ったら、すぐ確認すること。
学校なり、教師に、直接連絡するのがよい。
間に人を置かない。
これは学校や教師との信頼関係を構築するときの、
大原則と考えてよい。
それには、いくつかのコツがある。
(1) 子どもの前では、学校や先生の批判は、タブー。
子どもの前では、学校や先生の批判は、タブー。
批判をするなら、子どもの耳には届かない、別の世界で、する。
また子どもが学校や先生の悪口を言ったときも、そうだ。
けっして相槌を打ってはいけない。
相槌を打てば、今度はそれが親の言葉として、学校や教師に
伝わってしまう。
親は「子どもは何も言わないだろう」と思っているかも
しれないが、子どもというのは、隠しごとができない。
こういった話は、ほぼ100%、学校や教師に伝わると考えてよい。
子どもが、たとえば先生の悪口を言ったら、すかさず、
「あなたたちが悪いからよ」と、それをたしなめる。
これは子どものためでもある。
親が先生を批判したりすると、子どもは、その先生に、
それ以後、従わなくなる。
つまり教育の基盤そのものが、崩壊する。
(2) 子どもどうしのトラブルは、1にがまん、2に様子を見て、
3に、1、2歳年上の子どもをもつ親に相談する。
子供どうしで何かトラブルがあったときは、1にがまん。
2に様子を見て、3に、1,2歳年上の子どもをもつ親に相談する。
たいてい「うちも、そうでしたよ」というような返答をもらって、
そのまま問題は解決する。
(3)親どうしのつきあいは、如水淡交。
園によっては、親どうしの交流を勧め、たとえば子どもの
預かりを、相互にしているところもある。
親どうし、4~5人で1組のグループをつくり、
その間で、相互の子どもを預かり、寝泊りさせているという。
「他人の家で、他人の釜の飯を食べるのは必要」という
ことでそうしているが、危険な側面がないわけではない。
そこまでする必要があるのかという疑問。
また園が、そこまで家庭に干渉してもよいものかという疑問。
親どうしの交流を深めるなら、子どもが通っている
幼稚園(学校)とは別の幼稚園(学校)に通っている
子どもの親とするのがよい。
親どうしの問題は、一度こじれると、それはそのまま
そのまま子どもの世界に入り込んでしまう。
そこで「如水淡交」。
幼稚園(学校)の行事は、水のように、かつ淡々とする。
親どうしのつきあいは、水のように、かつ淡々とする。
(4)負けるが勝ち
教師とのトラブルにせよ、親とのトラブルにせよ、
『負けるが勝ち』。
ほかの世界ならともかくも、間に子どもがいることを
忘れてはいけない。
大切なことは、子どもが楽しく、幼稚園(学校)へ
通うこと。……通えること。
友だちと仲よく過ごすこと。……過ごせること。
また負けることによって、あなた自身を大きくする
ことができる。
そういうことも考えて、『負けるが、勝ち』。
親がカリカリして、子どもによい影響を与えるはずはない。
最後に一言。
信頼関係というのは、1か月や2か月、半年や1年で、
構築できるものではない。
1年単位のつきあいの中で熟成されるもの。
だからあせらないこと。
ジタバタしないこと。
まずしっくりと周囲を観察する……そんな心構えも、
子どもの教育には、欠かせない。
Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司
●健康診断(Health Check)
++++++++++++++++++
健康診断の結果が届いた。
肝機能検査の1つが、「C」だったほかをのぞいて、
オール「A」。
今年から、前立腺がん+大腸がんの検査もふやした。
こちらも、「A」と、「-」。
前立腺がんは、H大医大の、O先生に勧められて、した。
(O先生、ちゃんとしましたよ!
O先生というのは、PSA検査法を最初に日本に紹介した人である。)
++++++++++++++++++
肝機能検査については、ワイフもまったく同じ結果が出たので、
心配していない。
悪玉コレステロールが、少し多いらしい。
2人とも同じように多いということは、食生活が原因(?)。
「C」というのは、「かかりつけの医院へ行くまでもないが、
しばらく様子をみてほしい」というのである。
ということで、しばらく様子をみることにする。
……ということで、たぶん、今年1年は、だいじょうぶだろう。
健康で過ごせるだろう。
検査結果が届くたびに、そう思う。
ありがたいことだ。
とにかく、健康第一。
この大不況。
生き延びることだけを考えて、前に進む。
(少し、おおげさかな?)
●鎌倉(Kamakura)
今日は、「歩こう会」で、鎌倉まで行ってきた。
建長寺から北側ルートを大きく迂回して、八幡宮まで歩くコースだった。
しかし私とワイフは、建長寺からそのまま南へ。
扇が谷の田丸謙二先生の家に向かった。
先生の自宅は、建長寺から見て、ちょうど山ひとつ分を超えたところにある。
そんなわけで、約束の時刻よりも、2時間も早く、着いた。
今度先生は、足の関節に、人工関節を入れるという。
歩くたびに、右足が痛そうだった。
おかげで予定より、2時間以上も余計に、先生の話を聞くことができた。
が、話題はどうしても、老後論になってしまう。
先生も、「娘たちに迷惑をかけたくない」とさかんに言っていた。
しかし私たち老人族は、生きていること自体、みなに迷惑をかける。
辛らつな言い方をすれば、私たち老人族は、そのときがきたら、
さっさと死ぬのがよい。
しかしそれができないから、苦しい。
生きるのはむずかしいが、死ぬのは、もっとむずかしい。
それが老後というもの。
そうそう先生は、さかんに、私の生活を心配してくれた。
先生から見ると、私のような一匹狼が生きていかれること自体、
不思議でならないらしい。
その気持ちはよくわかる。
うれしい。
しかしどっこい。
私は生きてきたし、生きているし、これからも生きていく。
心配の種や不安なことはたくさんあるが、それはだれにだって、ある。
ない人は、ない。
またそれがあるから、人生は楽しい。
人間は楽しい。
が、今日もさみしかった。
別れるとき、目頭がジンときた。
今度会えるのはいつのことだろう。
そう思ったら、目頭がジンときた。
鉄製の門を閉めたあとは、そのまま振り返ることもなく、
扇が谷をあとにした。
●「抑圧」(pressure)
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昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。
++++++++++++++++++
が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。
だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。
が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。
そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。
こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。
ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。
親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。
人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。
話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっている。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●知性と通俗
あの夏目漱石も、「知性と通俗」のはざまで、一時、苦しんだ。
小説『こころ』にも、それが表現されている。
たとえばいくら高邁な思想や理念、知性や理性をもっていても、
ときとして、親子、兄弟の醜い騒動に巻き込まれてしまうことがある。
はからずも、そのレベルで、ものを言ったり、騒いだりすることがある。
親の介護問題、遺産の相続問題がからむと、人はさらに通俗的になる。
それこそ知性も理性もかなぐり捨てて……ということになってしまう。
言い換えると、欲望という本能は、それほどまでに強力であるということ。
それを前頭前野だけでコントロールするのは、むずかしい。
むずかしいというより、不可能。
あの夏目漱石ですら、それに苦しんだ。
私の知っている人にも、元国立大学の教授という人がいる。
そんな人でも、ささいな土地の争いに巻き込まれて、隣人と、怒鳴りあいの
大喧嘩をしている。
その人は、ほかに数百坪単位の土地(すべて先祖譲りだったが……)を、
市内のあちこちにもっていた。
にもかかわらず、大喧嘩(?)。
その元教授は、道をはさんで、相手の男性に、「バカヤロー」「コノヤロー」と
罵声を浴びせかけていたという。
それを見た人は、こう言った。
「まるで、暴力団どうしか何かの喧嘩みたいでした」と。
では、どうするか?
2つの方法がある。
(1) それまでに、日ごろから自分の文化性を高めておく。
(2) だれしもそういう問題をかかえている、あるいは人間には、そういう
弱点があるという前提で、自分の姿を、客観的にみる。
できればそういう騒動が起きないよう、前もって準備しておく。
それも今を生きている親の努めかもしれない。
それにもうひとつ。
こうした問題を、親類の間で見聞きしても、あなたは介入しないほうがよい。
仮にうまくいっても、またいかなくても、この種の騒動に巻き込まれると、
大きな(しこり)を残す。
たいていのばあい、あなたとその人たちとの人間関係も、あぶなくなる。
それぞれの家族には、それぞれの複雑で、外からはわからない事情がある。
いくらあなたが想像力を働かせたところで、理解できない部分がある。
だから、身近にそういう問題をかかえた家族や、親類がいたとしても、
そっとしておいてやることこそ賢明。
これは、私という経験者からのアドバイスと思ってもらったらよい。
Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司
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