Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Monday, March 16, 2009

*Poor People

●「運命は、受け入れる」

●We cannot change anything until we accept it.
Condemnation does not liberate, it oppresses.
(C.G.Jung)

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それを受け入れるまで、私たちは何も変えることはできない。
非難したところで、心は解放されない。
それは私たちをかえって苦しめるだけ。
(C.G.ユング)

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YOU TUBEを楽しんでいたら、こんな言葉が目に入った。
もう少し訳をやさしくすると、こういうことになる。

「ものごとを変えようと思ったら、運命は、受け入れる。
境遇をのろってばかりいても、心は解放されない。
かえって、それに苦しむだけ」と。

「運命」という言葉は、私が勝手に挿入した。
が、運命といっても、私がいう「運命」は、今、はやりのスピリチュアル(霊的)な
運命をいうのではない。
私たちの体や心にからみついている、無数の「糸」をいう。
日本語では、「しがらみ」という。
その糸が、ときとして私たちを、私たちの望む方向とは別の方向へ、私たちを
引っ張っていく。
それを私は「運命」という。

以前、こんな女性(当時60歳くらい)がいた。
その女性が、少し認知症になりかけた実父を介護することになった。
かなりのファザコンだったらしく、自分の父親が、認知症になることを受け入れら
れなかった。

それまで父親は、ひとり暮らしをしていた。
年金も、そこそこにあったので、生活には困らなかった。
が、何かと問題が起きてきた。

コンロの火を消し忘れる。
風呂の湯を止め忘れる、など。
それでその女性が、実父を引き取って、自宅で介護することになった。
が、それからがたいへんだった。
いや、父親がたいへんだったというのではない。
父親は、もともと静かな男性だった。

その女性は、何か問題が起きるたびに、大騒ぎ。
「内職ができなくなった」
「廊下で、便をもらした」
「入れ歯をなくした」と。

そのつどパニック状態になり、あちこちへ電話をかけて、愚痴を言いつづけた。
「言う」というよりは、一方的に、ギャーギャーと騒ぐといった感じ。

さらには「夫が、町内の役員の仕事を断らねばならなかった」とか。
さらには、「ストーブを2つもつけていた」とか、まで。

その話を間接的に聞いたので、私はそれを話してくれた人に、「運命は受け入れるしか
ないですね」と話した。
が、この話が、相手の女性に伝わってしまった。
その女性から怒りの電話があったのは、その直後のことだった。
その女性は、電話口の向こうで、こう怒鳴った。

「あんたは、他人だから、言いたいことを言うが、運命を受け入れろというのは、
どういうことよ!」と。
私にはそんなつもりはなかった。
ただひたすら、謝るしかなかった。

が、やはり、「運命は受け入れるしかない」。
それを教えるのが、冒頭にあげた言葉ということになる。

『それを受け入れるまで、私たちは何も変えることはできない。
非難したところで、心は解放されない。
それは私たちをかえって苦しめるだけ』と。

「私と同じように考えた人がいるのだなあ」と思いながら、この格言を読んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++March. 09+++++++++はやし浩司

●日本は、よい国だった

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こういう大不況になってみて、はじめてわかったことがある。
それは「日本は、よい国だったなあ」ということ。

ほんの1年前には、仕事も、選ぶほどあった。
ハローワークへ足を運べば、だれだって、2つや3つの仕事を紹介された。
アルバイトも豊富だった。
派遣労働者にしても、「自由に仕事が選べる」と喜んでいた。
が、それが一転!

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私の知人の息子(現在、40歳)にしても、学歴は中卒。
高校生のとき、障害事件を起こし、退学。
以来、いろいろな仕事を転々としている。
しかし生活には困らなかった。
そのつどハローワークへ足を運べば、それなりの仕事が見つかった。
派遣労働者として働いているときも、仕事が途切れることはなかった。

こういう大不況になってみると、「そんなことができたの?」と、
かえってそういう時代があったことを疑ってしまう。
しかし、たった1年前には、そうだった。
それが今は、一転。

どこへ行っても、耳にするのは、不況の話ばかり。
不況、不況、不況……。

私の3人の息子たちにしても、今は、まだ何とかクビをつないでいるが、
この先のことは、わからない。
私だって、あぶない。
もうそろそろこのあたりで、底入れをしてくれないと、日本は、ほんとうに沈没
してしまう。
失業保険にしても、いつまでも支払われるわけではない。
貯金を取り崩して生活している自営業者だって、いつまでももつわけではない。
「いったい、どうなってしまったのだ」と思うと同時に、
「日本は、よい国だったのだなあ」と。
1年前が、なつかしい。

しかし人は、それを失って、はじめてその失ったものの価値を知る。

たとえば今、ショッピングセンターなどに行くと、食料が山のように積んである。
食べたいものは、何でも手に入る。
しかしもし、その食料が、ショッピングセンターから消えてなくなってしまったら、
どうだろう。
私たちは、同じように思うのだろうか。
「日本は、よい国だったのだなあ」と。

まあ、そんなわけで、私も愚人の1人。
『賢人は、それを失う前に、その価値を知り、愚人は、それを失ってから、
はじめて、その価値を知る』。

結局、こういう不況になると、まっさきに影響を受けるのは、弱者。
知人の息子にしても、毎月のように知人(親)のところへ、生活費をせびりにくるという。
が、それだけではない。
現在、2人の子ども(中学生と小学生)がいるが、離婚話までもちあがっているという。
妻のほうが、2人の子どもを連れて、実家に身を寄せてしまった。
この先、さらに数か月、今の状態がつづいたら、本当に離婚ということになりかねない。
知人は、以来、体重を、5~6キロも減らしてしまったという。

……というような話は、今、ゴマンとある。
どこも、かしこも、そんな話ばかり。
不況がこわいのは、何も、経済だけの問題ではない。
たとえて言うなら、不況というのは、池の中に放り込まれた石のようなもの。
その余波というか、波が、周辺にジワジワと伝わっていく。
これからその影響が、私たちの生活全般に及んでくる。

某経済誌(今月号)にも、こうあった。
「貧困層の増大は、中産階級層にも、影響を与える」と。
詳しくは読まなかったが、どうやらそういうことらしい。

で、「一億総中流」などと言われた時代は、今は昔。
貧困層とランクづけられている人たちが、増大しているという。
年収が230円前後以下を、貧困層というらしい(注※1)。
貧困層の割合は、先進国の中では、2番目に高いという(注※2)。
しかもその層が、アメリカとそれほどちがわないという(前述、某経済誌)。

(注※1)日本の一世帯当たり年間所得の中央値(476万円)の半分(238万円)以下が、貧困率の対象である(2002年・厚生労働省)。

(注※2)(All Aboutより、抜粋)
『日本における子供の貧困層の割合は、2000年の時点で、14.3%とOECD平均の12.2%より高くなっています。日本の子供の貧困層の特徴として、両親に仕事があるのに貧困になっている家庭の割合が高いことがあります。これが他の国だと、貧困の一番の原因は失業なのです。こうなってしまう原因は、日本における教育費の高騰があります。教育費がかさむので、両親が働いていても貧困層に位置してしまうのです。

もう1つの特徴は、社会支出が子供の貧困解消に役立っていないことがあります。日本以外のOECD加盟国は全て、税金や社会支出などで調整されると、調整前よりは子供の貧困割合が大きく下がります。例えばOECD平均では、調整前の約20%に対して、調整後はすでに述べた12.2%です。しかし日本だけは、税金と社会支出で調整をした後でも、なぜか子供の貧困層の割合が高まっています。つまり、税金や社会支出が子供たちのために使われていないという意味になります』(以上、All Aboutより)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
不況と貧困率 貧困層)