Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, March 14, 2009

*Questions & Answers (1)

●子どもの虚言癖



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兵庫県にお住まいの、HGさんより、

子どもの虚言癖についての相談があった。

子どもの虚言癖についての相談は多い。

以前のもらった相談と重ねて、この

問題を考えてみたい。



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はじめまして。小学校2年生の男子(長男)についての相談です。

子供の嘘について相談します。



息子のばあい、空想の世界を言っているような嘘ではなく、

「自分の非を絶対に認めない」嘘です。



先日担任の先生からお電話があり、こんなことがあったそうです。



(1)何かの試合の後、「○○君のせいで負けたんだ」と発言。直接その子に言ったようではな
かったが、言われた子は泣き出してしまった。 担任が注意しようとすると、「僕、言っていない」
の一点張り。しかし、先生も周囲にいた複数のクラスメートが、言ったことを聞いている。



(2)工作の材料にバルサの板のようなものを4枚、持ってきた子がいた。気がつくと3枚しかな
く、探していたところ、いつのまにかうちの子が1枚持っており、「自分が持ってきたものだ」と言
い張る。



そこで本当に家から持ってきたものなのかどうか、先生から問い合わせという形で、電話があ
りました。



しかし、当日家から持っていた形跡はなく、問いつめると



子:「家の近所で拾った」

私:「どこで拾ったか、連れて行って」

子:「わかんない。通学路で拾った」

私:「通学路のどのあたり?」

子:「○○の坂を上がって、右に曲がったところ」

私:「○○君は教室まで4枚、あったって」

子:「・・・」



という感じで、つじつまを合わせようと必死。最後に私が「○○君が持っていたのが欲しくなっち
ゃったんだ?」と聞くと、小さくコクリ。最後まで「自分が取ってしまった」とは言いませんでした。



また、休日においても、先日お友達と野球場に行った際、お友達(4生)と弟(5歳)との3人で、
高いところから通路へ石投げに興じてしまいました。そこへ野球場を管理するおじさんから「そ
んなことしちゃいかん!」と一喝。



私は現場を見ていなかったので、「何やったの!?」と聞くと、またしても「僕、何にもやってい
ない」の一点張り。(お友達は「自分もやったが、○○(うちの子)も一緒にやった」と言いまし
た)。しばらくして父親が登場(草野球の試合をしていました)、「おまえもやったんだろ?」と威
厳ある態度で聞くと小さくコクリ、でした。

石投げについては、私の聞き方がまずかったかな? (嘘を言うことが可能な質問)とも思いま
すが、平然と周知の事実について頑なに嘘を突き通すことについて、子供の心の中がどうなっ
ているのかわからなくなりそうです。



小学校1年の頃までは嘘を言うと、なんとなく顔や態度に出るのであまり気にはしていませんで
したが、最近はそれがなくなり「絶対正しい!」という自信さえ漂わせています。



生きていくうえでは嘘は必要なものでもありますが、それより以前に自分に打ちかって、正直に
言うことや誠実であることの大切さをわかってもらうには、今後、どう対応していったら良いので
しょうか?



どうぞよろしくお願いします。

(兵庫県A市在住、HGより)



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【HGさんへ】



 以前、書いた原稿を、まずここに掲載しておきます。



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子どものウソ



Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二
男)



A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。(1)空想的虚言(妄想)、(2)行為障害によ
る虚言、それに(3)虚言。



空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあたかも現実であるかのよ
うに錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症による症状のひとつとして
考える。習慣的な万引きや、不要なものを集めるなどの、随伴症状をともなうことが多い。



これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。



ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自
慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。



母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子
「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。



 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  



その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言
という。こんなことがあった。



 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの子の
手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをするのですか!」
と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、「相手が子どもだと思っ
て、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。



 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。



イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせては
ならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界
にハマるようであれば、注意せよという意味である。



このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反
対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあ
げると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャ
ーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、特徴である。



どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」だけを
繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、
はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入っていく。



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 ここまでは、いわば一般論。雑誌の性格上、この程度までしか書けない。つぎにもう少し、踏
みこんで考えてみる。



 子どものウソで、重要なポイントは、子ども自身に、ウソという自覚があるかどうかということ。
さらにそのウソが、人格的な障害をともなうものかどうかということ。たとえばもっとも心配なウ
ソに、人格の分離がある。



 子どものばあい、何らかの強烈な恐怖体験が原因となって、人格が分離することがある。た
とえばある女の子(二歳)は、それまでになくはげしく母親に叱られたのが原因で、一人二役(と
きには、三人役)の独り言を言うようになったしまった。それを見た母親が、「気味が悪い」とい
って、相談してきた。



 このタイプの子どものウソは、まったくつかみどころがないのが特徴。ウソというより、まったく
別人になって、別の人格をもったウソをつく。私の知っている女の子(小三、オーストラリア人)
がいる。「私は、イタリアの女王」と言うのだ。そこで私が「イタリアには、女王はいない」と説明
すると、ものごしまで女王ぽくなり、「私はやがて宮殿に迎えいれられる」というようなことを繰り
かえした。



 つぎに心の中に、別の部屋をつくり、その中に閉じこもってしまうようなウソもある。これを心
理学では、「隔離」という。記憶そのものまで、架空の記憶をつくってしまう。そしてそのウソを繰
りかえすうちに、何が本当で、何がウソなのか、本人さえもわからなくなってしまう。親に虐待さ
れながらも、「この体のキズは、ころんでけがをしてできたものだ」と言っていた、子ども(小学
男児)がいた。



 つぎに空想的虚言があるが、こうしたウソの特徴は、本人にその自覚がないということ。その
ためウソを指摘しても、あまり意味がない。あるいはそれを指摘すると、極度の混乱状態にな
ることが多い。



私が経験したケースに、中学一年生の女の子がいた。あることでその子どものウソを追及して
いたら、突然、その女の子は、金切り声をあげて、「そんなことを言ったら、死んでやる!」と叫
び始めた。



 で、こうした子どもの虚言癖に気づいたら、どうするか、である。



 ある母親は、メールでこう言ってきた。「こういう虚言癖は、できるだけ早くなおしたい。だから
子どもを、きびしく指導する」と。その子どもは、小学一年生の男の子だった。



 しかしこうした虚言癖は、小学一年生では、もう手のほどこしようがない。なおすとか、なおさ
ないというレベルの話ではない。反対になおそうと思えば思うほど、その子どもは、ますます虚
構の世界に入りこんでしまう。症状としては、さらに複雑になる。



 小学一年生といえば、すでに自意識が芽生え、少年期へ突入している。あなたの記憶がそ
のころから始まっていることからわかるように、子ども自身も、そのころ人格の「核」をつくり始
める。その核をいじるのは、たいへん危険なことでもある。へたをすれば、自我そのものをつ
ぶしてしまうことにも、なりかねない。



そのためこの時期できることは、せいぜい、今の状態をより悪くしない程度。あるいは、ウソを
つく環境を、できるだけ子どもから遠ざけることでしかない。仮に子どもがウソをついても、相手
にしないとか、あるいは無視する。やがて子ども自身が、自分で自分をコントロールするように
なる。年齢的には、小学三,四年生とみる。その時期を待つ。



 ところで私も、もともとウソつきである。風土的なもの、環境的なものもあるが、私はやはり母
の影響ではないかと思う。それはともかくも、私はある時期、そういう自分がつくづくいやになっ
たことがある。ウソをつくということは、自分を偽ることである。自分を偽るということは、時間を
ムダにすることである。だからあるときから、ウソをつかないと心に決めた。



 で、ウソはぐんと少なくなったが、しかし私の体質が変わったわけではない。今でも、私は自
分の体のどこかにその体質を感ずる。かろうじて私が私なのは、そういう体質を押さえこむ気
力が、まだ残っているからにほかならない。もしその気力が弱くなれば……。ゾーッ!



 そんなわけで小学一年生ともなれば、そういう体質を変えることはできない。相談してきた母
親には悪いが、虚言癖というのはそういうもの。その子ども自身がおとなになり、ウソで相手を
キズつけたり、キズつけられたりしながら、ウソがもつ原罪感に自分で気がつくしかない。また
親としては、そういうときのために、子どもの心の中に、そういう方向性をつくることでしかない。
それがどんなウソであるにせよ……。

(030605)



【補足】

 以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を書いた。内容が重複するが、参考までに……。



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子どもがウソをつくとき



●ウソにもいろいろ



 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。



 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ
い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。



 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思
い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい
う。こんなことがあった。



●空想の世界に生きる子ども



 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり
ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」
と。ものすごい剣幕だった。



が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそうい
うウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困りま
す!」と。



 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中
で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ
とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ
らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。



●「お前は自分の生徒を疑うのか!」



 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で
落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの
明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常
識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情
のまま、やはりことこまかに話をつなげた。



「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバンがほとんど逆さまになり、お
金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えているというのもおかしい。落としたなら落と
したで、そのとき拾えばよかった……?



 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い
た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした
という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが
たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その
つど、どこかつじつまが合わなかった。



そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女の子の問題を伝えることにし
た。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑
うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。
「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。



ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き
さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい
くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。



●空中の楼閣に住まわすな



 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。



このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこ
んだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世
界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式の
ウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。



●ウソは、静かに問いつめる



 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはますますウソがうまくなる。



 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」といった感じになる。



 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう
ことになるから注意する。



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【FGさんからの相談より】



 ある日学校の保健室の先生から呼び出し。小学二年生になった息子を迎えにいくと、私に抱
きついて泣きじゃくる。



 理由を聞こうとすると、保健室の先生が、「昨夜から何も食べていないとのこと。昨夜もおな
かが痛く、嘔吐もしたとのこと……」と。



 しかし息子は、元気だった。昨夜の夕食もしっかりと食べたし、嘔吐もなかった。



 こうしたウソは、息子が三歳くらいのときから始まった。このままでは、仲間からウソつきと呼
ばれるようになるのではないかと、心配。どうしたらいいでしょうか。(神奈川県K市在住、FGよ
り)



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 ほかにもいくつかの事例が書いてあったが、問いただせば、ウソと本人が自覚する程度のウ
ソということらしい。それまでは、虚構の世界に、自らハマってしまうよう。



 このタイプの子どもは、自分にとって都合の悪いことが起こると、それを自ら、脳の中に別の
世界をつくり、自分をその中に押しこんでしまう。そしてある程度、何回もそれを反復するうち、
現実と虚構の世界の区別がつかなくなってしまう。



いわば偽の記憶(フォールスメモリー)をつくることによって、現実から逃避、もしくは現実的な
問題を回避しようとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。つまり現実の世界で、心
が不安定になるのを避けるために、その不安定さを避けるために、自分の心を防衛するという
わけである。



 原因は……、理由は……、引き金は……、ということを、今さら問題にしても意味はない。幼
児期の子どもには、こうしたウソをつく子どもは珍しくない。ざっとみても、年長児のうち、一〇
~二〇人に一人には、この傾向がある。やや病的かなと思われるレベルまで進む子どもでも、
私の経験では、三〇~四〇人に一人。日常的に空想の世界にハマってしまうようであれば、問
題だが、そんなわけで、ときどき……ということであれば、つぎのように対処する。



(3)その場では、言うべきことを言いながらも、決して、追いつめない。子どもを窮地に立たせ
れば立たせるほど、立ちなおりができなくなる。完ぺき主義の親ほど、注意する。



(4)小学三、四年生を境に、自己意識が急速に発達し、子ども自身が自分で自分をコントロー
ルするようになるので、その時期を目標に、つまりそういう自己意識で自らコントロールできる
ような布石だけはしておく。ウソをつけば、友だちに嫌われるとわかれば、またそういう経験を
実際にするうちに、自分で自分をコントロールするようになる。



 子ども(幼児、小学校の低学年児)のばあい、ウソを強く叱ると、「ウソをついたこと」を反省す
る前に、恐怖を覚えてしまい、つぎのとき、さらにウソの世界が拡大してしまうことになる。ウソ
は相手にしない。ウソは無視するという方法が、好ましい。しかし子どもが病的なウソをつくよう
になると、ほとんどの親はあわててしまい、「将来はどうなる?」「このままではうちの子は…
…?」と、深刻にに騒ぐ。



 しかし心配無用。人間は、どこまでも社会的な動物である。その社会でもまれることにより、
また、自己意識が発達することにより、自ら自分を修復する能力をもっている。大切なことは、
この自己修復能力を、大切にすること。この相談のFGさんのケースでも、ここ数年のうちに、
子どものウソは、急速に収まっていく。要は、今、あわてて症状をこじらせないこと。

(はやし浩司 虚言 ウソ 嘘 空想的虚言 虚言癖 子どもの嘘 子どものウソ)



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【HGさんへ(2)】



 いただきましたメールによれば、やや病的な虚言癖があると思われます。(叱る)→(ますま
すウソがうまくなる)→(ますます強く叱る)の悪循環の中で、ウソがウソと自覚できる範囲を超
えて、虚構の世界にまで、子どもを追いこんでしまっているような感じがします。



 どこか育児姿勢が、過干渉ぎみ、もしくは過関心ぎみになっていないかを、反省してみてくだ
さい。今の状態では、はげしく説教したり、道理をわからせようと無理をしても、それをすれば
するほど、逆効果です。



 こういうときは、つまりウソとわかった段階で、無視するのが一番です。子どもに白状させるま
で、子どもを追いこんでも意味がありません。また追いこんではいけません。(あるいはあなた
自身が、お子さんに、根強い不信感をもっているのかもしれません。あるいはあなた自身が、
子どもに心を開いていない可能性もあります。不安先行型、心配先行型の子育てをしていませ
んか。頭から、ウソと決めてかかっている、など。)



 あなたはおとななのですから、そして親なのですから、一歩、退いて子どもを包むようにして
みる必要があります。子どもに対して、対等意識が強すぎると思います。相手は、子どもです。
未熟で未完成で、その上、未経験です。



 (それとも、あなた自身は、ウソをつかない、聖人のような人でしょうか?)



 子どもは、よくウソをつきます。そういうとき大切なことは、それを叱ることではなく、相手にし
ないことです。もちろん重要なことで、ウソを言うなら、それについては叱らねばなりません。
が、ほとんどのばあい、その段階では、すでに、症状はかなりこじれているとみます。



 大切なことは、子どもの虚言癖をなおそうとしないこと。簡単には、なおりません。大切なこと
は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、数か月単位で、様子をみることです。



 まずいのは、無理になおそうとすることです。ウソをつくことを責めるのではなく、なぜウソを
つくのか。ウソをつかねばならないのか。またそこまでなぜ、あなたが子どもを追いつめるの
か。それを謙虚に反省すべきです。



 きびしいことを書きましたが、この問題は、一見、子どもの問題のように見えますが、実は、
あなたという親の問題です。もっとはっきり言えば、あなたの育児姿勢そのものに問題があり、
そしてそれが結果として、今の状態をつくりだしているということです。



 ですから、つぎのことを守ってください。



(1)一応、冷静に、子どもの話を聞き、おかしいと思うことは言う。しかし証拠をつきつけて叱っ
たり、追いつめてはいけません。

(2)言うべきことは言いながらも、あるところで、さっと引きさがります。こうした虚言癖のある子
どものばあい、とことん追いつめるのは、タブーです。

(3)あとは暖かい無視を大切に。子どものウソは、相手にしないこと。叱っても、恐らく今の段
階では、(叱られじょうず)になっているので、意味はありません。

(4)あとは半年単位で様子をみますが、子どもの心を開放させることも忘れないように。母子
の間の信頼関係が、かなり不安定な状態にあるとみます。

(5)もう少し年齢が大きくなると、自己意識が育ってきます。その自己意識を、大切に伸ばしま
す。自分で考え、自分で行動する力を養います。



 以上ですが、あくまでもここに書いたことは参考意見です。学校の先生とも緊密に連絡をと
り、ていねいに対処してください。



 今が最悪の状態ではなく、この状態をさらにこじらせると、もっとやっかいな状態になります。
そのためにも、今の状態を、これ以上悪くしないことだけを考えて、対処します。どうかくれぐれ
も、ご注意ください。

(040607)



【追伸】



 話せば長くなりますが、あなた(母親)と、子どもの間の関係についても、冷静に反省してみて
ください。



 あなたはあなたの子どもを、生まれたときから、全幅に信頼していたかという問題です。もし
そうなら、それでよし。そうでなければ、あなた自身が、もっと子どもを信頼して、心を開かなけ
ればなりません。



 ある母親は、自分の子どもが母親のサイフから、お金を盗んで使っていたことについて、一
応は叱りながらも、内心では、「だれでも一度はするものよ」と、笑ってすませたといいます。



 そういう(笑ってすます)ような度量は、結局は、親子の信頼関係から生まれます。あなたも、
そういう度量がもてるように、努力してみてください。



 あんたのウソなんか、私には通用しませんよ。ハハハ、バカめ!、と。

















 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【2】



●親絶対教



【GR氏(33歳・男性)からの相談より】



名古屋に住んでいるGR氏(33歳・男性)から、こんな相談が届いた。

 ここで、改めて、親・絶対教という、カルトについて、考えてみたい。

 今、GR氏は、結婚生活半年あまりで、妻と離婚すべきかどうかで、

 悩んでいる。



 日本の社会に深く根ざした、親・絶対教。そのカルト性に気づき、そ

 れを改めるのは、容易なことではないようだ。



 メールの内容は、大筋で、本題からはずれないよう、私のほうで許可※

 を得て、改変した。



++++++++++++++++++++++++++



【GRより、はやし浩司へ】



 私は、現在、名古屋にある、医療器械設計メーカーで、研究員をしています。近くの大学で、
講師の仕事もしています。私は、目下、妻と、離婚すべきかどうかで、悩んでいます。



 ことのいきさつは、こうです。



 私と現在の妻とは、昨年(03年)の終わりに結婚する予定でした。いっしょにいると楽しかっ
たので、そのまま結婚話へと進みました。



 が、その直前、妻の父親(義父)が、内臓のがんで倒れました。一時は結婚を延期しようと考
えましたが、義父のたっての希望で、今年(04年)の1月に結婚式をあげました。



 で、2月に、就職先(現在、住んでいる名古屋)が決まりましたので、私と妻は、それまで住ん
でいた富山を引き払い、名古屋に移り住んできました。その直後、義父は、手術中に帰らぬ人
となりました。



 が、ここで、大きな問題が起きました。妻の母親(義母)と妻の姉(義姉)を、富山に残してお
けないと、妻が言い出したのです。そこで一時は、義母と義姉を、名古屋に呼び寄せることも
考えました。



 が、義姉には、仕事があり、どうしても、富山を離れることができないと言い出しました。



 妻は、義父の死で、かなりのショックを受けたようです。それはわかります。名古屋の家に住
むようになってからも、ほとんど、私とは、口をきかない毎日が、つづきました。



 が、今年の4月になってから、何かと富山に帰ることが多くなり、事件が起きました。



 妻が、富山に、家を買って、義母と姉といっしょに、暮らすと言い出したのです。



 で、私が富山まで行くと、すでに不動産屋とは話がついていて、私があとは、契約をするだけ
の段取りになっていました。5月の連休あけの日のことでした。



 しかし総額、4500万円です。35年の長期ローンになります。



 義母と義姉は、今、住んでいるマンションを売って、頭金にする。義姉の収入の何割かを、ロ
ーンにあてると言い出しました。



 そして私には、名古屋で、学生が住むような安いアパートに住めばいい、と。



 しかし、ときどき富山へ帰って、義母の世話をするのと、35年ローンを組むのとでは、中身が
まったくちがいます。



 私も、どこかぶ然とした態度であったことは事実です。で、そのときは、契約をしないで、私
は、名古屋へもどってきました。



 が、その翌日のこと。富山にいた妻から電話がかかってきて、「何だ、あの態度は」「あなた
は、私と母の夢をこなごなに破壊した」「私の家をめちゃめちゃにした」「男なら、もっと男らしくし
てよ」「妻の親に、孝行するのは、夫の義務」と。



 横に義母と義姉がいて、いっしょに、ワーワーとわめく声が聞こえてきました。「もう、やめ
て!」と、義姉が叫んだほどです。で、そのとき義母も、倒れてしまったそうです。



 で、今は、妻は、「もう私は、実家にも帰れない」「しかしあなたのように冷たい男とも、いっしょ
に暮らせない」と言っています。



 妻は、富山の実家(マンション)に帰ったままです。



 このまま離婚すべきでしょうか。どうしたらいいでしょうか。



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●親孝行論



 GRさんは、妻の一連の行動を、親孝行の一つとして理解すべきかどうかで、迷っている。



(妻は、親孝行だと信じている。そして夫の生活が犠牲になっても、親孝行のためなら、当然と
考えている。)



 が、ここで登場するのが、親・絶対教という、カルトである。



 このカルトは、親から子へと、代々と引き継がれているため、その流れの中にいる人には、
それがわからない。特徴としては、



(1)親は絶対であると考える。

(2)親のめんどうをみるのは、子どもの義務と考える。

(3)親のためなら、子どもの生活が犠牲になっても、当然と考える。



 この親・絶対教には、双方向性がある。



(1)親自身が、自分は絶対だと思う。

(2)子どもも、親が絶対だと思う。



 つまり親は親で、自分は絶対だから、子どもには、親に従えと教える。子どもは子どもで、親
のために犠牲になるのは、当然と考える。



 一方的な見方は、さしひかえたいが、GRさんの妻は、どうやら、親は絶対であると考えてい
るようである。



●ある事例



 10年ほど前だが、こんな事件があった。



 ある母親だが、息子が、外国へ行っている間に、預かっていた息子の財産を売りはらい、そ
のお金で、家を改築してしまった。



 息子は、その母親に、自分で買った土地の権利書を預けておいた。ゆくゆくは、そこに自分
の家を建てるつもりでいた。が、母親は、それを「処分を任された」と、勝手に判断してしまった
らしい。



 そこでその息子は、中国のS市から帰ってきたあと、母親に泣きながら、抗議したが、母親
は、こう言い放ったという。



 「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。



 この事例でも、その母親には、罪の意識は、まったくない。自分がしてはいけないことをしたと
いう意識すら、ない。ないものは、ないのであって、どうしようもない。



 つまり、ここにカルト性がある。



 その母親にしてみれば、息子が、たとえ半年でも、日本を離れ、中国のS市で生活するように
なったことは、「親を捨てた」ということになる。その母親は、息子が結婚したことについても、そ
れ以前から、「息子を嫁に取られた」と言っていた。



 (ここまで書いて気づいたが、その母親にしてみれば、実家を離れて、息子が家を建てるの
が、許せなかったのかもしれない。だから土地を売ってしまったとも考えられる。)



 こうした事例は、多い。この日本では、本当に、多い。



●だれと結婚したのか



 カルトは、それ自体が、その人の価値観になっている。そしてそれがそのまま人生観の柱に
なっている。だからそれを否定すると、その人は、猛烈に反発する。ときには、命をかけること
もある。



 それ以外の考え方を受けつけない。価値も認めない。同時に、それ以外の考え方を、排斥す
る。



 たとえばGRさんの事例でも、キーパーソンは、義母である。こういうケースでは、義母が、娘
夫婦の幸福を最優先に考えなければならない。



 私がその義母なら、(と言っても、そういう考え方そのものが、その義母には理解できないだ
ろうが)、GRさんの妻である娘にこう言う。



 「私たちは、どんなことがあっても、あなたたちには、迷惑をかけたくない。私たちのために富
山へ帰ってこなくていい。高額なローンを組んで、苦労してほしくない。あなたたちは、あなたた
ちで、幸福になってね」と。



 しかしもし、母親自身が、その親・絶対教の信者だったら、どうなるか。

 

 GRさんの義母は、娘の横で、泣き叫んだという。そのまま倒れてしまったという。妻の言葉を
借りるなら、「夢を、こなごなに破壊したからだ」という。



 となると、そもそもその結婚は、何だったのかということになる。



 義母や妻が描いた、理想の結婚生活(?)とは、義母と同居し、夫は、研究者としての道を歩
み……ということになる。いいかえると、そもそも妻は、夫と結婚するために結婚したのではな
く、心の何割かで、親のめんどうをみるために、夫と結婚したことになる。



 義母にしてみれば、娘として、それは当然のことということにもなる。



●喪失の苦しみ



 ただ妻は、少し前、実の父親をなくしている。そのショックは、それまでの親子関係にもよる
が、相当なものであったと推察される。



 父親をなくしたあと、精神を病む息子や、娘は、少なくない。知人の女性の中には、父親をな
くしたあと、そのままキリスト教団に入信してしまった人もいる。



 その悲しみや、苦しみは、いかばかりなものか。私やあなたがそうでないからといって、そう
いう人たちの受けるショックを、軽くみてはいけない。



 GRさんの妻は、相当なショックを受けた。そのあとの母子関係をみていると、その関係が、
いかに濃密なものであったかが、容易に想像がつく。



 だからそういうショック状態にある妻の今の状況だけをみて、すべてを判断してはいけない。
またそのときの妻の判断が、正しいと思ってはいけない。妻は、ショックから、混乱状態にな
り、さらにパニック状態になっている可能性がある。



 私なら、今は、結論を出さないだろう。少なくとも、もう少し妻が冷静になるまで、様子をみる。
ひょっとしたら、しばらく時間をおけば、妻も今の自分の考え方が、おかしいと気がつくかもしれ
ない。



 喪失の悲しみや苦しみは、それ自体が、心理学の世界でも、大きなテーマになっているほど
である。



そう言えば、もう一人、男性だが、妻をなくしたあと、そのまま、勤めていた雑誌社をやめてしま
い、放浪の旅に出た人もいる。そのとき、その男性は、49歳。しばらくしてから、その男性の動
静を聞くと、周囲の人は、こう言った。「おかしくなってしまいました」と。



(もっともこの男性は、それから2年後、また別の出版社で、編集の仕事に復帰したから、私は
安心したが……。)



 この状態では、妻の悲しみや苦しみを理解することも、問題の解決のためには、重要なポイ
ントとなる。



●説得は、不可能



 あなたもどこかのカルト教団の本部の前で、「息子を返せ」「娘を返せ」と、泣き叫んでいる親
の姿を、何かで見たことがあるだろうと思う。



 ある男性は、妻が、ある仏教系のカルト教団に入信してしまったことが原因で、離婚してしま
った。



しかしここで忘れてはならないことが、二つ、ある。



 ひとつは、カルト教団があるから、信者がいるのではないということ。それを求める信者がい
るから、カルト教団があるということ。だから、カルト教団をたたいても、意味はない。このこと
は、あの忌まわしいサリン事件を起こした、O教団を見ればわかる。



理性も分別もある、大学を出たようなエリートが、愚にもつかないような指導(?)に従ってしま
った。



 もうひとつは、夫にせよ、息子にせよ、だれであるにせよ、カルト教団に身を寄せたという段
階で、すでに、たがいの人間関係は、崩壊しているということ。その離婚した男性にしても、彼
は、「妻がその教団で、洗脳されてしまったため、離婚した」と言っていたが、妻が入信した段
階で、すでに、夫婦関係は、崩壊していたとみる。



 同じように、こうしたケースでは、つまりGRさんのケースでは、妻の親・絶対教が、夫婦関係
をおかしくしたとみやすいが、それは正しくないということ。すでにその原因は、別のところの、
どこかにあったとみる。



 カルトの最大の特徴は、その信者どうしの世界では、たいへん居心地がよいということ。信者
どうしが、親子以上の親子、兄弟以上の兄弟になる。この居心地のよさが、信者どうしの結束
を強くする。



 GRさんの妻は、母と姉との世界で、夫との世界以上の居心地のよさを、感じている。つまり
それを否定することは、自分自身を否定することになる。



 あなたの妻は、命がけで、母や姉を守ろうとするかもしれない。つまりこの時点で、それを理
解しない夫は、そのカルトの外にいる、異端者でしかない。ある男性は、妻に向って、こう言っ
たという。



 「オレの母に不満があるなら、お前こそ、この家から出て行け」と。そういう例もある。



●理解して、時を待つ



 親・絶対教の人に向って、それを否定しても、意味はない。またこの問題だけは、簡単には
解決しない。



もともと道理や理屈の通ずる世界ではない。しかもなおタチのわるいことに、それがそのまま
日本の風土や、文化になっている。



だからこの問題に気づいた人は、相手を理解して、引きさがるしかない。争っても意味はない。
かえって、人間関係そのものまで、破壊してしまう。



私も、もともとは、古風な世界に生まれ育った。そのため、親類というより、その地域の人たち
は、そのほとんどが、親・絶対教の信者たちばかりである。



親の批判、批評すら許さない人も多い。そういう世界で、親・絶対教を否定したら、私のほう
が、はじき飛ばされてしまう。だから、それを知りつつも、それにあわせて、生活するしかない.
大切なことは、それぞれの人が、それぞれの世界で、それなりに平和で、幸福な家庭を築くこ
とである。



「親孝行が、家庭教育の要(かなめ)です」とだれかが言えば、「そうですね」と答えればよい。



カルトというものは、そういうもの。相手に向って、「あなたはまちがっている」と言うこと自体、ま
ちがっている。この世界では、そういう行為を、「ハシゴをはずす」と言う。ハシゴをはずすの
は、簡単なこと。しかしハシゴをはずされた相手は、そのあと、どうすればよいのか。



そこでそういう人たちには、別の考え方があることを教えてやらねばならない。しかしそれは、
実にたいへんな作業である。時間と努力の問題といってもよい。



GRさんのばあいも、そうで、GRさんの妻が、今の悲しみから立ちなおり、自分自身のカルト性
に気づくまでに、長い時間がかかる。決して、あせってはいけない。



【GRさんへ……】



夫婦の間には、いろいろな問題が起きます。



私の印象では、GRさんが現在かかえている問題は、それほど、大きな問題ではないと思いま
す。



こういう問題で、重要なことは、あなた自身の心だけは、決して、偽ってはいけないということで
す。飾ったり、ごまかしたりしてはいけません。すべてをさらけ出します。



あなたの本心は、どこにありますか?



あなたは妻を愛していますか? もしそうなら、まだまにあいますから、「好きだ」「別れたくな
い」と言えばよいのです。



へんな意地は張らないこと。私たち夫婦も、何度か、離婚の危機に立たされたことがあります。
夫婦というのは、そういうものです。



そういう危機を乗り越えていくのも、結婚生活ではないかと思うのです。



親・絶対教は、たしかにカルトです。が、夫婦を別れさせるほどの力はありません。現に私の友
人の中には、夫は、熱心なクリスチャン、妻は、無関心。反対に夫は、無関心、妻は、土日は
毎日、布教活動という夫婦がいます。



しかし、みんな、それなりにうまくやっています。



ですから、妻が親を絶対と思っているならいるで、「そういう考え方もある」と理解した上で、あ
なたはあなたで、それを超えた考え方や思想をもつしかありません。「ぼくも、お前の母さんを、
大切にするよ」「努力するよ」「安心してよ」とです。



幸いにも、私のマガジンを購読してくださっているということですので、この問題については、こ
れからもテーマとして、みんなで考えていきたいと思っています。



で、もう一度、繰りかえしますが、あなたは今、あなたの妻を愛していますか。もしそうなら、プラ
イドを捨て、「好きだ!」「別れたくない!」と、すなおな気持で、大声で叫んでみてください。



そういう前提に立つなら、今の問題は、小さな問題となりますよ。そしてそれでも、万が一、本
当に離婚ということになっても、あなたは後悔しないはずです。すがすがしい気持で、離婚でき
ますよ。



一度、あなた自身はどうなのか、冷静に、静かに、判断してみてください。あとは、それをすな
おにさらけ出し、相手の判断を待てばよいのです。



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 こうした問題は、いかにして未練を完全燃焼させるかということに行きつきます。別れるにし
ても、妻への未練を、完全に燃焼させておくということです。



 そのためにも、心を偽らないということです。あるがままの自分を、静かにみつめ、あとはそ
れに従って行動するということです。



 それには、あとで後悔しないためという意味も含まれます。あとで後悔するようなら、別れなけ
ればよいのです。



とことん「好きだ」と言い、とことん「別れたくない」と言う。それでも相手が去っていくなら、あきら
めもつきます。ここでいうように、すがすがしい気持で、新しい人生を歩むことができます。



 幸いにも(?)、子どもがまだいないということですので、今のあなたは、自分の心だけを見つ
めて、行動できます。子どもがいたら、そうはいかないと思います。



今日はたまたま休みで、家にいました。一日中、扇風機にあたって、昼寝をしていたという感じ
です。



どうか、お体を大切に。今日は、これで失礼します。



マガジンのご購読、感謝しています。      はやし浩司