Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Saturday, March 14, 2009

●Adventute into the Space

●3月11日

++++++++++++++++++++

今日は、山荘にある、ろ過器の修理をするつもりだった。
ろ過器というのは、山の水を一度、ろ過するためのもの。

山の水は、自然の水。
どうしてもゴミが混入する。
それで、ろ過器が取り付けた。
そのろ過器のレバーが折れた。
中の芯で折れたから、簡単には直らない。
で、その修理ということになった。
部品を取り寄せてもらい、代金は、7000円弱。

が、その会社の浜松出張所は、浜松市でも、私の家からは
正反対のところにある。
車で行っても、1時間半はかかる。
往復、3時間。
実際には、途中で昼食をとったので、半日かかってしまった。
しかたないので、そのまま帰宅。
プラス昼寝。

ろ過器の修理は、今度の日曜日にすることにした。
こうした作業をいやがる人も多い。
が、私には、楽しい。
無我夢中でできる。
我を忘れて、できる。

……ところで、おととい、庭に畑を作った。
ネギとかいろいろな野菜を植えた。
もう少しすると、ナスとかトマトの苗も売りに出される。
これから春にかけて、何かと忙しい。

そうそう来週、熱海の先にある、初島まで行ってくる。
ワイフも行く。
楽しみ。

+++++++++++++++++++++

●ハナ

うちのハナ(犬)は、バカのような顔をしていて、それでいて、結構、賢い。
約束は守るし、私に忠実。
しっかりとした信頼関係で結ばれている。
私は、ハナにはウソをつかない。
どんな約束も、守る。
(人間の言葉を理解できるとは思わないが、私はそうしている。)

ハナはハナで、私に嫌われるのを、何よりも心配しているといったふう。
強い声で、「ハナ!」と叱ったりすると、そのままシッポをさげて、
小屋に入っていく。

畑を作るときも、「ここには入ってはだめだよ」と、2、3度話しただけで、
それ以後、畑には近寄ろうともしない。
いつもなら、私の目を盗んで、庭中を掘り返すのだが……。

そのハナも、人間にたとえるなら、もう80~90歳。
このところ急速に、元気がなくなってきた。
ちょっとさみしい。


●水の惑星

++++++++++++++++++

水(H2O)は、温度が、0度~100度の
範囲では、水だが、それ以下の温度だと、
氷という固体になってしまう。
それ以上だと、水蒸気という気体になってしまう。
もちろん気圧によっても、影響を受けるが、
0~100度と考えてよい。

が、宇宙の温度には、キリがない。
下はマイナス250度。
上は数千度。
そういう中で、0~100度という幅は、きわめて狭い。
宇宙的規模で見ると、この地球に水があるということ自体、
奇跡に近い。

……と考えるのは、正しくない。
少し話が脱線するが、許してほしい。

たまたま人間が、水なしでは生きていかれないという事実を先に
もってきて、「水があるのは奇跡」というのは、あまりにも後から理由。
水がなかったら、人間はいなかったことになる。

それに水でなくても、どこかの惑星には、硫黄(いおう)の海で生まれ育った
生物だっているかもしれない。
硫化水素(硫酸)の海でもよい。
二酸化炭素の海でも、液体窒素の海でもよい。
そういうところで生まれ育った生物は、そういう惑星が、もっとも住みやすい
環境ということになる。

そういう惑星に住んでいる生物が、「硫化水素の海があるのは奇跡」とか、
「液体窒素のある海は奇跡」とか言っても、それは後から理由。
こじつけ。

最初に水があって、そこから人間は、何十万年という年月を経て、生まれた。
人間が水を求めて、この地球にやってきたわけではない。
だから「この地球に、水があるのは奇跡」と考えるのは、まちがっている。

話を戻す。

今度、アメリカが、水のある惑星を求めて、探査衛星を飛ばしたという。
つまり目的は、人間のような仲間さがしと考えてよい。
それもそのはず。
液体窒素の海で生まれ育ったような生物とは、いくら知的能力にすぐれていた
としても、仲間にはなれない。(……だろう。)
もし宇宙人が、映画『プレデター』に出てくるような昆虫のような顔をしていたら、
私なら、真っ先に、逃げ出す。
そのプレデターにしても、宇宙的な規模で見れば、人間と同じ。
たとえば珪素を基本にした生物から見れば、区別はつかないだろう。
人間は、炭素を基本にした生物である。

だからやはり、「水の中で生まれ育った生物」ということになる。

が、このことは、ひとつの重大な教訓を、私たちに与えている。

「水」ということを考えるなら、動物はもちろんのこと、植物ですら、
私たちの仲間ということになる。
生物学的な距離をいうなら、きわめて近い。
DNAの構造にしても、(ちがう)というより、ちがいそのものが、ない。
「何も宇宙のかなたまで仲間をさがしに行かなくても……」ということに
なってしまう。

が、それでは、あまりにも夢がない。
科学はロマン。
ロマンなくして、科学はない。
ロマンが、科学の原動力と考えてよい。

宇宙のかなたに水のある惑星が見つかったら、人間は、そこへ移住することが
できるかもしれない。
コロンブスがアメリカ大陸へ向かったように、いつか、新しいコロンブスが、
水の惑星を求めて航海に出るかもしれない。
想像するだけも、楽しい。

が、ここでまたまた考えてしまった。
人間がそれをするのは人間の勝手だが、その逆はないのか、と。
相手の宇宙人だって、(宇宙人がいればという仮定での話だが……)、
同じことを考えているはず。
であるなら、そういう探査機が、地球へ飛んできた可能性もないわけではない。
まだ人間はそこまではしていないが、それには、(生物の種)が積んであった
かもしれない。
その(種)が地球上にばらまかれ、何億年も経て、今のような地球になった(?)。
人間も、そこから生まれた。

またまた楽しくなってきた。

だったら、人間も、生命の(種)を、宇宙中にばらまけばよい。
耐熱性、耐寒性、耐気性……のあるバクテリアのようなものを、小さな金属に
入れて、宇宙のあちこちに飛ばす。
アミノ酸のようなものでもよい。
10万年後とか、100万年後に、それがどこかの惑星にたどりつき、
さらにその数億年後に、ちゃんとした生物になるかもしれない。

つまり私たち人間も、そうして生まれた可能性がないとはいえない。

楽しい。
楽しい。
本当に楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++March. 09+++++++++はやし浩司