Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Friday, May 21, 2010

●心、脳内ホルモン説

【心のメカニズム】(脳内ホルモン支配説)

●扁桃核(扁桃体) 

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脳の辺縁系の中に、扁桃核(扁桃体)
という組織がある。
調べれば調べるほど、(私のばあい、
「聞けば聞くほど」ということになるが)、
不思議な組織である。

私たちが「人間性」と呼んでいる部分は、
どうやらこの扁桃核が司っているらしい。
「人間性」イコール、「心」と考えてもよい。
そんなことが、近年、少しずつわかってきた。

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●扁桃核

 扁桃核(扁桃体ともいう)については、たびたび書いてきた。
たった今、グーグルの検索エンジンを使って、「はやし浩司 
扁桃核」で検索してみたら、504件、
「はやし浩司 扁桃体」で、602件、ヒットした。

 その扁桃核について、こんな記事が載っていた。
2007年に中日新聞に載っていた記事である。
当時書いた原稿の一部を、そのまま紹介する。

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こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

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 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核
に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」と。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、P
ET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)
が、こうした機器を使って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、お
よそ心身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。『い
じめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

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 これだけでも扁桃核が、重大な組織であることがわかる。
この扁桃核が、大脳皮質部からの信号を受けて、エンドロフィン系、エンケファリン系のモルヒネ様のホルモンを分泌する。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
何かよいことをすると、気持ちがよくなる。
そういった現象は、この扁桃核の機能によって、引き起こされる。

 が、その扁桃核は、かなりデリケートな組織らしい。
もろく、傷つきやすい。
それを東北大学名誉教授の松沢氏が、科学的に証明した。

 言い換えると、子育てをする上において、扁桃核に悪影響を与えるような環境や
行為は、タブー中のタブーということになる。
万が一、扁桃核に傷をつけるようなことがあると、その子どもの人間性そのものに大きな影響を与えることになる。

●心の傷

 では、「心の傷」とは何かということになる。
それについては、まさに千差万別。
定型がない。
つまり症状には、定型がない。
どこに傷がついたかによっても、ちがう。
ひがみやすい、ひねくれやすい、いじけやすい……などの性格的症状に始まって、
さまざまな身体的症状や精神的となって現れることもある。
最近の研究によれば、うつ病の「種」すらも、乳幼児期に作られるということまで
わかってきた。

 ともかくも、扁桃核に傷がついたばあい、「心」、つまり、「人間性」に影響を与える
ことになる。
「あの人は、心の温かい人だ」「冷たい人だ」というときの、(温もり)を決定する。

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九州大学の吉田敬子氏は、つぎのように説く。
母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、『母親から保護される価値のない、
自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・
母子保健情報54・06年11月)と。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、
強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

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●子どもの世界

 ほかにもいろいろある。
そのことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。
というのも、子どもはおとなとちがい、ありのままの姿を、外に表現する。
隠すということをしない。
だからよくわかる。

 言い換えると、子どもにとって望ましい環境で、心安らかに育てられた子どもは、
共通した性格、性質を示す。
穏やかで、やさしく、表情も豊かで、心が静かに落ち着いている。
もちろんそれ以前の問題として、何らかの障害をもった子どもは別だが、ともかくも、
ほっとした温もりを感ずる。
が、そうでない子どもは、そうでない。

親にようる虐待、無視、冷淡、拒否的態度、暴力など。
こうした衝撃が日常的に繰り返されたりすると、子どもの心には大きな影響を与える。
たった一度でも、それが強烈だと、子どもの心をゆがめることがある。
どこかに不自然さや、違和感を覚えたりする。

 何かあると、つっぱってしまう。
ひがみやすく、いじけやすい。
嫉妬深く、根に持ちやすく、いつまでもこだわる。
ちょっとしたことで、別人格になってしまう、など。それが「心の傷」ということになる。
私が直接経験した例を、いくつか、あげてみる。

●症例

 ある女の子(当時2歳)は、何かのことで母親に強く叱られた。
あとで母親は、こう言った。
「それまではほとんど叱ったことのない子でした。
しかしその日だけは、私のほうがおかしかったかもしれません」と。
ともかくもその日を境に、その女の子は、1人2役の、(ときには、3役、4役の)、
独り言を言うようになってしまった。
「まったく別人のように、たがいに会話をするので、不気味です」と。

 また別の男の子は、4歳くらいのときに、風呂に水を入れて遊んでいた。
(風呂は2階にあった。)
その水があふれて、2階から1階を、水びたしにしてしまった。
それを見た祖父が激怒。
その子どもを激しく叱った。
以後、その子どもは、ニタニタと意味のわからない笑みを浮かべるようになって
しまった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された(当時)。

 先にも書いたように、心の傷というのは、症状は多岐に渡る。

(1) 性格的症状(性格から、(すなおさ)が消える)。
(2) 身体的症状(さまざまな身体的変調が現われる)。
(3) 精神的症状(精神不安、恐怖症、神経症、パニック障害など)。

 傷という(損傷)が、脳のどこにつくかによって、異なる。
扁桃核のばあい、その子ども(人)の人間性にまで、影響を与える。
他者との共鳴性の欠落、自己中心性、無表情、無感動、無反応など。
わかりやすく言えば、心の温もりが消える。
 
●私たちの問題

 が、この問題は、即、私たち自身の問題として、はね返ってくる。
私はどうなのか?
あなたはどうなのか?、と。
というのも、心の傷のない人のほうが、少ない。
程度の差こそあれ、みな、もっている。
それが扁桃核によるものなら、なおさらで、心というのは、そういう意味では、
たいへんもろい。
薄いガラス箱のようなもの。
ちょっとしたことで、すぐ壊れる。

 そこで重要なことは、心の傷があるという前提で、私自身、あなた自身をながめて
みるということ。
まずいのは、そういう傷があることに気づかず、同じ失敗を繰り返すこと。
そしてそれでもって、「これが私」と思い込むこと。
「他人もそうだ」と思いこむこと。

●心の冷たい人

 心理学的には、心の冷たい人は、それだけ人格の完成度が低いということになる。
その人格の完成度は、(1)他者との共鳴性、(2)いかに自己中心的でないか、の2点で
判断される(EQ論)。
心の冷たい人というのは、その反対側に位置するということになる。
目の前でだれかが悲しんでいても、平気。
考えることは、自分のことだけ、と。
(だからといって、心の冷たい人が、すべて扁桃核に傷をもっているということにはならない。誤解のないように!)

 そこで重要なことは、まずそういう自分自身に気がつく。
つぎに、そういう自分を改造していく。
「心理療法」というのもある。
が、これは簡単なことではない。
それこそ10年単位の時間がかかる。
「一生かかる」とだれかが言っても、私は同意する。

この問題だけは、本能に近い部分にまで根ざしているため、それを変えることは、
容易ではない。
それこそ『三つ子の魂、百まで』ということになる。
基本的には、つまりよほどのことがないかぎり、心の温かい人は、一生温かい。
心の冷たい人は、一生、冷たい。

●心の温もりとは

 心の温もりについて、大脳生理学では、つぎのように説明する。

 何かよいことをしたとする。
弱い人を助けたり、だれかを手伝ったとする。
その意識は信号となって、扁桃核に伝えられる。
扁桃核はその信号を受けて、エンケファリン系、エンドロフィン系のホルモンで、脳内を満たす。
モルヒネ様のホルモンである。
それが心地よい感覚をもたらす。
「よいことをすると、気持ちがいい」という感覚は、こうして生まれる。
音楽や絵画、そのほかの芸術に感動したり、他人の不幸や悲しみに共鳴するというのも、
それに含まれる。

 反対に何か悪いことをしたときは、どうか?
これについては私の不勉強かもしれないが、まだ明確な解答はない。
ただ考えられることは、あくまでも私の推察だが、何らかのホルモンが分泌され、脳内を不快感で満たすのではないか。

 わかりやすく言えば、よいことをすれば、気持ちよくなる。
悪いことをすれば、不快感を覚えるようになる。

●性善説

 少し回り道をするが、この点からも、私は「性善説」を支持する。
よいことをすれば、気持ちよくなる。
楽しくなる。
それが免疫機能を高め、病気に対する抵抗力を高める。
つまりより長生きできる。

 反対に悪いことをすれば、それがストレッサーとなり、免疫機能を低める。
つまり命を縮める。

 ……とまあ、脳の機能がこうまで単純とは言えないが、おおまかに言えば、それほど
まちがっていないと思う。
つまり人間が、過去20数万年も生き延びてこられたのは、性善説に基づいているからと
考えてよい。
もし性悪説に基づくものであれば、人間は、とっくの昔に滅びていたことになる。

●「心」

 人間には知恵がある。
それを司るのが、大脳皮質部であるとしても、知恵だけでは人間は人間たりえない。
コンピューターにたとえるまでもない。
「心」があってはじめて、人間は人間たりえる。
それを「人間性」という。

たとえば喜怒哀楽の判断は、大脳皮質部でもできる。
しかしその信号を受けて、「心」として反応するのは、辺縁系という組織ということになる。
その組織が、さまざまな「心的反応」を示す。
つまり「心」も、脳の機能の一部ということになる。
言うまでもなく、その人の人間性は、その「心」で決まる。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
その鍵を握るのが、扁桃核ということになる。

●終わりに……

 いろいろと話が脱線したが、「心」も、脳の機能のひとつということになる。
その鍵を握るのが、脳の中心部にある辺縁系ということになる。
この部分には、ほかに、やる気を司る帯状回とか、記憶を司る海馬などと呼ばれる
組織もある。
私たちが学生のころは、このあたりを「原始脳」と呼び、「すでに機能を失った脳」として学んだ。
が、それがとんでもない誤解であったことは、ここに書いたことからでも、わかる。

 「心」……この不可思議にして、得体がつかめない「内的現象」は、いつの時代にも
人間を悩ませる。
できれば心の傷など、なければないほうがよいに決まっている。
しかし時として、その傷が、人間のさまざまなドラマを生み出す。
1億人、人がいれば、1億種類のドラマを生み出す。
「おもしろい」と言えば語弊があるが、それが人間社会の豊かさということになる。

(ほかの動物たちと比べてみると、それがよくわかる。
北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
それぞれ個性的な動きをしていても、スズメはスズメ。
その範囲を超えることはない。)

つまり「心の傷」を、「悪いもの」と決めてかかるのではなく、「それが人間」と考える。
あとは、それと仲よくつきあう。
自分の傷ならなおさら、他人の傷であっても、仲よくつきあう。
扁桃核に焦点をあて、「心」と「心の傷」について、考えてみた。
(2010-4-2)

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●補記

 「心」も脳の機能的活動のひとつということになる。
そういう意味では、けっして霊的(スピリチュアル)な存在ではない。
またそう考えてはいけない。

 すこし話が突飛もない方向に進むが、以前、特養に母を見舞ったときのこと。
私とワイフは、こんな会話をしたことがある。
「この人たちもみな、やがてすぐ、あの世へ行くことになる。
しかしどの段階で、あの世へ行くのだろうか」と。

 「どの段階」というのは、20代のころの段階をいうのか、30代のころの
段階をいうのか、と。
もし死ぬ直前の状態のままあの世へ行くとしたら、死んだ人たちは、ほとんど思考能力を失ったままあの世へ行くことになる。
特養の中には、一日中、「飯(めし)はまだか!」と、怒鳴り散らしている女性もいた。
そんな状態のままあの世へ行くというのも、おかしな話ではないか。

 で、ワイフが言うには、「いちばんよい段階のときに、行くんじゃない?」と。
つまり一番美しく、輝いていた(段階)で、あの世へ行く、と。
またそう考えないと、矛盾が生じてくる。

 たとえば死ぬとき、眠るようにして死ぬ人もいる。
しかしほとんどは、長く病気を患い、苦しんで死ぬ。
交通事故にしても、そうだ。
そんな状態のまま、あの世へ行ったら、あの世は、そういう人たちばかりになる。
となると、あの世というところは、病院のようなところかということになってしまう。
特別養護老人ホームのようなところを想像してもよい。
ここに「あの世」と書いたが、「天国」でもよい。

 そこで人間は、肉体と霊(心)を分けた。
そうすれば、この矛盾を解消できる。
が、「心も脳の機能的活動のひとつ」ということになると、心的現象としての「霊」
の存在も、否定されることになる。
昔は、「心は心臓にある」と考えられていたが、今では「脳にある」と考える。
が、その脳にも「ない」ということになる。
「ある」とか、「ない」とか、考えるほうが、おかしい。
「ない」のである。

 たとえば恋愛感情にしても、今ではホルモン説で説明される。
以前、「恋の寿命」※という原稿を書いたことがある。
性欲、食欲については、脳の視床下部が司っている。
そうしたものが、こん然一体となって、人間の「心」をつくりあげている。

 が、誤解しないでほしい。
だからといって、「人間の心はつまらない」と書いているのではない。
またそういうふうに思ってもらっては困る。
私が書きたいのは、その逆。
「だから、おもしろい」である。
というのも、「心」の奥は深い。
かぎりなく深い。
ひとつの例をあげて、それを説明してみたい。

 たとえば夫婦の間の性行為がある。
女性のばあいはどうなのか、本当のところはよくわからない。
しかし男性のばあい、射S前と、射S後では、「女性の体」に対する感覚は、180度
変化する。
(「S」にしたのは、BLOGによっては、禁止語になっているから。「精」のことである。)

それが瞬間に、おもしろいほど、変化する。
射S後は、そこにあるのは、ただの肉塊。
射S前には、あれほどまでに狂おしく見えた肉体でも、そう見える。

 が、ここからが人間のすばらしいところ。
ワイフの肉体ですら、ただの「肉塊」になるが、そのとたん、そこに(いとおしさ)を
覚える。
しわもふえ、肌には、つやもない。
弾力性もないばかりか、シミが出ている。
が、そこに(いとおしさ)を覚える。
もし人間の心が機能だけで動くとしたら、こうした(いとおしさ)を説明することは
できない。

 いつだったか、「人間の脳のニューロンの数は、DNAの数より多い」ということを
書いた。
つまり人間がもつ創造性は、DNAの限界を超えて、無限性と多様性を秘めている。
心もまた同じ。
つまり人間の脳の機能を、すべて科学で説明することはできない。
それが「奥が深い」という意味になる。 
もっとわかりやすく言えば、脳の機能は、1+1=2であっても、それがときには、
1+1=∞になったりする。
 
 私は、それが「おもしろい」と言う。
蛇足だが、私は心の否定論者ではないことをわかってもらいため、この補記部分を書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心 ホルモン説 脳内ホルモン 脳内ホルモン説)

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