●老後の受諾
Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司
【老後の受諾】
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どう老後を受け入れるか?
これは私の年齢の者たちにとっては、大問題。
いくら「私はまだ若い!」と叫んでも、その声は、
暗い闇の向こうに、そのまま吸い込まれてしまう。
もがく、苦しむ、抵抗する。
希望と失望、これを繰り返す。
しかしやがてそれも限界にたどりつく。
たどりついて、受け入れる。
老後を受け入れる。
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●葛藤期
ときとして事実を認めるのは、つらい。
受け入れるのは、さらに、つらい。
しかし事実は事実。
その事実は、だれにも曲げられない。
避けられない。
「老後」も、そのひとつ。
だから葛藤する。
「拒否」と「受諾」、
「絶望」と「希望」、
「依存」と「独立」、
「悲哀」と「感謝」、
「怒り」と「喜び」……。
交互にそれらが心の中で行き交う。
が、何よりもつらいことに、加齢とともに、「不安」と「心配」が、増大する。
●老後の準備
が、人は、それほど長い期間、不安や心配に耐えられない。
やがて大きな選択に迫られ、老後を受け入れる。
そこにある「事実」を受け入れる。
そして一歩ずつだが、老後の準備を始める。
が、それはけっして「終わりの始まり」ではない。
老後イコール、人生の終わりではない。
まさに別世界。
私とワイフは、つい先日、こんな結論を出した。
(1)どちらか一方が、先に死ぬまで、2人でがんばる。
(2)どちらか一方が死んだら、残されたほうは、有料老人ホームに入る。
(3)自活できなくなったら、そのまま特養老人ホームに入る。
(4)そこで静かに死を迎える、と。
とたん、気が楽になった。
葛藤から、解放された。
●「遊ぶ」
私は若いころ、仕事ばかりしていた。
その反動かもしれない。
この年齢になってはじめて、「遊ぶ」という言葉の意味がわかった。
「遊ぶ」といっても、享楽的に、欲望を追求することではない。
「遊ぶ」というのは、心の中に風を通すこと。
無駄なことをして、(本当は無駄ではないが)、「損」を心の中で克服すること。
それはたとえて言うなら、見知らぬ土地で、花の種を植えるようなことをいう。
二度と行かない土地かもしれないが、そこで花の種を植える。
それが「遊ぶ」という言葉の意味。
それだけではない。
この年齢になってはじめて、……つまり老後を受け入れるようになってはじめて、
「損」の意味もわかるようになった。
人は死によって、すべてを失う。
その「損」にくらべたら、私たちが日常的に経験する「損」など、何でもない。
生きていること自体が、「得」。
その「得」にくらべたら、そこらにある「損」など、何でもない。
いくら損をしても、それを「損」と感じるようなら、まだ幸い。
生きているから、そう感ずる。
●あとは風任せ
あとは風任せ。
「命」など、私がいくらがんばっても、どうにもならない。
そう、先日、悪性リンパ腫にかかって、闘病生活をしているOKさん(59歳)が、
こう教えてくれた。
「林先生、死の宣告なんてものはね、前から来るんじゃありませんよ。
うしろから突然やってきて、肩をたたきながらやってきますよ」と。
ただ健康だけは、自分の意思と力で何とかなる。
完ぺきではないが、多少は動かせる。
だから運動をする。
体を鍛える。
肉体の健康と併せて、脳みその健康もそうだ。
ただぼんやりと日々を過ごし、それで「私は健康でいたい」は、ない。
……本当のところ、まだ葛藤はつづいている。
しかし方向性が定まったことで、かなり気が楽になった。
あとはその方向性に従って、準備を始めるだけ。
今は、そのとき。
(2010/06/01)
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