●幸福論byはやし浩司
*********************************
彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄偶
===○=======○====================
子育て最前線の育児論byはやし浩司 8月 20日号
================================
━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!
http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【BW教室より】
++++++++++++++++++
小学6年クラスで、こんな話になった。
「この世でいちばん、まずい食べ物は何か?」と。
子どもたちは、それぞれ勝手なことを言い始めた。
そこで私は、「味が正反対のものを混ぜると、まずくなるよ」と
教えてやった。
たとえば(苦いもの)と(甘いもの)を混ぜるなど。
で、早速実験ということになった。
自動販売機でコーヒーとコーラを買ってきた。
それを約半分ずつ混ぜ、それにたまたまそこにあった
野菜ジュースを混ぜた。
それを子どもたちに飲ませた。
+++++++++++++++++++
●意識の変化
それにしても意識の変化には驚かされる。
みなが、「こんなまずいものは飲めない」と、約3分の1ほどまで飲んだところで
ギブアップ。
そのとき1人だけ、何とか飲んでしまった子どもがいた。
「ぼくの教室で、それを飲めた子どもは、君1人だけだ」とほめると、「もっと
まずいものがある」と。
……もっとまずいもの?
その子どもはこう言った。
「先生、トイレの便器を使って、流しソーメンをしない?」と。
つまりトイレの便器の中にソーメンを流す。
それをみなで、箸ですくって食べる……と。
冗談かと思ったが、その子どもは真顔だった。
私「あのなあ、いくらなんでもそれは食べられないよ」
子「よく(便器を)洗えば、だいじょうぶ」
私「洗っても、食べられないよ」
子「洗えば、同じだよ。茶碗と同じだよ」
私「だってまわりには、ウンチの茶色いシミがついているよ」
子「洗えば、落ちる」
私「落ちない」
子「落ちる」と。
私の教室のトイレの便器は、スリッパ型。
やろうと思えばできる。
しかしトイレにまつわるイメージは、ボットン便所のころから身についている。
心にしみついている。
今さらそれを変えろと言われても、できるものではない。
が、最近の子どもには、それがない。
便器を食器と同じに考える?
生まれたときから、便器は清潔できれい。
においもしない。
「意識もここまで変わったのか」と、むしろそちらのほうに驚いた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【言葉の勉強】(幼児教室より)
ついでに昨日の幼児教室の様子を、紹介します。
今回は「言葉」について、学習しました。
つづきは
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」へどうぞ。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【人生・いろいろ、子育て・いろいろ】2010/07/20
●幸福論
+++++++++++++++++
人生、いろいろ。
人、さまざま。
100人の人がいれば、100通りの
生き方がある。
生き方は、みな、ちがう。
問題のない人は、いない。
みな、それぞれに問題をかかえ、
懸命に生きている。
どこかの哲学者は、こう言った。
『幸福な家庭はみな似ている。
が、不幸な家庭は、みなちがう』と。
子育ても、またしかり。
問題のない子どもは、いない。
外から見ると、みなうまくいっているように
見える。
が、うまくいっている家庭など、それこそ100に
1つもない。
1000に1つもない。
だからこれだけは言える。
多くの親たちは子どもの問題をかかえると、
真っ先にこう悩む。
「どうしてうちの子だけが……」と。
しかしそう思ってはいけない。
問題のある子どもをかかえているのは、
けっしてあなただけではない。
+++++++++++++++++
●原点
こんなことは、めったにあってはいけない。
しかしある母親は、自分の子ども(2歳児)が死ぬか、生きるかの死線をさまよったとき、
病院の廊下で天に向かって、こう祈ったという。
「私の命はどうなってもいい。私の命と交換してでもいいから、あの子の命を救って!」
と。
それを子育ての原点とするなら、子育てにまつわる問題は、すべて解決する。
「成績がなんだ!」「いじめがなんだ!」「学校がなんだ!」となる。
●家庭騒動
「盗み」にしても、そうだ。
その親には2人の娘がいた。
下の娘は、6年ほど前に結婚した。
が、上の娘は、仕事もせず、家の中でブラブラしていた。
かなり裕福な家庭ということもあった。
上の娘は、父親の金庫から現金を盗み、それでブランド品を買いあさっていた。
ハンパな額ではない。
一度に、100万円単位で盗んでいた。
買い物依存症である。
同じものでも、それがほしくなると、それにブレーキをかけられなくなる。
そのため娘の部屋には、その種のブランド品が、山のようになっていた。
が、父親も母親も、娘を叱ることができなかった。
何回か注意しようとしたことがあるが、そのつど上の娘は、逆にキレた。
台所から包丁をもってきて、自分の首を切ろうとしたこともある。
父親の腹に包丁を向けたこともある。
が、やがて父親は悟った。
「殺されてもいい」と。
●上の娘
「どうせ私が死ねば、財産はすべて娘たちのものになるではないか」と。
そう割り切ったとき、父親の目の前には一本の道が開けた。
「娘は、私たち以上に苦しんでいるのだ」と。
27、8歳ごろまでは、男とつきあっているという話もあったが、30歳を
過ぎると、それも消えた。
男のほうが、みな、去っていった。
35歳を過ぎると、娘は化粧もせず、過食と拒食を繰り返すようになった。
私がここに書いた話を聞いたときには、上の娘は相撲の関取のように太っていた。
父親は金庫を数度、替えた。
が、そのつど上の娘は狂ったように鍵をさがした。
ときどき父親と母親は、1、2泊の旅行に出かけることもあった。
そういうとき上の娘は、一睡もせず鍵をさがしたという。
が、それでもないとわかると、近所の鍵屋を呼んで、金庫を開けさせた。
そういう娘を知りながら、父親も母親も何も言わなかった。
ただ金庫の中には、いつも小さなメモを書いて入れておいたという。
「○○へ、もう、こういうことはやめようね」と。
が、効果はなかった。
●買い物依存症
買い物依存症は、メカニズム的にはアルコール中毒やニコチン中毒と同じ。
脳の中枢部(視床下部)から発せられた信号によって、ドーパミンが分泌される。
それが線条体に作用して、そこで猛烈な条件反射反応が起きる。
ふつうの理性でコントロールできるようなものではない。
一度この反応が起きると、そのものが猛烈にほしくなる。
ほしくなって、自分が自分でなくなってしまう。
そのものが必要だから、ほしいのではない。
「ほしい」という欲望を制御できなくなる。
だから買う。
買って自分の欲望を満足させる。
平たく言えば、心の病気。
●共感
父親の職業を言い忘れたが、父親は、少し離れた通りで、公認会計士の事務所を
開いていた。
1人の税理士も、いっしょに仕事をしていた。
年齢は55歳。
そのころその男性はテニスで腰を痛め、同時に五十肩に苦しんでいた。
そこへ緑内障が追い打ちをかけた。
パソコンを相手に仕事をするのが、むずかしくなった。
引退も考えたが、それを思いとどまらせたのが、上の娘だった。
上の娘のことを考えると、「引退どころではない」となった。
「がんばれるだけ、がんばるしかない」となった。
そこで父親と母親は、スポーツジムに通うようになった。
週に1度だが、プールで泳ぐようにもなった。
そしてこう宣言した。
「70歳まで現役で働く」と。
私も同じことを書いていたので、ともに共感を覚えた。
「共に70歳まで、がんばりましょう!」と。
●バネ
私にもいろいろあった。
今も、いろいろある。
さみしいことやつらいことのほうが、多い。
それを忘れるために、映画を観たり、旅行に出かけたりする。
それでそこにある問題が解決するわけではないが、一時的であるにせよ、それを
忘れることができる。
心の中にたまったゴミを掃除することができる。
言い替えると、問題があるから悪いのではなく、それを受け入れてしまえば、
それがプラスの方向に作用するということ。
その男性もこう言っていた。
「金庫からごっそりと札束が消えていたときのこと。
私は、こう思いました。
『もって行きたければもっていけ。その分だけ、私は仕事をするだけだ』と」と。
つまり発想をほんの少し変えるだけで、不幸(?)を自分のバネとすることができる。
●運命
私たちの体には、無数の糸がからんでいる。
その「糸」がときとして、私たちの進むべき道を決めてしまう。
「私はこっちへ行きたい」と願っていても、その糸が別の方向に引っ張ってしまう。
それを「運命」というのなら、だれにでも運命はある。
その運命は、逆らえば、キバをむいて襲いかかってくる。
が、受け入れてしまえば、向こうからシッポを巻いて逃げていく。
●腐る体と心
私たちはたしかに、今ここで、生きている。
しかし本当のところ、生きているのではなく、生かされている。
たとえば昨日も、こう思った。
私とワイフは昼食後、いつも30~40分ほど昼寝をする。
それが日課になってしまった。
そのときのこと。
起きるのはつらい。
「もっと寝ていたい」と思う。
しかしそういう体と心にムチを打って、体を起こす。
仕事に向かう。
自転車にまたがる。
だからこそ、かろうじてだが、こうして健康を維持することができる。
が、もしその緊張感がなかったら……。
私は悠々自適な老後生活が、けっしてあるべき理想の老後生活とは思わない。
またそうだからといって、幸福とは思わない。
もしそんなだらしない生活を半年もつづけたら、体も心も腐ってしまうだろう。
つまりそこに問題があるから問題なのではなく、大切なのはその問題を
どう生かして生きていくかということ。
●今が原点
子育ても、またしかり。
先にも書いたが、問題のない子どもはいない。
したがって問題のない家庭はない。
それぞれがそれぞれの問題、つまり悩みや苦しみ、悲しみを背負って懸命に生きている。
が、それを「問題」と思ってしまうから、それが重荷になる。
十字架になる。
だから、こう考えたらどうだろう。
「それが当たり前」と。
居直り?
あきらめ?
受け入れ?
言葉は、何でもよい。
大切なことは、そこを原点としてものごとは、前向きに考える。
過去を悔やむ必要はない。
のろう必要は、さらにない。
今、私たちはここに生きている。
そこを原点としてものごとは、前向きに考える。
●失う
とくに50歳を過ぎると、失うものばかり。
60歳を過ぎると、さらに失うものばかり。
「失う」ことを前提として、生きる。
また失うことを、恐れてはいけない。
どうせそれで失うものは、その程度のもの。
もともと価値のないもの。
あるいは価値あるものと、思いこまされていたもの。
が、もし体と心を腐らせたら、おしまい。
本当におしまい。
それだけは最後の最後まで守る。
またそれだけは、その気になれば、最後の最後まで守ることができる。
失うことはない。
●許して、忘れる(For・give & For・get)
親が子どもを育てるというのは、ウソ。
子どもが親を育てる。
しかも皮肉なことに、できの悪い子どもをもてばもつほど、親は子どもに育てられる。
が、それにはひとつ、重大な条件がある。
それが「愛」ということになる。
親は子どもにどれほど叩かれ、罵倒されても、あるいはつらい思いをさせられても、
「愛」だけは見失ってはいけない。
方法は簡単。
『許して忘れる』。
それだけを念じて、その場を去る。
仲直りするとか、関係を修復するとか、そういうことは考えなくてよい。
子どもの機嫌を取る必要もない。
嫌われることを恐れてはいけない。
去っていくことを、悲しんではいけない。
子どもたちにしても、1人の人間。
つまり、人、それぞれ。
あとは忘れて、自分の人生を歩む。
●「70歳までがんばろう」
その男性はこう言った。
「林さん(=私)、70歳までがんばりましょう」と。
私はそれに答えて、こう言った。
「70歳? 私なんか今のままだと、75歳までがんばらなくてはならないかもしれ
ません」と。
「今」はそのためにある。
まず、体を鍛える。
心を腐らせない。
今日1日がんばれば、明日がある。
今週1週間がんばれば、来週がある。
今月1か月がんばれば、来月がある。
だから今年1年がんばれば、たぶん来年もあるだろう。
あとはそれを繰り返す。
繰り返して、75歳までがんばる。
つまりそのあとのことは考えない。
運がよければ、ポックリと死ねるだろう。
だからともかく、今日は今日で懸命に生きる。
今夜死ぬことになってもよいように、懸命に生きる。
……というのが、この原稿の結論ということになる?
2010年7月20日、今日も始まった!
扇風機の風が、心地よい。
何でもこい!
やってこい!
私は負けない!
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【幸福論】(2)
●最近の女子高校生は…?
●失敗作と笑えるか
市立図書館で、女子高校生六人に聞いてみた。「君たちは将来、何をしたいか」と。私は
当然、キャリアウーマン的な人生観をもっているものとばかり思っていた。が、五人ま
でがこう答えた。
「結婚して、はやく家庭に入りタ~イ」「家庭でダンナの帰りを待ちながら、料理しタ~
イ」と。
私が「家庭の主婦になるということか」と聞くと、「そうだヨ~」と。そこでさらに、「仕
事はしないのか?」と聞くと、「したくないヨ~。ダンナの給料だけでやっていきたいヨ
~」と。
見た感じ、ごくふつうの高校生である。ちょうどテスト週間で、図書館に来ていた。私
は質問を変えて、「では、どんな男と結婚したいか」と聞いた。すると一人が、「一にマス
ク、二に経済力…。『これオヤジのマンション』と言うような金持ちの息子がいい」と言っ
た。私が「心はどうする。結婚するというのは、心の問題だよ」と言うと、「マスクのいい
人は、心もいいに決まってル~」と。
あれこれ話したが、政治の話をもちだすと、「ダサ~イ」とはねのけられてしまった。私
「国の借金が七〇〇兆円もあるんだよ。一人六〇〇万円だよ。君たちの借金なんだよ。
それはどうするの?」高「私ら、そんな話、関係ないもんネ~」「そうよネ~」と。
言いたいことは山ほどある。あるが、こういう現実を見せつけられると、自分をのろい
たくなる。五十歳をすぎても、日本の将来を心配している自分が、なさけなくなる。少し
飛躍した感想かもしれないが、なぜあの三島由紀夫が腹を切ったか、その心情がよくわか
る。私たちはこういう高校生をつくるために、がんばってきたのか、と。
少し前だが、こんなこともあった。あるキャンプ場で国旗の掲揚をしたときのこと。何
人かの高校生が、「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」を口ずさんでいるのを聞い
た。アメリカの国歌である。日本の国歌にも言いたいことはいろいろあるが、しかし今、
日本の若者たちがここまで脱線しているかと思うと、ゾッとする。
そう、何かがおかしい。何かが狂っている。しかし相手は子どもだ。日本の将来をにな
う子どもだ。そういう子どもをさして、「失敗作」と、どうして言えるだろうか。子ども
を笑うということは、即、自分を笑うということになる。そんなことは、私にはとても
できない。
……何ともやりようのない空しさを感じながら、私は図書館を出た。
(2)今日の特集 **************************
●離婚のあとに……
Aさん(38歳、秋田県H市在住)。5年前、二人の子どもを夫に預けて、離婚。原因は、
Aさんの不倫。そのAさんは、現在、そのときの不倫相手と再婚。「今は、最高に幸福な生
活を送っている」(Aさんのメール)とのこと。
が、その一方で、Aさんは、二人の子どもに対する、恋慕に苦しんでいる。二人の子ど
もは、上の子どもが、11歳(兄)、8歳(妹)。「会いたいが、会うべきではない」「もし
子どもたちが、自分を求めていたら、どうしたらいいのか」「この5年間、まったく連絡を
とっていない」と。
前夫が再婚しているかどうかも、知らないという。現在、前夫の住んでいるところとは、
70キロくらい離れているとのこと。(以上、Aさんからのメールを要約。)
++++++++++++++++++
メールの内容によれば、離婚相談のとき、Aさんは、「自分のわがままで離婚するのだか
ら、二人の子どもは、前夫に渡した」とのこと。しかしその文面からは、引き裂かれた母
子の苦しみが、にじみ出ていた。それで私に、「アドバイスしてほしい」と。
しかし私は、こういう事例については、まったく無力でしかない。とても残念だが、私
の心には、Aさんを理解するだけの「心のポケット」がない。つまり人というのは、同じ
ような苦しみや悲しみを経験して、はじめて他人の苦しみや悲しみを理解できるようにな
る。それを昔、学生時代の私の恩師は、「心のポケット」と呼んだ。
ただ、想像できなくはない。そしてそれほどまでの事例ではなくても、子どもと別れた
母親の事例は、いくつか経験している。ひとつずつ、順に、心の紐(ひも)をほどいてみ
よう。
Aさんは、不倫をした。しかしそれは決して、「浮気」と言えるような、浅いものではな
かった。その証拠に、Aさんは、二人の子どもと別れて、その不倫相手の男性と再婚して
いる。
そういうAさんを、だれが責めることができるだろうか。Aさんは、真剣だった。まじ
めだった。そして自分の心の、「強烈な命令」に従って、前夫と離婚した。その強烈な命令
は、Aさん自身の心の迷いという範囲を超えた、まさに「人間として、その根底から、わ
き起こる命令」だったにちがいない。
Aさんは、何も、まちがったことはしていない。もしAさんの行為がまちがっていると
いうのなら、人間そのものがまちがっていることになる。
Aさんは、結婚していた。二人の子どももいた。しかし電撃に打たれるような恋をした。
そしてそれに打ちのめされるようにして、離婚した。そこらの浮ついた男女が、遊びです
る浮気とは、中身も深みも、ちがっていた。
で、その結果として、二人の子どもを、夫のもとに置いて、離婚した。そのときの判断
が正しかったかどうかは別として、Aさんにしてみれば、Aさんが感ずる「罪」に対する、
せめてもの「つぐない」だったかもしれない。Aさんは、こう言う。「前夫にすべてを捨て
ろというのは、できなかった」と。
不幸か不幸でないかといえば、こうした結末は、二人の子どもにとっては、不幸に決ま
っている。とくに今の状態では、二人の子どもは、「母は、私たちを捨てた」と思っている。
またそう思って、当然である。
いくらAさんが、「そうでない」と思っていても、それはAさんの身勝手。事実として、
Aさんは、二人の子どもを捨てた。この親としての「罪」は、決してつぐなえるようなも
のではない。夫に子どもたちを渡すことで、Aさんは、夫に対しては、つぐなったつもり
でいるが、それは夫に対して、だけ。
そこでAさんは、子どもへの思いが断ちきりがたく、思い悩んでいる。「どうしたら
いいか」と。
Aさんは、不倫相手と再婚はしたものの、一日とて、心の晴れる日はなかったはず。「今
は最高に幸福です」とは書いているが、それは精一杯の虚勢であるにちがいない。朝起き
れば、子どものこと。昼の時報を聞けば、子どものこと。夜、床に入れば、子どものこと。
近所の同年齢の子どもを見ては、自分の子どものこと。それを思いやりながら、「今ごろは、
9歳になったはず」「今ごろは、10歳になったはず」と。一日とて、いや一分とて、子ど
ものことを忘れたことはないはず。
それはものすごい閉塞(へいそく)感である。おまけに、Aさんを見る、世間の目は冷
たい。恐らく、親戚中から、白い目で見られている。「ひどい女だ」「子どもを捨てた、悪
女だ」と。
世間的な常識を言えば、そういうことになる。これに対して、Aさんが、抵抗したり、
否定したりしたところで、意味はない。先に書いた、「強烈な命令」の前には、世間的な常
識など、道端のスミにたまったホコリのようなもの。この強烈な命令が、いかに強烈であ
るかは、あの川端靖成をみればわかる。ノーベル文学賞までとった文学の大家でも、晩年、
10代の女性と、恋をしている!
しかしこうした閉塞感は、何もAさんだけが経験しているものではない。Aさんは、子
どもと生き別れたが、死に別れた人だって多い。さらに子どもではなく、親や兄弟と、生
き別れたり、死に別れたひともいる。夫や妻と、生き別れたり、死に別れた人だっている。
恋人と生き別れたり、死に別れた人となると、五万といる。あるいはもっと多い。
それぞれが、それぞれに重い十字架を背負っている。こんな例もある。
B氏(50歳)は、そのとき、母親と決別状態にあった。だから母危篤(きとく)の報
を受けたときも、母親のもとには走らなかった。やがてすぐ母親はなくなったが、葬儀に
も出なかった。B氏が、45歳のときのことだった。
そのB氏には、一人の妹がいた。身体に障害があり、介護がないと、満足にトイレへも
行けない状態だった。しかしB氏は、その妹を、叔母に預けた。(本当は、見るに見かねて、
叔母が、その妹のめんどうをみることになった。決して、叔母のほうから、引きとったわ
けではなかった。)
このケースでも、B氏は、世間からは白い目で見られた。親戚からも、「ひどい息子」と
ののしられた。しかしそのB氏が、実は、父親の子どもではなく、祖父と母親との間にで
きた子どもだった。それにいろいろと複雑な家庭の事情がからんだ。B氏は、母親を、心
底、うらんでいた。
が、それから5年。
B氏の心が晴れることは、一日もなかった。B氏は、母親の死に目にもあわなかったこ
とを悔やんだ。葬儀に出なかったことも悔やんだ。そのときは「正しい決断」と思ってい
たが、時がたつにつれて、心が変化するということは、よくある。
毎日が、その「悔やみ」との戦いでもあった。今になってB氏は、こう言う。「どうして
私は、もっと早く母を許せなかったのか」と。
こうした事例は、形こそちがえ、いくらでもある。幸福な家庭は、どれもよく似ている
が、不幸な家庭は、みなちがう。顔もちがう。しかしつきつめれば、「不幸な思い」は、ど
の人も共通している。
だからAさんについても、「あなただけではないですよ」と言いつつも、しかし今、Aさ
んが感じているであろう閉塞感は、B氏とは比較にならないほど、重いものであるにちが
いない。私やあなたが安易に、アドバイスできるような内容のものではない。メールには、
「私は幸福です」とはあるが、幸福になれるはずはない。
これから先、Aさんがすべきことは、(今は、まだ子どもたちが小さいから、しないほう
がよい)、いつか、二人の子どもたちの前で、両手をついてあやまることである。しかしそ
のときでも、二人の子どもが許してくれるとはかぎらない。しかしそれでも、Aさんは、
あやまるべきである。
そういう日は、必ず、やってくる。でないと、この種の閉塞感は、日増し、年ごとに大
きくなり、ますますAさんを苦しめる。「忘れよう」「忘れよう」と、もがけばもがくほど、
クモの巣のからんだ、あり地獄の中に落ちていく。はっきり言えば、今、Aさんが感じて
いる「幸福感」などというものは、紙のように薄いガラスでできた、箱のようなもの。
つまりAさんは、こうした現実を、はっきりと認識しなければならない。逃げてはいけ
ない。認識する。それは同時に、とても苦しいことだが、それは自分がかかえた大病と、
真正面から向きあうのに、似ている。心の中の(わだかまり)を理解しないかぎり、その
人は、そのわだかまりと、戦うことすら、できない。
本来なら、メールをくれたAさんに対して、「こうしたらいいですよ」というような返事
を書かねばならない。しかし職業柄、どうしても、私の視点は、捨てられた二人の子ども
のほうに、向かってしまう。「どれほど、さみしい思いをしただろうか」「つらい思いをし
ただろう」と。恐らく今の今も、二人の子どもは、Aさんを慕いながら、その一方で、そ
れ以上に、Aさんをうらんでいる。
不倫がすべて悪というわけではない。
真剣であるなら、不倫も許される。ある女性(35歳)は、一人の男性(43歳)と、
一年にわたって不倫をつづけた。週一回ほど会っては、濃厚なセックスを繰りかえした。
しかしその女性は、結局は、その男性と別れた。
その女性は、別のところで、こんなことを言っている。「私は不倫をしました。あの世で
は、まちがいなく地獄に落ちます。その覚悟はできています。ただ不倫をした分だけ、私
は今の夫に尽くしています。ですから不倫をしたおかげで、おかしなことですが、夫婦の
仲もよくなりました」と。
いろいろな不倫があるが、そういう不倫もある。今さら過去を取り消すことはできない
が、Aさんも、まだその段階であれば、いろいろ打つ手はあったのだろう。しかしその前
に、その不倫は、前夫の知るところとなってしまった。
【Aさんへ】
メール、ありがとうございました。
多分、私に相談してくださっても、問題の根本が、解決しないかぎり、あなたの心が整
理されることはないと思います。お力になりたいのですが、私は、あまりにも無力です。
ゆいいつあなたができることと言えば、二人のお子さんの幸福を願うことだけですが、し
かしそれとて、もう、あなたとは、関係のない世界のことです。
あなたは「ひょっとしたら、二人の子どもが、今でも私を求めているかもしれない」「私
はそれに答えてあげたい」というようなことを書いておられますが、それは、その通りで
あると同時に、まったく、その通りではありません。
自分たちを捨てた(この表現は適切ではないかもしれませんが、お子さんたちは、そう
思っています)母親を、二人の子どもたちも、まさに毎日、恋焦がれています。それは当
たり前のことではないですか! しかし同時に、内心の奥深くではそうであるとしても、
それと同じくらい、あなたという母親をうらんでいます。それも当たり前のことではない
ですか!
5年という歳月は、あまりにも長すぎます。母への恋慕が、うらみに変るのは、一日で
じゅうぶんです。もちろんあなたには、あなたの言い分があります。夫のもとに子どもを
置いていったのは、夫への罪滅ぼしということですね。それはわかりますが、言いかえる
と、あなたは自分の子どもを、取り引きの材料にしてしまったのです。
多分、あなたは親意識の強い女性なのでしょう。子どもの心を確かめることもなく、ま
た聞くこともなく、一方的に、そうしてしまった? いただいたメールでも、子どもたち
自身の心が、まったく見えてきません。
では、どうするか?
答は簡単です。
あなたは重い十字架を、死ぬまで背負います。重い、重い、十字架です。この十字架か
らのがれる方法は、残念ながら、ありません。いくら弁解しても、いくら自己正当化して
も、この十字架からのがれることは、できません。
あなたの二人の子どもが幸福になっても、仮に不幸になれば、なおさら、あなたの心が
晴れることはありません。そういう現実を、しっかりと見つめ、あなたはあなたで、懸命
に今を生きていくしかないでしょう。
だからといって、私はあなたを責めているのではありません。あなた自身ですら、「あな
たがあなたである前」の、「人間」という、まさにその人間から発する「強烈な命令」によ
って、自分の行動を決めたのです。
ゆいいつの望みは、そういう「強烈な命令」を、いつか、あなたの二人の子どもも、理
解する日が、やってくるかもしれないということ。まさにあなたは、(命がけの恋)をした
わけです。しかしその命がけの恋は、二人の子どもの心に、ナイフを突き刺してしまった!
そのキズを、だれが、どうやっていやすことができるというのでしょうか。
私は、不可能だと思います。
しかしね、Aさん。
これが人生なのですね。今はまだおわかりにならないかもしれませんが、そういった自
分も含めて、「人間って、そういうもの」と、わかるときがやってきます。40代とか、5
0代になると、です。
いろいろなドラマを繰りかえしながら、同時に、無数のドラマを、人間は、あとに残し
ていく……。つまり「私」という人間を、「人間」という視点から、見ることができるよう
になります。そして、ですね、そこが不思議なところですが、そういう人間に、「美しさ」
を見ることができるようになります。
あなたも、いつか、そうして悩み、苦しみながらも、そういう自分の中に、「美しさ」を
見ることができるようになります。ですから、今は、懸命に生き、懸命に幸福を求め、そ
して同時に、懸命に悩み、苦しんだらよいのです。
逃げてはだめです。真正面から、ぶつかっていきます。そういう中から、あなたは、別
のあなたを見出していく。そしていつか、気がついたとき、あなたはふつうの人をはるか
に超えた、すばらしい人になっています。
いいですか? だれしも、一つや二つ、そういう十字架を背負って生きています。この
一年間だけでも、こんな事例があります。
一人息子(19歳)を、自殺に追いこんでしまった両親。同じく妻を、自殺に追いこん
でしまった夫。少し前には、自宅に放火して、娘を殺してしまった母親など。一見、極端
な例に見えるかもしれませんが、そういう人たちが背負った十字架とくらべると、あなた
の背負った十字架など、軽いものです。軽い、軽い、本当に、軽い!
だからあなたはあなたで、前向きに生きていきなさい。
あなたはあなたというより、人間が本性としてもつ「強烈な命令」に従った。それはま
ちがっていない。以前、こんな原稿(この返事のあとに添付)を書きましたので、送りま
す。中日新聞に掲載してもらったものです。何かの参考になると思います。
そしてあなたは今の苦しみや悲しみを、つぎの段階にまで昇華させます。そうそう、先
に書いた、B氏ですが、今は、ボランティアで、老人福祉をしています。もう少し具体的
には、自分にも別の仕事があるので、妻に、その仕事をしてもらっています。その妻の仕
事を、応援しています。
なぜB氏が、そうなのか? そうしているのか? あなたなら、その理由がわかるはず
です。
たしかにあなたの二人の子どもは、あなたに捨てられた。これは事実です。心に大きな
キズを負った。これも事実です。
しかし二人の子どもは、必ず、それを乗りこえます。すでに乗りこえているかもしれま
せん。子どもの側からしても、その程度の問題をかかえている子どもは、いくらでもいま
す。今どき、離婚など、珍しくも何ともないです。アメリカでも30%の夫婦が、離婚し
ています。意外と意外、この日本でも、離婚率は、ヨーロッパ各国より、高くなりつつあ
ります。
ですから離婚の数だけ、あなたの二人の子どものような子どもも、いるわけです。(だか
らといって、あなたが背負った十字架を軽く感じてもらっては困りますよ。)
私があなたなら、その分だけ、あなたの今の夫に、尽くします。尽くして、尽くして、
徹底的に尽くします。あなた自身の幸福というよりは、あなたの夫の幸福を、最優先しま
す。そしてできれば、あなたの周囲に、あなたの助けを必要としている子どもたちのため
に、尽くします。
ある女性(現在45歳くらい)は、今の夫と結婚する少し前、別の男性と遊んで、妊娠
してしまいました。それで中絶したのですが、そのときつけた子宮のキズが原因で、妊娠
できない体になってしまいました。
それでその女性は、それ以後、今に至るまで、何かの団体で、不幸な子どもたちの福祉
活動を繰りかえしています。つまりあなた自身も、何らかの形で、今の苦しみや悲しみを、
昇華させることができるはずということです。
が、だからといって、あなたの心が晴れることにはならないでしょう。死ぬまで、晴れ
ることはないでしょう。あなたがまじめで、そして懸命に戦えば戦うほど、そうです。し
かし人生というのは、もともと、そういうものなのですね。そうでない人生を、さがすほ
うが、むずかしいくらいです。
とにかく前向きに生きていきましょう。もう、どうにもならないことは、どうにもなら
ないのです。大切なことは、今日できることを、懸命にすること。明日は、その結果とし
て、必ず、やってきます。そして明日のことは、明日に任せればよいのです。
そしていつか、あなたの二人の子どもは、あなたを求めてやってきます。そのとき、あ
なたはもうこの世の人ではないかもしれない。(もちろんその前に求めてきたら、あなたは
全幅に心を開いて、子どもたちを受け入れます。)
そんなときでも、あなたはあなたの二人の子どもが、部屋の中に入ってくることができ
るように、しっかりと窓だけはあけておいてあげてください。「私の母は、すばらしい母だ
った」と思うような、そんな人をめざしてください。それが今できる、あなたの子どもた
ちへの、せめてもの罪滅ぼしではないでしょうか。
長い返事で、参考になったかどうかはわかりませんが、どうかどうか、前向きに生きて
ください。
++++++++++++++++++++
母親がアイドリングするとき
●アイドリングする母親
何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。
今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。結婚したのは二四歳のとき。
どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋を
したが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際
を始め、数年後、これまた何となく結婚した。
●マディソン郡の橋
R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。
主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れて
いた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフラン
チェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じ
こもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。
彼女もまた、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」とい
う状況の中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。
●不完全燃焼症候群
心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。
昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わ
ってしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買い
に行く」と。
「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということ
だった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だ
った。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。
●思い切ってアクセルを踏む
が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。
「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよ
うなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。
子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、そ
れが終着点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、
アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでま
た風は吹き始める。人生は動き始める。
(040312)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
●幸福論
幸福とは何か。イギリスの教育格言に、『子どもを幸福で包んであげるのが、最高の教育』
というのがある。それはわかる。そのとおりだと思う。しかし問題は、その中身である。
イギリスの「自由投稿サイト、The Quote Cache Daily Random Quote List」に載っている
格言から、いくつかを選んで、訳してみた。(訳がおかしいと思うときは、原文を読んでほ
しい。)
まず登場するのが、アンディ・ルーニィ。
★For most of life, nothing wonderful happens. If you don't enjoy getting up and
working and finishing your work and sitting down to a meal with family or friends,
then the chances are that you're not going to be very happy. If someone bases his
happiness or unhappiness on major events like a great new job, huge amounts of money,
a flawlessly happy marriage or a trip to Paris, that person isn't going to be happy
much of the time. If, on the other hand, happiness depends on a good breakfast, flowers
in the yard, a drink or a nap, then we are more likely to live with quite a bit of
happiness.ー Andy Rooney
人生では、すばらしいことなど、めったにない。朝起きて、仕事をして、それを終えて、
家族や友といっしょに食事することを楽しみなさい。そうすれば、それぞれのときに、あ
なたは幸福になる。もし人が、幸福の基盤を、新しい仕事や、莫大なお金や、完ぺきな結
婚生活や、パリへの旅行など、そういった大きなできごとに置くなら、ほとんどの時間で、
その人は、幸福ではないということになる。しかし一方、幸福を、おいしい朝食や、庭の
花や、飲んだり、昼寝したりすることに求めるなら、あなたはすばらしい幸福とともに、
人生を過ごすことができる。
★Think of all the beauty that's still left in and around you and be happy! ー Anne
Frank
あなたのまわりにまだ残っているすべての美しいものを、思い浮かべなさい。そして幸福
になりなさい。(アンネ・フランク)
★We all live with the objective of being happy; our lives are all different and yet
the same. ー Anne Frank
私たちはみな、幸福になりたいと思って生きている。つまり人生はみな、異なっていても、
目的は同じ。(アンネ・フランク)
★Happiness is a warm puppy. ー Charles Schulz
幸福は、暖かいぬいぐるみ。(チャールズ・シュルツ)
★When I meet people from other cultures I know that they too want happiness and do
not want suffering, this allows me to see them as brothers and sisters. ー Dalai Lama,
Tenzin Gyatso
他の文化をもっている人に会ったとき、彼らもまた幸福を求め、苦しみを望んでいない。
それがわかるから、私は彼らをみな、私の兄弟だと思う。(ダライ・ラマ)
★There is a very fine line between "hobby" and "mental illness." ー Dave Barry
「趣味」と、「心の病気」の間には、明確な一線がある。(D・バリー)
★You get more joy out of the giving to others, and should put a good deal of thought
into the happiness you are able to give. ー Eleanor Roosevelt
他人に分け与えることで、あなたはもっと大きな喜びを得る。それはそうだが、しかしそ
れを与えるとき、幸福とは何か、それをよく考えて、すべきである。(E・ルーズベルト)
★We tend to forget that happiness doesn't come as a result of getting something we
don't have, but rather of recognizing and appreciating what we do have. ー Frederick
Koenig
もっていないものを手にしたとき、その結果として幸福がやってくるのではないというこ
とを、私たちは忘れてはいけない。そうではなく、幸福というのは、今、私たちがもって
いるものに気づき、それを評価することの結果として、やってくる。(F・コーニグ)
★There is work that is work and there is play that is play; there is play that is
work and work that is play. And in only one of these lies happiness. ー Gelett Burgess
仕事の仕事がある。遊びの遊びがある。仕事の遊びもあるし、遊びの仕事もある。しかし
これらの一つだけに、幸福がある。(G・バーゲス)
★If you have nothing else to do, look about you and see if there isn't something
close at hand that you can improve! It may make you wealthy, though it is more likely
that it will make you happy. ー George Matthew Adams
ほかに何もすることがなかったら、あなたの近くで、あなたができることがないかを、見
てみたらよい。そうすれば、あなたは幸福になるだろうし、お金持ちになれる。(G・M・
アダムズ)
★Shall a man go and hang himself because he belongs to the race of pygmies, and not
be the biggest pygmie that he can? Let everyone mind his own business, and endeavor
to be what he was made. ー Henry David Thoreau, "Walden"
彼がピグミー(中央アフリカの小人の黒人)だからといって、自殺する人はいるだろうか。
あるいは彼が、最大のピグミーでないからとって、自殺する人はいるだろうか。他人のこ
とは、ほっておけ。そして自分のおかれた境遇で、努力せよ。(H・D・ソロー)
★For every moment of triumph, for every instance of beauty, many souls must be
trampeled. ー Hunter S. Thompson
すべての成功の瞬間に、そしてすべての美の瞬間に、多くの魂が、踏みにじられる。(H・S・トンプソン)
★The fact is always obvious much too late, but the most singular difference between
happiness and joy is that happiness is a solid and joy a liquid. ー J.D. Salinger
事実は、いつも明らかに、あとになってわかる。「幸福」と「喜び」の、もっとも大きな違
いは、幸福というのは、固体だが、喜びは、液体であること。(J・D・サリンジャー)
★Three grand essentials to happiness in this life are something to do, something
to love and something to hope for. ー Joseph Addison
幸福の三つの大きな要素は、すべきことがあること。愛すべきものがあること。そして希
望とすべきものがあることである。(J・アジソン)
★One of the first conditions of happiness is that the link between Man and Nature
shall not be broken. ー Leo Tolstoy
幸福の最初の条件は、人間と、自然のつながりを、壊してはいけないということである。
(L・トルストイ)
★Happiness lies only in that which excites, and the only thing that excites is crime.
ー Marquis de Sade
幸福というのは、エキサイトするものに存在し、エキサイトする唯一のものというのは、
犯罪である。(M・Sade)
★I've learned from experience that the greater part of our happiness or misery depends
on our dispositions and not on our circumstances. ー Martha Washington
私は、つぎのことを学んだ。つまり幸福にせよ、悲惨にせよ、その大部分は、私たちのお
かれた環境ではなく、私たちの気質によるものだということを。(M・ワシントン)
★Everything exists in limited quantity ー especially happiness. ー Picasso
すべてのものには、かぎられた量しかない。とくに幸福は!(ピカソ)
★Sooner or later in life everyone discovers that perfect happiness is unrealizable,
but there are few who pause to consider the antithesis: that perfect unhappiness is
equally unattainable. ー Primo Levi
遅かれ早かれ、だれもが、完ぺきな幸福というのは、自分ではわからないものだというこ
とを発見する。しかしほとんどの人は、その正反対については、考えない。つまり完ぺき
な不幸というのは、同じように、達成しがたいものであることを。(P・レビ)
★It's a funny thing about life; if you refuse to accept anything but the best , you
very often get it. ー Somerset Maugham
もしあなたがいつも最高のもの以外は受け取らないとするなら、あなたはそれをしばしば
手に入れることができるというのは、人生でも、おかしなことだ。(S・モーガム)
★The supreme happiness in life is the conviction that we are loved ーー loved for
ourselves, or rather, loved in spite of ourselves. ー Victor Hugo
人生で最高の幸福というのは、私たちが愛されているという確信である。つまり、私たち
自身のために愛されているか、もしくは、むしろ、私たち自身のかわりに愛されていると
いう確信である。(V・ユーゴ)
★The essentials to happiness are something to love, something to do, and something
to hope for. ー William Blake
幸福の重要な部分は、愛すべき何か、すべき何か、そして希望とすべき何かをいう。(W・
ブレイク)
●改めて幸福論
世界の賢人たちは、身近な、ごく平凡な、かつ、ごく日常的な生活の中に、「幸福」を見い
だしているのがわかる。つまりこのあたりに、幸福の原点があるのでは。ここまで書いて、
私は、ボームという人が書いた、「オズの魔法使い」を思い出した。それについて書いたの
が、つぎの原稿である。「家族主義」について書いた原稿である。(私の本から、転載。)
++++++++++++++++++++++++
家族主義と幸福論
●幸福の原点は家庭にある
ボームが書いた物語に「オズの魔法使い」がある。カンザスの田舎に住む、ドロシーとい
う女の子と、犬のトトが虹のかなたにある幸せを求めて、冒険するという物語である。こ
んなことがあった。
オーストラリアにいたころ、仲間に「君たちはこの国(カントリー)が、インドネシア
軍に襲われたらどうするか」と聞いたときのこと。皆はこう答えた。「逃げる」と。「おや
じの故郷のスコットランドへ帰る」と言ったのもいた。何という愛国心! 私があきれて
いると、一人の学生がこう言った。「ヒロシ、オーストラリア人が手をつないで一列に並ん
でもすきまができるんだよ。どうしてこの国を守れるか」と。
英語でカントリーというときは、「国」というよりは、「土地」を意味する。そこで質問
を変えて、「では、君たちの家族がインドネシア軍に襲われたらどうするか」と聞くと、皆
血相を変えてこう言った。「そのときは、命がけで戦う」と。これだけではないが、私はい
つしか欧米人の考え方の基本に、「家族」があることを知った。愛国心もそこから生まれる。
たとえばメル・ギブソンの映画に『パトリオット』というのがあった。日本語に訳する「愛
国者」ということになるが、もともとパトリオットという語は、ラテン語のパトリス、つ
まり「父なる大地」という語に由来する。つまり欧米で、「ペイトリアチズム(愛国心)」
というときは、「父なる土地を愛する」あるいは、「同胞を愛する」を意味する。その映画
の中でも、国というよりは家族のために戦う一人の父親が、テーマになっていた。
家族主義というと、よく小市民的な生き方を想像する人がいる。しかしそれは誤解。冒
頭にあげたオズの魔法使いの中でも、人間が求めている幸福は、そんな遠くにあるのでは
ない。あなたのすぐそばで、あなたに見つけてもらうのを、息を潜めて待っている…。ド
ロシーは長い冒険の末、それを教えられる。
明治の昔から、日本人は「出世」という言葉をもてはやした。結果として、仕事第一主
義が生まれ、その陰で家族が犠牲になるのは当然と考えられていた。発展途上の国として
やむをえなかったのかもしれないが、しかし今、多くの人がそうした生き方に疑問をもち
始めている。九九年の終わりに中日新聞社がした調査でも、四五%の日本人が「もっとも
大切にすべきもの」として「家族」をあげた。日本人は今、確実に変わりつつある。
++++++++++++++++++++++
こうした賢人の中で、私の心をとらえたのは、F・コーニグの、つぎの言葉だ。いわく…
…。
「もっていないものを手にしたとき、その結果として幸福がやってくるのではないという
ことを、私たちは忘れてはいけない。そうではなく、幸福というのは、今、私たちがもっ
ているものに気づき、それを評価することの結果として、やってくる」と。
同じようなことだが、アンディ・ルーニィ※も、こう言っている。
「人生では、すばらしいことなど、めったにない。朝起きて、仕事をして、それを終えて、
家族や友といっしょに食事することを楽しみなさい。そうすれば、それぞれのときに、あ
なたは幸福になる。もし人が、幸福の基盤を、新しい仕事や、莫大なお金や、完ぺきな結
婚生活や、パリへの旅行など、そういった大きなできごとに置くなら、ほとんどの時間で、
その人は、幸福ではないということになる。しかし一方、幸福を、おいしい朝食や、庭の
花や、飲んだり、昼寝したりすることに求めるなら、あなたはすばらしい幸福とともに、
人生を過ごすことができる」と。
それはそのとおりで、もし名誉や地位、肩書きや権威、権力が、幸福の条件とするなら、
人間は、数十万年のうちの、(数十万年、引く、二〇〇〇年)の間は、不幸だったというこ
とになる。
なぜなら、こうした亡霊が人間社会を支配するようになったのは、せいぜい、この二〇〇
〇年にすぎないからである。……とまあ、こんなこと改めて、書くまでもない。
しかし現実には、こうした亡霊にとりつかれている人は、多い。あなたのまわりにも、
いる。私の知人の中にも、いる。定年退職をしてからも、過去の栄光(?)にしがみつき、
それをふりかざして、いまだに威張りちらしている。もっともそれで本人がそれなりにハ
ッピーなら、それでよいのだが、実際には、(多分?)、日々を悶々とした気分で過ごして
いる。そういう人にとっては、過去の栄光を否定されることは、自分の人生を否定される
ことに等しい。だから、猛烈に反発する。
これは本当の話だから、正直に書く。ウソの話ではない。
その人は、長い間、ある研究所の研究員をしていた。そして四〇歳くらいのとき、H大学
の助教授になり、つづいて五〇歳少し前に、教授になった。現役時代には、ある研究団体
の会長にもなっている。その彼と議論しているとき、ふとしたことから、喧嘩になってし
まった。彼は、メールで、私にこう言ってきた。
「君だって、文部省あたりから仕事が回ってくれば、シッポを振る口ではないのかね」「君
だから、正直に言ってやるが、君が称している研究など、この世界では、価値がない。い
いかね、研究というのは、公的な機関で認められてはじめて、意味をもつんだよ」「田舎の
おばちゃんたちを相手に、偉そうな文章を書いても、意味はないよ」「君の書いている本な
どというのは、資源のムダづかい。君が一冊、本を出すたびに、インドネシアの森林が、
数十本、犠牲になるんだよ」「偉く国際人ぶっているが、君が本当に知っている外国は、オ
ーストラリアという田舎だけではないのかね」と。最後には、こう言った。「君は、知識を
ひけらかしている、ただのバカだ」と。
しかし私とて、負けていない。
「公的機関で、税金で研究している男が、何を偉そうなことを言うか」「あなたのまわり
の人間は、自分もその恩恵にあやかりたいから、あなたにペコペコしているだけだ」「文句
があるなら、裸で私と勝負してみろ」「こちらは生きる糧(かて)を稼ぎながら、そのあい
た時間で、ものを書いている。あんたとは、立場が基本的に違う」「文部省から仕事がくれ
ば、ありがたいことだ。いくらでもシッポを振ってやる。そのかわり、ちゃんと、お金を
もらう」「文化というのは、大衆がつくる。あんたが言うところの、田舎のおばちゃんたち
がつくる。あんたのような雲の上の、偉い人ではない。文句あるか!」と。
そうそう、こんなことも言った。「君は、教育で金もうけする。私は、教育そのものに生
きる」と。そこで私はこう反論した。「あなたは、上ばかり見て、教育論を書く。私は、下
の人のために、教育論を書く」と。
実のところ、こうした不毛の議論が、三か月ほど、つづいた。で、私のほうがあるとき
から返事を書かなくなり、それでその人との交際は、終わった。今も、まったく音信はな
い。私も若かった。しかしその心意気だけは、今も変わらない。
ずいぶんと熱い話になってしまったが、この事件が、私の考え方に大きな影響を与えた
ことは言うまでもない。以後、私は、権威や権力を振りかざす人には、生理的な嫌悪感を
覚えるようになった。
ところで、この話には、余談がある。一つは、その人からメールが入るたびに、はげしい
動悸と、不快感が私を襲ったということ。不愉快だった。それにもう一つは、それまでそ
れほど好きではなかった、尾崎豊の『卒業』が好きになったこと。ある時期は、毎日、そ
の曲を聞きながら、うさ晴らしをした。(これは本当に、ホント!)
さてさて、幸福というのは、私たちの身のまわりにある。そして今の今も、私たちに見
つけてもらうのを、じっと、静かに待っている。賢明な人は、それをなくす前に気づき、
そうでない人は、なくしてから気づく。もう一言、つけ加えるなら、賢明な人は、若いう
ちにそれに気づき、そうでない人は、死んでも気づかない。
M・ワシントンが言っているように、幸福とは、心のもち方で決まる。いわく、「私は、つ
ぎのことを学んだ。つまり幸福にせよ、悲惨にせよ、その大部分は、私たちのおかれた環
境ではなく、私たちの気質によるものだということを」と。この言葉は、おおいに参考に
なる。
(030722)
※アンディ・ルーニィ……1919生まれ、アメリカの著名
++++++++++++++++++++++++
ついでに「恨み」について
++++++++++++++++++++++++
恨(うら)み
恨みは、人間を小さくする。腐らす。そしてその恨みが多ければ多いほど、深ければ深
いほど、その人の人生を、見苦しくする。
いろいろな賢者が、その「恨み」について、語っている。
Hatred comes from the heart; contempt from the head; & neither feeling is quite within
our control. ー Arthur Schoperhauer
恨みは、心から生ずる。侮蔑は頭から生まれる。ともに、我々の意思ではコントロールで
きない。(A・ショーペンハウエル)
I will permit no man to narrow and degrade my soul by making me hate him ー Booker
T.
Washington
だれも、私をしてその人を恨ませるようなことで、私の魂を小さく、低めることはできな
い。(B・T・ワシントン)
Hating people is like burning down your house to kill a rat ー Henry Fosdick
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ。(H・フォスディッ
ク)
Nothing Brings People together more, then mutual hatred ー Henry Rollins
互いに恨みあうことほど、互いを近づけるものはない。(H・ロリングズ)
If you hate a person, you hate something in him that is part of yourself. What isn't part
of ourselves doesn't disturb us. ー Hermann Hesse
あなたがだれかを恨むなら、あなた自身の中の何かを恨むということ。私たち自身の中に
ないものであれば、それで心がわずらわせられるということはない。
Don't hate, it's too big a burden to bear. ー Martin Luther King, Sr.
人を恨むな。それは耐え難いほどの重荷になる。(M・L・キング・SR)
Hate and bitterness are the only weapons wielded by the blade. ー Thomas Gregory
恨みと辛苦は、剣をもって戦う、唯一の武器である。(T・グレゴリー)
こうして並べてみると、自然と、その答が、出てくる。人を恨むということは、短い人
生の、その貴重な「時」を、ムダにするということか。では、どうするか。オーストラリ
アの格言に、「もうすべては終わった。さあ、前に向って、笑って進もう」というのがある。
どうにもならない問題に、いつまでも引き回されていると、やがてその泥沼に引きずりこ
まれてしまう。
そして、H・フォスディックが言っているように、「人を恨むというのは、ネズミを殺す
ために(=つまらない人間にかかわっていることは)、家(=人生)を燃やす(=ムダにす
る)ようなものだ」ということになる。「恨み」は、「ネズミ」ということか。
人間の心には、無数のゴミがある。そのゴミがあることは、しかたないことだが、でき
るだけ、そのゴミは、少ないほうがよい。ゴミが多ければ多いほど、その人の生活態度は、
醜悪なものになる。顔も醜悪になる。よい例が、J党の中枢部でがんばっている政治家た
ちである。見るからに醜悪な顔をしている。ああなる。
そのゴミになるものとして、邪悪な心、横しまな心、嫉妬、ねたみ、策謀、インチキな
どがある。ここでいう恨みも、その一つ。
だから、あなたも、もうすべては終わった。さあ、前に向って、笑って進もう! それ
ですべては、解決する。
(030817)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************
このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?
よろしくお願いします。 はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
. *※※
.※※ ***※
.*※※…※}※**
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q Bye!
. = | QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m~= ○
. ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
<< Home