Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Tuesday, August 17, 2010

●なぜ学校へ通うか(意識調査)

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   18日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育】

●学校に通う意味・青年の意識調査より

●内閣府(2009年)の調査結果より

なぜ、あなたは学校に通うか?
その答がつぎ。

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●日本は「友達との友情をはぐくむ」、韓国は「学歴や資格を得る」、アメリカ、イギリス、
フランスは「一般的・基礎的知識を身に付ける」がもっとも高い。

●「友達との友情をはぐくむ」:
日本(65.7%)、
韓国(41.2%)、
イギリス(40.2%)、
アメリカ(39.2%)、
フランス(16.3%)

●「自由な時間を楽しむ」:
日本(32.5%)、
アメリカ(26.8%)、
イギリス(22.7%)、
韓国(14.7%)、
フランス(11.2%)

●「職業的技能を身に付ける」:
イギリス(44.6%)、
フランス(43.5%)、
アメリカ(42.8%)、
韓国(37.0%)、
日本(30.6%)

●「一般的・基礎的知識を身に付ける」:
アメリカ(79.1%)、
フランス(66.9%)、
イギリス(63.0%)、
日本(55.9%)、
韓国(44.9%)

詳しくは……
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth8/pdf/gaiyou.pdf

++++++++++++++++++

●意識のちがい

 高等教育に対する意識のちがい。
それが内閣府の調査結果によく表われている。
平たく言えば、日本の青年は、「遊ぶため」。
欧米の青年は、「社会へ出てから、生きていかれる人間になるため」。
「職業的技能を身につけるため」という意識が強い。

 役にたつかたたないかということになれば、日本の教育は役にたたない。
かなり改善されたとはいえ、英語教育がそうだった。(……今も、そうだ。)
つまり日本の教育は、英語にかぎらず、社会にしても、国語にしても、数学にしても、
理科にしても、将来、その道の学者になるためには、たいへん機能的にできている。
が、将来、学者になる子どもは、いったい、何%いるのか?
「基礎学力」という名前に隠れて、その一方で、「教育とは役にたつものではない」という、
反実用主義が常識化している。

●役にたつ教育へ

 アメリカの中学では、たとえば数学にしても、「中古車の買い方」というテーマで
学習に入る。
その過程で、小数計算の仕方や、金利の損得の判断などを順に教えていく。
が、この日本では、一次方程式だの、一次関数だの、はたまた合同だの相似だの……。
私など高校を出てから、方程式なるものを、日常生活の場で使ったことなど、ただの
一度もない。
サインやコサイン(私たちの時代には、中学2年で、サイン、コサインを勉強した)
にしても、さらに、ない。

 が、これは教育の問題ではない。
それを学ぶ子どもたちの意識の問題ということになる。
子どもたちを育てる親の意識の問題ということになる。
「なぜ、子どもを大学へやるか?」と聞かれたら、親は何と答えるだろうか?
今でも、大半の親は、こう答えるにちがいない。

「学歴を身につけるため」と。

●身分制度の名残(なごり)

 江戸時代から明治時代へ。
今は、坂本龍馬に踊らされているから、わからないかもしれない。
なにやら坂本龍馬が、革命の旗手であったかのようにとらえられている。
しかし明治維新は、「革命」でも何でもない。
英語では、「Restoration」と訳されている。
つまり「王政復古」。
坂本龍馬は、民衆のために戦った人ではない。
民主主義を求めて戦った人でもない。
「王政復古」、つまり「天皇の復権」のために戦った人に過ぎない。

 そういう歴史的背景も学ばず、「龍馬ブーム」!
もし徳川時代がまちがっているというのなら、一度、封建時代を精算したらよい。
が、それもしない。

 わかりやすく言えば、明治維新は、徳川家から天皇家への、首のすえかえに
過ぎなかった。
その一例が、現在の学歴制度に残っている。
つまり身分制度。
当時の為政者たちがもっとも腐心したのは、江戸時代の身分制度をいかにして、
明治政府にバトンタッチするか、であった。
が、方法がなかったわけではない。

 明治時代が11年も過ぎたころでさえ、東京大学の学生の75%以上が、華族、氏族
の師弟で固められた。
たいはんの庶民は、尋常小学校どまり。
それ以上となると、父親の1か月の給料をもってしても、教科書すら買うことができな
かった。

 また県知事(県令)は、当時の自治省から派遣されるしくみになっていた。
選挙など、形だけ。
(現在でも、大きくみれば、その流れの中にある。)

++++++++++++++++++

以前、書いた話と同じになりますので、
以前書いた原稿を、転載します。
一部重複しますが、許してください。

++++++++++++++++++

【学歴制度】

● 5か条の御誓文

+++++++++++++++++++
1868年、明治維新で生まれた新政府は、
明治天皇の名前で、『5か条の御誓文』、つまり
政治の方針を定めた。

5か条の御誓文というのは、つぎのような
ものであった。

一、 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一、 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一、 みんなの志が、かなえられwるようにしよう。
一、 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一、 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう

+++++++++++++++++++++

明治維新の中でもっとも大切なのは、『四民平等』ではなかったか。
天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、そのほかは「平民」となった。
それぞれの割合は、

人口3313万人のうち、
華族、神宮、僧……0・9%
士族     ……5・5%
平民    ……93・6%

この数字を見て、9年前に書いた原稿を思い出した。
日本人が平等になったというのは、ウソと考えてよい。
そのかわり明治政府は今に残る学歴制度を作りあげた。

++++++++++++++++++++++++++

●子どもの希望

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)
きたい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を選
びたい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカラ
ー志向が強い。韓国は特技系の仕事に関心がある。米国では特技や専門技術系の職業に人
気があり、普通のサラリーマンになる願望が最も弱い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。しかも今、どんな公
務員試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。さらに公務員試験を
受けるための予備校まである。そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。もちろ
ん退職金も、年金も、満額支給される。さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保
されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。そこに5
年間勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。ごくふつう
の自衛官ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。(だからといって、
その人個人を責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。「市
役所の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。「お前も、
公務員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。しかしこの日本
では、今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。数がふえるだけなら
まだしも、公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員たちによって管
理されることを意味する。自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおい
て、ほかにないだろう。ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。しか
し本当に、そうか。あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなの
か。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、今
一度、「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。

(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】

ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員の子
どもが、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがある』と答
えた。日本と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。しかし日本や韓国の子どもに
は、それがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れる
学部」という視点で、大学を選択している。いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハッパ
をかけても、子どもたちは、こう言う。「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのであ
る。

 人生には、無数の道がある。幸福になるにも、無数の道がある。子どもの世界も、同じ。
そういう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たい
へん便利で、能率よくできている。しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始め
ている。現状にそぐわなくなってきている。明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、
いざ知らず、今は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものでは
ないということ。仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年に
なってから勉強するということも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づけるこ
とによって、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、「勉
強しなさい!」と怒鳴る親は少ない。こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育制度
の欠陥である。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使われ
るようになった。「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい身分
を手に入れる」という目的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。「私は、もう終わりましたから」と。私が、「お母さん、あ
なたたちも勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。
なのに、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を
使った。「革命」という意味だが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時
代に温存するかであった。ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けた
かったにちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。しかし一般庶民にとっては、教
科書や本すら、満足に購入することができなかった。だから結局、大学まで出られるのは、
士族や華族、一部の豪族にかぎられた。明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生の
うち、約75~80%が、士族、華族の師弟であったという記録が残っている。

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の知事となって、
派遣されていった。選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。変っていないことは、実は、
あなた自身が、一番、よく知っている。たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜
松市の市長も、そして国会議員の大半も、みな、元中央官僚である。(だから、それがまち
がっていると言っているのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。あるいは大半
の日本人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らないのでは
ないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 私もこの国に住んで、56年になるが、
つくづくと、そう思う。

++++++++++++++++++++++
つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。どこかの国のカルト信
仰を笑う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、
自分の姿が見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制
度をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それ
がわかる。そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別し
た。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。学校出の教師の給料が、15~30円、
県令(今の県知事)の給料が250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。そして今に見る、学
歴制度ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学校
が、末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。教育はだれの目にも必要だった
し、学校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。
日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。そうでない人は、何か
につけて、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。親たちは日
常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係
なく、職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっ
ちもいかないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後
閉鎖論まで、公然と議論されるようになっている。それだけ公教育の荒廃が進んでいると
いうことになる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。今の、
この時点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子ど
もたちが、苦しみ、そして傷ついていることか。そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多
くのおとなたちが、今も、ひきずっていることか。それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。ウソだと思うなら、あな
たの、あるいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。
(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、
自分の鼻先を指さす。(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。年長児の大半も、自分の鼻先
をさす。しかし年中児になると、それが乱れる。つまりこの部分については、子どもは年
中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうことになる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。よく誤解さ
れるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるか
に多い。どれくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらに
はもっと多いかしれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教え
ずして教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。あるいは子どもとい
うのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。しかしむし
ろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大
半の子どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。だれが育てる
というのでもない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以
上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはって
いく。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士
になるという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。全員(一〇人)がこう言った。「ど
うせ、なれないもんね」と。「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、
別のことを学んでしまう。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。あるいは何を教えていないだろう
か。そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいる
だろうか。それを少しだけここで考えてみてほしい。

(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評
論 幼児教育 子育て はやし浩司 学歴制度 学歴社会 はやし浩司 県令 自治省
 坂本龍馬)

●最後に……

 日本の教育は、基本的な部分で、おかしい。
その(おかしさ)は、ここに書いたとおりである。
だから青年たちは、「遊ぶ」。
もとから学ぶという意識もないまま、遊ぶ。
その結果が、内閣府の調査結果ということになる。

 もう一度、冒頭の数字を、じっくりとながめてみてほしい。
あなたにも、そのおかしさが、わかるはず。
2010/07/19記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月18日

+++++++++++++++++++

今日は日曜日。
Good News、Bad News,
さまざまあった1日だった。

夕方になって、ほたるの写真が、無性に
撮りたくなった。
山荘の裏山に、ほたるが出る。
その写真が、撮りたくなった。

カメラは、ソニーのサイバーショット、
HX-5V。
知る人ぞ知る、ソニーの最新型。
1ルックスの明かりがあれば、ふつうの
写真が撮れる。

(1ルックスというのは、直径2センチ
のローソクをともしたとき、1メートル
離れたところの明るさをいう。)

その性能に加えて、夜間撮影機能を使えば、
ほたるの光でも、とらえることができるはず。

(夜間撮影のときは、連続して5枚の
写真を撮り、それをコンピューター処理
して、1枚の写真に仕上げる。
そういう機能も備えている。
すごい!)

++++++++++++++++++

●「かつさと」

 山荘へ行く途中、東名西インター手前にある、「かつさと」という店に寄った。
カツ丼専門店。
私は味噌カツ。
ワイフはカツ丼。
おいしかった!
久々に、おいしい味噌カツを食べた。
値段も、500円。
安い!
それに活気があった。
厨房には、私たちが食事をしたときには、6人のコックと、2人の男子店員+
2人の女子店員がいた。
それぞれが声をかけあいながら、仕事をしていた。
その活気がよい。

 流行(はや)る店は、雰囲気ですぐわかる。
それを食べながら、以前、郷里のM町で食べたカツ丼の話になった。
いろいろまずいものを食べたことはあるが、あのときあそこで食べたカツ丼は、最低、
最悪。
生臭くて、それに肉がかたく、パサパサしていた。
「あのカツ丼はまずかったね」と私。
それに値段も、何と1200円!
それを言うと、ワイフが、ヘヘヘ……と笑った。
「ひどすぎて、話にならない」という意味である。

 が、「かつさと」の味噌カツは、最高!
味噌の味もよい。
「また来ようね」と言うと、ワイフは、あっさりと同意してくれた。

 最近はこうした中規模のチェーン店ががんばっている。
味も研究している。
高級専門店に負けない味を出している。

 「かつさと」さん、また寄ります。
おいしかった!
味は、(まだ味噌カツしか食べていないが)、5つ星の★★★★★。
ただ、ごはんの量が少し少ないかな……という印象をもった。
しかし500円という料金を考えるなら、文句は言えない。

●午後7時45分

 山荘へは午後7時半ごろ着いた。
今、時計は7時50分。
最後まで残っていた青白い光が、空から消えた。
真っ白な月が顔を出した。
夜空の写真を撮った。

 「今夜も出るだろうか?」と私。
「出なければ、奥の水のみ場へ行きましょう」とワイフ。
少し山を登ると、清水が湧き出ているところがある。
このあたりの人たちが、そこへ水を取りに来る。
7、8年ほど前だが、そこで数匹のほたるが飛んでいるのを見た。

●上弦の月

 あたりはすっかり暗くなった。
谷間の民家の街路灯だけが、小さな点をつくって並んでいるのが見える。
今夜の月は、右弦の月。
右半分だけ。
この先、満月に向かって大きくなっていく。
上り坂。
だから「上弦の月」という。

 三脚は長男のものを借りた。
飛んでいる蛍は撮れないかもしれない。
しかしじっとしている幼虫なら、撮れる。
期待と不安が、交互にやってきては消える。

●感動

 この山荘に住むようになってからのこと。
そのつど感動したことは、山のようにある。
まず空を飛ぶ鳶(とび)の背中を見ることができたこと。
(背中だぞ!)
鳶は谷間の中、私たちの眼下を飛んでいた。

 キジの夫婦にも出会ったことがある。
反対側の山の斜面を、2羽であちこちを歩き回っていた。
それにホトトギス、ヒグラシにウグイスなどなど。
コジュケイもいる。
この時期、朝方、どれも騒々しいほどに鳴く。

 5月の野生のジャスミン。
ビワ、野いちごなどなど。
ここへ来るたびに、そしてそのつど、新鮮な感動を覚えた。
で、今は、ほたる。
ほたるを見たい!

●幼虫

 ほたるは幼虫のときから、あやしげな光を放つ。
不気味な形をしている。
一度だけだが、つかまえたことがある。
しかしそのときはほたるの幼虫とは、知らなかった。
「宇宙から飛来した、宇宙生物」と、私は思った。
光る虫を、ほたる以外に、私は知らなかった。

 で、おとといの夜、その幼虫を見た。
夜中に、淡い光を放っていた。
ホワ~ンと光っては、ホワ~ンと消える。
やさしい光だった。

 最初は1、2個が目についた。
が、やがてすぐ、それが20~30個もあることを知った。
うれしかった。
……というより感動した。

●探索

 今夜はそれを見る。
見るために、やってきた。

(この間、外に出る。
草むらに目を凝らす。)

 いた!
やはり、いた!
おとといの夜と同じように、草むらで淡い光を放っていた。
最初に、ワイフが一匹、見つけた。
つづいて、2匹、3匹……と。
数分後には、それが10匹前後になっていた。

 草の奥のほうで光る。
私はカメラをいろいろな角度から、向けなおしてみた。
が、月の光が街路灯のように明るい。
「これではだめだ!」と何度も思った。
だいたいどこから光りだすか、それすらわからない。
カメラの焦点を合わせることもできない。

 私は、一匹をつかまえてみることにした。

●死んだフリ

 ほたるの光っている位置を正確に、頭にたたきこむ。
そしてそこを懐中電灯で照らす。
やはり幼虫だった。
大きさは、1センチもない。
それを葉っぱごと、つかまえる。
手でつかまえられるような大きさではない。

 ワイフがコップをもってきた。
その中に幼虫を入れた。
うまくいけば、コップの中で光ってくれるかもしれない。

 私は幼虫の入ったコップを、居間のテーブルの上に置いた。
葉っぱも入れた。
が、まったく動かない。
「死んだフリだな」と思った。
そのままテーブルの上に置いてみた。
が、動かない。

 DVDカメラの用意をして、幼虫をとらえた。
1分、2分……。
少し動いた。
が、それだけ。
死んだフリ?
力は加えていない。

 尾の先あたりがやや白っぽくなっている。
その部分が光るのだろう。

●撮影

 ワイフは庭先へ出て、光をさがしている。
遠くで、花火があがる音。
近くの村で、花火大会をしているらしい。
虫の声も、静かになった。
月はやや赤みを帯びてきた。

 「ギブアップだな」と思った。
テーブルの上で光るなどということは、ないだろう。
虫だって、それなりの意味があるときに光る。

 ときどき活発に動き出す。
尺取虫のような動き方をする。
結構、逃げ足は速い。
その様子は、ビデオに収めることができた。

 ほたるは、やはり飛んでいるところがよい。

(これから水のみ場へ行ってみる。
そこではほたるが飛んでいるかもしれない。)

●帰宅
 
 夜はそのまま帰った。
帰り道に水飲み場へ寄ってみたが、ほたるはまだいなかった。
もう1~2週間もすると、そのあたりを飛び交うはず。
で、帰り道、こんな話になった。

「同じ虫なのに、ゴキブリは嫌われる。
でも、ほたるは、好かれる。
そのちがいは何だろう?」と。

 で、ワイフの説によれば、ほたるは光るからだそうだ。
が、もしゴキブリが光ったら、どうなのか?
かえって不気味かも?

 私もやはり、あのやさしい光にあると思う。
その光が、私たちの心のようでもある。
夏の夜、やさしい光を灯しながら、フワフワと飛び交う。
そこに私たちは自分の心を乗せる。

 子どものころは、そういう光をよく追いかけた。
不思議な光。
淡い光。
そういう思い出も重なる。

 残念ながら、今夜は幼虫の写真しか撮ることができなかった。
つぎの機会を待とう。
(2010年7月19日)


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