●夫婦とは(60代のばあい)
●仮面夫婦(60代の夫婦)
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夫婦の形に定型はない。
千差万別。
みな、ちがう。
幸福そうに見える夫婦でも、中身は問題だらけ。
不幸そうに見える夫婦でも、心は通い合っている。
「私たち夫婦がこうだから……」という『ダカラ論』ほど、
アテにならないものはない。
私は私、あなたはあなた。
私たち夫婦は、私たち。
あたなたち夫婦は、あなたたち。
もともとは他人。
生まれも生い立ちもちがう。
性質や性格もちがう。
ものの考え方もちがう。
だから……というわけでもないが、みな、仮面をかぶっている。
仮面をかぶっていない夫婦などいない。
つまり「夫婦という仮面」。
みな、かぶっている。
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●抑圧
私たち夫婦も、この40年間を総括してみると、こうなる。
「つまり、よく今まで夫婦でいられたなア……」と。
いつ離婚してもおかしくない状態だった。
そんな状態のまま、40年。
もしふつうの夫婦(?)だったら、何10回も離婚していただろう。
ワイフはそれを否定するが、ワイフは、深層心理の奥深くでは、私を嫌っている。
「毛嫌い」というか、生理的な嫌悪感?
何でもないようなときに、ふと肩などに触れたとすると、無意識のまま私の手を
払いのける。
パン、と。
が、本人には、その意識はない。
「今、お前は、ぼくの手を払いのけたよ」と言っても、「私は覚えていない」と。
が、ふだんは、よいワイフ。
思いやりもあって、やさしい。
しかし私は私が感ずるさみしさを、どうすることもできない。
こればかりは、ワイフの心の奥の、そのまた奥の問題。
ワイフの力でも、どうにもならないだろう。
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。
慢性的な不満や怒りがつづくと、人は心の別室を作り、それをそこに閉じこめる。
そういうふうにして、自分の心を防衛する。
これを「防衛機制」という。
「機制」というと大げさな感じがするが、「メカニズム」の邦訳。
抑圧された心は、そのつど、折りにつけ顔を出す。
それがパンと手で払うという行為になって現われる(?)。
●抑圧
だからときどき申し訳なく思う。
「別れてあげようか?」と聞くこともある。
ワイフは、「このままでいい」と言うが、しかし私が感じているさみしさまでは理解
できない。
ワイフの心は、その奥の奥で、閉ざされたまま。
そう、ワイフは子どものころから、だれにも心を開かなかったという。
ワイフをよく知る義姉たちは、みな、こう言う。
「がまん強い子だった」と。
つまりがまんすることで、自分の心を抑圧した。
それが思考回路となって、今でも残っている。
私との間でいやなことがあっても、めったにワイフはそれを口にしない。
不平や不満を口にしない。
そのまま心の奥にため込んでしまう。
で、おかしなもので、その一方で、私にはそれができない。
何でもその場で、パッパッと発散してしまう。
またそれをしないと、気が済まない。
心の奥にためこむということができない。
だから子どものころは、喧嘩早かった。
ときには相手の家の奥まで追い詰めて、その相手を殴り飛ばしたこともある。
だから近所の子どもたちは、みな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=私)と喧嘩すると、逃げ場がない」と。
私は親分肌だったが、同時に仲間の間では、こわい存在だった。
●空の巣症候群
しかしその私ももうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
子育てが終わって、……とくに三男が養子のような形で相手の女性の家にあがりこんで
しまったときには、夫婦の絆が切れてしまったように感じた。
「空の巣症候群」とは、少しちがう。
無力感というか、絶望感。
それに近い。
で、よく『子はかすがい』と言う。
その(かすがい)が消えてしまった。
と、同時に、そこにいるのは、私のワイフという、1人の女性。
それまでは2人で、よく夢を見た。
「息子の操縦する飛行機で、オーストラリアへ行こう」など、と。
しかしこの9か月、空を見あげることもなくなった。
飛行機の話さえ、しない。
おかしなもので、息子がいつなんどき飛行機事故で死んでもよいように、心の
準備だけは、いつも整えている。
またそうでもしないと、ときどき報道される飛行機事故のニュースに耐えられない。
そのつど、ハラハラするのは、つらい。
だから飛行機のことは、考えない。
息子の職業のことは、考えない。
が、ワイフは平気。
ふつうの職業と考えている。
が、私はちがう。
29歳のときに、飛行機事故に遭遇している。
間一髪のところで、命拾いをした。
そういうトラウマがあるから、飛行機に対しては別の感じ方をする。
●あきらめ
そういう形で、息子たちが去ったとき、残っているものは、何か?
とても残念なことに、私とワイフの間に、乾いたすきま風が吹き始めた。
(かすがい)が消えたあと、穴があいた。
が、私たちは懸命に自分を立て直そうしている。
どうであれ、人生は短い。
健康年齢ということを考えるなら、すでに健康年齢は終わりつつある。
「これから何かを……」という年齢ではない。
言うなれば、落ち穂拾い。
ミレーの描いた、あの絵画のような「落ち穂拾い」。
目の前にあるのは、そんな世界。
100%、絆の太い夫婦など、いない。
みな、ボロボロ。
穴だらけ。
穴の大きさにちがいはあるだろう。
しかし懸命に支え合って生きていく。
あきらめと、さみしさ。
それを心のどこかで交互に感じながら、生きていく。
それしかない。
●さみしい話
ところでこんなさみしい話がある。
1週間ほど前、東京のT区に住んでいる女性から、講演に来てもらえないかという
メールを受け取った。
よほどのことがないかぎり、私は講演を断ったことはない。
で、条件は、「旅費込みで、2万5000円」。
集まる人は、10人~前後。
それでも私はその女性の好意がうれしかった。
「必要としてもらっている」という思いを、メールを通して感ずることができた。
だから即座に引き受けた。
が、返ってきた返事は、意外なものだった。
「これから会のほうで、先生(=私)にするかどうか検討して、また返事します」と。
これから検討する……?
私はそれを読んでがく然とした。
新幹線で往復するだけでも、1万7000円弱。
残りは8000円。
私の中で、迷いが生じた。
その迷いは、つづくメールでさらに大きくなった。
その女性から、こんなメールが届いた。
「本当にこの料金で講演をしてもらえるかどうか、確かめてほしいということになり、
確かめさせてください」と。
率直に言おう。
8000円で講演をする人はいない。
東京へ行くということは、それだけでも1日仕事。
私の年齢では、重労働。
食事をしたら、ほとんど何も残らない。
一方、この浜松では、「東京から来た」というだけで、何でもかんでもありがたがる。
悲しき田舎根性。
少し名の通った講師だと、30~50万円が相場。
あのA・チャン(女性)のばあい、100~160万円(週刊誌)とか。
その女性の好意が、一転、非常識に思えてきた。
先日も郷里の僧侶に、供養のため浜松へ来てもらったが、法要料が5万円、プラス
交通費が3万円だった。
とたんやる気が失せた。
つづくメールでは、断った。
「申し訳ありませんが、今回はお引き受けできません」と。
が、どういうわけか私はさみしかった。
怒りはまったく、なかった。
「私の時代は終わった」というさみしさ。
「私の力もこんなものか」というさみしさ。
それがジンと胸の中で響いた。
つまりそのとき感じた(さみしさ)が、今、ワイフとの間で感じている(さみしさ)に
似ている。
●私たちの年代
こうして私たちは、ひとり、ひとりと順に(この世)という舞台から消えていく。
……とういうか、追い出されていく。
夫婦にしてもそうだ。
そこに見えるのは、先細りの人生。
夢や希望など、とうの昔にあきらめた。
目標といっても、吹けば飛ぶような小さなもの。
今も、こうして自分のことを書いているが、だれに頼まれたわけでもない。
頼まれているわけでもない。
私が勝手に「目標」としているだけ。
今夜にでも書くのをやめてしまえば、それでおしまい。
が、私はそれにしがみつくしかない。
もしここで今の目標を手放したら、それこそ、私は生きる屍(しかばね)。
夫婦にしてもそうだ。
「離婚しましょう」「離婚しよう」と互いに合意すれば、それでおしまい。
が、私はワイフにしがみつくしかない。
俗な言い方をすれば、いくらシワクチャなバーさんになっても、私にとって女性は
ワイフしかいない。
それにもしここで今、ワイフと別れてしまえば、あとに何が残る。
どこかで新しい女性と……というロマンなど、ありえない。
まあ、あえて言うなら、私が先に死ぬなら、最期のめんどうだけはみてほしい。
ワイフが先に死ぬなら、最期のめんどうだけはみてやろう。
それまでいくら乾いた風がたがいの間を吹き抜けようとも、それはそれ。
あとは仮面をかぶって、その場をごまかす。
ニコニコと笑って、その場をやり過ごす。
だって……。
みんなそうだ。
私たちだけが例外というわけではない。
それぞれがみな、それぞれの問題をかかえて、懸命に生きている。
支え合っている。
それが私たちの年代の夫婦ということになる。
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Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司
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