●街まで歩く
●2011年2月3日
●街まで歩く
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このところ朝食以外は、外食ですますことが多くなった。
ワイフに仕事を手伝ってもらっていることもある。
そのため外食は、できるだけ安く、おしいものをさがす。
美食家といえば、美食家。
……といっても、その一方で、カロリー計算も
しなければならない。
それに「量」。
今、どこでも私たちには、量が多すぎる。
若い人たちを基準にしている。
もっとも量は、食べ残すという方法で対処できる。
しかし私たち団塊の世代には、それができない。
食べ残すということに、罪悪感を覚える。
罪悪感というよりは、損失感か?
だからどうしても一人前、食べてしまう。
つまり食べ過ぎ。
ときどきこう思う。
よくもまあ、この年齢になるまで、糖尿病に
ならなかったな、と。
本来なら、とっくの昔に、糖尿病になって
いてもおかしくない。
美食家の大敵は、糖尿病。
……ということで、このところ運動に気を遣っている。
昨日も、ワイフと2人で、街までの6キロを歩いた。
時間にして、ちょうど1時間。
コースは、自宅→西伊場→根上がり松(地名)まで。
大回りしたのは、途中の雑貨屋に立ち寄るため。
その近くで昼食。
根上がり松近くに、「コンコルド」という、
イタリアン・レストランがある。
Aさんという、私が幼稚園の講師をしていたころからの
友人が、経営している。
雰囲気、味、ともに最高!
ワイフも私も大満足。
で、そこからは、バスに。
Aさんと話し込んでしまった。
それでバスに乗った。
しかし楽しかった。
こうしたレストランでは、それはホテルや旅館にも
通ずることだが、「哲学(=ポリシー)」が大切。
それに本気度。
久々に、哲学と本気度を感じた。
帰り際、「お店の紹介を、HPでしていいですか?」と
聞くと、快く応諾してくれた。
店を出たとき、ぐっと懐かしさがこみあげてきた。
Aさんと知り合って、もう40年になる。
その40年前が、風のように目の前を通り過ぎていった。
コンコルド……浜松市の西、根上がり松から西へ
150メートルほどのところにある。
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●暖かい
今朝は5時ごろ目が覚めた。
肌で気温を感ずる。
「暖かい!」。
そのまま起きて、ウォーキングマシンへ。
「ウォーキング」といっても、小股で走ることが多い。
いつもは30分と決めているが、今朝は、10分。
早く書斎へ入りたかった。
●花粉症
目が覚めたとき、鼻の奥がツンツンと痛かった。
花粉症の始まりである。
先週あたりから、様子がおかしかったが、ここにきてはっきりした。
花粉症である。
例年より、1週間程度、早い。
が、私のばあい、最初の1週間程度で、症状が消えるようになった。
19年ほど前、全身に花粉を浴びるような事件があった。
たまたまその時期に、杉の木の植え替え作業をした。
それ以来、そうなった。
つまりそれまでは、この季節になると、地獄の苦しみを味わった。
こういうのを「減感作療法」というらしい。
GooのHPには、こうある。
「……免疫療法の一種で、今のところ花粉症を根本的に治す唯一の治療法とされています。アレルギーを起こす花粉の抽出液(エキス)を少しずつ患者さんの体内に注射し、花粉に対する慣れを体内につくってしまおうという方法です」(Goo HP)と。
ただし私がしたような方法を、まねしないこと。
へたをすれば、命取りになるという。
専門医師に相談して、「少しずつ、慣れをつくる」(Goo HP)のが安全。
●映画
この数週間、映画のことは、あまり書かなかった。
しかし劇場へ行かなかったわけではない。
最近観た映画は、「RED」「ソーシャル・ネットワーク」「グリーン・ホーネット」
「アンストッパブル」。
すべて現在も上映中。
つまりめぼしいものは、すべて観ている。
で、今日から、「ウォール・ストリート」が始まる。
近く、「ヒア・アフター」が始まる。
楽しみ。
ついでながら、私の星評価。
「RED」……★★★(できすぎ)
「ソーシャル・ネットワーク」……★★(ただのストーリー映画)
「グリーン・ホーネット」……★★(飛びすぎ)
「アンストッパブル」……★★(ハラハラ度が低い)
ちょっときびしいかな?
私たち夫婦は、ボケ防止を意識し、週に1、2度は劇場へ足を運んでいる。
「映画を楽しむ」というよりは、「ボケ防止」。
本当にボケ防止になっているかどうかはわからない。
が、映画はたしかに脳みそを刺激する。
つまり肉体の運動と同じ。
●胃カメラ
来週、胃カメラを飲むことになっている。
軽い逆流性食道炎がつづいている。
医師に相談すると、「一度は飲んでみたほうがいい」と。
それでそうなった。
散歩のとき、それがワイフと話題になった。
私「なあ、もし胃がんが見つかったら、どうする?」
ワ「切れば、治るわよ」
私「切るのか?」
ワ「まだ早期でしょ」
私「症状が出ているから、もう早期ではないよ」
ワ「今は、がんで死ぬ時代ではないわよ」と。
ワイフのよいところ。
何ごとも、楽天的。
ワイフのような人間は、うつ病にはならない。
うらやましい。
で、私のばあい、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスがこわい。
「命」というのは、皮肉なもの。
生きるのもたいへん。
しかし死ぬのも、これまたたいへん。
簡単には死なせてくれない。
そのプロセスがこわい。
独居老人→無縁老人→孤独死。
その「孤独」がこわい。
●ニュースより
(日本の相撲)
日本の相撲が、揺れている。
激震というより、「やっと……」という感じ。
あの世界は、何からなにまで、うさん臭い。
日本相撲協会は、「八百長は今回だけ」「うみをすべて出す」というようなことを
言っている。
アホ!
だれがそんな話を信ずるか。
うみをすべて出したら、残るのは「皮」だけ。
(エジプト)
揺れていると言えば、エジプト。
それに民主党。
誤解していけないのは、頂点に立つ権力者というのは、いわば「象徴」。
御輿(みこし)で言えば、御輿。
それを担(かつ)ぐ人間がいるから、御輿が御輿になる。
そういう意味では、頂点に権力者というよりは、それを担ぐ人間のほうが、悪(ワル)。
自分は権力者の陰に隠れて、身の保全を図る。
利益をむさぼる。
ムバラク大統領にも、小沢一郎氏にも、そういう取り巻きがいる。
そういう取り巻きを崩さないかぎり、政治は変わらない。
(新燃岳)
それにしてもすごいのが、新燃岳。
爆発。
ワイフに「見に行きたいね」と言うと、叱られてしまった。
「不謹慎よ」と。
たしかにそうかもしれない。
しかし見たいものは、見たい。
上空2000~3000メートルまで煙があがっているという。
「すごいだろうな」と思ったところで、思考停止。
たしかに不謹慎。
ワ「それにあぶないわよ」
私「そうだな……」
ワ「みんな避難しているというのに、わざわざ見に行くなんて……」
私「そうだな……」と。
自分の声が、だんだんと小さくなっていくのがわかる。
しかし私には、こんな経験がある。
(伊勢湾台風)
私は子どものころ、台風が好きだった。
台風が来るのが、楽しみだった。
伊勢湾台風がやってきたときも、私は風向計を作って、遊んでいた。
が、そこへ直撃。
台風の目が、まともに私の住む町を通過した。
で、そのバチが当たったというか、窓ガラスが割れ、足を大けがするハメに。
今も右足に、そのときの傷跡がはっきりと残っている。
ウィキペディア百科事典には、こうある。
「1959年(昭和34年)9月26日、後に伊勢湾台風と呼ばれる台風15号の接近の為小学
校の運動会は中止となる。
その後、台風は勢力を強め紀伊半島潮岬に上陸、東海地方に甚大な被害をもたらしていた。
伊勢湾は満潮と台風の高波で決壊、木材を押し流し家々を破壊、そして大勢の人々も一緒
に飲み込んでゆく。
ついにはひかり一家も流されるが、ひかりは愛犬の命がけの行動によって翌日神社の大木
にひっかかっているところを発見され無事救出される。
しかし両親や利夫は助からなかった」(映画「伊勢湾台風物語」より)と。
昭和34年ということだから、私が12歳のとき。
小学6年生ということになる。
しかしこの話は、私だけの秘密だった。
つまり「台風が好き」ということは、その前にもだれにも言わなかった。
伊勢湾台風以後は、さらにだれにも言わなかった。
しかし、である。
15年ほど前に知り合った、アメリカ人(元高校教師)が、そのときこう言った。
「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。
台風がやってくると、ベランダに椅子を並べて、それを見ているよ」と。
彼は高層マンションの8階当たりに住んでいた。
この話を聞いたときには、驚いたというよりは、うれしかった。
「ナーンダ、私だけではなかった!」と。
で、それ以来、ときどき生徒たち(幼児や小学生)にこう聞く。
「みんなは、台風が好きか?」と。
するとほとんどの子どもたちが、こう答える。
「好き」と。
理由を聞くと「学校が休みになる」とか、そういうことらしいが、それを聞いて、
私はほっとした。
私は長い間、私の頭はおかしいと思っていた。
「台風が好き」というのは、どう考えても、まともではない。
それに台風といっても、伊勢湾台風のような台風は、例外。
この浜松では、この数十年、台風による被害らしい被害は、ほとんど起きていない。
それもある。
もっとも私自身は台風の恐ろしさをよく知っている。
伊勢湾台風が、よい経験になった。
だから今でも、台風が近づくたびに、過剰とも言えるほど過剰な防御策を取る。
言い替えると、この浜松の人たちは、無防備過ぎる。
むしろそちらのほうが、心配。
「台風が好き」と言っても、その範囲での話。
「新燃岳を見たい」と言っても、その範囲での話
つまり「被害が楽しい」と言っているのではない。
どうか誤解のないように!
●おもしろい現象
現在、私の教室に、ずば抜けて頭の切れる女子(中2)がいる。
鋭いというか、論理的で、少しでも矛盾を覚えると、すかさず私を攻撃してくる。
進学校でも、学年トップクラスの成績を修めている。
その女子の名前を、(尊敬の念をこめて)「Nさん」という。
そのNさんだが、意外なことに、まじないや占いを信じている。
先日も手相の話をしてやったら、(私自身は、まったく信じていないが)、それを本気に
してしまった。
あらかじめいろいろな情報を別のところから仕入れておいた。
その情報をもとに、「君は……」と。
いろいろと言い当ててやった。
言うなれば手品のようなものだが、Nさんは、それを信じてしまった。
私、Nさんの手のひらをまじまじと見ながら、「君は……!」
N「何よ、言ってよ!」
私「……言えない」
N「だから、どうなのよ!」
私「言わない方がいい。君も聞かない方がいい……」
「ぼくには君の未来がわかる。だから言わない方がいい……」と。
Nさんは、それを気にした。
私は遊びのつもりだったが、そのあと、Nさんは勉強どころではなくなってしまった。
そんな感じだった。
ときおり私の方を見て、「どうだったの。教えて。私はどうなるの?」と。
今にも泣きべそをかきそうな雰囲気だった。
私には、Nさんが、どんな反応を示すか、そちらのほうに興味があった。
ふだんは知性と理性のかたまりのような女子である。
活動的で行動的。
そんなNさんが、手相を信じる?
(脳のエアー・ポケット)
脳には、エアー・ポケットのような部分がある。
言うなれば「盲点」。
そのことを知ったのは、あるカルト教団の信者と話していたときのこと。
一流大学の理科系の卒業者でも、ある日突然、カルト教団の信者になってしまう。
ほんの少し、常識を働かせれば、「おかしい」と思うようなことでも、わからなく
なってしまう。
それこそ、バチとかタタリとか、そんなことを信じてしまう。
そういうことは珍しくない。
そういった現象を説明するのが、「エアー・ポケット論」である。
そこへ入ると、知性や理性がそのままどこかへ吹き飛んでしまう。
合理的にものを考えることができなくなってしまう。
(翌朝)
私は翌朝一番に、Nさんの家に電話を入れた。
父親が出た。
私は事情を話した。
「Nさんが、本気にしてしまうと困るので、早めに説明しておきます。
今夕、Nさんが学校から帰ってきたら、あれは手品だったと、どうか伝えてください」と。
父親はすぐ納得してくれた。
そしてこんな話をしてくれた。
「Nはね、小学5年生ごろまで、サンタクロースを信じていたんですよ。
それにね、昔の写真……ほら、昔の写真って、白黒でしょ。
それを見てね、昔は白黒の時代だったと信じていたんですよ」と。
つまり、(頭のよさ)と(脳のエアー・ポケット)とは、別。
頭がよいから、カルトにハマらないということはない。
頭が悪いから、カルトにハマりやすいということもない。
言い替えると、エアー・ポケットはだれにでもある。
Nさんを見ていて、そんなことを考えた。
●ワイフはテニスに
朝食後、ワイフはクラブに出かけて行った。
私はひとり、書斎に残された。
軽い睡魔が、私を襲う。
心地よい眠気。
ひとつだけ困ったことがある。
現在ワードを使って文を書いているが、いつの間にか、上書きモードになってしまった。
以前は(ツール)の(オプション)から、モードを変更できた。
が、今はそれができない。
どうすれば(挿入モード)に戻せるか。
言語バーを、(IME2007)から(ATOK2007)に変更してみたが、だめ。
一度ワードを閉じ、再び立ち上げてみたが、だめ。
「どうしたらいいのか?」と考えながら、この文を書いている。
パソコン自体を、再起動すればたぶん、再び(挿入モード)に戻るとは思うが、現在、
YOUTUBEに動画をアップ中。
機能が複雑になった分だけ、ときどきこうしたトラブルが起きる。
かえって簡単なことができなくなってしまう。
ワードだけではない。
カメラにしても、ビデオカメラいしても、さらに携帯電話にしても、そうだ。
……少し眠ってきます。
Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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