Education in Front-Line and Essays by Hiroshi Hayashi (はやし浩司)

(Mr.) Hiroshi Hayashi, a professional writer who has written more than 30 his own books on Education, Chinese Medical science and Religion in Japan. My web-site is: http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ Please don't hesitate to visit my web-site, which is always welcome!!

Wednesday, December 12, 2007

*Environment and Heredity

●環境と遺伝(Environment and heredity)

Children’s intellectual faculty is decided by the environment and by the heredity.

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子どもの知的能力の発達は、(1)環境的要因と、
(2)遺伝的要因の、2つの相互作用によって、
決定される。

環境の影響によるものが大きいのは、
好奇心、探求心、創造性、論理性、
思考能力など。一般に技術的能力の
取得が必要な能力(たとえば、楽器
演奏、音感)は、環境による影響が
大きいとされている(シュテルン)。
こうした環境が総合されて、子ども
の方向性が決まる。

遺伝の影響のよるものが大きいのは、
集中力、記憶力など、基本的な知的
能力がある。

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●子どもの知的能力

 子どもの知的能力は、(1)環境的要因と、(2)遺伝的要因の、2つの相互作用によって、決定される。いくら環境がすぐれていても、遺伝的能力が伴わないばあい、あるいは反対に、いくら遺伝的能力がすぐれていても、環境が伴わないばあい、子どもの知的能力は、じゅうぶんな発達を遂げることはできない。

 対照的な2つの能力、つまり言語表現力と、音感を例にあげて考えてみる。

●言語能力

 先日、1年間で300冊近い読書をしている女児(小4)のことを書いた。その子どものばあい、家庭での読書時間を、むしろ反対に、1時間に制限されているという。で、最近は、中学1、2年の子どもたちがする国語のテストを、いっしょにさせている。ときどき難しい漢字の読み方を教えることはあるが、言語能力は、平均的な中学生以上にある。

 ここでいう言語能力とは、つぎのような能力をいう。

(1) 適切な言葉づかい(あいまいな表現をしない)
(2) 言葉の理解力の深さ(おとなとの会話が理解できる)
(3) すぐれた会話能力(ポンポンと、軽快な返事が返ってくる)
(4) 思考力の深さ(何か話すと、じっと考える様子を見せる)
(5) 微妙な表現力(デリケートな問題について、巧みな言い方で、それを表現する)
(6) 読書力(速さ、流ちょうさを含む。自然な抑揚をつけて本を読むなど)

 その言語能力の中で、私はとくに(5)の微妙な表現力に注目している。それには、こんな事情がある。

●衰える言語能力

 満50歳を過ぎるころから、会話能力が極端に劣ってくる人がいる。多弁であるとか、ないとか、そういうことではない。使う語彙(ごい)の数が少なくなり、会話そのものが、ぶっきらぼうになる。全体に、ズケズケというか、ガサツな感じがする。

 私の印象では、脳の言語中枢が、退化するか、あるいは、飲酒や喫煙、微細脳梗塞などにより、脳そのものが、ダメージを受けるためではないかと思っている。たとえばこんな話し方をする。

「アウー、エートだねエ~。人間は、親孝行がイチバンだヨ~。親孝行オ~、しないようなヤツはア~、アウ~、エ~トだねエ~、人間のクズ。クズだヨ~」と。

 ただ誤解してはいけないのは、ペラペラと、脳に飛来する情報を間断なく話す(=多弁)というのは、言語能力ではない。あえて言えば、発声能力ということになる。

一般的には、おしゃべりの人は、女性に多いと言われている。最近の研究によれば、女性のばあい、右脳側にも言語中枢らしきものがあるということがわかってきた。そのため、女性ほど、おしゃべりが多いということになるが、もちろん男性にも多い。

 その見分け方は、ここでいう「微妙な表現力」ということになる。仮に静かで落ち着いた会話であっても、微妙な言い回しのできる人は、それだけ言語能力のすぐれた人とみる。繰りかえすが、ペラペラとしゃべるから、それでよいというわけではない。

 こうした言語能力の基本となる、論理力、分析力は、読書と思考力によって決まる。その思考力は、(ものを考えて書く)という習慣によって養われる。

●音感

 他方、音感の発達については、環境が重大な影響を与えるが、しかし環境がすぐれているからといって、音感が発達するわけではない。ある音楽教室の先生が、昔、こんな話をしてくれた。

 「音感にすぐれた能力があるかどうかは、教え始めて、数か月でわかる。『この子は、天才的な才能をもっている』とわかる子どももいれば、『そこそこにはピアノを弾けるようにはなるだろうが、そこまで』とわかる子どももいる」と。

 その(差)はどこからくるかと言えば、遺伝ということになる。

 たとえば学習指導という面においても、学習障害児(LD児)は別として、鋭い切り込みを見せる子どももいれば、そうでない子どももいる。ひとつのことを教えると、発展的に、四方八方へと知識を広めていく子どももいれば、反対に、教えても教えても、ザルで水をすくうような感触しかない子どももいる。

 その(差)は何かということになれば、やはり遺伝的要素ということになる。

●見極め

 そこで重要なことは、見極め(みきわめ)ということになる。しかしこれは子どもの問題というより、親の問題ということになる。もちろん教師の問題でもない。教師というのは、そこにいる子どものために全力を尽くすという義務を負う。その子どもに、その能力があるとかないとか、そういうことには、関知しない。

 だから親の問題ということになる。えてして親は、その能力のない子どもに、その能力を強いたりする。その方向性のない子どもを、その方向に向かわせたりする。この(無理)が、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。そういう例は多い。

 しかしこの問題は、日本の教育そのものがもつ問題ともからんでくる。日本の教育は、子どもの多様性を認めるしくみには、なっていない。いろいろと改善はされてきているが、それでも不十分。いまだに受験競争が、家庭教育の(柱)になっていることをみれば、それがわかる。

 親たちの選択肢は、それほど、広くない。だから無理をする。「いやだ」「やりたくない」と泣き叫んで抵抗する子どもを、勉強机に座らせたりする。自分では1冊も本を読んだことがない親が、子どもに向かっては、「本を読みなさい」「漢字を覚えなさい」と言う。

●環境と遺伝

 子どもの能力の発達には、「環境的要因」と、「遺伝的要因」がある(シュテルン)。基本的には、子どもを良好な環境で包む。良好な環境で包めば、自然と、その中で、子どもは、自分の進むべき方向性を見つける。

 その先、さらに伸びるかどうかということについては、遺伝的要因が大きくからんでくる。が、それは子ども自身が、取捨選択しながら、考えて判断すること。水が、やがて流れるべき場所を求めて流れていくように、子どもも、その場所に落ち着く。

 その(流れ)を知るひとつの方法が、ここでいう「環境的要因」と「遺伝的要因」ということになる。

 あなたの子どもには、その環境があるか? あなたの子どもには、その遺伝があるか? 一度そういう視点で、子どもの能力を考えてみるとよい。
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